---26日---
「あ~~~~~~う~~~~~~」
「……かなり煩いんだけど、止めてくれない、巴?」
ベッドにはゴロゴロと寝ころびウーウー唸っている赤月巴がいた。
隣の部屋でその声を漏れ聞いた早川楓は呆れた顔で部屋に入って来てそれを見おろしていた。
巴が悩んでいる理由は明解だ。
今日は5月26日。
明日に迫った、巴の彼氏━━━観月はじめの誕生日についてに決まっている。
どうせ、贈るものが決まっていないとか、そんなことで悩んでいるのだろうと早川はこれまでの経験から見当をつけていた。
「まだプレゼントが決まってないわけ?」
「ううん、プレゼントは決まってるんだよねえ━━━ほら」
巴がほらと指さした方向を辿っていくと、勉強机の上にいかにも上等な紙袋があった。
早川が紙袋の口から中を覗くと、シックなベージュの包装紙に深い赤のリボンという、いかにも観月が好みそうな色合いの箱が入っていた。
観月に贈るに相応しいそれは、まだ中学生の巴のチョイスとしては相当洗練されていて、彼女をよく知る早川としては驚くべき出来事といっても過言ではない。
なにしろ巴のキャラと全くと言っていいほど逆方向なのだから。
「なんだ、立派なプレゼント用意してるじゃないの。
他に何か問題でもあるってワケ?」
どうせこの女友達はまたくだらないことで悩んでグルグルしているのだろう。
他人にはどうでもいいこと、ささやかなことでも彼女にとっては常に大問題であった。
今回も多分に漏れないようだった。
だから付き合いのいい早川はあえて訊いてやるのだった。
『今度の問題は何なのか』と。
我ながら付き合いの良い友達だと思いながら。
「う~ん、シチュエーション? てか、どうやって渡そっかなーって」
まるで明日の朝地球が滅亡すると知ってしまったかのごとく、深刻な表情で巴は答えた。
「決まってないんだよねえ」と深くため息をつきながら。
「━━━ばっか……」
「だってね」
馬鹿馬鹿しい、そう早川が口に出し終えるよりも早く巴は話し始めた。
「今年で3回目なの、観月さんの誕生日。
なんか去年全力投球でネタは出し切ったというかさあ……」
「高級ホテルとかレストランていうのはさすがに無理があるしねえ」と既に考えるのを放棄しているのか、乾いた笑い混じりに早川に聞いてもらいたいでもなさそうに声を出している。
1年目は巴は観月と知り合ったばかりで、それなりのお祝いしかしていなかった。
しかし、付き合いだしてからの2年目、巴はそれはもう頑張った。
使えるものは使い、なんとかしてあの普段冷静に澄ましている観月を喜ばそうと必死だった。
プレゼントも、渡す場所も、交わす言葉、仕草さえも細かく気を遣い力を出し切った。
彼の誕生日の翌日の朝は、精根尽き果てたというようにふらついていたぐらいだ。
それは早川も直接この目で見たので知っている。
「全力って……去年あそこまで頑張らなくってもよかったのに。
それに、だからといって今年も去年以上にする必要はないでしょ」
早川はたまに思う。
巴はいつも一生懸命なのが取り柄だけれど、そうやって肩肘張っている力をもう少し抜けたらもっといいかんじで楽な生活を送れるのにと。
学校も、テニスも、恋人も全てを100%以上の力でやらなければならない法律はない。
もう一度巴の用意したプレゼントをちらっと見る。
あの品を選ぶだけでも、巴は100%以上の力を使ったと見れば分かる。
中身自体は知らないが、中学三年生の彼女にとっては価格的にもセンス的にも出すのが困難な品だろう。
これが巴の精一杯だろうし、それに気付かない、伝わらない観月でもないだろうに。
それを渡すのに今更これ以上何が必要だというのだろう。
「たかだか誕生日のイベントで愛情を計る人じゃないでしょ、観月さんて」
早川は本人に言ってやるのは癪だったが、考えるのに疲れ切った風の巴を見ているとつい口にしてしまった。
観月がそんなことで相手を試すタイプであれば、そもそも巴と付き合わないはずだ。
だから、巴はそんなに頑張りすぎることはないのだと言外に伝える。
「知ってるー。だから、辛いんだよ」
巴はごろんとベッドに顔を伏せてしまった。
背中からはその表情は分からない。
その様子を見て、人の恋愛に口を出すなんて馬鹿なことをしてしまったと、巴の話に付き合った自分の馬鹿さ加減にも呆れかえりながら早川はそっと彼女の部屋から切り上げた。
彼女にしても彼氏にしても複雑怪奇な性格をしていてお似合いすぎると頭を抱えながら。
続く
「あ~~~~~~う~~~~~~」
「……かなり煩いんだけど、止めてくれない、巴?」
ベッドにはゴロゴロと寝ころびウーウー唸っている赤月巴がいた。
隣の部屋でその声を漏れ聞いた早川楓は呆れた顔で部屋に入って来てそれを見おろしていた。
巴が悩んでいる理由は明解だ。
今日は5月26日。
明日に迫った、巴の彼氏━━━観月はじめの誕生日についてに決まっている。
どうせ、贈るものが決まっていないとか、そんなことで悩んでいるのだろうと早川はこれまでの経験から見当をつけていた。
「まだプレゼントが決まってないわけ?」
「ううん、プレゼントは決まってるんだよねえ━━━ほら」
巴がほらと指さした方向を辿っていくと、勉強机の上にいかにも上等な紙袋があった。
早川が紙袋の口から中を覗くと、シックなベージュの包装紙に深い赤のリボンという、いかにも観月が好みそうな色合いの箱が入っていた。
観月に贈るに相応しいそれは、まだ中学生の巴のチョイスとしては相当洗練されていて、彼女をよく知る早川としては驚くべき出来事といっても過言ではない。
なにしろ巴のキャラと全くと言っていいほど逆方向なのだから。
「なんだ、立派なプレゼント用意してるじゃないの。
他に何か問題でもあるってワケ?」
どうせこの女友達はまたくだらないことで悩んでグルグルしているのだろう。
他人にはどうでもいいこと、ささやかなことでも彼女にとっては常に大問題であった。
今回も多分に漏れないようだった。
だから付き合いのいい早川はあえて訊いてやるのだった。
『今度の問題は何なのか』と。
我ながら付き合いの良い友達だと思いながら。
「う~ん、シチュエーション? てか、どうやって渡そっかなーって」
まるで明日の朝地球が滅亡すると知ってしまったかのごとく、深刻な表情で巴は答えた。
「決まってないんだよねえ」と深くため息をつきながら。
「━━━ばっか……」
「だってね」
馬鹿馬鹿しい、そう早川が口に出し終えるよりも早く巴は話し始めた。
「今年で3回目なの、観月さんの誕生日。
なんか去年全力投球でネタは出し切ったというかさあ……」
「高級ホテルとかレストランていうのはさすがに無理があるしねえ」と既に考えるのを放棄しているのか、乾いた笑い混じりに早川に聞いてもらいたいでもなさそうに声を出している。
1年目は巴は観月と知り合ったばかりで、それなりのお祝いしかしていなかった。
しかし、付き合いだしてからの2年目、巴はそれはもう頑張った。
使えるものは使い、なんとかしてあの普段冷静に澄ましている観月を喜ばそうと必死だった。
プレゼントも、渡す場所も、交わす言葉、仕草さえも細かく気を遣い力を出し切った。
彼の誕生日の翌日の朝は、精根尽き果てたというようにふらついていたぐらいだ。
それは早川も直接この目で見たので知っている。
「全力って……去年あそこまで頑張らなくってもよかったのに。
それに、だからといって今年も去年以上にする必要はないでしょ」
早川はたまに思う。
巴はいつも一生懸命なのが取り柄だけれど、そうやって肩肘張っている力をもう少し抜けたらもっといいかんじで楽な生活を送れるのにと。
学校も、テニスも、恋人も全てを100%以上の力でやらなければならない法律はない。
もう一度巴の用意したプレゼントをちらっと見る。
あの品を選ぶだけでも、巴は100%以上の力を使ったと見れば分かる。
中身自体は知らないが、中学三年生の彼女にとっては価格的にもセンス的にも出すのが困難な品だろう。
これが巴の精一杯だろうし、それに気付かない、伝わらない観月でもないだろうに。
それを渡すのに今更これ以上何が必要だというのだろう。
「たかだか誕生日のイベントで愛情を計る人じゃないでしょ、観月さんて」
早川は本人に言ってやるのは癪だったが、考えるのに疲れ切った風の巴を見ているとつい口にしてしまった。
観月がそんなことで相手を試すタイプであれば、そもそも巴と付き合わないはずだ。
だから、巴はそんなに頑張りすぎることはないのだと言外に伝える。
「知ってるー。だから、辛いんだよ」
巴はごろんとベッドに顔を伏せてしまった。
背中からはその表情は分からない。
その様子を見て、人の恋愛に口を出すなんて馬鹿なことをしてしまったと、巴の話に付き合った自分の馬鹿さ加減にも呆れかえりながら早川はそっと彼女の部屋から切り上げた。
彼女にしても彼氏にしても複雑怪奇な性格をしていてお似合いすぎると頭を抱えながら。
続く
40000万HIT記念。
感謝の気持ちを込めてアンケート1位のカップリングのフリーSSです。
そのまま保存したり自サイトにアップして頂いて結構です。
ただし、お約束があります(簡単な言葉で言いますよ)。
・登場人物や文章を勝手に変えないこと
・書いた人は「ななせなな」であることを表記すること
・勝手に同人誌など印刷物に使用しないこと
・このページに直接リンクを貼らないこと
この4点は守って下さいね。
最低限のことですが、これが守られてないとさすがにへこみます。
***
感謝の気持ちを込めてアンケート1位のカップリングのフリーSSです。
そのまま保存したり自サイトにアップして頂いて結構です。
ただし、お約束があります(簡単な言葉で言いますよ)。
・登場人物や文章を勝手に変えないこと
・書いた人は「ななせなな」であることを表記すること
・勝手に同人誌など印刷物に使用しないこと
・このページに直接リンクを貼らないこと
この4点は守って下さいね。
最低限のことですが、これが守られてないとさすがにへこみます。
***
『ma cherie』ななせなな
「ふわぁ、いい天気ですね」
4月に入り桜前線と共に急激に柔らかくなった陽ざしに眠気を誘われ、赤月巴はベンチの隣に腰かける観月はじめの左肩にもたれかかった。
二人に吹き付ける風は昨日から日本列島を覆っている寒気の影響かひんやりとしているが、それが暖かな日の光と相まってスポーツをする者にとって暑すぎず、寒すぎずちょうど良い気候となっていた。
現に目の前のテニスコートの中では休憩中だというのに、聖ルドルフの名ダブルスとも言える二名が楽しげにラリーを続けている。
よほど冬の冷気を四散させた太陽の下で動けることが嬉しいらしい。
観月に言わせれば、単に体力配分を忘れた馬鹿者がはしゃいでいるにすぎないのだが。
「気持ちいい陽射しではありますけど……まだ、屋外で昼寝しないでくださいよ」
観月は隣でぼうっとしている彼女が風邪をひくことを懸念する。
しっかり者で頑張り屋━━━巴に対する世間の評価はそんなカンジだったが、それにしては案外抜けている所も多くてうっかり屋さんでもある。
肌寒い屋外でうたた寝をして風邪をひくのは今に始まったことではなく、観月の懸念も実に的を射たものであった。
「はーい、わかってますよお」
クスクスと笑いながら、観月の左肩に預けていた身体をさらにぎゅうぎゅうと彼に押しつける。
「ほら、こうすればもっとあったかくなりますから」半分寝ぼけたような声で話す。
そうですね、体温だけじゃなくて、心まで暖かくなりますね。
観月はそう思いながらも、そういうキャラではないことを重々自覚しているので言わないことにした。
口に出してしまえば巴は舞い上がるだろうが、周囲にいる邪魔者達の反応が不快だ。
彼女を喜ばせる事が出来るのなら千の言葉も万の言葉も厭わないつもりだが、さすがにいまは場が悪すぎた。
現にこうしてくっついているだけで、「お熱いだーね」と冷やかす声が聞こえるのだから。
とりあえず、冷やかす声はキツイ眼差しでかき消すことにして、
いまは隣にあるぬくもりに集中することにした。
休憩終了まで、あと5分。
それぐらいは彼氏としての恩恵にあずかっても良いはずだ。
例え、練習中であっても。
ズシッ、と不意に巴の重みが増した。
スースーと深く、まるで時計の秒針のように正確に刻む呼気は寝息に違いない。
どうやら本当にうたた寝を始めてしまったらしい。
「巴く━━━」
「観月…さん…?」
彼女を起こそうとしたところ、彼女の口から自分の名前がこぼれ出た。
寝ぼけているのか、それとも本当に寝言なのかは判別付かないが、彼女が自分の名前の次にこぼす言葉が何であるのかが気になって、観月はそのまま彼女を待った。
「……これから…も、ずっと、こうだといいですね……あったかい……」
「ずっと?」
寝言に返事をしてはいけないという話を聞いたことがあるけれど、観月は思わず応えてしまった。
しまったと思いつつも、引き続き彼女の動向を窺った。
「ずっと……いっしょに……いたい…です」
その言葉に思わず自分から笑みが生まれるのを抑えきれない。
多分、チームメイトの悪友達はアレコレ言うのだろうが、先ほど遠慮したことを翻して、やはり言わせておけばいいと思いきる。
『お熱いだーね』そんなことを言われるようなことをついついしたくなってしまう。
それで本当に何か言われるようであれば、しれっと「彼女がいない僻みですか?それとも嫉妬ですか?」そう応えればいい。
彼女の重みを受けているだけだった自分の左腕を、起こしてしまわぬようそっと彼女の肩に回して無防備に崩れていた眠る身体を安定させる。
すこしだけその手に力を入れて、二人の間にはジャージの布地以外存在しないほど密着させて。
「そうですね、ボクもそうありたいですね。
━━━これからも、よろしく。ボクの……かわいい人」
この春の柔らかく暖かい陽射しにも負けない、暖かな存在に観月も少しだけ身体を預けて目を閉じた。
END
「ふわぁ、いい天気ですね」
4月に入り桜前線と共に急激に柔らかくなった陽ざしに眠気を誘われ、赤月巴はベンチの隣に腰かける観月はじめの左肩にもたれかかった。
二人に吹き付ける風は昨日から日本列島を覆っている寒気の影響かひんやりとしているが、それが暖かな日の光と相まってスポーツをする者にとって暑すぎず、寒すぎずちょうど良い気候となっていた。
現に目の前のテニスコートの中では休憩中だというのに、聖ルドルフの名ダブルスとも言える二名が楽しげにラリーを続けている。
よほど冬の冷気を四散させた太陽の下で動けることが嬉しいらしい。
観月に言わせれば、単に体力配分を忘れた馬鹿者がはしゃいでいるにすぎないのだが。
「気持ちいい陽射しではありますけど……まだ、屋外で昼寝しないでくださいよ」
観月は隣でぼうっとしている彼女が風邪をひくことを懸念する。
しっかり者で頑張り屋━━━巴に対する世間の評価はそんなカンジだったが、それにしては案外抜けている所も多くてうっかり屋さんでもある。
肌寒い屋外でうたた寝をして風邪をひくのは今に始まったことではなく、観月の懸念も実に的を射たものであった。
「はーい、わかってますよお」
クスクスと笑いながら、観月の左肩に預けていた身体をさらにぎゅうぎゅうと彼に押しつける。
「ほら、こうすればもっとあったかくなりますから」半分寝ぼけたような声で話す。
そうですね、体温だけじゃなくて、心まで暖かくなりますね。
観月はそう思いながらも、そういうキャラではないことを重々自覚しているので言わないことにした。
口に出してしまえば巴は舞い上がるだろうが、周囲にいる邪魔者達の反応が不快だ。
彼女を喜ばせる事が出来るのなら千の言葉も万の言葉も厭わないつもりだが、さすがにいまは場が悪すぎた。
現にこうしてくっついているだけで、「お熱いだーね」と冷やかす声が聞こえるのだから。
とりあえず、冷やかす声はキツイ眼差しでかき消すことにして、
いまは隣にあるぬくもりに集中することにした。
休憩終了まで、あと5分。
それぐらいは彼氏としての恩恵にあずかっても良いはずだ。
例え、練習中であっても。
ズシッ、と不意に巴の重みが増した。
スースーと深く、まるで時計の秒針のように正確に刻む呼気は寝息に違いない。
どうやら本当にうたた寝を始めてしまったらしい。
「巴く━━━」
「観月…さん…?」
彼女を起こそうとしたところ、彼女の口から自分の名前がこぼれ出た。
寝ぼけているのか、それとも本当に寝言なのかは判別付かないが、彼女が自分の名前の次にこぼす言葉が何であるのかが気になって、観月はそのまま彼女を待った。
「……これから…も、ずっと、こうだといいですね……あったかい……」
「ずっと?」
寝言に返事をしてはいけないという話を聞いたことがあるけれど、観月は思わず応えてしまった。
しまったと思いつつも、引き続き彼女の動向を窺った。
「ずっと……いっしょに……いたい…です」
その言葉に思わず自分から笑みが生まれるのを抑えきれない。
多分、チームメイトの悪友達はアレコレ言うのだろうが、先ほど遠慮したことを翻して、やはり言わせておけばいいと思いきる。
『お熱いだーね』そんなことを言われるようなことをついついしたくなってしまう。
それで本当に何か言われるようであれば、しれっと「彼女がいない僻みですか?それとも嫉妬ですか?」そう応えればいい。
彼女の重みを受けているだけだった自分の左腕を、起こしてしまわぬようそっと彼女の肩に回して無防備に崩れていた眠る身体を安定させる。
すこしだけその手に力を入れて、二人の間にはジャージの布地以外存在しないほど密着させて。
「そうですね、ボクもそうありたいですね。
━━━これからも、よろしく。ボクの……かわいい人」
この春の柔らかく暖かい陽射しにも負けない、暖かな存在に観月も少しだけ身体を預けて目を閉じた。
END
平静な顔を装って帰宅して、自室に入るなり器用にも顔色を変えた。
人間がここまで赤くなれることなんて滅多にないくらいに。
「なんだったんだろう……今日のアレ」
ルドルフのテニス部員に混じってクリスマス会に参加して。
観月さんの隣に座って、プレゼント交換は観月さんからのものがまわってきて。
一緒に帰って、雪を見て。
ルドルフに転校しないかと誘われた。
うそみたい。
後ろ手に閉めたドアにもたれ掛かり、ぎゅっと頬をつねってみる。
「いったあっい!」
どうやら現実世界の住人らしい。
自分でつねって赤く晴れたヒリヒリする頬をそっとなでて、
その痛みでしかめられた表情は一転して微笑みに変わった。
微笑み、というよりもニヤケ顔と言ったほうがいいのかも。
とにかくまともな表情でいられなかった。
人をまるで自分の持ち駒のように扱う彼が優しくしてくれて、
おまけに自分の元へ来いだなんて言うなんて。
それはなんて愛の告白にも似た甘い言葉だろうか。
もちろん、出会ってから数か月で彼の性格は学んだつもり。
決して一筋縄ではいかない。
転校のことにしたって、自分を都合のよい持ち駒にするための方便にしかすぎないかもしれない。
そんなことは誘われたその場でわかってはいたけど、それでも嬉しい。
単純バカだと謗られたとしてもそんなことはどうでもいいんだよね。
要は、彼がどんな理由であれ自分を欲しているか欲していないか。
それだけのことが重要で。
彼の本心なんて、実際のところどうだっていい。
いまは、なんとしても彼の隣に居座って近い距離をキープしたい。
恋人だとか、パートナーだとか、そんなもの今は気にしない。
そんなものは後からいくらだってついてくる。
つけてみせる。
「あ、ケータイ……?」
不意にブルブルと携帯電話が震えだした。
慌てて開くと、『良い返事、待ってますよ』とだけのメッセージ。
それだけのメッセージなのに、やはり嬉しくて。
思わず保護メールに設定してしまう。
作業を終えて携帯電話を閉じた瞬間に、また再び震え始めた。
『言い忘れてました、おやすみなさい。良い夢を』
こんな日に、良い夢以外見られるはずないと思いながら、これもまた保護。
なんで観月さんはこんなに私を舞い上がらせるようなことばかりするんだろう。
よくわからないけど。
「ヤバい、嬉しすぎる」
今度は先ほどつねった頬とは反対側の頬をつねってみる。
やっぱり痛い。
両頬がヒリヒリすることに安心した。
ちょっとマゾっぽくもある。
「しまった……眠れないかも」
両頬の痛みによる意識の覚醒と、
今日起こった事による精神的な興奮で
観月さんの言うところの『良い夢』が見られないかもしれない。
ルドルフに転校を決める事への心細さとか、観月さんに心を委ねる不安とか。
そんなことより、いま眠れないことが何よりも大問題に思える。
良い夢って絶対観月さんの夢のはずなのに。
見られないと困るじゃない。
幸せなところに大きな落とし穴がひとつ。
END
人間がここまで赤くなれることなんて滅多にないくらいに。
「なんだったんだろう……今日のアレ」
ルドルフのテニス部員に混じってクリスマス会に参加して。
観月さんの隣に座って、プレゼント交換は観月さんからのものがまわってきて。
一緒に帰って、雪を見て。
ルドルフに転校しないかと誘われた。
うそみたい。
後ろ手に閉めたドアにもたれ掛かり、ぎゅっと頬をつねってみる。
「いったあっい!」
どうやら現実世界の住人らしい。
自分でつねって赤く晴れたヒリヒリする頬をそっとなでて、
その痛みでしかめられた表情は一転して微笑みに変わった。
微笑み、というよりもニヤケ顔と言ったほうがいいのかも。
とにかくまともな表情でいられなかった。
人をまるで自分の持ち駒のように扱う彼が優しくしてくれて、
おまけに自分の元へ来いだなんて言うなんて。
それはなんて愛の告白にも似た甘い言葉だろうか。
もちろん、出会ってから数か月で彼の性格は学んだつもり。
決して一筋縄ではいかない。
転校のことにしたって、自分を都合のよい持ち駒にするための方便にしかすぎないかもしれない。
そんなことは誘われたその場でわかってはいたけど、それでも嬉しい。
単純バカだと謗られたとしてもそんなことはどうでもいいんだよね。
要は、彼がどんな理由であれ自分を欲しているか欲していないか。
それだけのことが重要で。
彼の本心なんて、実際のところどうだっていい。
いまは、なんとしても彼の隣に居座って近い距離をキープしたい。
恋人だとか、パートナーだとか、そんなもの今は気にしない。
そんなものは後からいくらだってついてくる。
つけてみせる。
「あ、ケータイ……?」
不意にブルブルと携帯電話が震えだした。
慌てて開くと、『良い返事、待ってますよ』とだけのメッセージ。
それだけのメッセージなのに、やはり嬉しくて。
思わず保護メールに設定してしまう。
作業を終えて携帯電話を閉じた瞬間に、また再び震え始めた。
『言い忘れてました、おやすみなさい。良い夢を』
こんな日に、良い夢以外見られるはずないと思いながら、これもまた保護。
なんで観月さんはこんなに私を舞い上がらせるようなことばかりするんだろう。
よくわからないけど。
「ヤバい、嬉しすぎる」
今度は先ほどつねった頬とは反対側の頬をつねってみる。
やっぱり痛い。
両頬がヒリヒリすることに安心した。
ちょっとマゾっぽくもある。
「しまった……眠れないかも」
両頬の痛みによる意識の覚醒と、
今日起こった事による精神的な興奮で
観月さんの言うところの『良い夢』が見られないかもしれない。
ルドルフに転校を決める事への心細さとか、観月さんに心を委ねる不安とか。
そんなことより、いま眠れないことが何よりも大問題に思える。
良い夢って絶対観月さんの夢のはずなのに。
見られないと困るじゃない。
幸せなところに大きな落とし穴がひとつ。
END
NENEGARD+の鈴弥さまへの生誕祝い『おとなになれば』の不完全Ver.です。
もちろん、これも単体として読めるようにしておりますが、完全Ver.のほうは当然ながらもうちょっとちゃんとしたオチをつけてありますよ。
自分でも恥ずかしくて照れるくらい甘いオチですが。
***
もちろん、これも単体として読めるようにしておりますが、完全Ver.のほうは当然ながらもうちょっとちゃんとしたオチをつけてありますよ。
自分でも恥ずかしくて照れるくらい甘いオチですが。
***
「大型スポーツ店がターミナル駅のそばに出来たんですが、
練習帰りに一緒に行きますか?」
日曜日の練習後、赤月巴は珍しく観月はじめにそう誘われた。
今年の春出会ってから半年以上経ったが練習後のお誘いは珍しい。
折しも、その日は巴の誕生日で━━━観月どころか周囲の誰からもお祝いはまだもらえていなかったので、これは天から与えられた誕生日祝いにも感じられた。
ましてや、常日頃から淡い気持ちを抱いている観月からのお誘いであれば。
舞い上がった巴は、考える間もなく首を縦に振っていた。
そして、いつも通うテニスクラブでの練習を終えて二人はそのスポーツショップが開店したという駅の改札を出た。
その駅は、田舎から出てきたものが必ず(祭かと思った……)と思うくらい人での多い駅で、東京歴一年未満の巴も例に漏れず流れが掴めず挙動不審になっていた。
改札のある駅ビルの、年末を控えてクリスマス向けに色鮮やかにディスプレイされたいくつもの店舗を物珍しげにキョロキョロと眺めつつ観月の後ろをついて歩いていた。
改札口からは100メートルも離れてはいなかったが、観月と今はぐれたら確実に迷子になるという予感があった。
いや、予感というよりも絶対そうなる自信があった。
それゆえにご自慢の動体視力をフル活動させ観月…店舗…観月と必死に目は捉えていた。
が、ふと巴の目はひとつの店舗に留まった。
それと同時に鼻もなにかを嗅ぎ付けた。
やわらかでいて華やかな、いかにも女性的な香りだった。
それは、目の前のいかにもヨーロッパ然とした小綺麗な店舗から漂ってくる香りで、気付いたら足が店舗の前で止まっていた。
「巴くん?」
急に巴が止まった事に気付いた観月も足を止め、何があったのかと問いかける。
その声で巴は我に返った。
「なんだか良い香りだなって思って、足を止めてスミマセン」
「いえキミも女性ですし、このあたりに興味があっても不思議じゃありませんよ。
ああ、この店ですか」
巴の視線を辿って観月も同じ店舗へと視線を向けた。
「南仏のフレグランスのブランドですね。
スキンケアとかホームフレグランスとか扱っているんですよ」
ボクもいくつか使用したことがありますよ、と言いながら店先に足を向ける。
「え?み、観月さん?」
お店に入るんですか、と観月の行動に少し戸惑いを見せる。
そんな巴の様子にクスリとひとつ笑いこう答えた。
「きっとキミはよほどの機会に恵まれない限り入ろうなんて思わないでしょう?
だから今ボクがその機会を与えてあげますよ」
躊躇する巴を気にせず、観月はスルリと店内に入っていった。
慌てて巴もそれに続く。
決して店に入りたくないというわけではない。むしろその逆だ。
観月が推察したようにそのタイミングが掴めなかっただけなのだ。
「うわぁ……」
巴は店内の雰囲気に圧倒されて思わず口から声がこぼれ出た。
落ち着いた色調で整えられた店内は、ラケットバッグ片手の中学生には似つかわしくないように思われて少し居心地が悪い。
スーツを着た店員が「いらっしゃいませ」と声を掛けてくることにすら緊張する。
まるで、中学生がこんな店に来るなんて似つかわしくないんじゃないか。
そう思って不安げに観月を見るも、観月は堂々とその場に溶け込んでいて、中学生がこの空間にいても少しもおかしいことはないと彼の身体は語っているようだった。
迷い無く商品を手に取っている観月を見て、なるほど確かにこの店の製品を使ったことがあるのだろうと納得する。
そんな彼の背中を眺めて少し安心して、巴も周囲をぐるりと見回す。
店内はスキンケア製品などが香りごとに綺麗に陳列されており、その様々な香りに好奇心が刺激される。
なにかのボトルを真剣に見ている観月を横目にして、まずは店内端から探索を開始した。
取り扱っている香りは巴でも知っている香り━━━例えばラヴェンダー、などもあれば名前すら聞いたことのない香りもあった。
ボディーローションやオードトワレ、様々なテスターが置かれており、それが面白くて片っ端から香りを楽しんだ。
その香りはまだローティーンの巴には早いと思われるものがほとんどだったが、
ちょっと大人の世界を垣間見た気がして、それはそれで面白かった。
とりわけ中でも気に入ったのは薔薇の香りで、安い芳香剤などに使われている香りとは違って自然に近い、それでいて落ち着いた女性らしい香りだった。
そして薔薇の好きな観月の気に入りそうな香りだった。
(こういう香りを身に纏ったら、観月さんも喜んでくれるかな)
なんとなくぼんやりそう考えているときに、当の観月から声がかかった。
「なにか気になる香りでもありましたか?」
ちょうど観月のことを考えているタイミングで本人から声がかかった驚きで、巴は心臓を大きく跳ね上がらせつつ振り返った。
まったく彼は色んな意味で心臓に悪いと思いながら。
観月に言わせればこれはお互い様なのだが、巴はその事をまだ知らない。
「あっ、これ……薔薇の香りなんですよ」
巴はやわらかな芳香を放つボディーローションのテスターのボトルを観月へと向けた。
観月はそのままボトルを受け取るかと思いきや、そのまま鼻をボトルへと寄せる。
まるで、デート中にこの店を訪れたカップルさながらに。
巴の手はそれほど伸びていなかったため、期せず観月の顔が自分へと接近する格好になった。
目の前に揺れる観月の髪は今までにないくらい巴に近かった。
先ほどとは違う意味で心臓をどくどくさせながら、平然を装おうと話を続ける。
しかしながら、話し始めた瞬間に観月の顔は巴の近くから離れ、平静を装う努力はすぐに必要なくなってしまった。
逆にガッカリした表情にならないよう気を付けなければならなかった。
「こんな香りなんて良いかなあって。
ちょっとステキだし買っちゃおうかなあ、なんて思ったりして」
「んふっ、たしかにボクもこの香りは好きですね。でも……」
観月は少し考えるような表情で言葉を濁らせる。
「でも?」と巴は不安げにオウム返しにその言葉の意味を問いかける。
その言葉の意味するところが、良いことなのか悪いことなのか心配で仕方なかった。
「キミには似合いませんね」
きっぱりとそう告げられた。
言葉が深々と巴の心まで突き刺さり、その感情はあからさまに顔に表れてしまった。
それを見て観月もマズイことを口走ってしまったと気付いたのか、
少々驚いたように目を開いて少し考えた後、取り繕うように言葉を紡いだ。
「ちょっと言葉が足りなかったですね。キミが悪いとかそういう事じゃないですよ。
ただ、まだキミにはちょっと早いんですよ。
こういう馥郁とした香りは、どんな女性でももう少し大人にならないと似合いません。
今のキミが付ける香りとしてはあまりにもアンバランスです」
「早い……ですか」
観月のその言葉に少し興味が出て、巴は話の続きを促す。
まだ中1ということもあって、巴はあまり似合う香りだとかそういったことを気にしたことがなかった。
「ええ、簡単に言うなら……そうですね、キミは女性のスーツをどう思いますか?」
突飛な質問に巴は律儀に答える。
「えーと、オトナ?ってカンジですかね。
私にはまだ似合わないかなあ、せいぜい制服程度ですよね……あ」
観月の質問の意図するところに気付いた。
化粧にしろ衣服にしろ、年齢によって似合う似合わないがある。
小学校の時に来ていた服をいま着ても幼稚にしか見えないように、
いま社会人が着るようなスーツを着てもムダに背伸びしたようにしか見えないように。
香りもきっとそうなんだろうと巴は考えた。
これまで興味を持っていなかったので知らなかったが。
「わかりましたか?キミは察しが良いので助かります。
今のキミに似合う香りだってもちろんあるんですから気落ちしないでくださいよ」
そう言いながら、観月は「こっちに来てください」と巴を店の中心にある陳列棚に誘導した。
どうやら期間限定の特設コーナーとなっているらしいその棚には、落ち着いたレモン色の商品が所狭しと並んでいた。
「観月さん、このコーナーは?」
まだ巴がチェックしていなかったコーナーだった。
彼がここに巴を連れてきたのはいったい何のためなのか。
巴はその意図を本人に確認する。
当の観月はスプレー式の小瓶を手に取り、ムエットに中身を吹き付けていた。
「ほら」
観月はそのムエットを巴の鼻先でゆらゆらと振って見せた。
ふんわりと独特のとろりとした甘みと酸っぱい香りが同時に巴の鼻をくすぐった。
「これ、ハニーレモンって香りらしいですよ」と観月は説明した。
「ハニーレモン……たしかに甘いだけでも酸っぱいだけでもない不思議な香りですね」
部活終了後に食べるハニーレモンとも違う丸みのある香りに巴は魅了される。
「そうでしょう?ボクもさっきテスターを嗅いでそう思いましたよ。
こういう爽やかな香りならいまのキミにも似合うと思いますよ、ボクは」
そう言って観月は手にしていたムエットを巴に手渡し、空いた手で商品のボディーローションを手に取る。
「ちょっと待っていてください」と言ってレジへと向かっていった。
個人的な買い物かなと思い、巴はまた店内をぶらつきながら観月の会計を待った。
しばらくしてこの店のショップ袋らしい青い紙袋を下げた彼が戻ってきて、そのまま店を出ることにした。
店から少し離れたところで「これを、キミに」と観月は先ほどの袋を巴に差し出した。
「え?観月さん、それってさっき買ったヤツじゃないですか」
それをどうして自分に渡そうとするのか?その意図を測りかねて巴は混乱する。
その様子は観月には簡単に見て取れた。
自分の誕生日に人から物を差し出されたら普通は誕生日プレゼントだと簡単に気付くだろうが、どうやら巴はそうでないらしかった。
あまりにも自分のことに無頓着すぎる巴に頭痛を覚えながら丁寧に解説してやる。
「今日はキミの誕生日ですよね。さすがにボクだってその位知ってますよ。
本当は目的地のスポーツ用品店でなにか買ってあげようかと思ったんですが、
こっちの方が女性への贈り物なら相応しいですからね」
まだ知り合ってから1年も経っておらず、観月はデータマンとしては少々忸怩たるものがあるが巴の『贈られて嬉しいプレゼント』までは把握していなかった。
贈られて嬉しいかどうか分からないものを人にあげる趣味は観月にはなかったので、今日直接巴の欲しがる物を買って贈ろうと思っていたのだ。
もっとも、そこまで本人に説明する気は毛頭無いのだが。
おずおずと、しかし本当に嬉しそうに紙袋を手に取る巴の表情を見て、満足感が広がる。
「でも、まあ、来年からは現地調達じゃなくて、
あらかじめキミの欲しいものを徹底的にリサーチして贈ることにしますよ」
「えっ!いいんですか?」
観月の発言に目を丸くして巴は応える。
『来年からは』という言葉は、どういう形であれ長く関わりたいという意思の現れだ。
他人をゲームの駒として扱うような冷淡な面がある彼が、自分と長く関わりたいと思ってくれていることに驚きを覚える。
「別に、驚くことはないでしょう?同じテニスクラブで練習する仲間なんですから、どちらかが辞めない限りは今年限りのお付き合いという訳でもないでしょう」
『仲間』という言葉には落胆せずにはいられなかったが、それでもこの先があることを巴は素直に喜んだ。
嬉しくて、紙袋を胸に抱きしめて、笑う。
気恥ずかしさで、観月の少し前を歩き始めた。
目的地のスポーツ用品店がどこにあるかは分かっていないが、間違っていたら後ろの観月が声を掛けるだろうからそのまま進む。
観月の言葉は、この短い間でもいろいろあったがそれでも全面的に信用している。
だから『来年からは』という言葉も信じる。
信じたい。
「━━━いつか」
言いにくそうに小さな声で観月が声を出す。
雑踏に紛れるか紛れないか、ギリギリの声で。
「いつか、キミが大人になって、あの店の薔薇の香りが似合うような女性になったら、
その時は是非ともボクにあの香りをキミに贈らせて下さい」
背後から聞こえる観月の声は、あまりにも巴自身に都合の良い言葉で信じられない思いだった。
だから、きっとプレゼントで嬉しさが突き抜けすぎたための幻聴なんだと疑った。
観月が自分に向かってそんなことを言うなんて、都合のいい夢でしかないと。
「ボクの、一番好みの香りですから是非キミに身に纏ってもらいたいんです」
そのあと続けられた言葉は、観月の普段の声からしてもあまりにも小さく、
そして周囲のざわめき、巴自信の感情のオーバーフローによって彼女の耳には届かなかった。
正確に言えば、聴力にも自信がある巴の耳には届いていたが現実の物として認識されず、
この後随分長い間、自分自身の妄想と言うことで処理されていた。
END
練習帰りに一緒に行きますか?」
日曜日の練習後、赤月巴は珍しく観月はじめにそう誘われた。
今年の春出会ってから半年以上経ったが練習後のお誘いは珍しい。
折しも、その日は巴の誕生日で━━━観月どころか周囲の誰からもお祝いはまだもらえていなかったので、これは天から与えられた誕生日祝いにも感じられた。
ましてや、常日頃から淡い気持ちを抱いている観月からのお誘いであれば。
舞い上がった巴は、考える間もなく首を縦に振っていた。
そして、いつも通うテニスクラブでの練習を終えて二人はそのスポーツショップが開店したという駅の改札を出た。
その駅は、田舎から出てきたものが必ず(祭かと思った……)と思うくらい人での多い駅で、東京歴一年未満の巴も例に漏れず流れが掴めず挙動不審になっていた。
改札のある駅ビルの、年末を控えてクリスマス向けに色鮮やかにディスプレイされたいくつもの店舗を物珍しげにキョロキョロと眺めつつ観月の後ろをついて歩いていた。
改札口からは100メートルも離れてはいなかったが、観月と今はぐれたら確実に迷子になるという予感があった。
いや、予感というよりも絶対そうなる自信があった。
それゆえにご自慢の動体視力をフル活動させ観月…店舗…観月と必死に目は捉えていた。
が、ふと巴の目はひとつの店舗に留まった。
それと同時に鼻もなにかを嗅ぎ付けた。
やわらかでいて華やかな、いかにも女性的な香りだった。
それは、目の前のいかにもヨーロッパ然とした小綺麗な店舗から漂ってくる香りで、気付いたら足が店舗の前で止まっていた。
「巴くん?」
急に巴が止まった事に気付いた観月も足を止め、何があったのかと問いかける。
その声で巴は我に返った。
「なんだか良い香りだなって思って、足を止めてスミマセン」
「いえキミも女性ですし、このあたりに興味があっても不思議じゃありませんよ。
ああ、この店ですか」
巴の視線を辿って観月も同じ店舗へと視線を向けた。
「南仏のフレグランスのブランドですね。
スキンケアとかホームフレグランスとか扱っているんですよ」
ボクもいくつか使用したことがありますよ、と言いながら店先に足を向ける。
「え?み、観月さん?」
お店に入るんですか、と観月の行動に少し戸惑いを見せる。
そんな巴の様子にクスリとひとつ笑いこう答えた。
「きっとキミはよほどの機会に恵まれない限り入ろうなんて思わないでしょう?
だから今ボクがその機会を与えてあげますよ」
躊躇する巴を気にせず、観月はスルリと店内に入っていった。
慌てて巴もそれに続く。
決して店に入りたくないというわけではない。むしろその逆だ。
観月が推察したようにそのタイミングが掴めなかっただけなのだ。
「うわぁ……」
巴は店内の雰囲気に圧倒されて思わず口から声がこぼれ出た。
落ち着いた色調で整えられた店内は、ラケットバッグ片手の中学生には似つかわしくないように思われて少し居心地が悪い。
スーツを着た店員が「いらっしゃいませ」と声を掛けてくることにすら緊張する。
まるで、中学生がこんな店に来るなんて似つかわしくないんじゃないか。
そう思って不安げに観月を見るも、観月は堂々とその場に溶け込んでいて、中学生がこの空間にいても少しもおかしいことはないと彼の身体は語っているようだった。
迷い無く商品を手に取っている観月を見て、なるほど確かにこの店の製品を使ったことがあるのだろうと納得する。
そんな彼の背中を眺めて少し安心して、巴も周囲をぐるりと見回す。
店内はスキンケア製品などが香りごとに綺麗に陳列されており、その様々な香りに好奇心が刺激される。
なにかのボトルを真剣に見ている観月を横目にして、まずは店内端から探索を開始した。
取り扱っている香りは巴でも知っている香り━━━例えばラヴェンダー、などもあれば名前すら聞いたことのない香りもあった。
ボディーローションやオードトワレ、様々なテスターが置かれており、それが面白くて片っ端から香りを楽しんだ。
その香りはまだローティーンの巴には早いと思われるものがほとんどだったが、
ちょっと大人の世界を垣間見た気がして、それはそれで面白かった。
とりわけ中でも気に入ったのは薔薇の香りで、安い芳香剤などに使われている香りとは違って自然に近い、それでいて落ち着いた女性らしい香りだった。
そして薔薇の好きな観月の気に入りそうな香りだった。
(こういう香りを身に纏ったら、観月さんも喜んでくれるかな)
なんとなくぼんやりそう考えているときに、当の観月から声がかかった。
「なにか気になる香りでもありましたか?」
ちょうど観月のことを考えているタイミングで本人から声がかかった驚きで、巴は心臓を大きく跳ね上がらせつつ振り返った。
まったく彼は色んな意味で心臓に悪いと思いながら。
観月に言わせればこれはお互い様なのだが、巴はその事をまだ知らない。
「あっ、これ……薔薇の香りなんですよ」
巴はやわらかな芳香を放つボディーローションのテスターのボトルを観月へと向けた。
観月はそのままボトルを受け取るかと思いきや、そのまま鼻をボトルへと寄せる。
まるで、デート中にこの店を訪れたカップルさながらに。
巴の手はそれほど伸びていなかったため、期せず観月の顔が自分へと接近する格好になった。
目の前に揺れる観月の髪は今までにないくらい巴に近かった。
先ほどとは違う意味で心臓をどくどくさせながら、平然を装おうと話を続ける。
しかしながら、話し始めた瞬間に観月の顔は巴の近くから離れ、平静を装う努力はすぐに必要なくなってしまった。
逆にガッカリした表情にならないよう気を付けなければならなかった。
「こんな香りなんて良いかなあって。
ちょっとステキだし買っちゃおうかなあ、なんて思ったりして」
「んふっ、たしかにボクもこの香りは好きですね。でも……」
観月は少し考えるような表情で言葉を濁らせる。
「でも?」と巴は不安げにオウム返しにその言葉の意味を問いかける。
その言葉の意味するところが、良いことなのか悪いことなのか心配で仕方なかった。
「キミには似合いませんね」
きっぱりとそう告げられた。
言葉が深々と巴の心まで突き刺さり、その感情はあからさまに顔に表れてしまった。
それを見て観月もマズイことを口走ってしまったと気付いたのか、
少々驚いたように目を開いて少し考えた後、取り繕うように言葉を紡いだ。
「ちょっと言葉が足りなかったですね。キミが悪いとかそういう事じゃないですよ。
ただ、まだキミにはちょっと早いんですよ。
こういう馥郁とした香りは、どんな女性でももう少し大人にならないと似合いません。
今のキミが付ける香りとしてはあまりにもアンバランスです」
「早い……ですか」
観月のその言葉に少し興味が出て、巴は話の続きを促す。
まだ中1ということもあって、巴はあまり似合う香りだとかそういったことを気にしたことがなかった。
「ええ、簡単に言うなら……そうですね、キミは女性のスーツをどう思いますか?」
突飛な質問に巴は律儀に答える。
「えーと、オトナ?ってカンジですかね。
私にはまだ似合わないかなあ、せいぜい制服程度ですよね……あ」
観月の質問の意図するところに気付いた。
化粧にしろ衣服にしろ、年齢によって似合う似合わないがある。
小学校の時に来ていた服をいま着ても幼稚にしか見えないように、
いま社会人が着るようなスーツを着てもムダに背伸びしたようにしか見えないように。
香りもきっとそうなんだろうと巴は考えた。
これまで興味を持っていなかったので知らなかったが。
「わかりましたか?キミは察しが良いので助かります。
今のキミに似合う香りだってもちろんあるんですから気落ちしないでくださいよ」
そう言いながら、観月は「こっちに来てください」と巴を店の中心にある陳列棚に誘導した。
どうやら期間限定の特設コーナーとなっているらしいその棚には、落ち着いたレモン色の商品が所狭しと並んでいた。
「観月さん、このコーナーは?」
まだ巴がチェックしていなかったコーナーだった。
彼がここに巴を連れてきたのはいったい何のためなのか。
巴はその意図を本人に確認する。
当の観月はスプレー式の小瓶を手に取り、ムエットに中身を吹き付けていた。
「ほら」
観月はそのムエットを巴の鼻先でゆらゆらと振って見せた。
ふんわりと独特のとろりとした甘みと酸っぱい香りが同時に巴の鼻をくすぐった。
「これ、ハニーレモンって香りらしいですよ」と観月は説明した。
「ハニーレモン……たしかに甘いだけでも酸っぱいだけでもない不思議な香りですね」
部活終了後に食べるハニーレモンとも違う丸みのある香りに巴は魅了される。
「そうでしょう?ボクもさっきテスターを嗅いでそう思いましたよ。
こういう爽やかな香りならいまのキミにも似合うと思いますよ、ボクは」
そう言って観月は手にしていたムエットを巴に手渡し、空いた手で商品のボディーローションを手に取る。
「ちょっと待っていてください」と言ってレジへと向かっていった。
個人的な買い物かなと思い、巴はまた店内をぶらつきながら観月の会計を待った。
しばらくしてこの店のショップ袋らしい青い紙袋を下げた彼が戻ってきて、そのまま店を出ることにした。
店から少し離れたところで「これを、キミに」と観月は先ほどの袋を巴に差し出した。
「え?観月さん、それってさっき買ったヤツじゃないですか」
それをどうして自分に渡そうとするのか?その意図を測りかねて巴は混乱する。
その様子は観月には簡単に見て取れた。
自分の誕生日に人から物を差し出されたら普通は誕生日プレゼントだと簡単に気付くだろうが、どうやら巴はそうでないらしかった。
あまりにも自分のことに無頓着すぎる巴に頭痛を覚えながら丁寧に解説してやる。
「今日はキミの誕生日ですよね。さすがにボクだってその位知ってますよ。
本当は目的地のスポーツ用品店でなにか買ってあげようかと思ったんですが、
こっちの方が女性への贈り物なら相応しいですからね」
まだ知り合ってから1年も経っておらず、観月はデータマンとしては少々忸怩たるものがあるが巴の『贈られて嬉しいプレゼント』までは把握していなかった。
贈られて嬉しいかどうか分からないものを人にあげる趣味は観月にはなかったので、今日直接巴の欲しがる物を買って贈ろうと思っていたのだ。
もっとも、そこまで本人に説明する気は毛頭無いのだが。
おずおずと、しかし本当に嬉しそうに紙袋を手に取る巴の表情を見て、満足感が広がる。
「でも、まあ、来年からは現地調達じゃなくて、
あらかじめキミの欲しいものを徹底的にリサーチして贈ることにしますよ」
「えっ!いいんですか?」
観月の発言に目を丸くして巴は応える。
『来年からは』という言葉は、どういう形であれ長く関わりたいという意思の現れだ。
他人をゲームの駒として扱うような冷淡な面がある彼が、自分と長く関わりたいと思ってくれていることに驚きを覚える。
「別に、驚くことはないでしょう?同じテニスクラブで練習する仲間なんですから、どちらかが辞めない限りは今年限りのお付き合いという訳でもないでしょう」
『仲間』という言葉には落胆せずにはいられなかったが、それでもこの先があることを巴は素直に喜んだ。
嬉しくて、紙袋を胸に抱きしめて、笑う。
気恥ずかしさで、観月の少し前を歩き始めた。
目的地のスポーツ用品店がどこにあるかは分かっていないが、間違っていたら後ろの観月が声を掛けるだろうからそのまま進む。
観月の言葉は、この短い間でもいろいろあったがそれでも全面的に信用している。
だから『来年からは』という言葉も信じる。
信じたい。
「━━━いつか」
言いにくそうに小さな声で観月が声を出す。
雑踏に紛れるか紛れないか、ギリギリの声で。
「いつか、キミが大人になって、あの店の薔薇の香りが似合うような女性になったら、
その時は是非ともボクにあの香りをキミに贈らせて下さい」
背後から聞こえる観月の声は、あまりにも巴自身に都合の良い言葉で信じられない思いだった。
だから、きっとプレゼントで嬉しさが突き抜けすぎたための幻聴なんだと疑った。
観月が自分に向かってそんなことを言うなんて、都合のいい夢でしかないと。
「ボクの、一番好みの香りですから是非キミに身に纏ってもらいたいんです」
そのあと続けられた言葉は、観月の普段の声からしてもあまりにも小さく、
そして周囲のざわめき、巴自信の感情のオーバーフローによって彼女の耳には届かなかった。
正確に言えば、聴力にも自信がある巴の耳には届いていたが現実の物として認識されず、
この後随分長い間、自分自身の妄想と言うことで処理されていた。
END
寝付けない夜なんていままでなかった。
それは、子供だったせいもあるだろうし、ここまで疲れきったことがなかったからかもしれない。
初めて参加する部活の合宿は思ったよりハードだった。
チームメイト達の規則正しい寝息をBGMにして、ごろりと寝返りを打つ。
隣に見える那美もグッスリ眠っているらしく、いくら巴が何度も寝返りを打っていても気付かない。
さすが私学の構える合宿所だけあって空調設備もしっかりしており寝苦しいことはなく、
同室の皆は誰も彼も心地よい眠りを得ているらしい。
(なんで、私だけ眠れないのかなあ…)
いい加減寝返りを打つのにも飽きてきて、今度は天井のクロスをボンヤリ眺める。
もっとも無機質なテクスチャのそのクロスに面白みなどあるわけが無く、
眺めることすらすぐに飽きてしまった。
(いっそのこと、起きちゃおうか)
枕元に置いてある携帯電話を手に取ると、そこには02:05と表示されていた。
こんな時間ならばもう見回りもないだろうと、巴は起きあがった。
同室のものはみな熟睡している様子で目を覚ます気配はないし、
巴の布団が1年生初心者だと言うことで扉近くに配置されていたことも幸いした。
携帯電話片手に抜き足差し足で部屋を出た。
細心の注意を払って部屋を出たもののやはり深夜の合宿所は静まりかえっていて音が少し響いた。
昨日も今日も消灯直後に抜け出したりもしたが、その時には人が起きている気配や話す声動作などざわめきがあった。
しかしその時間帯とは違って確かに周囲は就寝している気配だ。
スリッパを履いて出たものの、スリッパの足音さえ目立つことに気付いて、
部屋の前にそっと脱ぎそのまま裸足のまま歩き出した。
(とはいえ、行くアテもなし…)
別に盗み食いしたいだとか、そんな理由もなく抜け出したのでしばし迷う。
いったい、どこに行って気を紛らわせようか?とキョロキョロと周囲を伺う。
ふと、非常口の緑の光が目に飛び込んできた。
重そうな扉をそうっと開くと外に面した非常階段だった。
扉の隙間から風がすっと空調のよく効いた建物の中に侵入してきた。
夏の夜の温い空気が肌に心地よく、そのまま扉の外に出る。
階段の踊り場まで出て周囲を見渡してみると新鮮な世界が広がっていた。
よく考えると、健康優良児の巴はこんな時間まで起きていたことがない。
大晦日だって「小学生だろ」と父に紅白が終わると同時に寝かしつけられていたのだ。
生まれて初めて深夜という世界を知った。
学校は青春台という地名に相応しく少し高台で、学校の合宿所からでも眺めは良い。
この街を広く眺めることが出来た。
(ふーん、案外電気のついているおうちって多いんだなあ…。
あ、車も結構走ってる…そりゃコンビニも開いてるんだし人も起きてるか)
漆黒の闇だと思っていた深夜にも動く人々がいることが面白く感じられた。
好奇心の目で周囲を見回していると、手の中の携帯電話が1秒ほど震えた。
突然のことに心臓が飛び出てしまいそうになる。
こんな時間に一体誰が…?とおそるおそる画面を開くと、愛読しているメルマガだった。
少しほっとしつつ、そう言えばいつも朝起きてすぐに読んでるなあと気付く。
つまり、いつも夜中にこのメルマガは送られてきているのだろう。
(おもしろいなあ…そうだ!)
メールの新規作成画面を開く。
宛先に、ここ数ヶ月で急激に親しくなっていった相手の名前が表示される。
きっと相手はこれを読んだらその内容のひどさに呆れてしまうだろうけど、
今の巴には面白いことのように思えたのだった。
宛先:観月はじめ
件名:おはようございます
---------
おはよう…なんて言っても、今メールを打っ
ているのは深夜だったりするのですが。
なんだか今夜は青学の合宿で疲れ切っている
せいか眠れないんですよね。
観月さんが起きてこの文章を読む頃には、私
はちゃんと眠れてスッキリしているんでしょ
うか?それとも寝不足で大変なことになって
いるんでしょうか?
あ~。眠れないままだったらどうしたらいい
ですか!?私、徹夜とかってしたことないん
ですよ!
明日の練習どうしよう!
もし、快眠法とかご存じでしたら今度教えて
もらってもイイですか?
tomoe
ダダッと凄い勢いで本文を打ち込みその勢いで送信ボタンを押した。
送信中のアニメーションを見ながら満足感を覚える。
携帯電話のディスプレイが周囲を明るく照らしていることすら面白い。
日中は気付かないが、暗がりの中では懐中電灯に匹敵する明るさなのだと知る。
まだ、中学生になって数ヶ月の巴には知らないことが沢山ある。
このテンションが寝不足から来るものだというのも、その一つだ。
なぜ、ふとこんなときに観月にメールを出そうと思ったのかも、
その自分自身の思考回路、気持ちすら彼女はまだ知らない。
気付いてはいない。
メール送信が完了して一仕事終えたような気持ちになって階段に座り込む。
今日は風が出ていて気持ちよい。
温度的には熱帯夜と呼べるのだろうが体感温度はそれを否定している。
(おうちにいたらクーラーもないし寝苦しかったろうなあ…)
むしろ暑い日には合宿所に泊まるに限るかも…なんて馬鹿なことを考えては一人笑う。
このまま皆で夏の間合宿をしていたら楽しいかもしれない。
勉強も教えてもらえてテニスの腕も当然上達するだろう。
さも良い考えに思えた。
(あ、でも、合宿してたらスクールには行けないよねえ)
今週、欠席せざるを得なかったスクールの練習を思い出す。
試合でもなければルドルフのスクール組と顔を合わすことが出来るのはこの時だけだ。
先ほどメールを送った相手の顔を思い出し、それは困るなあと真剣に考えた。
合宿は楽しいけれど観月に逢えないのは何となく楽しくないことだ。
いくら普段柳沢たちとともに叱られっぱなしだとしても、
やはりスクール組の練習には参加したいと思うのだ。
(え!!!)
おもわず大声を出しそうになり慌てて口を固く結ぶ。
携帯電話は再び震えだしていた。
震えが止まらないところと着信ランプの色を見るとどうやら電話着信のようだった。
こんな時間に一体誰が自分に電話など。メルマガ以上に謎である。
ちょっと恐いものを感じながらディスプレイに目をやると、
見慣れた、先ほども目にした名前が表示されていた。
『観月はじめ』
慌てて受話ボタンを壊れてしまいそうなくらい力任せに押して電話に応える。
自分に出来る限りの小さな声で「は、はい赤月ですが…」と声を出した。
「巴くん?キミまだ起きてるんですか」
こうして飛びつくように受話しているのだから当然と言えば当然だが、
巴は「そ、そうです」と律儀に応える。
「そう言う観月さんこそ…」と余計な一言を漏らしてしまうのが巴らしい。
「ボク?ボクのことはいいんです。
今日のルドルフの練習試合のデータを分析し終わってこれから寝るところでしたし、睡眠時間もちゃんと調整して体調に響かないように注意していますから」
「そうですかー」
さすが観月らしい物言いだなあとしみじみ思いながら話を聞く。
さぞかし体調管理はしっかりしているんだろうなと、想像が付く。
自信ありげな表情で「ボクの体調管理は完璧ですから」と言っているさまが容易に目に浮かぶ。
なにせ聖ルドルフ学院テニス部自慢のプレイングマネジャーが、そんなことを疎かにするはずもないだろう。
一方巴と言えばスポーツドクターを目指していると言いながらこの有り様だ。
自分を少し情けなく思った。
「でも、キミは違うでしょう?」
巴が当然体調のことまで計算しているわけはない。
ただ単に眠れないだけで、この不眠は明日の朝すぐにでも影響してしまうだろう。
それは巴自身よく分かったいるので「……はい」と小さな声で答えるしかなかった。
何故電話口でも怒られているような気分になるのか、まだ何も言われていないのに。
よく分からないが、ただ身を縮こませる。
観月とこんな時間に話せるのは嬉しいことに変わりなかったが、その内容がお説教というのはなんて味気ないことだろう。
この時になって自分の馬鹿さ加減が身に染みた。
「キミの不眠は…そうですね、合宿という慣れない環境のせいでしょうか。
案外キミは剛胆なようで周囲に気を使う人ですから、どうせ余計なことまで気を使っているのでしょう、それが原因ということも考えられますね」
自分では分からないけれど、観月がそう言うのであればそうかも知れないと巴は思う。
相手に見えるわけもないのに頷いてみせる。
「まあキミは単純なところもありますから、単に環境の変化に興奮しているだけ…とも考えられますけどね、んふっ」
「うっ…」自分自身もそうなのではないかと思ってしまい言葉に詰まる。
色んな分析をしてもこれが一番しっくりくる答えなのではないかと。
笑っているところをみると、きっと観月もそう思っているのだろう。
なので「━━━それが一番ありそうですね…」と口に出す。
「もっとも、いまキミがそんな分析をしたところで意味がありません。
物事を深く考えることは良いことですが、かえって不眠の原因になりますよ」
「はい」
「とりあえず、暖かいものを飲んでから━━━冷たいものはダメですよ、目が覚めます。
眠気が無くても、とにかく布団に入って目を閉じてください。
寝なくても布団で目を閉じるだけで多少は回復しますからね。
それから、羊なんて無理矢理数えないように。脳が活発になってしまいます。
布団はせめてお腹だけでも掛けてください、寝冷えします。
それと━━━」
つらつらと観月は寝る前の注意事項を披露し始める。
それは的確でもっともなことに巴も思えたが、その長さに些かうんざりし始める。
けれども観月の声は巴の耳にやわらかに響き心地良い。
ずっと聴いていたいとも、長いのでそろそろ終わらないかなとも思った。
(━━━あふぅ……)
大きなあくびをひとつ。
声が入らないようにと携帯電話を話していたつもりが気配は感じられたようだ。
「もう眠くなりましたか、巴くん?」
「えっ…あっ、はい!すみません!」
見られているわけもないのに、何故か背筋をシャキンと伸ばして謝罪する。
よく分からないけれども眠い気配を読みとられていたらしい。
さすが観月さんだなあ、と観月の鋭さに感心する。
それにしても、眠い。
普段熟睡している時間であるということもあるだろう。
そしてきっと観月の声でα派が出まくっているのだろう。
良い声は安らぐし、観月と電話で会話することは適度な緊張をもたらす。
「んふっ、いいんですよ、それで。ボクとの会話も少し役に立ちましたか?
落ち着いて眠くなったんだったら、速攻布団に入って寝てしまいなさい。
多分、つぎに気付くときは朝のはずですよ」
(あっ……!)
これも観月の手だったのだと巴はようやく気付いた。
「おやすみなさい、巴くん。
早く合宿が終わって一段と力を付けたキミに会えるのを楽しみにしていますよ」
━━━━━━プツッ
巴がお礼も言わないうちに電話は切れてしまっていた。
余計なことで時間をとらせないためにとの観月の配慮なのだろう。
言葉の、行為の端々に感じる配慮が巴の心を温かくした。
先日の都大会の一件では観月の腹黒さを知ってその行為について悩みもしたが、基本的に彼は自身の庇護下にある人間に対しては甘いところが多い。
どうやら自分もその中の一人なのだとわかり、なんとも憎むことが出来ない。
こうした瞬間にも彼に対する好感度はこの夏の気温のように急上昇中だ。
(あ、いけない!)
モタモタしないで、観月の助言を実行に移さねばならないことを思い出した。
慌てて、しかし周囲に気付かれぬようそうっと非常口のドアを開け建物内に入る。
廊下は外に出たときと同じように静まりかえっていた。
こんな時間になると起き出すものはそうそういないが、それでも巴は胸を撫で下ろし、
すり足選手権日本一になれるようなスピードのすり足で部屋にたどり着く。
そこでも猫も驚くような身のこなしで部屋に滑り込んだ。
室内は相変わらず寝息の大合唱で、巴がいないことに気付いたものはいないようだった。
(あー気付かれなくて良かったあ!)
部屋の入り口に置いてあった電気ポットからコップにお湯を注いで口に含む。
観月の暖かいものを飲んでから寝ろという助言を思い出したからだ。
なんとなくお腹の中から暖かいものを感じて安心した。
その安堵感は例えば母親になでさすられるとか父親に抱擁されるとか、そういったものと同等の様に感じられた。
そう、さらに例えれば観月から叱責させられながらアドヴァイスを受けているときとか。
親と同列にしてしまっては観月は怒るだろうか。
それともなんにも感じないだろうか。
それはそれで非常に興味深いテーマであると思い、クスリと笑う。
このままでは目がまた覚めてしまいそうで、急いで床についた。
自然と目は閉じていく。
先ほど無理して必死に目を閉じたりしていたのが嘘のようだった。
すーっと地球に沈み込んでいく感覚に襲われる。
ああ、このまま眠れそうだなと自覚した。
(私も、早く合宿が終わって会えると良いなって思いました)
観月が電話の最後に言った一言に対して心の中で返事をする。
次にあったら、お礼と、そして今の気持ちをちゃんと言葉にしようと心に決めた。
(━━━━━━おやすみなさい、みづきさん)
END
それは、子供だったせいもあるだろうし、ここまで疲れきったことがなかったからかもしれない。
初めて参加する部活の合宿は思ったよりハードだった。
チームメイト達の規則正しい寝息をBGMにして、ごろりと寝返りを打つ。
隣に見える那美もグッスリ眠っているらしく、いくら巴が何度も寝返りを打っていても気付かない。
さすが私学の構える合宿所だけあって空調設備もしっかりしており寝苦しいことはなく、
同室の皆は誰も彼も心地よい眠りを得ているらしい。
(なんで、私だけ眠れないのかなあ…)
いい加減寝返りを打つのにも飽きてきて、今度は天井のクロスをボンヤリ眺める。
もっとも無機質なテクスチャのそのクロスに面白みなどあるわけが無く、
眺めることすらすぐに飽きてしまった。
(いっそのこと、起きちゃおうか)
枕元に置いてある携帯電話を手に取ると、そこには02:05と表示されていた。
こんな時間ならばもう見回りもないだろうと、巴は起きあがった。
同室のものはみな熟睡している様子で目を覚ます気配はないし、
巴の布団が1年生初心者だと言うことで扉近くに配置されていたことも幸いした。
携帯電話片手に抜き足差し足で部屋を出た。
細心の注意を払って部屋を出たもののやはり深夜の合宿所は静まりかえっていて音が少し響いた。
昨日も今日も消灯直後に抜け出したりもしたが、その時には人が起きている気配や話す声動作などざわめきがあった。
しかしその時間帯とは違って確かに周囲は就寝している気配だ。
スリッパを履いて出たものの、スリッパの足音さえ目立つことに気付いて、
部屋の前にそっと脱ぎそのまま裸足のまま歩き出した。
(とはいえ、行くアテもなし…)
別に盗み食いしたいだとか、そんな理由もなく抜け出したのでしばし迷う。
いったい、どこに行って気を紛らわせようか?とキョロキョロと周囲を伺う。
ふと、非常口の緑の光が目に飛び込んできた。
重そうな扉をそうっと開くと外に面した非常階段だった。
扉の隙間から風がすっと空調のよく効いた建物の中に侵入してきた。
夏の夜の温い空気が肌に心地よく、そのまま扉の外に出る。
階段の踊り場まで出て周囲を見渡してみると新鮮な世界が広がっていた。
よく考えると、健康優良児の巴はこんな時間まで起きていたことがない。
大晦日だって「小学生だろ」と父に紅白が終わると同時に寝かしつけられていたのだ。
生まれて初めて深夜という世界を知った。
学校は青春台という地名に相応しく少し高台で、学校の合宿所からでも眺めは良い。
この街を広く眺めることが出来た。
(ふーん、案外電気のついているおうちって多いんだなあ…。
あ、車も結構走ってる…そりゃコンビニも開いてるんだし人も起きてるか)
漆黒の闇だと思っていた深夜にも動く人々がいることが面白く感じられた。
好奇心の目で周囲を見回していると、手の中の携帯電話が1秒ほど震えた。
突然のことに心臓が飛び出てしまいそうになる。
こんな時間に一体誰が…?とおそるおそる画面を開くと、愛読しているメルマガだった。
少しほっとしつつ、そう言えばいつも朝起きてすぐに読んでるなあと気付く。
つまり、いつも夜中にこのメルマガは送られてきているのだろう。
(おもしろいなあ…そうだ!)
メールの新規作成画面を開く。
宛先に、ここ数ヶ月で急激に親しくなっていった相手の名前が表示される。
きっと相手はこれを読んだらその内容のひどさに呆れてしまうだろうけど、
今の巴には面白いことのように思えたのだった。
宛先:観月はじめ
件名:おはようございます
---------
おはよう…なんて言っても、今メールを打っ
ているのは深夜だったりするのですが。
なんだか今夜は青学の合宿で疲れ切っている
せいか眠れないんですよね。
観月さんが起きてこの文章を読む頃には、私
はちゃんと眠れてスッキリしているんでしょ
うか?それとも寝不足で大変なことになって
いるんでしょうか?
あ~。眠れないままだったらどうしたらいい
ですか!?私、徹夜とかってしたことないん
ですよ!
明日の練習どうしよう!
もし、快眠法とかご存じでしたら今度教えて
もらってもイイですか?
tomoe
ダダッと凄い勢いで本文を打ち込みその勢いで送信ボタンを押した。
送信中のアニメーションを見ながら満足感を覚える。
携帯電話のディスプレイが周囲を明るく照らしていることすら面白い。
日中は気付かないが、暗がりの中では懐中電灯に匹敵する明るさなのだと知る。
まだ、中学生になって数ヶ月の巴には知らないことが沢山ある。
このテンションが寝不足から来るものだというのも、その一つだ。
なぜ、ふとこんなときに観月にメールを出そうと思ったのかも、
その自分自身の思考回路、気持ちすら彼女はまだ知らない。
気付いてはいない。
メール送信が完了して一仕事終えたような気持ちになって階段に座り込む。
今日は風が出ていて気持ちよい。
温度的には熱帯夜と呼べるのだろうが体感温度はそれを否定している。
(おうちにいたらクーラーもないし寝苦しかったろうなあ…)
むしろ暑い日には合宿所に泊まるに限るかも…なんて馬鹿なことを考えては一人笑う。
このまま皆で夏の間合宿をしていたら楽しいかもしれない。
勉強も教えてもらえてテニスの腕も当然上達するだろう。
さも良い考えに思えた。
(あ、でも、合宿してたらスクールには行けないよねえ)
今週、欠席せざるを得なかったスクールの練習を思い出す。
試合でもなければルドルフのスクール組と顔を合わすことが出来るのはこの時だけだ。
先ほどメールを送った相手の顔を思い出し、それは困るなあと真剣に考えた。
合宿は楽しいけれど観月に逢えないのは何となく楽しくないことだ。
いくら普段柳沢たちとともに叱られっぱなしだとしても、
やはりスクール組の練習には参加したいと思うのだ。
(え!!!)
おもわず大声を出しそうになり慌てて口を固く結ぶ。
携帯電話は再び震えだしていた。
震えが止まらないところと着信ランプの色を見るとどうやら電話着信のようだった。
こんな時間に一体誰が自分に電話など。メルマガ以上に謎である。
ちょっと恐いものを感じながらディスプレイに目をやると、
見慣れた、先ほども目にした名前が表示されていた。
『観月はじめ』
慌てて受話ボタンを壊れてしまいそうなくらい力任せに押して電話に応える。
自分に出来る限りの小さな声で「は、はい赤月ですが…」と声を出した。
「巴くん?キミまだ起きてるんですか」
こうして飛びつくように受話しているのだから当然と言えば当然だが、
巴は「そ、そうです」と律儀に応える。
「そう言う観月さんこそ…」と余計な一言を漏らしてしまうのが巴らしい。
「ボク?ボクのことはいいんです。
今日のルドルフの練習試合のデータを分析し終わってこれから寝るところでしたし、睡眠時間もちゃんと調整して体調に響かないように注意していますから」
「そうですかー」
さすが観月らしい物言いだなあとしみじみ思いながら話を聞く。
さぞかし体調管理はしっかりしているんだろうなと、想像が付く。
自信ありげな表情で「ボクの体調管理は完璧ですから」と言っているさまが容易に目に浮かぶ。
なにせ聖ルドルフ学院テニス部自慢のプレイングマネジャーが、そんなことを疎かにするはずもないだろう。
一方巴と言えばスポーツドクターを目指していると言いながらこの有り様だ。
自分を少し情けなく思った。
「でも、キミは違うでしょう?」
巴が当然体調のことまで計算しているわけはない。
ただ単に眠れないだけで、この不眠は明日の朝すぐにでも影響してしまうだろう。
それは巴自身よく分かったいるので「……はい」と小さな声で答えるしかなかった。
何故電話口でも怒られているような気分になるのか、まだ何も言われていないのに。
よく分からないが、ただ身を縮こませる。
観月とこんな時間に話せるのは嬉しいことに変わりなかったが、その内容がお説教というのはなんて味気ないことだろう。
この時になって自分の馬鹿さ加減が身に染みた。
「キミの不眠は…そうですね、合宿という慣れない環境のせいでしょうか。
案外キミは剛胆なようで周囲に気を使う人ですから、どうせ余計なことまで気を使っているのでしょう、それが原因ということも考えられますね」
自分では分からないけれど、観月がそう言うのであればそうかも知れないと巴は思う。
相手に見えるわけもないのに頷いてみせる。
「まあキミは単純なところもありますから、単に環境の変化に興奮しているだけ…とも考えられますけどね、んふっ」
「うっ…」自分自身もそうなのではないかと思ってしまい言葉に詰まる。
色んな分析をしてもこれが一番しっくりくる答えなのではないかと。
笑っているところをみると、きっと観月もそう思っているのだろう。
なので「━━━それが一番ありそうですね…」と口に出す。
「もっとも、いまキミがそんな分析をしたところで意味がありません。
物事を深く考えることは良いことですが、かえって不眠の原因になりますよ」
「はい」
「とりあえず、暖かいものを飲んでから━━━冷たいものはダメですよ、目が覚めます。
眠気が無くても、とにかく布団に入って目を閉じてください。
寝なくても布団で目を閉じるだけで多少は回復しますからね。
それから、羊なんて無理矢理数えないように。脳が活発になってしまいます。
布団はせめてお腹だけでも掛けてください、寝冷えします。
それと━━━」
つらつらと観月は寝る前の注意事項を披露し始める。
それは的確でもっともなことに巴も思えたが、その長さに些かうんざりし始める。
けれども観月の声は巴の耳にやわらかに響き心地良い。
ずっと聴いていたいとも、長いのでそろそろ終わらないかなとも思った。
(━━━あふぅ……)
大きなあくびをひとつ。
声が入らないようにと携帯電話を話していたつもりが気配は感じられたようだ。
「もう眠くなりましたか、巴くん?」
「えっ…あっ、はい!すみません!」
見られているわけもないのに、何故か背筋をシャキンと伸ばして謝罪する。
よく分からないけれども眠い気配を読みとられていたらしい。
さすが観月さんだなあ、と観月の鋭さに感心する。
それにしても、眠い。
普段熟睡している時間であるということもあるだろう。
そしてきっと観月の声でα派が出まくっているのだろう。
良い声は安らぐし、観月と電話で会話することは適度な緊張をもたらす。
「んふっ、いいんですよ、それで。ボクとの会話も少し役に立ちましたか?
落ち着いて眠くなったんだったら、速攻布団に入って寝てしまいなさい。
多分、つぎに気付くときは朝のはずですよ」
(あっ……!)
これも観月の手だったのだと巴はようやく気付いた。
「おやすみなさい、巴くん。
早く合宿が終わって一段と力を付けたキミに会えるのを楽しみにしていますよ」
━━━━━━プツッ
巴がお礼も言わないうちに電話は切れてしまっていた。
余計なことで時間をとらせないためにとの観月の配慮なのだろう。
言葉の、行為の端々に感じる配慮が巴の心を温かくした。
先日の都大会の一件では観月の腹黒さを知ってその行為について悩みもしたが、基本的に彼は自身の庇護下にある人間に対しては甘いところが多い。
どうやら自分もその中の一人なのだとわかり、なんとも憎むことが出来ない。
こうした瞬間にも彼に対する好感度はこの夏の気温のように急上昇中だ。
(あ、いけない!)
モタモタしないで、観月の助言を実行に移さねばならないことを思い出した。
慌てて、しかし周囲に気付かれぬようそうっと非常口のドアを開け建物内に入る。
廊下は外に出たときと同じように静まりかえっていた。
こんな時間になると起き出すものはそうそういないが、それでも巴は胸を撫で下ろし、
すり足選手権日本一になれるようなスピードのすり足で部屋にたどり着く。
そこでも猫も驚くような身のこなしで部屋に滑り込んだ。
室内は相変わらず寝息の大合唱で、巴がいないことに気付いたものはいないようだった。
(あー気付かれなくて良かったあ!)
部屋の入り口に置いてあった電気ポットからコップにお湯を注いで口に含む。
観月の暖かいものを飲んでから寝ろという助言を思い出したからだ。
なんとなくお腹の中から暖かいものを感じて安心した。
その安堵感は例えば母親になでさすられるとか父親に抱擁されるとか、そういったものと同等の様に感じられた。
そう、さらに例えれば観月から叱責させられながらアドヴァイスを受けているときとか。
親と同列にしてしまっては観月は怒るだろうか。
それともなんにも感じないだろうか。
それはそれで非常に興味深いテーマであると思い、クスリと笑う。
このままでは目がまた覚めてしまいそうで、急いで床についた。
自然と目は閉じていく。
先ほど無理して必死に目を閉じたりしていたのが嘘のようだった。
すーっと地球に沈み込んでいく感覚に襲われる。
ああ、このまま眠れそうだなと自覚した。
(私も、早く合宿が終わって会えると良いなって思いました)
観月が電話の最後に言った一言に対して心の中で返事をする。
次にあったら、お礼と、そして今の気持ちをちゃんと言葉にしようと心に決めた。
(━━━━━━おやすみなさい、みづきさん)
END
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