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本文なし
寝付けない夜なんていままでなかった。
それは、子供だったせいもあるだろうし、ここまで疲れきったことがなかったからかもしれない。
初めて参加する部活の合宿は思ったよりハードだった。
チームメイト達の規則正しい寝息をBGMにして、ごろりと寝返りを打つ。
隣に見える那美もグッスリ眠っているらしく、いくら巴が何度も寝返りを打っていても気付かない。
さすが私学の構える合宿所だけあって空調設備もしっかりしており寝苦しいことはなく、
同室の皆は誰も彼も心地よい眠りを得ているらしい。
(なんで、私だけ眠れないのかなあ…)
いい加減寝返りを打つのにも飽きてきて、今度は天井のクロスをボンヤリ眺める。
もっとも無機質なテクスチャのそのクロスに面白みなどあるわけが無く、
眺めることすらすぐに飽きてしまった。
(いっそのこと、起きちゃおうか)
枕元に置いてある携帯電話を手に取ると、そこには02:05と表示されていた。
こんな時間ならばもう見回りもないだろうと、巴は起きあがった。
同室のものはみな熟睡している様子で目を覚ます気配はないし、
巴の布団が1年生初心者だと言うことで扉近くに配置されていたことも幸いした。
携帯電話片手に抜き足差し足で部屋を出た。
細心の注意を払って部屋を出たもののやはり深夜の合宿所は静まりかえっていて音が少し響いた。
昨日も今日も消灯直後に抜け出したりもしたが、その時には人が起きている気配や話す声動作などざわめきがあった。
しかしその時間帯とは違って確かに周囲は就寝している気配だ。
スリッパを履いて出たものの、スリッパの足音さえ目立つことに気付いて、
部屋の前にそっと脱ぎそのまま裸足のまま歩き出した。
(とはいえ、行くアテもなし…)
別に盗み食いしたいだとか、そんな理由もなく抜け出したのでしばし迷う。
いったい、どこに行って気を紛らわせようか?とキョロキョロと周囲を伺う。
ふと、非常口の緑の光が目に飛び込んできた。
重そうな扉をそうっと開くと外に面した非常階段だった。
扉の隙間から風がすっと空調のよく効いた建物の中に侵入してきた。
夏の夜の温い空気が肌に心地よく、そのまま扉の外に出る。
階段の踊り場まで出て周囲を見渡してみると新鮮な世界が広がっていた。
よく考えると、健康優良児の巴はこんな時間まで起きていたことがない。
大晦日だって「小学生だろ」と父に紅白が終わると同時に寝かしつけられていたのだ。
生まれて初めて深夜という世界を知った。
学校は青春台という地名に相応しく少し高台で、学校の合宿所からでも眺めは良い。
この街を広く眺めることが出来た。
(ふーん、案外電気のついているおうちって多いんだなあ…。
あ、車も結構走ってる…そりゃコンビニも開いてるんだし人も起きてるか)
漆黒の闇だと思っていた深夜にも動く人々がいることが面白く感じられた。
好奇心の目で周囲を見回していると、手の中の携帯電話が1秒ほど震えた。
突然のことに心臓が飛び出てしまいそうになる。
こんな時間に一体誰が…?とおそるおそる画面を開くと、愛読しているメルマガだった。
少しほっとしつつ、そう言えばいつも朝起きてすぐに読んでるなあと気付く。
つまり、いつも夜中にこのメルマガは送られてきているのだろう。
(おもしろいなあ…そうだ!)
メールの新規作成画面を開く。
宛先に、ここ数ヶ月で急激に親しくなっていった相手の名前が表示される。
きっと相手はこれを読んだらその内容のひどさに呆れてしまうだろうけど、
今の巴には面白いことのように思えたのだった。
宛先:観月はじめ
件名:おはようございます
---------
おはよう…なんて言っても、今メールを打っ
ているのは深夜だったりするのですが。
なんだか今夜は青学の合宿で疲れ切っている
せいか眠れないんですよね。
観月さんが起きてこの文章を読む頃には、私
はちゃんと眠れてスッキリしているんでしょ
うか?それとも寝不足で大変なことになって
いるんでしょうか?
あ~。眠れないままだったらどうしたらいい
ですか!?私、徹夜とかってしたことないん
ですよ!
明日の練習どうしよう!
もし、快眠法とかご存じでしたら今度教えて
もらってもイイですか?
tomoe
ダダッと凄い勢いで本文を打ち込みその勢いで送信ボタンを押した。
送信中のアニメーションを見ながら満足感を覚える。
携帯電話のディスプレイが周囲を明るく照らしていることすら面白い。
日中は気付かないが、暗がりの中では懐中電灯に匹敵する明るさなのだと知る。
まだ、中学生になって数ヶ月の巴には知らないことが沢山ある。
このテンションが寝不足から来るものだというのも、その一つだ。
なぜ、ふとこんなときに観月にメールを出そうと思ったのかも、
その自分自身の思考回路、気持ちすら彼女はまだ知らない。
気付いてはいない。
メール送信が完了して一仕事終えたような気持ちになって階段に座り込む。
今日は風が出ていて気持ちよい。
温度的には熱帯夜と呼べるのだろうが体感温度はそれを否定している。
(おうちにいたらクーラーもないし寝苦しかったろうなあ…)
むしろ暑い日には合宿所に泊まるに限るかも…なんて馬鹿なことを考えては一人笑う。
このまま皆で夏の間合宿をしていたら楽しいかもしれない。
勉強も教えてもらえてテニスの腕も当然上達するだろう。
さも良い考えに思えた。
(あ、でも、合宿してたらスクールには行けないよねえ)
今週、欠席せざるを得なかったスクールの練習を思い出す。
試合でもなければルドルフのスクール組と顔を合わすことが出来るのはこの時だけだ。
先ほどメールを送った相手の顔を思い出し、それは困るなあと真剣に考えた。
合宿は楽しいけれど観月に逢えないのは何となく楽しくないことだ。
いくら普段柳沢たちとともに叱られっぱなしだとしても、
やはりスクール組の練習には参加したいと思うのだ。
(え!!!)
おもわず大声を出しそうになり慌てて口を固く結ぶ。
携帯電話は再び震えだしていた。
震えが止まらないところと着信ランプの色を見るとどうやら電話着信のようだった。
こんな時間に一体誰が自分に電話など。メルマガ以上に謎である。
ちょっと恐いものを感じながらディスプレイに目をやると、
見慣れた、先ほども目にした名前が表示されていた。
『観月はじめ』
慌てて受話ボタンを壊れてしまいそうなくらい力任せに押して電話に応える。
自分に出来る限りの小さな声で「は、はい赤月ですが…」と声を出した。
「巴くん?キミまだ起きてるんですか」
こうして飛びつくように受話しているのだから当然と言えば当然だが、
巴は「そ、そうです」と律儀に応える。
「そう言う観月さんこそ…」と余計な一言を漏らしてしまうのが巴らしい。
「ボク?ボクのことはいいんです。
今日のルドルフの練習試合のデータを分析し終わってこれから寝るところでしたし、睡眠時間もちゃんと調整して体調に響かないように注意していますから」
「そうですかー」
さすが観月らしい物言いだなあとしみじみ思いながら話を聞く。
さぞかし体調管理はしっかりしているんだろうなと、想像が付く。
自信ありげな表情で「ボクの体調管理は完璧ですから」と言っているさまが容易に目に浮かぶ。
なにせ聖ルドルフ学院テニス部自慢のプレイングマネジャーが、そんなことを疎かにするはずもないだろう。
一方巴と言えばスポーツドクターを目指していると言いながらこの有り様だ。
自分を少し情けなく思った。
「でも、キミは違うでしょう?」
巴が当然体調のことまで計算しているわけはない。
ただ単に眠れないだけで、この不眠は明日の朝すぐにでも影響してしまうだろう。
それは巴自身よく分かったいるので「……はい」と小さな声で答えるしかなかった。
何故電話口でも怒られているような気分になるのか、まだ何も言われていないのに。
よく分からないが、ただ身を縮こませる。
観月とこんな時間に話せるのは嬉しいことに変わりなかったが、その内容がお説教というのはなんて味気ないことだろう。
この時になって自分の馬鹿さ加減が身に染みた。
「キミの不眠は…そうですね、合宿という慣れない環境のせいでしょうか。
案外キミは剛胆なようで周囲に気を使う人ですから、どうせ余計なことまで気を使っているのでしょう、それが原因ということも考えられますね」
自分では分からないけれど、観月がそう言うのであればそうかも知れないと巴は思う。
相手に見えるわけもないのに頷いてみせる。
「まあキミは単純なところもありますから、単に環境の変化に興奮しているだけ…とも考えられますけどね、んふっ」
「うっ…」自分自身もそうなのではないかと思ってしまい言葉に詰まる。
色んな分析をしてもこれが一番しっくりくる答えなのではないかと。
笑っているところをみると、きっと観月もそう思っているのだろう。
なので「━━━それが一番ありそうですね…」と口に出す。
「もっとも、いまキミがそんな分析をしたところで意味がありません。
物事を深く考えることは良いことですが、かえって不眠の原因になりますよ」
「はい」
「とりあえず、暖かいものを飲んでから━━━冷たいものはダメですよ、目が覚めます。
眠気が無くても、とにかく布団に入って目を閉じてください。
寝なくても布団で目を閉じるだけで多少は回復しますからね。
それから、羊なんて無理矢理数えないように。脳が活発になってしまいます。
布団はせめてお腹だけでも掛けてください、寝冷えします。
それと━━━」
つらつらと観月は寝る前の注意事項を披露し始める。
それは的確でもっともなことに巴も思えたが、その長さに些かうんざりし始める。
けれども観月の声は巴の耳にやわらかに響き心地良い。
ずっと聴いていたいとも、長いのでそろそろ終わらないかなとも思った。
(━━━あふぅ……)
大きなあくびをひとつ。
声が入らないようにと携帯電話を話していたつもりが気配は感じられたようだ。
「もう眠くなりましたか、巴くん?」
「えっ…あっ、はい!すみません!」
見られているわけもないのに、何故か背筋をシャキンと伸ばして謝罪する。
よく分からないけれども眠い気配を読みとられていたらしい。
さすが観月さんだなあ、と観月の鋭さに感心する。
それにしても、眠い。
普段熟睡している時間であるということもあるだろう。
そしてきっと観月の声でα派が出まくっているのだろう。
良い声は安らぐし、観月と電話で会話することは適度な緊張をもたらす。
「んふっ、いいんですよ、それで。ボクとの会話も少し役に立ちましたか?
落ち着いて眠くなったんだったら、速攻布団に入って寝てしまいなさい。
多分、つぎに気付くときは朝のはずですよ」
(あっ……!)
これも観月の手だったのだと巴はようやく気付いた。
「おやすみなさい、巴くん。
早く合宿が終わって一段と力を付けたキミに会えるのを楽しみにしていますよ」
━━━━━━プツッ
巴がお礼も言わないうちに電話は切れてしまっていた。
余計なことで時間をとらせないためにとの観月の配慮なのだろう。
言葉の、行為の端々に感じる配慮が巴の心を温かくした。
先日の都大会の一件では観月の腹黒さを知ってその行為について悩みもしたが、基本的に彼は自身の庇護下にある人間に対しては甘いところが多い。
どうやら自分もその中の一人なのだとわかり、なんとも憎むことが出来ない。
こうした瞬間にも彼に対する好感度はこの夏の気温のように急上昇中だ。
(あ、いけない!)
モタモタしないで、観月の助言を実行に移さねばならないことを思い出した。
慌てて、しかし周囲に気付かれぬようそうっと非常口のドアを開け建物内に入る。
廊下は外に出たときと同じように静まりかえっていた。
こんな時間になると起き出すものはそうそういないが、それでも巴は胸を撫で下ろし、
すり足選手権日本一になれるようなスピードのすり足で部屋にたどり着く。
そこでも猫も驚くような身のこなしで部屋に滑り込んだ。
室内は相変わらず寝息の大合唱で、巴がいないことに気付いたものはいないようだった。
(あー気付かれなくて良かったあ!)
部屋の入り口に置いてあった電気ポットからコップにお湯を注いで口に含む。
観月の暖かいものを飲んでから寝ろという助言を思い出したからだ。
なんとなくお腹の中から暖かいものを感じて安心した。
その安堵感は例えば母親になでさすられるとか父親に抱擁されるとか、そういったものと同等の様に感じられた。
そう、さらに例えれば観月から叱責させられながらアドヴァイスを受けているときとか。
親と同列にしてしまっては観月は怒るだろうか。
それともなんにも感じないだろうか。
それはそれで非常に興味深いテーマであると思い、クスリと笑う。
このままでは目がまた覚めてしまいそうで、急いで床についた。
自然と目は閉じていく。
先ほど無理して必死に目を閉じたりしていたのが嘘のようだった。
すーっと地球に沈み込んでいく感覚に襲われる。
ああ、このまま眠れそうだなと自覚した。
(私も、早く合宿が終わって会えると良いなって思いました)
観月が電話の最後に言った一言に対して心の中で返事をする。
次にあったら、お礼と、そして今の気持ちをちゃんと言葉にしようと心に決めた。
(━━━━━━おやすみなさい、みづきさん)
END
寝付けない夜なんていままでなかった。
それは、子供だったせいもあるだろうし、ここまで疲れきったことがなかったからかもしれない。
初めて参加する部活の合宿は思ったよりハードだった。
チームメイト達の規則正しい寝息をBGMにして、ごろりと寝返りを打つ。
隣に見える那美もグッスリ眠っているらしく、いくら巴が何度も寝返りを打っていても気付かない。
さすが私学の構える合宿所だけあって空調設備もしっかりしており寝苦しいことはなく、
同室の皆は誰も彼も心地よい眠りを得ているらしい。
(なんで、私だけ眠れないのかなあ…)
いい加減寝返りを打つのにも飽きてきて、今度は天井のクロスをボンヤリ眺める。
もっとも無機質なテクスチャのそのクロスに面白みなどあるわけが無く、
眺めることすらすぐに飽きてしまった。
(いっそのこと、起きちゃおうか)
枕元に置いてある携帯電話を手に取ると、そこには02:05と表示されていた。
こんな時間ならばもう見回りもないだろうと、巴は起きあがった。
同室のものはみな熟睡している様子で目を覚ます気配はないし、
巴の布団が1年生初心者だと言うことで扉近くに配置されていたことも幸いした。
携帯電話片手に抜き足差し足で部屋を出た。
細心の注意を払って部屋を出たもののやはり深夜の合宿所は静まりかえっていて音が少し響いた。
昨日も今日も消灯直後に抜け出したりもしたが、その時には人が起きている気配や話す声動作などざわめきがあった。
しかしその時間帯とは違って確かに周囲は就寝している気配だ。
スリッパを履いて出たものの、スリッパの足音さえ目立つことに気付いて、
部屋の前にそっと脱ぎそのまま裸足のまま歩き出した。
(とはいえ、行くアテもなし…)
別に盗み食いしたいだとか、そんな理由もなく抜け出したのでしばし迷う。
いったい、どこに行って気を紛らわせようか?とキョロキョロと周囲を伺う。
ふと、非常口の緑の光が目に飛び込んできた。
重そうな扉をそうっと開くと外に面した非常階段だった。
扉の隙間から風がすっと空調のよく効いた建物の中に侵入してきた。
夏の夜の温い空気が肌に心地よく、そのまま扉の外に出る。
階段の踊り場まで出て周囲を見渡してみると新鮮な世界が広がっていた。
よく考えると、健康優良児の巴はこんな時間まで起きていたことがない。
大晦日だって「小学生だろ」と父に紅白が終わると同時に寝かしつけられていたのだ。
生まれて初めて深夜という世界を知った。
学校は青春台という地名に相応しく少し高台で、学校の合宿所からでも眺めは良い。
この街を広く眺めることが出来た。
(ふーん、案外電気のついているおうちって多いんだなあ…。
あ、車も結構走ってる…そりゃコンビニも開いてるんだし人も起きてるか)
漆黒の闇だと思っていた深夜にも動く人々がいることが面白く感じられた。
好奇心の目で周囲を見回していると、手の中の携帯電話が1秒ほど震えた。
突然のことに心臓が飛び出てしまいそうになる。
こんな時間に一体誰が…?とおそるおそる画面を開くと、愛読しているメルマガだった。
少しほっとしつつ、そう言えばいつも朝起きてすぐに読んでるなあと気付く。
つまり、いつも夜中にこのメルマガは送られてきているのだろう。
(おもしろいなあ…そうだ!)
メールの新規作成画面を開く。
宛先に、ここ数ヶ月で急激に親しくなっていった相手の名前が表示される。
きっと相手はこれを読んだらその内容のひどさに呆れてしまうだろうけど、
今の巴には面白いことのように思えたのだった。
宛先:観月はじめ
件名:おはようございます
---------
おはよう…なんて言っても、今メールを打っ
ているのは深夜だったりするのですが。
なんだか今夜は青学の合宿で疲れ切っている
せいか眠れないんですよね。
観月さんが起きてこの文章を読む頃には、私
はちゃんと眠れてスッキリしているんでしょ
うか?それとも寝不足で大変なことになって
いるんでしょうか?
あ~。眠れないままだったらどうしたらいい
ですか!?私、徹夜とかってしたことないん
ですよ!
明日の練習どうしよう!
もし、快眠法とかご存じでしたら今度教えて
もらってもイイですか?
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送信中のアニメーションを見ながら満足感を覚える。
携帯電話のディスプレイが周囲を明るく照らしていることすら面白い。
日中は気付かないが、暗がりの中では懐中電灯に匹敵する明るさなのだと知る。
まだ、中学生になって数ヶ月の巴には知らないことが沢山ある。
このテンションが寝不足から来るものだというのも、その一つだ。
なぜ、ふとこんなときに観月にメールを出そうと思ったのかも、
その自分自身の思考回路、気持ちすら彼女はまだ知らない。
気付いてはいない。
メール送信が完了して一仕事終えたような気持ちになって階段に座り込む。
今日は風が出ていて気持ちよい。
温度的には熱帯夜と呼べるのだろうが体感温度はそれを否定している。
(おうちにいたらクーラーもないし寝苦しかったろうなあ…)
むしろ暑い日には合宿所に泊まるに限るかも…なんて馬鹿なことを考えては一人笑う。
このまま皆で夏の間合宿をしていたら楽しいかもしれない。
勉強も教えてもらえてテニスの腕も当然上達するだろう。
さも良い考えに思えた。
(あ、でも、合宿してたらスクールには行けないよねえ)
今週、欠席せざるを得なかったスクールの練習を思い出す。
試合でもなければルドルフのスクール組と顔を合わすことが出来るのはこの時だけだ。
先ほどメールを送った相手の顔を思い出し、それは困るなあと真剣に考えた。
合宿は楽しいけれど観月に逢えないのは何となく楽しくないことだ。
いくら普段柳沢たちとともに叱られっぱなしだとしても、
やはりスクール組の練習には参加したいと思うのだ。
(え!!!)
おもわず大声を出しそうになり慌てて口を固く結ぶ。
携帯電話は再び震えだしていた。
震えが止まらないところと着信ランプの色を見るとどうやら電話着信のようだった。
こんな時間に一体誰が自分に電話など。メルマガ以上に謎である。
ちょっと恐いものを感じながらディスプレイに目をやると、
見慣れた、先ほども目にした名前が表示されていた。
『観月はじめ』
慌てて受話ボタンを壊れてしまいそうなくらい力任せに押して電話に応える。
自分に出来る限りの小さな声で「は、はい赤月ですが…」と声を出した。
「巴くん?キミまだ起きてるんですか」
こうして飛びつくように受話しているのだから当然と言えば当然だが、
巴は「そ、そうです」と律儀に応える。
「そう言う観月さんこそ…」と余計な一言を漏らしてしまうのが巴らしい。
「ボク?ボクのことはいいんです。
今日のルドルフの練習試合のデータを分析し終わってこれから寝るところでしたし、睡眠時間もちゃんと調整して体調に響かないように注意していますから」
「そうですかー」
さすが観月らしい物言いだなあとしみじみ思いながら話を聞く。
さぞかし体調管理はしっかりしているんだろうなと、想像が付く。
自信ありげな表情で「ボクの体調管理は完璧ですから」と言っているさまが容易に目に浮かぶ。
なにせ聖ルドルフ学院テニス部自慢のプレイングマネジャーが、そんなことを疎かにするはずもないだろう。
一方巴と言えばスポーツドクターを目指していると言いながらこの有り様だ。
自分を少し情けなく思った。
「でも、キミは違うでしょう?」
巴が当然体調のことまで計算しているわけはない。
ただ単に眠れないだけで、この不眠は明日の朝すぐにでも影響してしまうだろう。
それは巴自身よく分かったいるので「……はい」と小さな声で答えるしかなかった。
何故電話口でも怒られているような気分になるのか、まだ何も言われていないのに。
よく分からないが、ただ身を縮こませる。
観月とこんな時間に話せるのは嬉しいことに変わりなかったが、その内容がお説教というのはなんて味気ないことだろう。
この時になって自分の馬鹿さ加減が身に染みた。
「キミの不眠は…そうですね、合宿という慣れない環境のせいでしょうか。
案外キミは剛胆なようで周囲に気を使う人ですから、どうせ余計なことまで気を使っているのでしょう、それが原因ということも考えられますね」
自分では分からないけれど、観月がそう言うのであればそうかも知れないと巴は思う。
相手に見えるわけもないのに頷いてみせる。
「まあキミは単純なところもありますから、単に環境の変化に興奮しているだけ…とも考えられますけどね、んふっ」
「うっ…」自分自身もそうなのではないかと思ってしまい言葉に詰まる。
色んな分析をしてもこれが一番しっくりくる答えなのではないかと。
笑っているところをみると、きっと観月もそう思っているのだろう。
なので「━━━それが一番ありそうですね…」と口に出す。
「もっとも、いまキミがそんな分析をしたところで意味がありません。
物事を深く考えることは良いことですが、かえって不眠の原因になりますよ」
「はい」
「とりあえず、暖かいものを飲んでから━━━冷たいものはダメですよ、目が覚めます。
眠気が無くても、とにかく布団に入って目を閉じてください。
寝なくても布団で目を閉じるだけで多少は回復しますからね。
それから、羊なんて無理矢理数えないように。脳が活発になってしまいます。
布団はせめてお腹だけでも掛けてください、寝冷えします。
それと━━━」
つらつらと観月は寝る前の注意事項を披露し始める。
それは的確でもっともなことに巴も思えたが、その長さに些かうんざりし始める。
けれども観月の声は巴の耳にやわらかに響き心地良い。
ずっと聴いていたいとも、長いのでそろそろ終わらないかなとも思った。
(━━━あふぅ……)
大きなあくびをひとつ。
声が入らないようにと携帯電話を話していたつもりが気配は感じられたようだ。
「もう眠くなりましたか、巴くん?」
「えっ…あっ、はい!すみません!」
見られているわけもないのに、何故か背筋をシャキンと伸ばして謝罪する。
よく分からないけれども眠い気配を読みとられていたらしい。
さすが観月さんだなあ、と観月の鋭さに感心する。
それにしても、眠い。
普段熟睡している時間であるということもあるだろう。
そしてきっと観月の声でα派が出まくっているのだろう。
良い声は安らぐし、観月と電話で会話することは適度な緊張をもたらす。
「んふっ、いいんですよ、それで。ボクとの会話も少し役に立ちましたか?
落ち着いて眠くなったんだったら、速攻布団に入って寝てしまいなさい。
多分、つぎに気付くときは朝のはずですよ」
(あっ……!)
これも観月の手だったのだと巴はようやく気付いた。
「おやすみなさい、巴くん。
早く合宿が終わって一段と力を付けたキミに会えるのを楽しみにしていますよ」
━━━━━━プツッ
巴がお礼も言わないうちに電話は切れてしまっていた。
余計なことで時間をとらせないためにとの観月の配慮なのだろう。
言葉の、行為の端々に感じる配慮が巴の心を温かくした。
先日の都大会の一件では観月の腹黒さを知ってその行為について悩みもしたが、基本的に彼は自身の庇護下にある人間に対しては甘いところが多い。
どうやら自分もその中の一人なのだとわかり、なんとも憎むことが出来ない。
こうした瞬間にも彼に対する好感度はこの夏の気温のように急上昇中だ。
(あ、いけない!)
モタモタしないで、観月の助言を実行に移さねばならないことを思い出した。
慌てて、しかし周囲に気付かれぬようそうっと非常口のドアを開け建物内に入る。
廊下は外に出たときと同じように静まりかえっていた。
こんな時間になると起き出すものはそうそういないが、それでも巴は胸を撫で下ろし、
すり足選手権日本一になれるようなスピードのすり足で部屋にたどり着く。
そこでも猫も驚くような身のこなしで部屋に滑り込んだ。
室内は相変わらず寝息の大合唱で、巴がいないことに気付いたものはいないようだった。
(あー気付かれなくて良かったあ!)
部屋の入り口に置いてあった電気ポットからコップにお湯を注いで口に含む。
観月の暖かいものを飲んでから寝ろという助言を思い出したからだ。
なんとなくお腹の中から暖かいものを感じて安心した。
その安堵感は例えば母親になでさすられるとか父親に抱擁されるとか、そういったものと同等の様に感じられた。
そう、さらに例えれば観月から叱責させられながらアドヴァイスを受けているときとか。
親と同列にしてしまっては観月は怒るだろうか。
それともなんにも感じないだろうか。
それはそれで非常に興味深いテーマであると思い、クスリと笑う。
このままでは目がまた覚めてしまいそうで、急いで床についた。
自然と目は閉じていく。
先ほど無理して必死に目を閉じたりしていたのが嘘のようだった。
すーっと地球に沈み込んでいく感覚に襲われる。
ああ、このまま眠れそうだなと自覚した。
(私も、早く合宿が終わって会えると良いなって思いました)
観月が電話の最後に言った一言に対して心の中で返事をする。
次にあったら、お礼と、そして今の気持ちをちゃんと言葉にしようと心に決めた。
(━━━━━━おやすみなさい、みづきさん)
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