*be with YOU
あたりは一面、いかにも女性らしい白や水色やピンクの彩りで華々しいものだった。
美的感覚が若干一般の男子中学生とは違う、観月はじめといえども
そのいかにも女の子然とした有様には多少腰が引けてしまう。
『特設ホワイトデーギフトコーナー』
デパートの一角に掲げられた表示板にはそう書かれている。
3月14日。
バレンタインデーにチョコレートをもらってしまった男子がお礼をしなければならない日。
製菓業界による策略である。
そんな大人の考えた金儲けイベントになどわざわざ乗ってやる必要もないと観月自身はこれまではそう考えていた。
大体、好きならハッキリと面と向かって言えばいいし、
返事をするならするで、
翌月とは言わずに即座に返してあげるべきだと思う。
そもそも、告白にしろチョコを渡すだけにしろ勇気を出した女性に対して誠実に待たせず返答するべきなのではないか?
こんな「返事をする日」にかこつけずに。
しかも義理チョコなど問題外だ。
あきらかに義理と分かっているものに対して、
なんのありがたみも感じない。
感謝の意なら、なにか見返りを期待するならば、
行事にかこつけずにやればいい。
確かに、これまではこうした考えを持っていた。
これまではカップルのための行事として捉えたことはなかったし、
正直言って、これまで残念ながら欲しいと思う人からチョコレートをもらったことがなかった。
もっとも、欲しいと思う人すら存在しなかった訳だが。
観月は確かにこれまでの人生において、
大量のバレンタインチョコをもらい続けてきた。
断るのも面倒で適当にもらって、適当にお返しを返していた。
それゆえに、バレンタイン・ホワイトデーをくだらないと切り捨てるのは当然だった。
しかし、その彼の観念を変えた存在がいた。
彼女のために、くだらないと思っていたホワイトデーも今や彼にとっては大事な日だ。
好きな人からもらったものに対して堂々とお返しが出来るのだ。
気持ちに報いる意味でも、
自分の気持ちを改めて明らかにする意味でも
ホワイトデーはとても良い機会のように思えた。
「……どうしたものですかね……」
今、数々の商品の前に足を止めている。
これまでのホワイトデーは
母や姉や後輩に買ってきてもらったものを配っていた。
どれほど彼にとってどうでもいいイベントだったか、
分かるというものだ。
だが、今年はそうはいかない。
はじめて、ホワイトデーに自ら選んだ品を贈りたいと思った。
彼女の気持ちに自分の誠意で応えるのだ。
それにはこのちょっと異様な空間に
戸惑うことなく足を踏み入れなければいけないのだ。
一つ大きく深呼吸して、特設コーナーへと進むことにした。
「あれ?観月じゃん」
「何してるだーね?こんな所にいるなんて珍しいだーね」
後ろから聞き慣れた声と口調。
観月はそれに気づいて、
振り返りたくはなかったが意を決して振り返る。
「キミたち…キミたちこそこんな所にいるなんて…」
地元のデパートに来てしまったのは明らかに失策だったと痛感する。
振り返る先にいたのはニヤニヤした表情の木更津と柳沢だった。
「去年は裕太に買いに行かせてただーね、
どういう心境の変化だーね?」
理由は分かっているクセに、ワザと楽しげに柳沢は観月に尋ねる。
なにしろ、彼女━━━赤月巴の存在は、完璧を装う観月にとって
初めて出来てしまった弱みであった。
これまでテニス部員に限らず、周囲の人間に当たり障りなく完璧に接してきた彼が
巴に関してだけは、当たり障りに対応できない。
彼女の一挙一動に喜怒哀楽を表す。
それが、これまで観月にやりこめられっぱなしだった彼らにとっては非常に面白い。
ことあるごとにからかってしまうのは仕方がないことだった。
「……心境の変化と訊かれましてもね……、
それに気づかないようでしたら、
柳沢、キミは洞察力不足でしょうね?」
「そ、そう…だーね?」
「ええ、もうちょっとその辺をやしなう特訓プログラムを組みましょうか?」
にっこり、というよりもニヤリと笑って観月はその問いを受け流す。
からかわれるのは、もう慣れた。
自分の気持ちにハッキリ気づいた秋頃からは、
周囲に何を言われても気にしないように努めてきたのだ。
もっとも、彼女の気持ちを知るまでは情緒不安定ではあったのだが。
努力の甲斐があって、
なにか言ってくるのはもはやテニス部3年ぐらいだ。
彼らをやり過ごすことくらい簡単だ。
もちろん、動揺を隠しつつ、だが。
「もう…柳沢…観月にはどうせ勝てないんだからやめておきなよ
…クスクス」
横でやりとりを黙って聞いていた木更津が口をはさむ。
こう言うときに、木更津はくちばしを突っ込むような事をするが、
その目的といえば、もっぱら場の混乱を一層促すことだ。
観月にとっても彼の発言は油断ならない。
「どうせ、観月は赤月のために何か買いにきたんだろう?
ね、観月?」
「まあ…そういうことですよ」
隠すと逆に突っ込まれてしまう。素直に観月は返答する。
もっとも、もはや付き合ってるのと同然の関係であり、
そのことについては周囲も知っていることである。
隠す方が変だった。
「偶然だね、俺たちもそうなんだ、赤月に…ね。な?柳沢?」
「そう…そうだーね!」
彼らは思いも寄らなかったことを口にする。
二人もテニス部ということでそこそこ人気がある。
従ってチョコも沢山もらっているし、
それに対する返礼もおかしくはない。
ただ「赤月に」と限定する言動は明らかにおかしい。
もらったチョコが義理にしても観月を煽っている。
観月もその意図は何となく分かって、冷静に努めようとする。
しかし、心の中になにか黒いもやもやが渦巻いていくことは否定できない。
嫉妬してるのか?
そう思いはするが、原因が分かった所で止まる訳でもない。
理屈ではないからだ。
「そういえば、赤月は3階のレディースフロアの奥のティールームが好きだって
確か以前に言ってたよ?いろんなものが売ってるらしいから観月、行ってみれば?」
「そうですか?それをキミが知っているのはシャクですけどね。
キミも知ってるんならそこで買えば良いんじゃないですか?」
自分の知らないことを知っていた木更津にムカムカしながらもそう答える。
あくまで余裕の表情は崩したくないし、
木更津のことだからそれさえも見透かしているだろうから余計にだ。
「まあ、俺もそこで買おうとは思ってたんだけどね、観月に譲るよ。
さ、行くよ、柳沢……観月頑張って」
言いたいことだけ言って、木更津は柳沢を引きずって特設コーナーに消えていった。
素直に木更津のアドバイスを聞くのは観月にとってかなり抵抗があったのだが、
しかし、それも巴の笑顔が見られるのならばと決心し、
エスカレーターへと向かう。
木更津が観月に譲る、そう言った訳がよくわかったような気がする。
頑張ってと言った、彼の真意も。
いまこそ、愛が試されているとき…そんなフレーズが脳内に浮かぶ。
目の前に広がる、3階レディースフロアーは
特設コーナーより一層華やかだった。
ムダにひらひらさせた白やピンクの布が踊っている。
エスカレーター脇のフロア案内図を確かめる。
木更津の言っていた店は確かに奥にあった。
遠い。
特設コーナー前で悩んでいたものの比ではないほど悩む。
行くべきか、行かざるべきか。
目的地までたどり着くにはきらびやかな空間を突破する以外無い。
きっと木更津らもそれで諦めたのだろうと思われた。
姉に連れられて女性の買い物に付き合ったことはあるけれども、
一人でこんな所を歩く勇気は、今の所男子中学生である彼にはない。
けれども、いまここで勇気を出さずしてどうする。
巴は自分にチョコを渡すのには、とても勇気が出したことだろう。
これまでのあいまいな関係
━━━先輩後輩以上恋人未満にけりを付けたのだから。
手には試合前とは比べものにならないほど冷たい汗が滲んでいるが、
それでも必死に両足を動かし始めた。
恥ずかしさと怖れで身は竦みがちだが、それでも巴のためだ。
やがて、目的地にたどり着いた。
思っていたよりも人の目は気にならず、
距離も遠くはなかったのでホッとする。
「ここ…ですね、巴くんが好きだと言っているらしい店は」
木更津の言うことだったので、
実はからかい混じりの嘘なのではと思ったが
どうやら本当のことのようだった。
ティールームは雑貨屋も兼ねているらしく、
白木を多用した小綺麗な店舗は若い女性でにぎわっている。
喫茶コーナーは順番待ちでずらりと並び、
ケーキや焼き菓子は、次々にテイクアウトされている。
一種異様な空間に気後れは否めないが、
観月の好きな紅茶も物販コーナーではずらりと並べて販売されており
自分自身興味を示してしまうほどだった。
この周囲の様子であれば巴が喜ぶお返しが買えることだろう。
もう人の目も、慣れない空間への違和感も感じない。
無心で贈り物の吟味を始める。
既に卒業式を終え、今現在テニスの練習と高等部への準備しかやることがない日々は観月自身思っていた以上に暇だった。
気がついたら、ほぼ毎日のように越前家からルドルフ寮に引っ越す巴の準備を手伝っていた。
もっとも越前家に度々近づくことは、
巴を送る家人の気持ちを考えると憚られたので
手伝いは彼女の転入関係の手続きであったり、
寮関係の手配であったのだが。
その関係で観月は14日の夕方に巴と逢うことになっていた。
彼女自身はまだ学校に通わなければならず放課後しか逢えないのだ。
14日に日を合わせたのは作為半分、偶然半分といった所だった。
お互いの都合を確認したらこの日が一番良かったのだ。
当然ながら、時間を自由に使える状態の観月が先に待ち合わせ場所に来ていた。
彼自身はめったに来ることのないファストフード店。
観月はレストランにして食事をとりながらでも良かったのだが
巴が越前家での夕飯を大事にしていることに配慮してこの場所に決めていた。
ホワイトデーにディナーというのも中学生同士にしてはやり過ぎだと思ったこともあるが。
なんにせよ、待ち合わせまであと15分。
彼女はホワイトデーの返礼を受け取ってくれるのだろうか?
このボクの気持ちを。
バレンタインデーにチョコをもらったという事実に自信を持っても良いはずだが
その後行われた、Jr選抜の時の彼女の周囲にいる男性陣を見て
少しその気は弱まってしまった。
もちろん彼女に相応しいのはこの自分だという自負はあるが
あれだけ関東の強豪プレイヤーばかりが取り巻く環境では自分すら色褪せそうな気がした。
あの合宿では最後に彼女が選んだのはこの自分であったものの
結局のところ、彼女に対してだけは完全たる自信など持てそうにもなかった。
ガラにもなくソワソワしながら巴の到着を待つ。
「観月さん!お待たせしました~」
言い過ぎだという自覚はあるが、
巴が来たことで周囲が明るくなったような気がした。
彼の良く読むロマンス小説には良くある表現だが、
本当にそうなるとは知らなかった。
周りに光をともしながら巴は観月に近づいてくる。
彼女の足音とシンクロしそうなほど鼓動が高まる。
たかが、品物を渡すだけなのに。
きっと1年前の自分だったこんな人間をバカにしていたはずだ。
彼女と出会ってからは、
自分の嫌いな人間を自ら演じるようになっていた。
それでも嫌な感じがしないのは。
それは、きっと。
「もう、3月半ばだって言うのに雪が降りそうな寒さで参っちゃいました!部活はジャージのパンツ忘れてスコートでやったんですけど、足が死にそうでしたよ」
巴は他愛のないことを報告しながら
まるでそこに座るのが当然とばかりに観月の向かい側に座る。
それで観月は我に返る。
「まったく…毎日時間に余裕を持って登校しようとすれば
天気や忘れ物のチェックぐらい出来るでしょう?
常々言ってる事ですけど」
いつもの調子で言葉を吐き出す。
さすがにホワイトデーごときで情緒不安定になっている自分など見せたくはない。
いつもの自分と変わらずに彼女の目に映っていると良いのだが。
「あはは…気を付けます…あっ、なんか買ってきますんで!」
まるで懲りていない表情で返答する。
そして自分のつまむものを買いにひらりと席を立った。
そんな彼女の後ろ姿を観月はボンヤリ見遣る。
いつのまに、こんなに彼女が大きい存在になっていたんだろう。
自分の小言を聞き流す姿さえも憎めない。
「まったく…重症ですね…」
一つ大きくため息をつき、戻ってきたらすぐに渡してしまおうと
白い紙袋を手の届く場所に置く。
彼女のために頑張って購入したプレゼント。
果たして彼女は受け取ってくれるのだろうか。
楽しみであり、怖くもある。
巴はデータでは測りきれない存在だ。
数字なら出る。しかし、その数字以上のことを成すのが彼女だ。
そうなるともう観月のデータ上の予測ではお手上げだ。
データで測りきれないとなると余計に測りたくなるのが人情だ。
そこに、惹かれた。
そこに、巻き込まれた。
きっとそういうことなのだろう。
ポテトとジュースをトレイに乗せて巴が戻ってきた。
「すいません、観月さん。今日はあまり時間が取れなくて…」
申し訳なさそうに観月に巴は頭を下げた。
部活の後、夕食の前のわずかな時間しかない。
自分だって逢いたい気持ちは大きいというのに。
「いいえ…キミの立場では仕方ないですよ。
じゃあ、まず用件からお話ししましょうか」
内心、ガッカリしつつも観月はこの待ち合わせの用件を事務的にこなし始める。巴が聖ルドルフへの転校をつつがなく行うために。
「━━━じゃあ、今度逢うときにその書類を提出してくださいね」
「はい…ああん、もうこんな時間じゃないですか!
観月さんとは殆ど必要最低限のお話しかしてないって言うのに」
腕時計を見て巴は残念そうな声を上げる。
これ以上遅く帰ってしまっては夕食に間に合わない。
ガタガタと慌ただしく席を立とうとする。
観月も駅まで巴を送ろうと一緒に席を立とうとするが、
そこでやっと今日のメインの用件を思い出す。
今日こなさなければ意味を成さない用件を。
「ちょっと待ってください、巴くん」
妙にかしこまった、
真剣さが籠もった観月の声に巴は一瞬緊張をおぼえた。
観月を見ると、いつもとは違う表情。
それは試合中ぐらいでしか見ることのない、
熱をはらんだ真剣な表情で。
巴はおもわずどきりとする。
「な、なんでしょう?」
「これを…ホワイトデーのお返しです。
出来れば貴方に受け取っていただきたいのですが」
白い紙袋を巴に差し出す。
「これを手にするかしないかはキミ次第です。
強制はしたくない、
ぼくの気持ちが重いのであれば手にしなくて良い」
しかし、巴はなんの躊躇いもなくすんなりと紙袋に手を伸ばす。
巴にとっては何を今更といったところだ。
チョコを贈り、彼のために転校までするのだ。
こんなところまできて、
まさか観月が自分の気持ちを気にするとは思わなかった。
答えなんて、とっくに決まっているというのにだ。
「観月さん、ありがとうございます。
なんだかもう言いたいことが沢山あるのに時間だけが足りなくて…。
これで急いで帰らないとイケナイなんて…自分でも残念です」
そういった会話を交わしながら、
二人は店を出て小走りで駅へと向かう。
残念なのは、観月も一緒だ。
だが、これからは二人の時間を約束されたようなものだ。
今日は焦って駅へ走っているけれども、
これからはそんなこともなくなるのだ。
そう思うと、胸につっかえていたものが取れたようだった。
発車のベルギリギリに巴は電車に飛び乗った。
車内アナウンスで「駆け込み乗車は━━━」と注意されるが気にならない。
走ったために上がった呼吸を整えるのと、
先ほど観月から受け取った紙袋に意識が集中していたからだ。
「なにをくれたんだろ?」
観月と別れた駅が完全に見えなくなった頃、
巴はその事が気になってきてしまった。
少々不作法ではあるが、車内でガサガサと紙袋を開く。
その紙袋は、よく見てみると最近彼女が気に入っているティールームのものだった。
「わ!観月さん…あんなところまで行ってくれたんだ…
勇気あるなあ」
巴ですら、まだ若いゆえに気後れする場所に
観月は買いに行ってくれたのだ。
あの空間を歩くのはどれだけ気恥ずかしかっただろうか。
その気持ちを嬉しく思う。
袋の中には、マシュマロとマグカップが入っていた。
色とりどりの宝石箱の中のようなマシュマロに、
ティールームでも使用されている
小鳥とベリーがモチーフのマグカップ。
さすが観月のチョイスには間違いがない。
ほくほくしているところに、水色のカードが目にとまる。
観月から自分へどんなメッセージが贈られたというのだろうか。
あわてて、それを開く。
---
バレンタインチョコ、ありがとうございました。
何度も何度もキミにお礼を言いたいです。
まだまだキミに関しては知らないことだらけで、
この贈り物を探すにあたって、
あらためてその事実に気づいてしまいました。
キミの好きな店も、欲しいと思っているものすら
ボクにはまだ分からない。
これからもっと知っていくことを許してもらえますか?
今回はボクがキミの使えそうなものを
勝手に選ばせてもらいました。
マグカップは寮の食堂では必需品です。
気に入ったなら使っていただけると幸いです。
マシュマロは、チョコ入りのものを選んでみました。
その意味についてキミは知っていますか?
『あなたの気持ちを柔らかく包んでお返しします』
っていう意味だそうです。ボクもまさしく今そんな気持ちです。
キミの気持ちをボクは甘く柔らかく包んでも良いのでしょうか?
観月はじめ
---
あまりにも気障と言えば気障で、
観月らしいといえば観月らしいメッセージだった。
観月の気持ちは自分に固まっていると思って良いのだろう。
まさか、観月からこんなに想いを寄せられていたとは。
慌てて携帯を取りだし、メールを打ち始めた。
---
件名:
ありがとうございます
本文:
確かに観月さんの気持ちを受け取りました。
でも気持ちだけじゃなくて私自身を包んで欲しいなと思うのは
贅沢なことでしょうか?
これからはもっとずっと私を知っていってくださいね!
これからもヨロシクです。
★☆巴☆★
---
メールを開いた途端目に飛び込んできた、その文字列は
観月の身体をたちまち赤く染めていった。
とりあえずこれまでの関係━━━先輩後輩以上恋人未満にけりがついたとそう考えて良いのだろう。
その事に心底安堵する。
「━━━たまには、木更津たちもねぎらってあげましょうかね」
彼らが直接なにか二人の仲に関与した訳でもなく、
木更津に聞いた店が決定打となったとも思えないのだがそうしたい気分ではあった。
コンビニの袋にジュースやお菓子を一杯詰めて
観月にしては珍しく上機嫌で寮の玄関に入っていった。
END
あたりは一面、いかにも女性らしい白や水色やピンクの彩りで華々しいものだった。
美的感覚が若干一般の男子中学生とは違う、観月はじめといえども
そのいかにも女の子然とした有様には多少腰が引けてしまう。
『特設ホワイトデーギフトコーナー』
デパートの一角に掲げられた表示板にはそう書かれている。
3月14日。
バレンタインデーにチョコレートをもらってしまった男子がお礼をしなければならない日。
製菓業界による策略である。
そんな大人の考えた金儲けイベントになどわざわざ乗ってやる必要もないと観月自身はこれまではそう考えていた。
大体、好きならハッキリと面と向かって言えばいいし、
返事をするならするで、
翌月とは言わずに即座に返してあげるべきだと思う。
そもそも、告白にしろチョコを渡すだけにしろ勇気を出した女性に対して誠実に待たせず返答するべきなのではないか?
こんな「返事をする日」にかこつけずに。
しかも義理チョコなど問題外だ。
あきらかに義理と分かっているものに対して、
なんのありがたみも感じない。
感謝の意なら、なにか見返りを期待するならば、
行事にかこつけずにやればいい。
確かに、これまではこうした考えを持っていた。
これまではカップルのための行事として捉えたことはなかったし、
正直言って、これまで残念ながら欲しいと思う人からチョコレートをもらったことがなかった。
もっとも、欲しいと思う人すら存在しなかった訳だが。
観月は確かにこれまでの人生において、
大量のバレンタインチョコをもらい続けてきた。
断るのも面倒で適当にもらって、適当にお返しを返していた。
それゆえに、バレンタイン・ホワイトデーをくだらないと切り捨てるのは当然だった。
しかし、その彼の観念を変えた存在がいた。
彼女のために、くだらないと思っていたホワイトデーも今や彼にとっては大事な日だ。
好きな人からもらったものに対して堂々とお返しが出来るのだ。
気持ちに報いる意味でも、
自分の気持ちを改めて明らかにする意味でも
ホワイトデーはとても良い機会のように思えた。
「……どうしたものですかね……」
今、数々の商品の前に足を止めている。
これまでのホワイトデーは
母や姉や後輩に買ってきてもらったものを配っていた。
どれほど彼にとってどうでもいいイベントだったか、
分かるというものだ。
だが、今年はそうはいかない。
はじめて、ホワイトデーに自ら選んだ品を贈りたいと思った。
彼女の気持ちに自分の誠意で応えるのだ。
それにはこのちょっと異様な空間に
戸惑うことなく足を踏み入れなければいけないのだ。
一つ大きく深呼吸して、特設コーナーへと進むことにした。
「あれ?観月じゃん」
「何してるだーね?こんな所にいるなんて珍しいだーね」
後ろから聞き慣れた声と口調。
観月はそれに気づいて、
振り返りたくはなかったが意を決して振り返る。
「キミたち…キミたちこそこんな所にいるなんて…」
地元のデパートに来てしまったのは明らかに失策だったと痛感する。
振り返る先にいたのはニヤニヤした表情の木更津と柳沢だった。
「去年は裕太に買いに行かせてただーね、
どういう心境の変化だーね?」
理由は分かっているクセに、ワザと楽しげに柳沢は観月に尋ねる。
なにしろ、彼女━━━赤月巴の存在は、完璧を装う観月にとって
初めて出来てしまった弱みであった。
これまでテニス部員に限らず、周囲の人間に当たり障りなく完璧に接してきた彼が
巴に関してだけは、当たり障りに対応できない。
彼女の一挙一動に喜怒哀楽を表す。
それが、これまで観月にやりこめられっぱなしだった彼らにとっては非常に面白い。
ことあるごとにからかってしまうのは仕方がないことだった。
「……心境の変化と訊かれましてもね……、
それに気づかないようでしたら、
柳沢、キミは洞察力不足でしょうね?」
「そ、そう…だーね?」
「ええ、もうちょっとその辺をやしなう特訓プログラムを組みましょうか?」
にっこり、というよりもニヤリと笑って観月はその問いを受け流す。
からかわれるのは、もう慣れた。
自分の気持ちにハッキリ気づいた秋頃からは、
周囲に何を言われても気にしないように努めてきたのだ。
もっとも、彼女の気持ちを知るまでは情緒不安定ではあったのだが。
努力の甲斐があって、
なにか言ってくるのはもはやテニス部3年ぐらいだ。
彼らをやり過ごすことくらい簡単だ。
もちろん、動揺を隠しつつ、だが。
「もう…柳沢…観月にはどうせ勝てないんだからやめておきなよ
…クスクス」
横でやりとりを黙って聞いていた木更津が口をはさむ。
こう言うときに、木更津はくちばしを突っ込むような事をするが、
その目的といえば、もっぱら場の混乱を一層促すことだ。
観月にとっても彼の発言は油断ならない。
「どうせ、観月は赤月のために何か買いにきたんだろう?
ね、観月?」
「まあ…そういうことですよ」
隠すと逆に突っ込まれてしまう。素直に観月は返答する。
もっとも、もはや付き合ってるのと同然の関係であり、
そのことについては周囲も知っていることである。
隠す方が変だった。
「偶然だね、俺たちもそうなんだ、赤月に…ね。な?柳沢?」
「そう…そうだーね!」
彼らは思いも寄らなかったことを口にする。
二人もテニス部ということでそこそこ人気がある。
従ってチョコも沢山もらっているし、
それに対する返礼もおかしくはない。
ただ「赤月に」と限定する言動は明らかにおかしい。
もらったチョコが義理にしても観月を煽っている。
観月もその意図は何となく分かって、冷静に努めようとする。
しかし、心の中になにか黒いもやもやが渦巻いていくことは否定できない。
嫉妬してるのか?
そう思いはするが、原因が分かった所で止まる訳でもない。
理屈ではないからだ。
「そういえば、赤月は3階のレディースフロアの奥のティールームが好きだって
確か以前に言ってたよ?いろんなものが売ってるらしいから観月、行ってみれば?」
「そうですか?それをキミが知っているのはシャクですけどね。
キミも知ってるんならそこで買えば良いんじゃないですか?」
自分の知らないことを知っていた木更津にムカムカしながらもそう答える。
あくまで余裕の表情は崩したくないし、
木更津のことだからそれさえも見透かしているだろうから余計にだ。
「まあ、俺もそこで買おうとは思ってたんだけどね、観月に譲るよ。
さ、行くよ、柳沢……観月頑張って」
言いたいことだけ言って、木更津は柳沢を引きずって特設コーナーに消えていった。
素直に木更津のアドバイスを聞くのは観月にとってかなり抵抗があったのだが、
しかし、それも巴の笑顔が見られるのならばと決心し、
エスカレーターへと向かう。
木更津が観月に譲る、そう言った訳がよくわかったような気がする。
頑張ってと言った、彼の真意も。
いまこそ、愛が試されているとき…そんなフレーズが脳内に浮かぶ。
目の前に広がる、3階レディースフロアーは
特設コーナーより一層華やかだった。
ムダにひらひらさせた白やピンクの布が踊っている。
エスカレーター脇のフロア案内図を確かめる。
木更津の言っていた店は確かに奥にあった。
遠い。
特設コーナー前で悩んでいたものの比ではないほど悩む。
行くべきか、行かざるべきか。
目的地までたどり着くにはきらびやかな空間を突破する以外無い。
きっと木更津らもそれで諦めたのだろうと思われた。
姉に連れられて女性の買い物に付き合ったことはあるけれども、
一人でこんな所を歩く勇気は、今の所男子中学生である彼にはない。
けれども、いまここで勇気を出さずしてどうする。
巴は自分にチョコを渡すのには、とても勇気が出したことだろう。
これまでのあいまいな関係
━━━先輩後輩以上恋人未満にけりを付けたのだから。
手には試合前とは比べものにならないほど冷たい汗が滲んでいるが、
それでも必死に両足を動かし始めた。
恥ずかしさと怖れで身は竦みがちだが、それでも巴のためだ。
やがて、目的地にたどり着いた。
思っていたよりも人の目は気にならず、
距離も遠くはなかったのでホッとする。
「ここ…ですね、巴くんが好きだと言っているらしい店は」
木更津の言うことだったので、
実はからかい混じりの嘘なのではと思ったが
どうやら本当のことのようだった。
ティールームは雑貨屋も兼ねているらしく、
白木を多用した小綺麗な店舗は若い女性でにぎわっている。
喫茶コーナーは順番待ちでずらりと並び、
ケーキや焼き菓子は、次々にテイクアウトされている。
一種異様な空間に気後れは否めないが、
観月の好きな紅茶も物販コーナーではずらりと並べて販売されており
自分自身興味を示してしまうほどだった。
この周囲の様子であれば巴が喜ぶお返しが買えることだろう。
もう人の目も、慣れない空間への違和感も感じない。
無心で贈り物の吟味を始める。
既に卒業式を終え、今現在テニスの練習と高等部への準備しかやることがない日々は観月自身思っていた以上に暇だった。
気がついたら、ほぼ毎日のように越前家からルドルフ寮に引っ越す巴の準備を手伝っていた。
もっとも越前家に度々近づくことは、
巴を送る家人の気持ちを考えると憚られたので
手伝いは彼女の転入関係の手続きであったり、
寮関係の手配であったのだが。
その関係で観月は14日の夕方に巴と逢うことになっていた。
彼女自身はまだ学校に通わなければならず放課後しか逢えないのだ。
14日に日を合わせたのは作為半分、偶然半分といった所だった。
お互いの都合を確認したらこの日が一番良かったのだ。
当然ながら、時間を自由に使える状態の観月が先に待ち合わせ場所に来ていた。
彼自身はめったに来ることのないファストフード店。
観月はレストランにして食事をとりながらでも良かったのだが
巴が越前家での夕飯を大事にしていることに配慮してこの場所に決めていた。
ホワイトデーにディナーというのも中学生同士にしてはやり過ぎだと思ったこともあるが。
なんにせよ、待ち合わせまであと15分。
彼女はホワイトデーの返礼を受け取ってくれるのだろうか?
このボクの気持ちを。
バレンタインデーにチョコをもらったという事実に自信を持っても良いはずだが
その後行われた、Jr選抜の時の彼女の周囲にいる男性陣を見て
少しその気は弱まってしまった。
もちろん彼女に相応しいのはこの自分だという自負はあるが
あれだけ関東の強豪プレイヤーばかりが取り巻く環境では自分すら色褪せそうな気がした。
あの合宿では最後に彼女が選んだのはこの自分であったものの
結局のところ、彼女に対してだけは完全たる自信など持てそうにもなかった。
ガラにもなくソワソワしながら巴の到着を待つ。
「観月さん!お待たせしました~」
言い過ぎだという自覚はあるが、
巴が来たことで周囲が明るくなったような気がした。
彼の良く読むロマンス小説には良くある表現だが、
本当にそうなるとは知らなかった。
周りに光をともしながら巴は観月に近づいてくる。
彼女の足音とシンクロしそうなほど鼓動が高まる。
たかが、品物を渡すだけなのに。
きっと1年前の自分だったこんな人間をバカにしていたはずだ。
彼女と出会ってからは、
自分の嫌いな人間を自ら演じるようになっていた。
それでも嫌な感じがしないのは。
それは、きっと。
「もう、3月半ばだって言うのに雪が降りそうな寒さで参っちゃいました!部活はジャージのパンツ忘れてスコートでやったんですけど、足が死にそうでしたよ」
巴は他愛のないことを報告しながら
まるでそこに座るのが当然とばかりに観月の向かい側に座る。
それで観月は我に返る。
「まったく…毎日時間に余裕を持って登校しようとすれば
天気や忘れ物のチェックぐらい出来るでしょう?
常々言ってる事ですけど」
いつもの調子で言葉を吐き出す。
さすがにホワイトデーごときで情緒不安定になっている自分など見せたくはない。
いつもの自分と変わらずに彼女の目に映っていると良いのだが。
「あはは…気を付けます…あっ、なんか買ってきますんで!」
まるで懲りていない表情で返答する。
そして自分のつまむものを買いにひらりと席を立った。
そんな彼女の後ろ姿を観月はボンヤリ見遣る。
いつのまに、こんなに彼女が大きい存在になっていたんだろう。
自分の小言を聞き流す姿さえも憎めない。
「まったく…重症ですね…」
一つ大きくため息をつき、戻ってきたらすぐに渡してしまおうと
白い紙袋を手の届く場所に置く。
彼女のために頑張って購入したプレゼント。
果たして彼女は受け取ってくれるのだろうか。
楽しみであり、怖くもある。
巴はデータでは測りきれない存在だ。
数字なら出る。しかし、その数字以上のことを成すのが彼女だ。
そうなるともう観月のデータ上の予測ではお手上げだ。
データで測りきれないとなると余計に測りたくなるのが人情だ。
そこに、惹かれた。
そこに、巻き込まれた。
きっとそういうことなのだろう。
ポテトとジュースをトレイに乗せて巴が戻ってきた。
「すいません、観月さん。今日はあまり時間が取れなくて…」
申し訳なさそうに観月に巴は頭を下げた。
部活の後、夕食の前のわずかな時間しかない。
自分だって逢いたい気持ちは大きいというのに。
「いいえ…キミの立場では仕方ないですよ。
じゃあ、まず用件からお話ししましょうか」
内心、ガッカリしつつも観月はこの待ち合わせの用件を事務的にこなし始める。巴が聖ルドルフへの転校をつつがなく行うために。
「━━━じゃあ、今度逢うときにその書類を提出してくださいね」
「はい…ああん、もうこんな時間じゃないですか!
観月さんとは殆ど必要最低限のお話しかしてないって言うのに」
腕時計を見て巴は残念そうな声を上げる。
これ以上遅く帰ってしまっては夕食に間に合わない。
ガタガタと慌ただしく席を立とうとする。
観月も駅まで巴を送ろうと一緒に席を立とうとするが、
そこでやっと今日のメインの用件を思い出す。
今日こなさなければ意味を成さない用件を。
「ちょっと待ってください、巴くん」
妙にかしこまった、
真剣さが籠もった観月の声に巴は一瞬緊張をおぼえた。
観月を見ると、いつもとは違う表情。
それは試合中ぐらいでしか見ることのない、
熱をはらんだ真剣な表情で。
巴はおもわずどきりとする。
「な、なんでしょう?」
「これを…ホワイトデーのお返しです。
出来れば貴方に受け取っていただきたいのですが」
白い紙袋を巴に差し出す。
「これを手にするかしないかはキミ次第です。
強制はしたくない、
ぼくの気持ちが重いのであれば手にしなくて良い」
しかし、巴はなんの躊躇いもなくすんなりと紙袋に手を伸ばす。
巴にとっては何を今更といったところだ。
チョコを贈り、彼のために転校までするのだ。
こんなところまできて、
まさか観月が自分の気持ちを気にするとは思わなかった。
答えなんて、とっくに決まっているというのにだ。
「観月さん、ありがとうございます。
なんだかもう言いたいことが沢山あるのに時間だけが足りなくて…。
これで急いで帰らないとイケナイなんて…自分でも残念です」
そういった会話を交わしながら、
二人は店を出て小走りで駅へと向かう。
残念なのは、観月も一緒だ。
だが、これからは二人の時間を約束されたようなものだ。
今日は焦って駅へ走っているけれども、
これからはそんなこともなくなるのだ。
そう思うと、胸につっかえていたものが取れたようだった。
発車のベルギリギリに巴は電車に飛び乗った。
車内アナウンスで「駆け込み乗車は━━━」と注意されるが気にならない。
走ったために上がった呼吸を整えるのと、
先ほど観月から受け取った紙袋に意識が集中していたからだ。
「なにをくれたんだろ?」
観月と別れた駅が完全に見えなくなった頃、
巴はその事が気になってきてしまった。
少々不作法ではあるが、車内でガサガサと紙袋を開く。
その紙袋は、よく見てみると最近彼女が気に入っているティールームのものだった。
「わ!観月さん…あんなところまで行ってくれたんだ…
勇気あるなあ」
巴ですら、まだ若いゆえに気後れする場所に
観月は買いに行ってくれたのだ。
あの空間を歩くのはどれだけ気恥ずかしかっただろうか。
その気持ちを嬉しく思う。
袋の中には、マシュマロとマグカップが入っていた。
色とりどりの宝石箱の中のようなマシュマロに、
ティールームでも使用されている
小鳥とベリーがモチーフのマグカップ。
さすが観月のチョイスには間違いがない。
ほくほくしているところに、水色のカードが目にとまる。
観月から自分へどんなメッセージが贈られたというのだろうか。
あわてて、それを開く。
---
バレンタインチョコ、ありがとうございました。
何度も何度もキミにお礼を言いたいです。
まだまだキミに関しては知らないことだらけで、
この贈り物を探すにあたって、
あらためてその事実に気づいてしまいました。
キミの好きな店も、欲しいと思っているものすら
ボクにはまだ分からない。
これからもっと知っていくことを許してもらえますか?
今回はボクがキミの使えそうなものを
勝手に選ばせてもらいました。
マグカップは寮の食堂では必需品です。
気に入ったなら使っていただけると幸いです。
マシュマロは、チョコ入りのものを選んでみました。
その意味についてキミは知っていますか?
『あなたの気持ちを柔らかく包んでお返しします』
っていう意味だそうです。ボクもまさしく今そんな気持ちです。
キミの気持ちをボクは甘く柔らかく包んでも良いのでしょうか?
観月はじめ
---
あまりにも気障と言えば気障で、
観月らしいといえば観月らしいメッセージだった。
観月の気持ちは自分に固まっていると思って良いのだろう。
まさか、観月からこんなに想いを寄せられていたとは。
慌てて携帯を取りだし、メールを打ち始めた。
---
件名:
ありがとうございます
本文:
確かに観月さんの気持ちを受け取りました。
でも気持ちだけじゃなくて私自身を包んで欲しいなと思うのは
贅沢なことでしょうか?
これからはもっとずっと私を知っていってくださいね!
これからもヨロシクです。
★☆巴☆★
---
メールを開いた途端目に飛び込んできた、その文字列は
観月の身体をたちまち赤く染めていった。
とりあえずこれまでの関係━━━先輩後輩以上恋人未満にけりがついたとそう考えて良いのだろう。
その事に心底安堵する。
「━━━たまには、木更津たちもねぎらってあげましょうかね」
彼らが直接なにか二人の仲に関与した訳でもなく、
木更津に聞いた店が決定打となったとも思えないのだがそうしたい気分ではあった。
コンビニの袋にジュースやお菓子を一杯詰めて
観月にしては珍しく上機嫌で寮の玄関に入っていった。
END
去年は甘いチョコがあまり好きでないことを知らなくて失敗したから
今年こそは観月さんに喜ばれるようなチョコを……。
そう思って意気込んだのは良いんだけど、
それはそれで非常に頭を悩ませるものだとは思っていなかった。
*Sweet or Better?
結局、観月さんの好みを知ろうと
1年間リサーチし続けてはきたんだけど、
そう簡単に知りたいことをピンポイントに知ることは難しかった。
いつでも質問には答えると言われているものの、
チョコはビター系が良いらしいということも知っているけれど、
さすがに「バレンタインチョコは何が良いですか?」なんて訊ける訳がない。
訊けばあっさり教えてくれるんだろうけど、
それでは面白みも何もない。
これは女子の意地というものだ。
データマンの裏をかきながら、喜ばれる贈り物…かなりの難関かも。
いっそ、去年の私のように何も知らずに渡す方が気が楽だ。
ああ、悩みすぎて頭にハゲが出来てしまいそう…ああ。
思わず頭を抱えて座り込んでしまう。
「赤月、お前こんなとこでしゃがみ込んで何やってるだーね?」
「クスクス
…そうだね、端から見るとかなりの不審人物に見えるんじゃない?」
顔を上げてみると、柳沢先輩と木更津先輩だった。
あまりにも特徴のある話し方だから、
顔を見なくてもわかりはしたんだけど。
「そういえば…ここ、テニススクールの廊下でしたね!」
とっさに勢いよく立ち上がる。
うっかり忘れてた。
もう最近では始終悩んでるので、こんなコトは日常茶飯事で。
この間なんてスーパーの手作りチョココーナーに
小一時間立ちつくしてて、人づてに聞いて駆けつけてくれた早川さんに確保されるまでそのまんまだったし…。
「なに?場所も忘れてキョドってたの?
そんなんじゃ観月に振られるよ?」
……木更津先輩は、さりげなく酷いことをいう達人だと思う。
「まあ、今日は観月は学校関係の用事で遅れてくるから
良かっただーね」
木更津先輩の発言にさりげなくフォローを入れる柳沢先輩、
やっぱりいいペアだと思う。
振られる、振られないはともかくとして、
観月さんが遅れて来るという情報は私の心を少しだけ軽くする。
今の悩みを気とられてしまうのはちょっと困るから、
顔を合わせる機会が少ない方が少し寂しいけれどありがたい。
そして、今の私にとっては、これが良い機会だからだ。
「先輩方、ちょっと相談があるんですよ」
ズバリと切り出してみる。
「観月さんて、どんなチョコがお好みか知ってます?
私もあまり甘くないものが好きだということは知ってるんですが、
具体的に…」
先輩方は微妙な表情で顔を見合わせていた。
一体どういう反応なんだか、私には分からないけど…。
この二人に相談するなんて、ちょっと早計だったかも…
早くも後悔し始めていた。
「なになに?赤月は観月にチョコレートあげるだーね?」
「柳沢…そりゃそうでしょ、
なんてったって一応観月の彼女なんだし…クスクス」
この二人ときたら!
こっちは真剣に悩んでいるっていうのに
完全におもしろがってるんだから!
そのあとも、他愛のないからかいに終始して、相談した甲斐がない。
私がもう少しで爆発しそうになった所で、
「正直言って、俺達じゃ相談相手にならないだーね」
「そうだね、観月ってそんな個人的なことを俺達に知らせないしさ
だいたい君が知らないことを俺達が知ってると思う方がおかしいよ。
でも、観月なら君がくれるものならなんでも喜ぶと思うけど?」
珍しく木更津先輩がまともな事を言う。
さすがに私が可哀想だとでも思ったんだろうか?
「そりゃ、何でも喜んで受け取ってくれそうなことくらい
私にも分かりますよ。
でも、それだけじゃ寂しいというか、
やっぱり最上級の喜びであって欲しいじゃないですか」
「まあ、言いたいことは分かるけどね」
「だーね」
納得した表情で二人はうなづく。
「……あっ、イイコト思いついただーね!
観月にはバレンタインプレゼントは…わ・た・し♪にして
チョコレートは相談料として俺達にくれれば万事解決だーね」
……なっ……!
思わず、赤面してしまう。動揺を隠しきれない。
なに、その馬鹿なセクハラまがいの提案は!
「ああ、柳沢にしては良い考えだよね、それ」
木更津先輩まで……!
ガンッ…!
私の背後で何かゴミ箱のような硬質なものが蹴飛ばされた音がした。
そして、追って聞き慣れた声が聞こえてきた。
「その提案はいただけませんね、
3人でなんの悪巧みかと聞いていたら…!」
観月さん!
後ろを振り向くと観月さんが機嫌の悪い表情で
こっちを冷たくにらみつけている。
こっちを…というか先輩方二人を言うのが正しいかな。
「観月…!」
「に、逃げるが勝ちだーね…!」
かなりご立腹そうな観月さんを見て、
二人は慌てて屋外コートへと走り去ってしまった。
そして、取り残される観月さんと、私。
き、気まずい…。
おそるおそる観月さんに確認するまでもない確認をしてみる。
「もしかしなくても…き、聞いてました…よね、今の話…」
「最上級の喜び……あたりからですから、
大して聞いてはいませんけどね」
「そ、そうですか…ははは」
かなり、核心的な所は聞いてるじゃない。
また思わず顔が赤くなる。
せっかくこっそり観月さんの好みを探って驚かせようと思ったのに、
これじゃあ、もうバレバレ。
あーあ。
こんなこと探ってるなんて知れるのは、
付き合う前より恥ずかしいかも。
これはもういっそのこと、直接聞いちゃっても良いのかもしれない。
「……バレンタインのチョコなんて、もはや形骸的なものでしょう?
本命チョコだなんて言ったって、
キミとボクは既に付き合ってるんですし」
すこし、いらだたしげに観月さんの方から話し始めた。
「ごもっともです」
別に叱られている訳じゃないんだけど、思わずうなだれる。
前にも訊きたいことは直接自分に訊けといわれてるから
怒られたとしても無理はないんだけどね。
「ボクはキミにバレンタイン以外でも、
常にチョコ以上のものをもらってますからね。
それこそキミから貰えるチョコなら、なんでも嬉しいですよ。
なんだったら、去年と同じ甘いチョコでも構わない。
喜んで食べましょう。
大体、去年の段階ですら拒んでいなかったでしょう?
いまさらボクが好みでないチョコを貰ったからって、
キミに悪い印象を抱く訳がない。
くだらないことで悩むなんてキミもバカですね。
ましてや、あの二人に相談するなんて…」
スラスラと水が流れるように話す観月さん。
それは確かに分かる。
私だって観月さんにもらえるものだったら何でも嬉しいし幸せだ。
でも、そんな事じゃない。
「バカってひどいです!こんなに真剣に悩んでるのに!
観月さんが私からの贈り物を拒むことがないことぐらい知ってます。
だけど、そう言う事じゃなくて…」
上手く口に出来ない。
好きな人の一番喜ぶことをしてあげたいという気持ちは
バカなのかな?
素知らぬ顔をして、一番好きなものを差し出して、
それを見て驚く顔、喜ぶ顔を見るのはいけないことかな?
私自身、泣く女は好きじゃないのに、気づいたら涙が出てきた。
慌てて顔を伏せて、
どうか雫が落ちませんようにと必死に自分に祈る。
せめて、観月さんに気づかれませんように。
だめだ。
一つ、二つ、テニススクールのリノリウムの廊下に小さな水たまりを作ってしまった。
「ちょっ…巴くん!」
さすがに気づかれてしまったみたいだ。
慌てふためいた声色で、さらに私に近づく。
近づかないで。これ以上なにか言わないで。
これ以上刺激されると、逆上した私は何を言うかわからない。
観月さんはすっかりおろおろした表情で私に手を伸ばした。
右手には男の人の持ち物とは思えない綺麗なハンカチ。
おそらく、私の涙を拭おうというのだろう。
そのまえに、観月さんの手をはねのけて
私は自分自身の袖でゴシゴシと涙を拭った。
顔を上げて、まるで観月さんに対して挑むように睨みつけた。
彼にこんな態度を取るなんて初めてだなあと妙な感慨を抱く。
「もういいです!観月さんが一番喜ぶチョコなんて
もう知りたくありません!
あの先輩達に相談してでも、観月さんの喜ぶチョコが知りたかった。
けれど、好きな人の一番好きなものを贈って、
喜ぶ顔が見たいなんて、
結局私の自己満足であって、バカなことなんですよね!
もうバカで結構です!」
結局、私は逆上してしまう。
男の観月さんに乙女心を理解しろというのは無理な話なんだけど、
それでも少しは私の気持ちを汲み取ってくれても良いのに。
そう思うとあまりにも腹立たしくて、悲しくていたたまれなくて、
きびすを返してこの場から走り去ろうとした。
「ともえっ!」
勢いを付けようとした所で、左腕を掴まれる。
おかげで走り去ろうという計画は無に返してしまった。
左腕はさすがテニスプレーヤーの握力で握られて少し痛いけれど、
とっさの時にも利き腕は大事にしてくれる。
観月さんらしいといえばらしい。
「なんなんですか!まだ、お話が残ってるんですか?
弁解なら聞きませんっ!」
私は怒ってるんだから。
それを表明して、
腕を掴んだままの観月さんの手を振り払おうとする。
だけど、もの凄い力でどうしても払うことが出来なかった。
「ボクはっ…!」
観月さんには珍しく荒い声で。
思わず身をビクッと竦めてしまった。
「ボクが好きなのは、
カカオ80%位の洗練されたビターなトリュフですよ!
でも、彼女が作ってくれるって言うんなら外はパリッ中はトロッの
焼きたてのフォンダンショコラなんて食べてみたいですね!
だけど、一番嬉しいのは彼女の気持ちですよ。
ボクのために何を贈ろうかと頭を一杯にしている彼女なんて
チョコよりも大好物ですよ。
悩むのは良い、一杯ボクについて調べようとするのは良い。
でも、それをボク以外の男に相談するなんてもってのほかですよ!
ボクだって人の彼氏です。
他の男に話しかけてる彼女を見るのも嫌なんです。
ましてや、彼女は無防備だし…」
息継ぎもせずここまで一気に観月さんは吐きだした。
さすがに息苦しくなったのか、
大きく深呼吸して私の肩にもたれ掛かるように顔を埋める。
私の肩のあたりから引き続き話し声が聞こえてきた。
先ほどとは違い、殊勝な声で。
「要するに、キミの行為に対して
嫉妬して当たり散らしてしまいました。
スイマセン…もう少し人間が出来ていると思っていたんですが」
言葉の最後の方はもうため息混じりに話している。
どうやら観月さんが珍しく反省しているらしい。
「ちゃんと、私に悪いと思ってますか?」
本当はそんなこと思ってもいないけれど、疑わしげに聞いてみる。
「とうぜんです。許して下さい」
かなり私が怒ったことも、
自分が嫉妬で当たり散らしたことにも罪悪感を持っているらしい。
「私はこんな性格ですから
これからも他の男の人と話したりはすると思いますよ?」
もちろん、好きなのは観月さんだけだけど。
「理性では分かっています。
特にキミは男テニ連中と仲が良いですしね…。
なんとか押さえるように努力しますよ」
すっかり観月さんは消沈した声で、
ちょっときつく当たりすぎたかな。
このあたりでもう厳しくするのは止めにしよう。
「じゃあ、もう良いです。
週末で良ければフォンダンショコラも作ってあげます。
だから、もう顔を上げて観月さんの素敵な顔を私に見せて下さい」
その言葉で観月さんは顔を上げる。
まだすまなそうな顔をしていたけれど。
「フォンダンショコラ…本当に作ってくれますね?約束ですよ?」
そう観月さんは私を窺うような表情で訊いてくる。
それが普段の観月さんでは見られない表情で、
思わず笑いがこみ上げてきた。
観月さんも、私に対してこういう表情をすることがあるんだと知って嬉しくもある。
「ええ、いいですよ、約束しますよ。
本命チョコですし、私の料理の腕全てをかけて作って見せますよ!」
笑顔でそう答えた。
観月さんはホッとした表情に変わる。
「約束…そう、もう一つ約束してくれませんか?」
観月さんがふと思いついたように一つ付け加える。
何だろう?なにか約束するような事項でもあったかな?
考える前にうっかり「はい」と口走ってしまう。
「いいですか?
出来ればボクの前でも控えておいて欲しいくらいですけど…
他の人の前で涙を見せるような行為はしないでくださいね?
キミの涙は人の感情を揺さぶって危険きわまりないですから」
約束と言うから、何かと思えば…。
「そんな、私の涙で動揺するのなんて
観月さんくらいじゃないかと思うんですが…」
彼氏の欲目ってヤツでは?さすがにそれは口にしないけど。
「それでも、いえ、それならそれでいいんです。
キミが泣く所なんて可愛くて仕方がない。
このボクでさえ激しくドキドキしてしまうくらいなんですから、
キミに免疫のない男が見ちゃったらどうなってしまうか分からないじゃないですか!」
そうして、まるで私を独占物だと知らしめるように
私にぎゅっと抱きついた。
観月さんがけっこう嫉妬深いだなんてことも、
今まで気づかなかったけれども、
それよりもチョコの好みはビターなのに、
私に対する態度は限りなくベタ甘だということを
今初めて知ってしまった。
なんだか、凄い発見かも。
END
今年こそは観月さんに喜ばれるようなチョコを……。
そう思って意気込んだのは良いんだけど、
それはそれで非常に頭を悩ませるものだとは思っていなかった。
*Sweet or Better?
結局、観月さんの好みを知ろうと
1年間リサーチし続けてはきたんだけど、
そう簡単に知りたいことをピンポイントに知ることは難しかった。
いつでも質問には答えると言われているものの、
チョコはビター系が良いらしいということも知っているけれど、
さすがに「バレンタインチョコは何が良いですか?」なんて訊ける訳がない。
訊けばあっさり教えてくれるんだろうけど、
それでは面白みも何もない。
これは女子の意地というものだ。
データマンの裏をかきながら、喜ばれる贈り物…かなりの難関かも。
いっそ、去年の私のように何も知らずに渡す方が気が楽だ。
ああ、悩みすぎて頭にハゲが出来てしまいそう…ああ。
思わず頭を抱えて座り込んでしまう。
「赤月、お前こんなとこでしゃがみ込んで何やってるだーね?」
「クスクス
…そうだね、端から見るとかなりの不審人物に見えるんじゃない?」
顔を上げてみると、柳沢先輩と木更津先輩だった。
あまりにも特徴のある話し方だから、
顔を見なくてもわかりはしたんだけど。
「そういえば…ここ、テニススクールの廊下でしたね!」
とっさに勢いよく立ち上がる。
うっかり忘れてた。
もう最近では始終悩んでるので、こんなコトは日常茶飯事で。
この間なんてスーパーの手作りチョココーナーに
小一時間立ちつくしてて、人づてに聞いて駆けつけてくれた早川さんに確保されるまでそのまんまだったし…。
「なに?場所も忘れてキョドってたの?
そんなんじゃ観月に振られるよ?」
……木更津先輩は、さりげなく酷いことをいう達人だと思う。
「まあ、今日は観月は学校関係の用事で遅れてくるから
良かっただーね」
木更津先輩の発言にさりげなくフォローを入れる柳沢先輩、
やっぱりいいペアだと思う。
振られる、振られないはともかくとして、
観月さんが遅れて来るという情報は私の心を少しだけ軽くする。
今の悩みを気とられてしまうのはちょっと困るから、
顔を合わせる機会が少ない方が少し寂しいけれどありがたい。
そして、今の私にとっては、これが良い機会だからだ。
「先輩方、ちょっと相談があるんですよ」
ズバリと切り出してみる。
「観月さんて、どんなチョコがお好みか知ってます?
私もあまり甘くないものが好きだということは知ってるんですが、
具体的に…」
先輩方は微妙な表情で顔を見合わせていた。
一体どういう反応なんだか、私には分からないけど…。
この二人に相談するなんて、ちょっと早計だったかも…
早くも後悔し始めていた。
「なになに?赤月は観月にチョコレートあげるだーね?」
「柳沢…そりゃそうでしょ、
なんてったって一応観月の彼女なんだし…クスクス」
この二人ときたら!
こっちは真剣に悩んでいるっていうのに
完全におもしろがってるんだから!
そのあとも、他愛のないからかいに終始して、相談した甲斐がない。
私がもう少しで爆発しそうになった所で、
「正直言って、俺達じゃ相談相手にならないだーね」
「そうだね、観月ってそんな個人的なことを俺達に知らせないしさ
だいたい君が知らないことを俺達が知ってると思う方がおかしいよ。
でも、観月なら君がくれるものならなんでも喜ぶと思うけど?」
珍しく木更津先輩がまともな事を言う。
さすがに私が可哀想だとでも思ったんだろうか?
「そりゃ、何でも喜んで受け取ってくれそうなことくらい
私にも分かりますよ。
でも、それだけじゃ寂しいというか、
やっぱり最上級の喜びであって欲しいじゃないですか」
「まあ、言いたいことは分かるけどね」
「だーね」
納得した表情で二人はうなづく。
「……あっ、イイコト思いついただーね!
観月にはバレンタインプレゼントは…わ・た・し♪にして
チョコレートは相談料として俺達にくれれば万事解決だーね」
……なっ……!
思わず、赤面してしまう。動揺を隠しきれない。
なに、その馬鹿なセクハラまがいの提案は!
「ああ、柳沢にしては良い考えだよね、それ」
木更津先輩まで……!
ガンッ…!
私の背後で何かゴミ箱のような硬質なものが蹴飛ばされた音がした。
そして、追って聞き慣れた声が聞こえてきた。
「その提案はいただけませんね、
3人でなんの悪巧みかと聞いていたら…!」
観月さん!
後ろを振り向くと観月さんが機嫌の悪い表情で
こっちを冷たくにらみつけている。
こっちを…というか先輩方二人を言うのが正しいかな。
「観月…!」
「に、逃げるが勝ちだーね…!」
かなりご立腹そうな観月さんを見て、
二人は慌てて屋外コートへと走り去ってしまった。
そして、取り残される観月さんと、私。
き、気まずい…。
おそるおそる観月さんに確認するまでもない確認をしてみる。
「もしかしなくても…き、聞いてました…よね、今の話…」
「最上級の喜び……あたりからですから、
大して聞いてはいませんけどね」
「そ、そうですか…ははは」
かなり、核心的な所は聞いてるじゃない。
また思わず顔が赤くなる。
せっかくこっそり観月さんの好みを探って驚かせようと思ったのに、
これじゃあ、もうバレバレ。
あーあ。
こんなこと探ってるなんて知れるのは、
付き合う前より恥ずかしいかも。
これはもういっそのこと、直接聞いちゃっても良いのかもしれない。
「……バレンタインのチョコなんて、もはや形骸的なものでしょう?
本命チョコだなんて言ったって、
キミとボクは既に付き合ってるんですし」
すこし、いらだたしげに観月さんの方から話し始めた。
「ごもっともです」
別に叱られている訳じゃないんだけど、思わずうなだれる。
前にも訊きたいことは直接自分に訊けといわれてるから
怒られたとしても無理はないんだけどね。
「ボクはキミにバレンタイン以外でも、
常にチョコ以上のものをもらってますからね。
それこそキミから貰えるチョコなら、なんでも嬉しいですよ。
なんだったら、去年と同じ甘いチョコでも構わない。
喜んで食べましょう。
大体、去年の段階ですら拒んでいなかったでしょう?
いまさらボクが好みでないチョコを貰ったからって、
キミに悪い印象を抱く訳がない。
くだらないことで悩むなんてキミもバカですね。
ましてや、あの二人に相談するなんて…」
スラスラと水が流れるように話す観月さん。
それは確かに分かる。
私だって観月さんにもらえるものだったら何でも嬉しいし幸せだ。
でも、そんな事じゃない。
「バカってひどいです!こんなに真剣に悩んでるのに!
観月さんが私からの贈り物を拒むことがないことぐらい知ってます。
だけど、そう言う事じゃなくて…」
上手く口に出来ない。
好きな人の一番喜ぶことをしてあげたいという気持ちは
バカなのかな?
素知らぬ顔をして、一番好きなものを差し出して、
それを見て驚く顔、喜ぶ顔を見るのはいけないことかな?
私自身、泣く女は好きじゃないのに、気づいたら涙が出てきた。
慌てて顔を伏せて、
どうか雫が落ちませんようにと必死に自分に祈る。
せめて、観月さんに気づかれませんように。
だめだ。
一つ、二つ、テニススクールのリノリウムの廊下に小さな水たまりを作ってしまった。
「ちょっ…巴くん!」
さすがに気づかれてしまったみたいだ。
慌てふためいた声色で、さらに私に近づく。
近づかないで。これ以上なにか言わないで。
これ以上刺激されると、逆上した私は何を言うかわからない。
観月さんはすっかりおろおろした表情で私に手を伸ばした。
右手には男の人の持ち物とは思えない綺麗なハンカチ。
おそらく、私の涙を拭おうというのだろう。
そのまえに、観月さんの手をはねのけて
私は自分自身の袖でゴシゴシと涙を拭った。
顔を上げて、まるで観月さんに対して挑むように睨みつけた。
彼にこんな態度を取るなんて初めてだなあと妙な感慨を抱く。
「もういいです!観月さんが一番喜ぶチョコなんて
もう知りたくありません!
あの先輩達に相談してでも、観月さんの喜ぶチョコが知りたかった。
けれど、好きな人の一番好きなものを贈って、
喜ぶ顔が見たいなんて、
結局私の自己満足であって、バカなことなんですよね!
もうバカで結構です!」
結局、私は逆上してしまう。
男の観月さんに乙女心を理解しろというのは無理な話なんだけど、
それでも少しは私の気持ちを汲み取ってくれても良いのに。
そう思うとあまりにも腹立たしくて、悲しくていたたまれなくて、
きびすを返してこの場から走り去ろうとした。
「ともえっ!」
勢いを付けようとした所で、左腕を掴まれる。
おかげで走り去ろうという計画は無に返してしまった。
左腕はさすがテニスプレーヤーの握力で握られて少し痛いけれど、
とっさの時にも利き腕は大事にしてくれる。
観月さんらしいといえばらしい。
「なんなんですか!まだ、お話が残ってるんですか?
弁解なら聞きませんっ!」
私は怒ってるんだから。
それを表明して、
腕を掴んだままの観月さんの手を振り払おうとする。
だけど、もの凄い力でどうしても払うことが出来なかった。
「ボクはっ…!」
観月さんには珍しく荒い声で。
思わず身をビクッと竦めてしまった。
「ボクが好きなのは、
カカオ80%位の洗練されたビターなトリュフですよ!
でも、彼女が作ってくれるって言うんなら外はパリッ中はトロッの
焼きたてのフォンダンショコラなんて食べてみたいですね!
だけど、一番嬉しいのは彼女の気持ちですよ。
ボクのために何を贈ろうかと頭を一杯にしている彼女なんて
チョコよりも大好物ですよ。
悩むのは良い、一杯ボクについて調べようとするのは良い。
でも、それをボク以外の男に相談するなんてもってのほかですよ!
ボクだって人の彼氏です。
他の男に話しかけてる彼女を見るのも嫌なんです。
ましてや、彼女は無防備だし…」
息継ぎもせずここまで一気に観月さんは吐きだした。
さすがに息苦しくなったのか、
大きく深呼吸して私の肩にもたれ掛かるように顔を埋める。
私の肩のあたりから引き続き話し声が聞こえてきた。
先ほどとは違い、殊勝な声で。
「要するに、キミの行為に対して
嫉妬して当たり散らしてしまいました。
スイマセン…もう少し人間が出来ていると思っていたんですが」
言葉の最後の方はもうため息混じりに話している。
どうやら観月さんが珍しく反省しているらしい。
「ちゃんと、私に悪いと思ってますか?」
本当はそんなこと思ってもいないけれど、疑わしげに聞いてみる。
「とうぜんです。許して下さい」
かなり私が怒ったことも、
自分が嫉妬で当たり散らしたことにも罪悪感を持っているらしい。
「私はこんな性格ですから
これからも他の男の人と話したりはすると思いますよ?」
もちろん、好きなのは観月さんだけだけど。
「理性では分かっています。
特にキミは男テニ連中と仲が良いですしね…。
なんとか押さえるように努力しますよ」
すっかり観月さんは消沈した声で、
ちょっときつく当たりすぎたかな。
このあたりでもう厳しくするのは止めにしよう。
「じゃあ、もう良いです。
週末で良ければフォンダンショコラも作ってあげます。
だから、もう顔を上げて観月さんの素敵な顔を私に見せて下さい」
その言葉で観月さんは顔を上げる。
まだすまなそうな顔をしていたけれど。
「フォンダンショコラ…本当に作ってくれますね?約束ですよ?」
そう観月さんは私を窺うような表情で訊いてくる。
それが普段の観月さんでは見られない表情で、
思わず笑いがこみ上げてきた。
観月さんも、私に対してこういう表情をすることがあるんだと知って嬉しくもある。
「ええ、いいですよ、約束しますよ。
本命チョコですし、私の料理の腕全てをかけて作って見せますよ!」
笑顔でそう答えた。
観月さんはホッとした表情に変わる。
「約束…そう、もう一つ約束してくれませんか?」
観月さんがふと思いついたように一つ付け加える。
何だろう?なにか約束するような事項でもあったかな?
考える前にうっかり「はい」と口走ってしまう。
「いいですか?
出来ればボクの前でも控えておいて欲しいくらいですけど…
他の人の前で涙を見せるような行為はしないでくださいね?
キミの涙は人の感情を揺さぶって危険きわまりないですから」
約束と言うから、何かと思えば…。
「そんな、私の涙で動揺するのなんて
観月さんくらいじゃないかと思うんですが…」
彼氏の欲目ってヤツでは?さすがにそれは口にしないけど。
「それでも、いえ、それならそれでいいんです。
キミが泣く所なんて可愛くて仕方がない。
このボクでさえ激しくドキドキしてしまうくらいなんですから、
キミに免疫のない男が見ちゃったらどうなってしまうか分からないじゃないですか!」
そうして、まるで私を独占物だと知らしめるように
私にぎゅっと抱きついた。
観月さんがけっこう嫉妬深いだなんてことも、
今まで気づかなかったけれども、
それよりもチョコの好みはビターなのに、
私に対する態度は限りなくベタ甘だということを
今初めて知ってしまった。
なんだか、凄い発見かも。
END
『リップクリーム』
岐阜の山の中で育った赤月巴でさえも少し音を上げたくなるほどの
寒さと乾燥の中行われた練習は日没で終了となった。
今日は久し振りに巴と観月はテニススクールで練習していた。
本来ならばスクール組の練習も部活の練習も休みだったのだが、
やはり少しでも上達したいと、
申し訳程度に二人で映画を見たあと打ちに来ていた。
流石の寒さで屋外のコートには人が殆どおらず貸し切り状態で
寒ささえ除けばまずまず快適な練習となった。
「あー、もう乾燥して肌はガビガビ喉はガラガラですよ!」
ケホケホと少し咳き込んで、巴はわめく。
練習自体に何ら文句はなくてむしろ楽しいくらいだったが、
やはり天候に関してはついつい文句が出てしまう。
「そうですね、ちょっと今日は酷く乾燥してますからね。
喉も、肌もちゃんとケアした方がイイでしょうね。
うがい薬はちゃんと持ってきてますから、
あとで使いますか?…クリームもあったかな?」
観月はまるで母のようなコメントしながら
巴の肌の乾燥具合を確かめる。
「あっ」
観月はあることに気づいた。
「どうしたんですか?観月さん」
「ちょっとキミの唇も荒れてるようですよ」
観月は巴の唇をなぞりながらそう指摘する。
巴は彼の指の感触に赤面しつつ、鞄の中を探る。
「……あ、わすれた……」
淡い色付きのグロスは入っていたものの、薬用リップがない。
グロスがあるからと忘れてきてしまったようだった。
「仕方ないですね…」
観月は自分のカバンから
チューブ入りのリップクリームを取り出して
自分の指に乗せて巴の唇に直接塗ってやる。
巴は塗り終わるまでじっと観月を見つめて待っている。
かすかに指の触れるその感触はくすぐったいだけじゃなくて
ドキドキする。
「さ、これで良いでしょう」
そんなに時間がかかった訳でもないのに、
長い時間のように感じられ巴はぼーっとしていた。
そして観月の声で呪縛を解かれ、それと同時に巴もまた気づいた。
「あ、観月さんも少し荒れちゃってますね、私が塗ってあげますよ」
「そうですか?ありがとう」
そう言って観月はリップクリームを手渡そうとしたが、
その差し出した手を巴にぐいっと引かれて体勢を崩す。
「……」
巴は自分の唇についたリップクリームを
そのまま観月に移すことにした。
しばらく巴はその作業に没頭する。
最初の一瞬こそ観月も驚いたものの、
巴の腰に手を回して積極的に協力する。
「ところで…ボクは思うんですけどね…」
巴の身体が崩れ落ちそうになるまでクリームを付け合って
身を離すときに観月は呟いた。
「これって、クリームを舐め取りこそすれ
塗り合うことにはならないんじゃないですかね?」
巴は自分のしでかしたことと先ほどの余韻に顔を赤らめながら
観月の言いたい意味に気づく。
なけなしの勇気にツッコミを入れられてはもうどうしようもない。
「あっ…あああそっそうですね…!」
すっかり慌てふためく巴を眺めて、
観月は人の悪い笑みを浮かべる。大胆なことをやっておきながらも
些細なツッコミですっかりうろたえる彼女を
とても可愛いと思いながら。
「なんなら、もう一度“おとなしめ”にやってみましょうか?
今度こそちゃんと付くかもしれませんよ?
━━━もっとも、何度もしていれば
もうクリームもいらないくらい潤うでしょうけどね?」
END
岐阜の山の中で育った赤月巴でさえも少し音を上げたくなるほどの
寒さと乾燥の中行われた練習は日没で終了となった。
今日は久し振りに巴と観月はテニススクールで練習していた。
本来ならばスクール組の練習も部活の練習も休みだったのだが、
やはり少しでも上達したいと、
申し訳程度に二人で映画を見たあと打ちに来ていた。
流石の寒さで屋外のコートには人が殆どおらず貸し切り状態で
寒ささえ除けばまずまず快適な練習となった。
「あー、もう乾燥して肌はガビガビ喉はガラガラですよ!」
ケホケホと少し咳き込んで、巴はわめく。
練習自体に何ら文句はなくてむしろ楽しいくらいだったが、
やはり天候に関してはついつい文句が出てしまう。
「そうですね、ちょっと今日は酷く乾燥してますからね。
喉も、肌もちゃんとケアした方がイイでしょうね。
うがい薬はちゃんと持ってきてますから、
あとで使いますか?…クリームもあったかな?」
観月はまるで母のようなコメントしながら
巴の肌の乾燥具合を確かめる。
「あっ」
観月はあることに気づいた。
「どうしたんですか?観月さん」
「ちょっとキミの唇も荒れてるようですよ」
観月は巴の唇をなぞりながらそう指摘する。
巴は彼の指の感触に赤面しつつ、鞄の中を探る。
「……あ、わすれた……」
淡い色付きのグロスは入っていたものの、薬用リップがない。
グロスがあるからと忘れてきてしまったようだった。
「仕方ないですね…」
観月は自分のカバンから
チューブ入りのリップクリームを取り出して
自分の指に乗せて巴の唇に直接塗ってやる。
巴は塗り終わるまでじっと観月を見つめて待っている。
かすかに指の触れるその感触はくすぐったいだけじゃなくて
ドキドキする。
「さ、これで良いでしょう」
そんなに時間がかかった訳でもないのに、
長い時間のように感じられ巴はぼーっとしていた。
そして観月の声で呪縛を解かれ、それと同時に巴もまた気づいた。
「あ、観月さんも少し荒れちゃってますね、私が塗ってあげますよ」
「そうですか?ありがとう」
そう言って観月はリップクリームを手渡そうとしたが、
その差し出した手を巴にぐいっと引かれて体勢を崩す。
「……」
巴は自分の唇についたリップクリームを
そのまま観月に移すことにした。
しばらく巴はその作業に没頭する。
最初の一瞬こそ観月も驚いたものの、
巴の腰に手を回して積極的に協力する。
「ところで…ボクは思うんですけどね…」
巴の身体が崩れ落ちそうになるまでクリームを付け合って
身を離すときに観月は呟いた。
「これって、クリームを舐め取りこそすれ
塗り合うことにはならないんじゃないですかね?」
巴は自分のしでかしたことと先ほどの余韻に顔を赤らめながら
観月の言いたい意味に気づく。
なけなしの勇気にツッコミを入れられてはもうどうしようもない。
「あっ…あああそっそうですね…!」
すっかり慌てふためく巴を眺めて、
観月は人の悪い笑みを浮かべる。大胆なことをやっておきながらも
些細なツッコミですっかりうろたえる彼女を
とても可愛いと思いながら。
「なんなら、もう一度“おとなしめ”にやってみましょうか?
今度こそちゃんと付くかもしれませんよ?
━━━もっとも、何度もしていれば
もうクリームもいらないくらい潤うでしょうけどね?」
END
一人の夜って初めてかもしれないと赤月巴は思った。
それが今日この日
━━━大晦日及びお正月だなんてなんて不幸なんだろう。
*年越し
あーあ。
孤独に自分の部屋の小さなテレビで紅白を見ながら
大きくため息をつく。
最初は、こんな筈ではなかった。
聖ルドルフ学院女子寮で
小さなニューイヤーパーティーを開くつもりでいた。
寮生の粗方は実家へと帰宅したが、
実家が遠いもの、
家庭の事情があるものなどはそのまま寮に残っていた。
巴も、帰ろうと思えば岐阜の実家に帰ることも出来たのだが、
何人かの友人が寮に残るといっていたし、
29日まで部活で、
3日からまた部活といった忙しいスケジュールでは
帰宅するのも躊躇われてそのまま残ることにした。
「あー…リョーマくんちにでも行けば良かったかなあ」
ふと越前家を懐かしむ。
先日、菜々子から寮にいるくらいなら
越前家に来ないかと誘われたのだ。
しかしながら、リョーマとはなんとなく顔をあわせづらかったのと
彼氏である観月はじめが良い顔しないだろうと断ってしまったのだ。
それにまさか、
自分がひとりぼっちになってしまうとは思わなかったから。
一番仲良しの早川楓こそ実家に帰ってしまったが、
寮には案外仲の良い子ばかりが残ることになっており、
それなりに巴は楽しみにしていた。
普段は口うるさい寮母も流石に年末年始は里帰りするために不在。
おもいっきり仲良し同士羽目を外すチャンスだと思っていた。
しかし31日になってその友人達も家の事情や、
彼氏や別の友人達と過ごすと言った理由で皆出払ってしまった。
そういうわけで、いま巴は一人寂しく過ごしている。
寮母や寮長から様々な引き継ぎや鍵などを預かっている都合上、
もはや巴だけはどこへも出ることは叶わない。
彼女に出来るのは、
紅白を見てゆく年くる年を見て寝ることだけだった。
………………
…………
聴き慣れない演歌などを聴いていたら
いつの間にか寝てしまっていたらしい。
巴はいつの間にか床の上に寝転がっていた。
頭と目の前が未だ醒めやらずボンヤリしたままだ。
「……え?」
なんだか人の気配を感じる。
いまの時間帯、寮にいるのは自分だけの筈なのに、何故?
慌てて、飛び起きて首を周囲に巡らすと、
そこにはいるはずのない、観月の姿があった。
「……観月さん……?」
私はまだ眠っているのだろうか?
自分自身が信じられず、巴は自分の頬を自らつねってみた。
イタイ。
どうやら現実らしい。
「んふっ、キミはまだ寝ぼけているんですか?」
ぼんやりしたり、動揺したりと
クルクル表情を変える巴を微笑ましく見つめる観月の表情に
巴は今更ながらドキドキしてしまう。
観月の普段他人には見せることのないとろけるような優しい表情を
自分がさせていると思うととても正気ではいられないし、
信じられない。
この人は一体自分のどこを好きになったのだろう?
いつも心の中で繰り返す疑問。
しかし、とりあえずそれは置いておいて、
「寝ぼけているも何も…
観月さんがここにいることがおかしいんですよ」
ありのまま、思ったことを口にする。
自分一人しかいないとはいえ、女子寮だ。
観月といえども簡単に侵入できるはずもない。
「…ボクを誰だと思ってるんですか?」
笑いを含ませながら、観月はポケットから鍵を一つ取り出した。
「あっ、寮の合鍵…?」
観月の持つ鍵には見慣れたキーホルダー、
寮長がいつも持つ合鍵についているものと同じものだった。
現寮長はテニス部の早川楓。
つまり観月と通じていたとしてもおかしくなかったのだ。
そう考えると、巴が一人で年末を過ごすことなど
簡単に知ることが出来ただろう。
早川の厚意か、観月の脅迫かそのどちらかで今彼はここにいるのだ。多分。
「そうです。これで納得できましたか?
もっともボク自身はもうちょっと早い時間に
キミの元へ行きたかったんですけどね。
ボクも現在は高一…まだまだ寮内では若輩者ですから、
先輩の目を盗むのはなかなか難しいものがありましてね
…すいません」
現在、高等部の寮に住まう観月にも色々あるようで、
いくらあの観月といえども先輩達には気を使うものらしい。
特に異性関係は大変難しいもの━━━例えばからかわれたり、
仲を壊されたりといろいろとあるのだと
以前、観月と同じ寮の柳沢が巴に話していた。
先輩の目を誤魔化しつつ寮を忍び出る観月の姿は想像しがたい。
彼なら先輩の目など気にせずに堂々としていそうなタイプだからだ。
「じゃあ、どうやって誤魔化してここまできたんですか?」
とりあえず、想像できないので訊いてみる。
「柳沢と結託して、先輩達を全員酔い潰してきました。
……ま、明日の昼までは昼までは皆さん起きあがることもままならないでしょうね」
なぜ東京が実家の筈の柳沢が寮に残ったままなのかという謎は
さておいて、
巴は思いも寄らない答えに顔を青ざめさせる。
いかなる手段を用いて酔い潰させたかは追求しないほうが良さそうである。
明らかに、怖い答えが返ってきそうだ。
「…ま、まあ、何はともあれ、
私のところへ来ていただいて嬉しいです。
今年の年越しは寂しいことになるんだろうと思っていましたから」
「いえ…キミに寂しい思いなんてさせませんよ、
ボクが彼氏でいる限りは」
何とも頼もしい答えに、巴の先ほどまで寂しいと思っていた気持ちは
どこかへ飛んでいってしまったようだ。
嬉しくておもわず、観月へと身体を寄せる。
観月もそれを待ち受けていて巴の身体を柔らかく包み込む。
今年一年の終わりを一番好きな人と迎えられるなんて、幸せなことだなと巴は思う。
ちょっとうっとりした所でふとあることに気づく。
「あっ…観月さん?もしかして、観月さんもお酒飲みました?」
彼の身体から少し酒の匂いが漂う。
まだ未成年なのに!と非難がましい声で観月を咎める。
普段から一流のプレイヤーとなるように自制を煩く説いているのは彼なのだから仕方ない。
「……まあ、多少は。男子寮ですからね、
こういうコトは多少ありますよ。
普段は断っていますが…今日は酔い潰すのが目的でしたからね。
大丈夫です、我を失うくらい飲んでいる訳ではありませんですから」
「そうは言われても!未成年はお酒飲んじゃダメなんですよ!
あっ!まさか、
今までの発言も酔った上でのことじゃないですよね?」
本当に酔っている人間は大抵酔っていないと言い張る。
巴の父も越前南次郎もそうだったように。
なので、おそるおそる訊いてみる。
もっとも本当に酔っている相手に訊くのであれば、
まともな答えは期待できないのだが。
「まさか。このボクは山形生まれですよ?
日本酒の1合や2合で酔う訳無いでしょう?」
何となく酔っぱらい理論のような気がする。
普段、完璧なまでに自分をもコントロールする彼のことだ、
本当に目的のためだけに飲んだのだろうが…。
「でも…まあ、そうですね」
観月が呟くように声を出す。
巴が返事をする前に、観月は巴への束縛を強くして唇を寄せる。
「えっ…み観月さん?」
「そうですね、どうせ酔っていると思われているのなら
それでも構わないですね。
このまま酔いに任せてしまうことにしますか
なに、酔っぱらいのしていることです。潔く諦めてください」
そのまま観月の唇は耳元へ首筋へとせわしなく動いていく。
「ちょ、ちょっと…」
突然の行為に巴は慌てふためく。
確かに誰もいない寮に二人きりで…
そう言うことになってもおかしくないかもしれない。
しかし。
「心の準備ってものが……観月さんっ」
「準備なら、今しなさい。ボクはそんなに待てませんよ、
何しろ酔ってますからね」
もしかしたら本当は、本当に酔っていないのかもしれない。
巴はそう思い始める。
なにしろ、これまで付き合ってきた時間のなかで
決定的に足りなかったものは
こういう雰囲気になる場所とチャンスなのだから。
ぐるぐるぐるぐると巴の脳内はフル回転だ。
どうしよう、いいかも、でも、やっぱり、こわい、だけど、すき。
そうこうしている間にも観月の動きは大胆になっていく。
これは、もう覚悟を決めるしかないのかもしれないと、
硬くしていた身を観月に委ねる。
たまには流れに乗ってみることも必要だ。
「巴くん、愛してますよ、大事にしますから」
観月の声に喜びと優しさが滲む。
彼の一言で巴の気負いも緩む。
その一言だけで充分幸せだと思った。
その時、ちょうど除夜の鐘の一撞き目が外に響き渡った。
低く重い荘厳な鐘の音を聴きながら巴は観月に応えようとした。
二人はそのまま床に沈み込む。
「…………………………観月さん?」
やっぱり。
安堵半分、落胆半分といったところだ。
やっぱり酔ってるじゃない。
観月は崩れ落ちるように床に倒れ込み、そのまま眠りについてしまっていた。
時計を見ると丁度0時を指していた。
とんだ年越しになってしまったようだ。
「あけましておめでとうございます、観月さん」
やれやれと思いながら巴は自分の布団を観月に掛けてやる。
しかし少し眉を動かす程度で目を覚まさない。
外では相変わらず除夜の鐘が響いている。
鐘の音には煩悩を祓う力があると言うが、
観月にまで影響してしまったのだろうか。
しかし、実際のところ観月はどこまで正気だったのだろう。
最後まで?それとも最初から正気ではなかった?
もちろん、巴としてみれば前者であって欲しい。
「愛してますよ、大事にしますから」の言葉が
酔いに任せたものと思いたくない。
あくまで本心であって欲しい。
平和そうな顔をして眠る観月を憎たらしく思う。
新年早々、こんなに自分の心を引っかき回していくなんて。
しかし、何はともあれ自分の元に訪ねて来てくれたことで
寂しかった、不幸がっていた気持ちはどこかに行ってしまったことには感謝する。
なにより一人寂しい年越しを回避するどころか、
好きな人との年越しになったのだ。
「目が覚めたら、どうしようかな?ねえ、観月さん?」
朝、目が覚めて自分が夜にしたことを思い出したら、
彼はきっと後悔するだろう。
自分の行為を悔い、必死に謝罪をするのだろう。
特に酒の勢いを借りる行為など彼自身が嫌うことの一つだろうから。
その態度はきっと真摯なものに違いない。
でもくやしいから、しばらくは許してあげないことにしよう。
スポーツドクターの卵として未成年の飲酒の弊害について講義しようか?
だけど全く覚えていなかったら?
巴は少し不安になる。
観月が酔ったところなど初めて見るからどういう風に酔うのか分からないけれど
記憶を失うものもいると言うし、観月もそうだったらどうしようか。
それは、ここまでされて覚悟を決めさせておきながら酷すぎる。
罰ゲームでもさせる?
それよりテニス部メンバーに話してしまおうか。
脳内でいろいろシミュレートしてみる。
世の中には、「好きだからオッケー」では
済まされないことはたくさんある。
「でも、とりあえずは…こんな時間だしね」
もう新しい年になってしまった。
巴は特に深夜番組には興味がなかったし、
夜更かし自体好きではなかったので
そのまま寝てしまうことにした。
もちろん、寮住まいであるがゆえ布団は一組しかない。
ごそごそと観月の隣へ潜り込む。
「おやすみなさい、観月さん」
目が覚めたら観月はこの状況をどう思うのだろうか。
その事を考えると少し朝が楽しみだ。
巴が隣で寄り添っても全く気付きもしない観月に
ひとつおやすみのキスを落とし、
彼の体温にくるまって巴も眠りについた。
新年の朝一番に見る顔が大好きな人の顔だというのは、
なんて素敵なことだろう。
もっともその新年の朝は、いきなり荒れそうな雰囲気なのだけれど。
END
それが今日この日
━━━大晦日及びお正月だなんてなんて不幸なんだろう。
*年越し
あーあ。
孤独に自分の部屋の小さなテレビで紅白を見ながら
大きくため息をつく。
最初は、こんな筈ではなかった。
聖ルドルフ学院女子寮で
小さなニューイヤーパーティーを開くつもりでいた。
寮生の粗方は実家へと帰宅したが、
実家が遠いもの、
家庭の事情があるものなどはそのまま寮に残っていた。
巴も、帰ろうと思えば岐阜の実家に帰ることも出来たのだが、
何人かの友人が寮に残るといっていたし、
29日まで部活で、
3日からまた部活といった忙しいスケジュールでは
帰宅するのも躊躇われてそのまま残ることにした。
「あー…リョーマくんちにでも行けば良かったかなあ」
ふと越前家を懐かしむ。
先日、菜々子から寮にいるくらいなら
越前家に来ないかと誘われたのだ。
しかしながら、リョーマとはなんとなく顔をあわせづらかったのと
彼氏である観月はじめが良い顔しないだろうと断ってしまったのだ。
それにまさか、
自分がひとりぼっちになってしまうとは思わなかったから。
一番仲良しの早川楓こそ実家に帰ってしまったが、
寮には案外仲の良い子ばかりが残ることになっており、
それなりに巴は楽しみにしていた。
普段は口うるさい寮母も流石に年末年始は里帰りするために不在。
おもいっきり仲良し同士羽目を外すチャンスだと思っていた。
しかし31日になってその友人達も家の事情や、
彼氏や別の友人達と過ごすと言った理由で皆出払ってしまった。
そういうわけで、いま巴は一人寂しく過ごしている。
寮母や寮長から様々な引き継ぎや鍵などを預かっている都合上、
もはや巴だけはどこへも出ることは叶わない。
彼女に出来るのは、
紅白を見てゆく年くる年を見て寝ることだけだった。
………………
…………
聴き慣れない演歌などを聴いていたら
いつの間にか寝てしまっていたらしい。
巴はいつの間にか床の上に寝転がっていた。
頭と目の前が未だ醒めやらずボンヤリしたままだ。
「……え?」
なんだか人の気配を感じる。
いまの時間帯、寮にいるのは自分だけの筈なのに、何故?
慌てて、飛び起きて首を周囲に巡らすと、
そこにはいるはずのない、観月の姿があった。
「……観月さん……?」
私はまだ眠っているのだろうか?
自分自身が信じられず、巴は自分の頬を自らつねってみた。
イタイ。
どうやら現実らしい。
「んふっ、キミはまだ寝ぼけているんですか?」
ぼんやりしたり、動揺したりと
クルクル表情を変える巴を微笑ましく見つめる観月の表情に
巴は今更ながらドキドキしてしまう。
観月の普段他人には見せることのないとろけるような優しい表情を
自分がさせていると思うととても正気ではいられないし、
信じられない。
この人は一体自分のどこを好きになったのだろう?
いつも心の中で繰り返す疑問。
しかし、とりあえずそれは置いておいて、
「寝ぼけているも何も…
観月さんがここにいることがおかしいんですよ」
ありのまま、思ったことを口にする。
自分一人しかいないとはいえ、女子寮だ。
観月といえども簡単に侵入できるはずもない。
「…ボクを誰だと思ってるんですか?」
笑いを含ませながら、観月はポケットから鍵を一つ取り出した。
「あっ、寮の合鍵…?」
観月の持つ鍵には見慣れたキーホルダー、
寮長がいつも持つ合鍵についているものと同じものだった。
現寮長はテニス部の早川楓。
つまり観月と通じていたとしてもおかしくなかったのだ。
そう考えると、巴が一人で年末を過ごすことなど
簡単に知ることが出来ただろう。
早川の厚意か、観月の脅迫かそのどちらかで今彼はここにいるのだ。多分。
「そうです。これで納得できましたか?
もっともボク自身はもうちょっと早い時間に
キミの元へ行きたかったんですけどね。
ボクも現在は高一…まだまだ寮内では若輩者ですから、
先輩の目を盗むのはなかなか難しいものがありましてね
…すいません」
現在、高等部の寮に住まう観月にも色々あるようで、
いくらあの観月といえども先輩達には気を使うものらしい。
特に異性関係は大変難しいもの━━━例えばからかわれたり、
仲を壊されたりといろいろとあるのだと
以前、観月と同じ寮の柳沢が巴に話していた。
先輩の目を誤魔化しつつ寮を忍び出る観月の姿は想像しがたい。
彼なら先輩の目など気にせずに堂々としていそうなタイプだからだ。
「じゃあ、どうやって誤魔化してここまできたんですか?」
とりあえず、想像できないので訊いてみる。
「柳沢と結託して、先輩達を全員酔い潰してきました。
……ま、明日の昼までは昼までは皆さん起きあがることもままならないでしょうね」
なぜ東京が実家の筈の柳沢が寮に残ったままなのかという謎は
さておいて、
巴は思いも寄らない答えに顔を青ざめさせる。
いかなる手段を用いて酔い潰させたかは追求しないほうが良さそうである。
明らかに、怖い答えが返ってきそうだ。
「…ま、まあ、何はともあれ、
私のところへ来ていただいて嬉しいです。
今年の年越しは寂しいことになるんだろうと思っていましたから」
「いえ…キミに寂しい思いなんてさせませんよ、
ボクが彼氏でいる限りは」
何とも頼もしい答えに、巴の先ほどまで寂しいと思っていた気持ちは
どこかへ飛んでいってしまったようだ。
嬉しくておもわず、観月へと身体を寄せる。
観月もそれを待ち受けていて巴の身体を柔らかく包み込む。
今年一年の終わりを一番好きな人と迎えられるなんて、幸せなことだなと巴は思う。
ちょっとうっとりした所でふとあることに気づく。
「あっ…観月さん?もしかして、観月さんもお酒飲みました?」
彼の身体から少し酒の匂いが漂う。
まだ未成年なのに!と非難がましい声で観月を咎める。
普段から一流のプレイヤーとなるように自制を煩く説いているのは彼なのだから仕方ない。
「……まあ、多少は。男子寮ですからね、
こういうコトは多少ありますよ。
普段は断っていますが…今日は酔い潰すのが目的でしたからね。
大丈夫です、我を失うくらい飲んでいる訳ではありませんですから」
「そうは言われても!未成年はお酒飲んじゃダメなんですよ!
あっ!まさか、
今までの発言も酔った上でのことじゃないですよね?」
本当に酔っている人間は大抵酔っていないと言い張る。
巴の父も越前南次郎もそうだったように。
なので、おそるおそる訊いてみる。
もっとも本当に酔っている相手に訊くのであれば、
まともな答えは期待できないのだが。
「まさか。このボクは山形生まれですよ?
日本酒の1合や2合で酔う訳無いでしょう?」
何となく酔っぱらい理論のような気がする。
普段、完璧なまでに自分をもコントロールする彼のことだ、
本当に目的のためだけに飲んだのだろうが…。
「でも…まあ、そうですね」
観月が呟くように声を出す。
巴が返事をする前に、観月は巴への束縛を強くして唇を寄せる。
「えっ…み観月さん?」
「そうですね、どうせ酔っていると思われているのなら
それでも構わないですね。
このまま酔いに任せてしまうことにしますか
なに、酔っぱらいのしていることです。潔く諦めてください」
そのまま観月の唇は耳元へ首筋へとせわしなく動いていく。
「ちょ、ちょっと…」
突然の行為に巴は慌てふためく。
確かに誰もいない寮に二人きりで…
そう言うことになってもおかしくないかもしれない。
しかし。
「心の準備ってものが……観月さんっ」
「準備なら、今しなさい。ボクはそんなに待てませんよ、
何しろ酔ってますからね」
もしかしたら本当は、本当に酔っていないのかもしれない。
巴はそう思い始める。
なにしろ、これまで付き合ってきた時間のなかで
決定的に足りなかったものは
こういう雰囲気になる場所とチャンスなのだから。
ぐるぐるぐるぐると巴の脳内はフル回転だ。
どうしよう、いいかも、でも、やっぱり、こわい、だけど、すき。
そうこうしている間にも観月の動きは大胆になっていく。
これは、もう覚悟を決めるしかないのかもしれないと、
硬くしていた身を観月に委ねる。
たまには流れに乗ってみることも必要だ。
「巴くん、愛してますよ、大事にしますから」
観月の声に喜びと優しさが滲む。
彼の一言で巴の気負いも緩む。
その一言だけで充分幸せだと思った。
その時、ちょうど除夜の鐘の一撞き目が外に響き渡った。
低く重い荘厳な鐘の音を聴きながら巴は観月に応えようとした。
二人はそのまま床に沈み込む。
「…………………………観月さん?」
やっぱり。
安堵半分、落胆半分といったところだ。
やっぱり酔ってるじゃない。
観月は崩れ落ちるように床に倒れ込み、そのまま眠りについてしまっていた。
時計を見ると丁度0時を指していた。
とんだ年越しになってしまったようだ。
「あけましておめでとうございます、観月さん」
やれやれと思いながら巴は自分の布団を観月に掛けてやる。
しかし少し眉を動かす程度で目を覚まさない。
外では相変わらず除夜の鐘が響いている。
鐘の音には煩悩を祓う力があると言うが、
観月にまで影響してしまったのだろうか。
しかし、実際のところ観月はどこまで正気だったのだろう。
最後まで?それとも最初から正気ではなかった?
もちろん、巴としてみれば前者であって欲しい。
「愛してますよ、大事にしますから」の言葉が
酔いに任せたものと思いたくない。
あくまで本心であって欲しい。
平和そうな顔をして眠る観月を憎たらしく思う。
新年早々、こんなに自分の心を引っかき回していくなんて。
しかし、何はともあれ自分の元に訪ねて来てくれたことで
寂しかった、不幸がっていた気持ちはどこかに行ってしまったことには感謝する。
なにより一人寂しい年越しを回避するどころか、
好きな人との年越しになったのだ。
「目が覚めたら、どうしようかな?ねえ、観月さん?」
朝、目が覚めて自分が夜にしたことを思い出したら、
彼はきっと後悔するだろう。
自分の行為を悔い、必死に謝罪をするのだろう。
特に酒の勢いを借りる行為など彼自身が嫌うことの一つだろうから。
その態度はきっと真摯なものに違いない。
でもくやしいから、しばらくは許してあげないことにしよう。
スポーツドクターの卵として未成年の飲酒の弊害について講義しようか?
だけど全く覚えていなかったら?
巴は少し不安になる。
観月が酔ったところなど初めて見るからどういう風に酔うのか分からないけれど
記憶を失うものもいると言うし、観月もそうだったらどうしようか。
それは、ここまでされて覚悟を決めさせておきながら酷すぎる。
罰ゲームでもさせる?
それよりテニス部メンバーに話してしまおうか。
脳内でいろいろシミュレートしてみる。
世の中には、「好きだからオッケー」では
済まされないことはたくさんある。
「でも、とりあえずは…こんな時間だしね」
もう新しい年になってしまった。
巴は特に深夜番組には興味がなかったし、
夜更かし自体好きではなかったので
そのまま寝てしまうことにした。
もちろん、寮住まいであるがゆえ布団は一組しかない。
ごそごそと観月の隣へ潜り込む。
「おやすみなさい、観月さん」
目が覚めたら観月はこの状況をどう思うのだろうか。
その事を考えると少し朝が楽しみだ。
巴が隣で寄り添っても全く気付きもしない観月に
ひとつおやすみのキスを落とし、
彼の体温にくるまって巴も眠りについた。
新年の朝一番に見る顔が大好きな人の顔だというのは、
なんて素敵なことだろう。
もっともその新年の朝は、いきなり荒れそうな雰囲気なのだけれど。
END
困った。
ネタがない。
赤月巴と観月はじめは出会ってから3年が過ぎていた。
バレンタインに誕生日にクリスマスにそれ以外の記念日にも
お互いがお互いのためを考えてプレゼントを贈り合っていた。
趣味に関係するもの、好きなもの。
もちろんテニスに関するものも思いつく限り贈った。
そうして、今年のクリスマスプレゼントは
気づいたらネタが尽きていた。
---
ネタが尽きて…という話を素直に観月に話したら、こう尋ねられた。
「それで?キミは結局ボクに何をくれるというのです?」
結局巴が選んだのは自分とペアのペンダント。
無難すぎるチョイスだ。
自分でも無難すぎることは分かり切っているので、
なかなか言い出しづらい。
「えっ、えーと…わたしでーす。えへへ」
とりあえず冗談めかしてそう言ってみる。
すると一瞬顔を赤らめた観月だったが、
その顔はすぐに引き締まり冷たい口調で答えた。
「馬鹿なことを言わない」
「べっ、別に馬鹿なことだとは思いませんよっ!」
思いつきで口にした言葉だったが、
たとえ本当にそう言うことになったとしても異論はないので
思わずムキになって反論してしまう。
しかし、相変わらず観月の表情は締まったままだ。
「馬鹿なこと、ですよ。ボクにとってはね。
そんな安易なことでキミに飛びつくような男には
なりたくないですから。
それに、そのプレゼントはもうすでに貰ってますからね、
それこそマンネリですよ」
観月はそう言いきってから、ようやく顔をゆるめる。
そして巴が後ろ手に隠し持っていた紙袋をさっと奪い取る。
反射神経も良い巴から綺麗に奪い取れる
タイミングを窺っていたのだ。
「あっ…!」
アクセサリーショップのロゴの入った小さな紙袋を観月は眺めた。
「そうですか、アクセサリーですね。
ここのブランドはムダのない綺麗なデザインですから好きですよ。
今キミの胸元で揺れている見慣れないユニセックスなペンダントと
お揃いなんでしょう?
ありがとうございます、大切にしますよ」
すっかり観月は巴を読み切っている。
巴は悔しい気持ち半分、
分かってくれてる嬉しさ半分と言ったところだ。
「アクセサリーとは奇遇ですね、
じゃあボクもキミにプレゼントしましょう」
そう言って観月は巴の左手を取り、自分に引き寄せる。
そして薬指から現在巴が嵌めていた、
かつて自分が贈った指輪を抜き取り、
彼は違う指輪を新たに嵌めた。
「観月さん?これは…?」
一見、シンプルな指輪に見えるが、
よく見ると先日巴が欲しいと思っていた3連リングの一つのようだ。
3つ併せて身に着けるとクローバーのリングへと形を変えるもの、
どうやら、そのリングのようだ。
以前、ショウケースの前で
よだれを垂らしそうになりながら眺めていたのを
どうやら観月は覚えていたらしい。
「これって、あのクローバーの?」
「ええ、欲しがっていたでしょう?」
「はい…でも、あの、これ3連ですよね?」
しかし、指に嵌っているのは1つだけ。
一体どういったことなのかよく分からず首をかしげる。
「んふっ、来年のクリスマスに2つ目、
再来年に3つ目を贈りますよ。
つまり、3年経ったら幸運をもたらすクローバーになるんです」
巴は言っている意味自体は分かったが、その真意が掴めない。
ただ、不思議そうな顔をして観月が言葉を続けるのを待った。
「キミの指のクローバーは次の年のクリスマスに
きっとダイヤの指輪に変わります。
さらに、その次の年にはボクとお揃いのプラチナの指輪に
━━━どうですか?」
いくら鈍い巴とはいえ、観月の言わんとすることは流石に分かった。
分かった途端、嬉しすぎて体中の力が抜けてしまった。
足がガクッとなったところで、観月は慌てて抱き留めて支える。
「巴くん…?大丈夫ですか?」
まさか、巴が嫌がって力を無くしたとは観月も思っていないが
それでも心配そうに彼女の顔をのぞき込む。
巴は顔も赤いが、まなじりも赤く潤んでいる。
普段見慣れないその表情に、
観月は彼女には未だ自分の見知らぬ面があることを嬉しく思った。
「大丈夫です━━━嬉しくて力が抜けただけですから」
「嬉しい?それは良かった。受け取って貰えると言うことですよね」
観月は巴を抱き留めていた腕に力と想いを込め、
巴は彼の背中に腕を回した。
巴の耳元近くで観月のため息混じりの声がする。
「しかし…毎年クリスマスに指輪を贈るって
…ボクの方がマンネリなんでしょうかね?」
END
ネタがない。
赤月巴と観月はじめは出会ってから3年が過ぎていた。
バレンタインに誕生日にクリスマスにそれ以外の記念日にも
お互いがお互いのためを考えてプレゼントを贈り合っていた。
趣味に関係するもの、好きなもの。
もちろんテニスに関するものも思いつく限り贈った。
そうして、今年のクリスマスプレゼントは
気づいたらネタが尽きていた。
---
ネタが尽きて…という話を素直に観月に話したら、こう尋ねられた。
「それで?キミは結局ボクに何をくれるというのです?」
結局巴が選んだのは自分とペアのペンダント。
無難すぎるチョイスだ。
自分でも無難すぎることは分かり切っているので、
なかなか言い出しづらい。
「えっ、えーと…わたしでーす。えへへ」
とりあえず冗談めかしてそう言ってみる。
すると一瞬顔を赤らめた観月だったが、
その顔はすぐに引き締まり冷たい口調で答えた。
「馬鹿なことを言わない」
「べっ、別に馬鹿なことだとは思いませんよっ!」
思いつきで口にした言葉だったが、
たとえ本当にそう言うことになったとしても異論はないので
思わずムキになって反論してしまう。
しかし、相変わらず観月の表情は締まったままだ。
「馬鹿なこと、ですよ。ボクにとってはね。
そんな安易なことでキミに飛びつくような男には
なりたくないですから。
それに、そのプレゼントはもうすでに貰ってますからね、
それこそマンネリですよ」
観月はそう言いきってから、ようやく顔をゆるめる。
そして巴が後ろ手に隠し持っていた紙袋をさっと奪い取る。
反射神経も良い巴から綺麗に奪い取れる
タイミングを窺っていたのだ。
「あっ…!」
アクセサリーショップのロゴの入った小さな紙袋を観月は眺めた。
「そうですか、アクセサリーですね。
ここのブランドはムダのない綺麗なデザインですから好きですよ。
今キミの胸元で揺れている見慣れないユニセックスなペンダントと
お揃いなんでしょう?
ありがとうございます、大切にしますよ」
すっかり観月は巴を読み切っている。
巴は悔しい気持ち半分、
分かってくれてる嬉しさ半分と言ったところだ。
「アクセサリーとは奇遇ですね、
じゃあボクもキミにプレゼントしましょう」
そう言って観月は巴の左手を取り、自分に引き寄せる。
そして薬指から現在巴が嵌めていた、
かつて自分が贈った指輪を抜き取り、
彼は違う指輪を新たに嵌めた。
「観月さん?これは…?」
一見、シンプルな指輪に見えるが、
よく見ると先日巴が欲しいと思っていた3連リングの一つのようだ。
3つ併せて身に着けるとクローバーのリングへと形を変えるもの、
どうやら、そのリングのようだ。
以前、ショウケースの前で
よだれを垂らしそうになりながら眺めていたのを
どうやら観月は覚えていたらしい。
「これって、あのクローバーの?」
「ええ、欲しがっていたでしょう?」
「はい…でも、あの、これ3連ですよね?」
しかし、指に嵌っているのは1つだけ。
一体どういったことなのかよく分からず首をかしげる。
「んふっ、来年のクリスマスに2つ目、
再来年に3つ目を贈りますよ。
つまり、3年経ったら幸運をもたらすクローバーになるんです」
巴は言っている意味自体は分かったが、その真意が掴めない。
ただ、不思議そうな顔をして観月が言葉を続けるのを待った。
「キミの指のクローバーは次の年のクリスマスに
きっとダイヤの指輪に変わります。
さらに、その次の年にはボクとお揃いのプラチナの指輪に
━━━どうですか?」
いくら鈍い巴とはいえ、観月の言わんとすることは流石に分かった。
分かった途端、嬉しすぎて体中の力が抜けてしまった。
足がガクッとなったところで、観月は慌てて抱き留めて支える。
「巴くん…?大丈夫ですか?」
まさか、巴が嫌がって力を無くしたとは観月も思っていないが
それでも心配そうに彼女の顔をのぞき込む。
巴は顔も赤いが、まなじりも赤く潤んでいる。
普段見慣れないその表情に、
観月は彼女には未だ自分の見知らぬ面があることを嬉しく思った。
「大丈夫です━━━嬉しくて力が抜けただけですから」
「嬉しい?それは良かった。受け取って貰えると言うことですよね」
観月は巴を抱き留めていた腕に力と想いを込め、
巴は彼の背中に腕を回した。
巴の耳元近くで観月のため息混じりの声がする。
「しかし…毎年クリスマスに指輪を贈るって
…ボクの方がマンネリなんでしょうかね?」
END
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