*SPF∞
観月はじめは深くため息をついた。
しかし、それは自分に対してではない、
彼の眼前で生き生きとラケットを振る彼女に対してだ。
その目の前の彼女、赤月巴は夏の強い日差しにも負けず、
元気よくコートを跳ね回っている。
飛び散る汗も、彼女のものだと思うとキラキラと輝いて見える。
熱さと日差しに火照った彼女の肌は赤く光っている。
とても健康的な美しさでありながらため息の原因はこれだ。
赤く火照った肌。
あきらかに、日焼けだ。
巴は山だしということもあってか、あまり化粧っ気が無い。
それどころか、スキンケアという概念も持っているかどうか怪しい。
なにやら女友達の説得の甲斐あって、なにかしら塗ってはいるようではあるが
日焼け止めにまで手を回しているようにはとても見えない。
4月、紫外線が日に日に強烈になっていこうとする中、
観月はさりげなくUVケアについて巴に講義したのだったが
どうやらその事については失念、もしくは無視しているようだった。
そして今は7月━━━よって、観月はため息をつく。
いくら肌が丈夫とは言え、日焼けは火傷だ。
メラニン色素を溜め込む行為だ。
今は良くてもこの先どうなるかが分からない。
彼女の肌に痕跡を残すようなことがあっては忍びない。
朝から厳しい夏の光に負けぬよう、
今朝の朝練で会ったら一番に巴には日焼け止めを渡そうと昨日から決めていた。
ところが、どうだ。
学校に関係する用事のせいですっかり朝練に遅れてしまった。
巴は、元気に陽に当たり動いている。
━━━おそかったようですね。
もうすでに肌は赤くなっている。
もう一度深くため息をついた。
「あれ?観月さん!おはようございまーす」
こちらの存在に気づいた巴が嬉しそうに駆け寄ってくる。
その姿はまるで良く懐いた子犬のようにも見えて愛らしい。
あくまでも観月ヴィジョンでは、だが。
「巴くん、おはようございます」
巴の日焼けを悲しく思いつつも、やはり言葉を交わせば嬉しい。
観月は普段滅多に他人に見せないような蕩けた笑顔を見せながら挨拶を返す。
テニス部の同級生達が見れば『気持ち悪い』と一斉に言うことだろう。
「ところで、巴くん?ボクは前にもいいましたよね?
屋外活動を行うときはキチンと日焼け止めを塗りなさいって」
まるで口うるさい母親のごとく
巴の様子を咎めると、巴は気まずそうな顔になる。
「や、だって……いえ、なんでもないです!ごめんなさい!」
慌てて巴は観月に謝る。
観月は自分のことを思っていってくれているのだ。
日焼けをすればあとで悔やむのは当の本人、自分だ。
それは、巴にもわかっている。
しかし日焼け止めのヌルっとした感触が苦手だし面倒だ。
そんなものをなかなか塗る気にはなれなかったのだ。
「まったく…君は…仕方のない子ですね」
観月は巴の手を引いて近くのベンチに座らせた。
巴はそれに逆らわず素直従う。
何をするのか?といった巴の表情に構わず、観月は巴の右腕を取り上げる。
「ひゃっ…!」
少しヒヤっとした液体の感触と観月の案外大きな手の感触を感じた。
観月の手は巴の腕に何かを塗りつけていく。
白い液体が肌に溶けて沈んでいく。
「ボクの日焼け止めで申し訳ないですけどね。
低刺激でサラっとしているのでキミの肌に負担はかからないと思いますが…」
ハイ、次とばかり左の腕にも取りかかる。
観月の手のひらがしきりに巴の腕を上下左右に動いていく。
巴はくすぐったさと恥ずかしさで日焼け以上に顔が火照ってしまうが
塗っている観月には気付かれないようにと心の中で祈る。
対して観月も、自分でも思わず大胆な行動に出てしまったことを恥じる。
丈夫なように見えて案外なめらかで柔らかい巴の腕にドキドキしてしまう。
別に変な気持ちで彼女に触れている訳でもないのに
こんなにやましい気持ちになってしまうのは何故だろう。
こんなコトになるのなら最初から彼女自身に塗らせれば良かった。
自分の白い肌が赤らんでいないことを祈るばかりだ。
「はい、あとは自分で塗りなさい」
巴の手に押しつけるように手鏡と日焼け止めのチューブが握らされる。
「え?」
巴は観月に急に放り出された気がして、呆気にとられる。
結局、両腕は観月が塗ってくれたが…。
「腕だけでおしまいですか?観月さん」
考え無しに巴は疑問を口にする。
すると観月は多少恥ずかしげな怒ったような顔をし、答えた。
腕以外にも塗っての良いのか?心の中でツッコミを入れる。
今のこの時点で彼が答えられるのはただ一つだけだった。
「……キミの顔や首筋や足に触れて正気でいられるほどボクもまだ達観してませんので」
彼女に触れられるのなら本来願ってもいないチャンスではあるのだが、
そうなるとさすがに自分の理性が保てそうにない。
なめらかな首筋や脚に自分の手を滑らすことが出来ればどんなに良いか。
さすがに、そんなことを巴本人に言える訳はないが。
言って嫌われてしまったらと思うと恐くて仕方がない。
まだ、今は。
野生動物に近づくように、慎重に間合いを取って近づくことが大事だ。
━━━観月の手が自分の腕以外の身体に触れる。
その事に思い当たった巴は、恥ずかしくて穴があったら入りたいとまで思った。
腕一つとっても恥ずかしくてどうしようと思ったはずなのに、
それ以上を意図的にでは無いにしろ、要求してしまったようなものだ。
「え…あ、そ、そんなつもりじゃなかったんですけど…!」
巴は半ば叫ぶように自分の言動をとり消す。
観月もそんな巴の様子に堪えきれず笑い出してしまう。
「んふっ…それは残念ですね。
ボクだって自制は出来ますけど、頼まれればNOとは言わないんですけどね」
「なっ…!」
「まあ、いいでしょう。
いずれキミがおねだりするようになるまで待ちましょうか」
とんでもないことを言い出す観月に、巴は目を丸くする。
「そんなこと、おねだりしません!」
慌ててそれを否定する。
いくらなんでも、それはない。
それはないけど、きっと頼むことがあるならそれは観月だけだろうとも思った。
恥ずかしくて死んでも口にはしないけれど。
しかし、観月はそれをも見通したかのような表情でこちらを見ている。
やっぱり彼には敵わないなあと巴は痛感する。
その事を悟られない内に、慌ててベンチから立ち上がる。
「巴くん?」
「こっ更衣室で落ち着いて塗ってきます!」
「おや?ここでは落ち着けませんか?ボクもいるのに?」
からかうような調子で尋ねられる。
「━━━観月さんがいるから落ち着かないんです」
そして、逃げるように巴は駆けだして行ってしまった。
「……ちょっと、からかいすぎましたかね?」
遠くなってしまった巴の背を眺めながら観月はそう呟いた。
10%はおもしろがって、90%は本気。
幼いところのある巴には少し刺激が強かったかなとやや反省する。
「ま、いいでしょう。本来の目的は達成できたことですし」
やや遅すぎる感はあるが、彼女にUVケアを施せたのは一歩前進。
あとは練習後に日焼けあとのローションを塗るという作業もあるが、
今日の所はやはり逃げられるのだろうなと思う。
今の調子では仕方がないだろう。
観月はもう一度大きく嘆息する。
「これは持久戦ですかね?」
夏は長い。まだ始まったばかりだ。
彼女が陥落するのが早いか、自分が諦めるのが早いか。
当然諦めるつもりなど毛頭無い。
最終的に自分が勝利するのは分かり切っている。
要は自分がどう作戦を立てるか、である。
すっかり巴に振り回されてる自分を面白がりつつ、脳内PCをフル回転させる。
「まったく━━━紫外線より手強いですね、巴くんは」
END
観月はじめは深くため息をついた。
しかし、それは自分に対してではない、
彼の眼前で生き生きとラケットを振る彼女に対してだ。
その目の前の彼女、赤月巴は夏の強い日差しにも負けず、
元気よくコートを跳ね回っている。
飛び散る汗も、彼女のものだと思うとキラキラと輝いて見える。
熱さと日差しに火照った彼女の肌は赤く光っている。
とても健康的な美しさでありながらため息の原因はこれだ。
赤く火照った肌。
あきらかに、日焼けだ。
巴は山だしということもあってか、あまり化粧っ気が無い。
それどころか、スキンケアという概念も持っているかどうか怪しい。
なにやら女友達の説得の甲斐あって、なにかしら塗ってはいるようではあるが
日焼け止めにまで手を回しているようにはとても見えない。
4月、紫外線が日に日に強烈になっていこうとする中、
観月はさりげなくUVケアについて巴に講義したのだったが
どうやらその事については失念、もしくは無視しているようだった。
そして今は7月━━━よって、観月はため息をつく。
いくら肌が丈夫とは言え、日焼けは火傷だ。
メラニン色素を溜め込む行為だ。
今は良くてもこの先どうなるかが分からない。
彼女の肌に痕跡を残すようなことがあっては忍びない。
朝から厳しい夏の光に負けぬよう、
今朝の朝練で会ったら一番に巴には日焼け止めを渡そうと昨日から決めていた。
ところが、どうだ。
学校に関係する用事のせいですっかり朝練に遅れてしまった。
巴は、元気に陽に当たり動いている。
━━━おそかったようですね。
もうすでに肌は赤くなっている。
もう一度深くため息をついた。
「あれ?観月さん!おはようございまーす」
こちらの存在に気づいた巴が嬉しそうに駆け寄ってくる。
その姿はまるで良く懐いた子犬のようにも見えて愛らしい。
あくまでも観月ヴィジョンでは、だが。
「巴くん、おはようございます」
巴の日焼けを悲しく思いつつも、やはり言葉を交わせば嬉しい。
観月は普段滅多に他人に見せないような蕩けた笑顔を見せながら挨拶を返す。
テニス部の同級生達が見れば『気持ち悪い』と一斉に言うことだろう。
「ところで、巴くん?ボクは前にもいいましたよね?
屋外活動を行うときはキチンと日焼け止めを塗りなさいって」
まるで口うるさい母親のごとく
巴の様子を咎めると、巴は気まずそうな顔になる。
「や、だって……いえ、なんでもないです!ごめんなさい!」
慌てて巴は観月に謝る。
観月は自分のことを思っていってくれているのだ。
日焼けをすればあとで悔やむのは当の本人、自分だ。
それは、巴にもわかっている。
しかし日焼け止めのヌルっとした感触が苦手だし面倒だ。
そんなものをなかなか塗る気にはなれなかったのだ。
「まったく…君は…仕方のない子ですね」
観月は巴の手を引いて近くのベンチに座らせた。
巴はそれに逆らわず素直従う。
何をするのか?といった巴の表情に構わず、観月は巴の右腕を取り上げる。
「ひゃっ…!」
少しヒヤっとした液体の感触と観月の案外大きな手の感触を感じた。
観月の手は巴の腕に何かを塗りつけていく。
白い液体が肌に溶けて沈んでいく。
「ボクの日焼け止めで申し訳ないですけどね。
低刺激でサラっとしているのでキミの肌に負担はかからないと思いますが…」
ハイ、次とばかり左の腕にも取りかかる。
観月の手のひらがしきりに巴の腕を上下左右に動いていく。
巴はくすぐったさと恥ずかしさで日焼け以上に顔が火照ってしまうが
塗っている観月には気付かれないようにと心の中で祈る。
対して観月も、自分でも思わず大胆な行動に出てしまったことを恥じる。
丈夫なように見えて案外なめらかで柔らかい巴の腕にドキドキしてしまう。
別に変な気持ちで彼女に触れている訳でもないのに
こんなにやましい気持ちになってしまうのは何故だろう。
こんなコトになるのなら最初から彼女自身に塗らせれば良かった。
自分の白い肌が赤らんでいないことを祈るばかりだ。
「はい、あとは自分で塗りなさい」
巴の手に押しつけるように手鏡と日焼け止めのチューブが握らされる。
「え?」
巴は観月に急に放り出された気がして、呆気にとられる。
結局、両腕は観月が塗ってくれたが…。
「腕だけでおしまいですか?観月さん」
考え無しに巴は疑問を口にする。
すると観月は多少恥ずかしげな怒ったような顔をし、答えた。
腕以外にも塗っての良いのか?心の中でツッコミを入れる。
今のこの時点で彼が答えられるのはただ一つだけだった。
「……キミの顔や首筋や足に触れて正気でいられるほどボクもまだ達観してませんので」
彼女に触れられるのなら本来願ってもいないチャンスではあるのだが、
そうなるとさすがに自分の理性が保てそうにない。
なめらかな首筋や脚に自分の手を滑らすことが出来ればどんなに良いか。
さすがに、そんなことを巴本人に言える訳はないが。
言って嫌われてしまったらと思うと恐くて仕方がない。
まだ、今は。
野生動物に近づくように、慎重に間合いを取って近づくことが大事だ。
━━━観月の手が自分の腕以外の身体に触れる。
その事に思い当たった巴は、恥ずかしくて穴があったら入りたいとまで思った。
腕一つとっても恥ずかしくてどうしようと思ったはずなのに、
それ以上を意図的にでは無いにしろ、要求してしまったようなものだ。
「え…あ、そ、そんなつもりじゃなかったんですけど…!」
巴は半ば叫ぶように自分の言動をとり消す。
観月もそんな巴の様子に堪えきれず笑い出してしまう。
「んふっ…それは残念ですね。
ボクだって自制は出来ますけど、頼まれればNOとは言わないんですけどね」
「なっ…!」
「まあ、いいでしょう。
いずれキミがおねだりするようになるまで待ちましょうか」
とんでもないことを言い出す観月に、巴は目を丸くする。
「そんなこと、おねだりしません!」
慌ててそれを否定する。
いくらなんでも、それはない。
それはないけど、きっと頼むことがあるならそれは観月だけだろうとも思った。
恥ずかしくて死んでも口にはしないけれど。
しかし、観月はそれをも見通したかのような表情でこちらを見ている。
やっぱり彼には敵わないなあと巴は痛感する。
その事を悟られない内に、慌ててベンチから立ち上がる。
「巴くん?」
「こっ更衣室で落ち着いて塗ってきます!」
「おや?ここでは落ち着けませんか?ボクもいるのに?」
からかうような調子で尋ねられる。
「━━━観月さんがいるから落ち着かないんです」
そして、逃げるように巴は駆けだして行ってしまった。
「……ちょっと、からかいすぎましたかね?」
遠くなってしまった巴の背を眺めながら観月はそう呟いた。
10%はおもしろがって、90%は本気。
幼いところのある巴には少し刺激が強かったかなとやや反省する。
「ま、いいでしょう。本来の目的は達成できたことですし」
やや遅すぎる感はあるが、彼女にUVケアを施せたのは一歩前進。
あとは練習後に日焼けあとのローションを塗るという作業もあるが、
今日の所はやはり逃げられるのだろうなと思う。
今の調子では仕方がないだろう。
観月はもう一度大きく嘆息する。
「これは持久戦ですかね?」
夏は長い。まだ始まったばかりだ。
彼女が陥落するのが早いか、自分が諦めるのが早いか。
当然諦めるつもりなど毛頭無い。
最終的に自分が勝利するのは分かり切っている。
要は自分がどう作戦を立てるか、である。
すっかり巴に振り回されてる自分を面白がりつつ、脳内PCをフル回転させる。
「まったく━━━紫外線より手強いですね、巴くんは」
END
「ああ…これもなんかイメージが違うしなあ…」
*需要と供給
良く晴れ渡った5月の日曜日、
巴は1人で街に買い物へと出てきていた。
今月の27日は観月の誕生日だ。
その誕生日プレゼントを買いに来ていた。
正確に言うと、まだ決めかねている段階で買うまでには相当時間がかかりそうだ。
「あーあ、私も観月さんみたいにデータマンだったらなあ」
だったら、きっと観月が心の底から喜んでくれるプレゼントが用意できるだろうに。
もうすでにふらふらと1時間以上街を歩き回っている。
どんな物を見ても、どんな店に入ってもなかなかピンとくる物がない。
そもそも、どれを選べばいいのか既に見失っている。
もしかしたら今日はこのまま買うどころか選べないままかも知れない。
こんなコトがあろうかと日にちに余裕を持って今日買い物にやって来た訳だが、
『選べない』その可能性が高いことを考えると本当に頭が痛い。
「あああああああああああああー…どうしよーーーーーーーーー」
おもわず頭を抱え込んで立ち止まってしまう。
そこへ、
「何やってるんですか?キミはこんな所で」
後ろから声がかかる。
振り返ってみると…いや、振り返らなくても声で分かってはいたのだが
そこには誕生日プレゼントを渡す相手、観月はじめ本人がいた。
「久々にボクの誘いを断って、今日は何をしているのかと思えば…
こんな所で一体1人で何をしているんですか?」
普段オフの日は大体二人でいることが多いのだから、
今日観月が巴に誘いを断られたことに彼自身が疑問に思うのは当然だ。
しかも当然ながら、巴はその理由に関しては彼に話していない。
観月がそれを不満に思うだろう事は、巴もよく分かったいた。
ただ、彼に下手な嘘をついたところで見抜かれることは分かり切っているので
潔く何も理由を言わないままにしておいたのだ。
まさか、本人に誕生日プレゼントを買いに行くとは言えない。
たとえ彼自身が気づいていたとしても、だ。
だから当然、観月から「何しているのか?」と訊かれても答えられない。
「え…?なにしてるか、ですか。いやーあの…えへへ」
答えに窮してどうして良いか分からず、あからさまな誤魔化し笑いになってしまう。
「ボクなんかには…教えられませんか?」
巴の態度に、寂しそうに観月はそうつぶやいた。
それ見て、巴は慌てふためく表情に変わる。
なにしろ寂しげな表情の観月など見たことがなかったのだ。
慌てもしようというものだ。
観月はその彼女の態度に内心ニヤリとする。
もちろん、観月が自分の誕生日を祝おうとする巴の動きに気づかないはずがない。
普段から落ち着きのない彼女だが、
5月に入ってからはカレンダーを見てソワソワしてみたり、
テニス部の連中に自分の好きそうな物を訊き回っていたり、
なにかもの言いたげな表情で自分を見つめていたりしたのだから。
そこまであからさまだと、かえって微笑ましいのでこれまで黙っていた。
彼女がこれからどう動くのかも楽しみだった。
ただ、いまこうして街で偶然悩んでいる様子の彼女を見かけて
さらに巴の困った顔が見たくなったので、訊いてみたにすぎない。
「教えられない…と、いいますかーあー…」
しばらく焦り言い淀んでいる彼女を堪能してから口を開く。
「分かってますよ。僕の誕生日プレゼントでしょう?
さすがにこれくらいはデータを駆使しなくてもお見通しですよ」
すこしおかし気に顔を歪めなから観月はそういった。
言い当てられた巴は羞恥に頬を染め上げた。
「なっ…!」
まさか、違うとは言えない。
しかし観月のことだから気づかないふりをしてくれると思っていたのだが
その予想に反して、自ら誕生日プレゼントのことを切り込んでくるとは思わなかった。
「しかも、今キミはプレゼントを決めかねて悩んでいる…そうでしょう?」
キレイに言い当てられて
二の句が継げずに、まるで金魚のように巴は口をパクパクとさせた。
「巴くん?違いますか?」
巴に言葉を促す。
「…………違いません」
しぶしぶという感じで巴は言葉を絞り出す。
ここまで言い当てられて何を言えというのだろうか。
珍しく観月が意地悪だ。
観月の性格に難があることは百も承知ではあったのだが
巴自身にたいしてここまで意地悪になることはなかった。
基本は甘やかしすぎといってもいいほど甘いのだ。
普段の観月なら誕生日プレゼントに悩む自分を暖かく見ていてくれるのでは?
そう思っていた自分は甘かったのだろうか。
プレゼントの件にもまして悩ましい。
「そんなに悩むぐらいなら、最初からボクに訊けば良いと思いませんか?」
観月はもっともすぎる質問をする。
この質問すら巴にとっては意地悪に思えてしまう。
どうせ、観月には自分の気持ち━━━観月を驚かせたいとかそう言った気持ちすら
確実に読まれていることが分かり切っているからだ。
「━━━観月さん、今日は意地悪です」
巴は思わず拗ねるように言ってしまう。
「そうですか?」
巴はまだ観月の気持ちには気づいていない。
焦ったり拗ねたり悩んだりする巴を見て可愛いと思っていることなどは。
滅多に見ないような彼女の表情を堪能している自分は、
我ながら性格が悪いなと思わなくもないが
いい人ぶるより性格の悪さを強調してでも彼女の様子をうかがいたい気持ちの方が強い。
子供の頃、好きな子をいじめる男子は沢山いて
彼らのことを内心バカにしていたが、今ならその気持ちが痛いほど分かる。
可愛い子ほどいじめたい。
もっとも嫌われないためのさじ加減が難しくて観月自身からかうのにも必死だし
からかうよりも、やはり巴を甘やかしたい気持ちの方が大きくなる。
「…まあ、いいでしょう。
プレゼントの件ですけどね、別に何だっていいですよ。
キミがくれる物ならなんだってうれしいんですから」
意地悪モードに音を上げてしまった観月は巴にそう告げる。
すくなくとも彼自身は甘やかしているつもりだった。
しかし、その言葉は甘美な響きであるものの、よくないフレーズだった。
ここまで必死に真剣に考えている巴自身にとっては非常によくない。
「アレが欲しい、これが欲しい」と言われる方が嬉しかった。
「さすがに…『なんだって』と言われると嬉しくないですよ、観月さん」
これには抗議の声を上げてしまう。
今まで悩んでいたのがまるでバカみたいではないか。
私はこんなに真剣なのに。
『さすが巴くん!こんなプレゼントを待ち望んでいたんですよ』的な
普段観月が言いそうにもない言葉をもらいたかったというのに。
必死に必死に考えているというのに。
巴の顔からは先ほど悩んだり焦ったりした表情は消えて怒りの色になっている。
それすらも可愛いと内心観月が思っていることには当然気づかない。
「いえ、だって本当のことですしね。
それにもうキミから一番もらいたかったものは頂いていますから、
それ以上、というのは現状ではちょっと難しいかも知れないですね」
巴は何の事を言われているか分からずに、怒りながらもきょとんとする。
自分から一番もらいたかったものというのが分からない。
そんなもの、いつあげただろうか。
忘れているとしたら、それはマズイ。必死に思い出そうとする。
「━━━キミのボクに対する気持ち、ですね。もらったものは」
さすがにこのセリフは自分でも恥ずかしく、観月も少し頬を赤らめる。
色白なだけに、頬の赤味は整った顔が良く引き立つ。
観てる方が恥ずかしくなるくらいにキレイだ。
巴も例外ではなく、釣られて赤くなる。
「……気障ですね、観月さん」
「そうですか?思ったことを口にしただけなんですけどね、ボクは」
「そうですよー…もう、怒る気すらなくしますよ」
巴は肩を落として顔を赤らめたまま照れ笑いの表情だ。
プレゼントを決めかねている件はまったく解決を見ないままなのだが
それすらもどうでも良くなってきてしまう。
しかし、今日決めてしまいたい。
日にちはあるが、ずるずると決まらないままになってしまうのは目に見えている。
いっそのこと、やはり直接聞いてみることにした。
ここまで来てしまってるのだ強情を張るよりはよほど良いだろう。
「で、プレゼントですけど、何がいいんですか?目に見えない物以外で」
そう指定しておかないと、どんどん恥ずかしいことを聞いてしまいそうだ。
期待の眼差しで観月の答えを待つ。
今度は逆に観月が答えに窮する。
観月は比較的裕福な家に生まれたせいか、物欲というものがあまりない。
ものに対する執着やこだわりはあるものの、
それはあくまで自分の力で手に入れることを含めての愉しみであって
他人からもらったりするものではないと思っている。
それがたとえ巴からであってもだ。
ゆえにとっさに答えが出せない。
「観月さん?」
しかし、答えを出さないままでは巴がこのまま引き下がらないのは確かで、
また、自分の為を思う事だと思えば、喜んで答えたいのも確かで。
先ほどの巴の悩みっぷりに激しく共感を覚えてしまった。
「━━━あ…」
視界の端に映るものに視点をあわせる。
観月の脳内にひとつ思い浮かんだ物があった。
「そうですね、欲しいものというかして欲しいことになりますがいいですか?」
「なんでしょうか?私に出来ることでしたら…」
話の先が見えずに巴は曖昧に答える。
「んふっ、そんなに身構えなくてもいいですよ、簡単なことですから。
ほら、あの機械━━━プリクラ撮りませんか?」
彼の指さす方向にはゲームセンターがあった。
カーテンの掛かったおなじみの大型筐体が鎮座している。
「へ?」
全く予期せぬ答えについつい巴は間の抜けた返事をしてしまう。
「これまでキミと一緒の写真を撮ったことがなかったでしょう?
良い記念になるんじゃないかと思いましてね」
「で、でもプリクラなんていつでも撮れますよ?
せっかくのお誕生日なんですから特別な他のことでも…」
プリクラは安い。プリクラは逃げない。
それこそ友人達とはしょっちゅう撮ったりしていて日常的な物だ。
もう少し非日常的な物でもいいのではないかと巴は思う。
「いえ、実は…ってほどでもないでしょうが、ボクは撮ったことがありませんから
せっかくならキミと記念に撮っておきたいと思いましてね。それに、キミも彼氏と撮ったプリクラの一枚でも欲しいでしょう?」
それは確かにそうだなと思い、巴もその言葉にうなずく。
「そうですね、じゃあ、観月さんのお誕生日にはプリクラを撮りに来ましょうか!」
「ええ、そのために一番良い機種をリサーチしておいてくださいね」
「その手の事に関しては任せておいてください!観月さん!」
巴は猛烈に観月の誕生日が待ち遠しいと思った。
心が躍る、とはこういう事を言うのだと思った。
彼女の前にすっと観月の手が伸びる。
「じゃあ、プレゼントが決まったところで、
ここからはいつものようにお茶に行きませんか?
それとも、まだ僕と離れていなければならない用事がありますか?」
よほど今日誘いを断られたことを気にしているような観月のセリフに
巴はついつい吹き出しながら、その手を取る。
「いいえ!」
晴れやかな笑顔で巴は答える。
その笑顔に観月は、これだけでも充分誕生日プレゼントに値すると思ったが
さすがに口にすると巴の反応がとんでもないことになりそうなので
この発言は自粛することにして、
その代わりに手の力を込めて彼女を自分へと引き寄せた。
「キミと過ごす誕生日、楽しみにしていますよ。……約束代わりに……」
観月は約束代わりにと巴にひとつ唇を落とし、いつものカフェへと歩き始めた。
END
*需要と供給
良く晴れ渡った5月の日曜日、
巴は1人で街に買い物へと出てきていた。
今月の27日は観月の誕生日だ。
その誕生日プレゼントを買いに来ていた。
正確に言うと、まだ決めかねている段階で買うまでには相当時間がかかりそうだ。
「あーあ、私も観月さんみたいにデータマンだったらなあ」
だったら、きっと観月が心の底から喜んでくれるプレゼントが用意できるだろうに。
もうすでにふらふらと1時間以上街を歩き回っている。
どんな物を見ても、どんな店に入ってもなかなかピンとくる物がない。
そもそも、どれを選べばいいのか既に見失っている。
もしかしたら今日はこのまま買うどころか選べないままかも知れない。
こんなコトがあろうかと日にちに余裕を持って今日買い物にやって来た訳だが、
『選べない』その可能性が高いことを考えると本当に頭が痛い。
「あああああああああああああー…どうしよーーーーーーーーー」
おもわず頭を抱え込んで立ち止まってしまう。
そこへ、
「何やってるんですか?キミはこんな所で」
後ろから声がかかる。
振り返ってみると…いや、振り返らなくても声で分かってはいたのだが
そこには誕生日プレゼントを渡す相手、観月はじめ本人がいた。
「久々にボクの誘いを断って、今日は何をしているのかと思えば…
こんな所で一体1人で何をしているんですか?」
普段オフの日は大体二人でいることが多いのだから、
今日観月が巴に誘いを断られたことに彼自身が疑問に思うのは当然だ。
しかも当然ながら、巴はその理由に関しては彼に話していない。
観月がそれを不満に思うだろう事は、巴もよく分かったいた。
ただ、彼に下手な嘘をついたところで見抜かれることは分かり切っているので
潔く何も理由を言わないままにしておいたのだ。
まさか、本人に誕生日プレゼントを買いに行くとは言えない。
たとえ彼自身が気づいていたとしても、だ。
だから当然、観月から「何しているのか?」と訊かれても答えられない。
「え…?なにしてるか、ですか。いやーあの…えへへ」
答えに窮してどうして良いか分からず、あからさまな誤魔化し笑いになってしまう。
「ボクなんかには…教えられませんか?」
巴の態度に、寂しそうに観月はそうつぶやいた。
それ見て、巴は慌てふためく表情に変わる。
なにしろ寂しげな表情の観月など見たことがなかったのだ。
慌てもしようというものだ。
観月はその彼女の態度に内心ニヤリとする。
もちろん、観月が自分の誕生日を祝おうとする巴の動きに気づかないはずがない。
普段から落ち着きのない彼女だが、
5月に入ってからはカレンダーを見てソワソワしてみたり、
テニス部の連中に自分の好きそうな物を訊き回っていたり、
なにかもの言いたげな表情で自分を見つめていたりしたのだから。
そこまであからさまだと、かえって微笑ましいのでこれまで黙っていた。
彼女がこれからどう動くのかも楽しみだった。
ただ、いまこうして街で偶然悩んでいる様子の彼女を見かけて
さらに巴の困った顔が見たくなったので、訊いてみたにすぎない。
「教えられない…と、いいますかーあー…」
しばらく焦り言い淀んでいる彼女を堪能してから口を開く。
「分かってますよ。僕の誕生日プレゼントでしょう?
さすがにこれくらいはデータを駆使しなくてもお見通しですよ」
すこしおかし気に顔を歪めなから観月はそういった。
言い当てられた巴は羞恥に頬を染め上げた。
「なっ…!」
まさか、違うとは言えない。
しかし観月のことだから気づかないふりをしてくれると思っていたのだが
その予想に反して、自ら誕生日プレゼントのことを切り込んでくるとは思わなかった。
「しかも、今キミはプレゼントを決めかねて悩んでいる…そうでしょう?」
キレイに言い当てられて
二の句が継げずに、まるで金魚のように巴は口をパクパクとさせた。
「巴くん?違いますか?」
巴に言葉を促す。
「…………違いません」
しぶしぶという感じで巴は言葉を絞り出す。
ここまで言い当てられて何を言えというのだろうか。
珍しく観月が意地悪だ。
観月の性格に難があることは百も承知ではあったのだが
巴自身にたいしてここまで意地悪になることはなかった。
基本は甘やかしすぎといってもいいほど甘いのだ。
普段の観月なら誕生日プレゼントに悩む自分を暖かく見ていてくれるのでは?
そう思っていた自分は甘かったのだろうか。
プレゼントの件にもまして悩ましい。
「そんなに悩むぐらいなら、最初からボクに訊けば良いと思いませんか?」
観月はもっともすぎる質問をする。
この質問すら巴にとっては意地悪に思えてしまう。
どうせ、観月には自分の気持ち━━━観月を驚かせたいとかそう言った気持ちすら
確実に読まれていることが分かり切っているからだ。
「━━━観月さん、今日は意地悪です」
巴は思わず拗ねるように言ってしまう。
「そうですか?」
巴はまだ観月の気持ちには気づいていない。
焦ったり拗ねたり悩んだりする巴を見て可愛いと思っていることなどは。
滅多に見ないような彼女の表情を堪能している自分は、
我ながら性格が悪いなと思わなくもないが
いい人ぶるより性格の悪さを強調してでも彼女の様子をうかがいたい気持ちの方が強い。
子供の頃、好きな子をいじめる男子は沢山いて
彼らのことを内心バカにしていたが、今ならその気持ちが痛いほど分かる。
可愛い子ほどいじめたい。
もっとも嫌われないためのさじ加減が難しくて観月自身からかうのにも必死だし
からかうよりも、やはり巴を甘やかしたい気持ちの方が大きくなる。
「…まあ、いいでしょう。
プレゼントの件ですけどね、別に何だっていいですよ。
キミがくれる物ならなんだってうれしいんですから」
意地悪モードに音を上げてしまった観月は巴にそう告げる。
すくなくとも彼自身は甘やかしているつもりだった。
しかし、その言葉は甘美な響きであるものの、よくないフレーズだった。
ここまで必死に真剣に考えている巴自身にとっては非常によくない。
「アレが欲しい、これが欲しい」と言われる方が嬉しかった。
「さすがに…『なんだって』と言われると嬉しくないですよ、観月さん」
これには抗議の声を上げてしまう。
今まで悩んでいたのがまるでバカみたいではないか。
私はこんなに真剣なのに。
『さすが巴くん!こんなプレゼントを待ち望んでいたんですよ』的な
普段観月が言いそうにもない言葉をもらいたかったというのに。
必死に必死に考えているというのに。
巴の顔からは先ほど悩んだり焦ったりした表情は消えて怒りの色になっている。
それすらも可愛いと内心観月が思っていることには当然気づかない。
「いえ、だって本当のことですしね。
それにもうキミから一番もらいたかったものは頂いていますから、
それ以上、というのは現状ではちょっと難しいかも知れないですね」
巴は何の事を言われているか分からずに、怒りながらもきょとんとする。
自分から一番もらいたかったものというのが分からない。
そんなもの、いつあげただろうか。
忘れているとしたら、それはマズイ。必死に思い出そうとする。
「━━━キミのボクに対する気持ち、ですね。もらったものは」
さすがにこのセリフは自分でも恥ずかしく、観月も少し頬を赤らめる。
色白なだけに、頬の赤味は整った顔が良く引き立つ。
観てる方が恥ずかしくなるくらいにキレイだ。
巴も例外ではなく、釣られて赤くなる。
「……気障ですね、観月さん」
「そうですか?思ったことを口にしただけなんですけどね、ボクは」
「そうですよー…もう、怒る気すらなくしますよ」
巴は肩を落として顔を赤らめたまま照れ笑いの表情だ。
プレゼントを決めかねている件はまったく解決を見ないままなのだが
それすらもどうでも良くなってきてしまう。
しかし、今日決めてしまいたい。
日にちはあるが、ずるずると決まらないままになってしまうのは目に見えている。
いっそのこと、やはり直接聞いてみることにした。
ここまで来てしまってるのだ強情を張るよりはよほど良いだろう。
「で、プレゼントですけど、何がいいんですか?目に見えない物以外で」
そう指定しておかないと、どんどん恥ずかしいことを聞いてしまいそうだ。
期待の眼差しで観月の答えを待つ。
今度は逆に観月が答えに窮する。
観月は比較的裕福な家に生まれたせいか、物欲というものがあまりない。
ものに対する執着やこだわりはあるものの、
それはあくまで自分の力で手に入れることを含めての愉しみであって
他人からもらったりするものではないと思っている。
それがたとえ巴からであってもだ。
ゆえにとっさに答えが出せない。
「観月さん?」
しかし、答えを出さないままでは巴がこのまま引き下がらないのは確かで、
また、自分の為を思う事だと思えば、喜んで答えたいのも確かで。
先ほどの巴の悩みっぷりに激しく共感を覚えてしまった。
「━━━あ…」
視界の端に映るものに視点をあわせる。
観月の脳内にひとつ思い浮かんだ物があった。
「そうですね、欲しいものというかして欲しいことになりますがいいですか?」
「なんでしょうか?私に出来ることでしたら…」
話の先が見えずに巴は曖昧に答える。
「んふっ、そんなに身構えなくてもいいですよ、簡単なことですから。
ほら、あの機械━━━プリクラ撮りませんか?」
彼の指さす方向にはゲームセンターがあった。
カーテンの掛かったおなじみの大型筐体が鎮座している。
「へ?」
全く予期せぬ答えについつい巴は間の抜けた返事をしてしまう。
「これまでキミと一緒の写真を撮ったことがなかったでしょう?
良い記念になるんじゃないかと思いましてね」
「で、でもプリクラなんていつでも撮れますよ?
せっかくのお誕生日なんですから特別な他のことでも…」
プリクラは安い。プリクラは逃げない。
それこそ友人達とはしょっちゅう撮ったりしていて日常的な物だ。
もう少し非日常的な物でもいいのではないかと巴は思う。
「いえ、実は…ってほどでもないでしょうが、ボクは撮ったことがありませんから
せっかくならキミと記念に撮っておきたいと思いましてね。それに、キミも彼氏と撮ったプリクラの一枚でも欲しいでしょう?」
それは確かにそうだなと思い、巴もその言葉にうなずく。
「そうですね、じゃあ、観月さんのお誕生日にはプリクラを撮りに来ましょうか!」
「ええ、そのために一番良い機種をリサーチしておいてくださいね」
「その手の事に関しては任せておいてください!観月さん!」
巴は猛烈に観月の誕生日が待ち遠しいと思った。
心が躍る、とはこういう事を言うのだと思った。
彼女の前にすっと観月の手が伸びる。
「じゃあ、プレゼントが決まったところで、
ここからはいつものようにお茶に行きませんか?
それとも、まだ僕と離れていなければならない用事がありますか?」
よほど今日誘いを断られたことを気にしているような観月のセリフに
巴はついつい吹き出しながら、その手を取る。
「いいえ!」
晴れやかな笑顔で巴は答える。
その笑顔に観月は、これだけでも充分誕生日プレゼントに値すると思ったが
さすがに口にすると巴の反応がとんでもないことになりそうなので
この発言は自粛することにして、
その代わりに手の力を込めて彼女を自分へと引き寄せた。
「キミと過ごす誕生日、楽しみにしていますよ。……約束代わりに……」
観月は約束代わりにと巴にひとつ唇を落とし、いつものカフェへと歩き始めた。
END
桜の花びらが風に乗って舞う。
ひらひら、ひらひらと周囲にピンクを散らしていく。
その艶やかな様に赤月巴は思わず嘆息する。
桜など毎年見ている訳だが、今年の桜はいつもより特別な気がした。
「……キレイだなあ」
学校に咲く桜はなにか神聖なもののように感じる。
学びに集う者たちを、華やかに歓迎する。
巴も、今まさに迎え入れられているかのように感じる。
『聖ルドルフ学院』
巴の立つ正面の門には、重厚な書体で刻まれている。
思わず息を呑んだ。
これから、この門をくぐるのだ。
その校門はまるで巴にとっては未来へと続く門のように思えた。
「よしっ…行こう」
声だけは勇ましく、しかしそろりそろりと門へと足を踏み出した。
*peeping lovers
今日は転校手続きに必要な書類を届けるのと挨拶がてらやってきた。
これまで諸般のいろいろな手続きを観月に任せきりにしていたが、
やはり、親の同意書や学費に関する事などは自らの手でやらねばならず、
また、転校第1日目までに校内をすこし見ておきたかったので
観月には連絡せず、自分ひとりだけでやって来た。
彼に連絡しなかったのは、きっと迎えに来てくれたり、
いろいろと案内などをかって出てくれるだろうと思ったからだ。
この春休みさんざん彼の時間を自分自身のために遣わせてしまったのだから、
せめて自分で出来ることは自分でやろうと思ったのだ。
「しっかし…凄い学校だなあ…」
校門を入ってぐるりと周囲を見渡せば、洋風建築の校舎と、
清楚な作りの礼拝堂が見える。
同じ私学とは言え、青学とは大分趣の違う学校だ。
「さすが観月さんの通っている学校だけある…のかな?」
観月には西洋趣味があることを思い出しつつ、巴は校舎へと向かった。
応接室で、教頭と新年度2年生担当になる教師と軽く面談を行い、用事を済ませる。
小一時間ほどして解放された巴は、とりあえずぶらぶらと校内を回ってみることにした。
休みのせいで人気のない廊下。
グラウンドから聞こえてくる運動部の威勢の良いかけ声。
遠くから漏れ聞こえてくる楽器の音。
それらは、青学とはあまり変わりのないものだった。
同じ中学生達の生活。学校という器が違うだけの。
モダンなルドルフの校舎は、素っ気ない青学の校舎で暮らしてきた巴には
やや緊張させるものだったが、それでも変わらない。
青学の頼もしい仲間達はいないけれども、新しい仲間が待っている。
大好きなあの人も。
「あれ?」
3階の廊下を歩いていたときに、ひらり、と目の前を桜の花びらが横切った。
どうやら近くの教室の窓が開いていたらしい。
その教室に入って窓に近寄り、身を乗り出して周囲を見渡してみる。
周囲の街並みと、校内のグラウンド、教会などが見渡せる。
桜が咲いているせいか周囲はほんのりとピンクのヴェールがかかっている。
ふと、あることに巴は気付き、しきりにクビを探るようにキョロキョロと動かす。
「あれ?テニスコートはここからじゃ見えないんだ…」
確か、今日はルドルフのテニス部員は全員学校で練習しているはずだ。
先週観月がそう言っていたのを聞いていた。
しかし彼らの姿どころか、テニスコートすら見えない。
もしかしたら、上からこっそり眺めることが出来るかも、と思ったのだが。
堂々と見学したところでもちろん何ら問題はないのだが、
見たことのない観月を見てみたかった。
これまで自分の知る観月は、自分がいることを前提に動く観月だ。
観月は巴に甘い。
観月は巴に汚いところを見せたがらない。
もちろん意識している相手の前では当然のことだが、
巴にしてみれば好きな相手のことならばなんでも知りたいし見てみたい。
今が絶好のチャンスなのではないかと思ったのだが。
しかし、この場からテニスコートが見えないとなると仕方がない。
校舎からでなくてもどこかからこっそりのぞけるかも知れないと思い、
その場を探すべく教室を出て、階段を下り始めた。
校舎の正面から外に出て、外周を回り始めるとすぐにフェンスが見えた。
どうやらテニスコートのフェンスらしい。
周囲を見渡すと案外開けたところにコートがあり、
身を隠せそうなのは校舎とコートの間にある植え込みだけだった。
巴は身体をかがめてその植え込みにこっそりと身体を隠す。
気を付けてみようとすると、簡単にバレてしまいそうだったが、
テニス部員達は集中して練習に取り組んでいるのか気がつきそうにない。
巴は尋常なまでに良い視力を駆使して、コートに注目する。
「……いた……!」
観月はすぐに見つかった。
いや、探す努力をしなくても簡単に巴の視界に飛び込んできた。
巴のセンサーは観月の気配に敏感だ。
どこにいてもすぐに見つけてしまう。
観月は球出しをしながら、部員達に的確な指示を与えていた。
もう、この春からは高校生だというのに、後輩の育成に余念がない。
厳しく、嫌味を織り交ぜながらもその指示にはムダがなく完璧だ。
観月自身の練習はちゃんと出来ているのか心配なところだが、
周囲を見ると赤澤や柳沢・木更津といった同級生達もいる。
彼らもそれぞれ練習していたり後輩を教えたりしている。
きっと育成と同時に自分たちもレベルアップを図っているのだろう。
巴は少し安心する。
マネージャーに徹する観月も好きではあるが、
やはりプレイヤーとして動く観月には特別心惹かれるものがある。
巴自身がテニスプレイヤーだからかもしれないし
ボールを真摯に追う観月の姿が単純に好きだからかもしれない。
自分が干渉しない空間での観月の顔はいつもと少し違って見える。
自分に向ける柔らかなところが削ぎ落とされて、今はひたすら他人行儀な顔だ。
巴のよく知る観月はじめという男の顔は、
出会った頃は青学テニス部の自分に対して探るような営業スマイルだったし、
よく知るようになってからは、優しい眼差しだった。
だから、初めて見たルドルフテニス部の中での観月の顔は巴には新鮮だった。
以前、観月と巴の仲を柳沢達にからかわれたりもしたが、
こうやって見てみると、からかわれてしまうのもわかるような気がした。
いつも見ている、いつも好きでいる人の筈なのに、
それなのに今日は何故かいつもにましてドキドキする。
見てはいけないものを見てしまったような気がするのに、
その見てはいけないものにも惹き付けられる自分がいる。
目の前で、厳しい顔で厳しい声を飛ばしている男は、
普段自分が知っている、観月はじめでは無いというのに。
観月から叱咤を受けた後輩は、気を乱してしまったのかボールを大きく弾いてしまった。
そのボールはテニスとしてはあり得ない程大きく綺麗な弧を描き、
フェンスを越えて、巴の目の前に飛び込んできた。
観月から視線を外せないでいた巴は、ボールに気づくのが遅すぎた。
巴の眼前に黄色いものが飛び込んだかと思った瞬間、額に衝撃が走った。
「きゃっ」
隠れていたというのに、思わず叫び声を上げてしまう。
ボールは一度植え込みの前でバウンドしていたのでぶつかった衝撃はさほど無かったが
観月を熱心に見ていた巴には突然のことで驚きが大きかった。
「いたたたた…」
なでなでとぶつかった箇所をさすっていると、
こちらへ向かう足音がきこえ、やがて巴のすぐそばで止まった。
02へつづく
ひらひら、ひらひらと周囲にピンクを散らしていく。
その艶やかな様に赤月巴は思わず嘆息する。
桜など毎年見ている訳だが、今年の桜はいつもより特別な気がした。
「……キレイだなあ」
学校に咲く桜はなにか神聖なもののように感じる。
学びに集う者たちを、華やかに歓迎する。
巴も、今まさに迎え入れられているかのように感じる。
『聖ルドルフ学院』
巴の立つ正面の門には、重厚な書体で刻まれている。
思わず息を呑んだ。
これから、この門をくぐるのだ。
その校門はまるで巴にとっては未来へと続く門のように思えた。
「よしっ…行こう」
声だけは勇ましく、しかしそろりそろりと門へと足を踏み出した。
*peeping lovers
今日は転校手続きに必要な書類を届けるのと挨拶がてらやってきた。
これまで諸般のいろいろな手続きを観月に任せきりにしていたが、
やはり、親の同意書や学費に関する事などは自らの手でやらねばならず、
また、転校第1日目までに校内をすこし見ておきたかったので
観月には連絡せず、自分ひとりだけでやって来た。
彼に連絡しなかったのは、きっと迎えに来てくれたり、
いろいろと案内などをかって出てくれるだろうと思ったからだ。
この春休みさんざん彼の時間を自分自身のために遣わせてしまったのだから、
せめて自分で出来ることは自分でやろうと思ったのだ。
「しっかし…凄い学校だなあ…」
校門を入ってぐるりと周囲を見渡せば、洋風建築の校舎と、
清楚な作りの礼拝堂が見える。
同じ私学とは言え、青学とは大分趣の違う学校だ。
「さすが観月さんの通っている学校だけある…のかな?」
観月には西洋趣味があることを思い出しつつ、巴は校舎へと向かった。
応接室で、教頭と新年度2年生担当になる教師と軽く面談を行い、用事を済ませる。
小一時間ほどして解放された巴は、とりあえずぶらぶらと校内を回ってみることにした。
休みのせいで人気のない廊下。
グラウンドから聞こえてくる運動部の威勢の良いかけ声。
遠くから漏れ聞こえてくる楽器の音。
それらは、青学とはあまり変わりのないものだった。
同じ中学生達の生活。学校という器が違うだけの。
モダンなルドルフの校舎は、素っ気ない青学の校舎で暮らしてきた巴には
やや緊張させるものだったが、それでも変わらない。
青学の頼もしい仲間達はいないけれども、新しい仲間が待っている。
大好きなあの人も。
「あれ?」
3階の廊下を歩いていたときに、ひらり、と目の前を桜の花びらが横切った。
どうやら近くの教室の窓が開いていたらしい。
その教室に入って窓に近寄り、身を乗り出して周囲を見渡してみる。
周囲の街並みと、校内のグラウンド、教会などが見渡せる。
桜が咲いているせいか周囲はほんのりとピンクのヴェールがかかっている。
ふと、あることに巴は気付き、しきりにクビを探るようにキョロキョロと動かす。
「あれ?テニスコートはここからじゃ見えないんだ…」
確か、今日はルドルフのテニス部員は全員学校で練習しているはずだ。
先週観月がそう言っていたのを聞いていた。
しかし彼らの姿どころか、テニスコートすら見えない。
もしかしたら、上からこっそり眺めることが出来るかも、と思ったのだが。
堂々と見学したところでもちろん何ら問題はないのだが、
見たことのない観月を見てみたかった。
これまで自分の知る観月は、自分がいることを前提に動く観月だ。
観月は巴に甘い。
観月は巴に汚いところを見せたがらない。
もちろん意識している相手の前では当然のことだが、
巴にしてみれば好きな相手のことならばなんでも知りたいし見てみたい。
今が絶好のチャンスなのではないかと思ったのだが。
しかし、この場からテニスコートが見えないとなると仕方がない。
校舎からでなくてもどこかからこっそりのぞけるかも知れないと思い、
その場を探すべく教室を出て、階段を下り始めた。
校舎の正面から外に出て、外周を回り始めるとすぐにフェンスが見えた。
どうやらテニスコートのフェンスらしい。
周囲を見渡すと案外開けたところにコートがあり、
身を隠せそうなのは校舎とコートの間にある植え込みだけだった。
巴は身体をかがめてその植え込みにこっそりと身体を隠す。
気を付けてみようとすると、簡単にバレてしまいそうだったが、
テニス部員達は集中して練習に取り組んでいるのか気がつきそうにない。
巴は尋常なまでに良い視力を駆使して、コートに注目する。
「……いた……!」
観月はすぐに見つかった。
いや、探す努力をしなくても簡単に巴の視界に飛び込んできた。
巴のセンサーは観月の気配に敏感だ。
どこにいてもすぐに見つけてしまう。
観月は球出しをしながら、部員達に的確な指示を与えていた。
もう、この春からは高校生だというのに、後輩の育成に余念がない。
厳しく、嫌味を織り交ぜながらもその指示にはムダがなく完璧だ。
観月自身の練習はちゃんと出来ているのか心配なところだが、
周囲を見ると赤澤や柳沢・木更津といった同級生達もいる。
彼らもそれぞれ練習していたり後輩を教えたりしている。
きっと育成と同時に自分たちもレベルアップを図っているのだろう。
巴は少し安心する。
マネージャーに徹する観月も好きではあるが、
やはりプレイヤーとして動く観月には特別心惹かれるものがある。
巴自身がテニスプレイヤーだからかもしれないし
ボールを真摯に追う観月の姿が単純に好きだからかもしれない。
自分が干渉しない空間での観月の顔はいつもと少し違って見える。
自分に向ける柔らかなところが削ぎ落とされて、今はひたすら他人行儀な顔だ。
巴のよく知る観月はじめという男の顔は、
出会った頃は青学テニス部の自分に対して探るような営業スマイルだったし、
よく知るようになってからは、優しい眼差しだった。
だから、初めて見たルドルフテニス部の中での観月の顔は巴には新鮮だった。
以前、観月と巴の仲を柳沢達にからかわれたりもしたが、
こうやって見てみると、からかわれてしまうのもわかるような気がした。
いつも見ている、いつも好きでいる人の筈なのに、
それなのに今日は何故かいつもにましてドキドキする。
見てはいけないものを見てしまったような気がするのに、
その見てはいけないものにも惹き付けられる自分がいる。
目の前で、厳しい顔で厳しい声を飛ばしている男は、
普段自分が知っている、観月はじめでは無いというのに。
観月から叱咤を受けた後輩は、気を乱してしまったのかボールを大きく弾いてしまった。
そのボールはテニスとしてはあり得ない程大きく綺麗な弧を描き、
フェンスを越えて、巴の目の前に飛び込んできた。
観月から視線を外せないでいた巴は、ボールに気づくのが遅すぎた。
巴の眼前に黄色いものが飛び込んだかと思った瞬間、額に衝撃が走った。
「きゃっ」
隠れていたというのに、思わず叫び声を上げてしまう。
ボールは一度植え込みの前でバウンドしていたのでぶつかった衝撃はさほど無かったが
観月を熱心に見ていた巴には突然のことで驚きが大きかった。
「いたたたた…」
なでなでとぶつかった箇所をさすっていると、
こちらへ向かう足音がきこえ、やがて巴のすぐそばで止まった。
02へつづく
*peeping lovers02
「巴くん…そんなところで何をしているんです?
まるで不審者みたいに」
呆れたような声の主は巴の背後に立ち、
しゃがんだままの巴を引き起こす。
「あははは、見つかっちゃいましたか~」
見つかったのなら、もうそう言うしかない。
巴は無意味に笑いながら、
立ち上がらせてくれた相手へと身体を向ける。
「いえ…普段のテニス部はどんなカンジなのかな、って思って覗いてました。
こんな所から見学してしまって、スイマセン観月さん」
目の前の相手、観月に素直に謝る。
覗き見はちょっと悪いかな、とはさすがに思っていたので、謝罪の言葉はすんなりと口から出てくる。
「キミはこの春から正式にうちの部員になるんですから、
こんなところからではなく正々堂々と見学すればいいものを…キミときたら…」
観月の説教スイッチがONになろうとしていたその時、
「やっぱり赤月だーね、さっきちらっと見えた影はお前だっただーね」
「柳沢先輩!打ち合っている途中で急に抜けないでくださいよっ」
いつのまにか、見知った顔のルドルフテニス部部員も周囲に集まってきていた。
「まったく、赤月って本当に何考えてるか分からないわね…バカなんじゃないの?」
「は、早川さんの意地悪ーっ」
「クスクス…いつもキミはびっくり箱みたいに唐突で面白いね」
急に和気藹々とした空気に包まれて、巴は少しホッとする。
転校先の学校がこういう人たちのいるところで良かったと心から思った。
「━━━コホンッ」
観月が怒気をはらんだ咳払いを一つ。
周囲の空気はすっと下がる。
「皆さん…練習中だと言うことをお忘れのようですね?
メニューが物足りないというのなら、もう少し増やしてあげましょう。
学校外周1周走っていらっしゃい」
「ゲ…赤月お前が来るのがイケナイだーね!」
「おや?無駄口を叩く余裕もあるみたいですね、もう1周追加しますか?
こういう事は青学の手塚くんの専売特許でボクとしては好みではないですけどね」
「グッ…1周してくるだーね!」
悔しそうに走っていく部員を眺めながら、そうそう…と観月は巴に向き合う。
「巴くん、キミもこんな所でのぞき見する暇があるみたいですからね、
キミも彼らと一緒に走ってきたらいいですよ」
それは、先ほど初めて見たばかりの観月の甘さのない顔。
巴は思わずドキッとする。
「行くんですか?行かないんですか?
キミもここに来たからには立派なテニス部員ですよ。ボクの指示に従ってください」
普段とは違う冷ややかさのある笑顔で見られ、少し背筋に寒気が走る。
怖い。
「いっ行ってきますっ!」
学校への挨拶も兼ねてきたのだから、巴は青学の制服のままだったのが、
そのまま制服姿に靴はローファーのまま駆け出す。
外周といえばせいぜい2~3キロあればいい、それならその格好で充分だった。
観月の普段見ない顔が自分に向けられたことに驚き、
必死に足を動かし校外へ、先を走る部員達へと追いついていった。
とんだとばっちりだ、などとボヤキながら外周を走り終えた部員達はコートに戻った。
コートの外にはウォームアップ無しで走ったためにいつもより息が整わない巴と
その姿を面白そうに眺めている観月だけが残った。
「で?先ほどの質問ですけど本当のところはこんな所で何をしているんですか?
見学だけならこんな所から見なくても良い訳ですよね?
それも、ボクに内緒にしてルドルフにやってこなくても」
巴にとって非常に答えにくいような質問をされる。
この場で「観月さんをみたかったからです」と答えて良いのかどうかに悩む。
なぜならコートの中から視線、耳ダンボな空気を感じるからだ。
「━━━チッ」
観月もその気配に気付き、ひとつ舌打ちしてから巴の手を引っ張って
部員達の目の届かないところまで歩いていく。
「赤澤くん、彼らがコートから出ないように見張っててくださいよっ!」
そう一言残すのも忘れずに。
校舎の裏まで二人やって来た。
ここなら確かに誰かの目を気にする必要もあまりないだろう。
「それで?さっきの答えは?」
観月は巴の顔をのぞき込みながら質問する。
巴は少し頬を赤らめながらそれに答える。言葉を選びながら。
「ええと…観月さんが見たかったんです、ルドルフの中での。
でも、私がいるとどうしても観月さんはいつもの観月さんになっちゃうから…。
ああっなんて言うか…その、上手く言えないんですけど、
私もきっとそうなんですけど、観月さんは私がいると優しい顔になっちゃうから
それだとルドルフにいるいつもの観月さんの顔とは違うだろうというか
せっかくだから、いつもは見せてくれない顔を見ちゃえというか」
ああ、本当に日本語って難しい、なんて言えば分かってもらえるのか。
混乱しながら、なにか良い言葉はないかと必死に脳を回転させる。
「━━━何となく言いたいことは分かりましたよ。
つまりキミが知らないボクの顔が見たかった…そういう訳ですか」
つまるところそう言うことだったので、巴の顔が明るくなる。
「確かにボクはスクールではコーチがいるのでそうでもないですけど
部活では後輩達の指導もしますから、いつも厳しい顔になっているでしょうね。
もちろんボク自身がそう努めている訳ですが、そんなボクが見たかったと?」
「そう!そういうことなんです。
なんというか、その…………好きな人の顔なら色々知りたいというか」
思わず段々言葉を小さくしながら巴はそう答えた。
その言葉を耳にして観月も少なからず動揺する。
自分がデータマンだと言うこともあるが、同じ気持ちを持っているからだ。
自分の介在しない場━━━青学での彼女の顔を見たいと思っていた。
それは偵察という綺麗な大義名分で達成されてはいたが、
その事は彼女は知らないままだ。
偵察後、自分のやっていることがストーカーじみていることに気づいて
彼女に伝えられないままになっている。
これから自分側、ルドルフ側の人間としてそばに在り続けるには
いっそのこと話しておいた方が良いのではないか、今がその機会ではないか?
少し体内をよぎった緊張を和らげるため大きく息を吸い、吐く。
「実は…その、言いづらいんですけどね…。
ボクもキミと同じようなこと思い、そしてそれをを既に実行していますから、
━━━そういうことならあまりキミをきつくは咎められませんね」
実に言い難そうに観月は巴にそう告白をした。
「観月さんが?」
もちろん、青学に偵察に来るぐらいならしているだろうとは巴も思っていたが、
まさか自分と同じ気持ちで自分のことを見に来ていたとは。
ともすると、ストーカーともとれる行為だ。
常識人の観月がそんなことをするとは思わなかったし
今日のこの事もバレると怒られるかも知れないと身を竦めていたというのに。
目を丸くしたまま、あまりの驚きに二の句が継げないでいた。
「で、どうでしたか?キミが見たボクは?」
観月は巴に問いかける。
巴の目に映った普段の自分の姿はどうだったのだろう?
当然ながら彼女に普段見せる自分とは明らかに違う。
自分に二面性があるとは思わないが、恋人に見せたい表情と
テニスに向き合っている、指導しているときの姿は当然違う。
厳しいし、真摯だ。
その点を怖いと捉えられても酷いと捉えられても仕方がない。
巴がルドルフに入り、共に練習するようになると当然ながら見せざるを得ない面で。
スクールの時のように巴に見せたい自分を演じる余裕など無いならば。
いつか来るその時に嫌われてしまうのなら、いっそ今嫌われてしまえと
心の中で何者かが━━━もう一人の観月はじめが囁いている。
「私が見た、観月さん…ですか?」
不意の質問に、巴は脳を必死に働かせる。
なんて言えばこの人を喜ばせられるか、満足させられるか?
自分の思いを素直に口にして良いのか?
恋愛経験値のない巴にはわからない。わからないながら必死に考える。
好きだから、嫌われたくない。ただそれだけなのだけれど。
自分も同じ気持ちを持っていた━━━観月はそう言うけれど。
自他認める裏表の無さを持つ自分はどんな時でもこっそり見られても平気だけれど
きっと観月は違う。
プライドもあるし、色んな表情を人によって使い分ける人だから。
やはり嫌悪感ぐらいはあるんじゃ?
そう考えてしまうのは仕方がない。
だけれど、自分が答えられる答えは、ひとつしかないことに考えが至る。
「私が見た観月さんは、ドキドキしました」
「ドキドキ…ですか?」
観月こそまさに今、そのセリフにドキドキしてしまう。
「怖い」とか「二重人格」とか
そんなことを言われるのではないかと思っていた。
それが「ドキドキ」だとは。
彼女は一体何を言い出すのだろう。
「はい、私の知らない観月さんがいて、もちろん違和感もあったんですけど、
テニスに真剣に向き合ってる知らない顔の男の人にドキドキしました。
あれはあれで、いいかなーなんて。
もし、私が元からルドルフの生徒だったら、
もっと前から知ることが出来たはずだと思うとちょっと悔しいですね」
生き生きとした目を観月に向けて巴はそう答える。
いかにも巴らしい答えだと観月は思った。
良い面ばかりを見いだした模範解答━━━実に彼女らしい。
思わず口元が緩む。
「訊くだけ訊いて、観月さんこそ、どうだったんですか?
こっそり私の知らないところで、見ていたんでしょう?」
好奇心を前面に押し出した表情で、巴は観月に問いかける。
自分だって知りたい。
観月の目に映った自分のことを。
「━━━見たくなかったですね」
その一言が巴に突き刺さった。
しかし、言葉を続けようとする観月の気配に押し黙って言葉を促す。
「ボク以外の人間と、笑っているキミ。
ボク以外の人間にフォームを直されているキミ。
ボク以外の人間にデータを取られているキミ━━━実に不愉快です」
「……え?」
「キミの隣で笑うのはボク。
テニスを教えたりデータを取るのもボク。
笑ってくれても構いませんよ。キミの隣にいるのはボクでないと許さない」
つまり、それは。
俗に言う…?
「もしかして、嫉妬…してくれたんですか?観月さん」
少し憮然とした表情で観月は答える。
「もしかしなくてもそうですよ。
━━━ボクは思い知りましたよ、自分の嫉妬深さをね。
自分以外の誰かに向けるキミの笑顔、キミの眼差し。
それを黙って端から見ているのはとても苦痛です。
だからキミをこっそり見たのは1度きり。もう二度とやりたくありません」
そして巴の目を見つめて問いかける。
「キミはボクを見てそんなことは思わなかったですか?
これはボクが単にワガママなだけですか?」
突然の問いに巴は逡巡する。
彼に伝わる上手い言葉が紡げるか、一生懸命考えを巡らせて話す。
「私の見た観月さんはテニスに真剣に向き合ってる観月さんで、
それは誰に対しても、私に対してすら公平なもの…ですよね?
だからいいんです。テニスに嫉妬するようなものですし。
もし、いま私に向けられている観月さんの、その表情、眼差し、声。
それが他人に向けられているなら私も許せないと思うかも知れませんけど」
「そう…ですか?」
なんとなく、観月は自分の嫉妬すら許されたようでホッとした表情になる。
「そうですよ。でも、観月さんも嫉妬なんてする必要なんてないのに。
だって、私がいま観月さんに向けている眼差し、
これは観月さんの前でしか見せないんですよ?
なんてったって恋するオトメの眼差しですから他の人には見せられません!
だから、普通モードの私を見て嫉妬なんてする必要ないんですから」
「スイマセン、なんだかボクは焦りすぎましたね。
ボクはキミのことを好きで、信じている筈なのに…嫉妬なんて」
すっと巴を自らの身体に引き寄せて、彼女の耳元で言葉を続ける。
「でもね、ボクは基本的に嫉妬深い生き物ですから仕方ないんですよ。
いつもキミをそばに感じられると思ってルドルフに呼びましたけど
━━━もしかしたら覗き見どころか、
いつも目についてボクの神経が持たないかもしれませんね」
ふふふ、と巴は笑いを含みながらそれに応える。
「でも、嫉妬してくれている間は私のことを想ってくれているって事ですし
それだったらいっそのこと、私のことだけを見て神経衰弱にでもなってください」
「おや、結構言いますね」
「はいっ」
宣戦布告とばかりに軽い口づけを交わして、観月は身体を翻す。
「さて、ボクはもう練習に戻りますよ、キミもいらっしゃい。
今度は覗き見るのではなくて堂々とボクのことを見ていなさい。
━━━その内、キミだってテニスにすら嫉妬するようになりますよ。
なにせ、テニスに向かうボクはキミがドキドキするほど格好良いようですから」
END
「巴くん…そんなところで何をしているんです?
まるで不審者みたいに」
呆れたような声の主は巴の背後に立ち、
しゃがんだままの巴を引き起こす。
「あははは、見つかっちゃいましたか~」
見つかったのなら、もうそう言うしかない。
巴は無意味に笑いながら、
立ち上がらせてくれた相手へと身体を向ける。
「いえ…普段のテニス部はどんなカンジなのかな、って思って覗いてました。
こんな所から見学してしまって、スイマセン観月さん」
目の前の相手、観月に素直に謝る。
覗き見はちょっと悪いかな、とはさすがに思っていたので、謝罪の言葉はすんなりと口から出てくる。
「キミはこの春から正式にうちの部員になるんですから、
こんなところからではなく正々堂々と見学すればいいものを…キミときたら…」
観月の説教スイッチがONになろうとしていたその時、
「やっぱり赤月だーね、さっきちらっと見えた影はお前だっただーね」
「柳沢先輩!打ち合っている途中で急に抜けないでくださいよっ」
いつのまにか、見知った顔のルドルフテニス部部員も周囲に集まってきていた。
「まったく、赤月って本当に何考えてるか分からないわね…バカなんじゃないの?」
「は、早川さんの意地悪ーっ」
「クスクス…いつもキミはびっくり箱みたいに唐突で面白いね」
急に和気藹々とした空気に包まれて、巴は少しホッとする。
転校先の学校がこういう人たちのいるところで良かったと心から思った。
「━━━コホンッ」
観月が怒気をはらんだ咳払いを一つ。
周囲の空気はすっと下がる。
「皆さん…練習中だと言うことをお忘れのようですね?
メニューが物足りないというのなら、もう少し増やしてあげましょう。
学校外周1周走っていらっしゃい」
「ゲ…赤月お前が来るのがイケナイだーね!」
「おや?無駄口を叩く余裕もあるみたいですね、もう1周追加しますか?
こういう事は青学の手塚くんの専売特許でボクとしては好みではないですけどね」
「グッ…1周してくるだーね!」
悔しそうに走っていく部員を眺めながら、そうそう…と観月は巴に向き合う。
「巴くん、キミもこんな所でのぞき見する暇があるみたいですからね、
キミも彼らと一緒に走ってきたらいいですよ」
それは、先ほど初めて見たばかりの観月の甘さのない顔。
巴は思わずドキッとする。
「行くんですか?行かないんですか?
キミもここに来たからには立派なテニス部員ですよ。ボクの指示に従ってください」
普段とは違う冷ややかさのある笑顔で見られ、少し背筋に寒気が走る。
怖い。
「いっ行ってきますっ!」
学校への挨拶も兼ねてきたのだから、巴は青学の制服のままだったのが、
そのまま制服姿に靴はローファーのまま駆け出す。
外周といえばせいぜい2~3キロあればいい、それならその格好で充分だった。
観月の普段見ない顔が自分に向けられたことに驚き、
必死に足を動かし校外へ、先を走る部員達へと追いついていった。
とんだとばっちりだ、などとボヤキながら外周を走り終えた部員達はコートに戻った。
コートの外にはウォームアップ無しで走ったためにいつもより息が整わない巴と
その姿を面白そうに眺めている観月だけが残った。
「で?先ほどの質問ですけど本当のところはこんな所で何をしているんですか?
見学だけならこんな所から見なくても良い訳ですよね?
それも、ボクに内緒にしてルドルフにやってこなくても」
巴にとって非常に答えにくいような質問をされる。
この場で「観月さんをみたかったからです」と答えて良いのかどうかに悩む。
なぜならコートの中から視線、耳ダンボな空気を感じるからだ。
「━━━チッ」
観月もその気配に気付き、ひとつ舌打ちしてから巴の手を引っ張って
部員達の目の届かないところまで歩いていく。
「赤澤くん、彼らがコートから出ないように見張っててくださいよっ!」
そう一言残すのも忘れずに。
校舎の裏まで二人やって来た。
ここなら確かに誰かの目を気にする必要もあまりないだろう。
「それで?さっきの答えは?」
観月は巴の顔をのぞき込みながら質問する。
巴は少し頬を赤らめながらそれに答える。言葉を選びながら。
「ええと…観月さんが見たかったんです、ルドルフの中での。
でも、私がいるとどうしても観月さんはいつもの観月さんになっちゃうから…。
ああっなんて言うか…その、上手く言えないんですけど、
私もきっとそうなんですけど、観月さんは私がいると優しい顔になっちゃうから
それだとルドルフにいるいつもの観月さんの顔とは違うだろうというか
せっかくだから、いつもは見せてくれない顔を見ちゃえというか」
ああ、本当に日本語って難しい、なんて言えば分かってもらえるのか。
混乱しながら、なにか良い言葉はないかと必死に脳を回転させる。
「━━━何となく言いたいことは分かりましたよ。
つまりキミが知らないボクの顔が見たかった…そういう訳ですか」
つまるところそう言うことだったので、巴の顔が明るくなる。
「確かにボクはスクールではコーチがいるのでそうでもないですけど
部活では後輩達の指導もしますから、いつも厳しい顔になっているでしょうね。
もちろんボク自身がそう努めている訳ですが、そんなボクが見たかったと?」
「そう!そういうことなんです。
なんというか、その…………好きな人の顔なら色々知りたいというか」
思わず段々言葉を小さくしながら巴はそう答えた。
その言葉を耳にして観月も少なからず動揺する。
自分がデータマンだと言うこともあるが、同じ気持ちを持っているからだ。
自分の介在しない場━━━青学での彼女の顔を見たいと思っていた。
それは偵察という綺麗な大義名分で達成されてはいたが、
その事は彼女は知らないままだ。
偵察後、自分のやっていることがストーカーじみていることに気づいて
彼女に伝えられないままになっている。
これから自分側、ルドルフ側の人間としてそばに在り続けるには
いっそのこと話しておいた方が良いのではないか、今がその機会ではないか?
少し体内をよぎった緊張を和らげるため大きく息を吸い、吐く。
「実は…その、言いづらいんですけどね…。
ボクもキミと同じようなこと思い、そしてそれをを既に実行していますから、
━━━そういうことならあまりキミをきつくは咎められませんね」
実に言い難そうに観月は巴にそう告白をした。
「観月さんが?」
もちろん、青学に偵察に来るぐらいならしているだろうとは巴も思っていたが、
まさか自分と同じ気持ちで自分のことを見に来ていたとは。
ともすると、ストーカーともとれる行為だ。
常識人の観月がそんなことをするとは思わなかったし
今日のこの事もバレると怒られるかも知れないと身を竦めていたというのに。
目を丸くしたまま、あまりの驚きに二の句が継げないでいた。
「で、どうでしたか?キミが見たボクは?」
観月は巴に問いかける。
巴の目に映った普段の自分の姿はどうだったのだろう?
当然ながら彼女に普段見せる自分とは明らかに違う。
自分に二面性があるとは思わないが、恋人に見せたい表情と
テニスに向き合っている、指導しているときの姿は当然違う。
厳しいし、真摯だ。
その点を怖いと捉えられても酷いと捉えられても仕方がない。
巴がルドルフに入り、共に練習するようになると当然ながら見せざるを得ない面で。
スクールの時のように巴に見せたい自分を演じる余裕など無いならば。
いつか来るその時に嫌われてしまうのなら、いっそ今嫌われてしまえと
心の中で何者かが━━━もう一人の観月はじめが囁いている。
「私が見た、観月さん…ですか?」
不意の質問に、巴は脳を必死に働かせる。
なんて言えばこの人を喜ばせられるか、満足させられるか?
自分の思いを素直に口にして良いのか?
恋愛経験値のない巴にはわからない。わからないながら必死に考える。
好きだから、嫌われたくない。ただそれだけなのだけれど。
自分も同じ気持ちを持っていた━━━観月はそう言うけれど。
自他認める裏表の無さを持つ自分はどんな時でもこっそり見られても平気だけれど
きっと観月は違う。
プライドもあるし、色んな表情を人によって使い分ける人だから。
やはり嫌悪感ぐらいはあるんじゃ?
そう考えてしまうのは仕方がない。
だけれど、自分が答えられる答えは、ひとつしかないことに考えが至る。
「私が見た観月さんは、ドキドキしました」
「ドキドキ…ですか?」
観月こそまさに今、そのセリフにドキドキしてしまう。
「怖い」とか「二重人格」とか
そんなことを言われるのではないかと思っていた。
それが「ドキドキ」だとは。
彼女は一体何を言い出すのだろう。
「はい、私の知らない観月さんがいて、もちろん違和感もあったんですけど、
テニスに真剣に向き合ってる知らない顔の男の人にドキドキしました。
あれはあれで、いいかなーなんて。
もし、私が元からルドルフの生徒だったら、
もっと前から知ることが出来たはずだと思うとちょっと悔しいですね」
生き生きとした目を観月に向けて巴はそう答える。
いかにも巴らしい答えだと観月は思った。
良い面ばかりを見いだした模範解答━━━実に彼女らしい。
思わず口元が緩む。
「訊くだけ訊いて、観月さんこそ、どうだったんですか?
こっそり私の知らないところで、見ていたんでしょう?」
好奇心を前面に押し出した表情で、巴は観月に問いかける。
自分だって知りたい。
観月の目に映った自分のことを。
「━━━見たくなかったですね」
その一言が巴に突き刺さった。
しかし、言葉を続けようとする観月の気配に押し黙って言葉を促す。
「ボク以外の人間と、笑っているキミ。
ボク以外の人間にフォームを直されているキミ。
ボク以外の人間にデータを取られているキミ━━━実に不愉快です」
「……え?」
「キミの隣で笑うのはボク。
テニスを教えたりデータを取るのもボク。
笑ってくれても構いませんよ。キミの隣にいるのはボクでないと許さない」
つまり、それは。
俗に言う…?
「もしかして、嫉妬…してくれたんですか?観月さん」
少し憮然とした表情で観月は答える。
「もしかしなくてもそうですよ。
━━━ボクは思い知りましたよ、自分の嫉妬深さをね。
自分以外の誰かに向けるキミの笑顔、キミの眼差し。
それを黙って端から見ているのはとても苦痛です。
だからキミをこっそり見たのは1度きり。もう二度とやりたくありません」
そして巴の目を見つめて問いかける。
「キミはボクを見てそんなことは思わなかったですか?
これはボクが単にワガママなだけですか?」
突然の問いに巴は逡巡する。
彼に伝わる上手い言葉が紡げるか、一生懸命考えを巡らせて話す。
「私の見た観月さんはテニスに真剣に向き合ってる観月さんで、
それは誰に対しても、私に対してすら公平なもの…ですよね?
だからいいんです。テニスに嫉妬するようなものですし。
もし、いま私に向けられている観月さんの、その表情、眼差し、声。
それが他人に向けられているなら私も許せないと思うかも知れませんけど」
「そう…ですか?」
なんとなく、観月は自分の嫉妬すら許されたようでホッとした表情になる。
「そうですよ。でも、観月さんも嫉妬なんてする必要なんてないのに。
だって、私がいま観月さんに向けている眼差し、
これは観月さんの前でしか見せないんですよ?
なんてったって恋するオトメの眼差しですから他の人には見せられません!
だから、普通モードの私を見て嫉妬なんてする必要ないんですから」
「スイマセン、なんだかボクは焦りすぎましたね。
ボクはキミのことを好きで、信じている筈なのに…嫉妬なんて」
すっと巴を自らの身体に引き寄せて、彼女の耳元で言葉を続ける。
「でもね、ボクは基本的に嫉妬深い生き物ですから仕方ないんですよ。
いつもキミをそばに感じられると思ってルドルフに呼びましたけど
━━━もしかしたら覗き見どころか、
いつも目についてボクの神経が持たないかもしれませんね」
ふふふ、と巴は笑いを含みながらそれに応える。
「でも、嫉妬してくれている間は私のことを想ってくれているって事ですし
それだったらいっそのこと、私のことだけを見て神経衰弱にでもなってください」
「おや、結構言いますね」
「はいっ」
宣戦布告とばかりに軽い口づけを交わして、観月は身体を翻す。
「さて、ボクはもう練習に戻りますよ、キミもいらっしゃい。
今度は覗き見るのではなくて堂々とボクのことを見ていなさい。
━━━その内、キミだってテニスにすら嫉妬するようになりますよ。
なにせ、テニスに向かうボクはキミがドキドキするほど格好良いようですから」
END
『恋は、理屈じゃない』
観月さんはいったい私のどこを好きになったんだろう?
テニスも学力もルックスもそこそこで飛び抜けたところがない。
那美ちゃんみたいに、テニスの能力がずば抜けてる訳でもなければ
桜乃ちゃんみたいな女の子らしさというものも持ち合わせていない。
今、私が持ちうるテニス能力も学力も観月さんがいてこそで。
自分一人ではどうしようもなかったんじゃないかと思う。
早川さんみたいな努力家でもないわけだし。
以前、何もかもが自分の好みだと言ってくれたけど、
全く具体的じゃないし。
だって、田舎者だし。
だって、力持ちだし。
だって、がさつだし。
寝坊もすれば宿題を忘れることもある。
考えれば考えるほど、ドツボにはまる。
はまって抜け出せそうにないから、とりあえず口にしてみた。
自分が思っていることをそっくり。
「……恥ずかしくて答えにくいことをよく訊きますね……キミは」
観月さんは、そういってすこし口ごもった。
隣に座る観月さんの横顔を眺めながら、私は言葉を待つ。
そして、やがて気を持ち直した観月さんは
前を向いたまま話し始めた。
私なら観月さんの良いところ、
好きなところをたくさん話せるんだけどな。
「ボクはね、データで測れない事柄など無いと思ってたんですよ。
試合も、人の気持ちでさえも、ね。
でもキミと出会っていろいろと分かったことがあるんですよ」
「いろいろと?なんですか?」
いろいろと、何が分かったんだろう。
私の何が観月さんには分かったんだろうか。一体、何が?
「いろいろとあって…うまく言うことは難しいんですけどね…。
その中の一つははっきり言えますね、
古来から使い古された言葉ですけどね」
そこで一旦言葉を止める。
そして私の方を向いて視線を絡ませる。
「その中の一つって、なんですか?」
とにかく一つでも知りたかった。
「んふっ…恋は理屈じゃないって事ですよ。データじゃ測れない。
そしてキミ自身もね…ボクの理屈では測れない、
そういうことが分かりました」
「はあ」
「要するに、理屈抜きでキミのことが好きなんですよ」
にっこり笑いながらそう言って、私の唇に一つキスを落とす。
よくよく考えたら、全く答えにはなってないんだけど、
まあいいかなって思えた。
どんな私でも好きでいてくれるって事だよね、きっと。
それに唇から伝うぬくもりは段々熱く深くなってくるし、
腰に回された手には力が込められてきたし。
何となく、キスで誤魔化されたような気もしないではないけれど。
言葉遊びの追求をする余裕もなくなってきたことだし。
やっぱり、恋は、理屈じゃない。
END
観月さんはいったい私のどこを好きになったんだろう?
テニスも学力もルックスもそこそこで飛び抜けたところがない。
那美ちゃんみたいに、テニスの能力がずば抜けてる訳でもなければ
桜乃ちゃんみたいな女の子らしさというものも持ち合わせていない。
今、私が持ちうるテニス能力も学力も観月さんがいてこそで。
自分一人ではどうしようもなかったんじゃないかと思う。
早川さんみたいな努力家でもないわけだし。
以前、何もかもが自分の好みだと言ってくれたけど、
全く具体的じゃないし。
だって、田舎者だし。
だって、力持ちだし。
だって、がさつだし。
寝坊もすれば宿題を忘れることもある。
考えれば考えるほど、ドツボにはまる。
はまって抜け出せそうにないから、とりあえず口にしてみた。
自分が思っていることをそっくり。
「……恥ずかしくて答えにくいことをよく訊きますね……キミは」
観月さんは、そういってすこし口ごもった。
隣に座る観月さんの横顔を眺めながら、私は言葉を待つ。
そして、やがて気を持ち直した観月さんは
前を向いたまま話し始めた。
私なら観月さんの良いところ、
好きなところをたくさん話せるんだけどな。
「ボクはね、データで測れない事柄など無いと思ってたんですよ。
試合も、人の気持ちでさえも、ね。
でもキミと出会っていろいろと分かったことがあるんですよ」
「いろいろと?なんですか?」
いろいろと、何が分かったんだろう。
私の何が観月さんには分かったんだろうか。一体、何が?
「いろいろとあって…うまく言うことは難しいんですけどね…。
その中の一つははっきり言えますね、
古来から使い古された言葉ですけどね」
そこで一旦言葉を止める。
そして私の方を向いて視線を絡ませる。
「その中の一つって、なんですか?」
とにかく一つでも知りたかった。
「んふっ…恋は理屈じゃないって事ですよ。データじゃ測れない。
そしてキミ自身もね…ボクの理屈では測れない、
そういうことが分かりました」
「はあ」
「要するに、理屈抜きでキミのことが好きなんですよ」
にっこり笑いながらそう言って、私の唇に一つキスを落とす。
よくよく考えたら、全く答えにはなってないんだけど、
まあいいかなって思えた。
どんな私でも好きでいてくれるって事だよね、きっと。
それに唇から伝うぬくもりは段々熱く深くなってくるし、
腰に回された手には力が込められてきたし。
何となく、キスで誤魔化されたような気もしないではないけれど。
言葉遊びの追求をする余裕もなくなってきたことだし。
やっぱり、恋は、理屈じゃない。
END
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HN:
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