「あー、あー」巴は喉が少々おかしいことが気になった。ちょっとガサガサしていて腫れた感じだ。
今日は一日空気が乾燥していたからだろうか?
それとも、いつもより多めにかいた汗が冷えて体温を奪っていたからだろうか?
風呂に入って、体もほかほかで喉も湿気で潤したはずなのにおかしいなと、赤月巴は居間でテレビを見ていた倫子と菜々子に話しかけてみた。
「喉? うーん風邪…かしらねえ、念のため喉に効くお薬を出しましょうか」
菜々子は心配そうに眉をひそめて、薬箱を取りにいこうと腰を浮かせたところに、思い出したように倫子の声が上がった。
「そうそう、去年漬けた花梨の蜂蜜漬けがあるわ、それを飲んだら良いんじゃない」
「花梨? 漬けてましたっけ」
不思議そうに菜々子は言うが、「そうよ、そうだった」と倫子は話を続ける。
「巴ちゃんは知ってる? 花梨って喉に良いのよ。蜂蜜もね。だから去年ご近所からいただいたのを漬けたのよ」
やっと役に立つ、ウキウキと倫子は巴にそう話した。
「へえ、そうなんですか! 花梨は知ってますけど、蜂蜜漬けは飲んだ事がないから楽しみ!」
巴は苦い薬よりも確かに良いと、そそくさと席を立ち台所へと向かう。
保存庫を開けると確かに梅酒やぬか漬けなどが並んでいる中に、『かりん』と書かれた瓶が入っていた。
深い琥珀色の花梨の蜂蜜漬けは、木になっている淡い黄色の花梨の実からは想像できない色だったがふたを開けてみると、確かに花梨の甘くさわやかな香りと蜂蜜独特の香りが混ざって漂ってきた。
棚から出してきたレードルでそれをすくうと、蜂蜜漬けの割にはさらっとした感じの液体をコップに流し入れた。
「……蜂蜜漬けってなんだか、お酒っぽい匂いなんだー。実の水分とか発酵するとかそんな感じかな?」
巴はあまり気にすることなく、蜂蜜漬けを大きめのコップに1/3くらい汲み上げて作業を終了させた。
そしてそのコップに水を注いで希釈させ、ようやく蜂蜜漬けは口にすることが出来るようなった。
台所の食卓にちょこんと座ってそれを味わうことにした。
コップの中の液体を眺めてやっぱりちょっと蜂蜜にしては水っぽいなあと巴はややいぶかしく思ったが、そこは初めて口にするものだからそんなものなんだろうなと、警戒心薄めでコップに口をつけた。
口に広がる味は確かに花梨と蜂蜜で甘いが、喉を通すとカッとした熱いものを飲み込むような感じがした。
やっぱり喉がおかしいんだなと巴はすんなり納得した。
「でも、おいしいなー」ぐびぐびと夢中で半分以上飲み干した。
なんだか体が温かくなってきたようだ。顔もほてりだした気がする。
「……薬効かな? それとも、熱が出始めちゃったかなあ」
喉がおかしいとなれば、それが腫れてしまえば簡単に熱も出る。
悪化しないようにこれを飲んだはずだが、ちょっと遅かったのかもしれない。
「──何飲んでるの?」
台所で顔を真っ赤にしながら何かを飲んでいる巴を、不思議そうにリョーマは眺めた。
「あ、おばさんが漬けた花梨だよー。蜂蜜で漬けたんだって、花梨って美味しいねえ」
「へえ、俺も飲んでみようかな」
リョーマもスタスタと台所に入ってきて、巴に近づくとギョッとした表情になり、慌てて保存庫の中を確認する。
顔を真っ赤にした巴の周囲に漂う香りはしょっちゅう自分の父親が漂わせているものと似ている。
もしかして──リョーマはそう思った。
「どうしたのー?」そのリョーマの態度が気になって、巴は彼の行動を窺う。
リョーマはガサガサと保存庫をあさっているようだった。
「あの、クソ親父が」
チッと思わず舌打ちしてしまう。『かりん』と書かれた瓶は確かに一本しか入っていない。
去年、母が蜂蜜漬けを漬けたのだと話していたのは覚えているから、それは確かに『花梨の蜂蜜漬け」だったのだろう、かつては。
しかし、その瓶の隣に置いてある一升瓶を見て頭を抱えたくなった。
導きだされる答えはひとつだ。ノンアルコールの蜂蜜漬けに物足りなかった父親が、母の知らないところで後で酒を足したのだろう。
巴が帯びた酒気がそれを物語っている。
苦々しい顔で瓶を再び保存庫に戻して巴のところまで戻る。
「赤月、お前平気? それ、お酒みたいなんだけど」
「へ? ……って、ええええええー! 確かにちょっとそれっぽいな~とは思ったけど!」
そう思ったなら飲むなよと心でツッコみつつ、リョーマは巴が握ったままのコップを取り上げる。
「結構飲んだ?」
「う~ん、蜂蜜だと思って飲んだから……」
リョーマは巴の口にしたコップを口に付けた。
「あっ!」巴は声を上げる。中身がお酒だとわかったからということもあるし、自分の口にした物をリョーマも口にしているからというのもある。
一緒に住んでいて今更というのはあるけれども、これって間接キスかなあと、ぼんやり思うと急に気恥ずかしくなってきた。
頬がほてっているのはお酒のせいだけではないはずだと、自身は自覚してしまった。
先ほどよりさらに体温上昇させている巴を横目に、リョーマは先ほど口にしたコップの中身をシンクに捨てて、新たに水を入れ直して巴に渡した。
「これ飲んだら部屋に戻りなよ」
水を必死に飲みながら、リョーマの言葉に同意する。
一気飲みに近い早さでコップの中身をすっかり空にして、巴は食卓から立ち上がろうとした。
「あっ……!」がくんと膝が落ちる。なかなか上手く力が入らなかった。
それは則ちお酒の副作用と言うか酔いのためであったが、巴には初めての感覚だったので瞬間恐怖すら感じた。
自分はどうしてしまったのだろう? そう思い、混乱してしまった。
その巴の表情にリョーマはこれは酔ってるんだろうねと理解して、深くため息をついた。
なぜ彼女がこの花梨の蜂蜜漬けを口にすることになったのか、それはリョーマの知るところではなかったけれど、しかし結果は間接的にとはいえ自分の父親がこの状態を引き起こしている。
もちろん巴の不注意にも非はあるけれども、この真っ赤になってふらついている彼女を見ていま責めるべきではないことは明らかで。
とりあえずは自分がこの場を片付けて、彼女をさっさと部屋に返すほか無いだろうと結論づけた。
居間にいる母や菜々子を呼ぶことも考えたけれども、そうなったらひと騒動起きることは容易に想像できてリョーマにしてみればただ騒がしく面倒なことだ。
「ほら、腕、貸しなよ」
「えええ、いきなり何? 意味が分からないし」
巴のはっきりした返答に、とりあえず意識や思考は酔っていても確かなようで、リョーマはホッとした。
「だって、ちゃんと立てないんでしょ」そういって有無も言わさず巴の腕を自分の肩に回してなかば引きずるように台所を出た。
幸いにしてそこから部屋までは誰に会うこともなく進み、巴の部屋まで入ることが出来た。
「ふう、やっと着いた。お前案外重いね──って、おい!」
部屋に着いたとたん巴はズルズルとリョーマの体をたどりながら、くずおれた。
それにつきあうようにリョーマも身を屈め、なんとか巴がどこかに体をぶつけたりすることなくそのまま部屋に横にさせることに成功した。
ただし、気づいたらまるでリョーマが巴に膝枕をさせるような格好になっていた。
「……俺もまだまだだね……」
振り落とそうと思えばいくらでも簡単に出来そうな体勢だ。
なのに出来ないのは、どうしてだろう。やはり、巴に対してだからだろうなとリョーマは思う。
これが桃城や堀尾だったらば遠慮なく投げ出すところだ。同性だから気持ち悪いし、いっそ蹴飛ばしてみたい。
顔をまだ真っ赤に染めながらも、すやすやと眠る巴を眺めおろす。
お酒のせいだろうか、彼女の顔はとても楽しそうだった。かわいいと言っても良いかもしれない。あくまで欲目で、だが。
リョーマ自身はその彼女を振り落とせない理由に気づいていたが、これまでもあえて気づかないようにしていた。
微妙なバランスの上に成り立っている二人の関係を壊しかねないからだ。
軽口のたたける奇妙な同居人、楽しい同級生、頼もしい部活仲間、時には大事にしたいと思う異性──自分の性格ではこれまでこんな関係を築くことはなかった。でも、それは築いてみればとても良いものだった。似たような心地よい関係を青学テニス部全体と築いているけれども、彼らは同性でそしてなにより巴じゃない。いとおしむような気持ちをも抱くのは巴に対してだけで。
だから、もしこれまで築いていたものが崩れてしまうようなことがあったらと思うと、少し怖い。
だから、しばらくはまだ、このままでいい。
けれど──。
「目が覚めたら、どんな顔するんだろうね、赤月は。まあその頃には俺は全身筋肉痛かもしれないけど……ね」
巴の目が覚めないように細心の注意を払って自分の足を楽な体勢に組み替えて、リョーマは彼女の部屋の中央に腰を落ち着けた。
そして彼女の布団を必死で手を伸ばして掴み、相当ぐっすりと眠りに落ちているらしい彼女にかぶせた。
せめて、夜明けまでは、このままでいたい。
彼女が目覚める瞬間まで。二人の関係が変わるかもしれない、その瞬間まで。
たまにはクソ親父に感謝しても良いかもしれないと思いながら、巴の温もりと重さを感じながら、リョーマは朝を待つことにした。
「この貸しはとてつもなく大きいからね、赤月」
END
勢いに任せて「ダブルスの王子様」とのコラボネタ。
この手のネタが苦手な方はお気をつけ下さい。
ネタバレは無いはず。
ダブプリゲーム開始段階(6/7)の巴はさすがに大会参加できないよね、っていう話です。
***
「いいなー、リョーマくん」
越前家居間にて先ほど跡部の姿が映っていたテレビと、座卓の上に転がっているバッジを前に巴はしきりにリョーマを羨んだ。
「私も、そのダブルスの大会出たかった!」
「あのねえ……赤月。お前テニス歴言ってみなよ」
「二か月」
片手で自らの頭を抱えてリョーマは「バッカじゃないの?」と絞り出すように声を出した。
「全国大会レベルの選手がエントリーされてる大会に、テニス歴二か月でなにをしようっての?」
「それは……」
痛いところを突かれた巴は口ごもる。
確かに、テニスを始めて二か月では何も出来ないだろう。
天性のテニスセンスがあると言ってもようやく試合が形になってきたところで、必殺技の一つも打ち出せないのだ。
そんななかエントリーを認められたって、バッジ欲しさに群がってくるものたちの格好の餌食になるだけで、彼女と一緒に組まされる誰かの迷惑になるだけなのは明白だ。
それは巴でもわかる。それに自分だってパートナーにはそんな迷惑をかけたくはない。
「でも、私も出てみたかったんだもん、学校以外でもリョーマくんとダブルスが組めたら嬉しいなーとか思ったし」
「──なっ」
「……私のパートナーが外で私以外の人とペアになるっていうのは……ちょっと悔しいよ」
巴はその悔しさの意味を突き詰めたことはまだ無かったが、悔しいこと自体は本音だ。
幼い独占欲には巴はまだ気付かない。
その彼女と座卓を少し離れたところで一緒に囲んでいるリョーマは、その言葉を計りかねているのか黙ったまま巴の次の言葉を待っているようだった。
知り合ってから二か月、テニス歴二か月の彼女が一体なにを言い出すのか、リョーマに取っては予測不可能だった。
それだけに彼女の存在がとても興味深いものになっているのは確かだったが。
リョーマが興味深い彼女の言葉にすこし居心地の悪いものを感じていると、巴も部屋の空気がどことなく気まずいものになっていることに気付いたのか慌てて言葉を続けた。
「あ、ゴメン! そんなこと言っても仕方ないよね」
「そっそりゃ……そうでしょ」
お互い取り繕うように会話を再開させる。
「大会に出場できたら、お弁当もって応援に行くから頑張ってね、リョーマくん」
「”できたら”って、できるに決まってるじゃん、そんなの。
だからお弁当も今から考えておくんだね──味付けとか、赤月の料理はまだまだだからさ」
「うん! 頑張るよ」
ここで話は終わりというように、リョーマは立ち上がりリモコンを手に取った。
いつの間にか跡部タイムから通常の番組に切り替わっていたテレビを、プツッと消して部屋に背を向けた。
「ああ、それと──」
「なに?」
一体リョーマになにを言われるのだろう、ドキッとしながら巴はリョーマを見上げた。
「今回はお弁当を頑張ってもらうけど、”次”があったらその時はちゃんと頑張ってもらうから」
「ええっ”次”って」
次とは自分の考えている”次”で良いのだろうか、自分が都合のいいように考えているだけなのだろうかと巴はリョーマの言葉について焦りながら考えてみた。
その表情を振り返って見たリョーマは、ニヤリと楽しそうに口の端で笑んで部屋をそのまま出て行った。
「赤月の働きを期待してるから、せいぜい料理とテニスの腕を上げておきなよ、俺のパートナーさん」
少し離れたところから、トントンと階段を上がる足音と同時にそんな声が聞こえてきた。
「……明日、図書室でお弁当の本とダブルス必勝法の本借りてこなきゃ……」
そんなつぶやきとともに視線を座卓の上に移すと、バッジが転がったままだった。
巴は、リョーマが置き忘れていったそのバッジを慌てて彼に届けようと立ち上がったが、すぐにまたその場に座り込んだ。
「と、とりあえず顔が戻るまでここに居よう」
気付けば顔がなぜかニヤけている。それになんだか暑い。
試合の後でもないのに、巴にはどうやらクールダウンが必要なようだった。
END
越前家居間にて先ほど跡部の姿が映っていたテレビと、座卓の上に転がっているバッジを前に巴はしきりにリョーマを羨んだ。
「私も、そのダブルスの大会出たかった!」
「あのねえ……赤月。お前テニス歴言ってみなよ」
「二か月」
片手で自らの頭を抱えてリョーマは「バッカじゃないの?」と絞り出すように声を出した。
「全国大会レベルの選手がエントリーされてる大会に、テニス歴二か月でなにをしようっての?」
「それは……」
痛いところを突かれた巴は口ごもる。
確かに、テニスを始めて二か月では何も出来ないだろう。
天性のテニスセンスがあると言ってもようやく試合が形になってきたところで、必殺技の一つも打ち出せないのだ。
そんななかエントリーを認められたって、バッジ欲しさに群がってくるものたちの格好の餌食になるだけで、彼女と一緒に組まされる誰かの迷惑になるだけなのは明白だ。
それは巴でもわかる。それに自分だってパートナーにはそんな迷惑をかけたくはない。
「でも、私も出てみたかったんだもん、学校以外でもリョーマくんとダブルスが組めたら嬉しいなーとか思ったし」
「──なっ」
「……私のパートナーが外で私以外の人とペアになるっていうのは……ちょっと悔しいよ」
巴はその悔しさの意味を突き詰めたことはまだ無かったが、悔しいこと自体は本音だ。
幼い独占欲には巴はまだ気付かない。
その彼女と座卓を少し離れたところで一緒に囲んでいるリョーマは、その言葉を計りかねているのか黙ったまま巴の次の言葉を待っているようだった。
知り合ってから二か月、テニス歴二か月の彼女が一体なにを言い出すのか、リョーマに取っては予測不可能だった。
それだけに彼女の存在がとても興味深いものになっているのは確かだったが。
リョーマが興味深い彼女の言葉にすこし居心地の悪いものを感じていると、巴も部屋の空気がどことなく気まずいものになっていることに気付いたのか慌てて言葉を続けた。
「あ、ゴメン! そんなこと言っても仕方ないよね」
「そっそりゃ……そうでしょ」
お互い取り繕うように会話を再開させる。
「大会に出場できたら、お弁当もって応援に行くから頑張ってね、リョーマくん」
「”できたら”って、できるに決まってるじゃん、そんなの。
だからお弁当も今から考えておくんだね──味付けとか、赤月の料理はまだまだだからさ」
「うん! 頑張るよ」
ここで話は終わりというように、リョーマは立ち上がりリモコンを手に取った。
いつの間にか跡部タイムから通常の番組に切り替わっていたテレビを、プツッと消して部屋に背を向けた。
「ああ、それと──」
「なに?」
一体リョーマになにを言われるのだろう、ドキッとしながら巴はリョーマを見上げた。
「今回はお弁当を頑張ってもらうけど、”次”があったらその時はちゃんと頑張ってもらうから」
「ええっ”次”って」
次とは自分の考えている”次”で良いのだろうか、自分が都合のいいように考えているだけなのだろうかと巴はリョーマの言葉について焦りながら考えてみた。
その表情を振り返って見たリョーマは、ニヤリと楽しそうに口の端で笑んで部屋をそのまま出て行った。
「赤月の働きを期待してるから、せいぜい料理とテニスの腕を上げておきなよ、俺のパートナーさん」
少し離れたところから、トントンと階段を上がる足音と同時にそんな声が聞こえてきた。
「……明日、図書室でお弁当の本とダブルス必勝法の本借りてこなきゃ……」
そんなつぶやきとともに視線を座卓の上に移すと、バッジが転がったままだった。
巴は、リョーマが置き忘れていったそのバッジを慌てて彼に届けようと立ち上がったが、すぐにまたその場に座り込んだ。
「と、とりあえず顔が戻るまでここに居よう」
気付けば顔がなぜかニヤけている。それになんだか暑い。
試合の後でもないのに、巴にはどうやらクールダウンが必要なようだった。
END
去年のクリスマスイブは一緒に過ごすことが出来たけれど、今年は叶わない。
12月24日23時45分。
赤月巴は電気もつけず暗い自室の真ん中に、ごろんと寝そべり大きくため息をついた。
この世で一番誕生日を祝いたい相手の誕生日なのに、その当人はここには居ない。
日本から遠く離れたアメリカで、テニス修行をしているはずだ。
その修行もメジャーリーガーよろしく遠征に次ぐ遠征で、リョーマの実家で暮らしているはずの巴でさえ彼が今どこに居るかということを把握していない。
『便りのないのは良い便り』と先人は言うけれども、携帯依存症なんていう言葉もあるくらいの21世紀では頻繁にメールの一つも送られてこないのはやはり良い便りとは思えない。
今どこに居るのか、何をしているのか、次はいつ帰国するのか。
それだけでも知りたいと思うけれども、リョーマの性格から考えてそれすらも面倒くさがっているのだろうと想像がつくし。
それをこちらから細かく聞き出そうとするのも、嫌がるだろうと思った。
今更だとは思うが、例えそれをやったとして、ウザイ女だと思われるのも願い下げだ。
遠距離恋愛──そう定義づけるとやたらと甘ったるく感じられて恥ずかしいけれど、遠くにあって互いを想い合うことは難しい。
南次郎じゃないけれど、その遺伝子を持つ彼が金髪美女に弱かったりするかもしれないと考えてしまったのは一度や二度どころではないし、そうでなかったとしても離れている間に愛想を尽かされているのではないかと思うこともしばしばだ。
テニス以外のこととなると案外淡白な彼だ。
自分のことを気に入っている事実のほうが不思議だと今でも思う。
横になりながら右手を伸ばすと、床に置きっぱなしにしていたらしい携帯電話が指に触れた。
それをぎゅっと握りしめた。
もしかしたら修行とはいえ新年ぐらいは帰宅するかもしれない。
それくらいは訊いても良いのかな?
そう、考えた瞬間手の中の携帯電話がブルブルと震えだした。
着信を知らせるパネルにはリョーマの名前、しかも電話着信だ。
慌てて受信ボタンに触れて耳に当てる。
「──あ、はっ、はい!! リョーマくん? なに? どうしたの?」
相手に何も告げさせない勢いで巴は携帯電話に向けて話しはじめた。
「その勢いと声なら起きてたみたいだね、いま部屋に居るよね?」
「うん、どうして?」
「いいから、外見てくれない?」
「そと──」巴は言われるままに、カーテンを開き窓から周囲を見渡す。
クリスマスイブだというのに、日付がもうすぐ変わるこの時間ではさすがに住宅街は静かだった。
ふと自宅の門付近に目をやると、そこにはここに居るはずがないと思っていた姿があった。
「リョーマくん!!」
あわてて窓を開き、電話越しではなく直接声を掛ける。
「うるさいよ、赤月。近所迷惑」
耳元でシーッと声が聞こえた。
巴もそれに気づいて思わず口を手で塞ぐ。全く意味のないことだったが。
「で、帰ってきたんだけど自宅の鍵一式無くしちゃったみたいなんだよね」
だから開けてよ、そうリョーマは告げていた。
「寒いの嫌なんだよね」そう続いた言葉は、巴の切断によって最後まで彼女の携帯電話に届くことはなかった。
巴は大慌てで携帯電話をベッドの上に投げ捨てて、そばにあった適当なジャージをひっつかんで羽織り玄関を飛び出した。
門までたいした距離ではないけれども、たどり着くまであまりにも長い時間がかかったような気がした。もしかしたら、夢なのかもしれない。そう疑うほどに。
ようやく門までたどり着くと、どうやら幻ではなさそうなリョーマの姿があった。
12月の夜の外気に耳と頬をすこし赤く染めたその姿は、あまりにも生に満ちていた。
「リョーマくん、おかえり! いつ帰ってきたの?」
急いで門扉の鍵を解除しながら、巴はリョーマに尋ねた。
メールや電話ではあれほど訊くことをためらっていたのが嘘のようで、実際に顔を合わせるとあれを訊こうこれが知りたいと、言葉が次々と口からこぼれ出る。
「先に家に入りたい、寒い」と巴の質問をかわし、するりとリョーマは敷地内へと足を踏み入れ母屋へと向かった。
巴もリョーマの後に続く。
夜にリョーマとこういう風に歩くのはどれくらい振りだろうと思うと、思わず顔が緩んだ。
リョーマが言うように外気温は低く寒かったが、巴はそれに気づかないくらい心も身体も暖かかった。
彼の気持ちも同じだといいなと思っていると、あっという間に玄関まで来てしまった。
すでにリョーマの両親も菜々子も寝静まっている。
3人ともクリスマスイブということで、食事中ワインをかなり空けていたのが効いたのだろう。
二人はしんとした家の中を心持ち抜き足差し足しつつ歩き、2階のリョーマの自室までやってきた。
リョーマの部屋は主不在の期間が長いというのに、リョーマの母の気配りから常にいつでも使える状態に整えられていた。
今回のように急に帰宅したときには非常にありがたい。
二人並んで部屋へと入る。
さすがに使用していない部屋の独特の空気は払いきれず、冷えきっている。
巴は勝手知ったるといった調子で、エアコンのスイッチを入れた。
むっとした埃くさく生暖かい空気が部屋に流れ込んだ。
そんな中、二人は何となく部屋の真ん中にかしこまって座った。
部屋に入ってからまず口を開いたのはやはり巴だった。
「それで、どうして今日帰ってきてるの? 連絡もなかったしこんな時間に……」
「年末だからね……っていうか、いま短期ステイしてる家がイベント好きで騒がしかったし」
「わっがまま~」
話の腰を折る巴の素直な感想に、カチンとした表情をさせつつ「……別に良いじゃん」とばそぼそと小さな声で抗議した後、話の続きに戻る。
「そんなに騒がしいのが十二夜行われるって言うからね、慌てて帰国することにしたわけ。そうしたら、飛行機は成田への到着が数時間も遅れるし、リムジンバスも渋滞しててこんな時間になったんだよね──連絡しなかったのは単に面倒だったから」
めずらしく巴に突っ込まれない程度にリョーマは丁寧に説明した。
巴に対して説明不足だと後がうるさい。学習しているのだ。
ふと、今思い出したというように、リョーマは巴に問いかけた。
「で、肝心な言葉を忘れてない?」
肝心な言葉、それはまだリョーマが言ってもらっていない言葉で、欲しい言葉だった。
「え……? ああ! お帰りなさい、リョーマくん。メリークリスマス!」
「…………」それもそうだけど、とリョーマは内心ツッコミつつ、次の言葉を待つ。
巴は違ったかと小首をかしげつつ、再び口を開いた。
「あ、それとお誕生日おめでとう」
しかし、リョーマの微妙な表情を見て、これまた不正解だということを悟る。
リョーマの欲しい言葉が何なのか、巴は知らないはずがないのだが、肝心なときに気の回らない性格がここでも発揮されている。
リョーマは促すように言ってみた。
ここまでいくと、まるで強請っているようなものだったけれど、それで得られるのならば惜しくはないし、せっかくここまで遥々と帰ってきて、欲しい言葉の一つももらえないのでは報われないと思った。
「もう一声……欲しいな、せっかく誕生日に帰ってきたんだし」
「もう一声?」
相変わらず巴は全く思い当たらないらしい。
普段言い慣れていない言葉を言わせようとしているのだから、それはそうかもしれないけれど、ちょっと寂しいとも思った。
巴はリョーマの言葉の真意を測りかねている。
自分がリョーマに与えられる言葉とは何だろう。
喜ぶようなことを言えば良いんだなとはなんとなく感じたけれども、具体的に何を言えば良いかといえば全く思い当たらなかった。
そもそも、これまで言葉を強請られるなんていう経験はなかったのだから仕方がない。
「そう、何か帰ってきて良かったなーなんて思えるような甘い言葉の一つでも欲しいね」
結局リョーマが音を上げた形になってしまった。
欲しいものを口にするというのはここまで恥ずかしいものだったのかと、初めて思い知り、顔を伏せてしまいそうになる。
けれども、それでは巴を見ていることも出来ず、思いとどまる。
なにしろしばらくぶりに見る彼女の顔は、変わっていないように見えて変わっているし、久しぶりに見ることが出来るその顔には見飽きない自信があったのだから。
巴は視線をそらさないリョーマの口から出た言葉、欲しているものに気づいて頬に赤みがさした。
「甘い言葉……ねぇ」それは一体どんなことを言えば良いのか。
改めて考えるととても気恥ずかしいことだった。
その場の雰囲気に流されれば、勢いに流されれば、何も考えず口に出来たかもしれないけれど、それを改めて言えといわれても困る。
少なくとも巴は困った。
けれど──上目遣いでリョーマの顔を見ていると、明らかに期待しているような、それでいていつものからかうよう瞳が巴を捉えていた。
もう逃げられないのは明らかで、仕方ないのかなとため息をついた。
そして、交渉を持ちかけた。
「言っても良いけど、約束してもらうからね」
「良いけど? なに?」
話によるけどね、と巴の話によっては後だしジャンケンのように言ってしまえば良いと狡いことを考えつつ、リョーマは続きを聞く気になった。
「これからは、ノルマを課します。せめて週一でメール欲しいな」
「メール?」
「そう、いまどこでなにをしているか位は知りたいもん」
そんなことは自分からメールして聞けば良いのに、リョーマは素直にそう思う。
巴からメールを送ってくれれば、それを全く無視するつもりなんて毛頭ないのだから。
けれども巴はこう続けた。
「アメリカじゃ生活習慣も流れる時間も違うし、いまメール送ったら負担になるかな、とか、練習の邪魔かも、なんて考えちゃうと自分からは送りづらいよ、どうしても」
心の中でいつも思っていたことを素直に口にした。
巴はリョーマがどのように生活してどのように修行を続けているのか知らない。
だからこそ便りがないことを不安に思うけれども、しかしながら自分から便りを求めることはリョーマの迷惑になるかもしれないと思い、身動きが取れなくなっていたのだ。
「なんだ、そんなこと。わかったよ」
リョーマはその不安を感じ取り、あっさりと降参する。
それで遠くの巴が安心するというのなら、欲しい言葉がもらえるのならそれで良いと思えた。
メールの文面を考えるだけでも手間だし面倒だと思うけれども、それを惜しむことで巴が遠ざかっていくのは本意ではない。
自分だって巴がいま何をしているかを知りたい気持ちはもちろんある訳だし。
「ありがとう、リョーマくん──だいすき。帰ってきてくれて嬉しいよ」
リョーマの返事にかぶるように、息せき切ったように巴はそう言葉にした。
深夜であり他の部屋に響かないように配慮したのか、それはとても小さな声だったけれども巴の正面に向かい合うような形で座っていたリョーマには当然はっきりと聞き取れた。
巴が恥ずかしげにチラと一瞬視線を外したことも、先ほどにも増して頬に赤みが増したこともリョーマの動体視力は見逃さなかった。
たったそれだけで、なんとなく幸せな気持ちになるのだから、自分も巴に負けずとも劣らず単純だなとリョーマは思った。全く不本意だったが。
けれども、そんな不本意なら悪くないとも思う。
リョーマは巴の両肩に自分の両手を伸ばして引き寄せた。
越前家お決まりのシャンプーの香りと、少し高めの巴の体温を感じることが出来た。
修行をしてテニスの高みを目指すことが出来てなかなかに充実している、そんないまの生活にはほとんど不満はないけれども、いまの生活には巴が足りない。
それをリョーマは痛切に感じてしまった。
「ねぇ、いつか──」
いつか、自分の隣に来てくれない?
そうリョーマは言いたかったが、ハッと口をつぐんだ。
自分も寂しい、巴だって寂しいだろうけれども、いまそれを言ってしまうのは反則だと知っている。
巴をいまこの家から引き離すのは自分のエゴにすぎない。
だから、リョーマはいつの間にか巴の背中にまわした自分の腕に更に力を込めた。
「またいつか、お前の前に戻ってくるまでに、お前の熱を忘れないように俺に刻み付けてよ」
巴はというと、リョーマの肩に顔を埋めて「どんどん刻み付けていってやる」蠢くように返事をした後、リョーマに負けじと自らの腕に力を込めていった。
「あ、言うの忘れてた──赤月、良いクリスマスを」
「それは、リョーマくん次第だよ」
二人はしきりに忍び笑いをし、その後はお互いの熱を刻み付けることに専念することにした。
忘れることが出来ないほどの迸る熱をその身体に。
END
12月24日23時45分。
赤月巴は電気もつけず暗い自室の真ん中に、ごろんと寝そべり大きくため息をついた。
この世で一番誕生日を祝いたい相手の誕生日なのに、その当人はここには居ない。
日本から遠く離れたアメリカで、テニス修行をしているはずだ。
その修行もメジャーリーガーよろしく遠征に次ぐ遠征で、リョーマの実家で暮らしているはずの巴でさえ彼が今どこに居るかということを把握していない。
『便りのないのは良い便り』と先人は言うけれども、携帯依存症なんていう言葉もあるくらいの21世紀では頻繁にメールの一つも送られてこないのはやはり良い便りとは思えない。
今どこに居るのか、何をしているのか、次はいつ帰国するのか。
それだけでも知りたいと思うけれども、リョーマの性格から考えてそれすらも面倒くさがっているのだろうと想像がつくし。
それをこちらから細かく聞き出そうとするのも、嫌がるだろうと思った。
今更だとは思うが、例えそれをやったとして、ウザイ女だと思われるのも願い下げだ。
遠距離恋愛──そう定義づけるとやたらと甘ったるく感じられて恥ずかしいけれど、遠くにあって互いを想い合うことは難しい。
南次郎じゃないけれど、その遺伝子を持つ彼が金髪美女に弱かったりするかもしれないと考えてしまったのは一度や二度どころではないし、そうでなかったとしても離れている間に愛想を尽かされているのではないかと思うこともしばしばだ。
テニス以外のこととなると案外淡白な彼だ。
自分のことを気に入っている事実のほうが不思議だと今でも思う。
横になりながら右手を伸ばすと、床に置きっぱなしにしていたらしい携帯電話が指に触れた。
それをぎゅっと握りしめた。
もしかしたら修行とはいえ新年ぐらいは帰宅するかもしれない。
それくらいは訊いても良いのかな?
そう、考えた瞬間手の中の携帯電話がブルブルと震えだした。
着信を知らせるパネルにはリョーマの名前、しかも電話着信だ。
慌てて受信ボタンに触れて耳に当てる。
「──あ、はっ、はい!! リョーマくん? なに? どうしたの?」
相手に何も告げさせない勢いで巴は携帯電話に向けて話しはじめた。
「その勢いと声なら起きてたみたいだね、いま部屋に居るよね?」
「うん、どうして?」
「いいから、外見てくれない?」
「そと──」巴は言われるままに、カーテンを開き窓から周囲を見渡す。
クリスマスイブだというのに、日付がもうすぐ変わるこの時間ではさすがに住宅街は静かだった。
ふと自宅の門付近に目をやると、そこにはここに居るはずがないと思っていた姿があった。
「リョーマくん!!」
あわてて窓を開き、電話越しではなく直接声を掛ける。
「うるさいよ、赤月。近所迷惑」
耳元でシーッと声が聞こえた。
巴もそれに気づいて思わず口を手で塞ぐ。全く意味のないことだったが。
「で、帰ってきたんだけど自宅の鍵一式無くしちゃったみたいなんだよね」
だから開けてよ、そうリョーマは告げていた。
「寒いの嫌なんだよね」そう続いた言葉は、巴の切断によって最後まで彼女の携帯電話に届くことはなかった。
巴は大慌てで携帯電話をベッドの上に投げ捨てて、そばにあった適当なジャージをひっつかんで羽織り玄関を飛び出した。
門までたいした距離ではないけれども、たどり着くまであまりにも長い時間がかかったような気がした。もしかしたら、夢なのかもしれない。そう疑うほどに。
ようやく門までたどり着くと、どうやら幻ではなさそうなリョーマの姿があった。
12月の夜の外気に耳と頬をすこし赤く染めたその姿は、あまりにも生に満ちていた。
「リョーマくん、おかえり! いつ帰ってきたの?」
急いで門扉の鍵を解除しながら、巴はリョーマに尋ねた。
メールや電話ではあれほど訊くことをためらっていたのが嘘のようで、実際に顔を合わせるとあれを訊こうこれが知りたいと、言葉が次々と口からこぼれ出る。
「先に家に入りたい、寒い」と巴の質問をかわし、するりとリョーマは敷地内へと足を踏み入れ母屋へと向かった。
巴もリョーマの後に続く。
夜にリョーマとこういう風に歩くのはどれくらい振りだろうと思うと、思わず顔が緩んだ。
リョーマが言うように外気温は低く寒かったが、巴はそれに気づかないくらい心も身体も暖かかった。
彼の気持ちも同じだといいなと思っていると、あっという間に玄関まで来てしまった。
すでにリョーマの両親も菜々子も寝静まっている。
3人ともクリスマスイブということで、食事中ワインをかなり空けていたのが効いたのだろう。
二人はしんとした家の中を心持ち抜き足差し足しつつ歩き、2階のリョーマの自室までやってきた。
リョーマの部屋は主不在の期間が長いというのに、リョーマの母の気配りから常にいつでも使える状態に整えられていた。
今回のように急に帰宅したときには非常にありがたい。
二人並んで部屋へと入る。
さすがに使用していない部屋の独特の空気は払いきれず、冷えきっている。
巴は勝手知ったるといった調子で、エアコンのスイッチを入れた。
むっとした埃くさく生暖かい空気が部屋に流れ込んだ。
そんな中、二人は何となく部屋の真ん中にかしこまって座った。
部屋に入ってからまず口を開いたのはやはり巴だった。
「それで、どうして今日帰ってきてるの? 連絡もなかったしこんな時間に……」
「年末だからね……っていうか、いま短期ステイしてる家がイベント好きで騒がしかったし」
「わっがまま~」
話の腰を折る巴の素直な感想に、カチンとした表情をさせつつ「……別に良いじゃん」とばそぼそと小さな声で抗議した後、話の続きに戻る。
「そんなに騒がしいのが十二夜行われるって言うからね、慌てて帰国することにしたわけ。そうしたら、飛行機は成田への到着が数時間も遅れるし、リムジンバスも渋滞しててこんな時間になったんだよね──連絡しなかったのは単に面倒だったから」
めずらしく巴に突っ込まれない程度にリョーマは丁寧に説明した。
巴に対して説明不足だと後がうるさい。学習しているのだ。
ふと、今思い出したというように、リョーマは巴に問いかけた。
「で、肝心な言葉を忘れてない?」
肝心な言葉、それはまだリョーマが言ってもらっていない言葉で、欲しい言葉だった。
「え……? ああ! お帰りなさい、リョーマくん。メリークリスマス!」
「…………」それもそうだけど、とリョーマは内心ツッコミつつ、次の言葉を待つ。
巴は違ったかと小首をかしげつつ、再び口を開いた。
「あ、それとお誕生日おめでとう」
しかし、リョーマの微妙な表情を見て、これまた不正解だということを悟る。
リョーマの欲しい言葉が何なのか、巴は知らないはずがないのだが、肝心なときに気の回らない性格がここでも発揮されている。
リョーマは促すように言ってみた。
ここまでいくと、まるで強請っているようなものだったけれど、それで得られるのならば惜しくはないし、せっかくここまで遥々と帰ってきて、欲しい言葉の一つももらえないのでは報われないと思った。
「もう一声……欲しいな、せっかく誕生日に帰ってきたんだし」
「もう一声?」
相変わらず巴は全く思い当たらないらしい。
普段言い慣れていない言葉を言わせようとしているのだから、それはそうかもしれないけれど、ちょっと寂しいとも思った。
巴はリョーマの言葉の真意を測りかねている。
自分がリョーマに与えられる言葉とは何だろう。
喜ぶようなことを言えば良いんだなとはなんとなく感じたけれども、具体的に何を言えば良いかといえば全く思い当たらなかった。
そもそも、これまで言葉を強請られるなんていう経験はなかったのだから仕方がない。
「そう、何か帰ってきて良かったなーなんて思えるような甘い言葉の一つでも欲しいね」
結局リョーマが音を上げた形になってしまった。
欲しいものを口にするというのはここまで恥ずかしいものだったのかと、初めて思い知り、顔を伏せてしまいそうになる。
けれども、それでは巴を見ていることも出来ず、思いとどまる。
なにしろしばらくぶりに見る彼女の顔は、変わっていないように見えて変わっているし、久しぶりに見ることが出来るその顔には見飽きない自信があったのだから。
巴は視線をそらさないリョーマの口から出た言葉、欲しているものに気づいて頬に赤みがさした。
「甘い言葉……ねぇ」それは一体どんなことを言えば良いのか。
改めて考えるととても気恥ずかしいことだった。
その場の雰囲気に流されれば、勢いに流されれば、何も考えず口に出来たかもしれないけれど、それを改めて言えといわれても困る。
少なくとも巴は困った。
けれど──上目遣いでリョーマの顔を見ていると、明らかに期待しているような、それでいていつものからかうよう瞳が巴を捉えていた。
もう逃げられないのは明らかで、仕方ないのかなとため息をついた。
そして、交渉を持ちかけた。
「言っても良いけど、約束してもらうからね」
「良いけど? なに?」
話によるけどね、と巴の話によっては後だしジャンケンのように言ってしまえば良いと狡いことを考えつつ、リョーマは続きを聞く気になった。
「これからは、ノルマを課します。せめて週一でメール欲しいな」
「メール?」
「そう、いまどこでなにをしているか位は知りたいもん」
そんなことは自分からメールして聞けば良いのに、リョーマは素直にそう思う。
巴からメールを送ってくれれば、それを全く無視するつもりなんて毛頭ないのだから。
けれども巴はこう続けた。
「アメリカじゃ生活習慣も流れる時間も違うし、いまメール送ったら負担になるかな、とか、練習の邪魔かも、なんて考えちゃうと自分からは送りづらいよ、どうしても」
心の中でいつも思っていたことを素直に口にした。
巴はリョーマがどのように生活してどのように修行を続けているのか知らない。
だからこそ便りがないことを不安に思うけれども、しかしながら自分から便りを求めることはリョーマの迷惑になるかもしれないと思い、身動きが取れなくなっていたのだ。
「なんだ、そんなこと。わかったよ」
リョーマはその不安を感じ取り、あっさりと降参する。
それで遠くの巴が安心するというのなら、欲しい言葉がもらえるのならそれで良いと思えた。
メールの文面を考えるだけでも手間だし面倒だと思うけれども、それを惜しむことで巴が遠ざかっていくのは本意ではない。
自分だって巴がいま何をしているかを知りたい気持ちはもちろんある訳だし。
「ありがとう、リョーマくん──だいすき。帰ってきてくれて嬉しいよ」
リョーマの返事にかぶるように、息せき切ったように巴はそう言葉にした。
深夜であり他の部屋に響かないように配慮したのか、それはとても小さな声だったけれども巴の正面に向かい合うような形で座っていたリョーマには当然はっきりと聞き取れた。
巴が恥ずかしげにチラと一瞬視線を外したことも、先ほどにも増して頬に赤みが増したこともリョーマの動体視力は見逃さなかった。
たったそれだけで、なんとなく幸せな気持ちになるのだから、自分も巴に負けずとも劣らず単純だなとリョーマは思った。全く不本意だったが。
けれども、そんな不本意なら悪くないとも思う。
リョーマは巴の両肩に自分の両手を伸ばして引き寄せた。
越前家お決まりのシャンプーの香りと、少し高めの巴の体温を感じることが出来た。
修行をしてテニスの高みを目指すことが出来てなかなかに充実している、そんないまの生活にはほとんど不満はないけれども、いまの生活には巴が足りない。
それをリョーマは痛切に感じてしまった。
「ねぇ、いつか──」
いつか、自分の隣に来てくれない?
そうリョーマは言いたかったが、ハッと口をつぐんだ。
自分も寂しい、巴だって寂しいだろうけれども、いまそれを言ってしまうのは反則だと知っている。
巴をいまこの家から引き離すのは自分のエゴにすぎない。
だから、リョーマはいつの間にか巴の背中にまわした自分の腕に更に力を込めた。
「またいつか、お前の前に戻ってくるまでに、お前の熱を忘れないように俺に刻み付けてよ」
巴はというと、リョーマの肩に顔を埋めて「どんどん刻み付けていってやる」蠢くように返事をした後、リョーマに負けじと自らの腕に力を込めていった。
「あ、言うの忘れてた──赤月、良いクリスマスを」
「それは、リョーマくん次第だよ」
二人はしきりに忍び笑いをし、その後はお互いの熱を刻み付けることに専念することにした。
忘れることが出来ないほどの迸る熱をその身体に。
END
赤月巴は普段のことを考えると信じられないほど、そっと静かに扉を開ける。
そしてするりと越前リョーマの私室に滑り込んだ。
ようやく空が白んできた12月24日早朝、巴はサンタ気取りでリョーマに誕生日プレゼント兼クリスマスプレゼントを届けにやってきた。
プレゼントはなけなしの所持金で購入したリストバンド。
リョーマお気に入りのブランドものだ。
キレイに包まれたそれと『HappyBirthday&MerryChristmasプレゼントをどうぞ』と微妙に歪んだ字で書かれたカードを持ってきた。
枕元に置いて、彼が目を覚ましたら驚かせようという魂胆だ。
もっとも冷静なリョーマにそれが通用するかどうかは巴にも分からないのだが。
多分、通用しない確率の方が高いのは言うまでもなく。
(そーっと、そーっと)
抜き足差し足でリョーマに向かう。
途中、不穏な気配を察してか、リョーマの足下で丸くなっていたカルピンが目を覚ました。
「……ほぁらー……」
「…………!しーっ!!!」
リョーマが起きやしないかと巴は顔面蒼白させる。
しかし、そんな巴の気持ちを察してかカルピンはそのまま寝返りを打って再び眠りの世界へと帰っていった。
巴はしばらくジッとしてリョーマが目を覚まさなかったか様子を窺った。
ここで気付かれては巴は単に他人の部屋に忍び込む変質者だ。
手に汗を握る。
しかし、巴の「起きないで!」という祈りが通じたのか目を覚ました気配はなかった。
ホッと胸を撫で下ろす。
また再びそろそろとリョーマのベッドへと近づいた。
今度は難なく枕元へとたどりついた。
そっと手を伸ばしてプレゼントを枕元の障りのないところに静かに置いた。
(やったー、任務完了♪)
あとは部屋を出て、リョーマが目を覚ますのを待つのみだ。
任務達成の安堵感に思わずベッド脇にへたり込んだ。
へたり込んだまま巴の視線はリョーマに注がれる。
寝顔を見るのは同居して1年半、これが初めてではないけれどベッドでキチンと睡眠を取っている姿は初めてだった。
普段は表情も言動もキツイが
それでも寝顔はやはり穏やかで優しげに見える。
穏やかな寝顔と規則正しい寝息。
巴は何となく暖かい気持ちになってしばらく眺めていた。
そして達成の安堵感からきたのだろうか気が抜けてしまい、
自分でも気付かないうちに
巴はリョーマのベッドに顔を伏せて眠ってしまった。
その顔はリョーマに負けず劣らず穏やかだった。
リョーマはなにか自分以外の人の気配に気付いて目を覚ました。
周囲を見渡すと枕元にプレゼント。
ベッド脇にはすやすやと眠る巴。
彼女が何を目的としてこの部屋に入ってきたのかは容易に分かった。
ここで寝ているのも多分、この場で力尽きてしまったのだろう。
時計を見るとまだ起きるには早い時間で、巴を起こそうと手を伸ばした。
しかし、少し考えて伸ばした手を止めて
その代わりに自分の毛布を掛けてやる。
(どうせなら、俺の布団に入ってくれればいいのに)
そうすれば、暖かいし二人で気持ちよく寝られるのにと残念がる。
もっとも、二人の仲がまだそう言う段階でないことも十分承知しているし
今この時点で無理強いするつもりもない。忍耐力には自信がある方だ。
そして毛布が無くなり少し冷気が入り込んできた布団に
身体を丸めて再び寝る姿勢に入る。
ふと、プレゼントの脇に添えられたカードに目を留める。
『HappyBirthday&MerryChristmasプレゼントをどうぞ』
(プレゼントをどうぞ…ね。
じゃあ、これもプレゼントじゃないの?カードと一緒に置かれている訳だし)
そう考えながら、ベッド脇で寝ている巴が無防備に放り出してる手を握り、
もう一度目を閉じる。
再び目を覚ましたときにこのプレゼントが消えていなければ
このままこのプレゼントを手放さないようにしようと心に誓う。
そうして目覚ましが鳴るまでのあとわずかな時間、
無事に誕生日を迎えたリョーマは
手にわずかな温もりを感じながら幸せな睡眠を味わった。
END
そしてするりと越前リョーマの私室に滑り込んだ。
ようやく空が白んできた12月24日早朝、巴はサンタ気取りでリョーマに誕生日プレゼント兼クリスマスプレゼントを届けにやってきた。
プレゼントはなけなしの所持金で購入したリストバンド。
リョーマお気に入りのブランドものだ。
キレイに包まれたそれと『HappyBirthday&MerryChristmasプレゼントをどうぞ』と微妙に歪んだ字で書かれたカードを持ってきた。
枕元に置いて、彼が目を覚ましたら驚かせようという魂胆だ。
もっとも冷静なリョーマにそれが通用するかどうかは巴にも分からないのだが。
多分、通用しない確率の方が高いのは言うまでもなく。
(そーっと、そーっと)
抜き足差し足でリョーマに向かう。
途中、不穏な気配を察してか、リョーマの足下で丸くなっていたカルピンが目を覚ました。
「……ほぁらー……」
「…………!しーっ!!!」
リョーマが起きやしないかと巴は顔面蒼白させる。
しかし、そんな巴の気持ちを察してかカルピンはそのまま寝返りを打って再び眠りの世界へと帰っていった。
巴はしばらくジッとしてリョーマが目を覚まさなかったか様子を窺った。
ここで気付かれては巴は単に他人の部屋に忍び込む変質者だ。
手に汗を握る。
しかし、巴の「起きないで!」という祈りが通じたのか目を覚ました気配はなかった。
ホッと胸を撫で下ろす。
また再びそろそろとリョーマのベッドへと近づいた。
今度は難なく枕元へとたどりついた。
そっと手を伸ばしてプレゼントを枕元の障りのないところに静かに置いた。
(やったー、任務完了♪)
あとは部屋を出て、リョーマが目を覚ますのを待つのみだ。
任務達成の安堵感に思わずベッド脇にへたり込んだ。
へたり込んだまま巴の視線はリョーマに注がれる。
寝顔を見るのは同居して1年半、これが初めてではないけれどベッドでキチンと睡眠を取っている姿は初めてだった。
普段は表情も言動もキツイが
それでも寝顔はやはり穏やかで優しげに見える。
穏やかな寝顔と規則正しい寝息。
巴は何となく暖かい気持ちになってしばらく眺めていた。
そして達成の安堵感からきたのだろうか気が抜けてしまい、
自分でも気付かないうちに
巴はリョーマのベッドに顔を伏せて眠ってしまった。
その顔はリョーマに負けず劣らず穏やかだった。
リョーマはなにか自分以外の人の気配に気付いて目を覚ました。
周囲を見渡すと枕元にプレゼント。
ベッド脇にはすやすやと眠る巴。
彼女が何を目的としてこの部屋に入ってきたのかは容易に分かった。
ここで寝ているのも多分、この場で力尽きてしまったのだろう。
時計を見るとまだ起きるには早い時間で、巴を起こそうと手を伸ばした。
しかし、少し考えて伸ばした手を止めて
その代わりに自分の毛布を掛けてやる。
(どうせなら、俺の布団に入ってくれればいいのに)
そうすれば、暖かいし二人で気持ちよく寝られるのにと残念がる。
もっとも、二人の仲がまだそう言う段階でないことも十分承知しているし
今この時点で無理強いするつもりもない。忍耐力には自信がある方だ。
そして毛布が無くなり少し冷気が入り込んできた布団に
身体を丸めて再び寝る姿勢に入る。
ふと、プレゼントの脇に添えられたカードに目を留める。
『HappyBirthday&MerryChristmasプレゼントをどうぞ』
(プレゼントをどうぞ…ね。
じゃあ、これもプレゼントじゃないの?カードと一緒に置かれている訳だし)
そう考えながら、ベッド脇で寝ている巴が無防備に放り出してる手を握り、
もう一度目を閉じる。
再び目を覚ましたときにこのプレゼントが消えていなければ
このままこのプレゼントを手放さないようにしようと心に誓う。
そうして目覚ましが鳴るまでのあとわずかな時間、
無事に誕生日を迎えたリョーマは
手にわずかな温もりを感じながら幸せな睡眠を味わった。
END
巴が越前家にやってきて2回目の年越しそばは、
そば屋の檀家からの厚意によって特大エビ天そばだった。
しかも一人三本という豪華さ。
すでにそばがメインなのか天麩羅がメインなのかが分からないものとなっていた。
越前家の面々はそれを素直に喜び、食していた。
家が寺なために、除夜の鐘を鳴らす準備があるので
腹ごしらえと南次郎などは真剣に食べていた。
「おっ、リョーマ、お前それ食べねえのか?」
南次郎はリョーマがまだ残していたエビ天をヒョイと掠め取り、
大きな口を開けて自らの口へと運んだ。
リョーマが、「あーっ!」と叫んだときにはもう遅かった。
動体視力、反射神経には自身のあるリョーマだが、
流石に元プロテニスプレイヤーの能力にはまだまだ及ばないようだ。
「……ちきしょっ」
そう呟くとリョーマは
すかさず自分の隣に座る赤月巴の丼に手を伸ばす。
「ああああああーっ!リョーマくん!!!それっ、私の…!」
巴の丼からは最後に食べようととっておいたエビ天が消えていた。
「お前、それ、食べてないからいらないと思ったんだけどね」
ニヤリと笑って、ゴメンゴメンと心にもないことを言う。
巴はうっすら涙をたたえた目でジトっとリョーマを睨め付ける。
しかしながらさすが親子、似たことしてるなあと変に巴は納得する。
もっともそれを口に出してしまうと、
リョーマは途端に機嫌を悪くするだろう。
それはともかく、とっておきのエビ天を食べられてしまったことで
巴はすっかりしょんぼりしてしまう。
その様子を見ていたリョーマの母倫子は、
「まあまあ、ウチの馬鹿な子がごめんなさいね、巴ちゃん。
お詫びに私の分を食べてちょうだいな」
と、自らのエビ天を巴の丼に乗せ、
その場の空気を和ませようとする。
巴は倫子の配慮に申し訳なく思いながらも、
それでもやはり嬉しいらしく笑顔になる。
「母さん、赤月には妙に優しすぎなんじゃない?甘過ぎ」
わざと拗ねたふりでリョーマは母にそう尋ねる。
もとはと言えば、リョーマが(さらに元は南次郎がだが)悪いというのに、一向に反省する気配はない。弱肉強食と言うことだろうか。
倫子はそのリョーマの拗ねた言葉に堪えることもないようだった。
それどころか。
「あら、だって巴ちゃんはウチのお嫁さんになるんですもんねえ」
爆弾投下。
「おっ…およ……ごほっ」
「かかかかかあさん!」
突然のあまりにもな言葉に巴もリョーマも動揺を隠せない。
「あらあ、そうなったらおばさま、
巴さんと親子になるんですね、うふふ」
菜々子も、冗談ではなくあくまで本気で倫子の言葉に応える。
倫子と菜々子の間には和やかな別空間が存在するらしい。
「ちょっと、待ってよ、二人とも!何で俺が…こんな……」
「そうですよ…おばさん!私、リョーマくんとだなんて…」
リョーマと巴は二人の勝手な決めつけに反論を試みようとした。
しかし、
「おいリョーマ、時間切れだぜ。除夜の鐘つき、お前も付き合え」
南次郎は立ち上がり、
片手でリョーマの襟を掴みずるずると引っ張る。
まもなく12時。
除夜の鐘を突かなければならないのだ。
「なんだよ、親父っ…!」
「腹ごなし、腹ごなし。これもトレーニングだと思え」
二人は言い合いをしながら部屋を出て行ってしまった。
残されたのは巴と倫子、菜々子の女3人。
巴は何となく蛇×2に睨まれたカエルの様な気分になってきた。
「さて、巴ちゃん、これからは本当の母娘のように仲良くしてね」
「リョーマさんと夫婦ってコトは私とは義理の従姉妹になるんですね。うれしいわ、巴さん、よろしくね」
倫子と菜々子はにっこりと巴に挨拶をする。
「えっ、ちょっと…」
ゴーン……
その時、外から除夜の鐘が聞こえてきた。
「あらっ、おじさまの鐘の音ですねー」
「ホントだわ、もうすぐ1年も終わりなのねー」
楽しそうに談笑する女性二人。
結局巴は反論するタイミングを一生逸することになる。
らしい。
END
そば屋の檀家からの厚意によって特大エビ天そばだった。
しかも一人三本という豪華さ。
すでにそばがメインなのか天麩羅がメインなのかが分からないものとなっていた。
越前家の面々はそれを素直に喜び、食していた。
家が寺なために、除夜の鐘を鳴らす準備があるので
腹ごしらえと南次郎などは真剣に食べていた。
「おっ、リョーマ、お前それ食べねえのか?」
南次郎はリョーマがまだ残していたエビ天をヒョイと掠め取り、
大きな口を開けて自らの口へと運んだ。
リョーマが、「あーっ!」と叫んだときにはもう遅かった。
動体視力、反射神経には自身のあるリョーマだが、
流石に元プロテニスプレイヤーの能力にはまだまだ及ばないようだ。
「……ちきしょっ」
そう呟くとリョーマは
すかさず自分の隣に座る赤月巴の丼に手を伸ばす。
「ああああああーっ!リョーマくん!!!それっ、私の…!」
巴の丼からは最後に食べようととっておいたエビ天が消えていた。
「お前、それ、食べてないからいらないと思ったんだけどね」
ニヤリと笑って、ゴメンゴメンと心にもないことを言う。
巴はうっすら涙をたたえた目でジトっとリョーマを睨め付ける。
しかしながらさすが親子、似たことしてるなあと変に巴は納得する。
もっともそれを口に出してしまうと、
リョーマは途端に機嫌を悪くするだろう。
それはともかく、とっておきのエビ天を食べられてしまったことで
巴はすっかりしょんぼりしてしまう。
その様子を見ていたリョーマの母倫子は、
「まあまあ、ウチの馬鹿な子がごめんなさいね、巴ちゃん。
お詫びに私の分を食べてちょうだいな」
と、自らのエビ天を巴の丼に乗せ、
その場の空気を和ませようとする。
巴は倫子の配慮に申し訳なく思いながらも、
それでもやはり嬉しいらしく笑顔になる。
「母さん、赤月には妙に優しすぎなんじゃない?甘過ぎ」
わざと拗ねたふりでリョーマは母にそう尋ねる。
もとはと言えば、リョーマが(さらに元は南次郎がだが)悪いというのに、一向に反省する気配はない。弱肉強食と言うことだろうか。
倫子はそのリョーマの拗ねた言葉に堪えることもないようだった。
それどころか。
「あら、だって巴ちゃんはウチのお嫁さんになるんですもんねえ」
爆弾投下。
「おっ…およ……ごほっ」
「かかかかかあさん!」
突然のあまりにもな言葉に巴もリョーマも動揺を隠せない。
「あらあ、そうなったらおばさま、
巴さんと親子になるんですね、うふふ」
菜々子も、冗談ではなくあくまで本気で倫子の言葉に応える。
倫子と菜々子の間には和やかな別空間が存在するらしい。
「ちょっと、待ってよ、二人とも!何で俺が…こんな……」
「そうですよ…おばさん!私、リョーマくんとだなんて…」
リョーマと巴は二人の勝手な決めつけに反論を試みようとした。
しかし、
「おいリョーマ、時間切れだぜ。除夜の鐘つき、お前も付き合え」
南次郎は立ち上がり、
片手でリョーマの襟を掴みずるずると引っ張る。
まもなく12時。
除夜の鐘を突かなければならないのだ。
「なんだよ、親父っ…!」
「腹ごなし、腹ごなし。これもトレーニングだと思え」
二人は言い合いをしながら部屋を出て行ってしまった。
残されたのは巴と倫子、菜々子の女3人。
巴は何となく蛇×2に睨まれたカエルの様な気分になってきた。
「さて、巴ちゃん、これからは本当の母娘のように仲良くしてね」
「リョーマさんと夫婦ってコトは私とは義理の従姉妹になるんですね。うれしいわ、巴さん、よろしくね」
倫子と菜々子はにっこりと巴に挨拶をする。
「えっ、ちょっと…」
ゴーン……
その時、外から除夜の鐘が聞こえてきた。
「あらっ、おじさまの鐘の音ですねー」
「ホントだわ、もうすぐ1年も終わりなのねー」
楽しそうに談笑する女性二人。
結局巴は反論するタイミングを一生逸することになる。
らしい。
END
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HN:
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