勢いに任せて「ダブルスの王子様」とのコラボネタ。
この手のネタが苦手な方はお気をつけ下さい。
ネタバレは無いはず。
ダブプリゲーム開始段階(6/7)の巴はさすがに大会参加できないよね、っていう話です。
***
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「いいなー、リョーマくん」
越前家居間にて先ほど跡部の姿が映っていたテレビと、座卓の上に転がっているバッジを前に巴はしきりにリョーマを羨んだ。
「私も、そのダブルスの大会出たかった!」
「あのねえ……赤月。お前テニス歴言ってみなよ」
「二か月」
片手で自らの頭を抱えてリョーマは「バッカじゃないの?」と絞り出すように声を出した。
「全国大会レベルの選手がエントリーされてる大会に、テニス歴二か月でなにをしようっての?」
「それは……」
痛いところを突かれた巴は口ごもる。
確かに、テニスを始めて二か月では何も出来ないだろう。
天性のテニスセンスがあると言ってもようやく試合が形になってきたところで、必殺技の一つも打ち出せないのだ。
そんななかエントリーを認められたって、バッジ欲しさに群がってくるものたちの格好の餌食になるだけで、彼女と一緒に組まされる誰かの迷惑になるだけなのは明白だ。
それは巴でもわかる。それに自分だってパートナーにはそんな迷惑をかけたくはない。
「でも、私も出てみたかったんだもん、学校以外でもリョーマくんとダブルスが組めたら嬉しいなーとか思ったし」
「──なっ」
「……私のパートナーが外で私以外の人とペアになるっていうのは……ちょっと悔しいよ」
巴はその悔しさの意味を突き詰めたことはまだ無かったが、悔しいこと自体は本音だ。
幼い独占欲には巴はまだ気付かない。
その彼女と座卓を少し離れたところで一緒に囲んでいるリョーマは、その言葉を計りかねているのか黙ったまま巴の次の言葉を待っているようだった。
知り合ってから二か月、テニス歴二か月の彼女が一体なにを言い出すのか、リョーマに取っては予測不可能だった。
それだけに彼女の存在がとても興味深いものになっているのは確かだったが。
リョーマが興味深い彼女の言葉にすこし居心地の悪いものを感じていると、巴も部屋の空気がどことなく気まずいものになっていることに気付いたのか慌てて言葉を続けた。
「あ、ゴメン! そんなこと言っても仕方ないよね」
「そっそりゃ……そうでしょ」
お互い取り繕うように会話を再開させる。
「大会に出場できたら、お弁当もって応援に行くから頑張ってね、リョーマくん」
「”できたら”って、できるに決まってるじゃん、そんなの。
だからお弁当も今から考えておくんだね──味付けとか、赤月の料理はまだまだだからさ」
「うん! 頑張るよ」
ここで話は終わりというように、リョーマは立ち上がりリモコンを手に取った。
いつの間にか跡部タイムから通常の番組に切り替わっていたテレビを、プツッと消して部屋に背を向けた。
「ああ、それと──」
「なに?」
一体リョーマになにを言われるのだろう、ドキッとしながら巴はリョーマを見上げた。
「今回はお弁当を頑張ってもらうけど、”次”があったらその時はちゃんと頑張ってもらうから」
「ええっ”次”って」
次とは自分の考えている”次”で良いのだろうか、自分が都合のいいように考えているだけなのだろうかと巴はリョーマの言葉について焦りながら考えてみた。
その表情を振り返って見たリョーマは、ニヤリと楽しそうに口の端で笑んで部屋をそのまま出て行った。
「赤月の働きを期待してるから、せいぜい料理とテニスの腕を上げておきなよ、俺のパートナーさん」
少し離れたところから、トントンと階段を上がる足音と同時にそんな声が聞こえてきた。
「……明日、図書室でお弁当の本とダブルス必勝法の本借りてこなきゃ……」
そんなつぶやきとともに視線を座卓の上に移すと、バッジが転がったままだった。
巴は、リョーマが置き忘れていったそのバッジを慌てて彼に届けようと立ち上がったが、すぐにまたその場に座り込んだ。
「と、とりあえず顔が戻るまでここに居よう」
気付けば顔がなぜかニヤけている。それになんだか暑い。
試合の後でもないのに、巴にはどうやらクールダウンが必要なようだった。
END
越前家居間にて先ほど跡部の姿が映っていたテレビと、座卓の上に転がっているバッジを前に巴はしきりにリョーマを羨んだ。
「私も、そのダブルスの大会出たかった!」
「あのねえ……赤月。お前テニス歴言ってみなよ」
「二か月」
片手で自らの頭を抱えてリョーマは「バッカじゃないの?」と絞り出すように声を出した。
「全国大会レベルの選手がエントリーされてる大会に、テニス歴二か月でなにをしようっての?」
「それは……」
痛いところを突かれた巴は口ごもる。
確かに、テニスを始めて二か月では何も出来ないだろう。
天性のテニスセンスがあると言ってもようやく試合が形になってきたところで、必殺技の一つも打ち出せないのだ。
そんななかエントリーを認められたって、バッジ欲しさに群がってくるものたちの格好の餌食になるだけで、彼女と一緒に組まされる誰かの迷惑になるだけなのは明白だ。
それは巴でもわかる。それに自分だってパートナーにはそんな迷惑をかけたくはない。
「でも、私も出てみたかったんだもん、学校以外でもリョーマくんとダブルスが組めたら嬉しいなーとか思ったし」
「──なっ」
「……私のパートナーが外で私以外の人とペアになるっていうのは……ちょっと悔しいよ」
巴はその悔しさの意味を突き詰めたことはまだ無かったが、悔しいこと自体は本音だ。
幼い独占欲には巴はまだ気付かない。
その彼女と座卓を少し離れたところで一緒に囲んでいるリョーマは、その言葉を計りかねているのか黙ったまま巴の次の言葉を待っているようだった。
知り合ってから二か月、テニス歴二か月の彼女が一体なにを言い出すのか、リョーマに取っては予測不可能だった。
それだけに彼女の存在がとても興味深いものになっているのは確かだったが。
リョーマが興味深い彼女の言葉にすこし居心地の悪いものを感じていると、巴も部屋の空気がどことなく気まずいものになっていることに気付いたのか慌てて言葉を続けた。
「あ、ゴメン! そんなこと言っても仕方ないよね」
「そっそりゃ……そうでしょ」
お互い取り繕うように会話を再開させる。
「大会に出場できたら、お弁当もって応援に行くから頑張ってね、リョーマくん」
「”できたら”って、できるに決まってるじゃん、そんなの。
だからお弁当も今から考えておくんだね──味付けとか、赤月の料理はまだまだだからさ」
「うん! 頑張るよ」
ここで話は終わりというように、リョーマは立ち上がりリモコンを手に取った。
いつの間にか跡部タイムから通常の番組に切り替わっていたテレビを、プツッと消して部屋に背を向けた。
「ああ、それと──」
「なに?」
一体リョーマになにを言われるのだろう、ドキッとしながら巴はリョーマを見上げた。
「今回はお弁当を頑張ってもらうけど、”次”があったらその時はちゃんと頑張ってもらうから」
「ええっ”次”って」
次とは自分の考えている”次”で良いのだろうか、自分が都合のいいように考えているだけなのだろうかと巴はリョーマの言葉について焦りながら考えてみた。
その表情を振り返って見たリョーマは、ニヤリと楽しそうに口の端で笑んで部屋をそのまま出て行った。
「赤月の働きを期待してるから、せいぜい料理とテニスの腕を上げておきなよ、俺のパートナーさん」
少し離れたところから、トントンと階段を上がる足音と同時にそんな声が聞こえてきた。
「……明日、図書室でお弁当の本とダブルス必勝法の本借りてこなきゃ……」
そんなつぶやきとともに視線を座卓の上に移すと、バッジが転がったままだった。
巴は、リョーマが置き忘れていったそのバッジを慌てて彼に届けようと立ち上がったが、すぐにまたその場に座り込んだ。
「と、とりあえず顔が戻るまでここに居よう」
気付けば顔がなぜかニヤけている。それになんだか暑い。
試合の後でもないのに、巴にはどうやらクールダウンが必要なようだった。
END
日付が新たに変わるまで、あと30分ほど。
今日が終われば、また新しい年が始まる。
実家に帰って、家族とこたつに入って紅白を観たり、観月家の今後について適当に話し合ったり。
そんなどうでもいい時間の過ごし方しかこの1日はしていない。
現在は特にやることもなくて、自室に戻ってデスクに無駄に座っているばかりだ。
寮にいれば残っている面々と、少なくとも飽きない過ごし方が出来たかもしれないというのに。
もう少ししたら氏神様へのご挨拶に、この寒い中家を出なければならない。
しかも一族総出でだ。これだから田舎の農家は……と思わずにいられない。
なんてくだらない年の越し方だろう、と観月はじめはため息をついた。
しかし、少なくとも大学を卒業するまで実家からの束縛は、節々に帰省するくらいの最低限で済む。
逆に言えば、今の文句が言える程度の自由ですら期限付きと言うことで。
どんなにこれからの人生をシミュレーションしようとも、胃の付近が重い感じになる。
気をそらそうと、窓のカーテンを開けて外を眺める。
日中は少々吹雪いていたけれども、雪は止んで凪いでいる。
大晦日の夜だからか、周囲に申し訳程度しかない民家は皆外灯もつけたままで、ぽつぽつと散らばった明かりは雪を照らしていつもより明るい夜になっている。
彼女──巴なら、こんな風景すらも奇麗だと言うだろうか。
何でもまっすぐ素直に感動する彼女なら。
無性に逢いたい。
今ここに一緒にいれば、こんなつまらない実家すら楽しいと思えるだろうにと、愚にもつかないことを考える。
残念ながらその彼女は今は岐阜の実家に居るはず。
岐阜と山形の距離なんて遠すぎて、どうすることも出来ない。
実際は岐阜もかなり雪が降るところがあると聞くし、観月が見ている雪景色も珍しいものではないかもしれない。
もしかしたら、彼女も当然のことすぎて奇麗だと感動すら覚えないかもしれない。
それでも、彼女とともにいるだけどんなに良いだろう。
一緒にこの風景を見てみたいと思う。
ひとつ大きく息を吐くと、メールの着信に気づいた。
”いま、電話しても大丈夫ですか?”
たったそれだけのメールなのに、あばたもえくぼというか、値千金に思えてしまうのだから、自分も大概まっすぐで素直かもしれない。
策士の観月はじめなど一体どこへ行ってしまったのか。
あわてて、階下におりて家族に二年参りのキャンセルを告げる。
姉や年寄りから「長男なのに!」という抗議はあるものの、風邪気味だからと殊勝な顔を見せてみればその抗議もぴたりと止まる。
なんだかんだ言って、家族は自分に弱い。
それは分かっているから、せいぜい最大限使わせてもらおうと思う。
「じゃあ、もう寝るから」と言い残して再び自室に戻る。
毎日発信履歴の残っているその番号に、今日もまた発信する。
コールは3回で途切れ、聞こえてくるのは、ただ懐かしくいとおしい彼女の声だけ。
「んふっ、こんばんは──キミと一緒に年越ししようと思って電話したんですが、大丈夫ですよね?」
「もちろんです!」すこしうわずった声が聞こえる。
慌てて受信したのだろうか、心の準備ができていないと言った風情だ。
巴から誘った電話だというのに。
「ねえ、巴くん? キミの家の窓からは何が見えますか?」
先ほどと同じように自室の窓から外を眺めながら、側にはいない彼女に問いかける。
願わくば雪がいい。観月はそう思う。
そうすれば、遠く離れていても一緒に並んでいるような気持ちになるから。
キミの隣で、1年が終われるから。
END
今日が終われば、また新しい年が始まる。
実家に帰って、家族とこたつに入って紅白を観たり、観月家の今後について適当に話し合ったり。
そんなどうでもいい時間の過ごし方しかこの1日はしていない。
現在は特にやることもなくて、自室に戻ってデスクに無駄に座っているばかりだ。
寮にいれば残っている面々と、少なくとも飽きない過ごし方が出来たかもしれないというのに。
もう少ししたら氏神様へのご挨拶に、この寒い中家を出なければならない。
しかも一族総出でだ。これだから田舎の農家は……と思わずにいられない。
なんてくだらない年の越し方だろう、と観月はじめはため息をついた。
しかし、少なくとも大学を卒業するまで実家からの束縛は、節々に帰省するくらいの最低限で済む。
逆に言えば、今の文句が言える程度の自由ですら期限付きと言うことで。
どんなにこれからの人生をシミュレーションしようとも、胃の付近が重い感じになる。
気をそらそうと、窓のカーテンを開けて外を眺める。
日中は少々吹雪いていたけれども、雪は止んで凪いでいる。
大晦日の夜だからか、周囲に申し訳程度しかない民家は皆外灯もつけたままで、ぽつぽつと散らばった明かりは雪を照らしていつもより明るい夜になっている。
彼女──巴なら、こんな風景すらも奇麗だと言うだろうか。
何でもまっすぐ素直に感動する彼女なら。
無性に逢いたい。
今ここに一緒にいれば、こんなつまらない実家すら楽しいと思えるだろうにと、愚にもつかないことを考える。
残念ながらその彼女は今は岐阜の実家に居るはず。
岐阜と山形の距離なんて遠すぎて、どうすることも出来ない。
実際は岐阜もかなり雪が降るところがあると聞くし、観月が見ている雪景色も珍しいものではないかもしれない。
もしかしたら、彼女も当然のことすぎて奇麗だと感動すら覚えないかもしれない。
それでも、彼女とともにいるだけどんなに良いだろう。
一緒にこの風景を見てみたいと思う。
ひとつ大きく息を吐くと、メールの着信に気づいた。
”いま、電話しても大丈夫ですか?”
たったそれだけのメールなのに、あばたもえくぼというか、値千金に思えてしまうのだから、自分も大概まっすぐで素直かもしれない。
策士の観月はじめなど一体どこへ行ってしまったのか。
あわてて、階下におりて家族に二年参りのキャンセルを告げる。
姉や年寄りから「長男なのに!」という抗議はあるものの、風邪気味だからと殊勝な顔を見せてみればその抗議もぴたりと止まる。
なんだかんだ言って、家族は自分に弱い。
それは分かっているから、せいぜい最大限使わせてもらおうと思う。
「じゃあ、もう寝るから」と言い残して再び自室に戻る。
毎日発信履歴の残っているその番号に、今日もまた発信する。
コールは3回で途切れ、聞こえてくるのは、ただ懐かしくいとおしい彼女の声だけ。
「んふっ、こんばんは──キミと一緒に年越ししようと思って電話したんですが、大丈夫ですよね?」
「もちろんです!」すこしうわずった声が聞こえる。
慌てて受信したのだろうか、心の準備ができていないと言った風情だ。
巴から誘った電話だというのに。
「ねえ、巴くん? キミの家の窓からは何が見えますか?」
先ほどと同じように自室の窓から外を眺めながら、側にはいない彼女に問いかける。
願わくば雪がいい。観月はそう思う。
そうすれば、遠く離れていても一緒に並んでいるような気持ちになるから。
キミの隣で、1年が終われるから。
END
去年のクリスマスイブは一緒に過ごすことが出来たけれど、今年は叶わない。
12月24日23時45分。
赤月巴は電気もつけず暗い自室の真ん中に、ごろんと寝そべり大きくため息をついた。
この世で一番誕生日を祝いたい相手の誕生日なのに、その当人はここには居ない。
日本から遠く離れたアメリカで、テニス修行をしているはずだ。
その修行もメジャーリーガーよろしく遠征に次ぐ遠征で、リョーマの実家で暮らしているはずの巴でさえ彼が今どこに居るかということを把握していない。
『便りのないのは良い便り』と先人は言うけれども、携帯依存症なんていう言葉もあるくらいの21世紀では頻繁にメールの一つも送られてこないのはやはり良い便りとは思えない。
今どこに居るのか、何をしているのか、次はいつ帰国するのか。
それだけでも知りたいと思うけれども、リョーマの性格から考えてそれすらも面倒くさがっているのだろうと想像がつくし。
それをこちらから細かく聞き出そうとするのも、嫌がるだろうと思った。
今更だとは思うが、例えそれをやったとして、ウザイ女だと思われるのも願い下げだ。
遠距離恋愛──そう定義づけるとやたらと甘ったるく感じられて恥ずかしいけれど、遠くにあって互いを想い合うことは難しい。
南次郎じゃないけれど、その遺伝子を持つ彼が金髪美女に弱かったりするかもしれないと考えてしまったのは一度や二度どころではないし、そうでなかったとしても離れている間に愛想を尽かされているのではないかと思うこともしばしばだ。
テニス以外のこととなると案外淡白な彼だ。
自分のことを気に入っている事実のほうが不思議だと今でも思う。
横になりながら右手を伸ばすと、床に置きっぱなしにしていたらしい携帯電話が指に触れた。
それをぎゅっと握りしめた。
もしかしたら修行とはいえ新年ぐらいは帰宅するかもしれない。
それくらいは訊いても良いのかな?
そう、考えた瞬間手の中の携帯電話がブルブルと震えだした。
着信を知らせるパネルにはリョーマの名前、しかも電話着信だ。
慌てて受信ボタンに触れて耳に当てる。
「──あ、はっ、はい!! リョーマくん? なに? どうしたの?」
相手に何も告げさせない勢いで巴は携帯電話に向けて話しはじめた。
「その勢いと声なら起きてたみたいだね、いま部屋に居るよね?」
「うん、どうして?」
「いいから、外見てくれない?」
「そと──」巴は言われるままに、カーテンを開き窓から周囲を見渡す。
クリスマスイブだというのに、日付がもうすぐ変わるこの時間ではさすがに住宅街は静かだった。
ふと自宅の門付近に目をやると、そこにはここに居るはずがないと思っていた姿があった。
「リョーマくん!!」
あわてて窓を開き、電話越しではなく直接声を掛ける。
「うるさいよ、赤月。近所迷惑」
耳元でシーッと声が聞こえた。
巴もそれに気づいて思わず口を手で塞ぐ。全く意味のないことだったが。
「で、帰ってきたんだけど自宅の鍵一式無くしちゃったみたいなんだよね」
だから開けてよ、そうリョーマは告げていた。
「寒いの嫌なんだよね」そう続いた言葉は、巴の切断によって最後まで彼女の携帯電話に届くことはなかった。
巴は大慌てで携帯電話をベッドの上に投げ捨てて、そばにあった適当なジャージをひっつかんで羽織り玄関を飛び出した。
門までたいした距離ではないけれども、たどり着くまであまりにも長い時間がかかったような気がした。もしかしたら、夢なのかもしれない。そう疑うほどに。
ようやく門までたどり着くと、どうやら幻ではなさそうなリョーマの姿があった。
12月の夜の外気に耳と頬をすこし赤く染めたその姿は、あまりにも生に満ちていた。
「リョーマくん、おかえり! いつ帰ってきたの?」
急いで門扉の鍵を解除しながら、巴はリョーマに尋ねた。
メールや電話ではあれほど訊くことをためらっていたのが嘘のようで、実際に顔を合わせるとあれを訊こうこれが知りたいと、言葉が次々と口からこぼれ出る。
「先に家に入りたい、寒い」と巴の質問をかわし、するりとリョーマは敷地内へと足を踏み入れ母屋へと向かった。
巴もリョーマの後に続く。
夜にリョーマとこういう風に歩くのはどれくらい振りだろうと思うと、思わず顔が緩んだ。
リョーマが言うように外気温は低く寒かったが、巴はそれに気づかないくらい心も身体も暖かかった。
彼の気持ちも同じだといいなと思っていると、あっという間に玄関まで来てしまった。
すでにリョーマの両親も菜々子も寝静まっている。
3人ともクリスマスイブということで、食事中ワインをかなり空けていたのが効いたのだろう。
二人はしんとした家の中を心持ち抜き足差し足しつつ歩き、2階のリョーマの自室までやってきた。
リョーマの部屋は主不在の期間が長いというのに、リョーマの母の気配りから常にいつでも使える状態に整えられていた。
今回のように急に帰宅したときには非常にありがたい。
二人並んで部屋へと入る。
さすがに使用していない部屋の独特の空気は払いきれず、冷えきっている。
巴は勝手知ったるといった調子で、エアコンのスイッチを入れた。
むっとした埃くさく生暖かい空気が部屋に流れ込んだ。
そんな中、二人は何となく部屋の真ん中にかしこまって座った。
部屋に入ってからまず口を開いたのはやはり巴だった。
「それで、どうして今日帰ってきてるの? 連絡もなかったしこんな時間に……」
「年末だからね……っていうか、いま短期ステイしてる家がイベント好きで騒がしかったし」
「わっがまま~」
話の腰を折る巴の素直な感想に、カチンとした表情をさせつつ「……別に良いじゃん」とばそぼそと小さな声で抗議した後、話の続きに戻る。
「そんなに騒がしいのが十二夜行われるって言うからね、慌てて帰国することにしたわけ。そうしたら、飛行機は成田への到着が数時間も遅れるし、リムジンバスも渋滞しててこんな時間になったんだよね──連絡しなかったのは単に面倒だったから」
めずらしく巴に突っ込まれない程度にリョーマは丁寧に説明した。
巴に対して説明不足だと後がうるさい。学習しているのだ。
ふと、今思い出したというように、リョーマは巴に問いかけた。
「で、肝心な言葉を忘れてない?」
肝心な言葉、それはまだリョーマが言ってもらっていない言葉で、欲しい言葉だった。
「え……? ああ! お帰りなさい、リョーマくん。メリークリスマス!」
「…………」それもそうだけど、とリョーマは内心ツッコミつつ、次の言葉を待つ。
巴は違ったかと小首をかしげつつ、再び口を開いた。
「あ、それとお誕生日おめでとう」
しかし、リョーマの微妙な表情を見て、これまた不正解だということを悟る。
リョーマの欲しい言葉が何なのか、巴は知らないはずがないのだが、肝心なときに気の回らない性格がここでも発揮されている。
リョーマは促すように言ってみた。
ここまでいくと、まるで強請っているようなものだったけれど、それで得られるのならば惜しくはないし、せっかくここまで遥々と帰ってきて、欲しい言葉の一つももらえないのでは報われないと思った。
「もう一声……欲しいな、せっかく誕生日に帰ってきたんだし」
「もう一声?」
相変わらず巴は全く思い当たらないらしい。
普段言い慣れていない言葉を言わせようとしているのだから、それはそうかもしれないけれど、ちょっと寂しいとも思った。
巴はリョーマの言葉の真意を測りかねている。
自分がリョーマに与えられる言葉とは何だろう。
喜ぶようなことを言えば良いんだなとはなんとなく感じたけれども、具体的に何を言えば良いかといえば全く思い当たらなかった。
そもそも、これまで言葉を強請られるなんていう経験はなかったのだから仕方がない。
「そう、何か帰ってきて良かったなーなんて思えるような甘い言葉の一つでも欲しいね」
結局リョーマが音を上げた形になってしまった。
欲しいものを口にするというのはここまで恥ずかしいものだったのかと、初めて思い知り、顔を伏せてしまいそうになる。
けれども、それでは巴を見ていることも出来ず、思いとどまる。
なにしろしばらくぶりに見る彼女の顔は、変わっていないように見えて変わっているし、久しぶりに見ることが出来るその顔には見飽きない自信があったのだから。
巴は視線をそらさないリョーマの口から出た言葉、欲しているものに気づいて頬に赤みがさした。
「甘い言葉……ねぇ」それは一体どんなことを言えば良いのか。
改めて考えるととても気恥ずかしいことだった。
その場の雰囲気に流されれば、勢いに流されれば、何も考えず口に出来たかもしれないけれど、それを改めて言えといわれても困る。
少なくとも巴は困った。
けれど──上目遣いでリョーマの顔を見ていると、明らかに期待しているような、それでいていつものからかうよう瞳が巴を捉えていた。
もう逃げられないのは明らかで、仕方ないのかなとため息をついた。
そして、交渉を持ちかけた。
「言っても良いけど、約束してもらうからね」
「良いけど? なに?」
話によるけどね、と巴の話によっては後だしジャンケンのように言ってしまえば良いと狡いことを考えつつ、リョーマは続きを聞く気になった。
「これからは、ノルマを課します。せめて週一でメール欲しいな」
「メール?」
「そう、いまどこでなにをしているか位は知りたいもん」
そんなことは自分からメールして聞けば良いのに、リョーマは素直にそう思う。
巴からメールを送ってくれれば、それを全く無視するつもりなんて毛頭ないのだから。
けれども巴はこう続けた。
「アメリカじゃ生活習慣も流れる時間も違うし、いまメール送ったら負担になるかな、とか、練習の邪魔かも、なんて考えちゃうと自分からは送りづらいよ、どうしても」
心の中でいつも思っていたことを素直に口にした。
巴はリョーマがどのように生活してどのように修行を続けているのか知らない。
だからこそ便りがないことを不安に思うけれども、しかしながら自分から便りを求めることはリョーマの迷惑になるかもしれないと思い、身動きが取れなくなっていたのだ。
「なんだ、そんなこと。わかったよ」
リョーマはその不安を感じ取り、あっさりと降参する。
それで遠くの巴が安心するというのなら、欲しい言葉がもらえるのならそれで良いと思えた。
メールの文面を考えるだけでも手間だし面倒だと思うけれども、それを惜しむことで巴が遠ざかっていくのは本意ではない。
自分だって巴がいま何をしているかを知りたい気持ちはもちろんある訳だし。
「ありがとう、リョーマくん──だいすき。帰ってきてくれて嬉しいよ」
リョーマの返事にかぶるように、息せき切ったように巴はそう言葉にした。
深夜であり他の部屋に響かないように配慮したのか、それはとても小さな声だったけれども巴の正面に向かい合うような形で座っていたリョーマには当然はっきりと聞き取れた。
巴が恥ずかしげにチラと一瞬視線を外したことも、先ほどにも増して頬に赤みが増したこともリョーマの動体視力は見逃さなかった。
たったそれだけで、なんとなく幸せな気持ちになるのだから、自分も巴に負けずとも劣らず単純だなとリョーマは思った。全く不本意だったが。
けれども、そんな不本意なら悪くないとも思う。
リョーマは巴の両肩に自分の両手を伸ばして引き寄せた。
越前家お決まりのシャンプーの香りと、少し高めの巴の体温を感じることが出来た。
修行をしてテニスの高みを目指すことが出来てなかなかに充実している、そんないまの生活にはほとんど不満はないけれども、いまの生活には巴が足りない。
それをリョーマは痛切に感じてしまった。
「ねぇ、いつか──」
いつか、自分の隣に来てくれない?
そうリョーマは言いたかったが、ハッと口をつぐんだ。
自分も寂しい、巴だって寂しいだろうけれども、いまそれを言ってしまうのは反則だと知っている。
巴をいまこの家から引き離すのは自分のエゴにすぎない。
だから、リョーマはいつの間にか巴の背中にまわした自分の腕に更に力を込めた。
「またいつか、お前の前に戻ってくるまでに、お前の熱を忘れないように俺に刻み付けてよ」
巴はというと、リョーマの肩に顔を埋めて「どんどん刻み付けていってやる」蠢くように返事をした後、リョーマに負けじと自らの腕に力を込めていった。
「あ、言うの忘れてた──赤月、良いクリスマスを」
「それは、リョーマくん次第だよ」
二人はしきりに忍び笑いをし、その後はお互いの熱を刻み付けることに専念することにした。
忘れることが出来ないほどの迸る熱をその身体に。
END
12月24日23時45分。
赤月巴は電気もつけず暗い自室の真ん中に、ごろんと寝そべり大きくため息をついた。
この世で一番誕生日を祝いたい相手の誕生日なのに、その当人はここには居ない。
日本から遠く離れたアメリカで、テニス修行をしているはずだ。
その修行もメジャーリーガーよろしく遠征に次ぐ遠征で、リョーマの実家で暮らしているはずの巴でさえ彼が今どこに居るかということを把握していない。
『便りのないのは良い便り』と先人は言うけれども、携帯依存症なんていう言葉もあるくらいの21世紀では頻繁にメールの一つも送られてこないのはやはり良い便りとは思えない。
今どこに居るのか、何をしているのか、次はいつ帰国するのか。
それだけでも知りたいと思うけれども、リョーマの性格から考えてそれすらも面倒くさがっているのだろうと想像がつくし。
それをこちらから細かく聞き出そうとするのも、嫌がるだろうと思った。
今更だとは思うが、例えそれをやったとして、ウザイ女だと思われるのも願い下げだ。
遠距離恋愛──そう定義づけるとやたらと甘ったるく感じられて恥ずかしいけれど、遠くにあって互いを想い合うことは難しい。
南次郎じゃないけれど、その遺伝子を持つ彼が金髪美女に弱かったりするかもしれないと考えてしまったのは一度や二度どころではないし、そうでなかったとしても離れている間に愛想を尽かされているのではないかと思うこともしばしばだ。
テニス以外のこととなると案外淡白な彼だ。
自分のことを気に入っている事実のほうが不思議だと今でも思う。
横になりながら右手を伸ばすと、床に置きっぱなしにしていたらしい携帯電話が指に触れた。
それをぎゅっと握りしめた。
もしかしたら修行とはいえ新年ぐらいは帰宅するかもしれない。
それくらいは訊いても良いのかな?
そう、考えた瞬間手の中の携帯電話がブルブルと震えだした。
着信を知らせるパネルにはリョーマの名前、しかも電話着信だ。
慌てて受信ボタンに触れて耳に当てる。
「──あ、はっ、はい!! リョーマくん? なに? どうしたの?」
相手に何も告げさせない勢いで巴は携帯電話に向けて話しはじめた。
「その勢いと声なら起きてたみたいだね、いま部屋に居るよね?」
「うん、どうして?」
「いいから、外見てくれない?」
「そと──」巴は言われるままに、カーテンを開き窓から周囲を見渡す。
クリスマスイブだというのに、日付がもうすぐ変わるこの時間ではさすがに住宅街は静かだった。
ふと自宅の門付近に目をやると、そこにはここに居るはずがないと思っていた姿があった。
「リョーマくん!!」
あわてて窓を開き、電話越しではなく直接声を掛ける。
「うるさいよ、赤月。近所迷惑」
耳元でシーッと声が聞こえた。
巴もそれに気づいて思わず口を手で塞ぐ。全く意味のないことだったが。
「で、帰ってきたんだけど自宅の鍵一式無くしちゃったみたいなんだよね」
だから開けてよ、そうリョーマは告げていた。
「寒いの嫌なんだよね」そう続いた言葉は、巴の切断によって最後まで彼女の携帯電話に届くことはなかった。
巴は大慌てで携帯電話をベッドの上に投げ捨てて、そばにあった適当なジャージをひっつかんで羽織り玄関を飛び出した。
門までたいした距離ではないけれども、たどり着くまであまりにも長い時間がかかったような気がした。もしかしたら、夢なのかもしれない。そう疑うほどに。
ようやく門までたどり着くと、どうやら幻ではなさそうなリョーマの姿があった。
12月の夜の外気に耳と頬をすこし赤く染めたその姿は、あまりにも生に満ちていた。
「リョーマくん、おかえり! いつ帰ってきたの?」
急いで門扉の鍵を解除しながら、巴はリョーマに尋ねた。
メールや電話ではあれほど訊くことをためらっていたのが嘘のようで、実際に顔を合わせるとあれを訊こうこれが知りたいと、言葉が次々と口からこぼれ出る。
「先に家に入りたい、寒い」と巴の質問をかわし、するりとリョーマは敷地内へと足を踏み入れ母屋へと向かった。
巴もリョーマの後に続く。
夜にリョーマとこういう風に歩くのはどれくらい振りだろうと思うと、思わず顔が緩んだ。
リョーマが言うように外気温は低く寒かったが、巴はそれに気づかないくらい心も身体も暖かかった。
彼の気持ちも同じだといいなと思っていると、あっという間に玄関まで来てしまった。
すでにリョーマの両親も菜々子も寝静まっている。
3人ともクリスマスイブということで、食事中ワインをかなり空けていたのが効いたのだろう。
二人はしんとした家の中を心持ち抜き足差し足しつつ歩き、2階のリョーマの自室までやってきた。
リョーマの部屋は主不在の期間が長いというのに、リョーマの母の気配りから常にいつでも使える状態に整えられていた。
今回のように急に帰宅したときには非常にありがたい。
二人並んで部屋へと入る。
さすがに使用していない部屋の独特の空気は払いきれず、冷えきっている。
巴は勝手知ったるといった調子で、エアコンのスイッチを入れた。
むっとした埃くさく生暖かい空気が部屋に流れ込んだ。
そんな中、二人は何となく部屋の真ん中にかしこまって座った。
部屋に入ってからまず口を開いたのはやはり巴だった。
「それで、どうして今日帰ってきてるの? 連絡もなかったしこんな時間に……」
「年末だからね……っていうか、いま短期ステイしてる家がイベント好きで騒がしかったし」
「わっがまま~」
話の腰を折る巴の素直な感想に、カチンとした表情をさせつつ「……別に良いじゃん」とばそぼそと小さな声で抗議した後、話の続きに戻る。
「そんなに騒がしいのが十二夜行われるって言うからね、慌てて帰国することにしたわけ。そうしたら、飛行機は成田への到着が数時間も遅れるし、リムジンバスも渋滞しててこんな時間になったんだよね──連絡しなかったのは単に面倒だったから」
めずらしく巴に突っ込まれない程度にリョーマは丁寧に説明した。
巴に対して説明不足だと後がうるさい。学習しているのだ。
ふと、今思い出したというように、リョーマは巴に問いかけた。
「で、肝心な言葉を忘れてない?」
肝心な言葉、それはまだリョーマが言ってもらっていない言葉で、欲しい言葉だった。
「え……? ああ! お帰りなさい、リョーマくん。メリークリスマス!」
「…………」それもそうだけど、とリョーマは内心ツッコミつつ、次の言葉を待つ。
巴は違ったかと小首をかしげつつ、再び口を開いた。
「あ、それとお誕生日おめでとう」
しかし、リョーマの微妙な表情を見て、これまた不正解だということを悟る。
リョーマの欲しい言葉が何なのか、巴は知らないはずがないのだが、肝心なときに気の回らない性格がここでも発揮されている。
リョーマは促すように言ってみた。
ここまでいくと、まるで強請っているようなものだったけれど、それで得られるのならば惜しくはないし、せっかくここまで遥々と帰ってきて、欲しい言葉の一つももらえないのでは報われないと思った。
「もう一声……欲しいな、せっかく誕生日に帰ってきたんだし」
「もう一声?」
相変わらず巴は全く思い当たらないらしい。
普段言い慣れていない言葉を言わせようとしているのだから、それはそうかもしれないけれど、ちょっと寂しいとも思った。
巴はリョーマの言葉の真意を測りかねている。
自分がリョーマに与えられる言葉とは何だろう。
喜ぶようなことを言えば良いんだなとはなんとなく感じたけれども、具体的に何を言えば良いかといえば全く思い当たらなかった。
そもそも、これまで言葉を強請られるなんていう経験はなかったのだから仕方がない。
「そう、何か帰ってきて良かったなーなんて思えるような甘い言葉の一つでも欲しいね」
結局リョーマが音を上げた形になってしまった。
欲しいものを口にするというのはここまで恥ずかしいものだったのかと、初めて思い知り、顔を伏せてしまいそうになる。
けれども、それでは巴を見ていることも出来ず、思いとどまる。
なにしろしばらくぶりに見る彼女の顔は、変わっていないように見えて変わっているし、久しぶりに見ることが出来るその顔には見飽きない自信があったのだから。
巴は視線をそらさないリョーマの口から出た言葉、欲しているものに気づいて頬に赤みがさした。
「甘い言葉……ねぇ」それは一体どんなことを言えば良いのか。
改めて考えるととても気恥ずかしいことだった。
その場の雰囲気に流されれば、勢いに流されれば、何も考えず口に出来たかもしれないけれど、それを改めて言えといわれても困る。
少なくとも巴は困った。
けれど──上目遣いでリョーマの顔を見ていると、明らかに期待しているような、それでいていつものからかうよう瞳が巴を捉えていた。
もう逃げられないのは明らかで、仕方ないのかなとため息をついた。
そして、交渉を持ちかけた。
「言っても良いけど、約束してもらうからね」
「良いけど? なに?」
話によるけどね、と巴の話によっては後だしジャンケンのように言ってしまえば良いと狡いことを考えつつ、リョーマは続きを聞く気になった。
「これからは、ノルマを課します。せめて週一でメール欲しいな」
「メール?」
「そう、いまどこでなにをしているか位は知りたいもん」
そんなことは自分からメールして聞けば良いのに、リョーマは素直にそう思う。
巴からメールを送ってくれれば、それを全く無視するつもりなんて毛頭ないのだから。
けれども巴はこう続けた。
「アメリカじゃ生活習慣も流れる時間も違うし、いまメール送ったら負担になるかな、とか、練習の邪魔かも、なんて考えちゃうと自分からは送りづらいよ、どうしても」
心の中でいつも思っていたことを素直に口にした。
巴はリョーマがどのように生活してどのように修行を続けているのか知らない。
だからこそ便りがないことを不安に思うけれども、しかしながら自分から便りを求めることはリョーマの迷惑になるかもしれないと思い、身動きが取れなくなっていたのだ。
「なんだ、そんなこと。わかったよ」
リョーマはその不安を感じ取り、あっさりと降参する。
それで遠くの巴が安心するというのなら、欲しい言葉がもらえるのならそれで良いと思えた。
メールの文面を考えるだけでも手間だし面倒だと思うけれども、それを惜しむことで巴が遠ざかっていくのは本意ではない。
自分だって巴がいま何をしているかを知りたい気持ちはもちろんある訳だし。
「ありがとう、リョーマくん──だいすき。帰ってきてくれて嬉しいよ」
リョーマの返事にかぶるように、息せき切ったように巴はそう言葉にした。
深夜であり他の部屋に響かないように配慮したのか、それはとても小さな声だったけれども巴の正面に向かい合うような形で座っていたリョーマには当然はっきりと聞き取れた。
巴が恥ずかしげにチラと一瞬視線を外したことも、先ほどにも増して頬に赤みが増したこともリョーマの動体視力は見逃さなかった。
たったそれだけで、なんとなく幸せな気持ちになるのだから、自分も巴に負けずとも劣らず単純だなとリョーマは思った。全く不本意だったが。
けれども、そんな不本意なら悪くないとも思う。
リョーマは巴の両肩に自分の両手を伸ばして引き寄せた。
越前家お決まりのシャンプーの香りと、少し高めの巴の体温を感じることが出来た。
修行をしてテニスの高みを目指すことが出来てなかなかに充実している、そんないまの生活にはほとんど不満はないけれども、いまの生活には巴が足りない。
それをリョーマは痛切に感じてしまった。
「ねぇ、いつか──」
いつか、自分の隣に来てくれない?
そうリョーマは言いたかったが、ハッと口をつぐんだ。
自分も寂しい、巴だって寂しいだろうけれども、いまそれを言ってしまうのは反則だと知っている。
巴をいまこの家から引き離すのは自分のエゴにすぎない。
だから、リョーマはいつの間にか巴の背中にまわした自分の腕に更に力を込めた。
「またいつか、お前の前に戻ってくるまでに、お前の熱を忘れないように俺に刻み付けてよ」
巴はというと、リョーマの肩に顔を埋めて「どんどん刻み付けていってやる」蠢くように返事をした後、リョーマに負けじと自らの腕に力を込めていった。
「あ、言うの忘れてた──赤月、良いクリスマスを」
「それは、リョーマくん次第だよ」
二人はしきりに忍び笑いをし、その後はお互いの熱を刻み付けることに専念することにした。
忘れることが出来ないほどの迸る熱をその身体に。
END
最初に謝っておきます。かなり小ネタですみません。
未来設定の観月×巴です。
全く色気がない話ですが、まあそういう表現が無いとも言い切れず。
とりあえず何を出されてもおいしくいただける方のみご覧ください。
***
未来設定の観月×巴です。
全く色気がない話ですが、まあそういう表現が無いとも言い切れず。
とりあえず何を出されてもおいしくいただける方のみご覧ください。
***
観月はじめは、しばらく前までは風呂など身体を清潔に保ち、温浴効果で身体をくつろげるためだけの場所だと思っていた。
一人で瞑想したり、音楽を聴いたり、リラックスできる場所であって欲しくもあったのだが、残念ながら中高と寮生活では望めないことだった。
だから観月は一人暮らしを始めることでまず非常に重きを置いたことは入浴の楽しめる物件探しだった。
ユニットバスなどとんでもないことだ。最低でも、バストイレ別が良かったし、風呂場が清潔で大きいものであればあるほど良かった。
ただし都会の独身者向けアパートやマンションで、風呂にこだわった物件など平均的な家賃では見つかる訳も無く、ようやく理想的だと思った物件は相場よりも値の張ったデザイナーズマンションだった。
バスタブは広く、17歳を過ぎて急激に成長した身体を沈めても余りある位だったし、浴室の上部に設置されている明かり取りの窓のおかげで浴室内は開放的な印象だった。
この物件を手に入れた結果、実家からの援助額がいくらか嵩むところが観月には少し不本意であったが、いつかあの北国に帰り、それ以降は外へと出られなくなってしまうことを考えると、今はこれくらいの見返りがあってもいいような気もしている。
それに──彼女も付いて来たことだし?
いま自分が後ろから抱きかかえる形になっている人物の赤々と火照る肩に顔を埋めた。
「キミはずいぶん長風呂が得意なんですね、……ボクはもうそろそろ逆上せそうですよ」
「観月さんそんなところでモゴモゴとしゃべられると、くすぐったいです」
自分の前に身を置いた赤月巴は自ら持ち込んだお風呂用おもちゃをプカプカと浮かべて遊んでいた。
観月が風呂にこだわって、そこについてきた結果の一つだった。
心地の良い入浴空間は、風呂好きの女子的には当然興味をそそられる対象となる訳で、それが倦怠期もなんのそのと長い間付き合ってきた恋人の部屋であるならば、たどり着くところは一つしか無いも同然だった。
最初は一緒に入ることもためらっていた彼女だが、生来おおっぴらで無頓着な性格はここにも影響を及ぼした。
つまりはすぐに気にならなくなった。
恋人にテニスで鍛えられた体躯を曝すこと自体、もともと抵抗は無かったし、風呂ごときで何を今更といったこともある。
そうしたら気づけばいつの間にやら昼間っから広い風呂に浸かって、なにもせず二人グダグダと時を過ごすことも多くなっていた。
巴がいま遊んでいる風呂用おもちゃも、彼女が自分の入浴のお供にとわざわざ持ち込んだものだった。
風呂どころか、部屋全体がもしかしたら観月の私物よりも彼女の私物の方が多いのではないかと思われる。
かつて世間一般において思春期と呼ばれる頃には、自分の領域に赤の他人が入ってくることを激しく嫌っていた観月であったが、この頃は巴に限定して言うならばそれも悪くないと思っていた。
きちんと整理整頓さえされていれば、ではあったが。
しかしながら巴がきっちり片付けるということはあまり無いことで、それが近頃の観月の頭痛の種の一つであった。
「出したら片付ける!」と彼女に注意することは、中学生の時分からいつまで経っても変わらなかった。
恋人関係であれば師弟関係などそろそろ解消したい関係の一つではあるが、その時はなかなか訪れそうにない。
しばらく巴の肩に顔を埋めていた観月は、ふたたび顔を上げて彼女の肩越しにおもちゃを見た。目が合ったような気がした。
それはビニール製の黄色のアヒルの浮きだった。
アヒルの地球に優しくなさそうな毒々しいまでの黄色に顔を顰めた。
このおもちゃはなぜか観月を不快にさせる。
すぐさま原因に考えが至って、それがまた更に嫌な感じだった。
「──ボクはキミの私物自体にいちいち文句を付ける気はないんです……片付けられていれば、ですが……」
観月は自分でも何を言い出すのやらと思いつつ、少し言いづらそうに言葉を紡ぐ。
こんなことを言うのは非常に馬鹿馬鹿しい。
まだ学生の身の上とはいえ、成人男性の言うことではない気がする。
しかし、ここで言わなければ、いまふと覚えた不快感をいつまでも拭い去ることはできないだろう。
「ただ、このおもちゃは不快ですからもう持ち込むのはやめてくださいね」
目の前の彼女は「ええー、気に入ってるのに」と抗議したが、観月は彼の本来嫌いとする頭の弱そうな理由でそれを拒む。
「だって、それ、どこかのアヒル似の人間に見えるじゃないですか──それが、ここにあるのは覗かれているようで気持ち悪い」
そう言って観月は巴の脇から手を伸ばしておもちゃを掴み、浴槽の外へと投げ捨てた。
「ああっ、観月さんヒドイ」
巴が抗議すべく、背後の観月へと身体ごと振り返って正面から向き合う体勢になる。
「もうっあれは柳沢さんじゃなくて単なるアヒルですよ──きゃっ」
向き合って、巴が口を開いた瞬間、今度は真っ正面から観月は彼女を抱え込んで身体の中に自らの身を沈めた。
ざばっと浴槽から激しく水がこぼれたが二人は気にしなかった。
湯が減れば自動的に補給されるシステムはこういうときにありがたい。
観月はいきおい彼女の肌に唇を押し当てたまま、先ほどのようにモゴモゴと話し始めた。
「だから、たとえおもちゃであっても、誰かの、何かの目の前にキミの素肌を触れさせたくないし、だいたいボクはそんな状況でキミに色々とするような性癖は無いんですよ、わかってくれませんか」
「──っだからあれは柳沢さんなんかじゃないですってば!」そう言う巴の言葉を、「こんなところでヤツの名前は聞きたくないですね」などと的外れな台詞で流しながら巴の身体に更に浸る。
ここまで動ける広い風呂はやはり悪くないなと、悪怯れるふうも無く観月は自分の選んだ物件に満足を覚え、二人の入浴に没頭することにした。
END
一人で瞑想したり、音楽を聴いたり、リラックスできる場所であって欲しくもあったのだが、残念ながら中高と寮生活では望めないことだった。
だから観月は一人暮らしを始めることでまず非常に重きを置いたことは入浴の楽しめる物件探しだった。
ユニットバスなどとんでもないことだ。最低でも、バストイレ別が良かったし、風呂場が清潔で大きいものであればあるほど良かった。
ただし都会の独身者向けアパートやマンションで、風呂にこだわった物件など平均的な家賃では見つかる訳も無く、ようやく理想的だと思った物件は相場よりも値の張ったデザイナーズマンションだった。
バスタブは広く、17歳を過ぎて急激に成長した身体を沈めても余りある位だったし、浴室の上部に設置されている明かり取りの窓のおかげで浴室内は開放的な印象だった。
この物件を手に入れた結果、実家からの援助額がいくらか嵩むところが観月には少し不本意であったが、いつかあの北国に帰り、それ以降は外へと出られなくなってしまうことを考えると、今はこれくらいの見返りがあってもいいような気もしている。
それに──彼女も付いて来たことだし?
いま自分が後ろから抱きかかえる形になっている人物の赤々と火照る肩に顔を埋めた。
「キミはずいぶん長風呂が得意なんですね、……ボクはもうそろそろ逆上せそうですよ」
「観月さんそんなところでモゴモゴとしゃべられると、くすぐったいです」
自分の前に身を置いた赤月巴は自ら持ち込んだお風呂用おもちゃをプカプカと浮かべて遊んでいた。
観月が風呂にこだわって、そこについてきた結果の一つだった。
心地の良い入浴空間は、風呂好きの女子的には当然興味をそそられる対象となる訳で、それが倦怠期もなんのそのと長い間付き合ってきた恋人の部屋であるならば、たどり着くところは一つしか無いも同然だった。
最初は一緒に入ることもためらっていた彼女だが、生来おおっぴらで無頓着な性格はここにも影響を及ぼした。
つまりはすぐに気にならなくなった。
恋人にテニスで鍛えられた体躯を曝すこと自体、もともと抵抗は無かったし、風呂ごときで何を今更といったこともある。
そうしたら気づけばいつの間にやら昼間っから広い風呂に浸かって、なにもせず二人グダグダと時を過ごすことも多くなっていた。
巴がいま遊んでいる風呂用おもちゃも、彼女が自分の入浴のお供にとわざわざ持ち込んだものだった。
風呂どころか、部屋全体がもしかしたら観月の私物よりも彼女の私物の方が多いのではないかと思われる。
かつて世間一般において思春期と呼ばれる頃には、自分の領域に赤の他人が入ってくることを激しく嫌っていた観月であったが、この頃は巴に限定して言うならばそれも悪くないと思っていた。
きちんと整理整頓さえされていれば、ではあったが。
しかしながら巴がきっちり片付けるということはあまり無いことで、それが近頃の観月の頭痛の種の一つであった。
「出したら片付ける!」と彼女に注意することは、中学生の時分からいつまで経っても変わらなかった。
恋人関係であれば師弟関係などそろそろ解消したい関係の一つではあるが、その時はなかなか訪れそうにない。
しばらく巴の肩に顔を埋めていた観月は、ふたたび顔を上げて彼女の肩越しにおもちゃを見た。目が合ったような気がした。
それはビニール製の黄色のアヒルの浮きだった。
アヒルの地球に優しくなさそうな毒々しいまでの黄色に顔を顰めた。
このおもちゃはなぜか観月を不快にさせる。
すぐさま原因に考えが至って、それがまた更に嫌な感じだった。
「──ボクはキミの私物自体にいちいち文句を付ける気はないんです……片付けられていれば、ですが……」
観月は自分でも何を言い出すのやらと思いつつ、少し言いづらそうに言葉を紡ぐ。
こんなことを言うのは非常に馬鹿馬鹿しい。
まだ学生の身の上とはいえ、成人男性の言うことではない気がする。
しかし、ここで言わなければ、いまふと覚えた不快感をいつまでも拭い去ることはできないだろう。
「ただ、このおもちゃは不快ですからもう持ち込むのはやめてくださいね」
目の前の彼女は「ええー、気に入ってるのに」と抗議したが、観月は彼の本来嫌いとする頭の弱そうな理由でそれを拒む。
「だって、それ、どこかのアヒル似の人間に見えるじゃないですか──それが、ここにあるのは覗かれているようで気持ち悪い」
そう言って観月は巴の脇から手を伸ばしておもちゃを掴み、浴槽の外へと投げ捨てた。
「ああっ、観月さんヒドイ」
巴が抗議すべく、背後の観月へと身体ごと振り返って正面から向き合う体勢になる。
「もうっあれは柳沢さんじゃなくて単なるアヒルですよ──きゃっ」
向き合って、巴が口を開いた瞬間、今度は真っ正面から観月は彼女を抱え込んで身体の中に自らの身を沈めた。
ざばっと浴槽から激しく水がこぼれたが二人は気にしなかった。
湯が減れば自動的に補給されるシステムはこういうときにありがたい。
観月はいきおい彼女の肌に唇を押し当てたまま、先ほどのようにモゴモゴと話し始めた。
「だから、たとえおもちゃであっても、誰かの、何かの目の前にキミの素肌を触れさせたくないし、だいたいボクはそんな状況でキミに色々とするような性癖は無いんですよ、わかってくれませんか」
「──っだからあれは柳沢さんなんかじゃないですってば!」そう言う巴の言葉を、「こんなところでヤツの名前は聞きたくないですね」などと的外れな台詞で流しながら巴の身体に更に浸る。
ここまで動ける広い風呂はやはり悪くないなと、悪怯れるふうも無く観月は自分の選んだ物件に満足を覚え、二人の入浴に没頭することにした。
END
「で、これが俺への誕生日プレゼントって訳……? 思いっきり服ですーって感じなんだけど。━━━巴のクセに冒険したよね。俺って服装には結構ウルサイって言ってたと思うんだけどなあ……自分色に染まって欲しいって意味? ああ、そういえば異性に服を贈るって脱がせたいって意味があるんだっけ、でも巴がそんなことまで考えてるとはさすがに思えないよね……。それともへんな服を贈ろうって嫌がらせとか? まさか巴だって自分の彼氏にへんな服を着て歩いて欲しいとは思わないよね、マゾじゃあるまいし、っていうか結構サドっ気はあると思うけど」
「もう、とにかく中身が気になるなら開けて確認して下さいよ!
気に入らなければ返品して一緒にもう一度選べばいいですから!」
赤月巴は目の前の自分の彼氏、伊武深司が手にしている包み紙を強引に奪ってバリッと開封した。
祝日の夕方、活気にあふれている筈のファミリーレストランの中でも巴の声はよく通った。
近くを通ったコーヒーのお代わりポットを持ったウェイトレスがちらりと視線をよこし、何事もない事を確認すると、そのまま微笑ましいといった表情をさせつつ次の仕事へと向かっていった。
そのウェイトレスを横目に、付き合いが案外長くなりつつある巴にしか分からないくらい密かに憮然とした表情をさせて、伊武は相変わらずボソボソと話す。
「…………それって逆ギレだよね」
「いいんですっ、はい、どうぞ」
破られた包みから現れたのは、細かい地紋のある濃紺のトラックトップ。
もちろん先ほど巴が開封した袋に書かれたスポーツブランドのものだろう。
巴が知っているとは思えないが、凝ったデザインと作り手の長年のこだわりに定評のあるブランドで興味を持っていた。
折りたたまれたまま現物を渡された伊武だが、その生地の感触や色合いを見るだけで広げなくても良い物であることはすぐに分かった。
それは、先ほど彼女に対しては嫌なことを言ったりしたけれども、巴が伊武のために見立てたものだ。
自分に似合わないわけがないだろうと信じている。
少なくとも巴の目にはこの服を着た自分が素敵に映ることだろう。
あとは━━━
「ちゃんとサイズ、俺に合う訳?」
「……言われると思いました。
それについては大丈夫、だと思います。多分」
「多分? なんで?」
なかなかその質問に応えを返さずに顔を赤くして俯いた巴を、伊武は不思議そうに眺めた。
---
そこにはただ、スポーツ用靴下を買いに来ただけだった。
部活で履くといかにスポーツ用の生地の厚い靴下であってもすぐに傷んでしまうから、こまめに買い足さなくてはいけない。今日もそのつもりでやって来た。
当初はその筈だったのに、スポーツショップのど真ん中に派手に展開されたスポーツブランドのタウンユースコーナーを見て、正確にはそこに佇むマネキンの着用しているトラックトップを見て気が変わった。
というか、突然「やらなくてはいけなかったこと」を思い出したと言うべきか。
「あー…あのジャージ、深司さんに似合いそうだな」
そう我知らず口をついて出た言葉に、巴はハッと気付いた。
「誕生日……!」
まもなく誕生日を迎える、いま自分自身の中で間違えなく優先順位1位の人。
その人の顔が火花のようにパチッと目の前を弾けて消えた。
優先順位が1位の筈なのに、誕生日へのカウントダウンはもう10日を切っているというのに、そういえばまだプレゼントを用意していなかったことを、今更ながら思い出す。
すっかり忘れていたというわけではないが、あえて探し回ることもしていなかった。
手作りのケーキと、なにか使えそうな雑貨。
それを前日までに用意していれば、何とかなるだろうと楽観的に思っていた。
衣服のプレゼントなど、以ての外だと思っていたが。
でも、これなら。
そんな考えがチラリと脳内を横切った。
成功すればとても喜んでもらえるが、それは勝率の低い賭にも似ている。
巴が目の前のトラックトップをただの『ジャージ』と表現していることからも誰にでも分かることだが、衣服についてあまり詳しくはない。
本人も、多分伊武もファッション知識やセンスなどには端から期待していない。
二人とも巴のセンスについて悪いとは思っていないが、特にこだわりがあるわけでもないし、他人の事についても無頓着だ。
例え伊武が体操服を着用してデートに登場したところで、巴は全く何とも思わないだろう。
さすがに「今日の深司さんはおかしいな」と思うだろうが。
もちろんその例えは、案外自らの装いに気を配っている伊武自身によって成立することは天と地がひっくり返ったとしてもあり得ないことである。
そんな巴がプレゼントする衣服を、彼が喜ぶだろうか。
そこが問題だ。
「なにか、お探しでしょうか?」
マネキンの前で思案していた巴の前に、見かねたのか店員が声を掛けた。
スポーツショップ内のブースだからだろうか、アパレルショップの店員よりも親しみ安い印象のその店員は、このコーナーの担当らしく、タウンユースのスポーツウェアを綺麗に着こなしている。
トップスも巴の言うところの『ジャージ』ではあるけれどもただ爽やかなお洒落のイメージで、だらしないとか汗くさそうとか体育教師風とか、ジャージで受けるマイナスイメージはどこにも見あたらない。
巴も女子とはいえ運動部員の端くれ、手塚や不二といった自分の学校の特殊な先輩達を除外すると、普通の運動部系の男子達はなぜか私服すらスポーツ系で固めてしまう傾向があることを知っている。
ジャージの呪縛から逃れられないのか、ちょっとファッションにはこだわりがあると言っている伊武でさえその傾向があるように思える。
だったら、目の前の店員は、その彼の居るこのコーナーは正解例の一つだろうと巴にも分かる。
巴一人では自信のない分野ではあるが、彼に相談に乗って貰えればきっと正解が見つかるはず。
中学生女子として大人の男性に相談するのはとても高いハードルで、きちんと聞いてもらえるかどうかすら確信が持てずにドキドキしながらも、勇気を出して自分の希望を口に出してみた。
ファッションに自信がない自分が好きな人のために、贈り物をしたいこと。
それについてアドヴァイスがぜひ欲しいこと。
そして、それは店員にとっては仕事なのだから当然といえば当然のことであるけれども、叶えられた。
根気よく、普段伊武が着用している服の傾向や色について、好きなメーカー・ブランドについて聞き出し、巴が一番最初に目をつけたトラックトップが最適だと太鼓判を押してくれた。
けれども、サイズを確認する段になって初めて暗雲が漂った。
「そういえば、サイズ、知らないかも!」
これまで興味がなかったし、セーターを編むわけでもなく訊き出すタイミングなんてあったわけでもないので仕方のないことだ。
それでも、伊武についてこんな単純すぎることを知らない自分に巴はショックを受けた。
すこし青ざめた表情の巴を、プロの店員らしくフォローし、身長や体格からサイズを割り出してくれた。
そしてボトムや襟周りのサイズが細かいシャツを買うわけではないし、そのサイズで大丈夫だろうと言い添えて該当商品を巴に手渡した。
そして、ふと突然思いついたのか、「彼氏のジャージとか着たことってないですか?」そう口にした。
「はい……?」
その言葉の意味が分からず、巴は思わず小首をかしげる。
「ああ、寒いときとか雨のときとか、彼女に上着貸したりするのって、結構僕の……っていうか男のロマンだったりするんで」
大人の男性と思っていた店員から発せられた、案外大人げない発言に内心驚きながらも、巴はそういえば━━━と記憶を掘り起こしてみた。
もっとも掘り起こすと言うほどのことはなくあっさりと思い出した。
「あります」
「そうですか? じゃあこれをお客様が一度着てみますか。
本当にサイズ数値的には問題ないと思うんですけど、
着てみて肩幅とか袖丈とか明らかにおかしければ、多分気付きますよ」
それが、本当に気付くのかどうか巴には分からないし、何だか言いくるめられた気がしないでもないが、素直にその言葉に従うことにした。
店内の大きな姿見の前で、濃紺のトップスにおそるおそる袖を通してみた。
男性用のそれは当然ながら巴には大きく、肩にすこし普段自分着る服よりも重みが加わった。
袖が余ってだぶついている。
着丈も長くて腰をすっぽり隠している。
そういえば、初めて伊武のジャージを借りたときもそんな感じだったなあと思い出す。
特に大柄なわけでもないというのに、何故か自分の体よりも一回り大きかった。
これが男女差なのかと、産まれて初めて思い知ったのと共に、胸に小さなさざめきを覚えた。
広い肩、長い腕。何もかもが自分と違う。
「どうですか?」
大丈夫みたいですね?と店員が巴に確認の声を掛ける。
その声に我に返って、「あっ、はい」と慌ててトップスを脱いで店員に渡す。
「これ……下さい!」
値札に書かれた数字は、まだ中学生の巴には安くはなかったが、ものは確かだったしなによりも伊武にはとても似合うような気がしたので、一向に構わなかった。
放課後の食べ歩きの回数が減るだけだ。
---
「━━━で、これがその試着して買ってきたものだって訳? ……ふーん」
先ほどよりも冷ややかに自分の手の中にあるトップスを見下ろして、伊武は巴のプレゼント選びの過程についての感想を述べた。
その表情はどう見ても、彼女からプレゼントを貰って嬉しいといった表情ではなく、巴は内心「しまったー!」と冷や汗を掻いていた。
「彼女に自分の上着を着せるのは男のロマン、ね。店員もなかなかイイこと言うじゃん」
思わぬコメントに、巴はまじまじと伊武の顔を見た。
いかにも面白くないといった表情をしているのに、店員の意見には同調しているのが面白い。
やっぱり、男の人ってそういうシチュエーションが好きなんだ、伊武も多分に漏れないんだなあとある意味感心する。
たまに年頃の男子とかけ離れたことを言ったりするものだから、つい特別な目で見てしまうこともしばしばある彼が、年相応、ありきたりな面を見せるとホッとする。
だから彼の見せる表情で一番好きな面は、やはり橘や神尾といった不動峰のメンバーと一緒にいるときだったりする、いかにも年相応なテニス部男子に見えるから。
皮肉や嫌味に満ちたボヤキすらも、彼らの中では単なるじゃれ合いに見えるから。
「でも、さ」
伊武の言葉はどうやら続くらしい。
しかもボヤキが始まるんだろう気配がする。
そのくらい巴も既に察知のスキルを習得済みだ。
「やっぱり、さあ━━━面白くないよね、だぶついた上着を着る可愛い彼女の姿っての? まあ巴が可愛いかどうかはこの際問題じゃないんだけど、その姿を彼氏じゃない誰かに見せるっていうのは流石に無防備だし彼氏に対する配慮が足りないんじゃないのかな。そういう面でかなり鈍いっていうのはわかってるけどやっぱり俺としては面白くないんだけど。しかもそれをこの場面で嬉々としてしゃべるっていう神経がさあ━━━」
「で、どうして欲しいんですか」
これまでの付き合いで、ほうっておくと延々とボヤいていることは分かっている。
適度なところで遮ってあげるのも優しさだと、不動峰の面々を見て気付いた。
ゆえに巴は伊武のボヤキを質問を投げかけることによって断ち切った。
これを断ち切ることに関しては、不二先輩にも負けない━━━自信を持って巴は言える。
その巴の断ち切りに、イラつく表情を見せながらも伊武は素直に応えを口にした。
「だからさ、他の男に見せるものをなんで俺に見せないのかって事だよ。なんでこんな事を俺に言わせるかなあ。そんなことまでして買ってくれたんなら、いっそこんなショップバッグに入れずに、直接着てくればいいじゃん、いつもみたいに脳天気なアホ面で『プレゼントは私込みでーすv』なんてやればそりゃ俺だって満面の笑みで喜んで見せたってイイのに……」
巴はここがファミレスで周囲の目もあるということを忘れて、驚きの表情を見せた。
大きく目を見開き、あんぐりと口を開けて。
まさか、伊武がこんな子供じみたことを言うとは思わなかったのと、そもそもバカップルの象徴のような行動をするなんて発想すらなかったのだから、酷く驚いたとしても仕方のないことだ。
「……深司さんの満面の笑みは……ちょっと怖いです」
それだけを口にするのがやっとでも、これまた仕方のないことだと言えた。
「ふうん」
しかし、当然その返事は伊武には面白いものではない。
巴が素直に従って行動に移すとも思えないし、また、こんな所でやられても困るのだが、恥じらうとかちょっとでも可愛いリアクションが欲しいのが複雑なオトコゴコロとやらで。
この少女がいつになったら、もう少し男女の駆け引きに聡くなるのだろうかと深くため息をついた。
自分に対して嫉妬心を見せている彼氏が目の前にいたら、もう少し何かしら特別な反応をしても良いだろうに。
「ま、いいや━━━巴、出るよ」
伊武は返事を待たずに立ち上がり伝票を手に取った。
「え? 深司さん、どうしたんですか」
慌てて巴もそれを追う。
「巴が自分で動けないなら、俺が動かしてあげるよ、つまりもうちょっと落ち着いたところでそのジャージ着せて見せてよってこと」
「はぁ!?」
「誕生日プレゼントってのは、相手が喜ぶものを贈るのが筋でしょ。他の男に見せたものを俺が見られないなんて不公平じゃないの? 俺だって妬くことあるんだし━━━まあ覚悟決めなよ。鈍いところも可愛いと思うときもあるけど、大体は重い罪だよ」
ああ、ここまでこだわるなんて、女子に男物を着せるのはやっぱり男子のロマンなんだなあ。
そうすこし見当違いなことを考えながらも、巴は黙って伊武について行くことにした。
ロマンとやらは解せないけれども、伊武が喜ぶのであれば、それはやはり巴にとっても悪いことではない。
なんだかんだ言っても、好きな人が喜んでくれるのなら何だってしたいのだ。
それを人は女のロマンという━━━かもしれない。
END
「もう、とにかく中身が気になるなら開けて確認して下さいよ!
気に入らなければ返品して一緒にもう一度選べばいいですから!」
赤月巴は目の前の自分の彼氏、伊武深司が手にしている包み紙を強引に奪ってバリッと開封した。
祝日の夕方、活気にあふれている筈のファミリーレストランの中でも巴の声はよく通った。
近くを通ったコーヒーのお代わりポットを持ったウェイトレスがちらりと視線をよこし、何事もない事を確認すると、そのまま微笑ましいといった表情をさせつつ次の仕事へと向かっていった。
そのウェイトレスを横目に、付き合いが案外長くなりつつある巴にしか分からないくらい密かに憮然とした表情をさせて、伊武は相変わらずボソボソと話す。
「…………それって逆ギレだよね」
「いいんですっ、はい、どうぞ」
破られた包みから現れたのは、細かい地紋のある濃紺のトラックトップ。
もちろん先ほど巴が開封した袋に書かれたスポーツブランドのものだろう。
巴が知っているとは思えないが、凝ったデザインと作り手の長年のこだわりに定評のあるブランドで興味を持っていた。
折りたたまれたまま現物を渡された伊武だが、その生地の感触や色合いを見るだけで広げなくても良い物であることはすぐに分かった。
それは、先ほど彼女に対しては嫌なことを言ったりしたけれども、巴が伊武のために見立てたものだ。
自分に似合わないわけがないだろうと信じている。
少なくとも巴の目にはこの服を着た自分が素敵に映ることだろう。
あとは━━━
「ちゃんとサイズ、俺に合う訳?」
「……言われると思いました。
それについては大丈夫、だと思います。多分」
「多分? なんで?」
なかなかその質問に応えを返さずに顔を赤くして俯いた巴を、伊武は不思議そうに眺めた。
---
そこにはただ、スポーツ用靴下を買いに来ただけだった。
部活で履くといかにスポーツ用の生地の厚い靴下であってもすぐに傷んでしまうから、こまめに買い足さなくてはいけない。今日もそのつもりでやって来た。
当初はその筈だったのに、スポーツショップのど真ん中に派手に展開されたスポーツブランドのタウンユースコーナーを見て、正確にはそこに佇むマネキンの着用しているトラックトップを見て気が変わった。
というか、突然「やらなくてはいけなかったこと」を思い出したと言うべきか。
「あー…あのジャージ、深司さんに似合いそうだな」
そう我知らず口をついて出た言葉に、巴はハッと気付いた。
「誕生日……!」
まもなく誕生日を迎える、いま自分自身の中で間違えなく優先順位1位の人。
その人の顔が火花のようにパチッと目の前を弾けて消えた。
優先順位が1位の筈なのに、誕生日へのカウントダウンはもう10日を切っているというのに、そういえばまだプレゼントを用意していなかったことを、今更ながら思い出す。
すっかり忘れていたというわけではないが、あえて探し回ることもしていなかった。
手作りのケーキと、なにか使えそうな雑貨。
それを前日までに用意していれば、何とかなるだろうと楽観的に思っていた。
衣服のプレゼントなど、以ての外だと思っていたが。
でも、これなら。
そんな考えがチラリと脳内を横切った。
成功すればとても喜んでもらえるが、それは勝率の低い賭にも似ている。
巴が目の前のトラックトップをただの『ジャージ』と表現していることからも誰にでも分かることだが、衣服についてあまり詳しくはない。
本人も、多分伊武もファッション知識やセンスなどには端から期待していない。
二人とも巴のセンスについて悪いとは思っていないが、特にこだわりがあるわけでもないし、他人の事についても無頓着だ。
例え伊武が体操服を着用してデートに登場したところで、巴は全く何とも思わないだろう。
さすがに「今日の深司さんはおかしいな」と思うだろうが。
もちろんその例えは、案外自らの装いに気を配っている伊武自身によって成立することは天と地がひっくり返ったとしてもあり得ないことである。
そんな巴がプレゼントする衣服を、彼が喜ぶだろうか。
そこが問題だ。
「なにか、お探しでしょうか?」
マネキンの前で思案していた巴の前に、見かねたのか店員が声を掛けた。
スポーツショップ内のブースだからだろうか、アパレルショップの店員よりも親しみ安い印象のその店員は、このコーナーの担当らしく、タウンユースのスポーツウェアを綺麗に着こなしている。
トップスも巴の言うところの『ジャージ』ではあるけれどもただ爽やかなお洒落のイメージで、だらしないとか汗くさそうとか体育教師風とか、ジャージで受けるマイナスイメージはどこにも見あたらない。
巴も女子とはいえ運動部員の端くれ、手塚や不二といった自分の学校の特殊な先輩達を除外すると、普通の運動部系の男子達はなぜか私服すらスポーツ系で固めてしまう傾向があることを知っている。
ジャージの呪縛から逃れられないのか、ちょっとファッションにはこだわりがあると言っている伊武でさえその傾向があるように思える。
だったら、目の前の店員は、その彼の居るこのコーナーは正解例の一つだろうと巴にも分かる。
巴一人では自信のない分野ではあるが、彼に相談に乗って貰えればきっと正解が見つかるはず。
中学生女子として大人の男性に相談するのはとても高いハードルで、きちんと聞いてもらえるかどうかすら確信が持てずにドキドキしながらも、勇気を出して自分の希望を口に出してみた。
ファッションに自信がない自分が好きな人のために、贈り物をしたいこと。
それについてアドヴァイスがぜひ欲しいこと。
そして、それは店員にとっては仕事なのだから当然といえば当然のことであるけれども、叶えられた。
根気よく、普段伊武が着用している服の傾向や色について、好きなメーカー・ブランドについて聞き出し、巴が一番最初に目をつけたトラックトップが最適だと太鼓判を押してくれた。
けれども、サイズを確認する段になって初めて暗雲が漂った。
「そういえば、サイズ、知らないかも!」
これまで興味がなかったし、セーターを編むわけでもなく訊き出すタイミングなんてあったわけでもないので仕方のないことだ。
それでも、伊武についてこんな単純すぎることを知らない自分に巴はショックを受けた。
すこし青ざめた表情の巴を、プロの店員らしくフォローし、身長や体格からサイズを割り出してくれた。
そしてボトムや襟周りのサイズが細かいシャツを買うわけではないし、そのサイズで大丈夫だろうと言い添えて該当商品を巴に手渡した。
そして、ふと突然思いついたのか、「彼氏のジャージとか着たことってないですか?」そう口にした。
「はい……?」
その言葉の意味が分からず、巴は思わず小首をかしげる。
「ああ、寒いときとか雨のときとか、彼女に上着貸したりするのって、結構僕の……っていうか男のロマンだったりするんで」
大人の男性と思っていた店員から発せられた、案外大人げない発言に内心驚きながらも、巴はそういえば━━━と記憶を掘り起こしてみた。
もっとも掘り起こすと言うほどのことはなくあっさりと思い出した。
「あります」
「そうですか? じゃあこれをお客様が一度着てみますか。
本当にサイズ数値的には問題ないと思うんですけど、
着てみて肩幅とか袖丈とか明らかにおかしければ、多分気付きますよ」
それが、本当に気付くのかどうか巴には分からないし、何だか言いくるめられた気がしないでもないが、素直にその言葉に従うことにした。
店内の大きな姿見の前で、濃紺のトップスにおそるおそる袖を通してみた。
男性用のそれは当然ながら巴には大きく、肩にすこし普段自分着る服よりも重みが加わった。
袖が余ってだぶついている。
着丈も長くて腰をすっぽり隠している。
そういえば、初めて伊武のジャージを借りたときもそんな感じだったなあと思い出す。
特に大柄なわけでもないというのに、何故か自分の体よりも一回り大きかった。
これが男女差なのかと、産まれて初めて思い知ったのと共に、胸に小さなさざめきを覚えた。
広い肩、長い腕。何もかもが自分と違う。
「どうですか?」
大丈夫みたいですね?と店員が巴に確認の声を掛ける。
その声に我に返って、「あっ、はい」と慌ててトップスを脱いで店員に渡す。
「これ……下さい!」
値札に書かれた数字は、まだ中学生の巴には安くはなかったが、ものは確かだったしなによりも伊武にはとても似合うような気がしたので、一向に構わなかった。
放課後の食べ歩きの回数が減るだけだ。
---
「━━━で、これがその試着して買ってきたものだって訳? ……ふーん」
先ほどよりも冷ややかに自分の手の中にあるトップスを見下ろして、伊武は巴のプレゼント選びの過程についての感想を述べた。
その表情はどう見ても、彼女からプレゼントを貰って嬉しいといった表情ではなく、巴は内心「しまったー!」と冷や汗を掻いていた。
「彼女に自分の上着を着せるのは男のロマン、ね。店員もなかなかイイこと言うじゃん」
思わぬコメントに、巴はまじまじと伊武の顔を見た。
いかにも面白くないといった表情をしているのに、店員の意見には同調しているのが面白い。
やっぱり、男の人ってそういうシチュエーションが好きなんだ、伊武も多分に漏れないんだなあとある意味感心する。
たまに年頃の男子とかけ離れたことを言ったりするものだから、つい特別な目で見てしまうこともしばしばある彼が、年相応、ありきたりな面を見せるとホッとする。
だから彼の見せる表情で一番好きな面は、やはり橘や神尾といった不動峰のメンバーと一緒にいるときだったりする、いかにも年相応なテニス部男子に見えるから。
皮肉や嫌味に満ちたボヤキすらも、彼らの中では単なるじゃれ合いに見えるから。
「でも、さ」
伊武の言葉はどうやら続くらしい。
しかもボヤキが始まるんだろう気配がする。
そのくらい巴も既に察知のスキルを習得済みだ。
「やっぱり、さあ━━━面白くないよね、だぶついた上着を着る可愛い彼女の姿っての? まあ巴が可愛いかどうかはこの際問題じゃないんだけど、その姿を彼氏じゃない誰かに見せるっていうのは流石に無防備だし彼氏に対する配慮が足りないんじゃないのかな。そういう面でかなり鈍いっていうのはわかってるけどやっぱり俺としては面白くないんだけど。しかもそれをこの場面で嬉々としてしゃべるっていう神経がさあ━━━」
「で、どうして欲しいんですか」
これまでの付き合いで、ほうっておくと延々とボヤいていることは分かっている。
適度なところで遮ってあげるのも優しさだと、不動峰の面々を見て気付いた。
ゆえに巴は伊武のボヤキを質問を投げかけることによって断ち切った。
これを断ち切ることに関しては、不二先輩にも負けない━━━自信を持って巴は言える。
その巴の断ち切りに、イラつく表情を見せながらも伊武は素直に応えを口にした。
「だからさ、他の男に見せるものをなんで俺に見せないのかって事だよ。なんでこんな事を俺に言わせるかなあ。そんなことまでして買ってくれたんなら、いっそこんなショップバッグに入れずに、直接着てくればいいじゃん、いつもみたいに脳天気なアホ面で『プレゼントは私込みでーすv』なんてやればそりゃ俺だって満面の笑みで喜んで見せたってイイのに……」
巴はここがファミレスで周囲の目もあるということを忘れて、驚きの表情を見せた。
大きく目を見開き、あんぐりと口を開けて。
まさか、伊武がこんな子供じみたことを言うとは思わなかったのと、そもそもバカップルの象徴のような行動をするなんて発想すらなかったのだから、酷く驚いたとしても仕方のないことだ。
「……深司さんの満面の笑みは……ちょっと怖いです」
それだけを口にするのがやっとでも、これまた仕方のないことだと言えた。
「ふうん」
しかし、当然その返事は伊武には面白いものではない。
巴が素直に従って行動に移すとも思えないし、また、こんな所でやられても困るのだが、恥じらうとかちょっとでも可愛いリアクションが欲しいのが複雑なオトコゴコロとやらで。
この少女がいつになったら、もう少し男女の駆け引きに聡くなるのだろうかと深くため息をついた。
自分に対して嫉妬心を見せている彼氏が目の前にいたら、もう少し何かしら特別な反応をしても良いだろうに。
「ま、いいや━━━巴、出るよ」
伊武は返事を待たずに立ち上がり伝票を手に取った。
「え? 深司さん、どうしたんですか」
慌てて巴もそれを追う。
「巴が自分で動けないなら、俺が動かしてあげるよ、つまりもうちょっと落ち着いたところでそのジャージ着せて見せてよってこと」
「はぁ!?」
「誕生日プレゼントってのは、相手が喜ぶものを贈るのが筋でしょ。他の男に見せたものを俺が見られないなんて不公平じゃないの? 俺だって妬くことあるんだし━━━まあ覚悟決めなよ。鈍いところも可愛いと思うときもあるけど、大体は重い罪だよ」
ああ、ここまでこだわるなんて、女子に男物を着せるのはやっぱり男子のロマンなんだなあ。
そうすこし見当違いなことを考えながらも、巴は黙って伊武について行くことにした。
ロマンとやらは解せないけれども、伊武が喜ぶのであれば、それはやはり巴にとっても悪いことではない。
なんだかんだ言っても、好きな人が喜んでくれるのなら何だってしたいのだ。
それを人は女のロマンという━━━かもしれない。
END
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