*君が僕にくれたもの
AM4:30。
ちょうど日の出と重なる時間だ。
ようやく鳥がさえずりだし、街が目を覚まそうとしている。
まだ高校生である観月はじめにはこのような早暁とは無縁で
未だ深い眠りにあった。
………コン………コン
そんな観月の部屋の窓の外から何か小さいものが当たる音がする。
…コン…コン…コンッ…ゴン
それはしばらく長い一定間隔で当てられていたが、
次第に間隔は短く、強く窓に当てられるようになった。
…ガツッ
窓が未だに割れないのが不思議な勢いで何か固形物が窓にぶつけられる。
そして観月はようやく眠りから覚めた。
「…チッ…まったくなんなんですか。こんな早朝に…」
不審人物なら半殺しの目に遭わせてやる。
寝起きの者特有の機嫌の悪さで窓に向かい、カーテンを開けた。
そこに見えた光景は、余りにもあり得なくて。
彼の常識からは外れすぎて、
強く握りしめたカーテンは破れる寸前のきしんだ音を立てた。
そこには、
巴がいた。
自分のダブルスパートナーで、今一番気になる異性だ。
それはともかく、彼の部屋は二階である。
そのあまりな光景に観月の開いた口はふさがらない。
巴は観月の部屋の窓の前の木に登り、こちらを見つめていた。
ちなみに観月の部屋の前に植わっている木は
室内のプライバシーを完全に隠してくれるので彼のお気に入りだ。
丈夫な枝振りもなかなか素晴らしいと思っている。
しかし、その枝も人間の体重に耐えられるとは限らない。
観月は慌てて窓を開けて、手をさしのべて
危うい体勢で木から観月の部屋の窓へと移ろうとしている巴を支えた。
そして部屋の中へ迎え入れる。
「あ、観月さんすいませんっ。おじゃましまーす」
こんな時間に何をしているのか。
意味が分からない。
何故木に登って自分の部屋を訪問しているのだろう。
落ちることを考えなかったのだろうか。
いくら巴が山育ちの野生児といっても猿も木から落ちるという言葉もある。
余りにも危険だ。
思わず大声で巴の奇行に声を張り上げそうになったが、
時間が時間なのと、こんな所が見られたらどうなるか分からないので
かろうじて自分を押さえつける。
巴が部屋に着地すると同時に窓を閉め、カーテンも慌てて閉める。
「き…君は一体何をしてたんですか!そんなところで!」
悪びれない雰囲気で、はじめて観月の部屋に入った巴は
物珍しそうに室内をきょろきょろしている。
観月は変なものを室内に置いていなくて良かったとさりげなく胸を撫で下ろす。
彼とて年頃の男子高校生だ。
いきなりガサ入れ突入されるのはかなり都合が悪い時もある
。しかし、それはともかくとしてはっきり言うことは言わないと。
謎が謎のままで終わってしまう。
すでに脳内では「何故…!?」の嵐が巻き起こっている。
一番謎なのは、そんな彼女に恐ろしい程惹かれている観月本人なのだが
それは自分自身とっくに痛感しているので気にしない。
「あ、やっぱりパジャマ派なんですね、観月さん」
観月の質問には答えず、あくまでのんきに巴は言う。
「……っ!」
当然といえば当然なのだが、寝起きを起こされたため
観月はパジャマのままだった。
完璧主義の帰来がある彼にとって、そんなだらしない姿を
人に、ましてや好きな娘に見せるなんて屈辱以外の何ものでもない。
着替えてもいない、顔も洗っていない。
巴の前でそんな無防備な姿で平気でいられるほどの仲には
残念ながらまだなっていない。
しかし、かといって彼女の前で着替えるのも難だし、
顔を洗おうすると物音で他の寮生が起き出してしまうかもしれない。
巴が今、彼の部屋内にいることがばれてはマズイ。
かなりマズイ。
観月の本音としてはこれでライバル候補も払拭できるし
(実際は二人の間に何も起こっていなくても)
晴れて公認カップルとなれるのなら別に構わないが、
どう考えても高校生の取る行動としては良くないだろう。
彼女の評判が落ちるのも不本意だ。
そういう訳で仕方なく寝起きのままで巴と接する。
「ええ、パジャマですよ。
━━━僕が裸で寝ていたらどうするつもりだったんですか、君は。
まったく考え無しですね。いつものことですが」
観月の発言に巴は赤面する。しっかり想像しているのだろう。
「さて、僕の質問には答えていないと思いますけどね、君は」
思い切り不機嫌な表情で観月は問う。
まだ深夜に等しい時間にたたき起こされ、
彼の尊厳すら微妙に脅かしているのだから仕方もないことだろう。
見慣れない、観月の寝起きの不機嫌な表情に
少しおびえながらも巴は答えた。
「ええ…ええっと、今日は何の日でしょう?」
今日?
今日は5月…。
5月27日だ。
と、言うことは……。
「観月さんのお誕生日ですよね!おめでとうございます!」
音を立てずに口で「ぱちぱちぱち」といいながら軽く拍手する巴。
━━━彼女は僕の誕生日だから、こんな時間にこんな所へと来たのか?
ここに来た理由はとても単純なことなのでよく分かったが
その行動の根拠が分からない。
誕生日だったら、早朝にたたき起こさなければいけないのか?
脳内がパニくっていて上手く働かない。
頭脳派と呼ばれる、この僕が。
巴は混乱している観月を見てとって、説明しようとする。
「ここしばらく観月さんの誕生日プレゼントって何が良いか考えてたんです」
それは知っていた。何せ彼女は隠し事が出来ないから。
「で、私なら何が欲しいかなあ…って考えて思いついたんです」
一体、彼女は何が欲しいのか?自分にはよく分からない。
彼女のデータが採れないことは悔しいことだが、
そこに快く惹かれる自分が居るのは確かだ。
「それで君なら何が欲しいんですか?今後の参考にしますよ」
語尾に本音があらわれる。
今後の参考にして彼女を喜ばせたい、素直な気持ち。
「私なら、朝起きて一番に観月さんの顔を見たいなあって思いまして」
えへへ、と照れくさそうに笑う巴。
観月はこの世で一番カワイイ生き物を見た気がした。
それは、彼女。
「それでこんな早朝に僕の部屋まで忍んできたというのですか?」
しかしながら多少あきれ顔で言う。
気持ちは嬉しいが、確かに幸せだが、馬鹿げていないとは言えない。
彼女は世界で一番可愛くて世界で一番突飛な生き物だ。
「そうなんです!これが誕生日プレゼントなんですよー。
あっ。もちろん物としてのプレゼントもちゃんと持ってきてますから!」
がさがさと持ってきたトートから派手な包みを取り出す。
「……」
「観月さんも、朝一番に私の顔をみたいなって思ってくれてたら嬉しいんですけど…。
やっぱり、こんな無茶なことをして怒っちゃいました?」
不安そうに観月を見つめる彼女の眼は少し赤い。
眠いのを我慢してここまで来たのだろう。そんな寝不足の眼だ。
そしてよく見ると表情もとろんとして眠そうだ。
普段の巴はよく食べよく動きよく寝る娘だ。
自分でもこんな時間に起きるのは辛いのに、彼女ならなおさらだろう。
お互い、眠い。
欲しい誕生日プレゼントが今出来た。
「怒ってはいないですよ。呆れているだけです。
こんな時間に女子が一人で男子の部屋に来るとは何事ですか?
世間は今とても危険だというのに人気のない時間に外をうろつくし」
「でも、だっ男子って言っても観月さんですよ!
それに私にはかかと落としという強力な技が━━━うぐっ」
観月の華奢に見えて意外とがっしりとした手が彼女の口を塞ぐ。
「ちょっと興奮して大きな声を出さないでください。お互いの為になりません。
……それに、そんなことが聞きたいんじゃないんです。
ただ心配なだけですよ、僕は。君のことが心配でたまらないんです」
ちょっと、目を離すと何をしでかすか、
何に巻き込まれるか分からない彼女。
心配で心配で仕方がない。
いくら自分のために取った行動でもそれはぬぐえない。
巴もそれを感じ取ったのかシュンとしおれている。
「でもまあ、君は僕のためにここまで出来るんですから、
もう一つ誕生日プレゼントを贈ってはいただけないですか?」
んふっ、と相変わらずの笑みをみせる観月を見て巴の胸が跳ねる。
ようやく、観月さんと自分は男と女でビミョーにそーいう関係で
彼の部屋にふたりっきりで、と思い当たったらしい。
もっとも観月は、巴が「プレゼントはワ・タ・シ」という展開にまで
想像を巡らせているとは考えてもいなかったが。
最初は混乱した表情で、最後には悟りを開いた表情で、
「観月さんが…あの…そうしたいなら…いいですっ…」
声を振り絞ってそう答えた。
「じゃあ、君と一緒に寝ましょうか?」
余りにも直截的といえば直截的な言葉が観月の口からでる。
おおよそ彼のイメージとはかけ離れた台詞だったので巴は少し驚いた。
そして、観月に抱き上げられてベッドに運ばれる。
観月の顔を見上げると少し緊張した表情で、
彼も緊張しているのだと思うとすこし安心した。
とうぜん、観月とて年頃の男子で、
女子をお姫様抱っこするなんてはじめてで緊張する。
体格が自分と近い巴は抱きにくい相手ではあるけれど
そこは男の意地もあり絶対に落とせない。
無意識だろうが(そうだと信じたい)
自分の腕の中で巴は身を固くしている。
少しでも気が和らげばと思う。
「べつに、君が嫌がるようなことはしませんよ━━━気を楽にして?」
そうして彼女をベッドの横たわらせる。
そしてその隣に観月も身を添わせる。
彼の左手は彼女の頭の下にくぐらせ指先で優しく彼女の髪を梳く、
そして右手は彼女の身体にまるで守るように回す。
いわゆる腕枕という体勢だ。
「え?観月さん?」
いくらその手のことに少し疎い巴でも、
これから先何が行われるのか想像がつく。
覚悟も出来た。
しかし、その覚悟も虚しく考えていた展開とは違ったようだ。
すっかり混乱する。
ちゃんと覚悟も出来たのに!と思わなくもない。
当然観月は馬鹿がつくほど正直な巴のその感情を表情でみてとった。
今の状態がいくら据え膳に近かったとしても流石に躊躇われる。
常識からいってもそうだし、
そもそも自分は巴に甘いのだ、甘すぎるほどに。
こんな眠たげな表情で、でも自分のために頑張ろうとする彼女を
いまここで…というのは余りにも可哀想すぎる。
それに、はじめてはもうちょっと情緒という物も欲しいし。
ロマンス小説好きな自分の美学に反する。
そして自分自身、眠気が勝っていてそれどころじゃないような気がする。
今日も当然学校へ行かなくてはならないし、
完璧な優等生でいたいし。
ただ、可愛い彼女にこの手で触れたいのは確かで。
この手に留めたいのも確かで。
「さ、学校が間に合う時間に起こしてあげますからもう少し寝なさい?」
「え…でも」
「でも、じゃありません。僕も眠いんです寝かせてください」
本当にいいんですか?といった彼女の表情をあえて無視して
観月は先に目をつぶる。
この手に閉じこめた彼女の肢体は柔らかで良い香りで。
多分本当に眠るコトなんて出来はしないだろうが
彼女を安心して眠らせることなら出来る。
━━━ピピピピピピピピ…
観月のケータイのアラームが鳴っている。
その聞き慣れた音はすでにアラームの意味を何割か失っている。
つまりすぐには起きられない。
「観月さん?観月さんってば…起きてくださいよ!」
気がつくと自分の腕の中、自分の顔の間近に巴の顔があった。
当然といえば当然なのだが、観月は非常に驚いた。
どうやら、自分も眠ってしまったらしい。
しかも普段は寝汚い(早川談)巴が自分を起こしているのだから。
ちょっと屈辱感すら覚える。
もっとも隣にいる巴の姿で帳消しだが。
「おはようございます。観月さん、よく寝ていましたね」
観月さんのこんな一面が見られて嬉しいです、そういって巴はにっこりする。
言われた本人もそれに釣られてつい笑みが漏れる。
巴はかわいい。彼女を見るだけで表情が和らぐのは当然だ。
少なくとも真剣に観月はそう思っている。
「おはようございます、巴くん、君もスッキリ出来たようですね」
先ほどの赤い眼とは打ってかわって爽やかな表情を見せる巴は
まるで朝の使者のようだと、
他人が聞いたらかなり恥ずかしく思うようなことを観月は平気で思った。
いつか、こういう朝の風景が日常になるのだろうか。
自分の誕生日なんて特別な日だけでなく。
当然のように彼女が隣にいて、起こしたり起こされたりする。
そういう生活も悪くない。
今はまだ早いけれど。
うっかり制服のまま寝てしまった巴は寝ジワを気にして
すでにベッドから起き出して、鏡の前で自分の姿を見回し確認している。
そういう姿を眺めることすら楽しく感じる。
いとおしい。
驚いたけれども、こんな誕生日祝いも悪くないな、と思った。
END
オマケ
AM4:30。
ちょうど日の出と重なる時間だ。
ようやく鳥がさえずりだし、街が目を覚まそうとしている。
まだ高校生である観月はじめにはこのような早暁とは無縁で
未だ深い眠りにあった。
………コン………コン
そんな観月の部屋の窓の外から何か小さいものが当たる音がする。
…コン…コン…コンッ…ゴン
それはしばらく長い一定間隔で当てられていたが、
次第に間隔は短く、強く窓に当てられるようになった。
…ガツッ
窓が未だに割れないのが不思議な勢いで何か固形物が窓にぶつけられる。
そして観月はようやく眠りから覚めた。
「…チッ…まったくなんなんですか。こんな早朝に…」
不審人物なら半殺しの目に遭わせてやる。
寝起きの者特有の機嫌の悪さで窓に向かい、カーテンを開けた。
そこに見えた光景は、余りにもあり得なくて。
彼の常識からは外れすぎて、
強く握りしめたカーテンは破れる寸前のきしんだ音を立てた。
そこには、
巴がいた。
自分のダブルスパートナーで、今一番気になる異性だ。
それはともかく、彼の部屋は二階である。
そのあまりな光景に観月の開いた口はふさがらない。
巴は観月の部屋の窓の前の木に登り、こちらを見つめていた。
ちなみに観月の部屋の前に植わっている木は
室内のプライバシーを完全に隠してくれるので彼のお気に入りだ。
丈夫な枝振りもなかなか素晴らしいと思っている。
しかし、その枝も人間の体重に耐えられるとは限らない。
観月は慌てて窓を開けて、手をさしのべて
危うい体勢で木から観月の部屋の窓へと移ろうとしている巴を支えた。
そして部屋の中へ迎え入れる。
「あ、観月さんすいませんっ。おじゃましまーす」
こんな時間に何をしているのか。
意味が分からない。
何故木に登って自分の部屋を訪問しているのだろう。
落ちることを考えなかったのだろうか。
いくら巴が山育ちの野生児といっても猿も木から落ちるという言葉もある。
余りにも危険だ。
思わず大声で巴の奇行に声を張り上げそうになったが、
時間が時間なのと、こんな所が見られたらどうなるか分からないので
かろうじて自分を押さえつける。
巴が部屋に着地すると同時に窓を閉め、カーテンも慌てて閉める。
「き…君は一体何をしてたんですか!そんなところで!」
悪びれない雰囲気で、はじめて観月の部屋に入った巴は
物珍しそうに室内をきょろきょろしている。
観月は変なものを室内に置いていなくて良かったとさりげなく胸を撫で下ろす。
彼とて年頃の男子高校生だ。
いきなりガサ入れ突入されるのはかなり都合が悪い時もある
。しかし、それはともかくとしてはっきり言うことは言わないと。
謎が謎のままで終わってしまう。
すでに脳内では「何故…!?」の嵐が巻き起こっている。
一番謎なのは、そんな彼女に恐ろしい程惹かれている観月本人なのだが
それは自分自身とっくに痛感しているので気にしない。
「あ、やっぱりパジャマ派なんですね、観月さん」
観月の質問には答えず、あくまでのんきに巴は言う。
「……っ!」
当然といえば当然なのだが、寝起きを起こされたため
観月はパジャマのままだった。
完璧主義の帰来がある彼にとって、そんなだらしない姿を
人に、ましてや好きな娘に見せるなんて屈辱以外の何ものでもない。
着替えてもいない、顔も洗っていない。
巴の前でそんな無防備な姿で平気でいられるほどの仲には
残念ながらまだなっていない。
しかし、かといって彼女の前で着替えるのも難だし、
顔を洗おうすると物音で他の寮生が起き出してしまうかもしれない。
巴が今、彼の部屋内にいることがばれてはマズイ。
かなりマズイ。
観月の本音としてはこれでライバル候補も払拭できるし
(実際は二人の間に何も起こっていなくても)
晴れて公認カップルとなれるのなら別に構わないが、
どう考えても高校生の取る行動としては良くないだろう。
彼女の評判が落ちるのも不本意だ。
そういう訳で仕方なく寝起きのままで巴と接する。
「ええ、パジャマですよ。
━━━僕が裸で寝ていたらどうするつもりだったんですか、君は。
まったく考え無しですね。いつものことですが」
観月の発言に巴は赤面する。しっかり想像しているのだろう。
「さて、僕の質問には答えていないと思いますけどね、君は」
思い切り不機嫌な表情で観月は問う。
まだ深夜に等しい時間にたたき起こされ、
彼の尊厳すら微妙に脅かしているのだから仕方もないことだろう。
見慣れない、観月の寝起きの不機嫌な表情に
少しおびえながらも巴は答えた。
「ええ…ええっと、今日は何の日でしょう?」
今日?
今日は5月…。
5月27日だ。
と、言うことは……。
「観月さんのお誕生日ですよね!おめでとうございます!」
音を立てずに口で「ぱちぱちぱち」といいながら軽く拍手する巴。
━━━彼女は僕の誕生日だから、こんな時間にこんな所へと来たのか?
ここに来た理由はとても単純なことなのでよく分かったが
その行動の根拠が分からない。
誕生日だったら、早朝にたたき起こさなければいけないのか?
脳内がパニくっていて上手く働かない。
頭脳派と呼ばれる、この僕が。
巴は混乱している観月を見てとって、説明しようとする。
「ここしばらく観月さんの誕生日プレゼントって何が良いか考えてたんです」
それは知っていた。何せ彼女は隠し事が出来ないから。
「で、私なら何が欲しいかなあ…って考えて思いついたんです」
一体、彼女は何が欲しいのか?自分にはよく分からない。
彼女のデータが採れないことは悔しいことだが、
そこに快く惹かれる自分が居るのは確かだ。
「それで君なら何が欲しいんですか?今後の参考にしますよ」
語尾に本音があらわれる。
今後の参考にして彼女を喜ばせたい、素直な気持ち。
「私なら、朝起きて一番に観月さんの顔を見たいなあって思いまして」
えへへ、と照れくさそうに笑う巴。
観月はこの世で一番カワイイ生き物を見た気がした。
それは、彼女。
「それでこんな早朝に僕の部屋まで忍んできたというのですか?」
しかしながら多少あきれ顔で言う。
気持ちは嬉しいが、確かに幸せだが、馬鹿げていないとは言えない。
彼女は世界で一番可愛くて世界で一番突飛な生き物だ。
「そうなんです!これが誕生日プレゼントなんですよー。
あっ。もちろん物としてのプレゼントもちゃんと持ってきてますから!」
がさがさと持ってきたトートから派手な包みを取り出す。
「……」
「観月さんも、朝一番に私の顔をみたいなって思ってくれてたら嬉しいんですけど…。
やっぱり、こんな無茶なことをして怒っちゃいました?」
不安そうに観月を見つめる彼女の眼は少し赤い。
眠いのを我慢してここまで来たのだろう。そんな寝不足の眼だ。
そしてよく見ると表情もとろんとして眠そうだ。
普段の巴はよく食べよく動きよく寝る娘だ。
自分でもこんな時間に起きるのは辛いのに、彼女ならなおさらだろう。
お互い、眠い。
欲しい誕生日プレゼントが今出来た。
「怒ってはいないですよ。呆れているだけです。
こんな時間に女子が一人で男子の部屋に来るとは何事ですか?
世間は今とても危険だというのに人気のない時間に外をうろつくし」
「でも、だっ男子って言っても観月さんですよ!
それに私にはかかと落としという強力な技が━━━うぐっ」
観月の華奢に見えて意外とがっしりとした手が彼女の口を塞ぐ。
「ちょっと興奮して大きな声を出さないでください。お互いの為になりません。
……それに、そんなことが聞きたいんじゃないんです。
ただ心配なだけですよ、僕は。君のことが心配でたまらないんです」
ちょっと、目を離すと何をしでかすか、
何に巻き込まれるか分からない彼女。
心配で心配で仕方がない。
いくら自分のために取った行動でもそれはぬぐえない。
巴もそれを感じ取ったのかシュンとしおれている。
「でもまあ、君は僕のためにここまで出来るんですから、
もう一つ誕生日プレゼントを贈ってはいただけないですか?」
んふっ、と相変わらずの笑みをみせる観月を見て巴の胸が跳ねる。
ようやく、観月さんと自分は男と女でビミョーにそーいう関係で
彼の部屋にふたりっきりで、と思い当たったらしい。
もっとも観月は、巴が「プレゼントはワ・タ・シ」という展開にまで
想像を巡らせているとは考えてもいなかったが。
最初は混乱した表情で、最後には悟りを開いた表情で、
「観月さんが…あの…そうしたいなら…いいですっ…」
声を振り絞ってそう答えた。
「じゃあ、君と一緒に寝ましょうか?」
余りにも直截的といえば直截的な言葉が観月の口からでる。
おおよそ彼のイメージとはかけ離れた台詞だったので巴は少し驚いた。
そして、観月に抱き上げられてベッドに運ばれる。
観月の顔を見上げると少し緊張した表情で、
彼も緊張しているのだと思うとすこし安心した。
とうぜん、観月とて年頃の男子で、
女子をお姫様抱っこするなんてはじめてで緊張する。
体格が自分と近い巴は抱きにくい相手ではあるけれど
そこは男の意地もあり絶対に落とせない。
無意識だろうが(そうだと信じたい)
自分の腕の中で巴は身を固くしている。
少しでも気が和らげばと思う。
「べつに、君が嫌がるようなことはしませんよ━━━気を楽にして?」
そうして彼女をベッドの横たわらせる。
そしてその隣に観月も身を添わせる。
彼の左手は彼女の頭の下にくぐらせ指先で優しく彼女の髪を梳く、
そして右手は彼女の身体にまるで守るように回す。
いわゆる腕枕という体勢だ。
「え?観月さん?」
いくらその手のことに少し疎い巴でも、
これから先何が行われるのか想像がつく。
覚悟も出来た。
しかし、その覚悟も虚しく考えていた展開とは違ったようだ。
すっかり混乱する。
ちゃんと覚悟も出来たのに!と思わなくもない。
当然観月は馬鹿がつくほど正直な巴のその感情を表情でみてとった。
今の状態がいくら据え膳に近かったとしても流石に躊躇われる。
常識からいってもそうだし、
そもそも自分は巴に甘いのだ、甘すぎるほどに。
こんな眠たげな表情で、でも自分のために頑張ろうとする彼女を
いまここで…というのは余りにも可哀想すぎる。
それに、はじめてはもうちょっと情緒という物も欲しいし。
ロマンス小説好きな自分の美学に反する。
そして自分自身、眠気が勝っていてそれどころじゃないような気がする。
今日も当然学校へ行かなくてはならないし、
完璧な優等生でいたいし。
ただ、可愛い彼女にこの手で触れたいのは確かで。
この手に留めたいのも確かで。
「さ、学校が間に合う時間に起こしてあげますからもう少し寝なさい?」
「え…でも」
「でも、じゃありません。僕も眠いんです寝かせてください」
本当にいいんですか?といった彼女の表情をあえて無視して
観月は先に目をつぶる。
この手に閉じこめた彼女の肢体は柔らかで良い香りで。
多分本当に眠るコトなんて出来はしないだろうが
彼女を安心して眠らせることなら出来る。
━━━ピピピピピピピピ…
観月のケータイのアラームが鳴っている。
その聞き慣れた音はすでにアラームの意味を何割か失っている。
つまりすぐには起きられない。
「観月さん?観月さんってば…起きてくださいよ!」
気がつくと自分の腕の中、自分の顔の間近に巴の顔があった。
当然といえば当然なのだが、観月は非常に驚いた。
どうやら、自分も眠ってしまったらしい。
しかも普段は寝汚い(早川談)巴が自分を起こしているのだから。
ちょっと屈辱感すら覚える。
もっとも隣にいる巴の姿で帳消しだが。
「おはようございます。観月さん、よく寝ていましたね」
観月さんのこんな一面が見られて嬉しいです、そういって巴はにっこりする。
言われた本人もそれに釣られてつい笑みが漏れる。
巴はかわいい。彼女を見るだけで表情が和らぐのは当然だ。
少なくとも真剣に観月はそう思っている。
「おはようございます、巴くん、君もスッキリ出来たようですね」
先ほどの赤い眼とは打ってかわって爽やかな表情を見せる巴は
まるで朝の使者のようだと、
他人が聞いたらかなり恥ずかしく思うようなことを観月は平気で思った。
いつか、こういう朝の風景が日常になるのだろうか。
自分の誕生日なんて特別な日だけでなく。
当然のように彼女が隣にいて、起こしたり起こされたりする。
そういう生活も悪くない。
今はまだ早いけれど。
うっかり制服のまま寝てしまった巴は寝ジワを気にして
すでにベッドから起き出して、鏡の前で自分の姿を見回し確認している。
そういう姿を眺めることすら楽しく感じる。
いとおしい。
驚いたけれども、こんな誕生日祝いも悪くないな、と思った。
END
オマケ
*君が僕にくれたもの:おまけ
「……で、君は一体どうするというですか?
前々から注意しているように、君はどうも後先を考えない」
ちょっとは反省しなさい。少し怖い顔で観月はそう言った。
本当に、この状況、どうしたものか。
ほとほと悩んでしまう。
「だって!一緒に寝ようって言ったのは観月さんじゃないですか~。
観月さんも責任の一端を握ってると思うんですけど」
少し不満げに口を尖らせて巴も言う。
「こ、声が大きいですよ。
それはそうですけど…じゃあ、君は良い案があるとでも言うんですか?」
観月のアラームが鳴る時間。
つまり寮生全員の起床時間だ。当然日も高い。
おまけに今日は観月の誕生日を祝うかのごとく快晴で雲一つ無い。
視界も当然良好だ。
したがって、巴がこっそり寮を抜け出すのは困難になってしまった。
堂々と正面玄関から出られる訳も無し。
窓からといっても、いくら木が少しは隠れ蓑になるといっても、
こんなに明るくては完全にこっそり出るのは難しい。
もちろん、他の寮生、たとえば柳沢とか木更津に協力を求めれば
なんとかなるかもしれない。
しかし、それは一番使いたくない手だ。
後で何を言われるものだか知れたものではない。
と、なると完全に打つ手無しだ。
頭を抱えて観月はしゃがみ込む。
いつの間にか、巴のペースに巻き込まれている。
いつも冷静でスマートな行動を好む、この自分がこの有様だ。
もっとも彼女絡みだと不快は感じないのだが
それが惚れた弱みと言うことなのだろうか。
あ、と巴がぽんと手を打つ。
「じゃあ、もう一回寝ましょうか?
今日はもう二人してお休みしちゃって、みんなが学校行っちゃうまで」
まあ、あとは寮母さんの外出狙って。
のんきな声で言う。
彼女が言うと、馬鹿馬鹿しい提案ももっともらしく聞こえるから不思議だ。
だが、まあいいでしょう。それも悪くない。
彼女と一緒なら、なんだって。
「でも、お腹空きませんか?」
観月らしく現実的な意見を述べる。
食べ盛りの彼らのこと、食欲は切り離せない。
しかし、その意見も巴のえへへ…と得意そうな笑みで解決の兆しだ。
じゃーん、と先ほど出していた派手な包みを開ける。
「ドライフルーツたっぷりのバースデーケーキでーす♪はい、解決解決~」
いつ食べてもらえるか分からなかったので、生ケーキは避けたんですが
それが今回良い方に転がりましたねー、いつでも食べられますよ。
得意げに胸を反らして巴は言う。
観月も嬉しげにそれに答える。
「じゃあ、これを食べて腹ごしらえしてまた寝てしまいましょうか」
優等生の自分がサボって彼女と二度寝なんて本来もってのほかだけれど。
今日は特別の日だ、こんな日があっても良いだろう。
彼女に出会ってから自分自身変化が顕著だ。
よい傾向か悪い傾向かは分からないけれども、
自分自身の気持ちだけははっきりといい傾向に向かっているのが分かる。
それで充分。
「ですが、寮から抜け出せたらその後は、
朝練に出られなかった分ちゃんとトレーニングしますからね。
充分睡眠も取るんですから心してくださいね」
でも、いつもの変わらない自分も大切に。
えー、と不満げな彼女の声が聞こえても、それだけは変えずに。
END
「……で、君は一体どうするというですか?
前々から注意しているように、君はどうも後先を考えない」
ちょっとは反省しなさい。少し怖い顔で観月はそう言った。
本当に、この状況、どうしたものか。
ほとほと悩んでしまう。
「だって!一緒に寝ようって言ったのは観月さんじゃないですか~。
観月さんも責任の一端を握ってると思うんですけど」
少し不満げに口を尖らせて巴も言う。
「こ、声が大きいですよ。
それはそうですけど…じゃあ、君は良い案があるとでも言うんですか?」
観月のアラームが鳴る時間。
つまり寮生全員の起床時間だ。当然日も高い。
おまけに今日は観月の誕生日を祝うかのごとく快晴で雲一つ無い。
視界も当然良好だ。
したがって、巴がこっそり寮を抜け出すのは困難になってしまった。
堂々と正面玄関から出られる訳も無し。
窓からといっても、いくら木が少しは隠れ蓑になるといっても、
こんなに明るくては完全にこっそり出るのは難しい。
もちろん、他の寮生、たとえば柳沢とか木更津に協力を求めれば
なんとかなるかもしれない。
しかし、それは一番使いたくない手だ。
後で何を言われるものだか知れたものではない。
と、なると完全に打つ手無しだ。
頭を抱えて観月はしゃがみ込む。
いつの間にか、巴のペースに巻き込まれている。
いつも冷静でスマートな行動を好む、この自分がこの有様だ。
もっとも彼女絡みだと不快は感じないのだが
それが惚れた弱みと言うことなのだろうか。
あ、と巴がぽんと手を打つ。
「じゃあ、もう一回寝ましょうか?
今日はもう二人してお休みしちゃって、みんなが学校行っちゃうまで」
まあ、あとは寮母さんの外出狙って。
のんきな声で言う。
彼女が言うと、馬鹿馬鹿しい提案ももっともらしく聞こえるから不思議だ。
だが、まあいいでしょう。それも悪くない。
彼女と一緒なら、なんだって。
「でも、お腹空きませんか?」
観月らしく現実的な意見を述べる。
食べ盛りの彼らのこと、食欲は切り離せない。
しかし、その意見も巴のえへへ…と得意そうな笑みで解決の兆しだ。
じゃーん、と先ほど出していた派手な包みを開ける。
「ドライフルーツたっぷりのバースデーケーキでーす♪はい、解決解決~」
いつ食べてもらえるか分からなかったので、生ケーキは避けたんですが
それが今回良い方に転がりましたねー、いつでも食べられますよ。
得意げに胸を反らして巴は言う。
観月も嬉しげにそれに答える。
「じゃあ、これを食べて腹ごしらえしてまた寝てしまいましょうか」
優等生の自分がサボって彼女と二度寝なんて本来もってのほかだけれど。
今日は特別の日だ、こんな日があっても良いだろう。
彼女に出会ってから自分自身変化が顕著だ。
よい傾向か悪い傾向かは分からないけれども、
自分自身の気持ちだけははっきりといい傾向に向かっているのが分かる。
それで充分。
「ですが、寮から抜け出せたらその後は、
朝練に出られなかった分ちゃんとトレーニングしますからね。
充分睡眠も取るんですから心してくださいね」
でも、いつもの変わらない自分も大切に。
えー、と不満げな彼女の声が聞こえても、それだけは変えずに。
END
━━━おや?
気付かないウチに眠ってしまったんですか。
全く仕方のない人ですね。
*おはよう
観月はPCから予測試合データを弾き出す手を止め、
隣りで気持ち良さそうに寝ている娘を眺めた。
その寝顔には少し疲労の色が見える。
それもそうだろう、何せJr選抜合宿の終盤だ。
日々ハードな特訓を施されている。
どんな体力自慢の選手であっても疲れは隠せなくなってきている。
当然体力自慢ではない観月も、疲労の色が濃くなっている。
もともと体力自体有り余るほうではないし
選手の肉体としても細身で小柄な方だ。
彼が選抜されたのもひとえにその卓越した頭脳による所が大きい。
もっとも頭脳が目立っているだけで
技術にしても基礎能力にしても他の選手にひけを取らないものだが。
だが、疲れていても彼は他人にみせるようなことはしない。
他人に対して弱みを見せることはしない。
逆に平然としてみせることで周囲に与える精神的な物を考慮している。
皆が疲れ切っていて、この休憩時間も睡眠に当てる選手が多い中
平気な顔をして普段と変わりない見せることは相手に脅威を感じさせることだ
実際、今観月に脅威を覚える者も少なくないだろう。
巴に対してもそうだ。例え彼女しか見ていなくても平気を装う。
隣ですやすや眠る彼女はとても気持ちが良さそうで、
目が覚めたら、疲労は消え去っているのだろうとは思うけれど、
彼女の隣で一緒にまどろむことは幸せなことかもしれないけれど、
自分もそれに従って眠る気にはとてもなれない。
すでに自分が完璧な人間ではないことは巴も知っている。
けれども、少しでも自分が完璧な人間に映るように努力はしたい。
疲れていても平気な顔をして安心させたい。
寝ている自分を見つけて「観月さんも疲れてるんだな」なんて
不安感を抱かせてはならない。
彼女が目を覚ました時には平然としている自分を見て欲しい。
そして、まだあどけなさの残る彼女の寝姿を眺めていたいという欲もある。
なんの夢を見ているのかころころと表情を変える彼女を見逃すのは惜しいし、
立てる寝息すら愛おしい。
それに、僕が寝てしまったら
誰かが巴くんの寝姿を無遠慮に見てしまうかもしれませんしね。
彼女のこんな姿を眺めていても良いのは自分だけですから。
データを取らずとも想定だけでもライバルは沢山いる。
隙を与えてはいけない。
これが独占欲と呼ばれ、誰かにあざ笑われても構わない。
「……くしゅっ」
やれやれ、こんなところで眠ってしまうと本当に風邪を引いてしまいますよ。
それに女性の身体は冷やしてはいけないように出来ているというのに…。
寒さのせいか、一つくしゃみをして少し堅く縮こまった彼女の身体を見て
観月は自分の身につけていたジャージを掛けてやる。
実際のところは自分だって寒いのだけれど
彼女が風邪を引いて苦しむよりは、自分が苦しんだ方が何倍もマシだから。
だから寒くても平然と、引き続きPCに向かって作業を続けた。
もっとも、北国生まれの自分には寒さも我慢できる程度だったというのもあるが。
寒さでうっすら覚め始めた意識の中、急に暖かさに包まれる。
あれ?さっきまでなんだか寒かったはずなのに━━━。
心地よい、身体に馴染んだ暖かさ。
それになぜか観月さんの匂いもする。
観月さんにぎゅってされたらこんなカンジなのかなあ?
なんだかよく分からないけれど、幸せな気分になって
巴は再び眠りの国に帰っていった。
休憩時間もあと半分を過ぎ、休憩していた選手達も動き始めた。
そのざわめきで巴は現実世界に引き戻された。
「あれ?観月さん…」
寝てしまうちょっと前と何ら変わらず作業をしている観月が目に入る。
変わっているのは彼の服装。ジャージを着ていない。半袖のウェアだ。
それもその筈だ。自分の肩にかけられているのだから。
「ああ、巴くん、起きてしまったんですか?
あと20分ぐらいあります。この時間はもう最後まで寝ていてください」
目を開いて一番最初に映るものが
小言を言わない優しい観月さんだなんて幸せだなあとぼんやり思う。
思ってなんだか顔がにやけてきた。
「えへへー…」
「どうしたんです。起きて急に笑い出すなんて」
気持ちの悪い、と言外に含めて眉をひそめて観月があきらかに不審そうに問う。
このちょっと突き放したカンジの観月さんもイイよねー。
などと、巴に思われていることなどつゆ知らず。
「なんだか、観月さんって、カッコイイなって思いまして。
だって、隣でずっと起きていてくれて安心して眠っちゃいましたし、
ジャージもあったかかったですし」
「……そ、そうですか?」
「はい。だから余りにも幸せで笑っちゃったんです」
にっこり笑って巴はそう言った。
━━━よかった、彼女の目には自分の狙い通りの自分が映っているようですね。
彼女の目に浮かぶのは自分に対する安心感、信頼。
いつだって彼女の目に映りたいと思っていた自分の姿がそこにある。
「んふっ」
「観月さんこそ、どうしたんですか?私、何か変なこと言いましたか?」
急に笑い出す観月を不思議そうに見る巴。
「いいえ━━━何も。ただ、僕こそ幸せで」
ああ、でも、と引き続き言葉を紡ぐ。普段滅多に見ないような幸福そうな笑顔で。
「これからはうたた寝する時は必ず僕の隣でだけと約束してください。
目覚めて最初に見るのも僕、君が寒さで凍えないようにするのも、
悪い視線から護るのも僕。……いいですね?」
END
気付かないウチに眠ってしまったんですか。
全く仕方のない人ですね。
*おはよう
観月はPCから予測試合データを弾き出す手を止め、
隣りで気持ち良さそうに寝ている娘を眺めた。
その寝顔には少し疲労の色が見える。
それもそうだろう、何せJr選抜合宿の終盤だ。
日々ハードな特訓を施されている。
どんな体力自慢の選手であっても疲れは隠せなくなってきている。
当然体力自慢ではない観月も、疲労の色が濃くなっている。
もともと体力自体有り余るほうではないし
選手の肉体としても細身で小柄な方だ。
彼が選抜されたのもひとえにその卓越した頭脳による所が大きい。
もっとも頭脳が目立っているだけで
技術にしても基礎能力にしても他の選手にひけを取らないものだが。
だが、疲れていても彼は他人にみせるようなことはしない。
他人に対して弱みを見せることはしない。
逆に平然としてみせることで周囲に与える精神的な物を考慮している。
皆が疲れ切っていて、この休憩時間も睡眠に当てる選手が多い中
平気な顔をして普段と変わりない見せることは相手に脅威を感じさせることだ
実際、今観月に脅威を覚える者も少なくないだろう。
巴に対してもそうだ。例え彼女しか見ていなくても平気を装う。
隣ですやすや眠る彼女はとても気持ちが良さそうで、
目が覚めたら、疲労は消え去っているのだろうとは思うけれど、
彼女の隣で一緒にまどろむことは幸せなことかもしれないけれど、
自分もそれに従って眠る気にはとてもなれない。
すでに自分が完璧な人間ではないことは巴も知っている。
けれども、少しでも自分が完璧な人間に映るように努力はしたい。
疲れていても平気な顔をして安心させたい。
寝ている自分を見つけて「観月さんも疲れてるんだな」なんて
不安感を抱かせてはならない。
彼女が目を覚ました時には平然としている自分を見て欲しい。
そして、まだあどけなさの残る彼女の寝姿を眺めていたいという欲もある。
なんの夢を見ているのかころころと表情を変える彼女を見逃すのは惜しいし、
立てる寝息すら愛おしい。
それに、僕が寝てしまったら
誰かが巴くんの寝姿を無遠慮に見てしまうかもしれませんしね。
彼女のこんな姿を眺めていても良いのは自分だけですから。
データを取らずとも想定だけでもライバルは沢山いる。
隙を与えてはいけない。
これが独占欲と呼ばれ、誰かにあざ笑われても構わない。
「……くしゅっ」
やれやれ、こんなところで眠ってしまうと本当に風邪を引いてしまいますよ。
それに女性の身体は冷やしてはいけないように出来ているというのに…。
寒さのせいか、一つくしゃみをして少し堅く縮こまった彼女の身体を見て
観月は自分の身につけていたジャージを掛けてやる。
実際のところは自分だって寒いのだけれど
彼女が風邪を引いて苦しむよりは、自分が苦しんだ方が何倍もマシだから。
だから寒くても平然と、引き続きPCに向かって作業を続けた。
もっとも、北国生まれの自分には寒さも我慢できる程度だったというのもあるが。
寒さでうっすら覚め始めた意識の中、急に暖かさに包まれる。
あれ?さっきまでなんだか寒かったはずなのに━━━。
心地よい、身体に馴染んだ暖かさ。
それになぜか観月さんの匂いもする。
観月さんにぎゅってされたらこんなカンジなのかなあ?
なんだかよく分からないけれど、幸せな気分になって
巴は再び眠りの国に帰っていった。
休憩時間もあと半分を過ぎ、休憩していた選手達も動き始めた。
そのざわめきで巴は現実世界に引き戻された。
「あれ?観月さん…」
寝てしまうちょっと前と何ら変わらず作業をしている観月が目に入る。
変わっているのは彼の服装。ジャージを着ていない。半袖のウェアだ。
それもその筈だ。自分の肩にかけられているのだから。
「ああ、巴くん、起きてしまったんですか?
あと20分ぐらいあります。この時間はもう最後まで寝ていてください」
目を開いて一番最初に映るものが
小言を言わない優しい観月さんだなんて幸せだなあとぼんやり思う。
思ってなんだか顔がにやけてきた。
「えへへー…」
「どうしたんです。起きて急に笑い出すなんて」
気持ちの悪い、と言外に含めて眉をひそめて観月があきらかに不審そうに問う。
このちょっと突き放したカンジの観月さんもイイよねー。
などと、巴に思われていることなどつゆ知らず。
「なんだか、観月さんって、カッコイイなって思いまして。
だって、隣でずっと起きていてくれて安心して眠っちゃいましたし、
ジャージもあったかかったですし」
「……そ、そうですか?」
「はい。だから余りにも幸せで笑っちゃったんです」
にっこり笑って巴はそう言った。
━━━よかった、彼女の目には自分の狙い通りの自分が映っているようですね。
彼女の目に浮かぶのは自分に対する安心感、信頼。
いつだって彼女の目に映りたいと思っていた自分の姿がそこにある。
「んふっ」
「観月さんこそ、どうしたんですか?私、何か変なこと言いましたか?」
急に笑い出す観月を不思議そうに見る巴。
「いいえ━━━何も。ただ、僕こそ幸せで」
ああ、でも、と引き続き言葉を紡ぐ。普段滅多に見ないような幸福そうな笑顔で。
「これからはうたた寝する時は必ず僕の隣でだけと約束してください。
目覚めて最初に見るのも僕、君が寒さで凍えないようにするのも、
悪い視線から護るのも僕。……いいですね?」
END
「全く!君は馬鹿ですか?」
「……」
「いえ、言い方を間違えましたね。疑問でなく君は本当に馬鹿です」
観月は眉をつり上げうなだれている巴を見下ろす。
見下ろすといってもほんの数センチの差でしかない訳だが。
*そんなきみが…
現在ジュニア選抜の合宿に参加している彼らは
あいかわらず学校という垣根を越えて一緒に行動していた。
もっとも観月と巴というより、ルドルフスクール組と巴といったカンジだ。
青学の面々は多少複雑なところもあるようだが、
巴は一向に解しない。
そもそも他人の感情に恐ろしく鈍い━━━その被害者の筆頭は観月だろう。
単に怖くてしかし親切な先輩だと思われているのではないかと
寝ずに悩むこともしばしばだ。
そして今、巴がうなだれている現在もそれに振り回されている。
二人の足下には湯気の立った湯が広がっている。
そして巴の両足は裸足になっており、湿った靴と靴下は近くに転がっている。
状況から見ればお湯が足にかかったのは明白だ。
「まあ、いいでしょう。今はそれどころじゃありませんから」
「わわっ!」
そういうと巴を横抱き、いわゆるお姫様抱っこの状態で
キッチンカウンターに乗せ、シンクに足を降ろさせ凄い勢いで水を流す。
「つつつ冷たいです!それにイタイです~!観月さん!!!!」
巴は先ほどまでうなだれていたのも嘘の様にわめき散らす。
「自業自得です!それに君のためなんだから我慢しなさい!」
---
合宿はきわめてハードに行われているものの、
それに見合うように休憩時間もキッチリととられている。
15時ぴったりに彼らは休憩を言い渡され、
スクール組面々とお茶を飲むべく食堂にやってきた。
普段は観月セレクトの茶葉を彼本人が紅茶のルールに従いキッチリと入れるが
今日に限っては「たまには私にも入れさせてください!」と張り切った
巴がお茶を煎れるべく食堂横の厨房へと入っていった。
しばらくして金属音と高いところから落ちてきたような水音と沈黙。
皆なんだろうと色めき立ったが、奥から
「お騒がせしてスイマセン~」と巴の声がしたので気にもとめなかった。
また何か巴がドジなことをしでかしたのだろう程度だった。
しかし、何かが引っかかった観月は一人だけ巴の様子を見に行った。
まったく、目を離すとあぶなかっしくて仕方ない。
今度は何をしたというのだろうか。
厨房のドアをくぐり目にしたのは、足にお湯をかけ立ちつくしている巴。
あわてて靴と靴下は脱いでしまったらしい。
━━━呆れた。
観月は一瞬思考停止してしまった。
明らかに熱湯をかけてしまったというのにこの娘は何をしているのだろう。
隣の食堂にいるというのにこの自分に助けも求めず、
かといってすぐに冷やしたりといった応急処置をする訳でもなく立っている。
しかも、火傷の時は患部を覆った布などは取らずにそのまま冷やすのは常識だ。
いや、常識とは言わないまでも
すくなくともスポーツドクターを志す人間には必要な知識ではないのか?
それになにより、
とっさに助けを呼んだりしない位自分は信頼されていないのだろうか?
自分はこんなに心配しているというのに。
こいつは馬鹿か?
その感情はついつい声に出してしまうことになった。
---
「つくづく馬鹿ですね、君は。
こんなコトになっていたというのに何故黙って突っ立ってるんですか」
「だって、熱くて痛くてビックリして…」
「ビックリしたのはこっちの方です。
あまりのことに心臓やら胃やらも痛くなりましたね。
しかも、誰も呼ぼうとしないどころか平気を装ってましたよね」
「また迷惑かけちゃうかなー…って」
「誰が迷惑だなんて言いました?」
「だって観月さんすぐ怒るしー」
だって顔が怒ってるし。
こんなあからさまな表情の観月さんて珍しいし。
やっぱりちょっとこわいなーと思う巴。
もっともそれも嫌ではない様子。
「いつ怒ったって言うんですか」
「今」
「……」
あまりの巴の言い草に観月はフリーズ。
ただ水が勢いよく流れる音だけが響く。
まったく巴くんから出る言葉はびっくり箱みたいですね。
何が出てくるものだか分かったものじゃありませんよ。
それでも気を取り直して観月は話を続ける。
「そりゃ、怒りもしますよ。
処置が遅れて悪化でもしてテニスが出来なくなってしまったら
どうするというんですか?
しかも迂闊にも処置の方法は間違ってますし」
「そ、それは…そうですけど。
観月さんは私のテニスだけが心配なんですか?」
巴にはまるで自分自身の身体は心配じゃない様に聞こえ
少しふてくされる。
そんな巴の気持ちを察したのか観月は答える。
「当然心配ですよ。
僕を冷血人間か何かだと思っているんですか。
それでなかったらどうして僕がここにいると思うんですか?
君の身体に傷でも残ったらすぐに駆けつけなかったことを
悔やんでも悔やみきれませんよ」
少し声のトーンを和らげる。
それに巴もすこしほっとした表情を見せ、
それから一転して厳しい表情、深刻な表情で言葉を口に乗せる。
「私の身体に傷が残ったら━━━それで観月さんが悔やむんであれば、
責任をとってもらいますから、大丈夫です」
当然いぶかしげな表情を見せる観月。
話が読めない。
「責任?」
「はい。責任を取ってお嫁にとってもらいますから」
「━━━!!!」
観月の全身に動揺が走る。
もちろん、巴がそう言う目で自分を意識していたのは嬉しい。
少なくともただの他校の先輩、テニス友達ではない様だ。
鈍い巴でもそう言うことには聡いらしい。
しかし。
しかし、こういうコトは先手必勝で言うことでもない。
ましてや合宿所の厨房で火傷を冷やしつつなんて。
観月の美学としてはきちんとムードをつくって…
順を追って言って欲しい。
と、言うより男の自分が先に言いたかったコトだ。
少し悔しい。
悔しい、だから。
「じゃあ、傷にならなければ僕は責任を取らなくていいんですかね。
つまり━━━君を娶とらなくていいと」
お返しといわんばかりにイジワルを言ってみる。
「あっ…それは!その…」
あわてふためいて否定になる言葉を紡ごうとするが
なんと答えて良いか分からない巴は口をパクパクするばかり。
それは言葉の勢いで。
出来ることならどっちにしてもお嫁に行きたい。
傷跡云々は関係なく。
中学生の身でそんなこと考えるのは尚早だとは分かっているけど
今の自分の気持ちはそう言う風に固まっている。
未だお互いの気持ちを確固たる言葉で確認したことすらないけれど。
愛の言葉なんてお互い囁いたこともないけれど。
私は嫌ではないし、観月さんだって嫌ではないはず。
観月さんはイジワルだ。やっぱり性格悪いよね。
しみじみ巴はそう思った。
そう言うところも好きなのだけど。
「ちょっと傷つきましたね。
いえ、ちょっとどころではなく大ダメージですね。
心の傷として残りそうですよ……」
一つ大きく息をつき言葉を続ける。
「だから、その責任を取ってお嫁に来なさい。
どうせ、馬鹿な君にはお嫁のもらい手なんてある訳無し
願ったり叶ったりなんじゃないですか?
僕の心の傷を一生かけて癒してもらいますからね、覚悟しなさい」
問題の患部は水をかけっぱなしにしているせいですっかり冷え切っていた。
火傷どころかむしろ悴んでじんじんするほどだ。
しかし、巴は気づかない。
あまりの台詞に口を大きく開けたままだ。
そのとき、出しっぱなしの水に気付いた観月は水道栓を閉めこう言った。
「本当に君は馬鹿なんだって、つくづく思いますよ。
ほら━━━足が色を失っているじゃないですか。
君は本当に馬鹿ですね……僕がいないとなんにもできないんですから」
そう言うところも君の魅力の一つではあるんですけどね…。
観月はそう思ったけれども、
調子づけたら今回は事なきを得たものの本当に何をするか分からないので
言わないことにした。
END
「……」
「いえ、言い方を間違えましたね。疑問でなく君は本当に馬鹿です」
観月は眉をつり上げうなだれている巴を見下ろす。
見下ろすといってもほんの数センチの差でしかない訳だが。
*そんなきみが…
現在ジュニア選抜の合宿に参加している彼らは
あいかわらず学校という垣根を越えて一緒に行動していた。
もっとも観月と巴というより、ルドルフスクール組と巴といったカンジだ。
青学の面々は多少複雑なところもあるようだが、
巴は一向に解しない。
そもそも他人の感情に恐ろしく鈍い━━━その被害者の筆頭は観月だろう。
単に怖くてしかし親切な先輩だと思われているのではないかと
寝ずに悩むこともしばしばだ。
そして今、巴がうなだれている現在もそれに振り回されている。
二人の足下には湯気の立った湯が広がっている。
そして巴の両足は裸足になっており、湿った靴と靴下は近くに転がっている。
状況から見ればお湯が足にかかったのは明白だ。
「まあ、いいでしょう。今はそれどころじゃありませんから」
「わわっ!」
そういうと巴を横抱き、いわゆるお姫様抱っこの状態で
キッチンカウンターに乗せ、シンクに足を降ろさせ凄い勢いで水を流す。
「つつつ冷たいです!それにイタイです~!観月さん!!!!」
巴は先ほどまでうなだれていたのも嘘の様にわめき散らす。
「自業自得です!それに君のためなんだから我慢しなさい!」
---
合宿はきわめてハードに行われているものの、
それに見合うように休憩時間もキッチリととられている。
15時ぴったりに彼らは休憩を言い渡され、
スクール組面々とお茶を飲むべく食堂にやってきた。
普段は観月セレクトの茶葉を彼本人が紅茶のルールに従いキッチリと入れるが
今日に限っては「たまには私にも入れさせてください!」と張り切った
巴がお茶を煎れるべく食堂横の厨房へと入っていった。
しばらくして金属音と高いところから落ちてきたような水音と沈黙。
皆なんだろうと色めき立ったが、奥から
「お騒がせしてスイマセン~」と巴の声がしたので気にもとめなかった。
また何か巴がドジなことをしでかしたのだろう程度だった。
しかし、何かが引っかかった観月は一人だけ巴の様子を見に行った。
まったく、目を離すとあぶなかっしくて仕方ない。
今度は何をしたというのだろうか。
厨房のドアをくぐり目にしたのは、足にお湯をかけ立ちつくしている巴。
あわてて靴と靴下は脱いでしまったらしい。
━━━呆れた。
観月は一瞬思考停止してしまった。
明らかに熱湯をかけてしまったというのにこの娘は何をしているのだろう。
隣の食堂にいるというのにこの自分に助けも求めず、
かといってすぐに冷やしたりといった応急処置をする訳でもなく立っている。
しかも、火傷の時は患部を覆った布などは取らずにそのまま冷やすのは常識だ。
いや、常識とは言わないまでも
すくなくともスポーツドクターを志す人間には必要な知識ではないのか?
それになにより、
とっさに助けを呼んだりしない位自分は信頼されていないのだろうか?
自分はこんなに心配しているというのに。
こいつは馬鹿か?
その感情はついつい声に出してしまうことになった。
---
「つくづく馬鹿ですね、君は。
こんなコトになっていたというのに何故黙って突っ立ってるんですか」
「だって、熱くて痛くてビックリして…」
「ビックリしたのはこっちの方です。
あまりのことに心臓やら胃やらも痛くなりましたね。
しかも、誰も呼ぼうとしないどころか平気を装ってましたよね」
「また迷惑かけちゃうかなー…って」
「誰が迷惑だなんて言いました?」
「だって観月さんすぐ怒るしー」
だって顔が怒ってるし。
こんなあからさまな表情の観月さんて珍しいし。
やっぱりちょっとこわいなーと思う巴。
もっともそれも嫌ではない様子。
「いつ怒ったって言うんですか」
「今」
「……」
あまりの巴の言い草に観月はフリーズ。
ただ水が勢いよく流れる音だけが響く。
まったく巴くんから出る言葉はびっくり箱みたいですね。
何が出てくるものだか分かったものじゃありませんよ。
それでも気を取り直して観月は話を続ける。
「そりゃ、怒りもしますよ。
処置が遅れて悪化でもしてテニスが出来なくなってしまったら
どうするというんですか?
しかも迂闊にも処置の方法は間違ってますし」
「そ、それは…そうですけど。
観月さんは私のテニスだけが心配なんですか?」
巴にはまるで自分自身の身体は心配じゃない様に聞こえ
少しふてくされる。
そんな巴の気持ちを察したのか観月は答える。
「当然心配ですよ。
僕を冷血人間か何かだと思っているんですか。
それでなかったらどうして僕がここにいると思うんですか?
君の身体に傷でも残ったらすぐに駆けつけなかったことを
悔やんでも悔やみきれませんよ」
少し声のトーンを和らげる。
それに巴もすこしほっとした表情を見せ、
それから一転して厳しい表情、深刻な表情で言葉を口に乗せる。
「私の身体に傷が残ったら━━━それで観月さんが悔やむんであれば、
責任をとってもらいますから、大丈夫です」
当然いぶかしげな表情を見せる観月。
話が読めない。
「責任?」
「はい。責任を取ってお嫁にとってもらいますから」
「━━━!!!」
観月の全身に動揺が走る。
もちろん、巴がそう言う目で自分を意識していたのは嬉しい。
少なくともただの他校の先輩、テニス友達ではない様だ。
鈍い巴でもそう言うことには聡いらしい。
しかし。
しかし、こういうコトは先手必勝で言うことでもない。
ましてや合宿所の厨房で火傷を冷やしつつなんて。
観月の美学としてはきちんとムードをつくって…
順を追って言って欲しい。
と、言うより男の自分が先に言いたかったコトだ。
少し悔しい。
悔しい、だから。
「じゃあ、傷にならなければ僕は責任を取らなくていいんですかね。
つまり━━━君を娶とらなくていいと」
お返しといわんばかりにイジワルを言ってみる。
「あっ…それは!その…」
あわてふためいて否定になる言葉を紡ごうとするが
なんと答えて良いか分からない巴は口をパクパクするばかり。
それは言葉の勢いで。
出来ることならどっちにしてもお嫁に行きたい。
傷跡云々は関係なく。
中学生の身でそんなこと考えるのは尚早だとは分かっているけど
今の自分の気持ちはそう言う風に固まっている。
未だお互いの気持ちを確固たる言葉で確認したことすらないけれど。
愛の言葉なんてお互い囁いたこともないけれど。
私は嫌ではないし、観月さんだって嫌ではないはず。
観月さんはイジワルだ。やっぱり性格悪いよね。
しみじみ巴はそう思った。
そう言うところも好きなのだけど。
「ちょっと傷つきましたね。
いえ、ちょっとどころではなく大ダメージですね。
心の傷として残りそうですよ……」
一つ大きく息をつき言葉を続ける。
「だから、その責任を取ってお嫁に来なさい。
どうせ、馬鹿な君にはお嫁のもらい手なんてある訳無し
願ったり叶ったりなんじゃないですか?
僕の心の傷を一生かけて癒してもらいますからね、覚悟しなさい」
問題の患部は水をかけっぱなしにしているせいですっかり冷え切っていた。
火傷どころかむしろ悴んでじんじんするほどだ。
しかし、巴は気づかない。
あまりの台詞に口を大きく開けたままだ。
そのとき、出しっぱなしの水に気付いた観月は水道栓を閉めこう言った。
「本当に君は馬鹿なんだって、つくづく思いますよ。
ほら━━━足が色を失っているじゃないですか。
君は本当に馬鹿ですね……僕がいないとなんにもできないんですから」
そう言うところも君の魅力の一つではあるんですけどね…。
観月はそう思ったけれども、
調子づけたら今回は事なきを得たものの本当に何をするか分からないので
言わないことにした。
END
*from day to day
リボンタイって楽に出来ていたんだな…って思う。
鏡を見てため息。
ネクタイ、上手く結べない。
ルドルフに入学してしばらくは
見るに見かねて同じ寮の子が結んでくれていたけれど
ついに昨日「そろそろ一人で結ぼうね」と通告されてしまった。
それで昨夜、早川さんに相談したけれど「そんなの慣れよ」って一蹴された。
あとでネクタイの綺麗な結び方の本を貸してくれたけど、
(そう言うところが早川さんらしいというか…)
あまり役には立たなかったみたい。
要するに、私はネクタイ結びのスキルはゼロのようです。
お父さんはあんなにカンタンそうに結んでいたのになあ。
そう考えると全国のネクタイ男性達は凄い器用なんだね。
賞賛に値するよ。すくなくとも私にとっては。
特に観月さんなんて全く隙なく完璧に結んでいて神の領域だよ!
ちらっと時計を見るともうそろそろ寮を出る時間だった。
仕方ないのでよれよれの、かろうじて結ばれたネクタイ姿で寮を出る。
あーあ、こんな姿で観月さんと登校かあ。
お説教されるに決まってるんだから気が重い事ったら。
学校までの数駅が観月さんと私が過ごせる時間。
高校と中学で校舎は離れちゃうし、スクールの時はみんなが一緒で、
案外私たち二人だけっていう時間は少ない。
そんな貴重な時間は…甘く無くて…。
結局テニスの話とか生活態度なんかに対するお説教だったりするんだよね。
今日のネタはネクタイでキマリかなあ。
部活とかスクールのあとはノーネクタイで誤魔化していたけど
流石に朝っぱらからノーネクタイは無理だしね。
あ~。いつかは電車で見かける登校中の馬鹿ップルみたいに
ラブラブいちゃいちゃしてみたいよ!
今の私たちみたいに、まるで先生と生徒みたいじゃなくてね。
「━━━まったく君って人は!
女性なら身だしなみの重要性ぐらい当然わかっていますよね?」
電車内。
苦り切った表情で、案の定観月さんは私にそう告げた。
はい。わかってます。わかってるからこんなに悩んでるんですってば!
でも、結ぶとかそういうのは苦手なんですってば。
ちゃんと結べるものならば、出来ることならば、
完璧に結んで、むしろ観月さんを感嘆させるぐらい美しく結びたい。
それぐらいには悩んでいますよ。
わーん!
そして私は堪えているような表情を作ってみせる。
いや、本当に堪えているんだけどね。
予想していたこととはいえ、観月さんのキツイ一言はやっぱり重いもの。
せめて観月さんには私が傷ついたように見えるように。
だって怒った後の観月さんてとても優しいから。
まるでマシュマロを溶かしたココアのように甘いから。
観月さんに怒られるのは、本当に観月さんが好きだから辛いことだけど
それとは矛盾して怒られたい私が居るのも確か。
傷ついたようか私の表情を見て、観月さんは片眉を上げる。
動揺しているときの観月さんのクセ。
多分私だけが知っているクセ。
そして「仕方ないな」というような表情をして私にこう言った。
「……本当に君は仕方のない人ですね。
僕がいないと本当に危なっかしいんですから」
そして、すっと私の胸元に手を伸ばす。
----
いかにも観月さんらしいオトコらしくてそれで居て優美な手は
私のよれよれのネクタイを、
まるで壊れ物でも扱うかのように慎重に解いていく。
ちょうど胸の谷間の上あたり。
かすかに観月さんの手が触れたり、触れなかったり。
まるでこれから全部脱がされるかのような感覚に鼓動が激しくなる。
がたんがたんと揺れる電車。
まるで私の心と同調しているみたいに。
「あ、あの…」
「ジッとしていなさい、曲がっちゃいますから」
綺麗に解くと、今度はまた結びなおそうと手を動かしていく。
胸の上あたりのくすぐったさに赤面を隠しきれない。
春だから、頭がおかしくなってるのかな、私。
「そういうこと」に敏感みたい。
でも観月さんは、気づかない。
私は身体をかすかに掠められるだけでこんなに意識しちゃうのに。
手を握られたことも、
抱き上げられたことも、
テニス練習中にフォーム修正で触れられることもあるけれど。
それでも慣れない。
観月さんの身体と私の身体がこんなに近くにあること。
触れることを許される人、私に触れても良い唯一の人。
くすぐったさが堪らず、つい言ってしまう。
「…み、観月さん…あの、その、てっ手…が……む…」
それまで私のネクタイを結ぶために伏せられていた顔が上がる。
観月さんの肌は、女の私が羨むほどきめ細かく、白い。
でも今は、紅く上気している。
車内が暑い訳でもなく、発熱している訳でもなく。
少し目をそらし私に言う。
「少し黙っていられないんですか?君は。
そんなこと言われたら、僕も━━━その、意識してしまうでしょう?」
そしてまた作業に取りかかる。
けれども先ほどの流れるように動いていた手は少しぎこちない。
私の鼓動はさらに、さらに、高まって。
結んでくれている時間がまるで何時間にも感じて。
ネクタイを結び終えた観月さんの手が名残惜しげに見えたのは
私の気のせいかな。
「さ、結び終えましたよ。これでかんぺ━━━」
「きゃっ!」
キーッ。
ガクン。
そんな音を出しながら列車は急ブレーキをかけた。
『ただいまこの列車は異常信号を感知し急停車いたし………』
車掌のアナウンスも遠くに感じる。
それも当然で。
だって、世界は真っ白で、鼓動しか聞こえないし。
なぜならば計らずとも、私は観月さんの腕の中。
腕の中というか、
観月さんと私と電車のドアのサンドイッチ状態ってカンジ。
少女漫画お約束、観月さんの腕が必死に自分自身を支えているので
かろうじて私は観月さんの身体と周囲の人々に潰されなくて済んだみたい。
観月さんになら潰されても良かったんだけどなあと考えるのはイケナイ事かな。
出会って1年経ったけれども、
世間的にはどうやらカップルの分類にはいるらしいけれども、
こういった形で身体を寄せ合うのは初めてかもしれない。
合宿の時に抱き上げられたことは
私の意識がなかったのでノーカウントと言うことにして、だけど。
現段階では私たちには身長差がほとんど無い。
きっと普通なら彼の胸の中でドキッといったカンジになるんだろうけど。
私の場合、顔が近くてドキッとした。
私が少し顔を動かすだけで。
観月さんが少し顔を動かすだけで。
触れてしまう距離。
きっとこのまま手を観月さんの背中へと伸ばしたら、
それは世間では抱き合うという格好になってしまうのだろう。
してみたいけど、出来ない。
観月さんは今何を思っているのかな。
----
「すみません、大丈夫でしたか?」
耳元近くで観月さんの声。
あまりにも近すぎて頭にダイレクトに響いてくる。
高くなく、かといって低くもない綺麗な声。
ぞくぞくするような。
聞き慣れないその声の固さは、観月さんも緊張しているということ?
電車は止まったままで、車内の動きも落ち着いたけれど
私たちの体勢はそのまんま。
もちろん、私も緊張している。
足はがくがくするし、心臓はバクバクいっている。
声すら上手く出すことは出来ない。
顔ももちろん迂闊に動かすことは出来ない。
もし、触れてしまったら…?そう思うと恥ずかしくて怖い。
必死に横目で観月さんの表情を追う。
「だっ…大丈夫です…!」
驚いて思わず大きい声になってしまった。
私ったら人の耳元でなんて事を…!
でもそれは、観月さんにも責任があるんだから。
ちらりと窺った観月さんの横顔。
あの綺麗な顔で照れ顔って反則だと思う。
そういえば、昨年末のルドルフ合宿で好きな人の話をしたときにも見たけれども
紅い顔でなんて言っていいかわからないような表情の観月さんは、
それを見た私までなんだか照れてしまう。
ネクタイを結んでくれたときも、そんな表情だったけど
これだけ間近で見てしまうと凄い破壊力。
その照れの原因は私自身にあると思うとその威力は倍増。
私自身が観月さんにそう言う表情をさせているのだと思うと。
私ってばとっても観月さんのことが好きなんだなあ。
改めて実感しちゃったみたい。
「どうしました?顔が、赤いですよ?」
正面を向いたまま意地悪げに観月さんが囁く。
「観月さんこそ、どうしたんですか?」
お返しにと負けずに観月さんへと囁く。
そうすると、ふっと顔が柔らかに崩れ、緊張気味の顔は笑顔へと変わった。
「んふっ、おたがいさまですね」
くすくすと耳元でくすぐるように笑い出す観月さん。
私も、そうですねと釣られて笑い出す。
残念なことだけど、自然に私たちは身体を離した。
「残念ですけど、そろそろ駅に着きますからね。
この続きはまた今度誰もいないところで、ということで」
私は思わず物珍しいものを見る目で、もちろん顔は赤いままで
観月さんの顔をマジマジと見てしまう。
観月さんってこんなベタ甘な事を言う人だったっけ?
もちろん、とても言葉巧みな人だと言うことは知っているけれど。
こんなコトでも巧みに言葉を操ることが出来るなんて、
あんまり思ったことはなかったから。
ちょっと驚いた。
「誰も、いないところで、ですか?」
「おや?君は嫌でしたか?」
もちろん、そんなことはない。
全然。
観月さんのことは好きだし。
むしろバッチ来いなカンジで。
そんなことを言われるなんて、嬉しくて。
幸せで。
「なんというか…。観月さんがそんなことを言うとは思いませんでしたから。
効果的な一言がお上手なんですねえ」
ぴくっと、観月さんの肩眉が上がる。
あっちゃー…ちょっと何かマズイこと言っちゃったかなあ。
「効果的な一言が上手って……巴君……
僕だって、そんなコト言い慣れていませんよ。
むしろ僕こそそんなこと君に言われるとは思いませんでしたね。
心外です。本当に。
僕が他の誰かにもペラペラそんなこと言っていると思ってるんですか?」
えーと、思っていないんですけど…、驚いただけですってば。
でも観月さんには引っかかる一言だったんだね。
言い方が悪かったかなあ。
失敗したなあ。
「大体君は少々デリカシーに欠けるところがあります。
もうちょっと人のことを察するとか気を遣うとか━━━━━━」
どうやらお説教モードにスイッチを入れてしまったみたい。
一瞬甘いカンジになったから、今日こそラブラブ登校だと思ったんだけど。
せっかくの貴重な二人だけの時間は今日もお説教。
電車が駅に着くまで続いちゃうんだろうなあ。
あーあ。
「君、ちゃんと聞いているんですか?」
だんだん観月さんの声がいらだたしげになってきた。
はいはい。ちゃんと聞いてますよーだ。
あれ?
『僕が他の誰かにもペラペラそんなこと言っていると思ってるんですか?』
これって、私以外にはそんなこと言わないって意味だって
受け取っちゃって良いのかな?
「はい、ちゃんと聞いてますってば。
だけど残念ですけど、そろそろ駅に着いちゃいますから
この続きはまた今度誰もいないところで、ということで。
その時には、また私に言い慣れていないことを言ってくださいね、観月さん」
「……まったく……、君ってひとは……」
観月さんが脱力したように声を絞り出したところで、うしろの扉が開く。
END
リボンタイって楽に出来ていたんだな…って思う。
鏡を見てため息。
ネクタイ、上手く結べない。
ルドルフに入学してしばらくは
見るに見かねて同じ寮の子が結んでくれていたけれど
ついに昨日「そろそろ一人で結ぼうね」と通告されてしまった。
それで昨夜、早川さんに相談したけれど「そんなの慣れよ」って一蹴された。
あとでネクタイの綺麗な結び方の本を貸してくれたけど、
(そう言うところが早川さんらしいというか…)
あまり役には立たなかったみたい。
要するに、私はネクタイ結びのスキルはゼロのようです。
お父さんはあんなにカンタンそうに結んでいたのになあ。
そう考えると全国のネクタイ男性達は凄い器用なんだね。
賞賛に値するよ。すくなくとも私にとっては。
特に観月さんなんて全く隙なく完璧に結んでいて神の領域だよ!
ちらっと時計を見るともうそろそろ寮を出る時間だった。
仕方ないのでよれよれの、かろうじて結ばれたネクタイ姿で寮を出る。
あーあ、こんな姿で観月さんと登校かあ。
お説教されるに決まってるんだから気が重い事ったら。
学校までの数駅が観月さんと私が過ごせる時間。
高校と中学で校舎は離れちゃうし、スクールの時はみんなが一緒で、
案外私たち二人だけっていう時間は少ない。
そんな貴重な時間は…甘く無くて…。
結局テニスの話とか生活態度なんかに対するお説教だったりするんだよね。
今日のネタはネクタイでキマリかなあ。
部活とかスクールのあとはノーネクタイで誤魔化していたけど
流石に朝っぱらからノーネクタイは無理だしね。
あ~。いつかは電車で見かける登校中の馬鹿ップルみたいに
ラブラブいちゃいちゃしてみたいよ!
今の私たちみたいに、まるで先生と生徒みたいじゃなくてね。
「━━━まったく君って人は!
女性なら身だしなみの重要性ぐらい当然わかっていますよね?」
電車内。
苦り切った表情で、案の定観月さんは私にそう告げた。
はい。わかってます。わかってるからこんなに悩んでるんですってば!
でも、結ぶとかそういうのは苦手なんですってば。
ちゃんと結べるものならば、出来ることならば、
完璧に結んで、むしろ観月さんを感嘆させるぐらい美しく結びたい。
それぐらいには悩んでいますよ。
わーん!
そして私は堪えているような表情を作ってみせる。
いや、本当に堪えているんだけどね。
予想していたこととはいえ、観月さんのキツイ一言はやっぱり重いもの。
せめて観月さんには私が傷ついたように見えるように。
だって怒った後の観月さんてとても優しいから。
まるでマシュマロを溶かしたココアのように甘いから。
観月さんに怒られるのは、本当に観月さんが好きだから辛いことだけど
それとは矛盾して怒られたい私が居るのも確か。
傷ついたようか私の表情を見て、観月さんは片眉を上げる。
動揺しているときの観月さんのクセ。
多分私だけが知っているクセ。
そして「仕方ないな」というような表情をして私にこう言った。
「……本当に君は仕方のない人ですね。
僕がいないと本当に危なっかしいんですから」
そして、すっと私の胸元に手を伸ばす。
----
いかにも観月さんらしいオトコらしくてそれで居て優美な手は
私のよれよれのネクタイを、
まるで壊れ物でも扱うかのように慎重に解いていく。
ちょうど胸の谷間の上あたり。
かすかに観月さんの手が触れたり、触れなかったり。
まるでこれから全部脱がされるかのような感覚に鼓動が激しくなる。
がたんがたんと揺れる電車。
まるで私の心と同調しているみたいに。
「あ、あの…」
「ジッとしていなさい、曲がっちゃいますから」
綺麗に解くと、今度はまた結びなおそうと手を動かしていく。
胸の上あたりのくすぐったさに赤面を隠しきれない。
春だから、頭がおかしくなってるのかな、私。
「そういうこと」に敏感みたい。
でも観月さんは、気づかない。
私は身体をかすかに掠められるだけでこんなに意識しちゃうのに。
手を握られたことも、
抱き上げられたことも、
テニス練習中にフォーム修正で触れられることもあるけれど。
それでも慣れない。
観月さんの身体と私の身体がこんなに近くにあること。
触れることを許される人、私に触れても良い唯一の人。
くすぐったさが堪らず、つい言ってしまう。
「…み、観月さん…あの、その、てっ手…が……む…」
それまで私のネクタイを結ぶために伏せられていた顔が上がる。
観月さんの肌は、女の私が羨むほどきめ細かく、白い。
でも今は、紅く上気している。
車内が暑い訳でもなく、発熱している訳でもなく。
少し目をそらし私に言う。
「少し黙っていられないんですか?君は。
そんなこと言われたら、僕も━━━その、意識してしまうでしょう?」
そしてまた作業に取りかかる。
けれども先ほどの流れるように動いていた手は少しぎこちない。
私の鼓動はさらに、さらに、高まって。
結んでくれている時間がまるで何時間にも感じて。
ネクタイを結び終えた観月さんの手が名残惜しげに見えたのは
私の気のせいかな。
「さ、結び終えましたよ。これでかんぺ━━━」
「きゃっ!」
キーッ。
ガクン。
そんな音を出しながら列車は急ブレーキをかけた。
『ただいまこの列車は異常信号を感知し急停車いたし………』
車掌のアナウンスも遠くに感じる。
それも当然で。
だって、世界は真っ白で、鼓動しか聞こえないし。
なぜならば計らずとも、私は観月さんの腕の中。
腕の中というか、
観月さんと私と電車のドアのサンドイッチ状態ってカンジ。
少女漫画お約束、観月さんの腕が必死に自分自身を支えているので
かろうじて私は観月さんの身体と周囲の人々に潰されなくて済んだみたい。
観月さんになら潰されても良かったんだけどなあと考えるのはイケナイ事かな。
出会って1年経ったけれども、
世間的にはどうやらカップルの分類にはいるらしいけれども、
こういった形で身体を寄せ合うのは初めてかもしれない。
合宿の時に抱き上げられたことは
私の意識がなかったのでノーカウントと言うことにして、だけど。
現段階では私たちには身長差がほとんど無い。
きっと普通なら彼の胸の中でドキッといったカンジになるんだろうけど。
私の場合、顔が近くてドキッとした。
私が少し顔を動かすだけで。
観月さんが少し顔を動かすだけで。
触れてしまう距離。
きっとこのまま手を観月さんの背中へと伸ばしたら、
それは世間では抱き合うという格好になってしまうのだろう。
してみたいけど、出来ない。
観月さんは今何を思っているのかな。
----
「すみません、大丈夫でしたか?」
耳元近くで観月さんの声。
あまりにも近すぎて頭にダイレクトに響いてくる。
高くなく、かといって低くもない綺麗な声。
ぞくぞくするような。
聞き慣れないその声の固さは、観月さんも緊張しているということ?
電車は止まったままで、車内の動きも落ち着いたけれど
私たちの体勢はそのまんま。
もちろん、私も緊張している。
足はがくがくするし、心臓はバクバクいっている。
声すら上手く出すことは出来ない。
顔ももちろん迂闊に動かすことは出来ない。
もし、触れてしまったら…?そう思うと恥ずかしくて怖い。
必死に横目で観月さんの表情を追う。
「だっ…大丈夫です…!」
驚いて思わず大きい声になってしまった。
私ったら人の耳元でなんて事を…!
でもそれは、観月さんにも責任があるんだから。
ちらりと窺った観月さんの横顔。
あの綺麗な顔で照れ顔って反則だと思う。
そういえば、昨年末のルドルフ合宿で好きな人の話をしたときにも見たけれども
紅い顔でなんて言っていいかわからないような表情の観月さんは、
それを見た私までなんだか照れてしまう。
ネクタイを結んでくれたときも、そんな表情だったけど
これだけ間近で見てしまうと凄い破壊力。
その照れの原因は私自身にあると思うとその威力は倍増。
私自身が観月さんにそう言う表情をさせているのだと思うと。
私ってばとっても観月さんのことが好きなんだなあ。
改めて実感しちゃったみたい。
「どうしました?顔が、赤いですよ?」
正面を向いたまま意地悪げに観月さんが囁く。
「観月さんこそ、どうしたんですか?」
お返しにと負けずに観月さんへと囁く。
そうすると、ふっと顔が柔らかに崩れ、緊張気味の顔は笑顔へと変わった。
「んふっ、おたがいさまですね」
くすくすと耳元でくすぐるように笑い出す観月さん。
私も、そうですねと釣られて笑い出す。
残念なことだけど、自然に私たちは身体を離した。
「残念ですけど、そろそろ駅に着きますからね。
この続きはまた今度誰もいないところで、ということで」
私は思わず物珍しいものを見る目で、もちろん顔は赤いままで
観月さんの顔をマジマジと見てしまう。
観月さんってこんなベタ甘な事を言う人だったっけ?
もちろん、とても言葉巧みな人だと言うことは知っているけれど。
こんなコトでも巧みに言葉を操ることが出来るなんて、
あんまり思ったことはなかったから。
ちょっと驚いた。
「誰も、いないところで、ですか?」
「おや?君は嫌でしたか?」
もちろん、そんなことはない。
全然。
観月さんのことは好きだし。
むしろバッチ来いなカンジで。
そんなことを言われるなんて、嬉しくて。
幸せで。
「なんというか…。観月さんがそんなことを言うとは思いませんでしたから。
効果的な一言がお上手なんですねえ」
ぴくっと、観月さんの肩眉が上がる。
あっちゃー…ちょっと何かマズイこと言っちゃったかなあ。
「効果的な一言が上手って……巴君……
僕だって、そんなコト言い慣れていませんよ。
むしろ僕こそそんなこと君に言われるとは思いませんでしたね。
心外です。本当に。
僕が他の誰かにもペラペラそんなこと言っていると思ってるんですか?」
えーと、思っていないんですけど…、驚いただけですってば。
でも観月さんには引っかかる一言だったんだね。
言い方が悪かったかなあ。
失敗したなあ。
「大体君は少々デリカシーに欠けるところがあります。
もうちょっと人のことを察するとか気を遣うとか━━━━━━」
どうやらお説教モードにスイッチを入れてしまったみたい。
一瞬甘いカンジになったから、今日こそラブラブ登校だと思ったんだけど。
せっかくの貴重な二人だけの時間は今日もお説教。
電車が駅に着くまで続いちゃうんだろうなあ。
あーあ。
「君、ちゃんと聞いているんですか?」
だんだん観月さんの声がいらだたしげになってきた。
はいはい。ちゃんと聞いてますよーだ。
あれ?
『僕が他の誰かにもペラペラそんなこと言っていると思ってるんですか?』
これって、私以外にはそんなこと言わないって意味だって
受け取っちゃって良いのかな?
「はい、ちゃんと聞いてますってば。
だけど残念ですけど、そろそろ駅に着いちゃいますから
この続きはまた今度誰もいないところで、ということで。
その時には、また私に言い慣れていないことを言ってくださいね、観月さん」
「……まったく……、君ってひとは……」
観月さんが脱力したように声を絞り出したところで、うしろの扉が開く。
END
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