『おやすみなさい』
たったそれだけの言葉が1日の最後の言葉として相応しいなんて
恋をするまで知らなかった。
言わないことが罪になるなんて。
君に、逢うまでは。
*Telephone Call
耳元でジリリリと古典的な目覚まし時計ががなりたてる。
赤月巴は中学生になってから朝練に間に合うように、
下宿先の人々に━━━特に越前リョーマに起こされないためにも
様々な目覚まし時計を、画期的な効果を求めて使用していたが
結局最強だったのは古式ゆかしきベル式の時計だった。
慌てて飛び起き、その目覚ましをギネスにも載る勢いで素早く停止させる。
「ふー……もう朝なんだ……え?…あ、さ?」
昨晩、床についた記憶がない。
正確には入浴を済ませてから「仮眠、仮眠~」と言って床に転がった記憶はあるのだが。
なにも朝まで仮眠しなくても。
と、言うかそれはもはや仮眠ではなく、ただの就寝だ。
時計は11月3日、午前5時を差している。
「あちゃー!今日、文化祭の日じゃん、朝練休みだし」
11月3日、文化の日。
ふとカレンダーに目をやると、3の数字はきっちり赤で印刷されている。
そして3のまわりには大きな花丸が。
その花丸の下には『深司さんBD』という自分の字。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああ」
祝日の早暁、まだ眠り深い越前一家は巴の奇声にて目を覚ますことになった。
--
眠気覚めやらぬ越前リョーマに一つ蹴りを入れられ、
他の家人に何事もないことを告げて謝り倒したあと巴は部屋の真ん中で正座していた。
目の前には携帯電話。着信履歴のランプがチカチカと光ったままだ。
それが伊武からの電話であることは間違いがないだろう。
巴と伊武は付き合い始めてから続けていた習慣がある。
おやすみなさいコールだ。
毎日交互に電話して、昨夜は巴の番だった。
大体、巴がマシンガントーク連射して、伊武が適当にあしらうものだったが、
最後には『おやすみなさい』で同時に切る。
毎日、合宿中でもテスト中でも続いていた習慣。
「……昨日、熟睡だったもんなあ……」
背中には11月だというのに汗が流れる。
これが冷や汗というものなのだろう。
どうしよう。
当然、ごまかしちゃマズイよね。
電話する?
今?
いやまだ寝てるだろう。
ああああ…きっと怒られる。
電話しなきゃ!
一刻も早く謝らないと。
あーでもまだこんな時間だし。
あああああ。
そんなとりとめのない焦りの感情がぐるぐると駆けめぐる。
7時。
意を決して電話をすることにした。
震える手でボタンを押す。
嫌われていたらどうしよう。それを考えると巴は恐かった。
RRR……
「………………………………………………なに?」
自らかけた筈なのに伊武が応答したことに巴は飛び上がりそうになった。
出るとは思っていたけれど、いざ出られるとどうして良いか分からない。
とっさの一言が、口から飛び出す。
「深司さん!お、お誕生日おめでとうございますっ!」
「……」
「……」
そこから会話が続かない。
これはもう怒っているに違いないと
もう一度なけなしの勇気を振り絞って声をかけてみる。
「あ…の…?深司さん、聞いてます?」
やや冷たい調子━━━とはいえいつものことだったりするのだが、
硬質な口調で伊武はようやく返答する。
「聞いてるよ、って言うか、他に言うことあるんじゃないの?」
その一言が鋭い矢となり胸に突き刺さる。
当然だ。昨晩電話しなかったことを謝ってはいない。
謝らなければいけないのはもちろん分かっているが、
何となく言い出しづらかったのだ。
「ごめんなさい!あの、昨日電話しなくって…実は…」
実は、ただ単純に寝こけてました。
朝まで熟睡でした。
恥ずかしくてとても言いづらい。
「あのさあ…、君と電話なんかしなくても俺は別に構わないわけ」
「ええっ」
ちょっと衝撃を受ける。
この後の話の流れは別れ話だろうか?そう考えると受話器の向こうでぼやく声が聞こえてきた。
「…………ひどいもんだよね、でもやっぱり1日の締めくくりだし君の声なんか聞きたいと思うし、14歳の最後の夜に彼女から電話がかかってこないなんて訳がないと思ってたのになかなか電話がかかってこないし、待ちきれなくてこっちからかけてみても全然出てくれないし。あーあーまいっちゃうよなー。可哀想な俺。多分彼女はこれっぽっちも俺のことは考えてくれちゃいなくて、すいません、うっかり先に寝ちゃいましたーなんて言うに決まってるんだよ。多分愛情なんか薄れてるに違いなくて惰性で付き合ってくれてるんだ。そうだ、そうに違いない。うわー俺ってかわいそ……」
「だいすきですってば!」
伊武のボヤキを遮るように巴は携帯電話の向こう側に怒鳴りつける。
そして、その言葉はうっかりと駆け引きのない本音。
巴は男性を上手くいさめる言葉などまだ知らないのだから仕方がない。
しかし、大声で大好きだと告げてしまったことに言った後に気付いて
急に恥ずかしくなってしまう。
「じゃあ、それでいいや」
ぼやくのを止めてぽつりと伊武はそう答えた。
「は?なにがいいんですか?」
「あと3回言ってくれたら、昨晩のことはチャラにしてあげるよ」
「何を…言え…と?」
とっくに乾いていたはずの冷や汗がまた流れ落ちる。
もちろん、何を言えと言っているのかは分かっている。
しかしとても恥ずかしい。
何度も言えるわけがない。
「……あーやっぱり俺ってかわいそ……」
「あー、言いますよ!言いますってば、ごめんなさいっ!」
半ばヤケになって巴は答える。
「深司さん、を文頭に入れてね」
さりげなく注文を増やしている。
伊武はそのさりげなく事を進める能力に長けていた。
「……コホン」
一つ息を整える。
こういう展開になってしまったのは自業自得であることは自分でもわかっている。
腹をくくるしかない。
「しんじさんだいすき!しんじさんだいすき!しんじさんだいすき!」
思わず力みすぎてはぁはぁ言っているものの巴ご自慢の肺活量で一息で言い切る。
「随分棒読みみたいだけど……まあ、いいよ、今回は」
多少照れくさいのか普段より感情を表に出した口調でそれに答える。
「……今回は?」
文末に引っかかりを覚えて聞き返す。
「次回から、電話を怠るごとに言ってもらうから……1回ずつ増やして」
「えっ!?」
あまりにも恥ずかしすぎるペナルティだ。
さすがに、頑張って電話しようという気にもなる。
「ま、ちゃんと欠かさず電話していれば問題ない話だから
……と、言っても1ヶ月に1回ぐらいはミスしてくれていいけどね、俺としては」
「さすがに照れくさいんですけど……」
自分の気持ちを正直に話す。
たとえ、好きという気持ちが本音でも口にするのは少々照れる。
誰かを好きになると言うスキルが低すぎて、
愛の言葉を話すのも聞くのも照れくさくて身の置き所が無くてやりきれない。
きっと、伊武からそう言う言葉を聞く日が来るとしても
その時の自分は照れくさくて気を失いそうになるのだろうと思った。
「…………じゃ、俺もたまにミスしてみるからそれであいこって事にしてよ」
伊武のミスに対するペナルティー、それは巴と同様のものと言うことで。
「……」
巴の口はまるでバカみたいに開いたままだ。
伊武の言葉の意味を正確に考え当てると、先ほどまで冷や汗が出ていた身体は
急激な体温上昇によって本当の汗が滲み出してきた。
「……もう学校行く時間だから切るよ。
今度の日曜日に俺の誕生日祝ってくれるんだったよね、
それは楽しみにしてるから、ペナルティー以上のイイ物もらえるんだろうし」
ペナルティー=しんじさんだいすき!、だとするとそれ以上のものとは何だろう。
ものすごい、プレッシャーだ。
今日は目を覚ましてからと言うもの、
自分の顔色が信号のようにチカチカとすぐに変わっている自覚がある。
赤から青へ、青から赤へ。
気が遠くなりそうになりながら「はい…そうですね」となんとか返事をする。
「じゃあ、また、今夜」
伊武の声を最後に電話は切れた。
週末に対する大きな不安を抱きながら、巴は通話を終了させた。
時計を見て、慌てて登校の準備をする。
まさか、その時には、伊武の番である今夜の電話がかかってこないとは考えてもみなかった。
そして早速伊武からのペナルティーの言葉を聞かされる事になるとは。
END
たったそれだけの言葉が1日の最後の言葉として相応しいなんて
恋をするまで知らなかった。
言わないことが罪になるなんて。
君に、逢うまでは。
*Telephone Call
耳元でジリリリと古典的な目覚まし時計ががなりたてる。
赤月巴は中学生になってから朝練に間に合うように、
下宿先の人々に━━━特に越前リョーマに起こされないためにも
様々な目覚まし時計を、画期的な効果を求めて使用していたが
結局最強だったのは古式ゆかしきベル式の時計だった。
慌てて飛び起き、その目覚ましをギネスにも載る勢いで素早く停止させる。
「ふー……もう朝なんだ……え?…あ、さ?」
昨晩、床についた記憶がない。
正確には入浴を済ませてから「仮眠、仮眠~」と言って床に転がった記憶はあるのだが。
なにも朝まで仮眠しなくても。
と、言うかそれはもはや仮眠ではなく、ただの就寝だ。
時計は11月3日、午前5時を差している。
「あちゃー!今日、文化祭の日じゃん、朝練休みだし」
11月3日、文化の日。
ふとカレンダーに目をやると、3の数字はきっちり赤で印刷されている。
そして3のまわりには大きな花丸が。
その花丸の下には『深司さんBD』という自分の字。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああ」
祝日の早暁、まだ眠り深い越前一家は巴の奇声にて目を覚ますことになった。
--
眠気覚めやらぬ越前リョーマに一つ蹴りを入れられ、
他の家人に何事もないことを告げて謝り倒したあと巴は部屋の真ん中で正座していた。
目の前には携帯電話。着信履歴のランプがチカチカと光ったままだ。
それが伊武からの電話であることは間違いがないだろう。
巴と伊武は付き合い始めてから続けていた習慣がある。
おやすみなさいコールだ。
毎日交互に電話して、昨夜は巴の番だった。
大体、巴がマシンガントーク連射して、伊武が適当にあしらうものだったが、
最後には『おやすみなさい』で同時に切る。
毎日、合宿中でもテスト中でも続いていた習慣。
「……昨日、熟睡だったもんなあ……」
背中には11月だというのに汗が流れる。
これが冷や汗というものなのだろう。
どうしよう。
当然、ごまかしちゃマズイよね。
電話する?
今?
いやまだ寝てるだろう。
ああああ…きっと怒られる。
電話しなきゃ!
一刻も早く謝らないと。
あーでもまだこんな時間だし。
あああああ。
そんなとりとめのない焦りの感情がぐるぐると駆けめぐる。
7時。
意を決して電話をすることにした。
震える手でボタンを押す。
嫌われていたらどうしよう。それを考えると巴は恐かった。
RRR……
「………………………………………………なに?」
自らかけた筈なのに伊武が応答したことに巴は飛び上がりそうになった。
出るとは思っていたけれど、いざ出られるとどうして良いか分からない。
とっさの一言が、口から飛び出す。
「深司さん!お、お誕生日おめでとうございますっ!」
「……」
「……」
そこから会話が続かない。
これはもう怒っているに違いないと
もう一度なけなしの勇気を振り絞って声をかけてみる。
「あ…の…?深司さん、聞いてます?」
やや冷たい調子━━━とはいえいつものことだったりするのだが、
硬質な口調で伊武はようやく返答する。
「聞いてるよ、って言うか、他に言うことあるんじゃないの?」
その一言が鋭い矢となり胸に突き刺さる。
当然だ。昨晩電話しなかったことを謝ってはいない。
謝らなければいけないのはもちろん分かっているが、
何となく言い出しづらかったのだ。
「ごめんなさい!あの、昨日電話しなくって…実は…」
実は、ただ単純に寝こけてました。
朝まで熟睡でした。
恥ずかしくてとても言いづらい。
「あのさあ…、君と電話なんかしなくても俺は別に構わないわけ」
「ええっ」
ちょっと衝撃を受ける。
この後の話の流れは別れ話だろうか?そう考えると受話器の向こうでぼやく声が聞こえてきた。
「…………ひどいもんだよね、でもやっぱり1日の締めくくりだし君の声なんか聞きたいと思うし、14歳の最後の夜に彼女から電話がかかってこないなんて訳がないと思ってたのになかなか電話がかかってこないし、待ちきれなくてこっちからかけてみても全然出てくれないし。あーあーまいっちゃうよなー。可哀想な俺。多分彼女はこれっぽっちも俺のことは考えてくれちゃいなくて、すいません、うっかり先に寝ちゃいましたーなんて言うに決まってるんだよ。多分愛情なんか薄れてるに違いなくて惰性で付き合ってくれてるんだ。そうだ、そうに違いない。うわー俺ってかわいそ……」
「だいすきですってば!」
伊武のボヤキを遮るように巴は携帯電話の向こう側に怒鳴りつける。
そして、その言葉はうっかりと駆け引きのない本音。
巴は男性を上手くいさめる言葉などまだ知らないのだから仕方がない。
しかし、大声で大好きだと告げてしまったことに言った後に気付いて
急に恥ずかしくなってしまう。
「じゃあ、それでいいや」
ぼやくのを止めてぽつりと伊武はそう答えた。
「は?なにがいいんですか?」
「あと3回言ってくれたら、昨晩のことはチャラにしてあげるよ」
「何を…言え…と?」
とっくに乾いていたはずの冷や汗がまた流れ落ちる。
もちろん、何を言えと言っているのかは分かっている。
しかしとても恥ずかしい。
何度も言えるわけがない。
「……あーやっぱり俺ってかわいそ……」
「あー、言いますよ!言いますってば、ごめんなさいっ!」
半ばヤケになって巴は答える。
「深司さん、を文頭に入れてね」
さりげなく注文を増やしている。
伊武はそのさりげなく事を進める能力に長けていた。
「……コホン」
一つ息を整える。
こういう展開になってしまったのは自業自得であることは自分でもわかっている。
腹をくくるしかない。
「しんじさんだいすき!しんじさんだいすき!しんじさんだいすき!」
思わず力みすぎてはぁはぁ言っているものの巴ご自慢の肺活量で一息で言い切る。
「随分棒読みみたいだけど……まあ、いいよ、今回は」
多少照れくさいのか普段より感情を表に出した口調でそれに答える。
「……今回は?」
文末に引っかかりを覚えて聞き返す。
「次回から、電話を怠るごとに言ってもらうから……1回ずつ増やして」
「えっ!?」
あまりにも恥ずかしすぎるペナルティだ。
さすがに、頑張って電話しようという気にもなる。
「ま、ちゃんと欠かさず電話していれば問題ない話だから
……と、言っても1ヶ月に1回ぐらいはミスしてくれていいけどね、俺としては」
「さすがに照れくさいんですけど……」
自分の気持ちを正直に話す。
たとえ、好きという気持ちが本音でも口にするのは少々照れる。
誰かを好きになると言うスキルが低すぎて、
愛の言葉を話すのも聞くのも照れくさくて身の置き所が無くてやりきれない。
きっと、伊武からそう言う言葉を聞く日が来るとしても
その時の自分は照れくさくて気を失いそうになるのだろうと思った。
「…………じゃ、俺もたまにミスしてみるからそれであいこって事にしてよ」
伊武のミスに対するペナルティー、それは巴と同様のものと言うことで。
「……」
巴の口はまるでバカみたいに開いたままだ。
伊武の言葉の意味を正確に考え当てると、先ほどまで冷や汗が出ていた身体は
急激な体温上昇によって本当の汗が滲み出してきた。
「……もう学校行く時間だから切るよ。
今度の日曜日に俺の誕生日祝ってくれるんだったよね、
それは楽しみにしてるから、ペナルティー以上のイイ物もらえるんだろうし」
ペナルティー=しんじさんだいすき!、だとするとそれ以上のものとは何だろう。
ものすごい、プレッシャーだ。
今日は目を覚ましてからと言うもの、
自分の顔色が信号のようにチカチカとすぐに変わっている自覚がある。
赤から青へ、青から赤へ。
気が遠くなりそうになりながら「はい…そうですね」となんとか返事をする。
「じゃあ、また、今夜」
伊武の声を最後に電話は切れた。
週末に対する大きな不安を抱きながら、巴は通話を終了させた。
時計を見て、慌てて登校の準備をする。
まさか、その時には、伊武の番である今夜の電話がかかってこないとは考えてもみなかった。
そして早速伊武からのペナルティーの言葉を聞かされる事になるとは。
END
「いたたた…」
全身がバラバラに引き裂かれそうだ。
特に背中の引きつり方と言ったら筆舌尽くしがたい。
毎日毎日、この春テニス部に入学してからと言うもの
訓練に訓練を重ねてきたというのに、
いまさら筋肉痛に見舞われるとは思わなかった。
1時間にも渡る風呂でのマッサージも、とても効果があるとは思えなかった。
赤月巴はまるで大昔のロボットのようにぎくしゃく風呂から上がり、
階段を上り、そしてようやく自分の部屋へとたどり着いた。
途中で巴の姿を発見したリョーマのからかいにも黙って耐え、
(だって動けなかったし)
菜々子から暖かい労りの言葉を貰い、
(これには泣きそうになった)
ただ、部屋へと一心不乱に向かったのだ。長い道のりだった。
「はぁぁぁぁ。つっかれたあ」
布団に倒れ込む。ようやく安らげる。
身じろぎすれば即ち痛いのだけれども、
早く寝入ってしまえばいいことだ。
静かに目を閉じる。
身体はこんなに痛くて疲れているというのに、
なかなか眠りは訪れなかった。
寝付けずにうっかり寝返りを打とうとしてしまい、
小さく悲鳴を上げる。
こんな痛い目にあっているのは、
まぶたの裏側に鮮やかに姿が焼き付いてしまっている男のせいだ。
観月はじめ。
この4月に出会って、テニススクールが一緒だった縁で仲良くなった人。
世話焼きでなんだかんだと言いながらライバル校の自分のテニスも見てくれる。七夕まつりや海に出掛けたり、修学旅行土産を貰ったりした。
きっと、これまでは一番信用していた年上の人だ。
先週までは。
巴に、身体に負担がかかる技を伝授しプレイさせ続けていたと告白するまでは。
衝撃の告白は巴の思考を停止させるには充分だった。
いままで真実だと思っていた世界が足下から崩れ去っていった。
そのまま観月を恨み、走り去っても良かったのに、
憎しみを投げつけても良かったというのに
巴にはそれが出来なかった。
観月の一からやり直そうという提案に、何も考えずに頷いていた。
これまで培ったものは全て捨てても良い。
反射神経とも本能とも思える速度でそう答えていた。
もしかしたら、冷静な自分でも頷いていたのではないかとは思ったが
それはあえて考えないようにしていた。
それからというもの、部活以外の時間という時間を、フォーム矯正に費やしていた。
身体に負担のかからないムダのないフォーム。
必殺技を使っても、身体に負担にならないように。
それは、身体の筋肉を再び作り直す作業だった。
おかげで今の巴は素振りの一本すら素人にも劣る動きだ。
これまで使われていなかった筋肉は悲鳴を上げ続けている。
そんな巴に観月は付きっきりで指導を行う。
歪んだ腕の角度ひとつも見逃さず修正する。
筋肉痛に効くというマッサージ方法やストレッチも教えてくれる。
巴のことなど、所詮ライバル校の生徒だからと切り捨ててしまっても良かったのに、
自らの罪を告白して償おうと彼はしている。我が身をもって。
こんなことには何のメリットもないのに。
彼らしくないと言えば、彼らしくない。
巴にしてみれば、彼の被害者であるならばそれは当然のことではあるのだけれど、
彼がこうして、真剣に自分を見るとは思わなかったから
戸惑いが隠せない、胸がどきどきしてしまう。
すくなくとも2週間前までは平気だったのに
気付いたときには彼に触れられるたびに、
見つめられるたびに平常心と戦わねばならなくなっていた。
巴はちっとも深くなろうとしない眠りを諦めて
目を開いて天井をボンヤリ眺める。
ちょっとは憎んだっていい相手なのにちっとも嫌いになれない。
それどころか、そばにいることで嬉しい自分がいる。
結局のところ無自覚に彼の償いを受け入れたのはそういう理由なのだろう。
離れられない。
「あー…、こい、かなあ」
深いため息と共に、声に出してみる。
初めて自覚する気持ち。
「まいったなあ…」
明日の早朝、ストリートテニスコートでの約束がある。
次に彼と顔を合わせるとき、どんな顔をしていればいいんだろう。
こればっかりは、彼に相談するわけにはいかないし。
END
全身がバラバラに引き裂かれそうだ。
特に背中の引きつり方と言ったら筆舌尽くしがたい。
毎日毎日、この春テニス部に入学してからと言うもの
訓練に訓練を重ねてきたというのに、
いまさら筋肉痛に見舞われるとは思わなかった。
1時間にも渡る風呂でのマッサージも、とても効果があるとは思えなかった。
赤月巴はまるで大昔のロボットのようにぎくしゃく風呂から上がり、
階段を上り、そしてようやく自分の部屋へとたどり着いた。
途中で巴の姿を発見したリョーマのからかいにも黙って耐え、
(だって動けなかったし)
菜々子から暖かい労りの言葉を貰い、
(これには泣きそうになった)
ただ、部屋へと一心不乱に向かったのだ。長い道のりだった。
「はぁぁぁぁ。つっかれたあ」
布団に倒れ込む。ようやく安らげる。
身じろぎすれば即ち痛いのだけれども、
早く寝入ってしまえばいいことだ。
静かに目を閉じる。
身体はこんなに痛くて疲れているというのに、
なかなか眠りは訪れなかった。
寝付けずにうっかり寝返りを打とうとしてしまい、
小さく悲鳴を上げる。
こんな痛い目にあっているのは、
まぶたの裏側に鮮やかに姿が焼き付いてしまっている男のせいだ。
観月はじめ。
この4月に出会って、テニススクールが一緒だった縁で仲良くなった人。
世話焼きでなんだかんだと言いながらライバル校の自分のテニスも見てくれる。七夕まつりや海に出掛けたり、修学旅行土産を貰ったりした。
きっと、これまでは一番信用していた年上の人だ。
先週までは。
巴に、身体に負担がかかる技を伝授しプレイさせ続けていたと告白するまでは。
衝撃の告白は巴の思考を停止させるには充分だった。
いままで真実だと思っていた世界が足下から崩れ去っていった。
そのまま観月を恨み、走り去っても良かったのに、
憎しみを投げつけても良かったというのに
巴にはそれが出来なかった。
観月の一からやり直そうという提案に、何も考えずに頷いていた。
これまで培ったものは全て捨てても良い。
反射神経とも本能とも思える速度でそう答えていた。
もしかしたら、冷静な自分でも頷いていたのではないかとは思ったが
それはあえて考えないようにしていた。
それからというもの、部活以外の時間という時間を、フォーム矯正に費やしていた。
身体に負担のかからないムダのないフォーム。
必殺技を使っても、身体に負担にならないように。
それは、身体の筋肉を再び作り直す作業だった。
おかげで今の巴は素振りの一本すら素人にも劣る動きだ。
これまで使われていなかった筋肉は悲鳴を上げ続けている。
そんな巴に観月は付きっきりで指導を行う。
歪んだ腕の角度ひとつも見逃さず修正する。
筋肉痛に効くというマッサージ方法やストレッチも教えてくれる。
巴のことなど、所詮ライバル校の生徒だからと切り捨ててしまっても良かったのに、
自らの罪を告白して償おうと彼はしている。我が身をもって。
こんなことには何のメリットもないのに。
彼らしくないと言えば、彼らしくない。
巴にしてみれば、彼の被害者であるならばそれは当然のことではあるのだけれど、
彼がこうして、真剣に自分を見るとは思わなかったから
戸惑いが隠せない、胸がどきどきしてしまう。
すくなくとも2週間前までは平気だったのに
気付いたときには彼に触れられるたびに、
見つめられるたびに平常心と戦わねばならなくなっていた。
巴はちっとも深くなろうとしない眠りを諦めて
目を開いて天井をボンヤリ眺める。
ちょっとは憎んだっていい相手なのにちっとも嫌いになれない。
それどころか、そばにいることで嬉しい自分がいる。
結局のところ無自覚に彼の償いを受け入れたのはそういう理由なのだろう。
離れられない。
「あー…、こい、かなあ」
深いため息と共に、声に出してみる。
初めて自覚する気持ち。
「まいったなあ…」
明日の早朝、ストリートテニスコートでの約束がある。
次に彼と顔を合わせるとき、どんな顔をしていればいいんだろう。
こればっかりは、彼に相談するわけにはいかないし。
END
なぜ、こんなことで悩まなければならないのかと思う半面、
彼のためなんだからとことん悩んでやろうと思う。
激しく矛盾した気持ち。
跡部さんへのプレゼント。
今年はどうしよう。
*一緒に悩もう
「で、なんで俺様に直接訊きに来るんだよ。
そんなの自分で考えろ、普通女ってそう言うこと考えるの好きだろうが」
あきれ顔で跡部景吾はまるで子犬のような目でこちらを見る巴に答える。
「プレゼントは何が欲しいですか?」なんて訊かれたのは初めてだった。
自分についてそれなりに知る者は、
あくまで跡部景吾のイメージでプレゼントを押しつけてくるし
自分についてほとんど知らない者は、
ストーカーのごとく調査してプレゼントを送りつけてくる。
これまで色んな人間から数え切れないほどプレゼントを貰ってきたが
多少気に入ったものはあったにしても、嬉しいと感じるものなどなかった。
大概が義理だったり自分に取り入ろうとするための賄賂だったからだ。
別にそれが不満だと思ったことはなかった。
自分ほどの人間になれば近づきたいのが当然だろうと思っている。
しかし、巴にプレゼントの希望を訊かれて、
不安と喜びが綯い交ぜとなる自分の感情に驚いた。
巴からプレゼントをもらえるというのは純粋に嬉しい。
初めて自分が心からプレゼントを求めていることに気付く。
だが、贈り物を考えることを放棄している巴に不安を覚える気持ちもある。
ここのところ常に隣にいる相手であり、
己の認める唯一の女ではあるが
実際巴本人の気持ちはどこにあるのか?
もしかして、俺様のプレゼントって義理なのか?
そんな疑問が鎌首をもたげる。
「自分で考えろ…って、精一杯考えましたよ!
でも、跡部さんてこれまで山のように貰ってるだろうし
私のような庶民じゃ跡部さんの欲しいものなんて考えつかないし
結局、一番欲しいものを知りたいなら訊くしか無いじゃないですか。
私、跡部さんが本当に欲しいと思うものを贈りたいんです」
不満げに口を尖らせながら巴はそう答える。
「……そりゃ、もっとも跡部さんが欲しいものを私が買えるとは思いませんが」
「お前なあ……、いくら俺様でもお前から欲しいものを訊かれて
入手不可そうなものは答えるわけねえだろ?」
巴の素直すぎる言葉に肩を落としつつそう答える。
掛け値なしにストレートだ。
駆け引きとか何も考えてはいない。
おそらく心底、跡部の欲しいと思うものを贈りたいのだろう。
馬鹿なヤツだ。
俺様の欲しいものなど、お前から贈られたいものなど一つに決まっている。
それがお前にも分からないとは思えないが?
「あっ…!でも「私」とか言うのはナシですからね?買えるもので!」
…………妙に聡いことを言うときがあるな、コイツ。
『買えるもので』何不自由なく暮らす自分には難しい質問だと、頭を悩ませる。
なぜ、こんなことで悩まなければならないのかと思う半面、
せっかく巴が訊いているのだからとことん悩んでやろうと思う。
激しく矛盾した気持ち。
仕方ない、コイツのためにたまには悩んでみるか。
「おい、愛の言葉の一つでも囁いてくれたら答えてやってもイイぜ?」
「…………それがプレゼントってことじゃダメですかねえ?」
「お前が『買えるもので』って言ったんじゃねえか、却下」
END
彼のためなんだからとことん悩んでやろうと思う。
激しく矛盾した気持ち。
跡部さんへのプレゼント。
今年はどうしよう。
*一緒に悩もう
「で、なんで俺様に直接訊きに来るんだよ。
そんなの自分で考えろ、普通女ってそう言うこと考えるの好きだろうが」
あきれ顔で跡部景吾はまるで子犬のような目でこちらを見る巴に答える。
「プレゼントは何が欲しいですか?」なんて訊かれたのは初めてだった。
自分についてそれなりに知る者は、
あくまで跡部景吾のイメージでプレゼントを押しつけてくるし
自分についてほとんど知らない者は、
ストーカーのごとく調査してプレゼントを送りつけてくる。
これまで色んな人間から数え切れないほどプレゼントを貰ってきたが
多少気に入ったものはあったにしても、嬉しいと感じるものなどなかった。
大概が義理だったり自分に取り入ろうとするための賄賂だったからだ。
別にそれが不満だと思ったことはなかった。
自分ほどの人間になれば近づきたいのが当然だろうと思っている。
しかし、巴にプレゼントの希望を訊かれて、
不安と喜びが綯い交ぜとなる自分の感情に驚いた。
巴からプレゼントをもらえるというのは純粋に嬉しい。
初めて自分が心からプレゼントを求めていることに気付く。
だが、贈り物を考えることを放棄している巴に不安を覚える気持ちもある。
ここのところ常に隣にいる相手であり、
己の認める唯一の女ではあるが
実際巴本人の気持ちはどこにあるのか?
もしかして、俺様のプレゼントって義理なのか?
そんな疑問が鎌首をもたげる。
「自分で考えろ…って、精一杯考えましたよ!
でも、跡部さんてこれまで山のように貰ってるだろうし
私のような庶民じゃ跡部さんの欲しいものなんて考えつかないし
結局、一番欲しいものを知りたいなら訊くしか無いじゃないですか。
私、跡部さんが本当に欲しいと思うものを贈りたいんです」
不満げに口を尖らせながら巴はそう答える。
「……そりゃ、もっとも跡部さんが欲しいものを私が買えるとは思いませんが」
「お前なあ……、いくら俺様でもお前から欲しいものを訊かれて
入手不可そうなものは答えるわけねえだろ?」
巴の素直すぎる言葉に肩を落としつつそう答える。
掛け値なしにストレートだ。
駆け引きとか何も考えてはいない。
おそらく心底、跡部の欲しいと思うものを贈りたいのだろう。
馬鹿なヤツだ。
俺様の欲しいものなど、お前から贈られたいものなど一つに決まっている。
それがお前にも分からないとは思えないが?
「あっ…!でも「私」とか言うのはナシですからね?買えるもので!」
…………妙に聡いことを言うときがあるな、コイツ。
『買えるもので』何不自由なく暮らす自分には難しい質問だと、頭を悩ませる。
なぜ、こんなことで悩まなければならないのかと思う半面、
せっかく巴が訊いているのだからとことん悩んでやろうと思う。
激しく矛盾した気持ち。
仕方ない、コイツのためにたまには悩んでみるか。
「おい、愛の言葉の一つでも囁いてくれたら答えてやってもイイぜ?」
「…………それがプレゼントってことじゃダメですかねえ?」
「お前が『買えるもので』って言ったんじゃねえか、却下」
END
ありえない。
ゲームセットの声と共にラケットが手から滑り降りる。
楽に勝てる試合だと思っていた。
いや、決して甘く見ていた訳ではない。
いつも手塚元部長からは「気を抜くな」とか「油断するな」とか
言われていたから、細心の注意をしているつもりでいた。
気の抜けたまま、
試合終了の挨拶を終えフェンスの向こうへと駆け出す。
先輩のお説教や、仲間達の慰めなどいらない。
早く一人になりたかった。
ようやく一人になれそうな場所にやってきた。
とっくに試合の終わったコート裏の水場。
勢いよく蛇口から出した水に頭を突っ込む。
もうすぐ夏だとはいえ未だ水は冷たく感じられる。
先ほどまで頭のてっぺんまで上っていた血がひいていくようだ。
2年目の都大会。
まさか初戦で自分が1戦を落としてしまうとは思わなかった。
試合は団体戦ゆえ、頼もしい仲間達が勝ってくれるだろう。
これが個人戦だったとしたらと思うと背筋が凍る想いだ。
今までの1年が台無しにしてしまったように思う。
テニスの素人から血を吐く想いでJr選抜チームの一員となるぐらいの特訓。
父親、青学テニス部、テニスに関わる人々それら周囲の期待。
全て裏切ってしまった様な気がした。
「━━━クッ」
涙は不思議と出ない。
確か一人で泣きたくてここまで来たはずなのだが、
泣き方が分からない。
水から頭を上げ、雫の流れるままにしておくが
そこに塩味は混じらない。
「そこにおったんか、巴!」
不意に後ろから聞き覚えのありすぎる声。
今一番聞きたかったような聞きたくなかったような声。
「……忍足さん……」
何故ここに?と尋ねることもない。
気づいてはいなかったが、きっと今の試合を見に来ていたのだろう。
それで、追ってきてくれたのだ。
「急に走ってコートから出て行くから、
青学の連中も心配しとったで」
それでも青学の人間が追ってこなかったのは、
忍足に遠慮してのことだろう。
なにせライバル校の人間と付き合っていることを巴は隠していない。
その程度で勝負が不利になるほど青学は弱いチームではないからだ。
「……………………私、負けちゃいましたね」
ぽつりと巴は呟く。
「そうやな」
忍足も勝負の世界に生きる人間だ。
下手な慰めや叱咤はかえって相手を押しつぶすことになるのを知っている。
とくに巴は、そんな言葉を欲しがるタイプの人間ではない。
泣き言や甘えごとを吐き出せるタイプでもない。
だから、何も言わず、ただ巴に付き合おうと思った。
今巴がしなければならないのは事実を事実として受け止めて
前を向いて進むことだけだ。
忍足が今できることは、そんな彼女を支えることだけだ。
「ほら、お前びしょびしょやん、風邪ひくで」
試合後の巴が身体を冷やさないようにと追いかけるついでに持ってきたタオルで
忍足は彼女の髪を拭いだす。
巴はされるがままになっている。
髪から水滴を取り払うと、
雫で濡れて冷えはじめた身体も拭き始める。
忍足の持つタオルが容赦なく巴を撫でていくが
それでも拒否せずにじっとしている。
恥ずかしいとか照れとかそんな感情は今はない。
ただ忍足が触れていく場所は火が灯るように暖かくなっていく、
その心地よさに酔っていた。
なんだか試合に負けて凍ってしまった心も解けていくようだ。
すっかり拭き終えると、忍足は巴の背後から抱きしめた。
「ほら、これで少しは暖かくなるやろ」
「…………」
「巴がもうちょっと発散型やったら俺もこないに心配せんのやけど、
なんでも一人でため込むタイプやからなあ。
八つ当たりでも泣き言でも俺に当ててくれればもうちょい楽になれると思うんやけど」
忍足は悩んでいる風にワザと大きく息をつき、
巴に体重を少しかける。
巴はその重みが心地良いとさえ感じた。
「はぁー、俺はそんなに頼りない彼氏なんかなあ」
「そ、そんなことは…………あれ?」
急に巴の頬に熱いものが伝って落ちた。
先ほどまではどんなに辛くても悔しくても出なかった涙が。
どんなに拭っても拭っても堪えようとしても止まらない。
身体が震え始め、とうとう嗚咽混じりになってきた。
「巴…?」
漏れだした嗚咽と彼女の前に回していた手に落ちた涙の雫に忍足も気づいた。そこで、巴の肩を掴んで自分の前に向かせた。
「俺の胸貸したるから、好きなだけ泣いとき。
少しはスッキリするやろ。
俺はいつだってお前のためにいるんやからな」
その言葉にさらに安堵したのか、
涙は本格的に止まらなくなってしまった。
忍足の背中に手を回してしがみつき、顔を胸に埋める。
身体に馴染んだ忍足の匂いがして安心を覚える。
「…っ、うううっ……ああああ…っ」
肩を大きく振るわせて泣く巴の背中をずっと忍足はあやすようになで続ける。
どれほどの時間が経ったのか、
発作のような落涙は徐々に治まってきた。
それと同じくして巴の気持ちも落ち着いてきた。
ずっと抱きしめてくれていた身体となで続けてくれた背中が暖かい。
心も先ほどよりはずっと温かくなった。
これも忍足が居てくれたおかげだろう。
好きな人に支えられて泣くことがこんなに幸せだと思わなかった。
もちろん、負けた悔しさは忘れられるわけもないが、
彼がいつでも支えてくれるというのなら後ろを向かずに歩いて行けそうな気がする。
落ち着いてくると、段々気恥ずかしくなってきた。
思わず、顔を上げてしまう。
「あの、忍足さん…………私」
「別に、今は何も言わんでええのとちゃう?
ほら、まだ涙が乾いてへんで」
そう言って忍足は巴の頬を伝うものを自らの口で拭っていく。
流石に我にかえっているので恥ずかしいことこの上ないが、
またもや忍足のされるがままになる。
調子に乗って自分の身体をまさぐる彼の手も咎めない。
すっかり巴の涙が止まったがそれでも彼の身体にもたれるままでいる。なんといっても好きな人に支えられたままでいるのは心地良い。
「なんだか、恥ずかしいです……
忍足さんにこんな醜態見せてしまって
こんな甘えた私、やっぱり嫌ですよね」
心底恥ずかしそうに巴はそう言った。
負けたのに反省もなく、
彼氏の胸に甘えてしまった事に対しての後悔もある。
いつもは、こんな自分ではないはずなのに。
「そんなこと気にする必要はないんとちゃうか?
自分が浮上する材料になるんなら親でも彼氏でもなんでも利用すればええやんか」
そうだ、彼女が立ち上がることが出来るならなんでも良い。
拗ねてでも甘えてでもなんでもすればいいのだ。
もちろん反省は必要だが、何事も沈んだままでは始まらない。
まず自分の両足で立たなければ何も出来ないのだから。
「俺はいつでも倒れそうになったら支えたる。
支えるものがあるなら転ぶことは考えずに何事も全力で動けるやろ?
俺の迷惑とか、お前は考えそうやけどそんなことは考えんでもええからな?」
とりあえず巴が遠慮しそうな理由は封じておく。
「俺はな、いつも全力で走ってるお前が好きやねんから、
気にせんでええ。
まあ、巴が転んだときにいつでもこういうコトが出来るんやったら、
むしろ役得やんなあ?いつでもオッケーやで?━━━文句は無しな」
そういって、先ほど巴の涙を拭ったもので彼女の口を塞ぐ。
このままずっと、この先も巴が自分の腕の中にいたらどんなに幸せだろうか。
長い長い口づけの間、忍足は考えていた。
巴の中で自分無しでは生きていけないくらいの存在になればいいのに。
今の自分は残念ながら、そこまで彼女に入り込めていない。
なにせJr選抜合宿で出会い、付き合い始めてから未だ数ヶ月だ。
だけれども、これからもっと自分の存在を大きくしてやる。
彼女の好意に甘えて、隙を作って、
その隙間に自分を埋め込んでやる。
自分の中ではすでに巴という存在無しでは夜も明けないぐらいだ。
実際のところ、彼女を支えたいようで、支えられているのは自分だろう。甘えているのはむしろ自分の方なのだろう。
腕の中の自分よりも小さくて柔らかい存在は抱きしめているだけで
自分の居場所に落ち着いたような気がする。
彼女の支えになるという事こそが、
彼に取っての支えになるのだから。
「俺の支えは返品不可や、今やったらもれなく俺の愛情付き。
お買い得やと思わんか?」
「私の気持ちから身体から━━━全てで払いきれますか?」
「もちろんや」
END
ゲームセットの声と共にラケットが手から滑り降りる。
楽に勝てる試合だと思っていた。
いや、決して甘く見ていた訳ではない。
いつも手塚元部長からは「気を抜くな」とか「油断するな」とか
言われていたから、細心の注意をしているつもりでいた。
気の抜けたまま、
試合終了の挨拶を終えフェンスの向こうへと駆け出す。
先輩のお説教や、仲間達の慰めなどいらない。
早く一人になりたかった。
ようやく一人になれそうな場所にやってきた。
とっくに試合の終わったコート裏の水場。
勢いよく蛇口から出した水に頭を突っ込む。
もうすぐ夏だとはいえ未だ水は冷たく感じられる。
先ほどまで頭のてっぺんまで上っていた血がひいていくようだ。
2年目の都大会。
まさか初戦で自分が1戦を落としてしまうとは思わなかった。
試合は団体戦ゆえ、頼もしい仲間達が勝ってくれるだろう。
これが個人戦だったとしたらと思うと背筋が凍る想いだ。
今までの1年が台無しにしてしまったように思う。
テニスの素人から血を吐く想いでJr選抜チームの一員となるぐらいの特訓。
父親、青学テニス部、テニスに関わる人々それら周囲の期待。
全て裏切ってしまった様な気がした。
「━━━クッ」
涙は不思議と出ない。
確か一人で泣きたくてここまで来たはずなのだが、
泣き方が分からない。
水から頭を上げ、雫の流れるままにしておくが
そこに塩味は混じらない。
「そこにおったんか、巴!」
不意に後ろから聞き覚えのありすぎる声。
今一番聞きたかったような聞きたくなかったような声。
「……忍足さん……」
何故ここに?と尋ねることもない。
気づいてはいなかったが、きっと今の試合を見に来ていたのだろう。
それで、追ってきてくれたのだ。
「急に走ってコートから出て行くから、
青学の連中も心配しとったで」
それでも青学の人間が追ってこなかったのは、
忍足に遠慮してのことだろう。
なにせライバル校の人間と付き合っていることを巴は隠していない。
その程度で勝負が不利になるほど青学は弱いチームではないからだ。
「……………………私、負けちゃいましたね」
ぽつりと巴は呟く。
「そうやな」
忍足も勝負の世界に生きる人間だ。
下手な慰めや叱咤はかえって相手を押しつぶすことになるのを知っている。
とくに巴は、そんな言葉を欲しがるタイプの人間ではない。
泣き言や甘えごとを吐き出せるタイプでもない。
だから、何も言わず、ただ巴に付き合おうと思った。
今巴がしなければならないのは事実を事実として受け止めて
前を向いて進むことだけだ。
忍足が今できることは、そんな彼女を支えることだけだ。
「ほら、お前びしょびしょやん、風邪ひくで」
試合後の巴が身体を冷やさないようにと追いかけるついでに持ってきたタオルで
忍足は彼女の髪を拭いだす。
巴はされるがままになっている。
髪から水滴を取り払うと、
雫で濡れて冷えはじめた身体も拭き始める。
忍足の持つタオルが容赦なく巴を撫でていくが
それでも拒否せずにじっとしている。
恥ずかしいとか照れとかそんな感情は今はない。
ただ忍足が触れていく場所は火が灯るように暖かくなっていく、
その心地よさに酔っていた。
なんだか試合に負けて凍ってしまった心も解けていくようだ。
すっかり拭き終えると、忍足は巴の背後から抱きしめた。
「ほら、これで少しは暖かくなるやろ」
「…………」
「巴がもうちょっと発散型やったら俺もこないに心配せんのやけど、
なんでも一人でため込むタイプやからなあ。
八つ当たりでも泣き言でも俺に当ててくれればもうちょい楽になれると思うんやけど」
忍足は悩んでいる風にワザと大きく息をつき、
巴に体重を少しかける。
巴はその重みが心地良いとさえ感じた。
「はぁー、俺はそんなに頼りない彼氏なんかなあ」
「そ、そんなことは…………あれ?」
急に巴の頬に熱いものが伝って落ちた。
先ほどまではどんなに辛くても悔しくても出なかった涙が。
どんなに拭っても拭っても堪えようとしても止まらない。
身体が震え始め、とうとう嗚咽混じりになってきた。
「巴…?」
漏れだした嗚咽と彼女の前に回していた手に落ちた涙の雫に忍足も気づいた。そこで、巴の肩を掴んで自分の前に向かせた。
「俺の胸貸したるから、好きなだけ泣いとき。
少しはスッキリするやろ。
俺はいつだってお前のためにいるんやからな」
その言葉にさらに安堵したのか、
涙は本格的に止まらなくなってしまった。
忍足の背中に手を回してしがみつき、顔を胸に埋める。
身体に馴染んだ忍足の匂いがして安心を覚える。
「…っ、うううっ……ああああ…っ」
肩を大きく振るわせて泣く巴の背中をずっと忍足はあやすようになで続ける。
どれほどの時間が経ったのか、
発作のような落涙は徐々に治まってきた。
それと同じくして巴の気持ちも落ち着いてきた。
ずっと抱きしめてくれていた身体となで続けてくれた背中が暖かい。
心も先ほどよりはずっと温かくなった。
これも忍足が居てくれたおかげだろう。
好きな人に支えられて泣くことがこんなに幸せだと思わなかった。
もちろん、負けた悔しさは忘れられるわけもないが、
彼がいつでも支えてくれるというのなら後ろを向かずに歩いて行けそうな気がする。
落ち着いてくると、段々気恥ずかしくなってきた。
思わず、顔を上げてしまう。
「あの、忍足さん…………私」
「別に、今は何も言わんでええのとちゃう?
ほら、まだ涙が乾いてへんで」
そう言って忍足は巴の頬を伝うものを自らの口で拭っていく。
流石に我にかえっているので恥ずかしいことこの上ないが、
またもや忍足のされるがままになる。
調子に乗って自分の身体をまさぐる彼の手も咎めない。
すっかり巴の涙が止まったがそれでも彼の身体にもたれるままでいる。なんといっても好きな人に支えられたままでいるのは心地良い。
「なんだか、恥ずかしいです……
忍足さんにこんな醜態見せてしまって
こんな甘えた私、やっぱり嫌ですよね」
心底恥ずかしそうに巴はそう言った。
負けたのに反省もなく、
彼氏の胸に甘えてしまった事に対しての後悔もある。
いつもは、こんな自分ではないはずなのに。
「そんなこと気にする必要はないんとちゃうか?
自分が浮上する材料になるんなら親でも彼氏でもなんでも利用すればええやんか」
そうだ、彼女が立ち上がることが出来るならなんでも良い。
拗ねてでも甘えてでもなんでもすればいいのだ。
もちろん反省は必要だが、何事も沈んだままでは始まらない。
まず自分の両足で立たなければ何も出来ないのだから。
「俺はいつでも倒れそうになったら支えたる。
支えるものがあるなら転ぶことは考えずに何事も全力で動けるやろ?
俺の迷惑とか、お前は考えそうやけどそんなことは考えんでもええからな?」
とりあえず巴が遠慮しそうな理由は封じておく。
「俺はな、いつも全力で走ってるお前が好きやねんから、
気にせんでええ。
まあ、巴が転んだときにいつでもこういうコトが出来るんやったら、
むしろ役得やんなあ?いつでもオッケーやで?━━━文句は無しな」
そういって、先ほど巴の涙を拭ったもので彼女の口を塞ぐ。
このままずっと、この先も巴が自分の腕の中にいたらどんなに幸せだろうか。
長い長い口づけの間、忍足は考えていた。
巴の中で自分無しでは生きていけないくらいの存在になればいいのに。
今の自分は残念ながら、そこまで彼女に入り込めていない。
なにせJr選抜合宿で出会い、付き合い始めてから未だ数ヶ月だ。
だけれども、これからもっと自分の存在を大きくしてやる。
彼女の好意に甘えて、隙を作って、
その隙間に自分を埋め込んでやる。
自分の中ではすでに巴という存在無しでは夜も明けないぐらいだ。
実際のところ、彼女を支えたいようで、支えられているのは自分だろう。甘えているのはむしろ自分の方なのだろう。
腕の中の自分よりも小さくて柔らかい存在は抱きしめているだけで
自分の居場所に落ち着いたような気がする。
彼女の支えになるという事こそが、
彼に取っての支えになるのだから。
「俺の支えは返品不可や、今やったらもれなく俺の愛情付き。
お買い得やと思わんか?」
「私の気持ちから身体から━━━全てで払いきれますか?」
「もちろんや」
END
9月25日。
そう言えば、出会ってから1年以上経つんだなあと
秋のからりと晴れ渡った空を見上げつつボンヤリと赤月巴はそう思った。
*プレゼントは何?
と、その時、周囲の大声と共にテニスボールが後頭部に直撃した。
「━━━いたたたたあ」
なによ!と後ろを振り向くと背後には、2年の新部長越前リョーマ。
「ボンヤリしてるなら、グラウンド20周でも走ってきたら?」
巴も2年生になり、夏の大会も乗り越えて桃城ら3年生は引退し部活も新体制になった。
自分が1年生で手塚達元3年生や桃城海堂らと和気藹々と部活していた頃が懐かしい。
いつしか、自分はもう部活を引っ張る立場へとなっていた。
そしてなんだかんだと面倒くさい仕事を押しつけてくる部長や顧問のおかげで
巴は忙しい生活を送っている。
彼女の1日は、まさしく学校と家の往復だけだ。
部活も休むことは出来ないし、部活が早く終わっても雑務などで忙しい。
「まいったなあ…」
律儀にグラウンドを疾走しながら一人呟く。
「今日は彼の誕生日なんだけどなー」
グラウンドを走っていたら部活を終了する時間が遅くなる。
そうなると彼━━━切原赤也に逢う時間が少なくなってしまう。
もしくは逢えなくなってしまう。
今日は、彼の15歳の誕生日だ。
出来れば、いや、絶対にお祝いをしようと張り切っていた。
出会って1年以上は経っているけれど
付き合うようになってからは半年程度なので、この日が初めて祝う彼の誕生日だった。
カノジョとしてはコレは張り切るしかないでしょう!
ただでさえ、普段あまり二人は逢うことが少ない。
東京と神奈川では中学生にとっては遠距離だ。
プチ遠距離恋愛とでも言うべきか。
頑張ってお小遣いを貯めてプレゼントも買った。
朝早く起きてケーキも焼いた。
あとは逢うだけだ。
逢うだけなのに、それが一番難しい。
部活が終わったら電話して、二人の家から中間に当たる駅で逢うことになっているのだが。
「あと5周!がんばるぞ~!!」
ピッチを上げてさらに疾走する。
その巴の姿は陸上選手もかくやあらんといったさまだった。
後日陸上部からスカウトが来たとか来ないとか。
気づいたら日がとっぷりと暮れていた。
今日は頑張って部活を早めに切り上げて、
部の雑務もほどほどに早く学校から出るつもりでいたのだが
結局そうはいかなかった。
校門を出て慌ててケータイを取り出し彼のメモリを呼び出す。
RRRRRRR………
『━━━巴?』
思ったよりも早く出て巴は驚いてしまう。
いつもは、しつこいくらいにコールしないと電話には出ない彼なのだが。
「あっ、切原さん!今、学校出ました。これから…大丈夫ですか?」
自分でもわかっていることだが、想定していた時刻からはかなり遅れている。
切原が怒っているかどうかなど巴には知るよしもないが
自然とおそるおそる…といった話し方になってしまう。
『お前、電話するの遅くね?』
返答する切原のやや棘のある声色で、やはり怒っているらしいと気づく。
もしかしたらへそを曲げてこれから逢えなくなっちゃうかもしれないと思うと
少しドキドキしてしまう。
「ごめんなさい!今日の部活もどうしても抜けられなくて…」
彼を待たせてしまっていたという事実には本当に申し訳なく思っているので
心から謝罪の意を表す。
それを切原も悟ったのか、何も触れずに
『じゃ、約束通りあの駅の改札で逢おうぜ』
素っ気なくそう言って電話を一方的に切った。
そのあまりの素っ気なさに、直接怒りはしなかったものの
あまり機嫌は良くなさそうだなと、巴は冷や冷やした。
そして、慌てて駅へと走り出す。
こうなったら出来れば一本でも早い電車に乗り込みたい。
そうすれば少しでも早く切原を祝うことが出来るかもしれないから。
一言でも多く彼と言葉を交わせるかも知れないから。
ジリジリした気持ちで待ち合わせの駅へと向かう電車へと乗り込む。
待ち合わせの駅に着き、電車の扉が開くと同時にホームを駆け抜け
改札へと猛スピードで向かう。
待ち合わせは二人が放課後に良く待ち合わせをする駅だ。
迷い無く改札へと到着する。
「切原さん!」
既に到着していたらしく人待ち顔で立っていた切原に声をかける。
巴の声に気づくと少し表情を明るくして彼女に向けて手を振る。
「よう━━━お前、どれだけ走ってきたってんだよ」
顔を真っ赤にしながら笑顔で近づいてくる巴にからかうような口調で話しかける。
「えっと、それはその、出来うる限り早く切原さんの所へ行こうと思って…
あと、ほんっとうに遅れちゃってドキドキしちゃって。
全力猛ダッシュで走ってきました!」
「バッカだな。そんなに急がなくったって俺は居なくなったりしねーよ」
「いえ、私が一刻も早く切原さんに会いたかっただけです」
巴は本音をさらりと口に出す。
---
「……っ!」
切原は突然耳に飛び込んできた一言に次の言葉を詰まらせる。
あまりにもストレートすぎる言葉。
巴の本音。
それはどんな凶器よりも危険だ。
まさに殺し文句で。
切原の体温は急上昇し、鼓動はどんどん高まり早まっていった。
「バッ…おま…おまえ何言ってるんだよ!」
悲鳴にも近い声でようやく返事を返す。
巴の本音に返す上手い言葉など出てこない。
ここで、身体を抱き寄せて「俺もだよ」と答えられるのなら苦労しない。
それが出来るなら、それはもはや切原赤也ではない。
テニスに対してならば、いくらでも傍若無人になれるのに
こと恋愛に関して言うなら未熟者以外の何者でもない。
切原は自分のふがいなさに内心歯がみする。
「え?べつに本当のことですけど?」
切原が動揺していることなどつゆ知らず、巴は答える。
巴にしてみれば好きな人に会いたい気持ちなど隠す方がおかしいのだ。
ましてや、お互い気持ちが既に繋がっている間柄なら。
「……」
ついに切原はしゃがみ込んでしまう。
嬉しい。
その気持ちがとてつもなく嬉しくて、照れてしまう。
腰が砕けてしまいそうだった。
「…あんまり、嬉しいこと言ってくれるなよなあ…」
ぼそぼそと呟く。
「そ、そうですか?」
巴はまさかこんな何気ない一言に切原が反応するとは思わなかった。
その素直すぎる反応に巴までドキドキしてきてしまう。
「あー…、俺、ちょっと幸せかも」
切原はしゃがんだまま喋り始める。
「今日は誕生日だし、お前からなにかしらのプレゼントがあるのは
当然だと思ってたけどよ、まさか、
こんな嬉しいことまで言ってくれるとは思ってなかったぜ。
アリガトな、巴」
「え…、でも喜ばせようと思って言った訳じゃないですよ?
普段東京と神奈川でなかなか会えないし、
ついつい本音が出ちゃっただけですから。
でも、それでこんなに切原さんが喜んでくれるんなら
私の方が幸せ者ですね」
満面の笑みで巴はそう答える。
その巴の笑顔を眺めながら切原はふととあることを思いつく。
思いの奥底にあるのはずっとこの笑顔を見ていたいという気持ち。
「そうだ、お前さ、高校は立海受験する気ねえか?
…俺としてはお前と同じ学校にいられるだけで嬉しいんだけどよ。
ま、まあ、お前にも立場って言うものがあるから無理強いはしねえけどさ
少しだけでも考えてみねえ?」
同じ学校なら、ただ誕生日だと言って待ち合わせするだけで
こんなに苦労することはない。
苦労して会うというのも、なかなか良いスパイスではあるものの
一分一秒をムダにしたくない。
一分一秒でも一緒にいたい。
切原はそう思う。
このまま青学にいられると、
青学テニス部の奴らがいつ巴にちょっかいをかけるとも知れないし。
それは今までもこれからも彼の懸念の一つである。
だったら、一緒にいられるようになりたい。
巴が立海の制服を着て自分の隣で笑っていればいい。
素直にそう願う。
「そうですねえ、それも良いかもしれないですね。
あっ、でも、私って立海を受験できるほど頭良くないんですよ!
どうしたら良いですかねえ…勉強頑張るしか…」
あっさり肯定し、未来に向けて頭を悩ませる巴。
細かいことで悩んでいるのが逆に言葉に真剣みを与えている。
「……スポーツ推薦てのがあるだろうよ、でなきゃ俺が立海にいる訳ねーって。
自分で言うのも難だけどよ。
まあ、せいぜい個人戦で良い成績でも取って立海狙え。
多分いまの成績でもちゃんと推薦枠に入れると思うけどよ」
「えー?なんで個人戦なんですか?団体戦じゃダメなんですか」
「お前、自他認めるバカかよ。
団体戦で勝たれるとウチ…立海が困るっつの!
青学には余裕で勝つだろうからそんなこと考えるまでもねえけど」
今の立場は、青学と立海。ライバル校だ。
今年こそ3年の切原が率いる立海が全国優勝を果たす。
常勝立海に敗北は許されない。例え、相手は巴がいる学校でもだ。
切原にとって巴に浮かれていてもそれだけは絶対だ。
巴が立海に進学できるチャンスであっても、それとこれとは別だと思った。
「いーーーえっ!来年も青学が全国はもらうんですーーー!
切原さんには悪いですけど、常勝立海なんてありえませんから!」
巴も強気に切り返す。
敗北なんてあり得ない。負けん気の強さが表情に出る。
そして二人はしばしの間にらみ合う格好になった。
「……」
「……」
「「……っ、はははっ」」
そして笑いあう。
お互いはお互いのこういうところが好きなのだと再確認しながら。
「……ったく、俺はお前のそう言うところが好きなんだったよ。
まったく苦労するよなあ。こういうのが彼女だとさ」
「あっ!何て事言うんですか、苦労なんてさせてませんよ。
現に今日だってこうして切原さんのために……」
♪♪♪~
巴の携帯からタイムリミットを告げるアラームが鳴り響く。
学校の帰りに会おうとすると恐ろしく短い時間になってしまう。
その事を二人して残念に思う。
「……時間だな」
「ハイ、そうですねえ」
寂しくて巴はしょげかえる。
「で、お前さっき言いかけた事ってなんだよ?俺のためにって何?」
「あーっ!そうですよ!
今日は切原さんのためにプレゼントとケーキを持ってきたのに
もう帰る時間になっちゃうなんて…!
ケーキはその辺の公園ででも一緒に食べちゃおうって思ってたのに
結局改札前から一歩も離れられなかったし…」
巴の表情は酷く残念そうで、だが切原の笑いを誘う。
「お前、本当に残念そうだな」
「そりゃそうですよ!切原さんは違うんですか?」
「いや?お前と離れること自体は残念だけどよ、
プレゼントは当然としてお前からイイもんもらったしな」
「イイもん?なんですか、それ」
なにかあげた物あったっけ?と巴は首をかしげる。
「まー、結構イイもんだったよ」
それは巴の気持ちで。
口に出すのは少々恥ずかしいので、答えを濁す。
「もうっなんですか?」
「なんでもイイじゃねえか、ほらほら時間時間。
ケーキは俺一人で有り難くいただくからお前はもう改札に入れよ。
ただでさえ俺は越前家から評判悪いんだからこれ以上下げたくねーよ」
背中を押すようにして改札内へ巴を入れる。
そして改札越しに別れの挨拶を交わす。
「じゃあ、切原さん、またメールしますね!」
「おう、プレゼントとケーキサンキューなイイ誕生日だったぜ!」
そして切原は、帰宅の人混みの中に紛れて電車に乗り込む巴の後ろ姿を見送った。
電車がホームから離れて見えなくなる頃、
切原は手にしていた紙袋を開けた。
「で、結局プレゼントって何なんだ?
あー、あいつの前で開けてやるべきだったよなあ、やっぱり」
切原には居るわけがないのに背中から「未熟者」と叱りつける
テニス部の先輩達の声が聞こえたような気がした。
END
そう言えば、出会ってから1年以上経つんだなあと
秋のからりと晴れ渡った空を見上げつつボンヤリと赤月巴はそう思った。
*プレゼントは何?
と、その時、周囲の大声と共にテニスボールが後頭部に直撃した。
「━━━いたたたたあ」
なによ!と後ろを振り向くと背後には、2年の新部長越前リョーマ。
「ボンヤリしてるなら、グラウンド20周でも走ってきたら?」
巴も2年生になり、夏の大会も乗り越えて桃城ら3年生は引退し部活も新体制になった。
自分が1年生で手塚達元3年生や桃城海堂らと和気藹々と部活していた頃が懐かしい。
いつしか、自分はもう部活を引っ張る立場へとなっていた。
そしてなんだかんだと面倒くさい仕事を押しつけてくる部長や顧問のおかげで
巴は忙しい生活を送っている。
彼女の1日は、まさしく学校と家の往復だけだ。
部活も休むことは出来ないし、部活が早く終わっても雑務などで忙しい。
「まいったなあ…」
律儀にグラウンドを疾走しながら一人呟く。
「今日は彼の誕生日なんだけどなー」
グラウンドを走っていたら部活を終了する時間が遅くなる。
そうなると彼━━━切原赤也に逢う時間が少なくなってしまう。
もしくは逢えなくなってしまう。
今日は、彼の15歳の誕生日だ。
出来れば、いや、絶対にお祝いをしようと張り切っていた。
出会って1年以上は経っているけれど
付き合うようになってからは半年程度なので、この日が初めて祝う彼の誕生日だった。
カノジョとしてはコレは張り切るしかないでしょう!
ただでさえ、普段あまり二人は逢うことが少ない。
東京と神奈川では中学生にとっては遠距離だ。
プチ遠距離恋愛とでも言うべきか。
頑張ってお小遣いを貯めてプレゼントも買った。
朝早く起きてケーキも焼いた。
あとは逢うだけだ。
逢うだけなのに、それが一番難しい。
部活が終わったら電話して、二人の家から中間に当たる駅で逢うことになっているのだが。
「あと5周!がんばるぞ~!!」
ピッチを上げてさらに疾走する。
その巴の姿は陸上選手もかくやあらんといったさまだった。
後日陸上部からスカウトが来たとか来ないとか。
気づいたら日がとっぷりと暮れていた。
今日は頑張って部活を早めに切り上げて、
部の雑務もほどほどに早く学校から出るつもりでいたのだが
結局そうはいかなかった。
校門を出て慌ててケータイを取り出し彼のメモリを呼び出す。
RRRRRRR………
『━━━巴?』
思ったよりも早く出て巴は驚いてしまう。
いつもは、しつこいくらいにコールしないと電話には出ない彼なのだが。
「あっ、切原さん!今、学校出ました。これから…大丈夫ですか?」
自分でもわかっていることだが、想定していた時刻からはかなり遅れている。
切原が怒っているかどうかなど巴には知るよしもないが
自然とおそるおそる…といった話し方になってしまう。
『お前、電話するの遅くね?』
返答する切原のやや棘のある声色で、やはり怒っているらしいと気づく。
もしかしたらへそを曲げてこれから逢えなくなっちゃうかもしれないと思うと
少しドキドキしてしまう。
「ごめんなさい!今日の部活もどうしても抜けられなくて…」
彼を待たせてしまっていたという事実には本当に申し訳なく思っているので
心から謝罪の意を表す。
それを切原も悟ったのか、何も触れずに
『じゃ、約束通りあの駅の改札で逢おうぜ』
素っ気なくそう言って電話を一方的に切った。
そのあまりの素っ気なさに、直接怒りはしなかったものの
あまり機嫌は良くなさそうだなと、巴は冷や冷やした。
そして、慌てて駅へと走り出す。
こうなったら出来れば一本でも早い電車に乗り込みたい。
そうすれば少しでも早く切原を祝うことが出来るかもしれないから。
一言でも多く彼と言葉を交わせるかも知れないから。
ジリジリした気持ちで待ち合わせの駅へと向かう電車へと乗り込む。
待ち合わせの駅に着き、電車の扉が開くと同時にホームを駆け抜け
改札へと猛スピードで向かう。
待ち合わせは二人が放課後に良く待ち合わせをする駅だ。
迷い無く改札へと到着する。
「切原さん!」
既に到着していたらしく人待ち顔で立っていた切原に声をかける。
巴の声に気づくと少し表情を明るくして彼女に向けて手を振る。
「よう━━━お前、どれだけ走ってきたってんだよ」
顔を真っ赤にしながら笑顔で近づいてくる巴にからかうような口調で話しかける。
「えっと、それはその、出来うる限り早く切原さんの所へ行こうと思って…
あと、ほんっとうに遅れちゃってドキドキしちゃって。
全力猛ダッシュで走ってきました!」
「バッカだな。そんなに急がなくったって俺は居なくなったりしねーよ」
「いえ、私が一刻も早く切原さんに会いたかっただけです」
巴は本音をさらりと口に出す。
---
「……っ!」
切原は突然耳に飛び込んできた一言に次の言葉を詰まらせる。
あまりにもストレートすぎる言葉。
巴の本音。
それはどんな凶器よりも危険だ。
まさに殺し文句で。
切原の体温は急上昇し、鼓動はどんどん高まり早まっていった。
「バッ…おま…おまえ何言ってるんだよ!」
悲鳴にも近い声でようやく返事を返す。
巴の本音に返す上手い言葉など出てこない。
ここで、身体を抱き寄せて「俺もだよ」と答えられるのなら苦労しない。
それが出来るなら、それはもはや切原赤也ではない。
テニスに対してならば、いくらでも傍若無人になれるのに
こと恋愛に関して言うなら未熟者以外の何者でもない。
切原は自分のふがいなさに内心歯がみする。
「え?べつに本当のことですけど?」
切原が動揺していることなどつゆ知らず、巴は答える。
巴にしてみれば好きな人に会いたい気持ちなど隠す方がおかしいのだ。
ましてや、お互い気持ちが既に繋がっている間柄なら。
「……」
ついに切原はしゃがみ込んでしまう。
嬉しい。
その気持ちがとてつもなく嬉しくて、照れてしまう。
腰が砕けてしまいそうだった。
「…あんまり、嬉しいこと言ってくれるなよなあ…」
ぼそぼそと呟く。
「そ、そうですか?」
巴はまさかこんな何気ない一言に切原が反応するとは思わなかった。
その素直すぎる反応に巴までドキドキしてきてしまう。
「あー…、俺、ちょっと幸せかも」
切原はしゃがんだまま喋り始める。
「今日は誕生日だし、お前からなにかしらのプレゼントがあるのは
当然だと思ってたけどよ、まさか、
こんな嬉しいことまで言ってくれるとは思ってなかったぜ。
アリガトな、巴」
「え…、でも喜ばせようと思って言った訳じゃないですよ?
普段東京と神奈川でなかなか会えないし、
ついつい本音が出ちゃっただけですから。
でも、それでこんなに切原さんが喜んでくれるんなら
私の方が幸せ者ですね」
満面の笑みで巴はそう答える。
その巴の笑顔を眺めながら切原はふととあることを思いつく。
思いの奥底にあるのはずっとこの笑顔を見ていたいという気持ち。
「そうだ、お前さ、高校は立海受験する気ねえか?
…俺としてはお前と同じ学校にいられるだけで嬉しいんだけどよ。
ま、まあ、お前にも立場って言うものがあるから無理強いはしねえけどさ
少しだけでも考えてみねえ?」
同じ学校なら、ただ誕生日だと言って待ち合わせするだけで
こんなに苦労することはない。
苦労して会うというのも、なかなか良いスパイスではあるものの
一分一秒をムダにしたくない。
一分一秒でも一緒にいたい。
切原はそう思う。
このまま青学にいられると、
青学テニス部の奴らがいつ巴にちょっかいをかけるとも知れないし。
それは今までもこれからも彼の懸念の一つである。
だったら、一緒にいられるようになりたい。
巴が立海の制服を着て自分の隣で笑っていればいい。
素直にそう願う。
「そうですねえ、それも良いかもしれないですね。
あっ、でも、私って立海を受験できるほど頭良くないんですよ!
どうしたら良いですかねえ…勉強頑張るしか…」
あっさり肯定し、未来に向けて頭を悩ませる巴。
細かいことで悩んでいるのが逆に言葉に真剣みを与えている。
「……スポーツ推薦てのがあるだろうよ、でなきゃ俺が立海にいる訳ねーって。
自分で言うのも難だけどよ。
まあ、せいぜい個人戦で良い成績でも取って立海狙え。
多分いまの成績でもちゃんと推薦枠に入れると思うけどよ」
「えー?なんで個人戦なんですか?団体戦じゃダメなんですか」
「お前、自他認めるバカかよ。
団体戦で勝たれるとウチ…立海が困るっつの!
青学には余裕で勝つだろうからそんなこと考えるまでもねえけど」
今の立場は、青学と立海。ライバル校だ。
今年こそ3年の切原が率いる立海が全国優勝を果たす。
常勝立海に敗北は許されない。例え、相手は巴がいる学校でもだ。
切原にとって巴に浮かれていてもそれだけは絶対だ。
巴が立海に進学できるチャンスであっても、それとこれとは別だと思った。
「いーーーえっ!来年も青学が全国はもらうんですーーー!
切原さんには悪いですけど、常勝立海なんてありえませんから!」
巴も強気に切り返す。
敗北なんてあり得ない。負けん気の強さが表情に出る。
そして二人はしばしの間にらみ合う格好になった。
「……」
「……」
「「……っ、はははっ」」
そして笑いあう。
お互いはお互いのこういうところが好きなのだと再確認しながら。
「……ったく、俺はお前のそう言うところが好きなんだったよ。
まったく苦労するよなあ。こういうのが彼女だとさ」
「あっ!何て事言うんですか、苦労なんてさせてませんよ。
現に今日だってこうして切原さんのために……」
♪♪♪~
巴の携帯からタイムリミットを告げるアラームが鳴り響く。
学校の帰りに会おうとすると恐ろしく短い時間になってしまう。
その事を二人して残念に思う。
「……時間だな」
「ハイ、そうですねえ」
寂しくて巴はしょげかえる。
「で、お前さっき言いかけた事ってなんだよ?俺のためにって何?」
「あーっ!そうですよ!
今日は切原さんのためにプレゼントとケーキを持ってきたのに
もう帰る時間になっちゃうなんて…!
ケーキはその辺の公園ででも一緒に食べちゃおうって思ってたのに
結局改札前から一歩も離れられなかったし…」
巴の表情は酷く残念そうで、だが切原の笑いを誘う。
「お前、本当に残念そうだな」
「そりゃそうですよ!切原さんは違うんですか?」
「いや?お前と離れること自体は残念だけどよ、
プレゼントは当然としてお前からイイもんもらったしな」
「イイもん?なんですか、それ」
なにかあげた物あったっけ?と巴は首をかしげる。
「まー、結構イイもんだったよ」
それは巴の気持ちで。
口に出すのは少々恥ずかしいので、答えを濁す。
「もうっなんですか?」
「なんでもイイじゃねえか、ほらほら時間時間。
ケーキは俺一人で有り難くいただくからお前はもう改札に入れよ。
ただでさえ俺は越前家から評判悪いんだからこれ以上下げたくねーよ」
背中を押すようにして改札内へ巴を入れる。
そして改札越しに別れの挨拶を交わす。
「じゃあ、切原さん、またメールしますね!」
「おう、プレゼントとケーキサンキューなイイ誕生日だったぜ!」
そして切原は、帰宅の人混みの中に紛れて電車に乗り込む巴の後ろ姿を見送った。
電車がホームから離れて見えなくなる頃、
切原は手にしていた紙袋を開けた。
「で、結局プレゼントって何なんだ?
あー、あいつの前で開けてやるべきだったよなあ、やっぱり」
切原には居るわけがないのに背中から「未熟者」と叱りつける
テニス部の先輩達の声が聞こえたような気がした。
END
プロフィール
HN:
ななせなな
性別:
非公開
カテゴリー
最新記事
(01/01)
(05/24)
(05/03)
(05/03)
(02/14)
忍者カウンター
P R