例えば、俺様があいつのことを「好きだ」と言ったらどんな顔をするだろう?
容易に想像できること━━━大きな目をこぼれんばかりに見開いて驚く姿、そんな彼女を思い描きながらそばにあったソファに深く身を沈めて笑う。
もっとも、そんなことを彼女に告げるにはまだ早すぎる。
物事なんていうものは全てタイミングで決まる。
いまはまだその時ではないと彼は思っている。
彼女をもっとテニスに集中させるべきだ。
これからの長いテニス人生を考えれば。
けれども、やはり彼女に逢いたいときだってある。
こんな静かな夜は。
幸か不幸か明日は休日。
どうやって彼女を誘い出すか。
単純なようでいて難しい問題だ。
きっと彼女も自分が来いと言えばついてくるだろう。
しかしそれは、いまの自分と樺地の関係と何ら変わりない。
命令じゃなくて、誘わなければならない。
あまり慣れていないことは完璧なはずの自分でも容易ではない。
RRRR……
華やかなオルゴールの音色がサイドテーブルの携帯からあふれ出した。
たったひとりのために設定した曲だった。
少し緊張した面持ちで画面を見る。
『明日また一緒に練習しませんか?』
何の飾りっ気もそれどころか女らしさの欠片もない文字列がそこにはあった。
けれども笑みが浮かぶのは何故だろう?
「…チッ、先を越されちまったな」
簡潔な言葉に対してこちらも簡潔に応える。
自分の文章力を持ってすればどんな言葉だって彼女に伝えられるだろう。
けれども迂闊にも長い文章で彼女に気持ちが伝わってしまったら?
自分の口から紡いだ言葉ではなくてこんな無機質なモノから。
「いつかちゃんと俺様から言わねえとな」
結局ディスプレイに打ち込まれたのはこれ以上短くしようのないものだった。
自分の気持ちがこぼれようのない程に。
『いつものところで』
END
容易に想像できること━━━大きな目をこぼれんばかりに見開いて驚く姿、そんな彼女を思い描きながらそばにあったソファに深く身を沈めて笑う。
もっとも、そんなことを彼女に告げるにはまだ早すぎる。
物事なんていうものは全てタイミングで決まる。
いまはまだその時ではないと彼は思っている。
彼女をもっとテニスに集中させるべきだ。
これからの長いテニス人生を考えれば。
けれども、やはり彼女に逢いたいときだってある。
こんな静かな夜は。
幸か不幸か明日は休日。
どうやって彼女を誘い出すか。
単純なようでいて難しい問題だ。
きっと彼女も自分が来いと言えばついてくるだろう。
しかしそれは、いまの自分と樺地の関係と何ら変わりない。
命令じゃなくて、誘わなければならない。
あまり慣れていないことは完璧なはずの自分でも容易ではない。
RRRR……
華やかなオルゴールの音色がサイドテーブルの携帯からあふれ出した。
たったひとりのために設定した曲だった。
少し緊張した面持ちで画面を見る。
『明日また一緒に練習しませんか?』
何の飾りっ気もそれどころか女らしさの欠片もない文字列がそこにはあった。
けれども笑みが浮かぶのは何故だろう?
「…チッ、先を越されちまったな」
簡潔な言葉に対してこちらも簡潔に応える。
自分の文章力を持ってすればどんな言葉だって彼女に伝えられるだろう。
けれども迂闊にも長い文章で彼女に気持ちが伝わってしまったら?
自分の口から紡いだ言葉ではなくてこんな無機質なモノから。
「いつかちゃんと俺様から言わねえとな」
結局ディスプレイに打ち込まれたのはこれ以上短くしようのないものだった。
自分の気持ちがこぼれようのない程に。
『いつものところで』
END
好きってどこから来てるんだろう。
記憶の中で鮮やかに映し出される姿にすらドキドキしてしまう。
照れくさくなってめーたんを胸に抱き布団にダイブする。
「すき…です━━━……さん」
布団に顔を埋めて本当にかすかな声で呟いてみる。
いっそ彼の人に告げてしまえば楽になるだろうか。
でも、テニス仲間の自分からそんなことを言われては
きっと彼は戸惑ってしまうだろう。
ああ見えて優しい人だから答えに困ってしまうだろう。
彼の柔らかい声、案外がっしりした身体、ラケットを握る大きな手。
たまに意地悪なところも、ふと見せる優しさも自分にとってはかけがえのない。
いまそれを失うことなんて考えられない。
生きるか死ぬか、そんな選択は出来そうにない。
出来るのはただのテニス仲間の顔をしてそばに近寄るだけだ。
枕元の携帯電話に片手を伸ばす。
『明日また一緒に練習しませんか?』
ただ一緒にいたいだけなのに、また自分の心を偽ったメールを送信する。
純粋にテニスに明け暮れる彼はOKの答えを返してくれるだろう。
それは、分かっている。
だからこそ罪悪感が胸を占める。
狡い女になればこんな気持ちも抱かないだろうに。
初めて人を好きになった自分はまだまだそこまで及ばない。
自覚はある。
RRRR……
いつか彼が好きだと言った曲が携帯から流れ出す。
1分とかからなかった返事に慌てて画面を開いて確かめる。
『いつものところで』
あまりにも簡潔な答え。
けれどもいま欲しかった答え。
嬉しさにぎゅっとめーたんを抱き直して目を閉じる。
願わくば、今夜の夢は彼の夢でありますように。
久し振りに彼に会って挙動不審にならないようにせめて
夢の中で予行練習をさせて欲しい。
「よろしくね、めーたん」
END
記憶の中で鮮やかに映し出される姿にすらドキドキしてしまう。
照れくさくなってめーたんを胸に抱き布団にダイブする。
「すき…です━━━……さん」
布団に顔を埋めて本当にかすかな声で呟いてみる。
いっそ彼の人に告げてしまえば楽になるだろうか。
でも、テニス仲間の自分からそんなことを言われては
きっと彼は戸惑ってしまうだろう。
ああ見えて優しい人だから答えに困ってしまうだろう。
彼の柔らかい声、案外がっしりした身体、ラケットを握る大きな手。
たまに意地悪なところも、ふと見せる優しさも自分にとってはかけがえのない。
いまそれを失うことなんて考えられない。
生きるか死ぬか、そんな選択は出来そうにない。
出来るのはただのテニス仲間の顔をしてそばに近寄るだけだ。
枕元の携帯電話に片手を伸ばす。
『明日また一緒に練習しませんか?』
ただ一緒にいたいだけなのに、また自分の心を偽ったメールを送信する。
純粋にテニスに明け暮れる彼はOKの答えを返してくれるだろう。
それは、分かっている。
だからこそ罪悪感が胸を占める。
狡い女になればこんな気持ちも抱かないだろうに。
初めて人を好きになった自分はまだまだそこまで及ばない。
自覚はある。
RRRR……
いつか彼が好きだと言った曲が携帯から流れ出す。
1分とかからなかった返事に慌てて画面を開いて確かめる。
『いつものところで』
あまりにも簡潔な答え。
けれどもいま欲しかった答え。
嬉しさにぎゅっとめーたんを抱き直して目を閉じる。
願わくば、今夜の夢は彼の夢でありますように。
久し振りに彼に会って挙動不審にならないようにせめて
夢の中で予行練習をさせて欲しい。
「よろしくね、めーたん」
END
『30分以内にストリートテニスコートに来い。
時間を過ぎると俺は帰るからな』
23時25分。
女子中学生が待ちを歩くには遅い時間でありながらも
跡部景吾は赤月巴に外出を命じた。
巴に反論を許さないまま電話は一方的に切られてしまった。
相変わらずの跡部の俺様ぶりには巴も既に諦めに境地にたどり着いており、仕方ないなと慌ててパジャマからその辺に脱ぎ捨ててあったジャージに着替えてこれからマラソンでもしてくるといった装いで階段を静かに下りる。
なにせ、時間が時間だ。
いくらかかと落としの得意な巴といえども、大人達に見つかっては容易に外出を許してはもらえない。
夜中に何かあってはいけないし、とくに預かり者の子供ならばなおさら大事にされるのは当然だ。
倫子や菜々子は当然のこととして、いくら普段いい加減さが漂う南次郎といえども許してもらえないだろう。
あくまで(巴視点で)ひっそりこっそりと玄関まで向かう。
「……ねえ?なにやってんの?」
驚きに飛び上がるという表現は今使うべきかも知れないと思いつつ、巴は反射的に振り返った。
そこにはカルピンを抱えたリョーマが立っていた。
「何だ、リョーマ君か…おっどろいた…」
「こんな時間なのにどこか行くんでしょ?親父達に見つかると厄介なのにどこ行くの?」
不審そうな目でリョーマが巴の出で立ちを見る。
「あ…あのマラソンがてら、肉まんでも買ってこようかなーって、ね、ははは」
我ながら怪しい答えだと思いつつ巴は答える。
聡いリョーマがこんな無理矢理な答えに納得はしないだろう。
「ふーん…まあいいや、今日は遅くまで起きてるつもりだから
肉まん俺の分も買ってきておいてよ」
何か言われると巴も覚悟してはいたが、
リョーマはニヤッと笑いながら肉まんを要求するのみだった。
少し肩すかしのような気持ちを味わいながらも巴は素直に頷いた。
「じゃあ、高級な肉まんによろしくいっといて」
玄関を指さし巴を促す。
もはや何のために外に出るのかバレバレのようであったが
それについて何も言わないリョーマに感謝しつつこっそり外へ出た。
12月の夜の寒さを吹き飛ばそうと本気で走ってきた巴は、
思ったより早く目的地にたどり着いた。
視線の先━━━コート内でひときわ明るいライトの下に跡部は立って待っていた。
「やっと来たか」
「やっとって…ヒドイですよ!これでも走ってきたんですから」
それは巴が吐き出す乱れた白い息が証明している。
「分かってる、しかしお前の走る1分は俺がお前を待つ10分に相当するんだぜ?
知ってんだろ……俺がお前をどれだけ待ち遠しく思ってるかを、な」
いきなり、そんなことを言われてついつい巴は狼狽する。
巴の動揺を楽しむために思わせぶりな言葉を告げる跡部は意地悪だと
顔を真っ赤にして巴は頬をふくらませる。
今年バレンタインにチョコレートを渡して、やっと巴の跡部に対する思いに気付いた跡部がどれぐらい彼女に真実を告げているのかは謎だ。
巴を使って遊んでいるのか、それとも本気なのか━━━巴には分からない。
「……なあ、巴、ちょっとしたゲームでもやろうぜ」
「は?」
何を突然言い出すのかと呆気にとられていると、ラケットを手渡された。
巴のラケットよりもはるかに重みのあるラケットだった。
それはいつも跡部が使用しているラケットだということにはすぐに気付いた。
「え?これからテニスやるんですか?」
我ながら的はずれなことを訊いているなと思いながらもそう尋ねる。
「お前、ラケット持って他に何やろうってんだよ。
今から10分以内にお前が俺から1ポイントでも取ればお前の勝ちだ、褒美をやろう」
跡部はそう言って巴にボールも渡し、さっさとコートに入る。
とっとと打てというように巴に視線を投げかける。
その眼光の鋭さに、巴も慌ててコートに入ってトスを上げる。
巴はいつもより右腕が重く、少々怠さを感じていた。
跡部のラケットを使っているのだ、自分のラケットより使いづらいのは当然だ。
しかし男女の性差、そして自分と跡部の実力の差について思い知らされる。
このラケットを軽々と振るい、使いこなすことが出来れば、今よりももっと高みを目指せるのだろうか?
そんなことを考えながら、跡部の容赦ない打球を追いかける。
追いつけない。
こんなコトを考えながらボールを追いかける今の自分には跡部どころか、追いつこうとする対象すら見えてこない。
ギリっと唇をかみしめる。
鋭い打球は跳ねてコートの外へ遠くへ転がっていく。
呼吸すら乱していない跡部を一瞬振り返りながらボールを拾いに追いかける。
悔しい。
もっと強くなりたい。
誰よりも、跡部よりも高みに上りつめたいと切に願う。
やっとの事でボールを拾い、また再びサーブ位置へと戻ろうとする。
「あと2分だ。何やってるんだ、この俺様がこれでも手加減してるんだぜ?」
跡部が非常な言葉を投げかける。
巴は今の自分の実力を思い知らされる。
相手が跡部とはいえども、手加減されてこのザマだ。
テニス馬鹿といってもいいくらいテニスには真摯な姿勢を見せる跡部が、妥協して自分にハンデをつけてくれているのだ。
それでも追いつけない自分に呆れてしまう。
笑いたくないのに、笑うところではないのに自然と笑えてくる。
半ばヤケになりながら何度上げたか分からないトスを再び上げる。
そこからは記憶は途切れていた。
気がつけば右腕が気だるげに垂れ下がり、ラケットを手放している。
いつの間にかコートの中に座り込んで、ひたすら呼吸を整うのを待っていた。
12月の空気は冷たく、巴からは白い息がしきりに吐き出されていた。
「やるじゃねえか、巴」
いつの間にか跡部は巴の前に立ち、彼女を見下ろしていた。
座り込む巴の前に大きな包みを差し出した。
巴はそれが何を意味するか分からず、しげしげと見つめる。
「褒美だ、貰っておけ━━━まあ、クリスマスプレゼントってやつだな」
普通クリスマスプレゼントって貰うためにこんなに苦労するものなのだろうかと巴は思ったが、口に出したところで跡部の機嫌を損ねるだけでなんの利益もないので黙っていることにした。
それよりも、跡部が言い出すまで今日がクリスマスだということを失念していた。
テニスや冬休みの宿題、年末年始の行事で頭がいっぱいで気付かなかった。
青学テニス部でのパーティーは先日前倒しで行っていたし。
昨日はリョーマの誕生日でクリスマスイブとかそんなこと関係なく越前家はにぎわっていた。
それもあってすっかり忘れてしまっていたのだ。
世間で言うところのクリスマストやらを。
どおりで今日はリョーマもすんなり家から出してくれた筈だ。
巴がクリスマスを忘れているという事実もきっと気付いていたのだろう。
彼もちょっとはいいところがあるなと、内心感謝する。
それを巴が口に出すことは一生なさそうではあるのだが。
「あ、ありがとうございます。っていうか、今日クリスマスだったんですね!」
ついつい、失念していた事実を相手に打ち明けてしまう。
跡部は「そんなことだとは思ったが…」と小さく呟き頭を抱える。
「何のために日付が変わる前にお前を呼び出したと思ってたんだ。
まあ、今日までお前から何のリアクションもないからそんな事だとは思ったが…。
俺にしても跡部家関連で色々忙しかったからな、お前と一緒にクリスマスをどうのこうのという訳にはいかなかったからお互い様だな」
先ほどのゲームでは疲れを一切見せなかった跡部がやや疲労の色を見せる。
巴と一緒にいるとムダに体力を使うのは何故なんだと内心悩む。
それが恋に振り回されていうことだという事には一切気付かない。
これから先も、多分。
原因はともかく巴に関することで疲労するのは己にとって心地いいことだから。
非常に馬鹿げているけれども、何故かそれもいいと思ってしまう。
「あっ…!」
ふと巴はあることに気付いてしまい、おそるおそる跡部を見上げる。
「なんだ、巴?まだ何か忘れてたのか?」
「そうですよ!だから、私まだ跡部さんにプレゼントを用意してないんですけど…!」
半ば悲鳴のように巴は声を上げる。
跡部は相変わらず面白いヤツだというような視線で巴を眺める。
「ハナっから、俺はお前にプレゼントなんて期待してねえよ。
金で買えるものなら欲しいものなんてねえしな」
「そりゃあ分かってますけど、私の気持ちってものが」
必死にすがりつくような目で跡部を見上げる巴は子犬のようで
ついつい跡部は吹き出してしまう。
「っくく…気持ちなら貰ってるからかまわねえよ」
「はい?」
ゲームの残り時間、あと2分。
自分が言葉を投げかけたあとの巴の変化。
それまであった雑念は全て消え、意識は跡部だけに向けられていた。
普段は雑然としたちっぽけなストリートテニスコート、
しかしこの時間は跡部と巴、完全に二人だけの世界だった。
手塚戦の時のような高揚感はないけれども、
これが自分のいる場所だと確信した。
それだけで充分。
これだけはどんな金額を支払おうとも手に入らないものだ。
だから、それで充分だと跡部は思った。
「そうだな━━━今年の分も含め来年にでも期待しておくさ、心してかかれよ」
さっさと包みを開けてみろと無言で促す跡部に従って巴は包装を解いた。
そこにあったのは、何の変哲もないラケットバッグ。
もちろん跡部から贈り物らしくスタイリッシュではあったが値段もごく一般的なもののようで
べつに高級品を期待していたわけではない巴だったがそれでも些か驚いて跡部を見る。
「なんだ?普通のバッグだと言いたげだな。そうだと思ったけどよ。
俺様だって実用的なものを使ってるだろうが」
自らのバッグを指さす跡部に、そういえばそうだと巴も得心がいく。
それにこのラケットが数本入るバッグは跡部と同じメーカーのもののようで、ペアバッグではないものの嬉しい。
おもわず、にへらと笑みを浮かべる。
「ありがとうございます!跡部さん、気にしてないように見えて私のラケットバッグが死亡寸前なのに気付いていたんですねえ、大事に使います!」
にこにこにこにことひたすら笑顔でお礼の言葉を伝える。
ヴィトンのラケットバッグを貰ったって金のラケットを貰ったってここまで嬉しいと思わないだろう。
跡部が自分がちゃんと使えるもの、つまりは自分を想って贈ってくれた。
これ以上嬉しいことはない、天にも昇る気持ちでいた。
思わずラケットバッグをぎゅっと抱きしめる。
「……それぐらい熱烈に俺様に抱きついたって一向に構わないんだがな……」
巴のあり得ないくらいの喜びように半ば呆れつつ、
そして巴の胸の中のバッグを羨みつつ思わず呟いた。
「何か言いました?」
「い、いや。それはともかく、もう遅いしクリスマスは終わったんだ。
お前はもう帰れ、車で送っていくからよ」
巴が抱きしめていたバッグをひょいと取り上げて、一人すたすたとコート出口へと跡部は歩いていく。
それを巴はあわてて追いかける。
「あー、構いませんよ!私、走って帰りますから!」
跡部の背中を掴み、歩みをとめようとする。
しかし、それには構わず跡部は歩き続ける。
「バカ言うな!お前だって世間から見れば立派な女子だろうが」
「ここまでこいって言ったの跡部さんじゃないですか、行きは一人でしたよ」
巴の思わぬ、しかしもっともな反論に足を止めそうになるがかろうじて堪える。
たしかに越前家からここはそう大した距離ではない。
しかし、それでも家に着くまででも巴と一緒にいるのは楽しいことだと思ったのだ。
とにかくそう思ってしまったからには跡部の主張は譲れない。
行きはどうあれ、巴を送って帰るのが自分にはベストの選択なのだ。
「それに、リョーマ君に肉まん買っていくって約束したからコンビニに寄るんです」
ピタ、と跡部の足が止まる。
「越前に、肉まん?」
「はい、せっかく家から出してくれたことだし、私のおごりでいいかなって」
リョーマという単語を聞いて跡部の表情は壮絶な笑みを浮かべた。
巴の背筋は思わず凍った。
「いいじゃねえか、せっかくだから俺が奢ってやろう」
跡部の脳裏には、いや巴の脳裏にも、リョーマの嫌そうな表情が浮かぶ。
夏の全国大会以来跡部にとっての越前リョーマは天敵以外の何者でもない。
彼に刈られた毛髪もすっかり生えそろったが傷ついたプライドが回復するにはまだ早すぎた。
リョーマも跡部を毛嫌いしている。
巴がつきあっているということもあるのだろう、拒否反応と来たらもの凄い。
跡部のお金で買った肉まん一つで些細な嫌がらせの一つも出来るのなら
ちょっとした楽しみになる。
「ま、せいぜい俺様のクリスマスプレゼントでも味わうんだな」
楽しそうに笑いながら再び歩き出す跡部を巴はもう止められなかった。
クリスマスは正確にはもう数分前に終わってしまったけれども、
とんでもないクリスマスになってしまったと少し気が重くなった。
来年からは、クリスマスといえど家から出してもらえないだろうな。
来年のクリスマスは夜中に抜け出すことがないように跡部にお願いしなければ、
そして肉まんを前に機嫌を悪くするだろうリョーマをどうなだめようかと
この先のことを色々考えながら跡部の後ろをピッタリくっついてコンビニに向かう。
「ほら、手ェだせ」
返事をするまもなく、巴は跡部に右手を掴まれる。
ま、いいか。
来年のことは来年に、リョーマのことは家の中に入ってから考えればいいやと懸念事項を放り投げ、跡部の手のぬくもりに今は酔いしれることに決めた。
「跡部さん」
「なんだ?」
「メリークリスマスです」
「…………遅えよ」
END
時間を過ぎると俺は帰るからな』
23時25分。
女子中学生が待ちを歩くには遅い時間でありながらも
跡部景吾は赤月巴に外出を命じた。
巴に反論を許さないまま電話は一方的に切られてしまった。
相変わらずの跡部の俺様ぶりには巴も既に諦めに境地にたどり着いており、仕方ないなと慌ててパジャマからその辺に脱ぎ捨ててあったジャージに着替えてこれからマラソンでもしてくるといった装いで階段を静かに下りる。
なにせ、時間が時間だ。
いくらかかと落としの得意な巴といえども、大人達に見つかっては容易に外出を許してはもらえない。
夜中に何かあってはいけないし、とくに預かり者の子供ならばなおさら大事にされるのは当然だ。
倫子や菜々子は当然のこととして、いくら普段いい加減さが漂う南次郎といえども許してもらえないだろう。
あくまで(巴視点で)ひっそりこっそりと玄関まで向かう。
「……ねえ?なにやってんの?」
驚きに飛び上がるという表現は今使うべきかも知れないと思いつつ、巴は反射的に振り返った。
そこにはカルピンを抱えたリョーマが立っていた。
「何だ、リョーマ君か…おっどろいた…」
「こんな時間なのにどこか行くんでしょ?親父達に見つかると厄介なのにどこ行くの?」
不審そうな目でリョーマが巴の出で立ちを見る。
「あ…あのマラソンがてら、肉まんでも買ってこようかなーって、ね、ははは」
我ながら怪しい答えだと思いつつ巴は答える。
聡いリョーマがこんな無理矢理な答えに納得はしないだろう。
「ふーん…まあいいや、今日は遅くまで起きてるつもりだから
肉まん俺の分も買ってきておいてよ」
何か言われると巴も覚悟してはいたが、
リョーマはニヤッと笑いながら肉まんを要求するのみだった。
少し肩すかしのような気持ちを味わいながらも巴は素直に頷いた。
「じゃあ、高級な肉まんによろしくいっといて」
玄関を指さし巴を促す。
もはや何のために外に出るのかバレバレのようであったが
それについて何も言わないリョーマに感謝しつつこっそり外へ出た。
12月の夜の寒さを吹き飛ばそうと本気で走ってきた巴は、
思ったより早く目的地にたどり着いた。
視線の先━━━コート内でひときわ明るいライトの下に跡部は立って待っていた。
「やっと来たか」
「やっとって…ヒドイですよ!これでも走ってきたんですから」
それは巴が吐き出す乱れた白い息が証明している。
「分かってる、しかしお前の走る1分は俺がお前を待つ10分に相当するんだぜ?
知ってんだろ……俺がお前をどれだけ待ち遠しく思ってるかを、な」
いきなり、そんなことを言われてついつい巴は狼狽する。
巴の動揺を楽しむために思わせぶりな言葉を告げる跡部は意地悪だと
顔を真っ赤にして巴は頬をふくらませる。
今年バレンタインにチョコレートを渡して、やっと巴の跡部に対する思いに気付いた跡部がどれぐらい彼女に真実を告げているのかは謎だ。
巴を使って遊んでいるのか、それとも本気なのか━━━巴には分からない。
「……なあ、巴、ちょっとしたゲームでもやろうぜ」
「は?」
何を突然言い出すのかと呆気にとられていると、ラケットを手渡された。
巴のラケットよりもはるかに重みのあるラケットだった。
それはいつも跡部が使用しているラケットだということにはすぐに気付いた。
「え?これからテニスやるんですか?」
我ながら的はずれなことを訊いているなと思いながらもそう尋ねる。
「お前、ラケット持って他に何やろうってんだよ。
今から10分以内にお前が俺から1ポイントでも取ればお前の勝ちだ、褒美をやろう」
跡部はそう言って巴にボールも渡し、さっさとコートに入る。
とっとと打てというように巴に視線を投げかける。
その眼光の鋭さに、巴も慌ててコートに入ってトスを上げる。
巴はいつもより右腕が重く、少々怠さを感じていた。
跡部のラケットを使っているのだ、自分のラケットより使いづらいのは当然だ。
しかし男女の性差、そして自分と跡部の実力の差について思い知らされる。
このラケットを軽々と振るい、使いこなすことが出来れば、今よりももっと高みを目指せるのだろうか?
そんなことを考えながら、跡部の容赦ない打球を追いかける。
追いつけない。
こんなコトを考えながらボールを追いかける今の自分には跡部どころか、追いつこうとする対象すら見えてこない。
ギリっと唇をかみしめる。
鋭い打球は跳ねてコートの外へ遠くへ転がっていく。
呼吸すら乱していない跡部を一瞬振り返りながらボールを拾いに追いかける。
悔しい。
もっと強くなりたい。
誰よりも、跡部よりも高みに上りつめたいと切に願う。
やっとの事でボールを拾い、また再びサーブ位置へと戻ろうとする。
「あと2分だ。何やってるんだ、この俺様がこれでも手加減してるんだぜ?」
跡部が非常な言葉を投げかける。
巴は今の自分の実力を思い知らされる。
相手が跡部とはいえども、手加減されてこのザマだ。
テニス馬鹿といってもいいくらいテニスには真摯な姿勢を見せる跡部が、妥協して自分にハンデをつけてくれているのだ。
それでも追いつけない自分に呆れてしまう。
笑いたくないのに、笑うところではないのに自然と笑えてくる。
半ばヤケになりながら何度上げたか分からないトスを再び上げる。
そこからは記憶は途切れていた。
気がつけば右腕が気だるげに垂れ下がり、ラケットを手放している。
いつの間にかコートの中に座り込んで、ひたすら呼吸を整うのを待っていた。
12月の空気は冷たく、巴からは白い息がしきりに吐き出されていた。
「やるじゃねえか、巴」
いつの間にか跡部は巴の前に立ち、彼女を見下ろしていた。
座り込む巴の前に大きな包みを差し出した。
巴はそれが何を意味するか分からず、しげしげと見つめる。
「褒美だ、貰っておけ━━━まあ、クリスマスプレゼントってやつだな」
普通クリスマスプレゼントって貰うためにこんなに苦労するものなのだろうかと巴は思ったが、口に出したところで跡部の機嫌を損ねるだけでなんの利益もないので黙っていることにした。
それよりも、跡部が言い出すまで今日がクリスマスだということを失念していた。
テニスや冬休みの宿題、年末年始の行事で頭がいっぱいで気付かなかった。
青学テニス部でのパーティーは先日前倒しで行っていたし。
昨日はリョーマの誕生日でクリスマスイブとかそんなこと関係なく越前家はにぎわっていた。
それもあってすっかり忘れてしまっていたのだ。
世間で言うところのクリスマストやらを。
どおりで今日はリョーマもすんなり家から出してくれた筈だ。
巴がクリスマスを忘れているという事実もきっと気付いていたのだろう。
彼もちょっとはいいところがあるなと、内心感謝する。
それを巴が口に出すことは一生なさそうではあるのだが。
「あ、ありがとうございます。っていうか、今日クリスマスだったんですね!」
ついつい、失念していた事実を相手に打ち明けてしまう。
跡部は「そんなことだとは思ったが…」と小さく呟き頭を抱える。
「何のために日付が変わる前にお前を呼び出したと思ってたんだ。
まあ、今日までお前から何のリアクションもないからそんな事だとは思ったが…。
俺にしても跡部家関連で色々忙しかったからな、お前と一緒にクリスマスをどうのこうのという訳にはいかなかったからお互い様だな」
先ほどのゲームでは疲れを一切見せなかった跡部がやや疲労の色を見せる。
巴と一緒にいるとムダに体力を使うのは何故なんだと内心悩む。
それが恋に振り回されていうことだという事には一切気付かない。
これから先も、多分。
原因はともかく巴に関することで疲労するのは己にとって心地いいことだから。
非常に馬鹿げているけれども、何故かそれもいいと思ってしまう。
「あっ…!」
ふと巴はあることに気付いてしまい、おそるおそる跡部を見上げる。
「なんだ、巴?まだ何か忘れてたのか?」
「そうですよ!だから、私まだ跡部さんにプレゼントを用意してないんですけど…!」
半ば悲鳴のように巴は声を上げる。
跡部は相変わらず面白いヤツだというような視線で巴を眺める。
「ハナっから、俺はお前にプレゼントなんて期待してねえよ。
金で買えるものなら欲しいものなんてねえしな」
「そりゃあ分かってますけど、私の気持ちってものが」
必死にすがりつくような目で跡部を見上げる巴は子犬のようで
ついつい跡部は吹き出してしまう。
「っくく…気持ちなら貰ってるからかまわねえよ」
「はい?」
ゲームの残り時間、あと2分。
自分が言葉を投げかけたあとの巴の変化。
それまであった雑念は全て消え、意識は跡部だけに向けられていた。
普段は雑然としたちっぽけなストリートテニスコート、
しかしこの時間は跡部と巴、完全に二人だけの世界だった。
手塚戦の時のような高揚感はないけれども、
これが自分のいる場所だと確信した。
それだけで充分。
これだけはどんな金額を支払おうとも手に入らないものだ。
だから、それで充分だと跡部は思った。
「そうだな━━━今年の分も含め来年にでも期待しておくさ、心してかかれよ」
さっさと包みを開けてみろと無言で促す跡部に従って巴は包装を解いた。
そこにあったのは、何の変哲もないラケットバッグ。
もちろん跡部から贈り物らしくスタイリッシュではあったが値段もごく一般的なもののようで
べつに高級品を期待していたわけではない巴だったがそれでも些か驚いて跡部を見る。
「なんだ?普通のバッグだと言いたげだな。そうだと思ったけどよ。
俺様だって実用的なものを使ってるだろうが」
自らのバッグを指さす跡部に、そういえばそうだと巴も得心がいく。
それにこのラケットが数本入るバッグは跡部と同じメーカーのもののようで、ペアバッグではないものの嬉しい。
おもわず、にへらと笑みを浮かべる。
「ありがとうございます!跡部さん、気にしてないように見えて私のラケットバッグが死亡寸前なのに気付いていたんですねえ、大事に使います!」
にこにこにこにことひたすら笑顔でお礼の言葉を伝える。
ヴィトンのラケットバッグを貰ったって金のラケットを貰ったってここまで嬉しいと思わないだろう。
跡部が自分がちゃんと使えるもの、つまりは自分を想って贈ってくれた。
これ以上嬉しいことはない、天にも昇る気持ちでいた。
思わずラケットバッグをぎゅっと抱きしめる。
「……それぐらい熱烈に俺様に抱きついたって一向に構わないんだがな……」
巴のあり得ないくらいの喜びように半ば呆れつつ、
そして巴の胸の中のバッグを羨みつつ思わず呟いた。
「何か言いました?」
「い、いや。それはともかく、もう遅いしクリスマスは終わったんだ。
お前はもう帰れ、車で送っていくからよ」
巴が抱きしめていたバッグをひょいと取り上げて、一人すたすたとコート出口へと跡部は歩いていく。
それを巴はあわてて追いかける。
「あー、構いませんよ!私、走って帰りますから!」
跡部の背中を掴み、歩みをとめようとする。
しかし、それには構わず跡部は歩き続ける。
「バカ言うな!お前だって世間から見れば立派な女子だろうが」
「ここまでこいって言ったの跡部さんじゃないですか、行きは一人でしたよ」
巴の思わぬ、しかしもっともな反論に足を止めそうになるがかろうじて堪える。
たしかに越前家からここはそう大した距離ではない。
しかし、それでも家に着くまででも巴と一緒にいるのは楽しいことだと思ったのだ。
とにかくそう思ってしまったからには跡部の主張は譲れない。
行きはどうあれ、巴を送って帰るのが自分にはベストの選択なのだ。
「それに、リョーマ君に肉まん買っていくって約束したからコンビニに寄るんです」
ピタ、と跡部の足が止まる。
「越前に、肉まん?」
「はい、せっかく家から出してくれたことだし、私のおごりでいいかなって」
リョーマという単語を聞いて跡部の表情は壮絶な笑みを浮かべた。
巴の背筋は思わず凍った。
「いいじゃねえか、せっかくだから俺が奢ってやろう」
跡部の脳裏には、いや巴の脳裏にも、リョーマの嫌そうな表情が浮かぶ。
夏の全国大会以来跡部にとっての越前リョーマは天敵以外の何者でもない。
彼に刈られた毛髪もすっかり生えそろったが傷ついたプライドが回復するにはまだ早すぎた。
リョーマも跡部を毛嫌いしている。
巴がつきあっているということもあるのだろう、拒否反応と来たらもの凄い。
跡部のお金で買った肉まん一つで些細な嫌がらせの一つも出来るのなら
ちょっとした楽しみになる。
「ま、せいぜい俺様のクリスマスプレゼントでも味わうんだな」
楽しそうに笑いながら再び歩き出す跡部を巴はもう止められなかった。
クリスマスは正確にはもう数分前に終わってしまったけれども、
とんでもないクリスマスになってしまったと少し気が重くなった。
来年からは、クリスマスといえど家から出してもらえないだろうな。
来年のクリスマスは夜中に抜け出すことがないように跡部にお願いしなければ、
そして肉まんを前に機嫌を悪くするだろうリョーマをどうなだめようかと
この先のことを色々考えながら跡部の後ろをピッタリくっついてコンビニに向かう。
「ほら、手ェだせ」
返事をするまもなく、巴は跡部に右手を掴まれる。
ま、いいか。
来年のことは来年に、リョーマのことは家の中に入ってから考えればいいやと懸念事項を放り投げ、跡部の手のぬくもりに今は酔いしれることに決めた。
「跡部さん」
「なんだ?」
「メリークリスマスです」
「…………遅えよ」
END
なぜ、こんなことで悩まなければならないのかと思う半面、
彼のためなんだからとことん悩んでやろうと思う。
激しく矛盾した気持ち。
跡部さんへのプレゼント。
今年はどうしよう。
*一緒に悩もう
「で、なんで俺様に直接訊きに来るんだよ。
そんなの自分で考えろ、普通女ってそう言うこと考えるの好きだろうが」
あきれ顔で跡部景吾はまるで子犬のような目でこちらを見る巴に答える。
「プレゼントは何が欲しいですか?」なんて訊かれたのは初めてだった。
自分についてそれなりに知る者は、
あくまで跡部景吾のイメージでプレゼントを押しつけてくるし
自分についてほとんど知らない者は、
ストーカーのごとく調査してプレゼントを送りつけてくる。
これまで色んな人間から数え切れないほどプレゼントを貰ってきたが
多少気に入ったものはあったにしても、嬉しいと感じるものなどなかった。
大概が義理だったり自分に取り入ろうとするための賄賂だったからだ。
別にそれが不満だと思ったことはなかった。
自分ほどの人間になれば近づきたいのが当然だろうと思っている。
しかし、巴にプレゼントの希望を訊かれて、
不安と喜びが綯い交ぜとなる自分の感情に驚いた。
巴からプレゼントをもらえるというのは純粋に嬉しい。
初めて自分が心からプレゼントを求めていることに気付く。
だが、贈り物を考えることを放棄している巴に不安を覚える気持ちもある。
ここのところ常に隣にいる相手であり、
己の認める唯一の女ではあるが
実際巴本人の気持ちはどこにあるのか?
もしかして、俺様のプレゼントって義理なのか?
そんな疑問が鎌首をもたげる。
「自分で考えろ…って、精一杯考えましたよ!
でも、跡部さんてこれまで山のように貰ってるだろうし
私のような庶民じゃ跡部さんの欲しいものなんて考えつかないし
結局、一番欲しいものを知りたいなら訊くしか無いじゃないですか。
私、跡部さんが本当に欲しいと思うものを贈りたいんです」
不満げに口を尖らせながら巴はそう答える。
「……そりゃ、もっとも跡部さんが欲しいものを私が買えるとは思いませんが」
「お前なあ……、いくら俺様でもお前から欲しいものを訊かれて
入手不可そうなものは答えるわけねえだろ?」
巴の素直すぎる言葉に肩を落としつつそう答える。
掛け値なしにストレートだ。
駆け引きとか何も考えてはいない。
おそらく心底、跡部の欲しいと思うものを贈りたいのだろう。
馬鹿なヤツだ。
俺様の欲しいものなど、お前から贈られたいものなど一つに決まっている。
それがお前にも分からないとは思えないが?
「あっ…!でも「私」とか言うのはナシですからね?買えるもので!」
…………妙に聡いことを言うときがあるな、コイツ。
『買えるもので』何不自由なく暮らす自分には難しい質問だと、頭を悩ませる。
なぜ、こんなことで悩まなければならないのかと思う半面、
せっかく巴が訊いているのだからとことん悩んでやろうと思う。
激しく矛盾した気持ち。
仕方ない、コイツのためにたまには悩んでみるか。
「おい、愛の言葉の一つでも囁いてくれたら答えてやってもイイぜ?」
「…………それがプレゼントってことじゃダメですかねえ?」
「お前が『買えるもので』って言ったんじゃねえか、却下」
END
彼のためなんだからとことん悩んでやろうと思う。
激しく矛盾した気持ち。
跡部さんへのプレゼント。
今年はどうしよう。
*一緒に悩もう
「で、なんで俺様に直接訊きに来るんだよ。
そんなの自分で考えろ、普通女ってそう言うこと考えるの好きだろうが」
あきれ顔で跡部景吾はまるで子犬のような目でこちらを見る巴に答える。
「プレゼントは何が欲しいですか?」なんて訊かれたのは初めてだった。
自分についてそれなりに知る者は、
あくまで跡部景吾のイメージでプレゼントを押しつけてくるし
自分についてほとんど知らない者は、
ストーカーのごとく調査してプレゼントを送りつけてくる。
これまで色んな人間から数え切れないほどプレゼントを貰ってきたが
多少気に入ったものはあったにしても、嬉しいと感じるものなどなかった。
大概が義理だったり自分に取り入ろうとするための賄賂だったからだ。
別にそれが不満だと思ったことはなかった。
自分ほどの人間になれば近づきたいのが当然だろうと思っている。
しかし、巴にプレゼントの希望を訊かれて、
不安と喜びが綯い交ぜとなる自分の感情に驚いた。
巴からプレゼントをもらえるというのは純粋に嬉しい。
初めて自分が心からプレゼントを求めていることに気付く。
だが、贈り物を考えることを放棄している巴に不安を覚える気持ちもある。
ここのところ常に隣にいる相手であり、
己の認める唯一の女ではあるが
実際巴本人の気持ちはどこにあるのか?
もしかして、俺様のプレゼントって義理なのか?
そんな疑問が鎌首をもたげる。
「自分で考えろ…って、精一杯考えましたよ!
でも、跡部さんてこれまで山のように貰ってるだろうし
私のような庶民じゃ跡部さんの欲しいものなんて考えつかないし
結局、一番欲しいものを知りたいなら訊くしか無いじゃないですか。
私、跡部さんが本当に欲しいと思うものを贈りたいんです」
不満げに口を尖らせながら巴はそう答える。
「……そりゃ、もっとも跡部さんが欲しいものを私が買えるとは思いませんが」
「お前なあ……、いくら俺様でもお前から欲しいものを訊かれて
入手不可そうなものは答えるわけねえだろ?」
巴の素直すぎる言葉に肩を落としつつそう答える。
掛け値なしにストレートだ。
駆け引きとか何も考えてはいない。
おそらく心底、跡部の欲しいと思うものを贈りたいのだろう。
馬鹿なヤツだ。
俺様の欲しいものなど、お前から贈られたいものなど一つに決まっている。
それがお前にも分からないとは思えないが?
「あっ…!でも「私」とか言うのはナシですからね?買えるもので!」
…………妙に聡いことを言うときがあるな、コイツ。
『買えるもので』何不自由なく暮らす自分には難しい質問だと、頭を悩ませる。
なぜ、こんなことで悩まなければならないのかと思う半面、
せっかく巴が訊いているのだからとことん悩んでやろうと思う。
激しく矛盾した気持ち。
仕方ない、コイツのためにたまには悩んでみるか。
「おい、愛の言葉の一つでも囁いてくれたら答えてやってもイイぜ?」
「…………それがプレゼントってことじゃダメですかねえ?」
「お前が『買えるもので』って言ったんじゃねえか、却下」
END
「ほえー自分のパスポートって、こんなのなんだー。
お父さんの持ってるやつと色が違うんだ…ふーん」
できたてほやほやの自分のパスポートを眺めつつ、巴は旅券事務所をあとにした。
巴は先日、Jr選抜大会において跡部とペアを組んで優勝した。
大会の優勝者はオーストラリアでの国際大会の参加券が与えられるため
Jr選抜参加者には、事前にパスポートの用意が必須となっていたのだ。
巴はパスポートを持っていなかったので、選抜前に申請を出して
ちょうど大会終了直後の今日に受け取ることになったのだった。
大会で敗退すれば、このパスポートもムダになるところだったが、
優勝したために相応の重みを持って受け取ることが出来た。
「おっと…パスポートに見とれてる場合じゃなかった!
待ち合わせ!」
この後、跡部と待ち合わせてオーストラリアの大会に向けて打ち合わせる予定だった。
自分を律し、それを他人にも求める跡部は当然時間にも厳しい。
これまでの付き合いで遅れたら冷たい言葉が飛ぶのは分かっている。
持ち前の脚力を生かしてあわてて待ち合わせの場所へと走っていった。
*10years
跡部と待ち合わせしている駅前広場。
待ち合わせの時間まであと5分あったが、跡部は既に待っていた。
もっとも、時間に間に合うように巴も到着したので怒るようなことはなかった。
そういうところは非常にフェアな男だ。
「よぉ、なんだか嬉しそうな顔をしてるじゃねえか。どうした?」
巴はいつも顔色が良いが、今日は特に良く見えたのでそう尋ねてみる。
こういう時の巴の顔は正直で、良いことがあったときはよく分かる。
「はいっ!今日パスポートが出来たので受け取りに行ってきたんですよ」
じゃーん、と言いながら、巴は自分のパスポートを高く掲げる。
それは何の変哲もない5年用の赤いパスポートだが
巴が掲げることによって何か特別な物のようにも感じられる。
実際初めてパスポートを取得した巴にとっては重要な物だったが。
「なんだ?お前パスポート持ってなかったのか」
どれだけ素晴らしい物が出てくるかと思えば単なるパスポート。
年に何度も海外に行く跡部には見慣れた物で、やや拍子抜けする。
こういうもので喜べるところはやっぱりガキだなとも思う。
「世の中の皆が皆、海外へ行く訳じゃないんですよ、跡部さんじゃあるまいし」
跡部の内心を悟った巴は少しムッとした表情で抗議する。
表情のコロコロと変わる、そんな巴を面白げに眺めて、
「俺じゃあるまいし…って…まあいい。見せてみろよ、パスポート」
手に持っていた巴のパスポートをひょいと取り上げ、後ろのページを開く。
身分証明の写真と巴本人を交互に見比べて感想を素直に述べる。
「案外、キレイに映ってるじゃねーか、写真」
確かにどんな人でも気を抜くと指名手配犯のようになってしまう証明写真が
まるで有名写真家にでも撮ってもらったかのような良い出来になっていた。
学生証やパスポートの写真に失敗したという話はよく聞くが、
逆に成功したという話は滅多に聞いたことがない。
コイツは妙なところで運が良いというか何というか…。
巴の奥の深さに跡部はとにかく感心した。
「はい!近所の写真館のおじさんの力作です。リョーマくんが連れてってくれました」
跡部の言葉を素直に褒め言葉として受け取り、
嬉しそうにニコニコとして巴はそう答える。
『リョーマ』という単語は余計だったとは気づいていない。
当然その単語に反応して眉を跳ね上げる跡部の様子にも気づいていない。
ただ跡部からパスポートを取り返して大事そうに鞄にしまっている。
「越前と…ね」
巴に聞こえないくらい押し殺した小さな声で呟く。
こんなところで気分を害するのは、大人げないと跡部は必死に自分を押さえる。
越前リョーマは巴の同居人で同級生で同じ部活の仲間だ。
そのことを考えると非常にやるせない気分になるし、
いっそこのまま連れ去って氷帝に入学させて自分の家に住まわせたいとも思う。
けれども、それを行えるのは『自分』ではない。
結局、そういったことは跡部といえども大人の手が必要になってしまう。
自分はまだ世間では15才でしかない。
世の中の全てを自分の手で賄えると思えるほど、幼くはない。
いま、巴を自分の手中に入れたとしても、
全てが自分の思い通りに、自分の力のみで動かせる訳ではないのだ。
せめて、自分の足だけで世界に立てるようになるまでは待つべきだ。
誰かの手を借りてまで、彼女をそばに置こうなんてまっぴらだ。
それがつまらない嫉妬のためだというならばなおさらだ。
そう彼のプライドはそう告げている。
彼女を自分の籠に閉じこめて鍵をかけてしまうのはまだ早い。
「━━━今日パスポートを作ったって事は次のパスポートの更新は18才の時だな、
じゃあ次の次くらいが妥当って所か……」
まるで独り言を呟くように跡部は声を出した。
何か考えているような表情だったが、巴には何を考えているのか分からなかった。
もちろん、そこまで人の気持ちに聡い彼女だったなら、
跡部とてこれまでも苦労しなかったのだろうが。
「なにが妥当なんですか?次って?」
経験上、跡部が考えていることを読める訳がないと思っている巴は
探ることをはなから諦めて、直接声に出して問いただしてみる。
一体、なにが妥当だというのだろうか?
回数には意味があるのだろうか?
「パスポートの更新手続きと変更手続きは1度にした方が楽だって事だよ」
そんな簡単なことも分からないのかと言外に匂わせて跡部はそう答える。
更新手続きは未成年は5年ごと。
13才の巴が次に更新するのは18才で、さらに次は23才。
変更手続きと言えば、住所氏名が変わるときにするものだろう。
そこでなぜ、変更の話になるのか分からない。
「えっと…やっぱり意味が分からないんですけど…?」
跡部は自分についてなにか予知しているとでも言うのだろうか?
頭の中はクエスチョンマークだらけで混乱を来している。
この人の言っている意味が掴めない。
それが表情にも出ているため、跡部は思わずいらだち紛れに答える。
いちいち説明するのも恥ずかしいと思いながら。
「鈍いヤツだな、ちょうど10年後ぐらいにお前の姓を変えてやるってんだよ、俺が。
そうなるとパスポートも変更手続きしないといけないだろう?」
姓を、跡部が、変えてくれる。
その意味に気づくと同時に頭を抱える。
跡部は色々と常人離れしているが、言動に置いても相当のものだと巴は痛感する。
まさか、プロポーズだったとはついぞ気づかなかった。
もっともこの年齢でこんな事態に陥るとは普通の人は思うはずもないだろう。
自分自身、他人より突き抜けた部分があることは自覚していたが
それでもやはり跡部に比べれば凡庸な何て事のない女子中学生だ。
夢物語、妄想の一環として跡部の隣に立つ自分を想像したことはあるが、
これは想像の範囲外だ。
「ええっ」
あまりのことに巴は頭がパンクしてまともな答えが出てこない。
跡部自身は少し喋りすぎたと思い、巴の反応も気にしない。
正直彼とてここまで言うつもりではなかった。
『越前』というスイッチを押されるまでは。
このスイッチを押されてはどんな冷静な自分も焦り始める。
確実にじわじわと近づく目に見える脅威だった。
「まあ、そういうことだ」
「はあ」
「次からは跡部家専属の写真館で、もっとキレイに撮ってやるよ」
もちろん、連れて行くのは越前じゃなく、この俺だ。
そのときには彼女の隣に立って写真を撮るのも良いだろう。
きっといい絵になるに違いないと跡部は想像する。
「気が早いですよ…10年後なんてどうなってるかも分からないのに」
いくら巴でも、10年後のことを言われても困ってしまう。
人の心は移ろいやすいものだ。
自分が引き続き跡部のことが好きなのは間違いなさそうだが、
果たして跡部もそうだろうか?
カリスマ性のある彼は色んな人間を惹き付ける。
彼に近づく人間の中に彼の眼鏡に叶う者がいないとも限らない。
今現在、巴が彼の隣に立つのを許されているのも不思議なくらいなのだから。
そのとき、自分はあっさり捨てられるのではないだろうか?
この可能性は否定できず、巴の心に突き刺さる。
「バカか?お前は。お前はこの俺様が選んだ女なんだぜ?
10年後も俺が目を離せない様なイイ女であるに決まってる」
彼女が彼女で━━━ひたむきで明るくて真っ直ぐに自分を見つめる、
そのままの彼女でいるならば、これからもずっと隣に並んでいたい。
跡部はそう願う。
「でも、私自身はそれほどイイ女である自信がないんですが…」
心底自信がなさそうに巴はそう告げる。
自分は全てに於いて凡庸だ。
特別賢くもなければ美人でもない。
跡部のようなカリスマ性も持ち合わせている訳でない。
彼の隣を歩くたびに繰り返す疑問は、ここでも当然わき上がる。
当然、跡部の隣を歩けるように努力は続けているけれども
それが実になったことはまだ無かった。
「せいぜい、俺に見合うように女磨いとけよ」
しかし、跡部はそんな巴の悩みも気にしない。
巴は巴であればいい、そう思っている。
巴が密かに頑張っているのも知っている。
いつか実になればいいとは思っているが、そうでなくても構わないとも思っている。
もっとも、何事にも向上していく彼女を見るのは嬉しく楽しいものだが。
「み、磨き過ぎちゃったときはどうすればいいんですか?」
余計な心配という気もしないでもないが、
自分の頑張っている現状を鑑みて巴はそう尋ねる。
あると思えないが、自分が頑張りすぎて素晴らしい女性になる可能性。
そんな未来だってあるかも知れない。
非常に前向きな巴は、そんな可能性について訊かずにはいられなかった。
たしかに、私は頑張るけど、その時跡部さんはどうするの?
そう試す一言でもあった。
「アーン?その時は俺が頑張ってお前に見合う男になるに決まってるだろうが」
至極当然と言った表情で跡部はそう返す。
他人が努力するなら、自分もそれ相応、いやそれ以上の努力をする。
それをこれまで当然だとしてきた。それが例えどんなことだとしてもだ。
巴がいい女になるべく努力するというのなら、自分もそれ相応の努力をしよう。
好きな相手に対してのことならば、なおさらだ。
それが当然だと難なく答える。
「ま、互いに頑張ればちょうど10年後ぐらいには誰にも有無を言わせない
世界一の新郎新婦になってると思わねえか?」
そんなバカみたいに誠実なところを見せられて、
それに加えていつしか自分に寄り添っていて、
とどめに耳元でそんなことを低く囁かれたら頷くしかないじゃない?
なんだかんだ言ってもう自分は彼に陥落しているのだ。
10年後、自分がいい女だったとしても、そうじゃないとしても
彼の隣にいるのは自分であってみせる。
そう決意を込めながら、ひとつ大きく頷いてみせた。
「じゃあ、これは約束の証にもらっとくぜ?」
頷き顔を上げた勢いでかすかに上ずった額に、約束の印をひとつ落とす。
「まあ、これからはどこにでも何度でも約束の印付けてやるから覚悟してな」
思わず何か庇うように額を手で押さえつつ巴は問う。
「10年後まで━━━約束の日までですか?」
「いや?これからずっと一生に決まってんだろ、覚悟しとけ」
跡部自身、今日こんな事まで話すつもりはなかったのだが、
それでもいつかは話すことだから今でも構わないかと思い直す。
早いか遅いかだけの差だ。
END
お父さんの持ってるやつと色が違うんだ…ふーん」
できたてほやほやの自分のパスポートを眺めつつ、巴は旅券事務所をあとにした。
巴は先日、Jr選抜大会において跡部とペアを組んで優勝した。
大会の優勝者はオーストラリアでの国際大会の参加券が与えられるため
Jr選抜参加者には、事前にパスポートの用意が必須となっていたのだ。
巴はパスポートを持っていなかったので、選抜前に申請を出して
ちょうど大会終了直後の今日に受け取ることになったのだった。
大会で敗退すれば、このパスポートもムダになるところだったが、
優勝したために相応の重みを持って受け取ることが出来た。
「おっと…パスポートに見とれてる場合じゃなかった!
待ち合わせ!」
この後、跡部と待ち合わせてオーストラリアの大会に向けて打ち合わせる予定だった。
自分を律し、それを他人にも求める跡部は当然時間にも厳しい。
これまでの付き合いで遅れたら冷たい言葉が飛ぶのは分かっている。
持ち前の脚力を生かしてあわてて待ち合わせの場所へと走っていった。
*10years
跡部と待ち合わせしている駅前広場。
待ち合わせの時間まであと5分あったが、跡部は既に待っていた。
もっとも、時間に間に合うように巴も到着したので怒るようなことはなかった。
そういうところは非常にフェアな男だ。
「よぉ、なんだか嬉しそうな顔をしてるじゃねえか。どうした?」
巴はいつも顔色が良いが、今日は特に良く見えたのでそう尋ねてみる。
こういう時の巴の顔は正直で、良いことがあったときはよく分かる。
「はいっ!今日パスポートが出来たので受け取りに行ってきたんですよ」
じゃーん、と言いながら、巴は自分のパスポートを高く掲げる。
それは何の変哲もない5年用の赤いパスポートだが
巴が掲げることによって何か特別な物のようにも感じられる。
実際初めてパスポートを取得した巴にとっては重要な物だったが。
「なんだ?お前パスポート持ってなかったのか」
どれだけ素晴らしい物が出てくるかと思えば単なるパスポート。
年に何度も海外に行く跡部には見慣れた物で、やや拍子抜けする。
こういうもので喜べるところはやっぱりガキだなとも思う。
「世の中の皆が皆、海外へ行く訳じゃないんですよ、跡部さんじゃあるまいし」
跡部の内心を悟った巴は少しムッとした表情で抗議する。
表情のコロコロと変わる、そんな巴を面白げに眺めて、
「俺じゃあるまいし…って…まあいい。見せてみろよ、パスポート」
手に持っていた巴のパスポートをひょいと取り上げ、後ろのページを開く。
身分証明の写真と巴本人を交互に見比べて感想を素直に述べる。
「案外、キレイに映ってるじゃねーか、写真」
確かにどんな人でも気を抜くと指名手配犯のようになってしまう証明写真が
まるで有名写真家にでも撮ってもらったかのような良い出来になっていた。
学生証やパスポートの写真に失敗したという話はよく聞くが、
逆に成功したという話は滅多に聞いたことがない。
コイツは妙なところで運が良いというか何というか…。
巴の奥の深さに跡部はとにかく感心した。
「はい!近所の写真館のおじさんの力作です。リョーマくんが連れてってくれました」
跡部の言葉を素直に褒め言葉として受け取り、
嬉しそうにニコニコとして巴はそう答える。
『リョーマ』という単語は余計だったとは気づいていない。
当然その単語に反応して眉を跳ね上げる跡部の様子にも気づいていない。
ただ跡部からパスポートを取り返して大事そうに鞄にしまっている。
「越前と…ね」
巴に聞こえないくらい押し殺した小さな声で呟く。
こんなところで気分を害するのは、大人げないと跡部は必死に自分を押さえる。
越前リョーマは巴の同居人で同級生で同じ部活の仲間だ。
そのことを考えると非常にやるせない気分になるし、
いっそこのまま連れ去って氷帝に入学させて自分の家に住まわせたいとも思う。
けれども、それを行えるのは『自分』ではない。
結局、そういったことは跡部といえども大人の手が必要になってしまう。
自分はまだ世間では15才でしかない。
世の中の全てを自分の手で賄えると思えるほど、幼くはない。
いま、巴を自分の手中に入れたとしても、
全てが自分の思い通りに、自分の力のみで動かせる訳ではないのだ。
せめて、自分の足だけで世界に立てるようになるまでは待つべきだ。
誰かの手を借りてまで、彼女をそばに置こうなんてまっぴらだ。
それがつまらない嫉妬のためだというならばなおさらだ。
そう彼のプライドはそう告げている。
彼女を自分の籠に閉じこめて鍵をかけてしまうのはまだ早い。
「━━━今日パスポートを作ったって事は次のパスポートの更新は18才の時だな、
じゃあ次の次くらいが妥当って所か……」
まるで独り言を呟くように跡部は声を出した。
何か考えているような表情だったが、巴には何を考えているのか分からなかった。
もちろん、そこまで人の気持ちに聡い彼女だったなら、
跡部とてこれまでも苦労しなかったのだろうが。
「なにが妥当なんですか?次って?」
経験上、跡部が考えていることを読める訳がないと思っている巴は
探ることをはなから諦めて、直接声に出して問いただしてみる。
一体、なにが妥当だというのだろうか?
回数には意味があるのだろうか?
「パスポートの更新手続きと変更手続きは1度にした方が楽だって事だよ」
そんな簡単なことも分からないのかと言外に匂わせて跡部はそう答える。
更新手続きは未成年は5年ごと。
13才の巴が次に更新するのは18才で、さらに次は23才。
変更手続きと言えば、住所氏名が変わるときにするものだろう。
そこでなぜ、変更の話になるのか分からない。
「えっと…やっぱり意味が分からないんですけど…?」
跡部は自分についてなにか予知しているとでも言うのだろうか?
頭の中はクエスチョンマークだらけで混乱を来している。
この人の言っている意味が掴めない。
それが表情にも出ているため、跡部は思わずいらだち紛れに答える。
いちいち説明するのも恥ずかしいと思いながら。
「鈍いヤツだな、ちょうど10年後ぐらいにお前の姓を変えてやるってんだよ、俺が。
そうなるとパスポートも変更手続きしないといけないだろう?」
姓を、跡部が、変えてくれる。
その意味に気づくと同時に頭を抱える。
跡部は色々と常人離れしているが、言動に置いても相当のものだと巴は痛感する。
まさか、プロポーズだったとはついぞ気づかなかった。
もっともこの年齢でこんな事態に陥るとは普通の人は思うはずもないだろう。
自分自身、他人より突き抜けた部分があることは自覚していたが
それでもやはり跡部に比べれば凡庸な何て事のない女子中学生だ。
夢物語、妄想の一環として跡部の隣に立つ自分を想像したことはあるが、
これは想像の範囲外だ。
「ええっ」
あまりのことに巴は頭がパンクしてまともな答えが出てこない。
跡部自身は少し喋りすぎたと思い、巴の反応も気にしない。
正直彼とてここまで言うつもりではなかった。
『越前』というスイッチを押されるまでは。
このスイッチを押されてはどんな冷静な自分も焦り始める。
確実にじわじわと近づく目に見える脅威だった。
「まあ、そういうことだ」
「はあ」
「次からは跡部家専属の写真館で、もっとキレイに撮ってやるよ」
もちろん、連れて行くのは越前じゃなく、この俺だ。
そのときには彼女の隣に立って写真を撮るのも良いだろう。
きっといい絵になるに違いないと跡部は想像する。
「気が早いですよ…10年後なんてどうなってるかも分からないのに」
いくら巴でも、10年後のことを言われても困ってしまう。
人の心は移ろいやすいものだ。
自分が引き続き跡部のことが好きなのは間違いなさそうだが、
果たして跡部もそうだろうか?
カリスマ性のある彼は色んな人間を惹き付ける。
彼に近づく人間の中に彼の眼鏡に叶う者がいないとも限らない。
今現在、巴が彼の隣に立つのを許されているのも不思議なくらいなのだから。
そのとき、自分はあっさり捨てられるのではないだろうか?
この可能性は否定できず、巴の心に突き刺さる。
「バカか?お前は。お前はこの俺様が選んだ女なんだぜ?
10年後も俺が目を離せない様なイイ女であるに決まってる」
彼女が彼女で━━━ひたむきで明るくて真っ直ぐに自分を見つめる、
そのままの彼女でいるならば、これからもずっと隣に並んでいたい。
跡部はそう願う。
「でも、私自身はそれほどイイ女である自信がないんですが…」
心底自信がなさそうに巴はそう告げる。
自分は全てに於いて凡庸だ。
特別賢くもなければ美人でもない。
跡部のようなカリスマ性も持ち合わせている訳でない。
彼の隣を歩くたびに繰り返す疑問は、ここでも当然わき上がる。
当然、跡部の隣を歩けるように努力は続けているけれども
それが実になったことはまだ無かった。
「せいぜい、俺に見合うように女磨いとけよ」
しかし、跡部はそんな巴の悩みも気にしない。
巴は巴であればいい、そう思っている。
巴が密かに頑張っているのも知っている。
いつか実になればいいとは思っているが、そうでなくても構わないとも思っている。
もっとも、何事にも向上していく彼女を見るのは嬉しく楽しいものだが。
「み、磨き過ぎちゃったときはどうすればいいんですか?」
余計な心配という気もしないでもないが、
自分の頑張っている現状を鑑みて巴はそう尋ねる。
あると思えないが、自分が頑張りすぎて素晴らしい女性になる可能性。
そんな未来だってあるかも知れない。
非常に前向きな巴は、そんな可能性について訊かずにはいられなかった。
たしかに、私は頑張るけど、その時跡部さんはどうするの?
そう試す一言でもあった。
「アーン?その時は俺が頑張ってお前に見合う男になるに決まってるだろうが」
至極当然と言った表情で跡部はそう返す。
他人が努力するなら、自分もそれ相応、いやそれ以上の努力をする。
それをこれまで当然だとしてきた。それが例えどんなことだとしてもだ。
巴がいい女になるべく努力するというのなら、自分もそれ相応の努力をしよう。
好きな相手に対してのことならば、なおさらだ。
それが当然だと難なく答える。
「ま、互いに頑張ればちょうど10年後ぐらいには誰にも有無を言わせない
世界一の新郎新婦になってると思わねえか?」
そんなバカみたいに誠実なところを見せられて、
それに加えていつしか自分に寄り添っていて、
とどめに耳元でそんなことを低く囁かれたら頷くしかないじゃない?
なんだかんだ言ってもう自分は彼に陥落しているのだ。
10年後、自分がいい女だったとしても、そうじゃないとしても
彼の隣にいるのは自分であってみせる。
そう決意を込めながら、ひとつ大きく頷いてみせた。
「じゃあ、これは約束の証にもらっとくぜ?」
頷き顔を上げた勢いでかすかに上ずった額に、約束の印をひとつ落とす。
「まあ、これからはどこにでも何度でも約束の印付けてやるから覚悟してな」
思わず何か庇うように額を手で押さえつつ巴は問う。
「10年後まで━━━約束の日までですか?」
「いや?これからずっと一生に決まってんだろ、覚悟しとけ」
跡部自身、今日こんな事まで話すつもりはなかったのだが、
それでもいつかは話すことだから今でも構わないかと思い直す。
早いか遅いかだけの差だ。
END
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