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テニス馬鹿と甘くないクリスマス。
***
『30分以内にストリートテニスコートに来い。
時間を過ぎると俺は帰るからな』
23時25分。
女子中学生が待ちを歩くには遅い時間でありながらも
跡部景吾は赤月巴に外出を命じた。
巴に反論を許さないまま電話は一方的に切られてしまった。
相変わらずの跡部の俺様ぶりには巴も既に諦めに境地にたどり着いており、仕方ないなと慌ててパジャマからその辺に脱ぎ捨ててあったジャージに着替えてこれからマラソンでもしてくるといった装いで階段を静かに下りる。
なにせ、時間が時間だ。
いくらかかと落としの得意な巴といえども、大人達に見つかっては容易に外出を許してはもらえない。
夜中に何かあってはいけないし、とくに預かり者の子供ならばなおさら大事にされるのは当然だ。
倫子や菜々子は当然のこととして、いくら普段いい加減さが漂う南次郎といえども許してもらえないだろう。
あくまで(巴視点で)ひっそりこっそりと玄関まで向かう。
「……ねえ?なにやってんの?」
驚きに飛び上がるという表現は今使うべきかも知れないと思いつつ、巴は反射的に振り返った。
そこにはカルピンを抱えたリョーマが立っていた。
「何だ、リョーマ君か…おっどろいた…」
「こんな時間なのにどこか行くんでしょ?親父達に見つかると厄介なのにどこ行くの?」
不審そうな目でリョーマが巴の出で立ちを見る。
「あ…あのマラソンがてら、肉まんでも買ってこようかなーって、ね、ははは」
我ながら怪しい答えだと思いつつ巴は答える。
聡いリョーマがこんな無理矢理な答えに納得はしないだろう。
「ふーん…まあいいや、今日は遅くまで起きてるつもりだから
肉まん俺の分も買ってきておいてよ」
何か言われると巴も覚悟してはいたが、
リョーマはニヤッと笑いながら肉まんを要求するのみだった。
少し肩すかしのような気持ちを味わいながらも巴は素直に頷いた。
「じゃあ、高級な肉まんによろしくいっといて」
玄関を指さし巴を促す。
もはや何のために外に出るのかバレバレのようであったが
それについて何も言わないリョーマに感謝しつつこっそり外へ出た。
12月の夜の寒さを吹き飛ばそうと本気で走ってきた巴は、
思ったより早く目的地にたどり着いた。
視線の先━━━コート内でひときわ明るいライトの下に跡部は立って待っていた。
「やっと来たか」
「やっとって…ヒドイですよ!これでも走ってきたんですから」
それは巴が吐き出す乱れた白い息が証明している。
「分かってる、しかしお前の走る1分は俺がお前を待つ10分に相当するんだぜ?
知ってんだろ……俺がお前をどれだけ待ち遠しく思ってるかを、な」
いきなり、そんなことを言われてついつい巴は狼狽する。
巴の動揺を楽しむために思わせぶりな言葉を告げる跡部は意地悪だと
顔を真っ赤にして巴は頬をふくらませる。
今年バレンタインにチョコレートを渡して、やっと巴の跡部に対する思いに気付いた跡部がどれぐらい彼女に真実を告げているのかは謎だ。
巴を使って遊んでいるのか、それとも本気なのか━━━巴には分からない。
「……なあ、巴、ちょっとしたゲームでもやろうぜ」
「は?」
何を突然言い出すのかと呆気にとられていると、ラケットを手渡された。
巴のラケットよりもはるかに重みのあるラケットだった。
それはいつも跡部が使用しているラケットだということにはすぐに気付いた。
「え?これからテニスやるんですか?」
我ながら的はずれなことを訊いているなと思いながらもそう尋ねる。
「お前、ラケット持って他に何やろうってんだよ。
今から10分以内にお前が俺から1ポイントでも取ればお前の勝ちだ、褒美をやろう」
跡部はそう言って巴にボールも渡し、さっさとコートに入る。
とっとと打てというように巴に視線を投げかける。
その眼光の鋭さに、巴も慌ててコートに入ってトスを上げる。
巴はいつもより右腕が重く、少々怠さを感じていた。
跡部のラケットを使っているのだ、自分のラケットより使いづらいのは当然だ。
しかし男女の性差、そして自分と跡部の実力の差について思い知らされる。
このラケットを軽々と振るい、使いこなすことが出来れば、今よりももっと高みを目指せるのだろうか?
そんなことを考えながら、跡部の容赦ない打球を追いかける。
追いつけない。
こんなコトを考えながらボールを追いかける今の自分には跡部どころか、追いつこうとする対象すら見えてこない。
ギリっと唇をかみしめる。
鋭い打球は跳ねてコートの外へ遠くへ転がっていく。
呼吸すら乱していない跡部を一瞬振り返りながらボールを拾いに追いかける。
悔しい。
もっと強くなりたい。
誰よりも、跡部よりも高みに上りつめたいと切に願う。
やっとの事でボールを拾い、また再びサーブ位置へと戻ろうとする。
「あと2分だ。何やってるんだ、この俺様がこれでも手加減してるんだぜ?」
跡部が非常な言葉を投げかける。
巴は今の自分の実力を思い知らされる。
相手が跡部とはいえども、手加減されてこのザマだ。
テニス馬鹿といってもいいくらいテニスには真摯な姿勢を見せる跡部が、妥協して自分にハンデをつけてくれているのだ。
それでも追いつけない自分に呆れてしまう。
笑いたくないのに、笑うところではないのに自然と笑えてくる。
半ばヤケになりながら何度上げたか分からないトスを再び上げる。
そこからは記憶は途切れていた。
気がつけば右腕が気だるげに垂れ下がり、ラケットを手放している。
いつの間にかコートの中に座り込んで、ひたすら呼吸を整うのを待っていた。
12月の空気は冷たく、巴からは白い息がしきりに吐き出されていた。
「やるじゃねえか、巴」
いつの間にか跡部は巴の前に立ち、彼女を見下ろしていた。
座り込む巴の前に大きな包みを差し出した。
巴はそれが何を意味するか分からず、しげしげと見つめる。
「褒美だ、貰っておけ━━━まあ、クリスマスプレゼントってやつだな」
普通クリスマスプレゼントって貰うためにこんなに苦労するものなのだろうかと巴は思ったが、口に出したところで跡部の機嫌を損ねるだけでなんの利益もないので黙っていることにした。
それよりも、跡部が言い出すまで今日がクリスマスだということを失念していた。
テニスや冬休みの宿題、年末年始の行事で頭がいっぱいで気付かなかった。
青学テニス部でのパーティーは先日前倒しで行っていたし。
昨日はリョーマの誕生日でクリスマスイブとかそんなこと関係なく越前家はにぎわっていた。
それもあってすっかり忘れてしまっていたのだ。
世間で言うところのクリスマストやらを。
どおりで今日はリョーマもすんなり家から出してくれた筈だ。
巴がクリスマスを忘れているという事実もきっと気付いていたのだろう。
彼もちょっとはいいところがあるなと、内心感謝する。
それを巴が口に出すことは一生なさそうではあるのだが。
「あ、ありがとうございます。っていうか、今日クリスマスだったんですね!」
ついつい、失念していた事実を相手に打ち明けてしまう。
跡部は「そんなことだとは思ったが…」と小さく呟き頭を抱える。
「何のために日付が変わる前にお前を呼び出したと思ってたんだ。
まあ、今日までお前から何のリアクションもないからそんな事だとは思ったが…。
俺にしても跡部家関連で色々忙しかったからな、お前と一緒にクリスマスをどうのこうのという訳にはいかなかったからお互い様だな」
先ほどのゲームでは疲れを一切見せなかった跡部がやや疲労の色を見せる。
巴と一緒にいるとムダに体力を使うのは何故なんだと内心悩む。
それが恋に振り回されていうことだという事には一切気付かない。
これから先も、多分。
原因はともかく巴に関することで疲労するのは己にとって心地いいことだから。
非常に馬鹿げているけれども、何故かそれもいいと思ってしまう。
「あっ…!」
ふと巴はあることに気付いてしまい、おそるおそる跡部を見上げる。
「なんだ、巴?まだ何か忘れてたのか?」
「そうですよ!だから、私まだ跡部さんにプレゼントを用意してないんですけど…!」
半ば悲鳴のように巴は声を上げる。
跡部は相変わらず面白いヤツだというような視線で巴を眺める。
「ハナっから、俺はお前にプレゼントなんて期待してねえよ。
金で買えるものなら欲しいものなんてねえしな」
「そりゃあ分かってますけど、私の気持ちってものが」
必死にすがりつくような目で跡部を見上げる巴は子犬のようで
ついつい跡部は吹き出してしまう。
「っくく…気持ちなら貰ってるからかまわねえよ」
「はい?」
ゲームの残り時間、あと2分。
自分が言葉を投げかけたあとの巴の変化。
それまであった雑念は全て消え、意識は跡部だけに向けられていた。
普段は雑然としたちっぽけなストリートテニスコート、
しかしこの時間は跡部と巴、完全に二人だけの世界だった。
手塚戦の時のような高揚感はないけれども、
これが自分のいる場所だと確信した。
それだけで充分。
これだけはどんな金額を支払おうとも手に入らないものだ。
だから、それで充分だと跡部は思った。
「そうだな━━━今年の分も含め来年にでも期待しておくさ、心してかかれよ」
さっさと包みを開けてみろと無言で促す跡部に従って巴は包装を解いた。
そこにあったのは、何の変哲もないラケットバッグ。
もちろん跡部から贈り物らしくスタイリッシュではあったが値段もごく一般的なもののようで
べつに高級品を期待していたわけではない巴だったがそれでも些か驚いて跡部を見る。
「なんだ?普通のバッグだと言いたげだな。そうだと思ったけどよ。
俺様だって実用的なものを使ってるだろうが」
自らのバッグを指さす跡部に、そういえばそうだと巴も得心がいく。
それにこのラケットが数本入るバッグは跡部と同じメーカーのもののようで、ペアバッグではないものの嬉しい。
おもわず、にへらと笑みを浮かべる。
「ありがとうございます!跡部さん、気にしてないように見えて私のラケットバッグが死亡寸前なのに気付いていたんですねえ、大事に使います!」
にこにこにこにことひたすら笑顔でお礼の言葉を伝える。
ヴィトンのラケットバッグを貰ったって金のラケットを貰ったってここまで嬉しいと思わないだろう。
跡部が自分がちゃんと使えるもの、つまりは自分を想って贈ってくれた。
これ以上嬉しいことはない、天にも昇る気持ちでいた。
思わずラケットバッグをぎゅっと抱きしめる。
「……それぐらい熱烈に俺様に抱きついたって一向に構わないんだがな……」
巴のあり得ないくらいの喜びように半ば呆れつつ、
そして巴の胸の中のバッグを羨みつつ思わず呟いた。
「何か言いました?」
「い、いや。それはともかく、もう遅いしクリスマスは終わったんだ。
お前はもう帰れ、車で送っていくからよ」
巴が抱きしめていたバッグをひょいと取り上げて、一人すたすたとコート出口へと跡部は歩いていく。
それを巴はあわてて追いかける。
「あー、構いませんよ!私、走って帰りますから!」
跡部の背中を掴み、歩みをとめようとする。
しかし、それには構わず跡部は歩き続ける。
「バカ言うな!お前だって世間から見れば立派な女子だろうが」
「ここまでこいって言ったの跡部さんじゃないですか、行きは一人でしたよ」
巴の思わぬ、しかしもっともな反論に足を止めそうになるがかろうじて堪える。
たしかに越前家からここはそう大した距離ではない。
しかし、それでも家に着くまででも巴と一緒にいるのは楽しいことだと思ったのだ。
とにかくそう思ってしまったからには跡部の主張は譲れない。
行きはどうあれ、巴を送って帰るのが自分にはベストの選択なのだ。
「それに、リョーマ君に肉まん買っていくって約束したからコンビニに寄るんです」
ピタ、と跡部の足が止まる。
「越前に、肉まん?」
「はい、せっかく家から出してくれたことだし、私のおごりでいいかなって」
リョーマという単語を聞いて跡部の表情は壮絶な笑みを浮かべた。
巴の背筋は思わず凍った。
「いいじゃねえか、せっかくだから俺が奢ってやろう」
跡部の脳裏には、いや巴の脳裏にも、リョーマの嫌そうな表情が浮かぶ。
夏の全国大会以来跡部にとっての越前リョーマは天敵以外の何者でもない。
彼に刈られた毛髪もすっかり生えそろったが傷ついたプライドが回復するにはまだ早すぎた。
リョーマも跡部を毛嫌いしている。
巴がつきあっているということもあるのだろう、拒否反応と来たらもの凄い。
跡部のお金で買った肉まん一つで些細な嫌がらせの一つも出来るのなら
ちょっとした楽しみになる。
「ま、せいぜい俺様のクリスマスプレゼントでも味わうんだな」
楽しそうに笑いながら再び歩き出す跡部を巴はもう止められなかった。
クリスマスは正確にはもう数分前に終わってしまったけれども、
とんでもないクリスマスになってしまったと少し気が重くなった。
来年からは、クリスマスといえど家から出してもらえないだろうな。
来年のクリスマスは夜中に抜け出すことがないように跡部にお願いしなければ、
そして肉まんを前に機嫌を悪くするだろうリョーマをどうなだめようかと
この先のことを色々考えながら跡部の後ろをピッタリくっついてコンビニに向かう。
「ほら、手ェだせ」
返事をするまもなく、巴は跡部に右手を掴まれる。
ま、いいか。
来年のことは来年に、リョーマのことは家の中に入ってから考えればいいやと懸念事項を放り投げ、跡部の手のぬくもりに今は酔いしれることに決めた。
「跡部さん」
「なんだ?」
「メリークリスマスです」
「…………遅えよ」
END
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『30分以内にストリートテニスコートに来い。
時間を過ぎると俺は帰るからな』
23時25分。
女子中学生が待ちを歩くには遅い時間でありながらも
跡部景吾は赤月巴に外出を命じた。
巴に反論を許さないまま電話は一方的に切られてしまった。
相変わらずの跡部の俺様ぶりには巴も既に諦めに境地にたどり着いており、仕方ないなと慌ててパジャマからその辺に脱ぎ捨ててあったジャージに着替えてこれからマラソンでもしてくるといった装いで階段を静かに下りる。
なにせ、時間が時間だ。
いくらかかと落としの得意な巴といえども、大人達に見つかっては容易に外出を許してはもらえない。
夜中に何かあってはいけないし、とくに預かり者の子供ならばなおさら大事にされるのは当然だ。
倫子や菜々子は当然のこととして、いくら普段いい加減さが漂う南次郎といえども許してもらえないだろう。
あくまで(巴視点で)ひっそりこっそりと玄関まで向かう。
「……ねえ?なにやってんの?」
驚きに飛び上がるという表現は今使うべきかも知れないと思いつつ、巴は反射的に振り返った。
そこにはカルピンを抱えたリョーマが立っていた。
「何だ、リョーマ君か…おっどろいた…」
「こんな時間なのにどこか行くんでしょ?親父達に見つかると厄介なのにどこ行くの?」
不審そうな目でリョーマが巴の出で立ちを見る。
「あ…あのマラソンがてら、肉まんでも買ってこようかなーって、ね、ははは」
我ながら怪しい答えだと思いつつ巴は答える。
聡いリョーマがこんな無理矢理な答えに納得はしないだろう。
「ふーん…まあいいや、今日は遅くまで起きてるつもりだから
肉まん俺の分も買ってきておいてよ」
何か言われると巴も覚悟してはいたが、
リョーマはニヤッと笑いながら肉まんを要求するのみだった。
少し肩すかしのような気持ちを味わいながらも巴は素直に頷いた。
「じゃあ、高級な肉まんによろしくいっといて」
玄関を指さし巴を促す。
もはや何のために外に出るのかバレバレのようであったが
それについて何も言わないリョーマに感謝しつつこっそり外へ出た。
12月の夜の寒さを吹き飛ばそうと本気で走ってきた巴は、
思ったより早く目的地にたどり着いた。
視線の先━━━コート内でひときわ明るいライトの下に跡部は立って待っていた。
「やっと来たか」
「やっとって…ヒドイですよ!これでも走ってきたんですから」
それは巴が吐き出す乱れた白い息が証明している。
「分かってる、しかしお前の走る1分は俺がお前を待つ10分に相当するんだぜ?
知ってんだろ……俺がお前をどれだけ待ち遠しく思ってるかを、な」
いきなり、そんなことを言われてついつい巴は狼狽する。
巴の動揺を楽しむために思わせぶりな言葉を告げる跡部は意地悪だと
顔を真っ赤にして巴は頬をふくらませる。
今年バレンタインにチョコレートを渡して、やっと巴の跡部に対する思いに気付いた跡部がどれぐらい彼女に真実を告げているのかは謎だ。
巴を使って遊んでいるのか、それとも本気なのか━━━巴には分からない。
「……なあ、巴、ちょっとしたゲームでもやろうぜ」
「は?」
何を突然言い出すのかと呆気にとられていると、ラケットを手渡された。
巴のラケットよりもはるかに重みのあるラケットだった。
それはいつも跡部が使用しているラケットだということにはすぐに気付いた。
「え?これからテニスやるんですか?」
我ながら的はずれなことを訊いているなと思いながらもそう尋ねる。
「お前、ラケット持って他に何やろうってんだよ。
今から10分以内にお前が俺から1ポイントでも取ればお前の勝ちだ、褒美をやろう」
跡部はそう言って巴にボールも渡し、さっさとコートに入る。
とっとと打てというように巴に視線を投げかける。
その眼光の鋭さに、巴も慌ててコートに入ってトスを上げる。
巴はいつもより右腕が重く、少々怠さを感じていた。
跡部のラケットを使っているのだ、自分のラケットより使いづらいのは当然だ。
しかし男女の性差、そして自分と跡部の実力の差について思い知らされる。
このラケットを軽々と振るい、使いこなすことが出来れば、今よりももっと高みを目指せるのだろうか?
そんなことを考えながら、跡部の容赦ない打球を追いかける。
追いつけない。
こんなコトを考えながらボールを追いかける今の自分には跡部どころか、追いつこうとする対象すら見えてこない。
ギリっと唇をかみしめる。
鋭い打球は跳ねてコートの外へ遠くへ転がっていく。
呼吸すら乱していない跡部を一瞬振り返りながらボールを拾いに追いかける。
悔しい。
もっと強くなりたい。
誰よりも、跡部よりも高みに上りつめたいと切に願う。
やっとの事でボールを拾い、また再びサーブ位置へと戻ろうとする。
「あと2分だ。何やってるんだ、この俺様がこれでも手加減してるんだぜ?」
跡部が非常な言葉を投げかける。
巴は今の自分の実力を思い知らされる。
相手が跡部とはいえども、手加減されてこのザマだ。
テニス馬鹿といってもいいくらいテニスには真摯な姿勢を見せる跡部が、妥協して自分にハンデをつけてくれているのだ。
それでも追いつけない自分に呆れてしまう。
笑いたくないのに、笑うところではないのに自然と笑えてくる。
半ばヤケになりながら何度上げたか分からないトスを再び上げる。
そこからは記憶は途切れていた。
気がつけば右腕が気だるげに垂れ下がり、ラケットを手放している。
いつの間にかコートの中に座り込んで、ひたすら呼吸を整うのを待っていた。
12月の空気は冷たく、巴からは白い息がしきりに吐き出されていた。
「やるじゃねえか、巴」
いつの間にか跡部は巴の前に立ち、彼女を見下ろしていた。
座り込む巴の前に大きな包みを差し出した。
巴はそれが何を意味するか分からず、しげしげと見つめる。
「褒美だ、貰っておけ━━━まあ、クリスマスプレゼントってやつだな」
普通クリスマスプレゼントって貰うためにこんなに苦労するものなのだろうかと巴は思ったが、口に出したところで跡部の機嫌を損ねるだけでなんの利益もないので黙っていることにした。
それよりも、跡部が言い出すまで今日がクリスマスだということを失念していた。
テニスや冬休みの宿題、年末年始の行事で頭がいっぱいで気付かなかった。
青学テニス部でのパーティーは先日前倒しで行っていたし。
昨日はリョーマの誕生日でクリスマスイブとかそんなこと関係なく越前家はにぎわっていた。
それもあってすっかり忘れてしまっていたのだ。
世間で言うところのクリスマストやらを。
どおりで今日はリョーマもすんなり家から出してくれた筈だ。
巴がクリスマスを忘れているという事実もきっと気付いていたのだろう。
彼もちょっとはいいところがあるなと、内心感謝する。
それを巴が口に出すことは一生なさそうではあるのだが。
「あ、ありがとうございます。っていうか、今日クリスマスだったんですね!」
ついつい、失念していた事実を相手に打ち明けてしまう。
跡部は「そんなことだとは思ったが…」と小さく呟き頭を抱える。
「何のために日付が変わる前にお前を呼び出したと思ってたんだ。
まあ、今日までお前から何のリアクションもないからそんな事だとは思ったが…。
俺にしても跡部家関連で色々忙しかったからな、お前と一緒にクリスマスをどうのこうのという訳にはいかなかったからお互い様だな」
先ほどのゲームでは疲れを一切見せなかった跡部がやや疲労の色を見せる。
巴と一緒にいるとムダに体力を使うのは何故なんだと内心悩む。
それが恋に振り回されていうことだという事には一切気付かない。
これから先も、多分。
原因はともかく巴に関することで疲労するのは己にとって心地いいことだから。
非常に馬鹿げているけれども、何故かそれもいいと思ってしまう。
「あっ…!」
ふと巴はあることに気付いてしまい、おそるおそる跡部を見上げる。
「なんだ、巴?まだ何か忘れてたのか?」
「そうですよ!だから、私まだ跡部さんにプレゼントを用意してないんですけど…!」
半ば悲鳴のように巴は声を上げる。
跡部は相変わらず面白いヤツだというような視線で巴を眺める。
「ハナっから、俺はお前にプレゼントなんて期待してねえよ。
金で買えるものなら欲しいものなんてねえしな」
「そりゃあ分かってますけど、私の気持ちってものが」
必死にすがりつくような目で跡部を見上げる巴は子犬のようで
ついつい跡部は吹き出してしまう。
「っくく…気持ちなら貰ってるからかまわねえよ」
「はい?」
ゲームの残り時間、あと2分。
自分が言葉を投げかけたあとの巴の変化。
それまであった雑念は全て消え、意識は跡部だけに向けられていた。
普段は雑然としたちっぽけなストリートテニスコート、
しかしこの時間は跡部と巴、完全に二人だけの世界だった。
手塚戦の時のような高揚感はないけれども、
これが自分のいる場所だと確信した。
それだけで充分。
これだけはどんな金額を支払おうとも手に入らないものだ。
だから、それで充分だと跡部は思った。
「そうだな━━━今年の分も含め来年にでも期待しておくさ、心してかかれよ」
さっさと包みを開けてみろと無言で促す跡部に従って巴は包装を解いた。
そこにあったのは、何の変哲もないラケットバッグ。
もちろん跡部から贈り物らしくスタイリッシュではあったが値段もごく一般的なもののようで
べつに高級品を期待していたわけではない巴だったがそれでも些か驚いて跡部を見る。
「なんだ?普通のバッグだと言いたげだな。そうだと思ったけどよ。
俺様だって実用的なものを使ってるだろうが」
自らのバッグを指さす跡部に、そういえばそうだと巴も得心がいく。
それにこのラケットが数本入るバッグは跡部と同じメーカーのもののようで、ペアバッグではないものの嬉しい。
おもわず、にへらと笑みを浮かべる。
「ありがとうございます!跡部さん、気にしてないように見えて私のラケットバッグが死亡寸前なのに気付いていたんですねえ、大事に使います!」
にこにこにこにことひたすら笑顔でお礼の言葉を伝える。
ヴィトンのラケットバッグを貰ったって金のラケットを貰ったってここまで嬉しいと思わないだろう。
跡部が自分がちゃんと使えるもの、つまりは自分を想って贈ってくれた。
これ以上嬉しいことはない、天にも昇る気持ちでいた。
思わずラケットバッグをぎゅっと抱きしめる。
「……それぐらい熱烈に俺様に抱きついたって一向に構わないんだがな……」
巴のあり得ないくらいの喜びように半ば呆れつつ、
そして巴の胸の中のバッグを羨みつつ思わず呟いた。
「何か言いました?」
「い、いや。それはともかく、もう遅いしクリスマスは終わったんだ。
お前はもう帰れ、車で送っていくからよ」
巴が抱きしめていたバッグをひょいと取り上げて、一人すたすたとコート出口へと跡部は歩いていく。
それを巴はあわてて追いかける。
「あー、構いませんよ!私、走って帰りますから!」
跡部の背中を掴み、歩みをとめようとする。
しかし、それには構わず跡部は歩き続ける。
「バカ言うな!お前だって世間から見れば立派な女子だろうが」
「ここまでこいって言ったの跡部さんじゃないですか、行きは一人でしたよ」
巴の思わぬ、しかしもっともな反論に足を止めそうになるがかろうじて堪える。
たしかに越前家からここはそう大した距離ではない。
しかし、それでも家に着くまででも巴と一緒にいるのは楽しいことだと思ったのだ。
とにかくそう思ってしまったからには跡部の主張は譲れない。
行きはどうあれ、巴を送って帰るのが自分にはベストの選択なのだ。
「それに、リョーマ君に肉まん買っていくって約束したからコンビニに寄るんです」
ピタ、と跡部の足が止まる。
「越前に、肉まん?」
「はい、せっかく家から出してくれたことだし、私のおごりでいいかなって」
リョーマという単語を聞いて跡部の表情は壮絶な笑みを浮かべた。
巴の背筋は思わず凍った。
「いいじゃねえか、せっかくだから俺が奢ってやろう」
跡部の脳裏には、いや巴の脳裏にも、リョーマの嫌そうな表情が浮かぶ。
夏の全国大会以来跡部にとっての越前リョーマは天敵以外の何者でもない。
彼に刈られた毛髪もすっかり生えそろったが傷ついたプライドが回復するにはまだ早すぎた。
リョーマも跡部を毛嫌いしている。
巴がつきあっているということもあるのだろう、拒否反応と来たらもの凄い。
跡部のお金で買った肉まん一つで些細な嫌がらせの一つも出来るのなら
ちょっとした楽しみになる。
「ま、せいぜい俺様のクリスマスプレゼントでも味わうんだな」
楽しそうに笑いながら再び歩き出す跡部を巴はもう止められなかった。
クリスマスは正確にはもう数分前に終わってしまったけれども、
とんでもないクリスマスになってしまったと少し気が重くなった。
来年からは、クリスマスといえど家から出してもらえないだろうな。
来年のクリスマスは夜中に抜け出すことがないように跡部にお願いしなければ、
そして肉まんを前に機嫌を悪くするだろうリョーマをどうなだめようかと
この先のことを色々考えながら跡部の後ろをピッタリくっついてコンビニに向かう。
「ほら、手ェだせ」
返事をするまもなく、巴は跡部に右手を掴まれる。
ま、いいか。
来年のことは来年に、リョーマのことは家の中に入ってから考えればいいやと懸念事項を放り投げ、跡部の手のぬくもりに今は酔いしれることに決めた。
「跡部さん」
「なんだ?」
「メリークリスマスです」
「…………遅えよ」
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