例えば、俺様があいつのことを「好きだ」と言ったらどんな顔をするだろう?
容易に想像できること━━━大きな目をこぼれんばかりに見開いて驚く姿、そんな彼女を思い描きながらそばにあったソファに深く身を沈めて笑う。
もっとも、そんなことを彼女に告げるにはまだ早すぎる。
物事なんていうものは全てタイミングで決まる。
いまはまだその時ではないと彼は思っている。
彼女をもっとテニスに集中させるべきだ。
これからの長いテニス人生を考えれば。
けれども、やはり彼女に逢いたいときだってある。
こんな静かな夜は。
幸か不幸か明日は休日。
どうやって彼女を誘い出すか。
単純なようでいて難しい問題だ。
きっと彼女も自分が来いと言えばついてくるだろう。
しかしそれは、いまの自分と樺地の関係と何ら変わりない。
命令じゃなくて、誘わなければならない。
あまり慣れていないことは完璧なはずの自分でも容易ではない。
RRRR……
華やかなオルゴールの音色がサイドテーブルの携帯からあふれ出した。
たったひとりのために設定した曲だった。
少し緊張した面持ちで画面を見る。
『明日また一緒に練習しませんか?』
何の飾りっ気もそれどころか女らしさの欠片もない文字列がそこにはあった。
けれども笑みが浮かぶのは何故だろう?
「…チッ、先を越されちまったな」
簡潔な言葉に対してこちらも簡潔に応える。
自分の文章力を持ってすればどんな言葉だって彼女に伝えられるだろう。
けれども迂闊にも長い文章で彼女に気持ちが伝わってしまったら?
自分の口から紡いだ言葉ではなくてこんな無機質なモノから。
「いつかちゃんと俺様から言わねえとな」
結局ディスプレイに打ち込まれたのはこれ以上短くしようのないものだった。
自分の気持ちがこぼれようのない程に。
『いつものところで』
END
容易に想像できること━━━大きな目をこぼれんばかりに見開いて驚く姿、そんな彼女を思い描きながらそばにあったソファに深く身を沈めて笑う。
もっとも、そんなことを彼女に告げるにはまだ早すぎる。
物事なんていうものは全てタイミングで決まる。
いまはまだその時ではないと彼は思っている。
彼女をもっとテニスに集中させるべきだ。
これからの長いテニス人生を考えれば。
けれども、やはり彼女に逢いたいときだってある。
こんな静かな夜は。
幸か不幸か明日は休日。
どうやって彼女を誘い出すか。
単純なようでいて難しい問題だ。
きっと彼女も自分が来いと言えばついてくるだろう。
しかしそれは、いまの自分と樺地の関係と何ら変わりない。
命令じゃなくて、誘わなければならない。
あまり慣れていないことは完璧なはずの自分でも容易ではない。
RRRR……
華やかなオルゴールの音色がサイドテーブルの携帯からあふれ出した。
たったひとりのために設定した曲だった。
少し緊張した面持ちで画面を見る。
『明日また一緒に練習しませんか?』
何の飾りっ気もそれどころか女らしさの欠片もない文字列がそこにはあった。
けれども笑みが浮かぶのは何故だろう?
「…チッ、先を越されちまったな」
簡潔な言葉に対してこちらも簡潔に応える。
自分の文章力を持ってすればどんな言葉だって彼女に伝えられるだろう。
けれども迂闊にも長い文章で彼女に気持ちが伝わってしまったら?
自分の口から紡いだ言葉ではなくてこんな無機質なモノから。
「いつかちゃんと俺様から言わねえとな」
結局ディスプレイに打ち込まれたのはこれ以上短くしようのないものだった。
自分の気持ちがこぼれようのない程に。
『いつものところで』
END
好きってどこから来てるんだろう。
記憶の中で鮮やかに映し出される姿にすらドキドキしてしまう。
照れくさくなってめーたんを胸に抱き布団にダイブする。
「すき…です━━━……さん」
布団に顔を埋めて本当にかすかな声で呟いてみる。
いっそ彼の人に告げてしまえば楽になるだろうか。
でも、テニス仲間の自分からそんなことを言われては
きっと彼は戸惑ってしまうだろう。
ああ見えて優しい人だから答えに困ってしまうだろう。
彼の柔らかい声、案外がっしりした身体、ラケットを握る大きな手。
たまに意地悪なところも、ふと見せる優しさも自分にとってはかけがえのない。
いまそれを失うことなんて考えられない。
生きるか死ぬか、そんな選択は出来そうにない。
出来るのはただのテニス仲間の顔をしてそばに近寄るだけだ。
枕元の携帯電話に片手を伸ばす。
『明日また一緒に練習しませんか?』
ただ一緒にいたいだけなのに、また自分の心を偽ったメールを送信する。
純粋にテニスに明け暮れる彼はOKの答えを返してくれるだろう。
それは、分かっている。
だからこそ罪悪感が胸を占める。
狡い女になればこんな気持ちも抱かないだろうに。
初めて人を好きになった自分はまだまだそこまで及ばない。
自覚はある。
RRRR……
いつか彼が好きだと言った曲が携帯から流れ出す。
1分とかからなかった返事に慌てて画面を開いて確かめる。
『いつものところで』
あまりにも簡潔な答え。
けれどもいま欲しかった答え。
嬉しさにぎゅっとめーたんを抱き直して目を閉じる。
願わくば、今夜の夢は彼の夢でありますように。
久し振りに彼に会って挙動不審にならないようにせめて
夢の中で予行練習をさせて欲しい。
「よろしくね、めーたん」
END
記憶の中で鮮やかに映し出される姿にすらドキドキしてしまう。
照れくさくなってめーたんを胸に抱き布団にダイブする。
「すき…です━━━……さん」
布団に顔を埋めて本当にかすかな声で呟いてみる。
いっそ彼の人に告げてしまえば楽になるだろうか。
でも、テニス仲間の自分からそんなことを言われては
きっと彼は戸惑ってしまうだろう。
ああ見えて優しい人だから答えに困ってしまうだろう。
彼の柔らかい声、案外がっしりした身体、ラケットを握る大きな手。
たまに意地悪なところも、ふと見せる優しさも自分にとってはかけがえのない。
いまそれを失うことなんて考えられない。
生きるか死ぬか、そんな選択は出来そうにない。
出来るのはただのテニス仲間の顔をしてそばに近寄るだけだ。
枕元の携帯電話に片手を伸ばす。
『明日また一緒に練習しませんか?』
ただ一緒にいたいだけなのに、また自分の心を偽ったメールを送信する。
純粋にテニスに明け暮れる彼はOKの答えを返してくれるだろう。
それは、分かっている。
だからこそ罪悪感が胸を占める。
狡い女になればこんな気持ちも抱かないだろうに。
初めて人を好きになった自分はまだまだそこまで及ばない。
自覚はある。
RRRR……
いつか彼が好きだと言った曲が携帯から流れ出す。
1分とかからなかった返事に慌てて画面を開いて確かめる。
『いつものところで』
あまりにも簡潔な答え。
けれどもいま欲しかった答え。
嬉しさにぎゅっとめーたんを抱き直して目を閉じる。
願わくば、今夜の夢は彼の夢でありますように。
久し振りに彼に会って挙動不審にならないようにせめて
夢の中で予行練習をさせて欲しい。
「よろしくね、めーたん」
END
---27日PM---
さすがに、放課の時刻が迫ってくる頃には巴の目はほぼ通常通りに戻っていた。
慣れない寝不足はさすがに尾を引いていて目尻はうっすら赤いが、そのあたりはもうよく見ないことには分からないだろう。
自分でもいま手にしている小さな鏡では、頑張って見なければ気付かない程度だ。
「よし、目、オッケー。肌もオッケー…かな」
自分の再点検を終えたところで丁度SHRが終了して日直から号令がかかった。
今週は中等部も高等部も中間試験前ということで部活はない。
あとは観月に逢いに行くだけとなった。
背中を押されたように号令から一瞬遅れて勢いよく立ち上がった。
そのまま、待ち合わせ場所まで走っていける位の勢いで。
「よぉっし! プレゼントも持ったっと!」
先日から頑張って用意した紙袋も再度確認して教室を出ようとした。
いつものごとく隣には早川がいる。
今日みたいに用事があっても、学校を出るまではいつでも二人は並んで歩いている。
この学校に転校してからはいつの間にかそういうことになっていた。
「ねえ、赤月、そういえば」
張り切っている巴に早川は声をかけた。
「昨日の悩みって解消したわけ?
━━━つまり昨日のシチュエーションがどうのこうの……ってやつだけど」
早川のとってそれは何か確認したかったというわけでもなく、ただの世間話に近い何気なく尋ねたことであったが、巴には大きな意味があった。
「わわっ、忘れてたあ!」
巴の悲愴な叫びは廊下一帯に響き渡っていった。
隣に立っていた早川の耳は突然の大声にピリピリしていたが、それよりもただ観月がこの中等部にいまいなくて良かったなあと心から思っていた。
彼がいたとしたら、廊下での大声などすぐに叱咤が飛んでいたことだろう。
そして、彼女の隣にいた者として自分もとばっちりに近い責任追及をされていたに違いない。
巴には悪いが、取扱いが非常に面倒な観月は、早川にとって出来る限り避けたい相手であった。
非常に残念ながら、いまとなってはテニスから離れたり巴との縁を切らない限りは、完全に避けられない間柄だったが。
「どうしよう……、待ち合わせ場所から先のこと全く考えてなかった……!
なんか今朝は目の腫れのことばっかり考えてたし、授業中は眠くて仕方なかったし」
きっと、今日が元々ノープランだったとしても観月は何も言わないだろう。
はじめから今日の予定を巴が立てると宣言しているのならば別だが、巴の考えていたお祝いといえばある意味サプライズに近いことだったので、観月には言っていない。
観月にすれば、巴がなにかやりたそうにしていることには気付いていても、既に彼にとって重要なのはそこではなく、ただ巴とどう過ごすかだけの話だったので、正直サプライズだろうが最初から知らされている予定通りであろうがどうでも良い。
ノープランでも、二人でいればどこでもそれなりに楽しいのだから。
これまでの付き合いでも、常々そう思っていた。
もっとも、それを巴に悟られると、「遊び心がない!」だの「私のことなんてどうでもいいんですね!」だのと物事の本質から大きく外れたところで責められるので黙っているが。
当然彼女のエスコートで素晴らしい1日になれば、それがお互いにとって一番良いとは思っている。
しかし、現在の巴はその事は知らないので、あくまで真剣に『本日の予定』がまだ立っていないことを気にしていた。
心なしか顔も青ざめている。
「仕方ないじゃない、ここまで来ちゃったら取りあえず待ち合わせ場所に行かないと。
時間に遅れることが一番観月さんが嫌いなことだって知ってるでしょ。
大体、観月さんなんて、赤月がいればどこだって何だって嬉しいんだから」
「それも、分かってる」
うつむき加減でそう答えた巴を見ながら、昨日に続いてまた余計な口出しをしてしまったことに早川は気付いた。
つくづく自分は恋愛絡みの問題には向いていないと思い知らされる。
たまたま巴と観月の二人に近い人間として、話を聞いてしまうことも多いが、こういった話の時はどうしても役に立たずに辛い。
転校してから1年以上たつことだし、はやく恋愛相談担当の友達でも作ってくれないかなと思ったりもするが、残念ながら巴の性格では恋愛脳の友達などなかなか出来そうにもなかった。
---
放課後の待ち合わせはいつも決まっていた。
駅前のからくり時計の下のベンチだった。
しぶしぶノープランで待ち合わせ場所にやってきた巴は、その場所に観月がいないことに少しばかり安堵した。
観月が決めないわけがないので待ち合わせの時間は当然決まっていたが、なにぶん学校が終わってからの待ち合わせということで休日の時のように厳守は難しい。
先生や委員会や部活、『なにかしらの用事』は予告なしでやってくるからだ。
かといって、観月が数分遅れたところでその間に何か良い案が思い浮かぶとは、巴自身到底思えなかった。
一度周囲をぐるりと見渡して、運の良いことに空いていたベンチに巴はちょこんと座り観月の到着を待つことにした。
もちろん脳内で悪あがきをしてみるものの、上手くはいかない。
からくり時計の針がムダにカチ、カチと動いていくのみだった。
その針が到着したときよりも45度ほど傾いたとき、待ち人はやって来た。
結局、ここまで巴には良い案が浮かばないままだ。
逃げるわけにはいかない以上、開き直るしかないと腹を括った。
「巴くん、待たせてしまってすみませんでした。
今日はキミがボクのために用意してくれた日だというのに」
「い、いいえ!
私なんかよりも観月さんの方が忙しいのなんて分かり切ってることですから」
大慌てでベンチから立ち上がり、観月は悪くないと巴は主張した。
観月が遅れてきて謝るときにいつもそうするように。
「━━━キミはいつもそう言ってくれますね、正直助かります。
でも、拗ねてみせるのも彼女たる特権だと思いますけどね、んふっ」
観月もまたいつも通り冗談交じりに彼女をいなして、この場所から動こうと誘導する。
が、巴はベンチから立ち上がったその姿勢のまま動こうとしなかった。
「……巴くん、どうしたんですか?」
長らく付き合っていれば、多少なりとも彼女の奇行には慣れている。
慣れてはいるが、その行動のひとつひとつの理由は知りたいと観月は思う。
それを知ることで自分お得意のデータ化できたら面白いと思うし、そうしなくても自分には理解できない彼女の気持ちを知ること、それだけでなんだか楽しい気分になるのだから。
「ごめんなさいっ!
今日は私から誘ったクセにノープランですっ!」
色んな人から『開き直った巴はタチが悪い』と良く言われるが、いまこの時点が最たるタチの悪さだろうと巴は自身そう思った。
そんなことをあっさり、しかも大きい声で告げられた観月は、この答えばかりは予想外でぽかんと彼女を見つめるばかりだ。
自意識過剰かもしれないが、さすがに自らの誕生日に逢おうと誘うだけ誘っておいて計画も無しだとは思わなかった。なにか素敵な出来事の企画の一つでもあってしかるべきではないだろうか、普通。
その『普通』ではない部分も、観月にとっては巴の良いところの一つだったりするので非難は出来ないが。
ここで、こう来られるとは思わなかった。
「……んふっ、今日はどうお祝いしてくれるのかと思ったんですけどね。
その辺は巴くんらしいというか……ふふっ」
観月から笑みが漏れる。
しかし巴はそこで観月にウケるとは思わなかったので思わず目を丸くした。
「いいんですか!? それで……怒られると思ったんですけど……」
「いいえ、そんなことで怒っていてはボクの身が持ちませんよ。
完璧なプランを立ててくる巴くんの方が、らしくないと思ってますからね」
聞く人が聞けば馬鹿にしてると取られるセリフをさらっと観月は口にして、また巴を促す。
「じゃあ、適当にフラフラしましょうか、今日は暖かくて天気も良いし公園でも?
高台のベンチからならこれから綺麗な夕陽の一つでも見られるでしょうしね」
学生のデートスポットでもあるそこへ行こうと観月は誘った。
確かにいまからどこに行くにしても、計画していないのなら時間的にも金銭的にも多少の無理が生じる。
公園であれば、どんな条件でもそこそこ楽しめるだろう。
巴は、今日は自分でエスコートするはずだったのに……と少々落ち込みこそすれど、その申し出には異存はなく観月の腕をさりげなく掴んで共に歩き出した。
---
さすがに放課後の学生カップル達はこんな良い場所を逃すわけもなく、公園は人が多かった。
夕陽を望もうと行った公園内の高台のベンチは既に満員御礼で、二人は高台一面に広がる芝生にじかに腰を下ろすことにした。
もちろん観月は巴に膝を立てるななどと細かいことを注意することを忘れない。
途中のコンビニで買ったペットボトルのお茶を手渡しながら、観月は巴に改まった調子で話し始めた。
その雰囲気に巴も思わず背筋を伸ばして聞く体制になった。
「ねえ、巴くんはいつも一人で精一杯頑張りすぎてしまうクセがあるでしょう?
そんなキミももちろん大好きですけど、それだけじゃあ彼氏としては寂しいですね」
唐突なその話題に巴の思考は付いていかない。
不思議そうな顔のまま、観月の次の言葉を待つ。
彼の顔が妙にいつにも増して真面目な顔なのが、巴の緊張感を煽り立てていた。
「たまにはちゃんとボクに甘えてみませんか?
せっかくボクみたいなしっかりした彼氏が居るんです。
キミはもうちょっと力を抜いた方がイイと思うんですけどね。
━━━ああ、もちろん手を抜くという意味じゃなくて」
ようやく、巴も彼の話を理解した。
どうやら自分が今回ノープランだったことに責任を感じていることを、観月は悟っているようだった。
それなのにここまで言ってフォローしてくれるなんて、情けなくもあるし有り難くもある。
観月の言葉が直接耳よりも先に心にじわじわ染みこんできた。
良い意味でも悪い意味でも、いまの自分に一番の影響力を持つのはこの人なんだと実感する。
隣で、こうやって真摯な目で話してくれる人がいるのはとても安心することだ。
「ああそうだ、キミ、そんなに真っ直ぐ正座するように座ってないで、
こっちに……そう、ボクの肩にもたれ掛かりなさい━━━眠いんでしょう?」
言われるままに遠慮無く観月の肩に巴は体重を預けたが、急に全く話題を変えられて戸惑いは隠せなかった。
何故か自分が寝不足であることを知られている。
まさか朝練の時に早川は正直に真実を話してしまったのではないだろうか。
信頼の置ける女友達に僅かな疑念が生まれる。
「んふっ、そのうっすら赤い目の端を見れば分かりますよ。
どうせ今朝も体調不良というよりは寝不足だったりするんでしょう。
キミが眠いときはいつも赤ちゃんみたいに体温が高くなって、こうやってもたれ掛かられるとボクも暖かくて心地良いですね」
どうやら早川の疑いはシロだったらしい。
目が腫れて仕方なかったこと自体は知られていないことにホッと胸を撫で下ろした。
肌はガサガサ目はパンパンとあんな恥ずかしい顔をしていたと、この端正な顔を持つ自分の好きな人に知られたくはない。
女子なら一様にそう思うことだろう、そして巴もそうだった。
観月は巴の体温が心地良いと言ったが、それは巴も同じことで、観月の低めの体温が快かった。
思わず目を閉じてそのまま眠ってしまいたくなる。
観月はそれでも構わないと言うのだろうが、巴にしてみればこの状態を眠りで途切れさせてしまうのは、とてももったいないことのように思えた。
「ん……? 寝ないんですか、巴くん」
「だって、空が赤くなってきましたよ、ほら」
ついつい二人の世界に夢中になってしまっていたが、陽はずいぶん傾いており彼らのいる公園の木々は鮮やかな新緑から一転優しいオレンジへと色を塗り替えていた。
夕陽がやわらかく二人はもちろん周囲を包み込む。
「あ、そうだ。
お誕生日おめでとうございます、観月さん。これ、プレゼントです」
巴は渡すならばいまだと考えて、プレゼントを手渡す。
観月は巴に「いいですか?」と許可を得てから、あくまで丁寧にプレゼントの包みを解いた。
中に入っていたのは、分厚く柔らかそうなアイボリーとロイヤルブルーのタオルだった。
銀糸で観月のイニシャルが施されている。
こういう優雅さを忘れない実用品は観月の好むものだった。
「これは……一流ホテルのタオルと言っても通りそうな位良い品ですね」
「観月さんって肌が弱いですから、こういったものが良いかなって思ったんです」
「キミがボク自身のことをちゃんと考えて贈ってくれるというのは良いですね。
去年もそうでしたけど、それがボクにとっては一番嬉しいですよ。
あ、もちろんプレゼントだって嬉しいですけどね」
巴はその言葉に何となく照れを感じて、顔を僅かに伏せる。
付き合い始めてから1年以上たつけれども、洗練されているようでいて直截的な観月の物言いは巴を時に照れさせる。そしていつまで経っても慣れない。
「…………喜んでもらって、私こそ嬉しいです…………」
夕陽に照らされていながらも赤面していることが分かる巴の表情に、観月の顔にも笑みが生まれる。
観月はいついかなる時に見ても飽きない彼女にまた魅入ってしまう。
「キミはいつだって、何もしなくたってボクをこんなに幸せにするんですよ。
それは、自覚しなさい。」
「はい?」
彼の話が見えない巴は思わず問い返した。
見えないのも当然だ。
観月だってとっさに思いついたことを口走ったのだから仕方ない。
「だから、ボクにいくらでも甘えて良いし、こうしていつでももたれ掛かりなさい」
「でも……」
戸惑い気味の巴の声を聞き、自分でも何を言っているんだと思いつつ、観月は話を続けた。
「もしも、その扱いに納得がいかないと言うのであれば。
それならキミの持てる精一杯で、ずっとボクの隣に居続ける努力をしてください。
たったそれだけ……それだけでボクは報われるんですよ」
「え、そんなことで良いんですか? 簡単なことですよ」
「どんな簡単なことでも、物事を持続させるというのは案外難しいことですよ。
いくら、キミとボクとの仲と言ってもね。
━━━あ、あと一つお願いがあります」
「それも、簡単なことでしょうか……?」
急に無理なお願いが来るかもしれないと思い巴は少しドキドキする。
アメとムチは観月の得意とするところだったから、いつものように脳内では警戒警報のサイレンが鳴り響いている。
甘い言葉の後に振るわれるムチは相当痛そうだ。
「ええ……んふ。いえ、簡単かもしれないし、難しいかもしれません。
毎年、この日にまたこの公園で二人で過ごしましょうって事ですから」
『この日』つまり観月の誕生日ということだ。
「いいですけど、そうしたら毎年観月さんのお誕生日は公園ですよ!?
そりゃ、今年は何をして良いんだか思いつきませんでしたけど……。
でも、来年こそはちゃんとしますから!」
この公園に来たのは必然ではない。偶然のことだ。
たまたま、巴がせっかく二人で会うというのに計画が立てられなかっただけで。
この公園自体に何か思い入れがあるわけでも用事があるわけでもない。
「構いませんよ、ここが良いんです、良くなりました。
だって、ここに来ればボクのいまの気持ちをまた思い出すでしょう?」
ありのままの彼女、赤月巴と一緒に過ごしたい。
ただそれだけの純粋な願いを自覚し、彼女に告げた場所。
「だからこそ、いいんです」
「?」
納得していなさそうな巴の表情を楽しげに眺めつつ、芝生に伏せられた彼女の手に自分の手を重ねた。
じんわりとした暖かみが観月の手のひらに広がった。
こんな暖かさを味わえるのなら、いつでも何度だってここに来ても構わないとすら彼は思う。
それがたとえ自分の誕生日ではないとしても。
「だって、いまキミ━━━巴のことをこんなに好きになっている自分のことを、いつだって忘れたくないですからね」
「そっ、そう言うことなら……」
アメとムチのムチも甘い言葉のラッシュだったらしい。
目が回る思いで巴は観月の言葉を受け止める。
「ちなみに」
巴の耳元へ観月が口を寄せる。
恐ろしいほど近い距離から彼の声が発せられて、思わず巴は体を震わせる。
「毎年プレゼントはちゃんといただきますからね━━━キミを」
そう言って耳元に近づけられていた筈の彼の唇は、頬を掠めてあらためて巴の唇にたどり着いた。
END
さすがに、放課の時刻が迫ってくる頃には巴の目はほぼ通常通りに戻っていた。
慣れない寝不足はさすがに尾を引いていて目尻はうっすら赤いが、そのあたりはもうよく見ないことには分からないだろう。
自分でもいま手にしている小さな鏡では、頑張って見なければ気付かない程度だ。
「よし、目、オッケー。肌もオッケー…かな」
自分の再点検を終えたところで丁度SHRが終了して日直から号令がかかった。
今週は中等部も高等部も中間試験前ということで部活はない。
あとは観月に逢いに行くだけとなった。
背中を押されたように号令から一瞬遅れて勢いよく立ち上がった。
そのまま、待ち合わせ場所まで走っていける位の勢いで。
「よぉっし! プレゼントも持ったっと!」
先日から頑張って用意した紙袋も再度確認して教室を出ようとした。
いつものごとく隣には早川がいる。
今日みたいに用事があっても、学校を出るまではいつでも二人は並んで歩いている。
この学校に転校してからはいつの間にかそういうことになっていた。
「ねえ、赤月、そういえば」
張り切っている巴に早川は声をかけた。
「昨日の悩みって解消したわけ?
━━━つまり昨日のシチュエーションがどうのこうの……ってやつだけど」
早川のとってそれは何か確認したかったというわけでもなく、ただの世間話に近い何気なく尋ねたことであったが、巴には大きな意味があった。
「わわっ、忘れてたあ!」
巴の悲愴な叫びは廊下一帯に響き渡っていった。
隣に立っていた早川の耳は突然の大声にピリピリしていたが、それよりもただ観月がこの中等部にいまいなくて良かったなあと心から思っていた。
彼がいたとしたら、廊下での大声などすぐに叱咤が飛んでいたことだろう。
そして、彼女の隣にいた者として自分もとばっちりに近い責任追及をされていたに違いない。
巴には悪いが、取扱いが非常に面倒な観月は、早川にとって出来る限り避けたい相手であった。
非常に残念ながら、いまとなってはテニスから離れたり巴との縁を切らない限りは、完全に避けられない間柄だったが。
「どうしよう……、待ち合わせ場所から先のこと全く考えてなかった……!
なんか今朝は目の腫れのことばっかり考えてたし、授業中は眠くて仕方なかったし」
きっと、今日が元々ノープランだったとしても観月は何も言わないだろう。
はじめから今日の予定を巴が立てると宣言しているのならば別だが、巴の考えていたお祝いといえばある意味サプライズに近いことだったので、観月には言っていない。
観月にすれば、巴がなにかやりたそうにしていることには気付いていても、既に彼にとって重要なのはそこではなく、ただ巴とどう過ごすかだけの話だったので、正直サプライズだろうが最初から知らされている予定通りであろうがどうでも良い。
ノープランでも、二人でいればどこでもそれなりに楽しいのだから。
これまでの付き合いでも、常々そう思っていた。
もっとも、それを巴に悟られると、「遊び心がない!」だの「私のことなんてどうでもいいんですね!」だのと物事の本質から大きく外れたところで責められるので黙っているが。
当然彼女のエスコートで素晴らしい1日になれば、それがお互いにとって一番良いとは思っている。
しかし、現在の巴はその事は知らないので、あくまで真剣に『本日の予定』がまだ立っていないことを気にしていた。
心なしか顔も青ざめている。
「仕方ないじゃない、ここまで来ちゃったら取りあえず待ち合わせ場所に行かないと。
時間に遅れることが一番観月さんが嫌いなことだって知ってるでしょ。
大体、観月さんなんて、赤月がいればどこだって何だって嬉しいんだから」
「それも、分かってる」
うつむき加減でそう答えた巴を見ながら、昨日に続いてまた余計な口出しをしてしまったことに早川は気付いた。
つくづく自分は恋愛絡みの問題には向いていないと思い知らされる。
たまたま巴と観月の二人に近い人間として、話を聞いてしまうことも多いが、こういった話の時はどうしても役に立たずに辛い。
転校してから1年以上たつことだし、はやく恋愛相談担当の友達でも作ってくれないかなと思ったりもするが、残念ながら巴の性格では恋愛脳の友達などなかなか出来そうにもなかった。
---
放課後の待ち合わせはいつも決まっていた。
駅前のからくり時計の下のベンチだった。
しぶしぶノープランで待ち合わせ場所にやってきた巴は、その場所に観月がいないことに少しばかり安堵した。
観月が決めないわけがないので待ち合わせの時間は当然決まっていたが、なにぶん学校が終わってからの待ち合わせということで休日の時のように厳守は難しい。
先生や委員会や部活、『なにかしらの用事』は予告なしでやってくるからだ。
かといって、観月が数分遅れたところでその間に何か良い案が思い浮かぶとは、巴自身到底思えなかった。
一度周囲をぐるりと見渡して、運の良いことに空いていたベンチに巴はちょこんと座り観月の到着を待つことにした。
もちろん脳内で悪あがきをしてみるものの、上手くはいかない。
からくり時計の針がムダにカチ、カチと動いていくのみだった。
その針が到着したときよりも45度ほど傾いたとき、待ち人はやって来た。
結局、ここまで巴には良い案が浮かばないままだ。
逃げるわけにはいかない以上、開き直るしかないと腹を括った。
「巴くん、待たせてしまってすみませんでした。
今日はキミがボクのために用意してくれた日だというのに」
「い、いいえ!
私なんかよりも観月さんの方が忙しいのなんて分かり切ってることですから」
大慌てでベンチから立ち上がり、観月は悪くないと巴は主張した。
観月が遅れてきて謝るときにいつもそうするように。
「━━━キミはいつもそう言ってくれますね、正直助かります。
でも、拗ねてみせるのも彼女たる特権だと思いますけどね、んふっ」
観月もまたいつも通り冗談交じりに彼女をいなして、この場所から動こうと誘導する。
が、巴はベンチから立ち上がったその姿勢のまま動こうとしなかった。
「……巴くん、どうしたんですか?」
長らく付き合っていれば、多少なりとも彼女の奇行には慣れている。
慣れてはいるが、その行動のひとつひとつの理由は知りたいと観月は思う。
それを知ることで自分お得意のデータ化できたら面白いと思うし、そうしなくても自分には理解できない彼女の気持ちを知ること、それだけでなんだか楽しい気分になるのだから。
「ごめんなさいっ!
今日は私から誘ったクセにノープランですっ!」
色んな人から『開き直った巴はタチが悪い』と良く言われるが、いまこの時点が最たるタチの悪さだろうと巴は自身そう思った。
そんなことをあっさり、しかも大きい声で告げられた観月は、この答えばかりは予想外でぽかんと彼女を見つめるばかりだ。
自意識過剰かもしれないが、さすがに自らの誕生日に逢おうと誘うだけ誘っておいて計画も無しだとは思わなかった。なにか素敵な出来事の企画の一つでもあってしかるべきではないだろうか、普通。
その『普通』ではない部分も、観月にとっては巴の良いところの一つだったりするので非難は出来ないが。
ここで、こう来られるとは思わなかった。
「……んふっ、今日はどうお祝いしてくれるのかと思ったんですけどね。
その辺は巴くんらしいというか……ふふっ」
観月から笑みが漏れる。
しかし巴はそこで観月にウケるとは思わなかったので思わず目を丸くした。
「いいんですか!? それで……怒られると思ったんですけど……」
「いいえ、そんなことで怒っていてはボクの身が持ちませんよ。
完璧なプランを立ててくる巴くんの方が、らしくないと思ってますからね」
聞く人が聞けば馬鹿にしてると取られるセリフをさらっと観月は口にして、また巴を促す。
「じゃあ、適当にフラフラしましょうか、今日は暖かくて天気も良いし公園でも?
高台のベンチからならこれから綺麗な夕陽の一つでも見られるでしょうしね」
学生のデートスポットでもあるそこへ行こうと観月は誘った。
確かにいまからどこに行くにしても、計画していないのなら時間的にも金銭的にも多少の無理が生じる。
公園であれば、どんな条件でもそこそこ楽しめるだろう。
巴は、今日は自分でエスコートするはずだったのに……と少々落ち込みこそすれど、その申し出には異存はなく観月の腕をさりげなく掴んで共に歩き出した。
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さすがに放課後の学生カップル達はこんな良い場所を逃すわけもなく、公園は人が多かった。
夕陽を望もうと行った公園内の高台のベンチは既に満員御礼で、二人は高台一面に広がる芝生にじかに腰を下ろすことにした。
もちろん観月は巴に膝を立てるななどと細かいことを注意することを忘れない。
途中のコンビニで買ったペットボトルのお茶を手渡しながら、観月は巴に改まった調子で話し始めた。
その雰囲気に巴も思わず背筋を伸ばして聞く体制になった。
「ねえ、巴くんはいつも一人で精一杯頑張りすぎてしまうクセがあるでしょう?
そんなキミももちろん大好きですけど、それだけじゃあ彼氏としては寂しいですね」
唐突なその話題に巴の思考は付いていかない。
不思議そうな顔のまま、観月の次の言葉を待つ。
彼の顔が妙にいつにも増して真面目な顔なのが、巴の緊張感を煽り立てていた。
「たまにはちゃんとボクに甘えてみませんか?
せっかくボクみたいなしっかりした彼氏が居るんです。
キミはもうちょっと力を抜いた方がイイと思うんですけどね。
━━━ああ、もちろん手を抜くという意味じゃなくて」
ようやく、巴も彼の話を理解した。
どうやら自分が今回ノープランだったことに責任を感じていることを、観月は悟っているようだった。
それなのにここまで言ってフォローしてくれるなんて、情けなくもあるし有り難くもある。
観月の言葉が直接耳よりも先に心にじわじわ染みこんできた。
良い意味でも悪い意味でも、いまの自分に一番の影響力を持つのはこの人なんだと実感する。
隣で、こうやって真摯な目で話してくれる人がいるのはとても安心することだ。
「ああそうだ、キミ、そんなに真っ直ぐ正座するように座ってないで、
こっちに……そう、ボクの肩にもたれ掛かりなさい━━━眠いんでしょう?」
言われるままに遠慮無く観月の肩に巴は体重を預けたが、急に全く話題を変えられて戸惑いは隠せなかった。
何故か自分が寝不足であることを知られている。
まさか朝練の時に早川は正直に真実を話してしまったのではないだろうか。
信頼の置ける女友達に僅かな疑念が生まれる。
「んふっ、そのうっすら赤い目の端を見れば分かりますよ。
どうせ今朝も体調不良というよりは寝不足だったりするんでしょう。
キミが眠いときはいつも赤ちゃんみたいに体温が高くなって、こうやってもたれ掛かられるとボクも暖かくて心地良いですね」
どうやら早川の疑いはシロだったらしい。
目が腫れて仕方なかったこと自体は知られていないことにホッと胸を撫で下ろした。
肌はガサガサ目はパンパンとあんな恥ずかしい顔をしていたと、この端正な顔を持つ自分の好きな人に知られたくはない。
女子なら一様にそう思うことだろう、そして巴もそうだった。
観月は巴の体温が心地良いと言ったが、それは巴も同じことで、観月の低めの体温が快かった。
思わず目を閉じてそのまま眠ってしまいたくなる。
観月はそれでも構わないと言うのだろうが、巴にしてみればこの状態を眠りで途切れさせてしまうのは、とてももったいないことのように思えた。
「ん……? 寝ないんですか、巴くん」
「だって、空が赤くなってきましたよ、ほら」
ついつい二人の世界に夢中になってしまっていたが、陽はずいぶん傾いており彼らのいる公園の木々は鮮やかな新緑から一転優しいオレンジへと色を塗り替えていた。
夕陽がやわらかく二人はもちろん周囲を包み込む。
「あ、そうだ。
お誕生日おめでとうございます、観月さん。これ、プレゼントです」
巴は渡すならばいまだと考えて、プレゼントを手渡す。
観月は巴に「いいですか?」と許可を得てから、あくまで丁寧にプレゼントの包みを解いた。
中に入っていたのは、分厚く柔らかそうなアイボリーとロイヤルブルーのタオルだった。
銀糸で観月のイニシャルが施されている。
こういう優雅さを忘れない実用品は観月の好むものだった。
「これは……一流ホテルのタオルと言っても通りそうな位良い品ですね」
「観月さんって肌が弱いですから、こういったものが良いかなって思ったんです」
「キミがボク自身のことをちゃんと考えて贈ってくれるというのは良いですね。
去年もそうでしたけど、それがボクにとっては一番嬉しいですよ。
あ、もちろんプレゼントだって嬉しいですけどね」
巴はその言葉に何となく照れを感じて、顔を僅かに伏せる。
付き合い始めてから1年以上たつけれども、洗練されているようでいて直截的な観月の物言いは巴を時に照れさせる。そしていつまで経っても慣れない。
「…………喜んでもらって、私こそ嬉しいです…………」
夕陽に照らされていながらも赤面していることが分かる巴の表情に、観月の顔にも笑みが生まれる。
観月はいついかなる時に見ても飽きない彼女にまた魅入ってしまう。
「キミはいつだって、何もしなくたってボクをこんなに幸せにするんですよ。
それは、自覚しなさい。」
「はい?」
彼の話が見えない巴は思わず問い返した。
見えないのも当然だ。
観月だってとっさに思いついたことを口走ったのだから仕方ない。
「だから、ボクにいくらでも甘えて良いし、こうしていつでももたれ掛かりなさい」
「でも……」
戸惑い気味の巴の声を聞き、自分でも何を言っているんだと思いつつ、観月は話を続けた。
「もしも、その扱いに納得がいかないと言うのであれば。
それならキミの持てる精一杯で、ずっとボクの隣に居続ける努力をしてください。
たったそれだけ……それだけでボクは報われるんですよ」
「え、そんなことで良いんですか? 簡単なことですよ」
「どんな簡単なことでも、物事を持続させるというのは案外難しいことですよ。
いくら、キミとボクとの仲と言ってもね。
━━━あ、あと一つお願いがあります」
「それも、簡単なことでしょうか……?」
急に無理なお願いが来るかもしれないと思い巴は少しドキドキする。
アメとムチは観月の得意とするところだったから、いつものように脳内では警戒警報のサイレンが鳴り響いている。
甘い言葉の後に振るわれるムチは相当痛そうだ。
「ええ……んふ。いえ、簡単かもしれないし、難しいかもしれません。
毎年、この日にまたこの公園で二人で過ごしましょうって事ですから」
『この日』つまり観月の誕生日ということだ。
「いいですけど、そうしたら毎年観月さんのお誕生日は公園ですよ!?
そりゃ、今年は何をして良いんだか思いつきませんでしたけど……。
でも、来年こそはちゃんとしますから!」
この公園に来たのは必然ではない。偶然のことだ。
たまたま、巴がせっかく二人で会うというのに計画が立てられなかっただけで。
この公園自体に何か思い入れがあるわけでも用事があるわけでもない。
「構いませんよ、ここが良いんです、良くなりました。
だって、ここに来ればボクのいまの気持ちをまた思い出すでしょう?」
ありのままの彼女、赤月巴と一緒に過ごしたい。
ただそれだけの純粋な願いを自覚し、彼女に告げた場所。
「だからこそ、いいんです」
「?」
納得していなさそうな巴の表情を楽しげに眺めつつ、芝生に伏せられた彼女の手に自分の手を重ねた。
じんわりとした暖かみが観月の手のひらに広がった。
こんな暖かさを味わえるのなら、いつでも何度だってここに来ても構わないとすら彼は思う。
それがたとえ自分の誕生日ではないとしても。
「だって、いまキミ━━━巴のことをこんなに好きになっている自分のことを、いつだって忘れたくないですからね」
「そっ、そう言うことなら……」
アメとムチのムチも甘い言葉のラッシュだったらしい。
目が回る思いで巴は観月の言葉を受け止める。
「ちなみに」
巴の耳元へ観月が口を寄せる。
恐ろしいほど近い距離から彼の声が発せられて、思わず巴は体を震わせる。
「毎年プレゼントはちゃんといただきますからね━━━キミを」
そう言って耳元に近づけられていた筈の彼の唇は、頬を掠めてあらためて巴の唇にたどり着いた。
END
---27日AM---
朝、目が覚めたら最悪のコンディションだった。
目が覚めたら、というのがそもそも語弊がある。
覚醒するほど眠ってはいない。
ゆえに、肌はガサガサ、目は赤く窪んでいる。
これを女子が最悪と言わずして何と言うのだろうか。
よりによって、自分の一番好きな人の誕生日の朝に。
「あ~あ……酷い顔だあ」
鏡の中の自分を見て、巴は軽く絶望した。
いくら何でも、平常時でもこの顔はない。
しかも今日は平常時ではない。
『今日の観月の誕生日をどうするか』ばかり考えていて眠れなかったことが原因だが、
眠るにしろ眠らないにしろ、せめて寝る前にパックぐらいやっておくんだったと後悔した。
これでは自己管理が出来ていないことがバレバレで、観月は男女の別なく自己管理の出来ない人間のことを軽蔑していた。
さすがにそれが巴のこととなれば、イキナリ嫌われるということは無さそうだが、それにしても説教のひとつやふたつは余裕で待ち受けている。
それが、特別な日の出来事となるというのだから、『最悪』としか言いようがない。
目が覚めたのは、朝練に出るのにギリギリの時間。
時計を気にしつつ、慌てて小物入れの中から普段使わずに放置している基礎化粧品一式を取り出しペタペタと塗り始めた。
こんな顔で観月に会えるはずがない。
焦りが募って涙が出そうになる。
今日、誕生日プレゼントをいかにして渡すかを考える前に、自分自身のコンディションについてももうちょっと考えるべきだった。
化粧水やクリームを塗れば、即ちガサガサの肌は若さもあってなんとか治まった感があるが、腫れたままの目はどうしようもなかった。
「あ! 時間!」
ピピピピ……と携帯電話からアラームが鳴り出した。
寮を出る時間ということだ。
アラームを切った瞬間、部屋のドアが外からノックされた。
隣の部屋の早川に違いない。
朝から相変わらずサッパリとした声で「もう行くわよ?」と巴に呼びかけている。
「楓ちゃーん……!」
扉を少し開いて巴は顔を出した。
「ちょっと……何よその顔!」
早川がめずらしくギョッとした顔で巴を見た。
普段から彼女には大雑把なところがあるので肌荒れならばたまに見ることがあったが、どんな時もグッスリ快眠しそして滅多に泣いたりもしない巴は当然目を腫らしていることなど稀だ。
なので、滅多に目にしない巴のその顔に驚いてしまった。
「そう、そうなの! ね、ね、どうしたらいいかなあ!」
いかにも『泣きつく』といった感じで巴は早川に縋る。
早川にしろ、こんな目の腫れが一瞬で直る魔法なぞ知るわけがなく。
「どうしようもないわよ」
と、すげなく縋り付く巴を振り払う。
それでも巴の視線は早川に頼りきりで、彼女は負けたように肩を落としてこう言った。
「……あー…、じゃあ、今日はもう体調不良って事で朝練休みなさいな。
それなら観月さんに会う時間は放課後だけになるし……。
通常の登校時間までに冷やしておけば何とかなるでしょ」
「部の方には私が伝えておくから」と言い残して早川は先に登校していった。
巴は慌てて冷やすための氷を食堂の冷蔵庫まで取りに行き、腫れが治まるようにと必死に祈りながら登校時間まで目を冷やすことに専念した。
--
朝練は聖ルドルフ学園の中高等部合同で行われていた。
寮の場所が男女離れていることもあり、観月が朝練の時に巴を迎えに行くことは付き合い始めた頃はともかくとして最近では珍しいことだった。
ゆえにお互い朝一番に出会う場所はコートの中だったが、今朝に限って巴の姿は朝練開始時刻となっても見えなかった。
「おはようございます、観月さん」
観月は後ろからかけられた声に反応して振り向くと、そこには巴の友人が立っていた。
「ああ、おはよう、早川。それで、巴くんはどうしたんですか?」
挨拶もそこそこに━━━むしろ本人的には省略して本題だけ聞きたい位だったが、開口一番早川に巴の今朝の行方を尋ねた。
いつもなら、朝一番であれば早川の隣には巴が居るはずだ。
90%以上の確率で。データを駆使するまでもなく。
一緒にやってきて一緒にウェアに着替えて一緒にコートに出てくるのだから。
「それが……赤月は体調が少し優れなくて今朝は休むとのことです」
全くの嘘ではないが本当でもないために、早川は言いにくそうに観月にそう伝えた。
「体調が? それで大事を取ったわけですか……」
うっかり「こんな日に?」と観月は続けそうになる。
今日が特別な日なのは自らと巴の二人だけの都合であって、早川をはじめ他人には全く関係がなかったので慌てて言葉を飲み込んだ。
早川は充分と言っていいほど、主に巴に巻き込まれているのであるが、それに甘えることにも抵抗がある。
もっとも少し残念そうな表情は隠しようもなく、今更早川の前で隠しても仕方がないのでそのままだった。
「あっ、でも、夕方には万全にしておきたいって意味もあるみたいですよ」
早川も観月と同じ位慌てて訳の分からないフォローを入る。
この件で彼の機嫌を損ねてしまって、とばっちりが来てはたまらないといった思惑もあったがそこは表に出さず、あくまで観月との放課後のためといったニュアンスだけを前面に押し出す。
「そうですか、朝から巴くんの姿を見られないのは残念ですが、仕方ないですね。
朝練に無理矢理出ることで、ますます体調を崩してしまってはいけませんしね」
こんな日に朝一番の自分の恋しい人と逢えない不運をこっそり嘆きながら、観月はアップの輪に入っていった。
次に逢えるのは数時間後、最後に逢ったのが昨日の放課後なのだから、それを計算に入れると1日近く逢えない時間があるということだ。
しかも、朝逢えると思っていた分きっとここから放課後まで長く感じるのだろうことはこれまでの経験上分かっている。
この不運な気持ちを抱く引き金になった巴には、あとで小言の一つでも言わなければ気が済まない。
あれほど自己管理を徹底せよと言い続けていたというのに。
決して自分が寂しいから文句を言うのではない。
あくまで、彼女のために。
多分。
続く
朝、目が覚めたら最悪のコンディションだった。
目が覚めたら、というのがそもそも語弊がある。
覚醒するほど眠ってはいない。
ゆえに、肌はガサガサ、目は赤く窪んでいる。
これを女子が最悪と言わずして何と言うのだろうか。
よりによって、自分の一番好きな人の誕生日の朝に。
「あ~あ……酷い顔だあ」
鏡の中の自分を見て、巴は軽く絶望した。
いくら何でも、平常時でもこの顔はない。
しかも今日は平常時ではない。
『今日の観月の誕生日をどうするか』ばかり考えていて眠れなかったことが原因だが、
眠るにしろ眠らないにしろ、せめて寝る前にパックぐらいやっておくんだったと後悔した。
これでは自己管理が出来ていないことがバレバレで、観月は男女の別なく自己管理の出来ない人間のことを軽蔑していた。
さすがにそれが巴のこととなれば、イキナリ嫌われるということは無さそうだが、それにしても説教のひとつやふたつは余裕で待ち受けている。
それが、特別な日の出来事となるというのだから、『最悪』としか言いようがない。
目が覚めたのは、朝練に出るのにギリギリの時間。
時計を気にしつつ、慌てて小物入れの中から普段使わずに放置している基礎化粧品一式を取り出しペタペタと塗り始めた。
こんな顔で観月に会えるはずがない。
焦りが募って涙が出そうになる。
今日、誕生日プレゼントをいかにして渡すかを考える前に、自分自身のコンディションについてももうちょっと考えるべきだった。
化粧水やクリームを塗れば、即ちガサガサの肌は若さもあってなんとか治まった感があるが、腫れたままの目はどうしようもなかった。
「あ! 時間!」
ピピピピ……と携帯電話からアラームが鳴り出した。
寮を出る時間ということだ。
アラームを切った瞬間、部屋のドアが外からノックされた。
隣の部屋の早川に違いない。
朝から相変わらずサッパリとした声で「もう行くわよ?」と巴に呼びかけている。
「楓ちゃーん……!」
扉を少し開いて巴は顔を出した。
「ちょっと……何よその顔!」
早川がめずらしくギョッとした顔で巴を見た。
普段から彼女には大雑把なところがあるので肌荒れならばたまに見ることがあったが、どんな時もグッスリ快眠しそして滅多に泣いたりもしない巴は当然目を腫らしていることなど稀だ。
なので、滅多に目にしない巴のその顔に驚いてしまった。
「そう、そうなの! ね、ね、どうしたらいいかなあ!」
いかにも『泣きつく』といった感じで巴は早川に縋る。
早川にしろ、こんな目の腫れが一瞬で直る魔法なぞ知るわけがなく。
「どうしようもないわよ」
と、すげなく縋り付く巴を振り払う。
それでも巴の視線は早川に頼りきりで、彼女は負けたように肩を落としてこう言った。
「……あー…、じゃあ、今日はもう体調不良って事で朝練休みなさいな。
それなら観月さんに会う時間は放課後だけになるし……。
通常の登校時間までに冷やしておけば何とかなるでしょ」
「部の方には私が伝えておくから」と言い残して早川は先に登校していった。
巴は慌てて冷やすための氷を食堂の冷蔵庫まで取りに行き、腫れが治まるようにと必死に祈りながら登校時間まで目を冷やすことに専念した。
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朝練は聖ルドルフ学園の中高等部合同で行われていた。
寮の場所が男女離れていることもあり、観月が朝練の時に巴を迎えに行くことは付き合い始めた頃はともかくとして最近では珍しいことだった。
ゆえにお互い朝一番に出会う場所はコートの中だったが、今朝に限って巴の姿は朝練開始時刻となっても見えなかった。
「おはようございます、観月さん」
観月は後ろからかけられた声に反応して振り向くと、そこには巴の友人が立っていた。
「ああ、おはよう、早川。それで、巴くんはどうしたんですか?」
挨拶もそこそこに━━━むしろ本人的には省略して本題だけ聞きたい位だったが、開口一番早川に巴の今朝の行方を尋ねた。
いつもなら、朝一番であれば早川の隣には巴が居るはずだ。
90%以上の確率で。データを駆使するまでもなく。
一緒にやってきて一緒にウェアに着替えて一緒にコートに出てくるのだから。
「それが……赤月は体調が少し優れなくて今朝は休むとのことです」
全くの嘘ではないが本当でもないために、早川は言いにくそうに観月にそう伝えた。
「体調が? それで大事を取ったわけですか……」
うっかり「こんな日に?」と観月は続けそうになる。
今日が特別な日なのは自らと巴の二人だけの都合であって、早川をはじめ他人には全く関係がなかったので慌てて言葉を飲み込んだ。
早川は充分と言っていいほど、主に巴に巻き込まれているのであるが、それに甘えることにも抵抗がある。
もっとも少し残念そうな表情は隠しようもなく、今更早川の前で隠しても仕方がないのでそのままだった。
「あっ、でも、夕方には万全にしておきたいって意味もあるみたいですよ」
早川も観月と同じ位慌てて訳の分からないフォローを入る。
この件で彼の機嫌を損ねてしまって、とばっちりが来てはたまらないといった思惑もあったがそこは表に出さず、あくまで観月との放課後のためといったニュアンスだけを前面に押し出す。
「そうですか、朝から巴くんの姿を見られないのは残念ですが、仕方ないですね。
朝練に無理矢理出ることで、ますます体調を崩してしまってはいけませんしね」
こんな日に朝一番の自分の恋しい人と逢えない不運をこっそり嘆きながら、観月はアップの輪に入っていった。
次に逢えるのは数時間後、最後に逢ったのが昨日の放課後なのだから、それを計算に入れると1日近く逢えない時間があるということだ。
しかも、朝逢えると思っていた分きっとここから放課後まで長く感じるのだろうことはこれまでの経験上分かっている。
この不運な気持ちを抱く引き金になった巴には、あとで小言の一つでも言わなければ気が済まない。
あれほど自己管理を徹底せよと言い続けていたというのに。
決して自分が寂しいから文句を言うのではない。
あくまで、彼女のために。
多分。
続く
---26日---
「あ~~~~~~う~~~~~~」
「……かなり煩いんだけど、止めてくれない、巴?」
ベッドにはゴロゴロと寝ころびウーウー唸っている赤月巴がいた。
隣の部屋でその声を漏れ聞いた早川楓は呆れた顔で部屋に入って来てそれを見おろしていた。
巴が悩んでいる理由は明解だ。
今日は5月26日。
明日に迫った、巴の彼氏━━━観月はじめの誕生日についてに決まっている。
どうせ、贈るものが決まっていないとか、そんなことで悩んでいるのだろうと早川はこれまでの経験から見当をつけていた。
「まだプレゼントが決まってないわけ?」
「ううん、プレゼントは決まってるんだよねえ━━━ほら」
巴がほらと指さした方向を辿っていくと、勉強机の上にいかにも上等な紙袋があった。
早川が紙袋の口から中を覗くと、シックなベージュの包装紙に深い赤のリボンという、いかにも観月が好みそうな色合いの箱が入っていた。
観月に贈るに相応しいそれは、まだ中学生の巴のチョイスとしては相当洗練されていて、彼女をよく知る早川としては驚くべき出来事といっても過言ではない。
なにしろ巴のキャラと全くと言っていいほど逆方向なのだから。
「なんだ、立派なプレゼント用意してるじゃないの。
他に何か問題でもあるってワケ?」
どうせこの女友達はまたくだらないことで悩んでグルグルしているのだろう。
他人にはどうでもいいこと、ささやかなことでも彼女にとっては常に大問題であった。
今回も多分に漏れないようだった。
だから付き合いのいい早川はあえて訊いてやるのだった。
『今度の問題は何なのか』と。
我ながら付き合いの良い友達だと思いながら。
「う~ん、シチュエーション? てか、どうやって渡そっかなーって」
まるで明日の朝地球が滅亡すると知ってしまったかのごとく、深刻な表情で巴は答えた。
「決まってないんだよねえ」と深くため息をつきながら。
「━━━ばっか……」
「だってね」
馬鹿馬鹿しい、そう早川が口に出し終えるよりも早く巴は話し始めた。
「今年で3回目なの、観月さんの誕生日。
なんか去年全力投球でネタは出し切ったというかさあ……」
「高級ホテルとかレストランていうのはさすがに無理があるしねえ」と既に考えるのを放棄しているのか、乾いた笑い混じりに早川に聞いてもらいたいでもなさそうに声を出している。
1年目は巴は観月と知り合ったばかりで、それなりのお祝いしかしていなかった。
しかし、付き合いだしてからの2年目、巴はそれはもう頑張った。
使えるものは使い、なんとかしてあの普段冷静に澄ましている観月を喜ばそうと必死だった。
プレゼントも、渡す場所も、交わす言葉、仕草さえも細かく気を遣い力を出し切った。
彼の誕生日の翌日の朝は、精根尽き果てたというようにふらついていたぐらいだ。
それは早川も直接この目で見たので知っている。
「全力って……去年あそこまで頑張らなくってもよかったのに。
それに、だからといって今年も去年以上にする必要はないでしょ」
早川はたまに思う。
巴はいつも一生懸命なのが取り柄だけれど、そうやって肩肘張っている力をもう少し抜けたらもっといいかんじで楽な生活を送れるのにと。
学校も、テニスも、恋人も全てを100%以上の力でやらなければならない法律はない。
もう一度巴の用意したプレゼントをちらっと見る。
あの品を選ぶだけでも、巴は100%以上の力を使ったと見れば分かる。
中身自体は知らないが、中学三年生の彼女にとっては価格的にもセンス的にも出すのが困難な品だろう。
これが巴の精一杯だろうし、それに気付かない、伝わらない観月でもないだろうに。
それを渡すのに今更これ以上何が必要だというのだろう。
「たかだか誕生日のイベントで愛情を計る人じゃないでしょ、観月さんて」
早川は本人に言ってやるのは癪だったが、考えるのに疲れ切った風の巴を見ているとつい口にしてしまった。
観月がそんなことで相手を試すタイプであれば、そもそも巴と付き合わないはずだ。
だから、巴はそんなに頑張りすぎることはないのだと言外に伝える。
「知ってるー。だから、辛いんだよ」
巴はごろんとベッドに顔を伏せてしまった。
背中からはその表情は分からない。
その様子を見て、人の恋愛に口を出すなんて馬鹿なことをしてしまったと、巴の話に付き合った自分の馬鹿さ加減にも呆れかえりながら早川はそっと彼女の部屋から切り上げた。
彼女にしても彼氏にしても複雑怪奇な性格をしていてお似合いすぎると頭を抱えながら。
続く
「あ~~~~~~う~~~~~~」
「……かなり煩いんだけど、止めてくれない、巴?」
ベッドにはゴロゴロと寝ころびウーウー唸っている赤月巴がいた。
隣の部屋でその声を漏れ聞いた早川楓は呆れた顔で部屋に入って来てそれを見おろしていた。
巴が悩んでいる理由は明解だ。
今日は5月26日。
明日に迫った、巴の彼氏━━━観月はじめの誕生日についてに決まっている。
どうせ、贈るものが決まっていないとか、そんなことで悩んでいるのだろうと早川はこれまでの経験から見当をつけていた。
「まだプレゼントが決まってないわけ?」
「ううん、プレゼントは決まってるんだよねえ━━━ほら」
巴がほらと指さした方向を辿っていくと、勉強机の上にいかにも上等な紙袋があった。
早川が紙袋の口から中を覗くと、シックなベージュの包装紙に深い赤のリボンという、いかにも観月が好みそうな色合いの箱が入っていた。
観月に贈るに相応しいそれは、まだ中学生の巴のチョイスとしては相当洗練されていて、彼女をよく知る早川としては驚くべき出来事といっても過言ではない。
なにしろ巴のキャラと全くと言っていいほど逆方向なのだから。
「なんだ、立派なプレゼント用意してるじゃないの。
他に何か問題でもあるってワケ?」
どうせこの女友達はまたくだらないことで悩んでグルグルしているのだろう。
他人にはどうでもいいこと、ささやかなことでも彼女にとっては常に大問題であった。
今回も多分に漏れないようだった。
だから付き合いのいい早川はあえて訊いてやるのだった。
『今度の問題は何なのか』と。
我ながら付き合いの良い友達だと思いながら。
「う~ん、シチュエーション? てか、どうやって渡そっかなーって」
まるで明日の朝地球が滅亡すると知ってしまったかのごとく、深刻な表情で巴は答えた。
「決まってないんだよねえ」と深くため息をつきながら。
「━━━ばっか……」
「だってね」
馬鹿馬鹿しい、そう早川が口に出し終えるよりも早く巴は話し始めた。
「今年で3回目なの、観月さんの誕生日。
なんか去年全力投球でネタは出し切ったというかさあ……」
「高級ホテルとかレストランていうのはさすがに無理があるしねえ」と既に考えるのを放棄しているのか、乾いた笑い混じりに早川に聞いてもらいたいでもなさそうに声を出している。
1年目は巴は観月と知り合ったばかりで、それなりのお祝いしかしていなかった。
しかし、付き合いだしてからの2年目、巴はそれはもう頑張った。
使えるものは使い、なんとかしてあの普段冷静に澄ましている観月を喜ばそうと必死だった。
プレゼントも、渡す場所も、交わす言葉、仕草さえも細かく気を遣い力を出し切った。
彼の誕生日の翌日の朝は、精根尽き果てたというようにふらついていたぐらいだ。
それは早川も直接この目で見たので知っている。
「全力って……去年あそこまで頑張らなくってもよかったのに。
それに、だからといって今年も去年以上にする必要はないでしょ」
早川はたまに思う。
巴はいつも一生懸命なのが取り柄だけれど、そうやって肩肘張っている力をもう少し抜けたらもっといいかんじで楽な生活を送れるのにと。
学校も、テニスも、恋人も全てを100%以上の力でやらなければならない法律はない。
もう一度巴の用意したプレゼントをちらっと見る。
あの品を選ぶだけでも、巴は100%以上の力を使ったと見れば分かる。
中身自体は知らないが、中学三年生の彼女にとっては価格的にもセンス的にも出すのが困難な品だろう。
これが巴の精一杯だろうし、それに気付かない、伝わらない観月でもないだろうに。
それを渡すのに今更これ以上何が必要だというのだろう。
「たかだか誕生日のイベントで愛情を計る人じゃないでしょ、観月さんて」
早川は本人に言ってやるのは癪だったが、考えるのに疲れ切った風の巴を見ているとつい口にしてしまった。
観月がそんなことで相手を試すタイプであれば、そもそも巴と付き合わないはずだ。
だから、巴はそんなに頑張りすぎることはないのだと言外に伝える。
「知ってるー。だから、辛いんだよ」
巴はごろんとベッドに顔を伏せてしまった。
背中からはその表情は分からない。
その様子を見て、人の恋愛に口を出すなんて馬鹿なことをしてしまったと、巴の話に付き合った自分の馬鹿さ加減にも呆れかえりながら早川はそっと彼女の部屋から切り上げた。
彼女にしても彼氏にしても複雑怪奇な性格をしていてお似合いすぎると頭を抱えながら。
続く
プロフィール
HN:
ななせなな
性別:
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