---27日AM---
朝、目が覚めたら最悪のコンディションだった。
目が覚めたら、というのがそもそも語弊がある。
覚醒するほど眠ってはいない。
ゆえに、肌はガサガサ、目は赤く窪んでいる。
これを女子が最悪と言わずして何と言うのだろうか。
よりによって、自分の一番好きな人の誕生日の朝に。
「あ~あ……酷い顔だあ」
鏡の中の自分を見て、巴は軽く絶望した。
いくら何でも、平常時でもこの顔はない。
しかも今日は平常時ではない。
『今日の観月の誕生日をどうするか』ばかり考えていて眠れなかったことが原因だが、
眠るにしろ眠らないにしろ、せめて寝る前にパックぐらいやっておくんだったと後悔した。
これでは自己管理が出来ていないことがバレバレで、観月は男女の別なく自己管理の出来ない人間のことを軽蔑していた。
さすがにそれが巴のこととなれば、イキナリ嫌われるということは無さそうだが、それにしても説教のひとつやふたつは余裕で待ち受けている。
それが、特別な日の出来事となるというのだから、『最悪』としか言いようがない。
目が覚めたのは、朝練に出るのにギリギリの時間。
時計を気にしつつ、慌てて小物入れの中から普段使わずに放置している基礎化粧品一式を取り出しペタペタと塗り始めた。
こんな顔で観月に会えるはずがない。
焦りが募って涙が出そうになる。
今日、誕生日プレゼントをいかにして渡すかを考える前に、自分自身のコンディションについてももうちょっと考えるべきだった。
化粧水やクリームを塗れば、即ちガサガサの肌は若さもあってなんとか治まった感があるが、腫れたままの目はどうしようもなかった。
「あ! 時間!」
ピピピピ……と携帯電話からアラームが鳴り出した。
寮を出る時間ということだ。
アラームを切った瞬間、部屋のドアが外からノックされた。
隣の部屋の早川に違いない。
朝から相変わらずサッパリとした声で「もう行くわよ?」と巴に呼びかけている。
「楓ちゃーん……!」
扉を少し開いて巴は顔を出した。
「ちょっと……何よその顔!」
早川がめずらしくギョッとした顔で巴を見た。
普段から彼女には大雑把なところがあるので肌荒れならばたまに見ることがあったが、どんな時もグッスリ快眠しそして滅多に泣いたりもしない巴は当然目を腫らしていることなど稀だ。
なので、滅多に目にしない巴のその顔に驚いてしまった。
「そう、そうなの! ね、ね、どうしたらいいかなあ!」
いかにも『泣きつく』といった感じで巴は早川に縋る。
早川にしろ、こんな目の腫れが一瞬で直る魔法なぞ知るわけがなく。
「どうしようもないわよ」
と、すげなく縋り付く巴を振り払う。
それでも巴の視線は早川に頼りきりで、彼女は負けたように肩を落としてこう言った。
「……あー…、じゃあ、今日はもう体調不良って事で朝練休みなさいな。
それなら観月さんに会う時間は放課後だけになるし……。
通常の登校時間までに冷やしておけば何とかなるでしょ」
「部の方には私が伝えておくから」と言い残して早川は先に登校していった。
巴は慌てて冷やすための氷を食堂の冷蔵庫まで取りに行き、腫れが治まるようにと必死に祈りながら登校時間まで目を冷やすことに専念した。
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朝練は聖ルドルフ学園の中高等部合同で行われていた。
寮の場所が男女離れていることもあり、観月が朝練の時に巴を迎えに行くことは付き合い始めた頃はともかくとして最近では珍しいことだった。
ゆえにお互い朝一番に出会う場所はコートの中だったが、今朝に限って巴の姿は朝練開始時刻となっても見えなかった。
「おはようございます、観月さん」
観月は後ろからかけられた声に反応して振り向くと、そこには巴の友人が立っていた。
「ああ、おはよう、早川。それで、巴くんはどうしたんですか?」
挨拶もそこそこに━━━むしろ本人的には省略して本題だけ聞きたい位だったが、開口一番早川に巴の今朝の行方を尋ねた。
いつもなら、朝一番であれば早川の隣には巴が居るはずだ。
90%以上の確率で。データを駆使するまでもなく。
一緒にやってきて一緒にウェアに着替えて一緒にコートに出てくるのだから。
「それが……赤月は体調が少し優れなくて今朝は休むとのことです」
全くの嘘ではないが本当でもないために、早川は言いにくそうに観月にそう伝えた。
「体調が? それで大事を取ったわけですか……」
うっかり「こんな日に?」と観月は続けそうになる。
今日が特別な日なのは自らと巴の二人だけの都合であって、早川をはじめ他人には全く関係がなかったので慌てて言葉を飲み込んだ。
早川は充分と言っていいほど、主に巴に巻き込まれているのであるが、それに甘えることにも抵抗がある。
もっとも少し残念そうな表情は隠しようもなく、今更早川の前で隠しても仕方がないのでそのままだった。
「あっ、でも、夕方には万全にしておきたいって意味もあるみたいですよ」
早川も観月と同じ位慌てて訳の分からないフォローを入る。
この件で彼の機嫌を損ねてしまって、とばっちりが来てはたまらないといった思惑もあったがそこは表に出さず、あくまで観月との放課後のためといったニュアンスだけを前面に押し出す。
「そうですか、朝から巴くんの姿を見られないのは残念ですが、仕方ないですね。
朝練に無理矢理出ることで、ますます体調を崩してしまってはいけませんしね」
こんな日に朝一番の自分の恋しい人と逢えない不運をこっそり嘆きながら、観月はアップの輪に入っていった。
次に逢えるのは数時間後、最後に逢ったのが昨日の放課後なのだから、それを計算に入れると1日近く逢えない時間があるということだ。
しかも、朝逢えると思っていた分きっとここから放課後まで長く感じるのだろうことはこれまでの経験上分かっている。
この不運な気持ちを抱く引き金になった巴には、あとで小言の一つでも言わなければ気が済まない。
あれほど自己管理を徹底せよと言い続けていたというのに。
決して自分が寂しいから文句を言うのではない。
あくまで、彼女のために。
多分。
続く