「━━━いいでしょう、私が子守歌代わりだというのなら期待に応えましょう」
*ピロウ・トーク
夜な夜な耳元で囁かれる甘い声。
貴方は私の為だけに言葉を紡ぐ。
もうやめて。
貴方のその声は私には甘い毒。
もうやめて。
これ以上は私が耐えられそうにないから。
貴方が私の夜を浸食したのは新月の夜だったのにいまでは望月。
月が狂わせるのか、貴方の口から紡がれる言葉はことさらハードで。
貴方の言葉だけに打ちのめされる私。
貴方の口から紡ぎ出るは私専用の必殺の武器。
あのとき貴方は「子守歌代わり」と言ったけれども
こんな気持ちにさせられて眠れるわけが無いじゃない。
「……あっ……もう……っ、いやぁっ」
「んふっ、そろそろ巴くんは私に言わなければならないことがあると思いますけどね」
「あ、あります」
「さあ、いってごらんなさい?期待に応えて欲しいのならば」
「お願いです……」
「どんなお願いですか?」
「もう……やめてください」
「なにを?貴女の口からききたいんですよ?」
耳元で響く甘い声。そして含み笑う声。イジワル。
観月さんの声は好き。
だけど。
だけど。
「あやまりますから、夜な夜な寝る前に数式唱える為だけに電話するの止めてくださいっ!」
「おや?巴くん、キミが望んだことですよ」
耳元に当てられたケータイから聞こえてくるは楽しそうな観月の声。
確実に巴の反応を楽しんでいる。
きっかけは半月前。
期末テストに備えた小テストで壊滅的な点数を取ってしまった巴は
観月の元へとやってきた。もちろん個人授業だ。
口では蔑んだことを言う割に嬉しそうに観月は巴へ数学を教え始めた。
しばらくは巴も良い生徒役を楽しんでいたのだが、
しかしそこは苦手な教科。
気づくと深い眠りに落ちていた。
観月は真剣に巴に数学を教えているつもりだった。
彼女の自分への好意をも利用してどんどん伸ばすつもりでいた。
父親と同じくスポーツドクターになりたいという彼女は
数学以外の教科の成績は非常に良い。
しかし、理数系の成績が芳しくなければ医学関係の大学へ進めるわけもなく。
そして進学できたとしても授業についていけるわけもなく。
そこまで考えての個人授業のつもりであったが
彼女が授業についていくつもりが無いのならどうしようもない。
「━━━いいでしょう、私が子守歌代わりだというのなら期待に応えましょう」
わずかにはらんだ怒気に気づいて巴ははっと身を起こす。
観月はいつもの表情だ。
怒っている様子はない。
と、いっても、笑顔でキツイ事も嘘も平気で言う男だ。
真意はわからない。
どんな期待に応えてくれるというのかはわからないが
そのまま何もなかったように授業は続き、
そしてその日の授業の過程は終了した。
その夜、観月から電話がかかってきた。
「さあ、キミの期待に応えましょうか」
一体それはどういうことですか、と尋ねる暇も与えず観月は朗読を始めた。
教科書を。
参考書を。
ずっと数式の時もあった。
それは約1時間読み上げられ、寮の消灯とともに終了する。
半月間。休むことなく。
早川などは着信拒否ればいいじゃないとは言うが
流石に巴も拒否はしなかった。
先日寝てしまったことへの意趣返しと言うこともわかっているし、
あの観月が毎日自分のために時間を割いていると言うことも嬉しい。
しかし、そろそろ自分が限界に達していることも同時にわかっていた。
多分観月も気づいてはいたのだろう。
「んふっ、そろそろ巴くんは私に言わなければならないことがあると思いますけどね」
「あやまりますから、夜な夜な寝る前に数式唱える為だけに電話するの止めてくださいっ!」
本当は違う。
止めて欲しいのではない。
いや、どうせ電話してくれるのならばもっと楽しいこと、
━━━たとえばその日あったこととかデートのお誘いとか、がいいけれど。
そして、彼に告げなければいけないのは謝罪の言葉ではなくて感謝の言葉。恥ずかしくて上手くは言えないけれど。
例え数学のことばかりでも観月の甘い声が自分の耳元で囁かれる。
もったいなくて聞き逃すことは出来なかった。
一言一句。
そう。
気づいたら身体の中に染みついていた。
そして今日は1学期期末考査、数学のテストだった。
「この問題は観月さんがこう解説していた…」
「あのときああ言っていた…」
気づくと苦労なく問題をこなしていた。
そのとき、観月が意図していたことを明確に気づいてしまった。
「おや?巴くん、キミが望んだことですよ」
そう、私が望んだことなのかもしれない。
観月さんの声は聴きたかったらこれまで止めようと思わなかったから。
「そうです。私が態度で観月さんは子守歌だと言ったようなモノですから。
━━━でも、もういいんです。もう、わかりましたから」
「わかった?なにをですか?」
「観月さんの私に対する想いです」
「キキキキ、キミは何を言ってるんですか!たた単に意趣返しですよ!アレは!」
電話の向こうで観月の動揺する声が聞こえる。
「それでも、いいんです」
「はい?」
「ああ、あとどうせ、子守歌されるなら、
毎晩直接耳元で囁いて頂いた方が私のやる気も出ると思うんですが、どうでしょう?」
ゴン。
がたがた。
電話が落ちて転がる音がする。
そして静寂。
「き、期末考査がおわったら夏休みですからね。
……それまでに考えておきましょう」
だけど、本気でやっぱり数式唱えていたらどうしよう。
ちょっと巴の心には不安がよぎったのだった。
END
*ピロウ・トーク
夜な夜な耳元で囁かれる甘い声。
貴方は私の為だけに言葉を紡ぐ。
もうやめて。
貴方のその声は私には甘い毒。
もうやめて。
これ以上は私が耐えられそうにないから。
貴方が私の夜を浸食したのは新月の夜だったのにいまでは望月。
月が狂わせるのか、貴方の口から紡がれる言葉はことさらハードで。
貴方の言葉だけに打ちのめされる私。
貴方の口から紡ぎ出るは私専用の必殺の武器。
あのとき貴方は「子守歌代わり」と言ったけれども
こんな気持ちにさせられて眠れるわけが無いじゃない。
「……あっ……もう……っ、いやぁっ」
「んふっ、そろそろ巴くんは私に言わなければならないことがあると思いますけどね」
「あ、あります」
「さあ、いってごらんなさい?期待に応えて欲しいのならば」
「お願いです……」
「どんなお願いですか?」
「もう……やめてください」
「なにを?貴女の口からききたいんですよ?」
耳元で響く甘い声。そして含み笑う声。イジワル。
観月さんの声は好き。
だけど。
だけど。
「あやまりますから、夜な夜な寝る前に数式唱える為だけに電話するの止めてくださいっ!」
「おや?巴くん、キミが望んだことですよ」
耳元に当てられたケータイから聞こえてくるは楽しそうな観月の声。
確実に巴の反応を楽しんでいる。
きっかけは半月前。
期末テストに備えた小テストで壊滅的な点数を取ってしまった巴は
観月の元へとやってきた。もちろん個人授業だ。
口では蔑んだことを言う割に嬉しそうに観月は巴へ数学を教え始めた。
しばらくは巴も良い生徒役を楽しんでいたのだが、
しかしそこは苦手な教科。
気づくと深い眠りに落ちていた。
観月は真剣に巴に数学を教えているつもりだった。
彼女の自分への好意をも利用してどんどん伸ばすつもりでいた。
父親と同じくスポーツドクターになりたいという彼女は
数学以外の教科の成績は非常に良い。
しかし、理数系の成績が芳しくなければ医学関係の大学へ進めるわけもなく。
そして進学できたとしても授業についていけるわけもなく。
そこまで考えての個人授業のつもりであったが
彼女が授業についていくつもりが無いのならどうしようもない。
「━━━いいでしょう、私が子守歌代わりだというのなら期待に応えましょう」
わずかにはらんだ怒気に気づいて巴ははっと身を起こす。
観月はいつもの表情だ。
怒っている様子はない。
と、いっても、笑顔でキツイ事も嘘も平気で言う男だ。
真意はわからない。
どんな期待に応えてくれるというのかはわからないが
そのまま何もなかったように授業は続き、
そしてその日の授業の過程は終了した。
その夜、観月から電話がかかってきた。
「さあ、キミの期待に応えましょうか」
一体それはどういうことですか、と尋ねる暇も与えず観月は朗読を始めた。
教科書を。
参考書を。
ずっと数式の時もあった。
それは約1時間読み上げられ、寮の消灯とともに終了する。
半月間。休むことなく。
早川などは着信拒否ればいいじゃないとは言うが
流石に巴も拒否はしなかった。
先日寝てしまったことへの意趣返しと言うこともわかっているし、
あの観月が毎日自分のために時間を割いていると言うことも嬉しい。
しかし、そろそろ自分が限界に達していることも同時にわかっていた。
多分観月も気づいてはいたのだろう。
「んふっ、そろそろ巴くんは私に言わなければならないことがあると思いますけどね」
「あやまりますから、夜な夜な寝る前に数式唱える為だけに電話するの止めてくださいっ!」
本当は違う。
止めて欲しいのではない。
いや、どうせ電話してくれるのならばもっと楽しいこと、
━━━たとえばその日あったこととかデートのお誘いとか、がいいけれど。
そして、彼に告げなければいけないのは謝罪の言葉ではなくて感謝の言葉。恥ずかしくて上手くは言えないけれど。
例え数学のことばかりでも観月の甘い声が自分の耳元で囁かれる。
もったいなくて聞き逃すことは出来なかった。
一言一句。
そう。
気づいたら身体の中に染みついていた。
そして今日は1学期期末考査、数学のテストだった。
「この問題は観月さんがこう解説していた…」
「あのときああ言っていた…」
気づくと苦労なく問題をこなしていた。
そのとき、観月が意図していたことを明確に気づいてしまった。
「おや?巴くん、キミが望んだことですよ」
そう、私が望んだことなのかもしれない。
観月さんの声は聴きたかったらこれまで止めようと思わなかったから。
「そうです。私が態度で観月さんは子守歌だと言ったようなモノですから。
━━━でも、もういいんです。もう、わかりましたから」
「わかった?なにをですか?」
「観月さんの私に対する想いです」
「キキキキ、キミは何を言ってるんですか!たた単に意趣返しですよ!アレは!」
電話の向こうで観月の動揺する声が聞こえる。
「それでも、いいんです」
「はい?」
「ああ、あとどうせ、子守歌されるなら、
毎晩直接耳元で囁いて頂いた方が私のやる気も出ると思うんですが、どうでしょう?」
ゴン。
がたがた。
電話が落ちて転がる音がする。
そして静寂。
「き、期末考査がおわったら夏休みですからね。
……それまでに考えておきましょう」
だけど、本気でやっぱり数式唱えていたらどうしよう。
ちょっと巴の心には不安がよぎったのだった。
END
最後の荷物を箱に詰めて、部屋を出た。
明日には引っ越し業者がやってきて1年過ごしたこの部屋から
私の痕跡を運び去っていく。
そして私は新たな場所へ、あの人の元へと行くのだ。
ルドルフのユニフォームを手渡された日から、この事は覚悟していたのに。
自分であの人の手を取って歩いていくと決めたのに。
この胸の空虚さはなんだろう。
クラスメイト達に、部活動の仲間達に転校を告げた時も辛くなかった。
罵倒するも、イヤミも、蔑むような視線も当然として受け止められたし、皆には申し訳ないとは思ったけれど、ただ、ただあの人と歩む嬉しさでそんなことは気にもならなかった。
だけど。
今になって。
明日越前家を去ることになって。
寂しさとも違う、後悔とも違う何か黒いものが胸を締め付ける。
苦しくなって縁側に出て、春の訪れに柔らかくなった夜風に当たる。
まだまだ冷えはするけれど突き刺すような空気は無くなっている。
優しい夜だ。
この空気は、この家━━━越前家に似ている。
家族ではないけれど家族のような、この家。
南次郎が倫子が菜々子が褒め、叱り、心配し私を育ててくれる。
この家を去るのは、辛い。
だけどこの苦しさはそれによるものでもない。
それは、わかる。
だったらどうして…。
闇にくるまれて考える。
「なにしてるの?」
不意に後ろから声が聞こえる。
リョーマ君だ。
「明日は引っ越しだっていうのに、そんなところで風邪でも引きたいわけ?
それならそれでもいいけどさ。
ウチの健康管理が悪いだなんて余所様に思われたくないんだけど」
酷い言われようだ。
だけど、それでも心配していってくれるのはわかっている。
この1年でわかるようになった。
「どうしたの?黙ったまんま、そんなところに立っててさ。
まるで不審者だね」
彼は甘い。
彼は甘やかさないことで私を甘やかす。
私の恋する人はリョーマ君ではなくあの人だけれど、愛していないとは言い切れない。
父のように厳しいし、
兄のように甘いし、
弟のように目が離せないし、
息子のように大事にしたいし、
恋人のように傍にいて欲しい人。
私と言う人間はたった一人しかいなくて。
私の手は既にあの人の手を選び、つかんでいるというのに。
一方の手がリョーマ君へ伸ばそうとしている。
恋しいわけではないけれど、愛しい。
はっきり気づいてしまった。
私はこの人と離れがたい。
あの人との様に恋愛がしたいわけではない。
決して愛されたいとは思わない。
けれども、明日彼との生活が失われることがこんなにも苦しい。
たった1年しか過ごしては居ないけれど、自分と同じ道に私を引っ張り上げたのは彼。
彼からテニスを吸収し、成長していった私。
同じ道を、引っ張り、引っ張られて歩いていた私たち。
性格も似ていたから何度もケンカして争って、それでもお互いの隣から離れようとしなかったし出来なかった。
彼はもう何処か自分の一部分になっているのだ。
いつか、誰かが私たちのことを評して双子と言ったが、きっとそれは間違っていない。
同じ生活をし、同じ高みを見つめる私の、半身。
いや、鏡に映るもう一人の自分の姿かもしれない。
これまでも、これからも。
私を倒せるのはリョーマ君、リョーマ君を倒せるのは私。
そうでありたい。
ただ、これからは同じ道を歩かないというだけの話で。
「……ねえ、本当の意味で私を倒せるのはリョーマ君だけだって事知ってた?」
「当然。……これまでも、これからも、お互い、ね」
「これからも、お互い?」
「だってウチを出ても赤月巴をやめる訳じゃないでしょ?
━━━まだまだだね」
「まだまだ?それもお互い様でしょ!」
どちらからともなく手を伸ばす。
引き寄せる。
身体を寄せ合うのは初めてだけれど初めての気がしない。
心に湧くのはお互いへの愛と言うよりも自己愛に近い。
自分ではない自分がただ愛おしくて抱きしめる。
たぶん、この先私を抱きしめる事が出来るのはあの人ただ一人だけ。
リョーマ君が実際自分のことをどう思っているかなんて知らないし、多分その事について知る機会は訪れることはないだろう。
けれども、それでいい。
身体を離す頃には胸の締め付けはもう無くなっていた。
きっとこの夜のことは、明日陽が昇れば思い出すのも照れくさくて、お互い何も無かったような顔をして生活を続けるのだろうけど。
きっとすこしは離れがたい気持ちは残るだろうけど。
でも、それでも、新たに歩き出すことが出来る。
これは別離じゃなくて単に行き着く先は一緒の、お互い違う道を歩くだけだから。
いつかは目的地で━━━それはテニスの頂点なのか、
他のことなのか今はわからないけれど、私たちは出会うために歩くのだから。
自分とは違う道で、でも同じ方向に向かって歩く自分の片割れの存在をもう私は気づいているから。
だから、もうこの場所には立ち止まらない。
あなたの隣に立てないことを寂しいとも思わない。
end
明日には引っ越し業者がやってきて1年過ごしたこの部屋から
私の痕跡を運び去っていく。
そして私は新たな場所へ、あの人の元へと行くのだ。
ルドルフのユニフォームを手渡された日から、この事は覚悟していたのに。
自分であの人の手を取って歩いていくと決めたのに。
この胸の空虚さはなんだろう。
クラスメイト達に、部活動の仲間達に転校を告げた時も辛くなかった。
罵倒するも、イヤミも、蔑むような視線も当然として受け止められたし、皆には申し訳ないとは思ったけれど、ただ、ただあの人と歩む嬉しさでそんなことは気にもならなかった。
だけど。
今になって。
明日越前家を去ることになって。
寂しさとも違う、後悔とも違う何か黒いものが胸を締め付ける。
苦しくなって縁側に出て、春の訪れに柔らかくなった夜風に当たる。
まだまだ冷えはするけれど突き刺すような空気は無くなっている。
優しい夜だ。
この空気は、この家━━━越前家に似ている。
家族ではないけれど家族のような、この家。
南次郎が倫子が菜々子が褒め、叱り、心配し私を育ててくれる。
この家を去るのは、辛い。
だけどこの苦しさはそれによるものでもない。
それは、わかる。
だったらどうして…。
闇にくるまれて考える。
「なにしてるの?」
不意に後ろから声が聞こえる。
リョーマ君だ。
「明日は引っ越しだっていうのに、そんなところで風邪でも引きたいわけ?
それならそれでもいいけどさ。
ウチの健康管理が悪いだなんて余所様に思われたくないんだけど」
酷い言われようだ。
だけど、それでも心配していってくれるのはわかっている。
この1年でわかるようになった。
「どうしたの?黙ったまんま、そんなところに立っててさ。
まるで不審者だね」
彼は甘い。
彼は甘やかさないことで私を甘やかす。
私の恋する人はリョーマ君ではなくあの人だけれど、愛していないとは言い切れない。
父のように厳しいし、
兄のように甘いし、
弟のように目が離せないし、
息子のように大事にしたいし、
恋人のように傍にいて欲しい人。
私と言う人間はたった一人しかいなくて。
私の手は既にあの人の手を選び、つかんでいるというのに。
一方の手がリョーマ君へ伸ばそうとしている。
恋しいわけではないけれど、愛しい。
はっきり気づいてしまった。
私はこの人と離れがたい。
あの人との様に恋愛がしたいわけではない。
決して愛されたいとは思わない。
けれども、明日彼との生活が失われることがこんなにも苦しい。
たった1年しか過ごしては居ないけれど、自分と同じ道に私を引っ張り上げたのは彼。
彼からテニスを吸収し、成長していった私。
同じ道を、引っ張り、引っ張られて歩いていた私たち。
性格も似ていたから何度もケンカして争って、それでもお互いの隣から離れようとしなかったし出来なかった。
彼はもう何処か自分の一部分になっているのだ。
いつか、誰かが私たちのことを評して双子と言ったが、きっとそれは間違っていない。
同じ生活をし、同じ高みを見つめる私の、半身。
いや、鏡に映るもう一人の自分の姿かもしれない。
これまでも、これからも。
私を倒せるのはリョーマ君、リョーマ君を倒せるのは私。
そうでありたい。
ただ、これからは同じ道を歩かないというだけの話で。
「……ねえ、本当の意味で私を倒せるのはリョーマ君だけだって事知ってた?」
「当然。……これまでも、これからも、お互い、ね」
「これからも、お互い?」
「だってウチを出ても赤月巴をやめる訳じゃないでしょ?
━━━まだまだだね」
「まだまだ?それもお互い様でしょ!」
どちらからともなく手を伸ばす。
引き寄せる。
身体を寄せ合うのは初めてだけれど初めての気がしない。
心に湧くのはお互いへの愛と言うよりも自己愛に近い。
自分ではない自分がただ愛おしくて抱きしめる。
たぶん、この先私を抱きしめる事が出来るのはあの人ただ一人だけ。
リョーマ君が実際自分のことをどう思っているかなんて知らないし、多分その事について知る機会は訪れることはないだろう。
けれども、それでいい。
身体を離す頃には胸の締め付けはもう無くなっていた。
きっとこの夜のことは、明日陽が昇れば思い出すのも照れくさくて、お互い何も無かったような顔をして生活を続けるのだろうけど。
きっとすこしは離れがたい気持ちは残るだろうけど。
でも、それでも、新たに歩き出すことが出来る。
これは別離じゃなくて単に行き着く先は一緒の、お互い違う道を歩くだけだから。
いつかは目的地で━━━それはテニスの頂点なのか、
他のことなのか今はわからないけれど、私たちは出会うために歩くのだから。
自分とは違う道で、でも同じ方向に向かって歩く自分の片割れの存在をもう私は気づいているから。
だから、もうこの場所には立ち止まらない。
あなたの隣に立てないことを寂しいとも思わない。
end
「僕のプレゼントは高くつくこと、覚えておいてね。支払期限は2月末日で」
英二の誕生日に周助が言った言葉だ。
その約束を守るならば、期限は今日。
プレゼント2
自分の誕生日が冬の入り口だったなら、彼の誕生日は春の入り口だろう。
2月28日はそう思わせる陽気だった。
風はすっかり春めいて、日中は厚着をしていれば汗ばんだことだろう。
どこからか、梅の香りと沈丁花の香り。
清冽で凛とした沈丁花の香りは周助を思い出させる。
中学三年生である彼らにはもう授業というものはなく、
そもそも、通学しなくて良い。自宅待機の身だ。
このあと学校に行くのは卒業式前の数日のみで
それも、式の練習に費やされる。
しかし、登校日でもないのに関わらず、英二は制服姿で学校へ向かう。
これまでの中学校生活とは何ら変わらぬ制服にラケットバッグを背負って。
通い慣れた学校までの道のりを小走りに。
おおざっぱに分類するなら11月生まれの自分はぎりぎり冬生まれで
そして2月の末日に生まれた彼もぎりぎり冬生まれで。
同じ冬生まれと言っても僕たち二人は大分違う。
もちろん、季節が人格形成に大いに関わるわけで無し
二人が違うのは当然のことだ。
育った環境が違う。
性格も似ているとはとても言えない。
テニスのプレイスタイルも。
試合に対する捉え方も。
共通することと言えば、同じ学校でクラスメイトで部活仲間。
そしてテニスが好きだ。
それだけだ。
それだけなのに、何故彼に惹かれるのだろう。
いくら考えても、答えは出ない。
いつか出る日が来るのかも分からない。
「やば、遅刻!」
学校までは、あともう少し。英二の足は加速度を増した。
「遅いよ、英二。自分から呼び出しておいてさ」
待ち合わせ場所である校門前に既に来ていた周助からきつく咎める声が飛ぶ。
が、その表情は相変わらず穏和そうに見える。
アルカイックスマイルってお前のことを言うんだよな、と
以前英二がからかったら、やはり穏やかな表情は変わらず鉄拳が飛んできた。
この友人は表情から感情を読みとれないのが怖い。
それでも、自分は他の人間よりも分かった気になっているのだが。
「ごめん、ごめん。用意が遅くなっちゃってさ」
「もう、めでたく誕生日を迎えた友人を待たせるなんて、
ろくな友人じゃないよね」
「マジゴメンってば!」
「はいはい。こんな事言い合ってても時間の無駄だよ、さ、用意しよう」
そして、二人は3年間必死になって活動していたテニスコートへと向かう。
多分、青春学園中等部の生徒として、
この青春学園中等部テニスコートでプレイするのはこれが最後だろう。
そう言う思いを込めて、二人は一つの球を向かい合って追う。
授業中の校内は静けさに満ち、
ラケットがボールを捕らえる音、ボールがコートに弾ける音
そしてそれを追う足音だけがコート内に響く。
引退してからも体を怠けさせないように気をつけていた二人ではあったが
やはり、現役の時よりも体が重い。
すぐに息が上がってしまった。
現役当時にこんな早く上がってしまったら、
部長からは「走ってこい」と言う声が、
乾からはスペシャルドリンクのお誘いが。
そして、顧問からは激しい球出しの嵐が怒濤のようにやってくるに違いなかったが
今はそれがない。
嬉しいような、それでいて寂しいような気分に二人はなった。
まだ2月だというのに、陽気のせいかかなり汗を光らせながら
二人はフェンスにもたれて座り込む。
「うーん、俺達も年を取ったってことかなあ」
しみじみと英二はつぶやく。
「馬鹿なこと言わないの、英二。僕誕生日だし洒落にならないよ」
汗を拭きながら周助はそう答える。
「それにしても、英二、よく許可が取れたね」
「え?」
「だから、テニスコート、だよ」
本来ならば、学校のテニスコートだ。
もう部員でもなんでもない一生徒が、1、2年の一般生徒が授業をやっている時間に
私的にコートを使わせて貰えるはずがない。
昨夜、突然周助の元へ英二からメールが届いた。
【件名】明日♪
【本文】やっほー。まだ起きてる?
明日、13:30に青学校門前で待ち合わせって事で!
バースデイテニスしよーぜ(^^)b
たったそれだけで、こちらの都合もお構いなしの誘いだったが
周助は何も言わず、誘いに乗った。
そして、学校前が待ち合わせというのは、分かり易いからだとばかり思っていた。
まさか本当に学校でテニスをするためとは…。
それに、バースデイテニスってなんだか分かるような分からないような。
「テニスコート、ね。許可取るのにマジ頑張ったよ!
スミレちゃん、こないだの卒業試験の成績全教科70点以上だったら良いっていうんだもんよ」
少し興奮したように、英二が答える。
周助は驚いたように目を見開く。
テニス部は文武両道の部として通っているが、
英二にはそこまでの成績は容易ではなかっただろうから。
しかも、どうしてそう言う話になるのかが分からない。
全教科70点以上でテニスコートを使って良いとは。
いくらテニス部顧問といえども簡単に許可できるとは思えなかった。
「ねえ、不二、誕生日、何が欲しい?」
一月程前に英二は周助にそう尋ねた。
「誕生日…ねえ…。このまえ、高くつくって言ったよね?自分で考えなよ」
「えー!不二のけちー!ヒントー!」
おねがーい!と言う目で周助を見つめる英二。
「だってさ、オレの誕生日のプレゼント、マジ嬉しかったんだもん!
不二にも喜んで欲しいんだよ!」
「そうだなあ…。やっぱり英二の気持ち…かな?
それを何で表すかは僕じゃなくて英二が考えることだよね」
にっこりと英二に笑いかける。
「ううう。それはやっぱり答えないってことかよー」
全身で不二のケチーというオーラを出しつつも
そこで英二はあっさり引き下がった。
結局その時点では英二は効果的なプレゼントが思いつかない様だった。
僕は独占欲が強いから。せめて一ヶ月は僕のことで頭を一杯にするといい。
そのときはそれだけを周助は考えていた。
プレゼントが何になるとしても、それ自体が誕生日プレゼントのようなものだ。
結構移り気で好奇心旺盛な、まさに猫みたいな英二が
自分のことだけを考える、それはなんてぞくぞくする事だろうか。
しかも、あの英二がこの自分のために勉強をするなんて。
自分の為にでもそんなに頑張って勉強をしない英二が。
嬉しくて震えが止まらない。
かつて、こんなに興奮することがあっただろうか。
「英二って、びっくり箱みたいだよね?」
いつもは人前に出さないような笑顔で周助は言う。
「ええー?そう?そんなに驚いた?」
さも、満足げに英二は問う。
彼のこんな笑顔が見られるのはきっと自分だけだろうなと自惚れつつも
まさに、それを狙ってましたと言わんばかりに。
周助を満足させるようなプレゼント。
それを考えると言うことがいかに大変かということを英二はすぐに思い知った。
根底に貪欲なものを潜ませながらも、
金銭的に恵まれていることと、元来の性格から物欲や執着心は薄い。
たとえばサボテンやカメラというようなこだわりはあるものの
それを人からもらったとしても喜んで受け取るタイプだ。
食べ物に関しては味覚に少し変質的なところはあるものの
世間一般で言われる「おいしいもの」は普通に美味しく食すし、
あの乾汁が飲めると言うことは逆に嫌いなものが少ないとも言えるかもしれない。
彼の好きな食品を贈るというのも考えたけれど、
しかしながら、それでは芸がないように思えるし
誕生日プレゼントに激辛ラーメンをおごる、なんて言うのは自分的にも許せない。
どうせなら贈った相手に喜ばれ、
なおかついつまでも記憶に留めておけるようなものがいい。
自分と周助の絆になるもの━━━。
そう考えた時にたどり着いたのがテニスだった。
二人の3年間の関係の軸となったもの。
二人がこよなく愛するもの。
お互いが真剣に向き合える数少ない場だから。
場所は何処でも良かったが、どうせなら学校のコートが良かった。
自分たちが打つことが出来るのはきっとこれで最後になるから。
青春学園中等部の不二周助と菊丸英二は数日後にはいなくなってしまうから。
それを思いついた時にはまさに天啓が下ったような気がした。
その時既に深夜に近い時間ではあったが
取り憑かれたように早速顧問に電話していた。
もちろん、「こんな時間に何事だ」と怒られたが全く気にならなかった。
そして、彼らは今テニスコートにいる。
3年間、一緒に同じものを見、同じ高みを目指した場所。
愛すべき場所。
そしてこれからはどんなに焦がれても彼らのものではなくなる場所。
もう既に空は春の色に変わりつつある空を二人はしばらく無言で眺めていた。
その静寂を破ったのは周助の方だった。
「ねえ、英二」
「ん?」
「僕は英二のこと、好きで良かったなって今程思ったことはないね」
「へ?」
英二は急に何を言い出すのかという表情で周助の顔を凝視する。
その驚きの表情を見て周助は相好を崩す。
いつも笑顔ではあるけれど、いつもと違う笑顔。
それは唯一の人にだけ見せる笑顔で。
英二も、周助のことが好きで良かったなと改めて思う。
思った瞬間、すっと唇が触れ、離れた。
英二は、ずっと驚いたままで表情が固まってしまっている。
「まいったな、悔しいな」
「な、なんでまた」
「だって英二は僕が思ってるより僕のことを大切に思ってくれてるから、ね」
「それはないっしょ。寧ろ逆だし、俺こそ悔しいよ」
「……あー、僕たちってお互いを思いやるイイカップルだと思わない?英二」
その一言を呼び水に、二人はひとしきり笑いあう。
「それを自分の口から言うか?フツー」
「僕は、言うよ」
「はははははは。まあ、不二だしね」
「なんだよ、それ。
━━━まあ、いいか、さて在校生の部活までもうちょっと時間があるね。
もう少し打っていこうか、英二」
「賛成、賛成!よーし、はりきっていっちゃうからなー!」
先ほど打ち合った疲労も消え、軽やかな足取りで二人はコートへ向かう。
「あ、そうそう、言うの忘れてた。
終わったら姉さんが英二を家に連れてこいってさ、ケーキあるからって」
「やった!もーっとはりきっていっちゃうからなー!不二覚悟しろよ!」
「はは、それは手強いな。━━━あと、そう、英二」
ネットをはさんで向かい合ったところで
周助は改まった表情で英二に声をかけた。
「素敵な誕生日プレゼントをどうもありがとう」
そして、試合の時と同様に握手を交わした。
試合の時と違うのはお互いがお互いを見つめ、とろけるような表情だったことだけ。
END
英二の誕生日に周助が言った言葉だ。
その約束を守るならば、期限は今日。
プレゼント2
自分の誕生日が冬の入り口だったなら、彼の誕生日は春の入り口だろう。
2月28日はそう思わせる陽気だった。
風はすっかり春めいて、日中は厚着をしていれば汗ばんだことだろう。
どこからか、梅の香りと沈丁花の香り。
清冽で凛とした沈丁花の香りは周助を思い出させる。
中学三年生である彼らにはもう授業というものはなく、
そもそも、通学しなくて良い。自宅待機の身だ。
このあと学校に行くのは卒業式前の数日のみで
それも、式の練習に費やされる。
しかし、登校日でもないのに関わらず、英二は制服姿で学校へ向かう。
これまでの中学校生活とは何ら変わらぬ制服にラケットバッグを背負って。
通い慣れた学校までの道のりを小走りに。
おおざっぱに分類するなら11月生まれの自分はぎりぎり冬生まれで
そして2月の末日に生まれた彼もぎりぎり冬生まれで。
同じ冬生まれと言っても僕たち二人は大分違う。
もちろん、季節が人格形成に大いに関わるわけで無し
二人が違うのは当然のことだ。
育った環境が違う。
性格も似ているとはとても言えない。
テニスのプレイスタイルも。
試合に対する捉え方も。
共通することと言えば、同じ学校でクラスメイトで部活仲間。
そしてテニスが好きだ。
それだけだ。
それだけなのに、何故彼に惹かれるのだろう。
いくら考えても、答えは出ない。
いつか出る日が来るのかも分からない。
「やば、遅刻!」
学校までは、あともう少し。英二の足は加速度を増した。
「遅いよ、英二。自分から呼び出しておいてさ」
待ち合わせ場所である校門前に既に来ていた周助からきつく咎める声が飛ぶ。
が、その表情は相変わらず穏和そうに見える。
アルカイックスマイルってお前のことを言うんだよな、と
以前英二がからかったら、やはり穏やかな表情は変わらず鉄拳が飛んできた。
この友人は表情から感情を読みとれないのが怖い。
それでも、自分は他の人間よりも分かった気になっているのだが。
「ごめん、ごめん。用意が遅くなっちゃってさ」
「もう、めでたく誕生日を迎えた友人を待たせるなんて、
ろくな友人じゃないよね」
「マジゴメンってば!」
「はいはい。こんな事言い合ってても時間の無駄だよ、さ、用意しよう」
そして、二人は3年間必死になって活動していたテニスコートへと向かう。
多分、青春学園中等部の生徒として、
この青春学園中等部テニスコートでプレイするのはこれが最後だろう。
そう言う思いを込めて、二人は一つの球を向かい合って追う。
授業中の校内は静けさに満ち、
ラケットがボールを捕らえる音、ボールがコートに弾ける音
そしてそれを追う足音だけがコート内に響く。
引退してからも体を怠けさせないように気をつけていた二人ではあったが
やはり、現役の時よりも体が重い。
すぐに息が上がってしまった。
現役当時にこんな早く上がってしまったら、
部長からは「走ってこい」と言う声が、
乾からはスペシャルドリンクのお誘いが。
そして、顧問からは激しい球出しの嵐が怒濤のようにやってくるに違いなかったが
今はそれがない。
嬉しいような、それでいて寂しいような気分に二人はなった。
まだ2月だというのに、陽気のせいかかなり汗を光らせながら
二人はフェンスにもたれて座り込む。
「うーん、俺達も年を取ったってことかなあ」
しみじみと英二はつぶやく。
「馬鹿なこと言わないの、英二。僕誕生日だし洒落にならないよ」
汗を拭きながら周助はそう答える。
「それにしても、英二、よく許可が取れたね」
「え?」
「だから、テニスコート、だよ」
本来ならば、学校のテニスコートだ。
もう部員でもなんでもない一生徒が、1、2年の一般生徒が授業をやっている時間に
私的にコートを使わせて貰えるはずがない。
昨夜、突然周助の元へ英二からメールが届いた。
【件名】明日♪
【本文】やっほー。まだ起きてる?
明日、13:30に青学校門前で待ち合わせって事で!
バースデイテニスしよーぜ(^^)b
たったそれだけで、こちらの都合もお構いなしの誘いだったが
周助は何も言わず、誘いに乗った。
そして、学校前が待ち合わせというのは、分かり易いからだとばかり思っていた。
まさか本当に学校でテニスをするためとは…。
それに、バースデイテニスってなんだか分かるような分からないような。
「テニスコート、ね。許可取るのにマジ頑張ったよ!
スミレちゃん、こないだの卒業試験の成績全教科70点以上だったら良いっていうんだもんよ」
少し興奮したように、英二が答える。
周助は驚いたように目を見開く。
テニス部は文武両道の部として通っているが、
英二にはそこまでの成績は容易ではなかっただろうから。
しかも、どうしてそう言う話になるのかが分からない。
全教科70点以上でテニスコートを使って良いとは。
いくらテニス部顧問といえども簡単に許可できるとは思えなかった。
「ねえ、不二、誕生日、何が欲しい?」
一月程前に英二は周助にそう尋ねた。
「誕生日…ねえ…。このまえ、高くつくって言ったよね?自分で考えなよ」
「えー!不二のけちー!ヒントー!」
おねがーい!と言う目で周助を見つめる英二。
「だってさ、オレの誕生日のプレゼント、マジ嬉しかったんだもん!
不二にも喜んで欲しいんだよ!」
「そうだなあ…。やっぱり英二の気持ち…かな?
それを何で表すかは僕じゃなくて英二が考えることだよね」
にっこりと英二に笑いかける。
「ううう。それはやっぱり答えないってことかよー」
全身で不二のケチーというオーラを出しつつも
そこで英二はあっさり引き下がった。
結局その時点では英二は効果的なプレゼントが思いつかない様だった。
僕は独占欲が強いから。せめて一ヶ月は僕のことで頭を一杯にするといい。
そのときはそれだけを周助は考えていた。
プレゼントが何になるとしても、それ自体が誕生日プレゼントのようなものだ。
結構移り気で好奇心旺盛な、まさに猫みたいな英二が
自分のことだけを考える、それはなんてぞくぞくする事だろうか。
しかも、あの英二がこの自分のために勉強をするなんて。
自分の為にでもそんなに頑張って勉強をしない英二が。
嬉しくて震えが止まらない。
かつて、こんなに興奮することがあっただろうか。
「英二って、びっくり箱みたいだよね?」
いつもは人前に出さないような笑顔で周助は言う。
「ええー?そう?そんなに驚いた?」
さも、満足げに英二は問う。
彼のこんな笑顔が見られるのはきっと自分だけだろうなと自惚れつつも
まさに、それを狙ってましたと言わんばかりに。
周助を満足させるようなプレゼント。
それを考えると言うことがいかに大変かということを英二はすぐに思い知った。
根底に貪欲なものを潜ませながらも、
金銭的に恵まれていることと、元来の性格から物欲や執着心は薄い。
たとえばサボテンやカメラというようなこだわりはあるものの
それを人からもらったとしても喜んで受け取るタイプだ。
食べ物に関しては味覚に少し変質的なところはあるものの
世間一般で言われる「おいしいもの」は普通に美味しく食すし、
あの乾汁が飲めると言うことは逆に嫌いなものが少ないとも言えるかもしれない。
彼の好きな食品を贈るというのも考えたけれど、
しかしながら、それでは芸がないように思えるし
誕生日プレゼントに激辛ラーメンをおごる、なんて言うのは自分的にも許せない。
どうせなら贈った相手に喜ばれ、
なおかついつまでも記憶に留めておけるようなものがいい。
自分と周助の絆になるもの━━━。
そう考えた時にたどり着いたのがテニスだった。
二人の3年間の関係の軸となったもの。
二人がこよなく愛するもの。
お互いが真剣に向き合える数少ない場だから。
場所は何処でも良かったが、どうせなら学校のコートが良かった。
自分たちが打つことが出来るのはきっとこれで最後になるから。
青春学園中等部の不二周助と菊丸英二は数日後にはいなくなってしまうから。
それを思いついた時にはまさに天啓が下ったような気がした。
その時既に深夜に近い時間ではあったが
取り憑かれたように早速顧問に電話していた。
もちろん、「こんな時間に何事だ」と怒られたが全く気にならなかった。
そして、彼らは今テニスコートにいる。
3年間、一緒に同じものを見、同じ高みを目指した場所。
愛すべき場所。
そしてこれからはどんなに焦がれても彼らのものではなくなる場所。
もう既に空は春の色に変わりつつある空を二人はしばらく無言で眺めていた。
その静寂を破ったのは周助の方だった。
「ねえ、英二」
「ん?」
「僕は英二のこと、好きで良かったなって今程思ったことはないね」
「へ?」
英二は急に何を言い出すのかという表情で周助の顔を凝視する。
その驚きの表情を見て周助は相好を崩す。
いつも笑顔ではあるけれど、いつもと違う笑顔。
それは唯一の人にだけ見せる笑顔で。
英二も、周助のことが好きで良かったなと改めて思う。
思った瞬間、すっと唇が触れ、離れた。
英二は、ずっと驚いたままで表情が固まってしまっている。
「まいったな、悔しいな」
「な、なんでまた」
「だって英二は僕が思ってるより僕のことを大切に思ってくれてるから、ね」
「それはないっしょ。寧ろ逆だし、俺こそ悔しいよ」
「……あー、僕たちってお互いを思いやるイイカップルだと思わない?英二」
その一言を呼び水に、二人はひとしきり笑いあう。
「それを自分の口から言うか?フツー」
「僕は、言うよ」
「はははははは。まあ、不二だしね」
「なんだよ、それ。
━━━まあ、いいか、さて在校生の部活までもうちょっと時間があるね。
もう少し打っていこうか、英二」
「賛成、賛成!よーし、はりきっていっちゃうからなー!」
先ほど打ち合った疲労も消え、軽やかな足取りで二人はコートへ向かう。
「あ、そうそう、言うの忘れてた。
終わったら姉さんが英二を家に連れてこいってさ、ケーキあるからって」
「やった!もーっとはりきっていっちゃうからなー!不二覚悟しろよ!」
「はは、それは手強いな。━━━あと、そう、英二」
ネットをはさんで向かい合ったところで
周助は改まった表情で英二に声をかけた。
「素敵な誕生日プレゼントをどうもありがとう」
そして、試合の時と同様に握手を交わした。
試合の時と違うのはお互いがお互いを見つめ、とろけるような表情だったことだけ。
END
快晴の本日もやっと練習が終わった。
部長不在のテニス部といえども練習は変わらずハードなもので
皆汗で身体が不快に湿っている。
部員達はそれぞれ早く着替えようと部室に急いだり
水道で頭から水をかぶったりして不快さから逃れようとしている。
「いやー!あっついねー!」
そう言って、たっぷりと水を貯めたテニス部備品のバケツを頭上に掲げた菊丸英二は、
目の前にいるクラスメイト不二周助にその水をぶちまけた。
周囲からは部員達の悲鳴(不二先輩にそんな事して怖ろしい!と言った声)や
はやし立てる声(いいぞー!もっとー!と言った声)があがる中
「…英二?言ってる事とやってる事に矛盾があると思うんだけど?」
きわめて冷静に言葉を紡ぐ不二。
しかしその声色には怒りなどといったものはなく
ただ自分の身に降りかかった事に対して呆気にとられているようだ。
夏の最中の屋外での練習で、既に滝のような汗を流した後では
思考能力に衰えがあるのも確かなら、
今更頭から水をかぶったところでさほど変わらないのも確か。
怒りを覚えるのも馬鹿馬鹿しく暑苦しい行為だ。
「でも、涼しくなったっしょ?不二?」
そういって小首をかしげる菊丸は
相も変わらず汗をだらだらと流し続けている。
暑い中、運動したあとであればバケツ一杯の水を持ち上げるのさえ
重労働になりうる。
だからそこまでして何がしたいのか、不二にはさっぱりだ。
「まあね、僕は涼しくなったけどね、
でも僕がびしょぬれになったところで君が涼しくなるわけじゃないよ?」
「ん?そうでもないよ」
そう言い終わらないうちに菊丸は不二の身体に絡みつく。
「えへへー♪コレで涼しくなるもんねー!」
水で汗ごと加熱した体温を流した不二の身体は少しひんやりして気持ちが良い。
周囲が炎天下というのは変わらないので、それは一瞬ではあるけれど。
「ねぇ、英二は涼しくなるかもしれないけどさ、僕は熱くなることに気づいてる?」
初めは呆れモードのままだったものの、
英二に抱きつかれたことに寄る体温の上昇には少し眉を寄せる。
英二は好き。
英二が抱きつき、寄せられてくる体重も心地良い。
でも、火照ったままの英二の体温と、外気による、
自分にまとわりついた水温の上昇は不快だ。
「離れてよ、英…」
そう言い終わらぬところに、突然、今度は頭上からと言わず様々な角度から水が。
ぐるりと周囲を見渡すと大石や乾たちレギュラー陣達がバケツを持って立っていた。
(ちなみに1年生トリオはバケツリレーで水を届けている)
「……どういう事?英二にでも頼まれたの?」
まさか、そんなわけは無いだろう。でもどうして?全く分からない。
しかし、菊丸は「もっと!もっと!」と急かしている。
やれやれと言った表情でもう一度二人に水をかけ、
周囲の人間たちはこう説明する。
「見ているだけでお前達は暑苦しいんだよ。周囲の人間の体温上昇する確率95%」
「そうッスよ!先輩達どっか涼しいところでやってくださいよ!」
そういった言葉を次々と口にするもの達の最後に
菊丸の、また部員達のもっとも信頼するところの大石副部長は
その暑さ知らずのさわやかな笑顔でこう言葉を添えた。
「さあ、次は英二と不二がみんなに水をかける番だからな。しっかりよろしくな!
筋トレだと思ってがんばれよ!」
結局その後びしょびしょになって涼を楽しむレギュラー陣を尻目に
不二と菊丸の体温が低下する事はなかった。
寧ろまた汗が身体に張り付いた水分を洗い流す結果となった。
しかし、その後、帰り道の途中で英二だけは
「これって…僕の巻き込まれ損って事だよね…?誰のせいかな?英二?」
と言う一言を不二から浴びせかけられて非常に涼しい気分になったという。
END
部長不在のテニス部といえども練習は変わらずハードなもので
皆汗で身体が不快に湿っている。
部員達はそれぞれ早く着替えようと部室に急いだり
水道で頭から水をかぶったりして不快さから逃れようとしている。
「いやー!あっついねー!」
そう言って、たっぷりと水を貯めたテニス部備品のバケツを頭上に掲げた菊丸英二は、
目の前にいるクラスメイト不二周助にその水をぶちまけた。
周囲からは部員達の悲鳴(不二先輩にそんな事して怖ろしい!と言った声)や
はやし立てる声(いいぞー!もっとー!と言った声)があがる中
「…英二?言ってる事とやってる事に矛盾があると思うんだけど?」
きわめて冷静に言葉を紡ぐ不二。
しかしその声色には怒りなどといったものはなく
ただ自分の身に降りかかった事に対して呆気にとられているようだ。
夏の最中の屋外での練習で、既に滝のような汗を流した後では
思考能力に衰えがあるのも確かなら、
今更頭から水をかぶったところでさほど変わらないのも確か。
怒りを覚えるのも馬鹿馬鹿しく暑苦しい行為だ。
「でも、涼しくなったっしょ?不二?」
そういって小首をかしげる菊丸は
相も変わらず汗をだらだらと流し続けている。
暑い中、運動したあとであればバケツ一杯の水を持ち上げるのさえ
重労働になりうる。
だからそこまでして何がしたいのか、不二にはさっぱりだ。
「まあね、僕は涼しくなったけどね、
でも僕がびしょぬれになったところで君が涼しくなるわけじゃないよ?」
「ん?そうでもないよ」
そう言い終わらないうちに菊丸は不二の身体に絡みつく。
「えへへー♪コレで涼しくなるもんねー!」
水で汗ごと加熱した体温を流した不二の身体は少しひんやりして気持ちが良い。
周囲が炎天下というのは変わらないので、それは一瞬ではあるけれど。
「ねぇ、英二は涼しくなるかもしれないけどさ、僕は熱くなることに気づいてる?」
初めは呆れモードのままだったものの、
英二に抱きつかれたことに寄る体温の上昇には少し眉を寄せる。
英二は好き。
英二が抱きつき、寄せられてくる体重も心地良い。
でも、火照ったままの英二の体温と、外気による、
自分にまとわりついた水温の上昇は不快だ。
「離れてよ、英…」
そう言い終わらぬところに、突然、今度は頭上からと言わず様々な角度から水が。
ぐるりと周囲を見渡すと大石や乾たちレギュラー陣達がバケツを持って立っていた。
(ちなみに1年生トリオはバケツリレーで水を届けている)
「……どういう事?英二にでも頼まれたの?」
まさか、そんなわけは無いだろう。でもどうして?全く分からない。
しかし、菊丸は「もっと!もっと!」と急かしている。
やれやれと言った表情でもう一度二人に水をかけ、
周囲の人間たちはこう説明する。
「見ているだけでお前達は暑苦しいんだよ。周囲の人間の体温上昇する確率95%」
「そうッスよ!先輩達どっか涼しいところでやってくださいよ!」
そういった言葉を次々と口にするもの達の最後に
菊丸の、また部員達のもっとも信頼するところの大石副部長は
その暑さ知らずのさわやかな笑顔でこう言葉を添えた。
「さあ、次は英二と不二がみんなに水をかける番だからな。しっかりよろしくな!
筋トレだと思ってがんばれよ!」
結局その後びしょびしょになって涼を楽しむレギュラー陣を尻目に
不二と菊丸の体温が低下する事はなかった。
寧ろまた汗が身体に張り付いた水分を洗い流す結果となった。
しかし、その後、帰り道の途中で英二だけは
「これって…僕の巻き込まれ損って事だよね…?誰のせいかな?英二?」
と言う一言を不二から浴びせかけられて非常に涼しい気分になったという。
END
空虚……そんな言葉が今の自分にぴったりだな。
そう菊丸英二は思った。
もっとも「空虚」なんて言葉は期末テストの時に覚えたばかりの言葉だけれど。
とあるクリスマス
学校はもう既に終業式を迎え、晴れて冬休みを満喫する身であるのに。
けれどもむなしい気がする。
暖かいだけが取り柄の家の外では、
冷たいけれども暖かな色とりどりの電飾に彩られ、
赤や緑、金銀が織りなす世界がひろがっている。
今年の自分の身分はと言えば中学三年生で、
エスカレーター式の学校に通っているとはいえども、
外部受験を志すクラスメート達に気遣って派手な行事は自粛ムードだ。
きっと表沙汰にならないところで仲の良いグループなどは遊ぶのだろう。
自分にはクラスで深いつきあいをしているグループはない。
友達が居ないわけではないけれど。
部活に打ち込む人間にはありがちで、平日も休日も中心は部活だったから
深くまで付き合える人間と言えばどうしても部活の連中になってしまう。
それなら部活の仲間と遊んだりすればいいのだが。
ある意味個性的なテニス部3年の面々には、
自らクリスマスに遊ぼうなんて言い出すタイプの人間が殆どおらず、
いるとすれば黄金ペアの、自分の相棒である大石かそれこそ自分だけである。
しかし、終業式前は何かとバタバタするのが常で
大石は風邪でダウンし、自分には皆に話を持ちかけるタイミングがなかった。
たった一人、クラスメート兼部活仲間の不二には声をかけてみたが。
「そうだねー」
という、それ以上話が進みようのない返事が返ってきただけだった。
そう言えば去年は部活のみんなと部活終了後にパーティーやったっけ。
ぼんやり思い出す。
自分は当然2年生で、手塚以外の皆とともにまだ浮ついたところがあって、
大石の髪型は今の髪型に定着しかかっているときで
タカさんの体にはまだほっそりした部分も残っていたし
乾は汁のことなんて口にも出さなかった(データは取っていたけれど)
手塚も外見に幼さが若干(乾に言わせれば0,5%くらいか?)残っていた。
当時1年生だった桃城と海堂は相変わらずケンカしていた。
(原因はケーキのイチゴを最初に食べるか最後に食べるかだった気がする)
唯一当時の印象が残っていないのは不二ぐらいだろうか。
中学2年生だった、と言うことしか覚えていない。
手塚と同じで外見が幼かった…くらいだろうか。
3年生になって同じクラスになって、毎日を過ごしている内に、
いろんな不二を発見して記憶を上書きする内に当時の記憶まで消してしまったのだろうか。
部活がない。というのが自分にとっては苦行だと改めて思った。
部活さえしていれば、みんなとわいわい騒ぐ機会も多いし、
こんな風にごちゃごちゃと過去を振り返ることもない。
見るのは勝利だけ。前だけだ。
あと4ヶ月もこんな日が続くかと思うとうんざりだ。
けれどもそれは変えようのない現実で。
「よっし!外でも行くかー!」
前向きに、前向きに。とりあえず外に出て気分転換することにした。
一人でも外には何かしら楽しいことはあるだろう。
日が暮れて冷えて来るにはあと1時間ほどしかないけれど
そのぐらいが外をぶらつくには丁度いい時間だろう。
クリスマスが特別な日だと思っていた自分には意外なことだったが
それはただの平日だった。祝日でも何でもなく。
いや、多少派手な平日ではあるが。
どこぞの奥さん達は夕飯の買い物袋を下げて歩いているし
サラリーマン風のおじさん達は携帯片手に忙しそうだ。
さすがに子供達、学生達は華やかで、友人達と連んだりしているみたいだが。
本屋に行けば普通に立ち読みしている人もいるし
ゲーセンでは普通にゲームをしている人々がいる。
案外そんなものなんだと初めて知ったような気がする。
日が落ち、そろそろオレンジ色の空も完全に紺色に浸食されそうな頃
家の前に何か影があった。
暗くもなく明るくもないこの時間では遠目では判別できず、
かなり近くまで近寄ってその正体が分かった。
「英二…なにやってたの…」
既に両目が見開かれた状態の不二であった。
「なんだ、不二じゃん。ウチ来るならメールでもくれれば良かったのに」
そう言うと、さらに目は見開かれ、
「英二が持ってるんならそうしたよ。当然、ね」
不二の目からもしビームが出るならおそらく今の自分は死んでいただろう。
彼の目から何も出ないことをどこかの神様に感謝した。
と、同時に自分が今現在ケータイを所持していないことに気づく。
「あ」
「きみにね、まずメールをしたんだよ。そしたら返事がこなくて。
でもそこであきらめられない用事だったから電話したんだよ。
そしたら、きみのお姉さんが出て、出かけましたって」
「ええ~、じゃあ、俺がいないの知ってて家の前でまってたの?」
「うん、お姉さんが日が暮れるまでにかえって来るって言ってたから」
不二はそう言ってにっこり笑う。その笑顔の意味はあえて英二は無視することにした。
「い、家で待っててくれれば良かったのにー…」
暑くもないのに背中から汗がにじむ。
頭の中でぐるぐる回るのは(ヤバイ!怒ってる!どうしよう!)ということだけだ。
「ううん。ここで待ってる方がイヤミだからいいと思って」
その言葉は死の宣告に等しかった。
英二には、
「うん…そっか、そうだよね…。ごめん…」
としか言いようがなかった。
今思い出した。1年前の不二の印象。
常に穏やかなヤツだと思っていた。
自分がこんなに頭が上がらなくなる存在になるとは思っていなかった。
不二はどうでも良い人間には適当な対応しかしない。
怒りもしないし、あくまで無視だ。かえって愛想が良いくらいだ。
イヤミなんてもってのほかだ。
イヤミでも何でも感情をぶつけてくる彼のことが嬉しくて仕方ないのは
おかしな事だろうか?
嬉しすぎて彼の感情をつい受け止めずにはいられない。
不二の用事はパーティーだった。
パーティーなんて聞いてないと抗議すると、事の顛末を教えてくれた。
と、言っても不二も今朝知ったばかりだったのだが。
つまり、企画は終業式前には完全に出来ていたのだけれども
大石が風邪で寝込んでいたので全員に伝えることを失念していたらしい。
一部には既に伝えてあったため、記憶の混乱も手伝ったようだった。
知っていた人間は当然全員知っているだろうと今日まで思っていたらしかった。
大石の企画である。まさか企画の通達という初歩のことが成されていないとは
誰にも予想だに出来なかったのだ。
会場であるファミレスの店内奥にある団体席には
旧(既に旧だ)青学レギュラー陣達が待っていた。
「英二、遅いぞ」
「菊丸、ファミレス周り50周してくるか?」
「先輩遅いっす!」
などと次々と待ち受けていたメンバーから声がかかる。
こんな事全く知らなかったんだから仕方ないという思いはあるけれど
声をかける一人一人に謝罪の意を伝える。
無いと思っていたパーティーがあり、
しかもわざわざ呼びに来てくれ(不二が直々に)、待っててくれる人もいる。
嬉しいことこの上ない。
「まあ、もっとも今日の主賓もまだ来てないんだけどね」
そう言う河村に英二は首をかしげ、
「主賓?サンタさんでも来るわけ?」
不思議に思い、そのことを素直に口に乗せる。
ぐるっと席を見渡す。
この時点でいないのは大石と越前だけだ。
越前が遅いのはいつものことだけど大石が遅いのはおかしい。
まだ来ていない主賓というのはどちらかの事だろうか?
「おや?知らないのか?俺のデータによると越前の誕生日は
12月24日、すなわち今日だ」
そうノートを見つつ乾が答える。
後ろからは「…今日もデータ取るつもりですか先輩…」との声がうっすら漏れる。
「要するにクリスマスと越前の誕生日、両方のパーティーと言うことだ」
部長も生徒会長も引退してる手塚が話をしめる。
何の肩書きもなくとも彼にはそれがふさわしい。
「じゃあ、主賓って越前のことなんだー。で、大石は?」
「捕獲係」
「へ?」
「鈍いね、英二。僕がきみの捕獲係。大石が越前の捕獲係ってことさ」
そう不二が説明する。
「ほ、捕獲って俺たちは野生動物じゃないんだぞう!」
言うと同時に、目の前の不二のケータイがなる。
「あ。メール。大石達もう店の近くにいるって。良かったね、英二」
「ほえ?なんでそこで俺に話を振るのさー?」
単純に最後の遅刻者じゃなかったからか?よく分からない。
不二はそんな不思議そうな表情をする英二を眺め、くすりと笑い、
そして英二の右手に筒状のものを握らせた。
「ん?なに?クラッカーじゃん」
手を開いて不二が握らせたものを見て、元々大きい英二の目はさらに大きくなった。
もちろん、パーティーにはクラッカーはつきもので。
でも、それで何が良かったんだろう?
「だからさ、英二、クラッカー鳴らすとかって好きでしょ?
越前達より遅れたらさすがに鳴らせないでしょうに。
それとも後で一人で孤独に鳴らしてみるのも良かった……あ」
いつの間にか店内に入ってきていた二人が席の前にたどり着いた。
と、同時に次々とテニス部面々はクラッカーのひもを引く。
普段からの反射神経の賜で鳴らすタイミングは逃さない。
「メリークリスマス&ハッピーバースデー越前!」
お互い計っていたわけでもないのにそろって声に出す。
当の越前は顔を赤らめ「やめてくださいよ…恥ずかしい」などとつぶやいている。
あ、だから「良かった」のか。
こんな瞬間を分かち合うことに間に合って。
クラッカーもそうだけど。それ以外のことも含めての。
「僕はね、こういう幸せな瞬間を英二と迎えたかったんだよ。だからね、良かったの。
さっき迎えに行ったときも言ったでしょ?あきらめられない用事だったって。
こんな時に隣に英二がいないのは寂しいからね」
隣でクラッカーと握りしめたまま立っている英二にしか聞こえない声で不二が言う。
空虚……そんな言葉は今の自分には無縁な言葉だ。
もっともそんな言葉がまた試験に出るかもしれないから忘れはしないけれど。
END
そう菊丸英二は思った。
もっとも「空虚」なんて言葉は期末テストの時に覚えたばかりの言葉だけれど。
とあるクリスマス
学校はもう既に終業式を迎え、晴れて冬休みを満喫する身であるのに。
けれどもむなしい気がする。
暖かいだけが取り柄の家の外では、
冷たいけれども暖かな色とりどりの電飾に彩られ、
赤や緑、金銀が織りなす世界がひろがっている。
今年の自分の身分はと言えば中学三年生で、
エスカレーター式の学校に通っているとはいえども、
外部受験を志すクラスメート達に気遣って派手な行事は自粛ムードだ。
きっと表沙汰にならないところで仲の良いグループなどは遊ぶのだろう。
自分にはクラスで深いつきあいをしているグループはない。
友達が居ないわけではないけれど。
部活に打ち込む人間にはありがちで、平日も休日も中心は部活だったから
深くまで付き合える人間と言えばどうしても部活の連中になってしまう。
それなら部活の仲間と遊んだりすればいいのだが。
ある意味個性的なテニス部3年の面々には、
自らクリスマスに遊ぼうなんて言い出すタイプの人間が殆どおらず、
いるとすれば黄金ペアの、自分の相棒である大石かそれこそ自分だけである。
しかし、終業式前は何かとバタバタするのが常で
大石は風邪でダウンし、自分には皆に話を持ちかけるタイミングがなかった。
たった一人、クラスメート兼部活仲間の不二には声をかけてみたが。
「そうだねー」
という、それ以上話が進みようのない返事が返ってきただけだった。
そう言えば去年は部活のみんなと部活終了後にパーティーやったっけ。
ぼんやり思い出す。
自分は当然2年生で、手塚以外の皆とともにまだ浮ついたところがあって、
大石の髪型は今の髪型に定着しかかっているときで
タカさんの体にはまだほっそりした部分も残っていたし
乾は汁のことなんて口にも出さなかった(データは取っていたけれど)
手塚も外見に幼さが若干(乾に言わせれば0,5%くらいか?)残っていた。
当時1年生だった桃城と海堂は相変わらずケンカしていた。
(原因はケーキのイチゴを最初に食べるか最後に食べるかだった気がする)
唯一当時の印象が残っていないのは不二ぐらいだろうか。
中学2年生だった、と言うことしか覚えていない。
手塚と同じで外見が幼かった…くらいだろうか。
3年生になって同じクラスになって、毎日を過ごしている内に、
いろんな不二を発見して記憶を上書きする内に当時の記憶まで消してしまったのだろうか。
部活がない。というのが自分にとっては苦行だと改めて思った。
部活さえしていれば、みんなとわいわい騒ぐ機会も多いし、
こんな風にごちゃごちゃと過去を振り返ることもない。
見るのは勝利だけ。前だけだ。
あと4ヶ月もこんな日が続くかと思うとうんざりだ。
けれどもそれは変えようのない現実で。
「よっし!外でも行くかー!」
前向きに、前向きに。とりあえず外に出て気分転換することにした。
一人でも外には何かしら楽しいことはあるだろう。
日が暮れて冷えて来るにはあと1時間ほどしかないけれど
そのぐらいが外をぶらつくには丁度いい時間だろう。
クリスマスが特別な日だと思っていた自分には意外なことだったが
それはただの平日だった。祝日でも何でもなく。
いや、多少派手な平日ではあるが。
どこぞの奥さん達は夕飯の買い物袋を下げて歩いているし
サラリーマン風のおじさん達は携帯片手に忙しそうだ。
さすがに子供達、学生達は華やかで、友人達と連んだりしているみたいだが。
本屋に行けば普通に立ち読みしている人もいるし
ゲーセンでは普通にゲームをしている人々がいる。
案外そんなものなんだと初めて知ったような気がする。
日が落ち、そろそろオレンジ色の空も完全に紺色に浸食されそうな頃
家の前に何か影があった。
暗くもなく明るくもないこの時間では遠目では判別できず、
かなり近くまで近寄ってその正体が分かった。
「英二…なにやってたの…」
既に両目が見開かれた状態の不二であった。
「なんだ、不二じゃん。ウチ来るならメールでもくれれば良かったのに」
そう言うと、さらに目は見開かれ、
「英二が持ってるんならそうしたよ。当然、ね」
不二の目からもしビームが出るならおそらく今の自分は死んでいただろう。
彼の目から何も出ないことをどこかの神様に感謝した。
と、同時に自分が今現在ケータイを所持していないことに気づく。
「あ」
「きみにね、まずメールをしたんだよ。そしたら返事がこなくて。
でもそこであきらめられない用事だったから電話したんだよ。
そしたら、きみのお姉さんが出て、出かけましたって」
「ええ~、じゃあ、俺がいないの知ってて家の前でまってたの?」
「うん、お姉さんが日が暮れるまでにかえって来るって言ってたから」
不二はそう言ってにっこり笑う。その笑顔の意味はあえて英二は無視することにした。
「い、家で待っててくれれば良かったのにー…」
暑くもないのに背中から汗がにじむ。
頭の中でぐるぐる回るのは(ヤバイ!怒ってる!どうしよう!)ということだけだ。
「ううん。ここで待ってる方がイヤミだからいいと思って」
その言葉は死の宣告に等しかった。
英二には、
「うん…そっか、そうだよね…。ごめん…」
としか言いようがなかった。
今思い出した。1年前の不二の印象。
常に穏やかなヤツだと思っていた。
自分がこんなに頭が上がらなくなる存在になるとは思っていなかった。
不二はどうでも良い人間には適当な対応しかしない。
怒りもしないし、あくまで無視だ。かえって愛想が良いくらいだ。
イヤミなんてもってのほかだ。
イヤミでも何でも感情をぶつけてくる彼のことが嬉しくて仕方ないのは
おかしな事だろうか?
嬉しすぎて彼の感情をつい受け止めずにはいられない。
不二の用事はパーティーだった。
パーティーなんて聞いてないと抗議すると、事の顛末を教えてくれた。
と、言っても不二も今朝知ったばかりだったのだが。
つまり、企画は終業式前には完全に出来ていたのだけれども
大石が風邪で寝込んでいたので全員に伝えることを失念していたらしい。
一部には既に伝えてあったため、記憶の混乱も手伝ったようだった。
知っていた人間は当然全員知っているだろうと今日まで思っていたらしかった。
大石の企画である。まさか企画の通達という初歩のことが成されていないとは
誰にも予想だに出来なかったのだ。
会場であるファミレスの店内奥にある団体席には
旧(既に旧だ)青学レギュラー陣達が待っていた。
「英二、遅いぞ」
「菊丸、ファミレス周り50周してくるか?」
「先輩遅いっす!」
などと次々と待ち受けていたメンバーから声がかかる。
こんな事全く知らなかったんだから仕方ないという思いはあるけれど
声をかける一人一人に謝罪の意を伝える。
無いと思っていたパーティーがあり、
しかもわざわざ呼びに来てくれ(不二が直々に)、待っててくれる人もいる。
嬉しいことこの上ない。
「まあ、もっとも今日の主賓もまだ来てないんだけどね」
そう言う河村に英二は首をかしげ、
「主賓?サンタさんでも来るわけ?」
不思議に思い、そのことを素直に口に乗せる。
ぐるっと席を見渡す。
この時点でいないのは大石と越前だけだ。
越前が遅いのはいつものことだけど大石が遅いのはおかしい。
まだ来ていない主賓というのはどちらかの事だろうか?
「おや?知らないのか?俺のデータによると越前の誕生日は
12月24日、すなわち今日だ」
そうノートを見つつ乾が答える。
後ろからは「…今日もデータ取るつもりですか先輩…」との声がうっすら漏れる。
「要するにクリスマスと越前の誕生日、両方のパーティーと言うことだ」
部長も生徒会長も引退してる手塚が話をしめる。
何の肩書きもなくとも彼にはそれがふさわしい。
「じゃあ、主賓って越前のことなんだー。で、大石は?」
「捕獲係」
「へ?」
「鈍いね、英二。僕がきみの捕獲係。大石が越前の捕獲係ってことさ」
そう不二が説明する。
「ほ、捕獲って俺たちは野生動物じゃないんだぞう!」
言うと同時に、目の前の不二のケータイがなる。
「あ。メール。大石達もう店の近くにいるって。良かったね、英二」
「ほえ?なんでそこで俺に話を振るのさー?」
単純に最後の遅刻者じゃなかったからか?よく分からない。
不二はそんな不思議そうな表情をする英二を眺め、くすりと笑い、
そして英二の右手に筒状のものを握らせた。
「ん?なに?クラッカーじゃん」
手を開いて不二が握らせたものを見て、元々大きい英二の目はさらに大きくなった。
もちろん、パーティーにはクラッカーはつきもので。
でも、それで何が良かったんだろう?
「だからさ、英二、クラッカー鳴らすとかって好きでしょ?
越前達より遅れたらさすがに鳴らせないでしょうに。
それとも後で一人で孤独に鳴らしてみるのも良かった……あ」
いつの間にか店内に入ってきていた二人が席の前にたどり着いた。
と、同時に次々とテニス部面々はクラッカーのひもを引く。
普段からの反射神経の賜で鳴らすタイミングは逃さない。
「メリークリスマス&ハッピーバースデー越前!」
お互い計っていたわけでもないのにそろって声に出す。
当の越前は顔を赤らめ「やめてくださいよ…恥ずかしい」などとつぶやいている。
あ、だから「良かった」のか。
こんな瞬間を分かち合うことに間に合って。
クラッカーもそうだけど。それ以外のことも含めての。
「僕はね、こういう幸せな瞬間を英二と迎えたかったんだよ。だからね、良かったの。
さっき迎えに行ったときも言ったでしょ?あきらめられない用事だったって。
こんな時に隣に英二がいないのは寂しいからね」
隣でクラッカーと握りしめたまま立っている英二にしか聞こえない声で不二が言う。
空虚……そんな言葉は今の自分には無縁な言葉だ。
もっともそんな言葉がまた試験に出るかもしれないから忘れはしないけれど。
END
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