『したいけど、したくない』
お前と初めてネットを挟んで向かい合うんだぜ、緊張するさ。
だって俺のテニスは相手を傷つけるテニス。
ヒューズのぶっとんだ俺は何をするか分からない。
別にいつも相手を傷つけてる訳じゃない。
練習や遊びの時は『多少』攻撃的なテニスになるだけだ。
ちゃんと理性で押さえられる。
でも、お前が相手じゃ。
実力・可能性未知数のお前相手じゃ分からない。
きっとマジになっちまう。
もし理性が焼き切れてしまったらお前に何をするか分かったもんじゃない。
俺がお前に傷を付ける?
そんなことがあってたまるもんかってんだ。
でも、自分が信用できない。
「私だったら攻撃的なテニスに受けて立ちますよ!」
マジかよ。
いくらお前が女子だからってイっちゃってる俺は手加減しないぜ?
俺だってお前を危険にさらすかもしれないことはしたくないしよ。
死ぬほど、気をつけるったって万が一って事があるだろ?
それでもお前は俺とテニスがしたいのかよ。
「いいんです、それでも切原さんと打ち合いたいです」
お前もよくよく酔狂なヤツだなあ。
もし、その、よーくみるとなかなか可愛い顔に傷でも付いたらどうするんだよ。
それどころか、お前のテニス人生終わっちゃうかもよ?
「そうですね……うーん……」
ほら、やっぱイヤだろ。
「じゃ、こうしましょうか。
万が一私に何かあったら一生切原さんに責任を取ってもらいます」
一生責任?どうすりゃいいんだよ。
「そうですねえ…どうしましょうか?死ぬまでには考えておきますよ」
…なんだよ、死ぬまでって。
決まらなきゃ俺とお前は死ぬまで付き合わなきゃいけないって事かよ。
お前はそれでいいのかよ。
「切原さんとなら、ずっと一緒にいたいですからこちらとしても好都合ですよ?
あー、わざと決めかねて一生束縛するって言う手もありますね」
なにいってやがる。それはこっちのセリフだろ。
俺ならお前が嫌がったって一緒にいるさ。
でもよ。
その責任の取り方は、俺が困るんだよ。
なんでって?
そりゃ、わかるだろ?
責任がとりてえから、ワザと傷つけてしまいたくなるじゃないかよ。
頼むから軽々しくそんな責任の取り方させるなよ。
そのかわり、何も起こらなくてもこれからもずっとそばにいてやるからよ。
「じゃあ、こうしましょうか」
なんだよ、その意地悪そうな顔はよ。
「試合中、私にボールがぶつかるごとに1週間キスしないって言うのは?」
うわ、そりゃ、正気失えないぜ。
「私もそれはちょっと辛いんで、切原さん頑張って下さいね」
おう。
死ぬ気で頑張ってみるぜ。
でも、そのかわり。
何事もなく試合が終わったらキス1回な。
覚悟しとけよ。
END
お前と初めてネットを挟んで向かい合うんだぜ、緊張するさ。
だって俺のテニスは相手を傷つけるテニス。
ヒューズのぶっとんだ俺は何をするか分からない。
別にいつも相手を傷つけてる訳じゃない。
練習や遊びの時は『多少』攻撃的なテニスになるだけだ。
ちゃんと理性で押さえられる。
でも、お前が相手じゃ。
実力・可能性未知数のお前相手じゃ分からない。
きっとマジになっちまう。
もし理性が焼き切れてしまったらお前に何をするか分かったもんじゃない。
俺がお前に傷を付ける?
そんなことがあってたまるもんかってんだ。
でも、自分が信用できない。
「私だったら攻撃的なテニスに受けて立ちますよ!」
マジかよ。
いくらお前が女子だからってイっちゃってる俺は手加減しないぜ?
俺だってお前を危険にさらすかもしれないことはしたくないしよ。
死ぬほど、気をつけるったって万が一って事があるだろ?
それでもお前は俺とテニスがしたいのかよ。
「いいんです、それでも切原さんと打ち合いたいです」
お前もよくよく酔狂なヤツだなあ。
もし、その、よーくみるとなかなか可愛い顔に傷でも付いたらどうするんだよ。
それどころか、お前のテニス人生終わっちゃうかもよ?
「そうですね……うーん……」
ほら、やっぱイヤだろ。
「じゃ、こうしましょうか。
万が一私に何かあったら一生切原さんに責任を取ってもらいます」
一生責任?どうすりゃいいんだよ。
「そうですねえ…どうしましょうか?死ぬまでには考えておきますよ」
…なんだよ、死ぬまでって。
決まらなきゃ俺とお前は死ぬまで付き合わなきゃいけないって事かよ。
お前はそれでいいのかよ。
「切原さんとなら、ずっと一緒にいたいですからこちらとしても好都合ですよ?
あー、わざと決めかねて一生束縛するって言う手もありますね」
なにいってやがる。それはこっちのセリフだろ。
俺ならお前が嫌がったって一緒にいるさ。
でもよ。
その責任の取り方は、俺が困るんだよ。
なんでって?
そりゃ、わかるだろ?
責任がとりてえから、ワザと傷つけてしまいたくなるじゃないかよ。
頼むから軽々しくそんな責任の取り方させるなよ。
そのかわり、何も起こらなくてもこれからもずっとそばにいてやるからよ。
「じゃあ、こうしましょうか」
なんだよ、その意地悪そうな顔はよ。
「試合中、私にボールがぶつかるごとに1週間キスしないって言うのは?」
うわ、そりゃ、正気失えないぜ。
「私もそれはちょっと辛いんで、切原さん頑張って下さいね」
おう。
死ぬ気で頑張ってみるぜ。
でも、そのかわり。
何事もなく試合が終わったらキス1回な。
覚悟しとけよ。
END
『30分以内にストリートテニスコートに来い。
時間を過ぎると俺は帰るからな』
23時25分。
女子中学生が待ちを歩くには遅い時間でありながらも
跡部景吾は赤月巴に外出を命じた。
巴に反論を許さないまま電話は一方的に切られてしまった。
相変わらずの跡部の俺様ぶりには巴も既に諦めに境地にたどり着いており、仕方ないなと慌ててパジャマからその辺に脱ぎ捨ててあったジャージに着替えてこれからマラソンでもしてくるといった装いで階段を静かに下りる。
なにせ、時間が時間だ。
いくらかかと落としの得意な巴といえども、大人達に見つかっては容易に外出を許してはもらえない。
夜中に何かあってはいけないし、とくに預かり者の子供ならばなおさら大事にされるのは当然だ。
倫子や菜々子は当然のこととして、いくら普段いい加減さが漂う南次郎といえども許してもらえないだろう。
あくまで(巴視点で)ひっそりこっそりと玄関まで向かう。
「……ねえ?なにやってんの?」
驚きに飛び上がるという表現は今使うべきかも知れないと思いつつ、巴は反射的に振り返った。
そこにはカルピンを抱えたリョーマが立っていた。
「何だ、リョーマ君か…おっどろいた…」
「こんな時間なのにどこか行くんでしょ?親父達に見つかると厄介なのにどこ行くの?」
不審そうな目でリョーマが巴の出で立ちを見る。
「あ…あのマラソンがてら、肉まんでも買ってこようかなーって、ね、ははは」
我ながら怪しい答えだと思いつつ巴は答える。
聡いリョーマがこんな無理矢理な答えに納得はしないだろう。
「ふーん…まあいいや、今日は遅くまで起きてるつもりだから
肉まん俺の分も買ってきておいてよ」
何か言われると巴も覚悟してはいたが、
リョーマはニヤッと笑いながら肉まんを要求するのみだった。
少し肩すかしのような気持ちを味わいながらも巴は素直に頷いた。
「じゃあ、高級な肉まんによろしくいっといて」
玄関を指さし巴を促す。
もはや何のために外に出るのかバレバレのようであったが
それについて何も言わないリョーマに感謝しつつこっそり外へ出た。
12月の夜の寒さを吹き飛ばそうと本気で走ってきた巴は、
思ったより早く目的地にたどり着いた。
視線の先━━━コート内でひときわ明るいライトの下に跡部は立って待っていた。
「やっと来たか」
「やっとって…ヒドイですよ!これでも走ってきたんですから」
それは巴が吐き出す乱れた白い息が証明している。
「分かってる、しかしお前の走る1分は俺がお前を待つ10分に相当するんだぜ?
知ってんだろ……俺がお前をどれだけ待ち遠しく思ってるかを、な」
いきなり、そんなことを言われてついつい巴は狼狽する。
巴の動揺を楽しむために思わせぶりな言葉を告げる跡部は意地悪だと
顔を真っ赤にして巴は頬をふくらませる。
今年バレンタインにチョコレートを渡して、やっと巴の跡部に対する思いに気付いた跡部がどれぐらい彼女に真実を告げているのかは謎だ。
巴を使って遊んでいるのか、それとも本気なのか━━━巴には分からない。
「……なあ、巴、ちょっとしたゲームでもやろうぜ」
「は?」
何を突然言い出すのかと呆気にとられていると、ラケットを手渡された。
巴のラケットよりもはるかに重みのあるラケットだった。
それはいつも跡部が使用しているラケットだということにはすぐに気付いた。
「え?これからテニスやるんですか?」
我ながら的はずれなことを訊いているなと思いながらもそう尋ねる。
「お前、ラケット持って他に何やろうってんだよ。
今から10分以内にお前が俺から1ポイントでも取ればお前の勝ちだ、褒美をやろう」
跡部はそう言って巴にボールも渡し、さっさとコートに入る。
とっとと打てというように巴に視線を投げかける。
その眼光の鋭さに、巴も慌ててコートに入ってトスを上げる。
巴はいつもより右腕が重く、少々怠さを感じていた。
跡部のラケットを使っているのだ、自分のラケットより使いづらいのは当然だ。
しかし男女の性差、そして自分と跡部の実力の差について思い知らされる。
このラケットを軽々と振るい、使いこなすことが出来れば、今よりももっと高みを目指せるのだろうか?
そんなことを考えながら、跡部の容赦ない打球を追いかける。
追いつけない。
こんなコトを考えながらボールを追いかける今の自分には跡部どころか、追いつこうとする対象すら見えてこない。
ギリっと唇をかみしめる。
鋭い打球は跳ねてコートの外へ遠くへ転がっていく。
呼吸すら乱していない跡部を一瞬振り返りながらボールを拾いに追いかける。
悔しい。
もっと強くなりたい。
誰よりも、跡部よりも高みに上りつめたいと切に願う。
やっとの事でボールを拾い、また再びサーブ位置へと戻ろうとする。
「あと2分だ。何やってるんだ、この俺様がこれでも手加減してるんだぜ?」
跡部が非常な言葉を投げかける。
巴は今の自分の実力を思い知らされる。
相手が跡部とはいえども、手加減されてこのザマだ。
テニス馬鹿といってもいいくらいテニスには真摯な姿勢を見せる跡部が、妥協して自分にハンデをつけてくれているのだ。
それでも追いつけない自分に呆れてしまう。
笑いたくないのに、笑うところではないのに自然と笑えてくる。
半ばヤケになりながら何度上げたか分からないトスを再び上げる。
そこからは記憶は途切れていた。
気がつけば右腕が気だるげに垂れ下がり、ラケットを手放している。
いつの間にかコートの中に座り込んで、ひたすら呼吸を整うのを待っていた。
12月の空気は冷たく、巴からは白い息がしきりに吐き出されていた。
「やるじゃねえか、巴」
いつの間にか跡部は巴の前に立ち、彼女を見下ろしていた。
座り込む巴の前に大きな包みを差し出した。
巴はそれが何を意味するか分からず、しげしげと見つめる。
「褒美だ、貰っておけ━━━まあ、クリスマスプレゼントってやつだな」
普通クリスマスプレゼントって貰うためにこんなに苦労するものなのだろうかと巴は思ったが、口に出したところで跡部の機嫌を損ねるだけでなんの利益もないので黙っていることにした。
それよりも、跡部が言い出すまで今日がクリスマスだということを失念していた。
テニスや冬休みの宿題、年末年始の行事で頭がいっぱいで気付かなかった。
青学テニス部でのパーティーは先日前倒しで行っていたし。
昨日はリョーマの誕生日でクリスマスイブとかそんなこと関係なく越前家はにぎわっていた。
それもあってすっかり忘れてしまっていたのだ。
世間で言うところのクリスマストやらを。
どおりで今日はリョーマもすんなり家から出してくれた筈だ。
巴がクリスマスを忘れているという事実もきっと気付いていたのだろう。
彼もちょっとはいいところがあるなと、内心感謝する。
それを巴が口に出すことは一生なさそうではあるのだが。
「あ、ありがとうございます。っていうか、今日クリスマスだったんですね!」
ついつい、失念していた事実を相手に打ち明けてしまう。
跡部は「そんなことだとは思ったが…」と小さく呟き頭を抱える。
「何のために日付が変わる前にお前を呼び出したと思ってたんだ。
まあ、今日までお前から何のリアクションもないからそんな事だとは思ったが…。
俺にしても跡部家関連で色々忙しかったからな、お前と一緒にクリスマスをどうのこうのという訳にはいかなかったからお互い様だな」
先ほどのゲームでは疲れを一切見せなかった跡部がやや疲労の色を見せる。
巴と一緒にいるとムダに体力を使うのは何故なんだと内心悩む。
それが恋に振り回されていうことだという事には一切気付かない。
これから先も、多分。
原因はともかく巴に関することで疲労するのは己にとって心地いいことだから。
非常に馬鹿げているけれども、何故かそれもいいと思ってしまう。
「あっ…!」
ふと巴はあることに気付いてしまい、おそるおそる跡部を見上げる。
「なんだ、巴?まだ何か忘れてたのか?」
「そうですよ!だから、私まだ跡部さんにプレゼントを用意してないんですけど…!」
半ば悲鳴のように巴は声を上げる。
跡部は相変わらず面白いヤツだというような視線で巴を眺める。
「ハナっから、俺はお前にプレゼントなんて期待してねえよ。
金で買えるものなら欲しいものなんてねえしな」
「そりゃあ分かってますけど、私の気持ちってものが」
必死にすがりつくような目で跡部を見上げる巴は子犬のようで
ついつい跡部は吹き出してしまう。
「っくく…気持ちなら貰ってるからかまわねえよ」
「はい?」
ゲームの残り時間、あと2分。
自分が言葉を投げかけたあとの巴の変化。
それまであった雑念は全て消え、意識は跡部だけに向けられていた。
普段は雑然としたちっぽけなストリートテニスコート、
しかしこの時間は跡部と巴、完全に二人だけの世界だった。
手塚戦の時のような高揚感はないけれども、
これが自分のいる場所だと確信した。
それだけで充分。
これだけはどんな金額を支払おうとも手に入らないものだ。
だから、それで充分だと跡部は思った。
「そうだな━━━今年の分も含め来年にでも期待しておくさ、心してかかれよ」
さっさと包みを開けてみろと無言で促す跡部に従って巴は包装を解いた。
そこにあったのは、何の変哲もないラケットバッグ。
もちろん跡部から贈り物らしくスタイリッシュではあったが値段もごく一般的なもののようで
べつに高級品を期待していたわけではない巴だったがそれでも些か驚いて跡部を見る。
「なんだ?普通のバッグだと言いたげだな。そうだと思ったけどよ。
俺様だって実用的なものを使ってるだろうが」
自らのバッグを指さす跡部に、そういえばそうだと巴も得心がいく。
それにこのラケットが数本入るバッグは跡部と同じメーカーのもののようで、ペアバッグではないものの嬉しい。
おもわず、にへらと笑みを浮かべる。
「ありがとうございます!跡部さん、気にしてないように見えて私のラケットバッグが死亡寸前なのに気付いていたんですねえ、大事に使います!」
にこにこにこにことひたすら笑顔でお礼の言葉を伝える。
ヴィトンのラケットバッグを貰ったって金のラケットを貰ったってここまで嬉しいと思わないだろう。
跡部が自分がちゃんと使えるもの、つまりは自分を想って贈ってくれた。
これ以上嬉しいことはない、天にも昇る気持ちでいた。
思わずラケットバッグをぎゅっと抱きしめる。
「……それぐらい熱烈に俺様に抱きついたって一向に構わないんだがな……」
巴のあり得ないくらいの喜びように半ば呆れつつ、
そして巴の胸の中のバッグを羨みつつ思わず呟いた。
「何か言いました?」
「い、いや。それはともかく、もう遅いしクリスマスは終わったんだ。
お前はもう帰れ、車で送っていくからよ」
巴が抱きしめていたバッグをひょいと取り上げて、一人すたすたとコート出口へと跡部は歩いていく。
それを巴はあわてて追いかける。
「あー、構いませんよ!私、走って帰りますから!」
跡部の背中を掴み、歩みをとめようとする。
しかし、それには構わず跡部は歩き続ける。
「バカ言うな!お前だって世間から見れば立派な女子だろうが」
「ここまでこいって言ったの跡部さんじゃないですか、行きは一人でしたよ」
巴の思わぬ、しかしもっともな反論に足を止めそうになるがかろうじて堪える。
たしかに越前家からここはそう大した距離ではない。
しかし、それでも家に着くまででも巴と一緒にいるのは楽しいことだと思ったのだ。
とにかくそう思ってしまったからには跡部の主張は譲れない。
行きはどうあれ、巴を送って帰るのが自分にはベストの選択なのだ。
「それに、リョーマ君に肉まん買っていくって約束したからコンビニに寄るんです」
ピタ、と跡部の足が止まる。
「越前に、肉まん?」
「はい、せっかく家から出してくれたことだし、私のおごりでいいかなって」
リョーマという単語を聞いて跡部の表情は壮絶な笑みを浮かべた。
巴の背筋は思わず凍った。
「いいじゃねえか、せっかくだから俺が奢ってやろう」
跡部の脳裏には、いや巴の脳裏にも、リョーマの嫌そうな表情が浮かぶ。
夏の全国大会以来跡部にとっての越前リョーマは天敵以外の何者でもない。
彼に刈られた毛髪もすっかり生えそろったが傷ついたプライドが回復するにはまだ早すぎた。
リョーマも跡部を毛嫌いしている。
巴がつきあっているということもあるのだろう、拒否反応と来たらもの凄い。
跡部のお金で買った肉まん一つで些細な嫌がらせの一つも出来るのなら
ちょっとした楽しみになる。
「ま、せいぜい俺様のクリスマスプレゼントでも味わうんだな」
楽しそうに笑いながら再び歩き出す跡部を巴はもう止められなかった。
クリスマスは正確にはもう数分前に終わってしまったけれども、
とんでもないクリスマスになってしまったと少し気が重くなった。
来年からは、クリスマスといえど家から出してもらえないだろうな。
来年のクリスマスは夜中に抜け出すことがないように跡部にお願いしなければ、
そして肉まんを前に機嫌を悪くするだろうリョーマをどうなだめようかと
この先のことを色々考えながら跡部の後ろをピッタリくっついてコンビニに向かう。
「ほら、手ェだせ」
返事をするまもなく、巴は跡部に右手を掴まれる。
ま、いいか。
来年のことは来年に、リョーマのことは家の中に入ってから考えればいいやと懸念事項を放り投げ、跡部の手のぬくもりに今は酔いしれることに決めた。
「跡部さん」
「なんだ?」
「メリークリスマスです」
「…………遅えよ」
END
時間を過ぎると俺は帰るからな』
23時25分。
女子中学生が待ちを歩くには遅い時間でありながらも
跡部景吾は赤月巴に外出を命じた。
巴に反論を許さないまま電話は一方的に切られてしまった。
相変わらずの跡部の俺様ぶりには巴も既に諦めに境地にたどり着いており、仕方ないなと慌ててパジャマからその辺に脱ぎ捨ててあったジャージに着替えてこれからマラソンでもしてくるといった装いで階段を静かに下りる。
なにせ、時間が時間だ。
いくらかかと落としの得意な巴といえども、大人達に見つかっては容易に外出を許してはもらえない。
夜中に何かあってはいけないし、とくに預かり者の子供ならばなおさら大事にされるのは当然だ。
倫子や菜々子は当然のこととして、いくら普段いい加減さが漂う南次郎といえども許してもらえないだろう。
あくまで(巴視点で)ひっそりこっそりと玄関まで向かう。
「……ねえ?なにやってんの?」
驚きに飛び上がるという表現は今使うべきかも知れないと思いつつ、巴は反射的に振り返った。
そこにはカルピンを抱えたリョーマが立っていた。
「何だ、リョーマ君か…おっどろいた…」
「こんな時間なのにどこか行くんでしょ?親父達に見つかると厄介なのにどこ行くの?」
不審そうな目でリョーマが巴の出で立ちを見る。
「あ…あのマラソンがてら、肉まんでも買ってこようかなーって、ね、ははは」
我ながら怪しい答えだと思いつつ巴は答える。
聡いリョーマがこんな無理矢理な答えに納得はしないだろう。
「ふーん…まあいいや、今日は遅くまで起きてるつもりだから
肉まん俺の分も買ってきておいてよ」
何か言われると巴も覚悟してはいたが、
リョーマはニヤッと笑いながら肉まんを要求するのみだった。
少し肩すかしのような気持ちを味わいながらも巴は素直に頷いた。
「じゃあ、高級な肉まんによろしくいっといて」
玄関を指さし巴を促す。
もはや何のために外に出るのかバレバレのようであったが
それについて何も言わないリョーマに感謝しつつこっそり外へ出た。
12月の夜の寒さを吹き飛ばそうと本気で走ってきた巴は、
思ったより早く目的地にたどり着いた。
視線の先━━━コート内でひときわ明るいライトの下に跡部は立って待っていた。
「やっと来たか」
「やっとって…ヒドイですよ!これでも走ってきたんですから」
それは巴が吐き出す乱れた白い息が証明している。
「分かってる、しかしお前の走る1分は俺がお前を待つ10分に相当するんだぜ?
知ってんだろ……俺がお前をどれだけ待ち遠しく思ってるかを、な」
いきなり、そんなことを言われてついつい巴は狼狽する。
巴の動揺を楽しむために思わせぶりな言葉を告げる跡部は意地悪だと
顔を真っ赤にして巴は頬をふくらませる。
今年バレンタインにチョコレートを渡して、やっと巴の跡部に対する思いに気付いた跡部がどれぐらい彼女に真実を告げているのかは謎だ。
巴を使って遊んでいるのか、それとも本気なのか━━━巴には分からない。
「……なあ、巴、ちょっとしたゲームでもやろうぜ」
「は?」
何を突然言い出すのかと呆気にとられていると、ラケットを手渡された。
巴のラケットよりもはるかに重みのあるラケットだった。
それはいつも跡部が使用しているラケットだということにはすぐに気付いた。
「え?これからテニスやるんですか?」
我ながら的はずれなことを訊いているなと思いながらもそう尋ねる。
「お前、ラケット持って他に何やろうってんだよ。
今から10分以内にお前が俺から1ポイントでも取ればお前の勝ちだ、褒美をやろう」
跡部はそう言って巴にボールも渡し、さっさとコートに入る。
とっとと打てというように巴に視線を投げかける。
その眼光の鋭さに、巴も慌ててコートに入ってトスを上げる。
巴はいつもより右腕が重く、少々怠さを感じていた。
跡部のラケットを使っているのだ、自分のラケットより使いづらいのは当然だ。
しかし男女の性差、そして自分と跡部の実力の差について思い知らされる。
このラケットを軽々と振るい、使いこなすことが出来れば、今よりももっと高みを目指せるのだろうか?
そんなことを考えながら、跡部の容赦ない打球を追いかける。
追いつけない。
こんなコトを考えながらボールを追いかける今の自分には跡部どころか、追いつこうとする対象すら見えてこない。
ギリっと唇をかみしめる。
鋭い打球は跳ねてコートの外へ遠くへ転がっていく。
呼吸すら乱していない跡部を一瞬振り返りながらボールを拾いに追いかける。
悔しい。
もっと強くなりたい。
誰よりも、跡部よりも高みに上りつめたいと切に願う。
やっとの事でボールを拾い、また再びサーブ位置へと戻ろうとする。
「あと2分だ。何やってるんだ、この俺様がこれでも手加減してるんだぜ?」
跡部が非常な言葉を投げかける。
巴は今の自分の実力を思い知らされる。
相手が跡部とはいえども、手加減されてこのザマだ。
テニス馬鹿といってもいいくらいテニスには真摯な姿勢を見せる跡部が、妥協して自分にハンデをつけてくれているのだ。
それでも追いつけない自分に呆れてしまう。
笑いたくないのに、笑うところではないのに自然と笑えてくる。
半ばヤケになりながら何度上げたか分からないトスを再び上げる。
そこからは記憶は途切れていた。
気がつけば右腕が気だるげに垂れ下がり、ラケットを手放している。
いつの間にかコートの中に座り込んで、ひたすら呼吸を整うのを待っていた。
12月の空気は冷たく、巴からは白い息がしきりに吐き出されていた。
「やるじゃねえか、巴」
いつの間にか跡部は巴の前に立ち、彼女を見下ろしていた。
座り込む巴の前に大きな包みを差し出した。
巴はそれが何を意味するか分からず、しげしげと見つめる。
「褒美だ、貰っておけ━━━まあ、クリスマスプレゼントってやつだな」
普通クリスマスプレゼントって貰うためにこんなに苦労するものなのだろうかと巴は思ったが、口に出したところで跡部の機嫌を損ねるだけでなんの利益もないので黙っていることにした。
それよりも、跡部が言い出すまで今日がクリスマスだということを失念していた。
テニスや冬休みの宿題、年末年始の行事で頭がいっぱいで気付かなかった。
青学テニス部でのパーティーは先日前倒しで行っていたし。
昨日はリョーマの誕生日でクリスマスイブとかそんなこと関係なく越前家はにぎわっていた。
それもあってすっかり忘れてしまっていたのだ。
世間で言うところのクリスマストやらを。
どおりで今日はリョーマもすんなり家から出してくれた筈だ。
巴がクリスマスを忘れているという事実もきっと気付いていたのだろう。
彼もちょっとはいいところがあるなと、内心感謝する。
それを巴が口に出すことは一生なさそうではあるのだが。
「あ、ありがとうございます。っていうか、今日クリスマスだったんですね!」
ついつい、失念していた事実を相手に打ち明けてしまう。
跡部は「そんなことだとは思ったが…」と小さく呟き頭を抱える。
「何のために日付が変わる前にお前を呼び出したと思ってたんだ。
まあ、今日までお前から何のリアクションもないからそんな事だとは思ったが…。
俺にしても跡部家関連で色々忙しかったからな、お前と一緒にクリスマスをどうのこうのという訳にはいかなかったからお互い様だな」
先ほどのゲームでは疲れを一切見せなかった跡部がやや疲労の色を見せる。
巴と一緒にいるとムダに体力を使うのは何故なんだと内心悩む。
それが恋に振り回されていうことだという事には一切気付かない。
これから先も、多分。
原因はともかく巴に関することで疲労するのは己にとって心地いいことだから。
非常に馬鹿げているけれども、何故かそれもいいと思ってしまう。
「あっ…!」
ふと巴はあることに気付いてしまい、おそるおそる跡部を見上げる。
「なんだ、巴?まだ何か忘れてたのか?」
「そうですよ!だから、私まだ跡部さんにプレゼントを用意してないんですけど…!」
半ば悲鳴のように巴は声を上げる。
跡部は相変わらず面白いヤツだというような視線で巴を眺める。
「ハナっから、俺はお前にプレゼントなんて期待してねえよ。
金で買えるものなら欲しいものなんてねえしな」
「そりゃあ分かってますけど、私の気持ちってものが」
必死にすがりつくような目で跡部を見上げる巴は子犬のようで
ついつい跡部は吹き出してしまう。
「っくく…気持ちなら貰ってるからかまわねえよ」
「はい?」
ゲームの残り時間、あと2分。
自分が言葉を投げかけたあとの巴の変化。
それまであった雑念は全て消え、意識は跡部だけに向けられていた。
普段は雑然としたちっぽけなストリートテニスコート、
しかしこの時間は跡部と巴、完全に二人だけの世界だった。
手塚戦の時のような高揚感はないけれども、
これが自分のいる場所だと確信した。
それだけで充分。
これだけはどんな金額を支払おうとも手に入らないものだ。
だから、それで充分だと跡部は思った。
「そうだな━━━今年の分も含め来年にでも期待しておくさ、心してかかれよ」
さっさと包みを開けてみろと無言で促す跡部に従って巴は包装を解いた。
そこにあったのは、何の変哲もないラケットバッグ。
もちろん跡部から贈り物らしくスタイリッシュではあったが値段もごく一般的なもののようで
べつに高級品を期待していたわけではない巴だったがそれでも些か驚いて跡部を見る。
「なんだ?普通のバッグだと言いたげだな。そうだと思ったけどよ。
俺様だって実用的なものを使ってるだろうが」
自らのバッグを指さす跡部に、そういえばそうだと巴も得心がいく。
それにこのラケットが数本入るバッグは跡部と同じメーカーのもののようで、ペアバッグではないものの嬉しい。
おもわず、にへらと笑みを浮かべる。
「ありがとうございます!跡部さん、気にしてないように見えて私のラケットバッグが死亡寸前なのに気付いていたんですねえ、大事に使います!」
にこにこにこにことひたすら笑顔でお礼の言葉を伝える。
ヴィトンのラケットバッグを貰ったって金のラケットを貰ったってここまで嬉しいと思わないだろう。
跡部が自分がちゃんと使えるもの、つまりは自分を想って贈ってくれた。
これ以上嬉しいことはない、天にも昇る気持ちでいた。
思わずラケットバッグをぎゅっと抱きしめる。
「……それぐらい熱烈に俺様に抱きついたって一向に構わないんだがな……」
巴のあり得ないくらいの喜びように半ば呆れつつ、
そして巴の胸の中のバッグを羨みつつ思わず呟いた。
「何か言いました?」
「い、いや。それはともかく、もう遅いしクリスマスは終わったんだ。
お前はもう帰れ、車で送っていくからよ」
巴が抱きしめていたバッグをひょいと取り上げて、一人すたすたとコート出口へと跡部は歩いていく。
それを巴はあわてて追いかける。
「あー、構いませんよ!私、走って帰りますから!」
跡部の背中を掴み、歩みをとめようとする。
しかし、それには構わず跡部は歩き続ける。
「バカ言うな!お前だって世間から見れば立派な女子だろうが」
「ここまでこいって言ったの跡部さんじゃないですか、行きは一人でしたよ」
巴の思わぬ、しかしもっともな反論に足を止めそうになるがかろうじて堪える。
たしかに越前家からここはそう大した距離ではない。
しかし、それでも家に着くまででも巴と一緒にいるのは楽しいことだと思ったのだ。
とにかくそう思ってしまったからには跡部の主張は譲れない。
行きはどうあれ、巴を送って帰るのが自分にはベストの選択なのだ。
「それに、リョーマ君に肉まん買っていくって約束したからコンビニに寄るんです」
ピタ、と跡部の足が止まる。
「越前に、肉まん?」
「はい、せっかく家から出してくれたことだし、私のおごりでいいかなって」
リョーマという単語を聞いて跡部の表情は壮絶な笑みを浮かべた。
巴の背筋は思わず凍った。
「いいじゃねえか、せっかくだから俺が奢ってやろう」
跡部の脳裏には、いや巴の脳裏にも、リョーマの嫌そうな表情が浮かぶ。
夏の全国大会以来跡部にとっての越前リョーマは天敵以外の何者でもない。
彼に刈られた毛髪もすっかり生えそろったが傷ついたプライドが回復するにはまだ早すぎた。
リョーマも跡部を毛嫌いしている。
巴がつきあっているということもあるのだろう、拒否反応と来たらもの凄い。
跡部のお金で買った肉まん一つで些細な嫌がらせの一つも出来るのなら
ちょっとした楽しみになる。
「ま、せいぜい俺様のクリスマスプレゼントでも味わうんだな」
楽しそうに笑いながら再び歩き出す跡部を巴はもう止められなかった。
クリスマスは正確にはもう数分前に終わってしまったけれども、
とんでもないクリスマスになってしまったと少し気が重くなった。
来年からは、クリスマスといえど家から出してもらえないだろうな。
来年のクリスマスは夜中に抜け出すことがないように跡部にお願いしなければ、
そして肉まんを前に機嫌を悪くするだろうリョーマをどうなだめようかと
この先のことを色々考えながら跡部の後ろをピッタリくっついてコンビニに向かう。
「ほら、手ェだせ」
返事をするまもなく、巴は跡部に右手を掴まれる。
ま、いいか。
来年のことは来年に、リョーマのことは家の中に入ってから考えればいいやと懸念事項を放り投げ、跡部の手のぬくもりに今は酔いしれることに決めた。
「跡部さん」
「なんだ?」
「メリークリスマスです」
「…………遅えよ」
END
赤月巴は普段のことを考えると信じられないほど、そっと静かに扉を開ける。
そしてするりと越前リョーマの私室に滑り込んだ。
ようやく空が白んできた12月24日早朝、巴はサンタ気取りでリョーマに誕生日プレゼント兼クリスマスプレゼントを届けにやってきた。
プレゼントはなけなしの所持金で購入したリストバンド。
リョーマお気に入りのブランドものだ。
キレイに包まれたそれと『HappyBirthday&MerryChristmasプレゼントをどうぞ』と微妙に歪んだ字で書かれたカードを持ってきた。
枕元に置いて、彼が目を覚ましたら驚かせようという魂胆だ。
もっとも冷静なリョーマにそれが通用するかどうかは巴にも分からないのだが。
多分、通用しない確率の方が高いのは言うまでもなく。
(そーっと、そーっと)
抜き足差し足でリョーマに向かう。
途中、不穏な気配を察してか、リョーマの足下で丸くなっていたカルピンが目を覚ました。
「……ほぁらー……」
「…………!しーっ!!!」
リョーマが起きやしないかと巴は顔面蒼白させる。
しかし、そんな巴の気持ちを察してかカルピンはそのまま寝返りを打って再び眠りの世界へと帰っていった。
巴はしばらくジッとしてリョーマが目を覚まさなかったか様子を窺った。
ここで気付かれては巴は単に他人の部屋に忍び込む変質者だ。
手に汗を握る。
しかし、巴の「起きないで!」という祈りが通じたのか目を覚ました気配はなかった。
ホッと胸を撫で下ろす。
また再びそろそろとリョーマのベッドへと近づいた。
今度は難なく枕元へとたどりついた。
そっと手を伸ばしてプレゼントを枕元の障りのないところに静かに置いた。
(やったー、任務完了♪)
あとは部屋を出て、リョーマが目を覚ますのを待つのみだ。
任務達成の安堵感に思わずベッド脇にへたり込んだ。
へたり込んだまま巴の視線はリョーマに注がれる。
寝顔を見るのは同居して1年半、これが初めてではないけれどベッドでキチンと睡眠を取っている姿は初めてだった。
普段は表情も言動もキツイが
それでも寝顔はやはり穏やかで優しげに見える。
穏やかな寝顔と規則正しい寝息。
巴は何となく暖かい気持ちになってしばらく眺めていた。
そして達成の安堵感からきたのだろうか気が抜けてしまい、
自分でも気付かないうちに
巴はリョーマのベッドに顔を伏せて眠ってしまった。
その顔はリョーマに負けず劣らず穏やかだった。
リョーマはなにか自分以外の人の気配に気付いて目を覚ました。
周囲を見渡すと枕元にプレゼント。
ベッド脇にはすやすやと眠る巴。
彼女が何を目的としてこの部屋に入ってきたのかは容易に分かった。
ここで寝ているのも多分、この場で力尽きてしまったのだろう。
時計を見るとまだ起きるには早い時間で、巴を起こそうと手を伸ばした。
しかし、少し考えて伸ばした手を止めて
その代わりに自分の毛布を掛けてやる。
(どうせなら、俺の布団に入ってくれればいいのに)
そうすれば、暖かいし二人で気持ちよく寝られるのにと残念がる。
もっとも、二人の仲がまだそう言う段階でないことも十分承知しているし
今この時点で無理強いするつもりもない。忍耐力には自信がある方だ。
そして毛布が無くなり少し冷気が入り込んできた布団に
身体を丸めて再び寝る姿勢に入る。
ふと、プレゼントの脇に添えられたカードに目を留める。
『HappyBirthday&MerryChristmasプレゼントをどうぞ』
(プレゼントをどうぞ…ね。
じゃあ、これもプレゼントじゃないの?カードと一緒に置かれている訳だし)
そう考えながら、ベッド脇で寝ている巴が無防備に放り出してる手を握り、
もう一度目を閉じる。
再び目を覚ましたときにこのプレゼントが消えていなければ
このままこのプレゼントを手放さないようにしようと心に誓う。
そうして目覚ましが鳴るまでのあとわずかな時間、
無事に誕生日を迎えたリョーマは
手にわずかな温もりを感じながら幸せな睡眠を味わった。
END
そしてするりと越前リョーマの私室に滑り込んだ。
ようやく空が白んできた12月24日早朝、巴はサンタ気取りでリョーマに誕生日プレゼント兼クリスマスプレゼントを届けにやってきた。
プレゼントはなけなしの所持金で購入したリストバンド。
リョーマお気に入りのブランドものだ。
キレイに包まれたそれと『HappyBirthday&MerryChristmasプレゼントをどうぞ』と微妙に歪んだ字で書かれたカードを持ってきた。
枕元に置いて、彼が目を覚ましたら驚かせようという魂胆だ。
もっとも冷静なリョーマにそれが通用するかどうかは巴にも分からないのだが。
多分、通用しない確率の方が高いのは言うまでもなく。
(そーっと、そーっと)
抜き足差し足でリョーマに向かう。
途中、不穏な気配を察してか、リョーマの足下で丸くなっていたカルピンが目を覚ました。
「……ほぁらー……」
「…………!しーっ!!!」
リョーマが起きやしないかと巴は顔面蒼白させる。
しかし、そんな巴の気持ちを察してかカルピンはそのまま寝返りを打って再び眠りの世界へと帰っていった。
巴はしばらくジッとしてリョーマが目を覚まさなかったか様子を窺った。
ここで気付かれては巴は単に他人の部屋に忍び込む変質者だ。
手に汗を握る。
しかし、巴の「起きないで!」という祈りが通じたのか目を覚ました気配はなかった。
ホッと胸を撫で下ろす。
また再びそろそろとリョーマのベッドへと近づいた。
今度は難なく枕元へとたどりついた。
そっと手を伸ばしてプレゼントを枕元の障りのないところに静かに置いた。
(やったー、任務完了♪)
あとは部屋を出て、リョーマが目を覚ますのを待つのみだ。
任務達成の安堵感に思わずベッド脇にへたり込んだ。
へたり込んだまま巴の視線はリョーマに注がれる。
寝顔を見るのは同居して1年半、これが初めてではないけれどベッドでキチンと睡眠を取っている姿は初めてだった。
普段は表情も言動もキツイが
それでも寝顔はやはり穏やかで優しげに見える。
穏やかな寝顔と規則正しい寝息。
巴は何となく暖かい気持ちになってしばらく眺めていた。
そして達成の安堵感からきたのだろうか気が抜けてしまい、
自分でも気付かないうちに
巴はリョーマのベッドに顔を伏せて眠ってしまった。
その顔はリョーマに負けず劣らず穏やかだった。
リョーマはなにか自分以外の人の気配に気付いて目を覚ました。
周囲を見渡すと枕元にプレゼント。
ベッド脇にはすやすやと眠る巴。
彼女が何を目的としてこの部屋に入ってきたのかは容易に分かった。
ここで寝ているのも多分、この場で力尽きてしまったのだろう。
時計を見るとまだ起きるには早い時間で、巴を起こそうと手を伸ばした。
しかし、少し考えて伸ばした手を止めて
その代わりに自分の毛布を掛けてやる。
(どうせなら、俺の布団に入ってくれればいいのに)
そうすれば、暖かいし二人で気持ちよく寝られるのにと残念がる。
もっとも、二人の仲がまだそう言う段階でないことも十分承知しているし
今この時点で無理強いするつもりもない。忍耐力には自信がある方だ。
そして毛布が無くなり少し冷気が入り込んできた布団に
身体を丸めて再び寝る姿勢に入る。
ふと、プレゼントの脇に添えられたカードに目を留める。
『HappyBirthday&MerryChristmasプレゼントをどうぞ』
(プレゼントをどうぞ…ね。
じゃあ、これもプレゼントじゃないの?カードと一緒に置かれている訳だし)
そう考えながら、ベッド脇で寝ている巴が無防備に放り出してる手を握り、
もう一度目を閉じる。
再び目を覚ましたときにこのプレゼントが消えていなければ
このままこのプレゼントを手放さないようにしようと心に誓う。
そうして目覚ましが鳴るまでのあとわずかな時間、
無事に誕生日を迎えたリョーマは
手にわずかな温もりを感じながら幸せな睡眠を味わった。
END
荒く白く吐き出される息が夜の闇に融けて消える。
その行為、果たしてどれくらいの時間繰り返しただろう。
夕方、よれよれの姿で帰っていった彼女を見送って経つこと数時間。
気がついたら足がこの家の前まで動いていた。
赤月巴の住まう、家。
一度はこの自分が切って捨てた少女だ。
ボロボロになってもいいと、身体を傷めてしまえと思ったほどに。
心配する理由はないはずだ。
けれども、放っておけなかった。
放そうとも人なつっこい笑みでまた近寄ってくる。
打算で生きているつもりだった自分の中にまでいつの間にか入り込んでいた。
自分とは違って打算という言葉とは無縁の少女。
だから、結局再び手を差し出してしまったのだ。
彼女再生のために一緒に頑張ろうと言葉に出してしまった。
ライバル校の生徒の再生などなんのメリットも無いというのに。
彼女は迷いもなくその手を取ったように思えた。
許されたのだと、知った。
越前家は既にどの部屋も暗く静かだった。
深夜1時、それも当然だ。
けれどもそのことに観月は安堵した。
きっとこの暗闇の中で、彼女は━━━巴は安らいでいるのだ。
日が昇るまでの、ほんのわずかな休息。
今頃彼女は全身の筋肉痛と闘い、寝返りを打つのも辛いに違いない。
その苦痛が少しでも楽になっていればいいと願う。
明日の朝、待ち合わせのテニスコートに彼女がやってくるときは
いつものように晴れ晴れとした笑顔で自分のところまで駆けてきて欲しいと思う。
「……まったく、バカみたいですね」
寮を深夜に抜け出すというリスク、
スポーツマンがこんな時間に長距離走るというリスク、
それを犯してまでこんなところに来てしまった自分はいったい何なのだろう。
しかも、こんな時間では彼女に逢うことが出来ないと分かり切っているのに。
それどころか、彼女の部屋が暗いことに安堵している。
この愚行はどこから来ているか?
その想いはどこから━━━?
答えに気付いた瞬間、夜の暗がりでも分かってしまうほど彼の頬が朱に染まった。
「こい……なんですかねえ……」
思わず声に出し、慌ててその言葉を戻そうとするように口に手を当てた。
出てきた言葉、そして気持ちは戻らない。
この、ボクが?冗談じゃない。
そうは思うものの、それが冗談じゃないことも自分が一番知っている。
恋を自覚した瞬間の衝撃がそれを表している。
恥ずかしそうに俯いて吐き捨てるように言葉を絞り出す。
「それじゃあ、まるでボクがストーカーじゃないですか」
冗談じゃない。
片想いの彼女の家の周りを徘徊。
なんと言い訳したところで立派なストーカーだ。
もっとも、自分はデータマンだ。
ストーキングの標的はなにも彼女に限ったことではない。
しかしながら彼女に関してだけは少し恥ずかしさを覚える。
まるで、自分が嫌悪する飢えを覚えた中学3年生の男子のようで。
現在の自分は己が否定したかった、浮ついた生き物そのものなのだと自覚して。
どれくらいまで、彼女の前でキレイな上級生の『観月さん』でいられるだろう?
1日?3ヶ月?半年━━━?
今の自分はまるで己の口から吐き出される白い息のようなものだ。
いつかは暗い闇に融けては消える。
いつか、この恋情を彼女にぶつけてしまう日が来るだろう。
それも遠くない日に。
自分のさしのべた手に重ねられた彼女の手を握って自らの内に引っ張り込む。
なにしろ、この気持ちに覚醒した自分は最強だ。
脳内のコンピューターがフル回転し始めたことを知っている。
自分にしたって初めてのことだから上手くいくかどうかは分からない。
でも勝算は充分。
絡めて絡めて絡め取ってボクに溺れさせてやる。
ボクのところにしかたどり着けないように。
彼女をいつか身も心も自分の隣に立って戦うプレーヤーに。
「とりあえずは…来週の温泉合宿にでも誘ってみましょうかね」
また、そこで何かあるかも知れないし。
自分の考えに満足して観月は踵を返す。
普段の自分からは考えられないような距離をまた走り出す。
幸か不幸か、寮の自分のベッドにありつくまでに
彼女のことを考える時間がまだまだあるということだ。
これが恋だというのなら、それも悪くない。
END
その行為、果たしてどれくらいの時間繰り返しただろう。
夕方、よれよれの姿で帰っていった彼女を見送って経つこと数時間。
気がついたら足がこの家の前まで動いていた。
赤月巴の住まう、家。
一度はこの自分が切って捨てた少女だ。
ボロボロになってもいいと、身体を傷めてしまえと思ったほどに。
心配する理由はないはずだ。
けれども、放っておけなかった。
放そうとも人なつっこい笑みでまた近寄ってくる。
打算で生きているつもりだった自分の中にまでいつの間にか入り込んでいた。
自分とは違って打算という言葉とは無縁の少女。
だから、結局再び手を差し出してしまったのだ。
彼女再生のために一緒に頑張ろうと言葉に出してしまった。
ライバル校の生徒の再生などなんのメリットも無いというのに。
彼女は迷いもなくその手を取ったように思えた。
許されたのだと、知った。
越前家は既にどの部屋も暗く静かだった。
深夜1時、それも当然だ。
けれどもそのことに観月は安堵した。
きっとこの暗闇の中で、彼女は━━━巴は安らいでいるのだ。
日が昇るまでの、ほんのわずかな休息。
今頃彼女は全身の筋肉痛と闘い、寝返りを打つのも辛いに違いない。
その苦痛が少しでも楽になっていればいいと願う。
明日の朝、待ち合わせのテニスコートに彼女がやってくるときは
いつものように晴れ晴れとした笑顔で自分のところまで駆けてきて欲しいと思う。
「……まったく、バカみたいですね」
寮を深夜に抜け出すというリスク、
スポーツマンがこんな時間に長距離走るというリスク、
それを犯してまでこんなところに来てしまった自分はいったい何なのだろう。
しかも、こんな時間では彼女に逢うことが出来ないと分かり切っているのに。
それどころか、彼女の部屋が暗いことに安堵している。
この愚行はどこから来ているか?
その想いはどこから━━━?
答えに気付いた瞬間、夜の暗がりでも分かってしまうほど彼の頬が朱に染まった。
「こい……なんですかねえ……」
思わず声に出し、慌ててその言葉を戻そうとするように口に手を当てた。
出てきた言葉、そして気持ちは戻らない。
この、ボクが?冗談じゃない。
そうは思うものの、それが冗談じゃないことも自分が一番知っている。
恋を自覚した瞬間の衝撃がそれを表している。
恥ずかしそうに俯いて吐き捨てるように言葉を絞り出す。
「それじゃあ、まるでボクがストーカーじゃないですか」
冗談じゃない。
片想いの彼女の家の周りを徘徊。
なんと言い訳したところで立派なストーカーだ。
もっとも、自分はデータマンだ。
ストーキングの標的はなにも彼女に限ったことではない。
しかしながら彼女に関してだけは少し恥ずかしさを覚える。
まるで、自分が嫌悪する飢えを覚えた中学3年生の男子のようで。
現在の自分は己が否定したかった、浮ついた生き物そのものなのだと自覚して。
どれくらいまで、彼女の前でキレイな上級生の『観月さん』でいられるだろう?
1日?3ヶ月?半年━━━?
今の自分はまるで己の口から吐き出される白い息のようなものだ。
いつかは暗い闇に融けては消える。
いつか、この恋情を彼女にぶつけてしまう日が来るだろう。
それも遠くない日に。
自分のさしのべた手に重ねられた彼女の手を握って自らの内に引っ張り込む。
なにしろ、この気持ちに覚醒した自分は最強だ。
脳内のコンピューターがフル回転し始めたことを知っている。
自分にしたって初めてのことだから上手くいくかどうかは分からない。
でも勝算は充分。
絡めて絡めて絡め取ってボクに溺れさせてやる。
ボクのところにしかたどり着けないように。
彼女をいつか身も心も自分の隣に立って戦うプレーヤーに。
「とりあえずは…来週の温泉合宿にでも誘ってみましょうかね」
また、そこで何かあるかも知れないし。
自分の考えに満足して観月は踵を返す。
普段の自分からは考えられないような距離をまた走り出す。
幸か不幸か、寮の自分のベッドにありつくまでに
彼女のことを考える時間がまだまだあるということだ。
これが恋だというのなら、それも悪くない。
END
ズシッ。
不意に千石清純の左肩に圧力が加わる。
隣を見ると長い髪を揺らし、少女は眠っていた。
他人に寄りかかってしまっても目を覚まさない。
*たそがれどき
11月の夕暮れ時のバス。
テニス部を引退した身の千石は、高校生になるまで身体を鈍らせないよう
学校推薦のテニススクールに時折通っていた。
スクールは生活圏からは少しばかり遠く、バスと電車を使わなければならないが
それでも、テニスが出来るという楽しみの方が勝っている。
今日もテニスあとの快い疲れを引きずりながらバスに乗り込んだ。
太陽は落ちきろうとしており、
薄明になりつつある街はぽつりぽつりと街灯が点き始めている。
日の明かりはかろうじて弱々しい赤ながら車内に差し込んでおり、
省エネを目指しているからなのかバスの照明はまだ点けられていない。
ラッシュアワーには少し早く、だが人もほどほどに埋まった車内にはラケットバッグを抱えた女の子が一人長い髪が乱れるのも気にせずにうたた寝をしていた。
車内での空席は何席かあった。
最後部座席の少女の隣もその内の一つだ。
女の子の隣に座れる僥倖に内心ラッキーを叫びつつ、いそいそと少女の隣に陣取る。
バスとうたた寝で少女の身体が揺れるたびに
シャンプーの香りと部活後らしく制刊剤の香りが漂ってくる。
その香りがいちいち妄想をかき立てて、
そのたびにイカンイカン!これじゃ変態のオッサンじゃないか!と
慌てて内心までも紳士を気取る。
夕暮れ時とあって俯いた顔はよく見えないけれど、
制服からして少女は青春学園中等部の生徒だとみてとる。
まだしゃきっとしたままの生地からして1年生なのだろう。
青学の1年と言えば、小生意気な越前リョーマを思い出す。
亜久津と同等に渡り合って勝利した、真っ直ぐな目をした彼のことを。
そして、もう一人。
隣に座る少女と同じく長い髪を揺らしながら豪快なテニスをしていた少女。
名前は何といったか━━━そう、赤月巴だ。
なかなか可愛い選手だったのはなんとなく覚えている。
可愛い顔して荒削りなプレイをするのをネット越しに見て驚いたのだから。
そのくせなかなかくせ者で、山吹テニス部の誇る吉川美咲のデータテニスすらも挫いてしまっていた、読めない少女。
もしかして。
もしかして、隣で平和そうに船を漕ぐ少女はあの赤月巴ではないだろうか?
いま、改めて気付く。
しかしながら実際少女の顔の細かい造作など覚えていない。
隣で眠っている少女の顔はハッキリとは見えない。
無防備に垂れ下がった髪の隙間は影が落ちて暗くなっている。
果たして目をぎらつかせながらボールを追っていた赤月巴と同一人物なのか?
試合中と平常時の表情など、大概の選手なら変わっている。
いくら女子ウォッチングが好きな千石でも自信はなかった。
なにせ面と向かったことがあるのは、夏に一戦交えた時だけだ。
全国大会も一緒に関東の代表として出場しているけれども、終了までこれと言ったきっかけもなくあまり接点がないままだった。
面白い選手だとは思っていた、
一緒にダブルスを組んでみたら、話してみたら、どんなカンジだろうとも思った。
けれども全国大会中に近づこうとも青学のガードは固く、千石自身いつもナンパ防止にと部内の誰かに首根っこを掴まれたままだった。
今がいい機会だと思った。
話しかけてこの隣にいる少女が赤月巴だという確証を得るいい機会だと。
もしも、少女が赤月巴じゃなかったとしてもそれはそれで別に構わない。
他校の女子と、しかも可愛い子揃いと評判の青学女テニの子と知り合うことが出来るいい機会には変わりないのだから。
さて、どうやって声をかけようか?
いろいろ思案を巡らせる。
━━━ズシッ。
不意に千石の左肩に圧力が加わる。
隣を見ると長い髪を揺らし、少女は眠っていた。
他人に寄りかかってしまっても目を覚まさない。
とても気持ちよく眠っているようだった。
晩秋には心地よいぬくもりと人の重みを感じることが出来る。
規則正しい寝息。
声をかけてみようと思ってはいたが、なんだか肩の重みがもったいないもののように感じられて躊躇ってしまう。
(ま、いいか)
いま声をかけなくても、縁があればまた再び逢えるだろう。
週に何度かはスクールの往復に、このバスを使っているのだから。
今日この日にバスの車内で出会えたように。
それに、もしかしたらすぐに目を覚ますかもしれないし。
そう自分に言いきかせる。
いまここで少女を起こすのは野暮の極みのように思えた。
(こういう時間帯って黄昏時っていうんだっけ?)
千石は肩の重みを意識しながら前に顧問の伴田から聞いたことを思い出す。
夕暮れ時には人の顔がハッキリと分からないから「誰そ彼」時、つまりは「たそがれ」時になったのだと。
いま、まさに「誰そ彼」状態だと納得する。
少女が赤月巴なのか、そうでないのか。
もし、これが日中だったら、もうすこし経って車内照明が点いていたなら、
流れる髪の合間から少女の顔をかいま見ることだって出来るかもしれないのに。
ここで彼女の髪をかき分けて顔をのぞけない自分の紳士ぶりを少し残念に思う。
もうすこし傍若無人な自分だったら、出来るのに。
(いやいや、それじゃホントに変態だから!)
しばし葛藤する。
『━━━次は……』
千石の降車予定のバス停名をアナウンスが告げる。
悶々とした葛藤の中断を余儀なくされた。
そして、一瞬このまま降りても良いものかどうか迷った。
この娘はこんなに気持ちよさそうに眠っているのに、起こしてしまうかもしれない。
それに、自分自身こんなに少女の重みが心地いい。
迷った瞬間、降車ボタンの音が鳴り響き迷いを遮断される。
さすがに何も知らない彼女と共にこのまま乗ってしまうのはリスキーな事に気付く。
少し残念に思いながら、そっと彼女の身体を押し戻す。
目が覚めることを懸念していたが、かなり熟睡しているようで気がつかない。
逆方向の窓にもたれて、すやすやと眠る。
バスは静かに停車し、降車扉が開く。
目の覚めない彼女にホッとしながら席を立って扉へと向かう。
降りる乗客が多く、最後尾で降りる順番を待っていた時、
バスの車内照明がようやく灯された。
条件反射的に後ろを振り返る。
その時、照明が障ったのか少女が顔を起こした。
黄昏時は終焉を迎えて、車内照明の固い蛍光灯の明かりが少女の顔を照らしている。
「またね、赤月さん?」
おもわず、口をついて飛び出した言葉。
その言葉に驚いた風の彼女の表情を車内に残し、千石は降車した。
彼の両足がちょうど地面に着いたところで、バスの扉は閉まり発車する。
振り返ると、最後部座席の赤月巴はもの言いたげに
リアウィンド越しにこちらを見ていた。
視線が絡み合う。
「また、逢えるよ━━━なんてったって俺はラッキー千石だから」
もう聞こえるわけもないというのに声をかける。
聞こえているはずがないのに遠ざかっていく少女も頷いた。
「ま、神様からの誕生日プレゼントにしては気が利いてるんじゃない?」
次に逢えるのがいつかは分からないけれど、楽しみが出来た。
また逢うことが出来たら、どうしよう。
いっぱい会話を交わし、一緒にダブルスを組んでみたって面白いだろう。
1度、いや今日を合わせて2度しか逢ったことのない彼女だが
なんとなく気が合いそうな気がする。
好きになる予感がする。
試合の前の高揚感にも似た思いを抱きながら、
既にすっかり日が落ちた街の中、千石は帰路を急いだ。
「次に逢ったら、まず、自己紹介から始めないとね、うん」
END
不意に千石清純の左肩に圧力が加わる。
隣を見ると長い髪を揺らし、少女は眠っていた。
他人に寄りかかってしまっても目を覚まさない。
*たそがれどき
11月の夕暮れ時のバス。
テニス部を引退した身の千石は、高校生になるまで身体を鈍らせないよう
学校推薦のテニススクールに時折通っていた。
スクールは生活圏からは少しばかり遠く、バスと電車を使わなければならないが
それでも、テニスが出来るという楽しみの方が勝っている。
今日もテニスあとの快い疲れを引きずりながらバスに乗り込んだ。
太陽は落ちきろうとしており、
薄明になりつつある街はぽつりぽつりと街灯が点き始めている。
日の明かりはかろうじて弱々しい赤ながら車内に差し込んでおり、
省エネを目指しているからなのかバスの照明はまだ点けられていない。
ラッシュアワーには少し早く、だが人もほどほどに埋まった車内にはラケットバッグを抱えた女の子が一人長い髪が乱れるのも気にせずにうたた寝をしていた。
車内での空席は何席かあった。
最後部座席の少女の隣もその内の一つだ。
女の子の隣に座れる僥倖に内心ラッキーを叫びつつ、いそいそと少女の隣に陣取る。
バスとうたた寝で少女の身体が揺れるたびに
シャンプーの香りと部活後らしく制刊剤の香りが漂ってくる。
その香りがいちいち妄想をかき立てて、
そのたびにイカンイカン!これじゃ変態のオッサンじゃないか!と
慌てて内心までも紳士を気取る。
夕暮れ時とあって俯いた顔はよく見えないけれど、
制服からして少女は青春学園中等部の生徒だとみてとる。
まだしゃきっとしたままの生地からして1年生なのだろう。
青学の1年と言えば、小生意気な越前リョーマを思い出す。
亜久津と同等に渡り合って勝利した、真っ直ぐな目をした彼のことを。
そして、もう一人。
隣に座る少女と同じく長い髪を揺らしながら豪快なテニスをしていた少女。
名前は何といったか━━━そう、赤月巴だ。
なかなか可愛い選手だったのはなんとなく覚えている。
可愛い顔して荒削りなプレイをするのをネット越しに見て驚いたのだから。
そのくせなかなかくせ者で、山吹テニス部の誇る吉川美咲のデータテニスすらも挫いてしまっていた、読めない少女。
もしかして。
もしかして、隣で平和そうに船を漕ぐ少女はあの赤月巴ではないだろうか?
いま、改めて気付く。
しかしながら実際少女の顔の細かい造作など覚えていない。
隣で眠っている少女の顔はハッキリとは見えない。
無防備に垂れ下がった髪の隙間は影が落ちて暗くなっている。
果たして目をぎらつかせながらボールを追っていた赤月巴と同一人物なのか?
試合中と平常時の表情など、大概の選手なら変わっている。
いくら女子ウォッチングが好きな千石でも自信はなかった。
なにせ面と向かったことがあるのは、夏に一戦交えた時だけだ。
全国大会も一緒に関東の代表として出場しているけれども、終了までこれと言ったきっかけもなくあまり接点がないままだった。
面白い選手だとは思っていた、
一緒にダブルスを組んでみたら、話してみたら、どんなカンジだろうとも思った。
けれども全国大会中に近づこうとも青学のガードは固く、千石自身いつもナンパ防止にと部内の誰かに首根っこを掴まれたままだった。
今がいい機会だと思った。
話しかけてこの隣にいる少女が赤月巴だという確証を得るいい機会だと。
もしも、少女が赤月巴じゃなかったとしてもそれはそれで別に構わない。
他校の女子と、しかも可愛い子揃いと評判の青学女テニの子と知り合うことが出来るいい機会には変わりないのだから。
さて、どうやって声をかけようか?
いろいろ思案を巡らせる。
━━━ズシッ。
不意に千石の左肩に圧力が加わる。
隣を見ると長い髪を揺らし、少女は眠っていた。
他人に寄りかかってしまっても目を覚まさない。
とても気持ちよく眠っているようだった。
晩秋には心地よいぬくもりと人の重みを感じることが出来る。
規則正しい寝息。
声をかけてみようと思ってはいたが、なんだか肩の重みがもったいないもののように感じられて躊躇ってしまう。
(ま、いいか)
いま声をかけなくても、縁があればまた再び逢えるだろう。
週に何度かはスクールの往復に、このバスを使っているのだから。
今日この日にバスの車内で出会えたように。
それに、もしかしたらすぐに目を覚ますかもしれないし。
そう自分に言いきかせる。
いまここで少女を起こすのは野暮の極みのように思えた。
(こういう時間帯って黄昏時っていうんだっけ?)
千石は肩の重みを意識しながら前に顧問の伴田から聞いたことを思い出す。
夕暮れ時には人の顔がハッキリと分からないから「誰そ彼」時、つまりは「たそがれ」時になったのだと。
いま、まさに「誰そ彼」状態だと納得する。
少女が赤月巴なのか、そうでないのか。
もし、これが日中だったら、もうすこし経って車内照明が点いていたなら、
流れる髪の合間から少女の顔をかいま見ることだって出来るかもしれないのに。
ここで彼女の髪をかき分けて顔をのぞけない自分の紳士ぶりを少し残念に思う。
もうすこし傍若無人な自分だったら、出来るのに。
(いやいや、それじゃホントに変態だから!)
しばし葛藤する。
『━━━次は……』
千石の降車予定のバス停名をアナウンスが告げる。
悶々とした葛藤の中断を余儀なくされた。
そして、一瞬このまま降りても良いものかどうか迷った。
この娘はこんなに気持ちよさそうに眠っているのに、起こしてしまうかもしれない。
それに、自分自身こんなに少女の重みが心地いい。
迷った瞬間、降車ボタンの音が鳴り響き迷いを遮断される。
さすがに何も知らない彼女と共にこのまま乗ってしまうのはリスキーな事に気付く。
少し残念に思いながら、そっと彼女の身体を押し戻す。
目が覚めることを懸念していたが、かなり熟睡しているようで気がつかない。
逆方向の窓にもたれて、すやすやと眠る。
バスは静かに停車し、降車扉が開く。
目の覚めない彼女にホッとしながら席を立って扉へと向かう。
降りる乗客が多く、最後尾で降りる順番を待っていた時、
バスの車内照明がようやく灯された。
条件反射的に後ろを振り返る。
その時、照明が障ったのか少女が顔を起こした。
黄昏時は終焉を迎えて、車内照明の固い蛍光灯の明かりが少女の顔を照らしている。
「またね、赤月さん?」
おもわず、口をついて飛び出した言葉。
その言葉に驚いた風の彼女の表情を車内に残し、千石は降車した。
彼の両足がちょうど地面に着いたところで、バスの扉は閉まり発車する。
振り返ると、最後部座席の赤月巴はもの言いたげに
リアウィンド越しにこちらを見ていた。
視線が絡み合う。
「また、逢えるよ━━━なんてったって俺はラッキー千石だから」
もう聞こえるわけもないというのに声をかける。
聞こえているはずがないのに遠ざかっていく少女も頷いた。
「ま、神様からの誕生日プレゼントにしては気が利いてるんじゃない?」
次に逢えるのがいつかは分からないけれど、楽しみが出来た。
また逢うことが出来たら、どうしよう。
いっぱい会話を交わし、一緒にダブルスを組んでみたって面白いだろう。
1度、いや今日を合わせて2度しか逢ったことのない彼女だが
なんとなく気が合いそうな気がする。
好きになる予感がする。
試合の前の高揚感にも似た思いを抱きながら、
既にすっかり日が落ちた街の中、千石は帰路を急いだ。
「次に逢ったら、まず、自己紹介から始めないとね、うん」
END
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ななせなな
性別:
非公開
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