*赤い花3
夢中に海へ突進していた巴は、ふと後ろを振り向く。
そばに来ていると思っていた跡部は━━━いない。
いまだ遠く、砂浜に佇んだきりだ。
これはどうしたことか。誘われたときのテンションとは全く違い沈んだカンジだ。
「うーん…これは…水着のチョイスを間違えたかなあ」
急にプライベートビーチに変更したときの跡部も確かに変だった。
あれは確か水着に着替えたあと。
と、言うことは水着が気に入らなかったとしか考えられない。
少なくとも、巴はそう考えた。
跡部のスケールは巴には計り知れない。
もっとも、跡部もその逆のことを思っていたのだが。
「あーあ、せっかく菜々子さんの素敵な水着を貰ったのになあ」
ちょっと上品で可愛い。
そんな水着を着ることが出来てちょっと誇らしかったのに、
そういえば水着姿の自分を褒めて貰っていない。
「……落ち込むなあ」
「誰が落ち込むって?アーン?」
「ひゃっ!」
気づいたら背後に跡部がきていた。
水際で砂浜なのだから誰かがきたら直ぐさま気づくはずなのに
巴は気づかなかった。それほど自分の考えに没頭していた。
「来てたんですか!跡部さん」
あまりの驚きに心臓がバクバクいっている。
年寄りなら心臓麻痺を起こしてもおかしくないぐらいだ。
いるんならいるって言ってくださいよ!
あまりにも無茶な抗議を言ってみる。
当然跡部はそれをさらりと流してしまったのだが。
「で、誰が落ち込むのか訊いているんだがな、俺は」
跡部は少ししつこく訊いてみる。
もし自分の強引さで彼女のテンションが落ちているとしたら?
それがちょっと心配になったからだ。
「ああ、その事ですか。それは…そのう…」
巴は言い淀んだ。それもその筈で、
「跡部さんが…水着を褒めてくれないので…」
自分でもちょっと馬鹿馬鹿しいことだと思っているからだ。
「あ!ごっごめんなさい!変なこと言って!!
跡部さん好みの水着を着てこなかった私が悪いんですよね…あ…ははは」
あわてて笑って誤魔化そうとする。
しかし眦からは涙が滲み出てきた。
あわててゴシゴシとこすり、何事もなかったかのように振る舞う。
「………」
「あっ、今日の水着、なかなか自信があったんですよ!
ちょっと自意識過剰でしたよねえ…そうですよね…へへへ」
しばらく二人の間には微妙な空気が漂う。
巴は必死に何事もないかのように装う努力をしているし、
跡部はそんな巴を黙って見ていた。
しかし、その空気を破ったのは跡部の方だった。
折れたのは、と表現した方がいいだろうか。
「……………………俺の方だ」
「はい?」
「……自意識過剰なのは、俺様の方だって言ってるんだよ」
「え?」
非常に気まずそうに、言いにくそうに跡部は重く口を開いた。
思いもかけない返答に巴はきょとんとそんな彼をみつめている。
「俺はあの庶民の海水浴場にいる全員が、お前を見ているように思えたんだ」
「えーまさか!」
「だから…だから、俺はお前を引っ張ってここまで来た」
巴はその言葉の意味をよく理解できずに黙って次の言葉を待っている。
「あー、クソッ、俺様にこんなコト言わせてんじゃねえよ。バカが。
俺にとってお前は周囲の視線を釘付けに出来るんじゃねえかと思わせるくらい
その…イイ女に見えたって事だ。その水着もよく似合ってるぜ」
普段、言い慣れないようなことを言っている自覚があるので
跡部は言葉の使いように迷う。
自分らしくありつつも、普段使わない言葉は大変に気を遣う。
けれども、本当に聞いて欲しい相手にそれを惜しんではいけないことは
人の頂点に立ち、人心を掌握すべき人間である彼にはよく分かっていた。
「俺はな、自分が人から見られていることは当然だと受け止めているが
お前が他の人間に見られているのには慣れてねえし、不快に思う」
皮肉気な笑みを浮かべて言葉を続ける。
「どうしても……お前が誰かに盗られやしないかと思っちまうんだよ。
実際見られたって減るもんじゃねえけど、俺的には減ってんだよ。充分な。
つまんねえ独占欲だ……………………どうだ?自意識過剰だろう?」
ハッと自らを嘲笑う跡部に巴は驚いていた。
まさか、他の誰でもなく跡部の口から「自意識過剰」なんて言う言葉が
飛び出してくるとは思わなかった。
ましてや。
私が水着で。
周囲の人に見られて。
それが跡部さんは嫌で。
プライベートビーチで。
それって…それってば、つまり。
嫉妬した。
そういうことではないだろうか。
「まさか」
思わず本音が口を突いてしまった。
「…俺がこんな言葉を冗談で言うと思っているのか?アーン?」
「そ、そういうつもりじゃあ!」
「じゃあ、どういう意味なんだよ」
跡部はもはや自分の本音のほとんどをさらけ出してしまった。
もうなんでも来いといった状況だ。
こうなったら、巴の本音も知りたいと思うのは当然のことではないだろうか。
あざけりの言葉でも、どんな言葉でも。
彼女の心底にある真実。
俺が嫉妬を、独占欲を認めたように。
彼女の真実もこの海の前に、俺の前に晒せばいい。
「どういう意味って……。
跡部さんっていつも格好良くって、
弱いところがあってもそれを克服して、でも表に見せなくて…
私に見せてくれる顔はいつもパーフェクトな顔だと思ってました」
「パーフェクトな顔?」
それは、当然だ。
跡部は自分でも完璧な姿だと思っている。
弱さを克服するのは当然で、努力は惜しまない。
目指すのはパーフェクトな己の姿。
見せている、というよりも当然そう見えてしまうというのが本当のところか。
「はい、完璧な。私はそんな跡部さんを見ていたし、好きでした」
好き、その言葉に反応してしまう自分に跡部は思わず動揺する。
誰彼無く言われ慣れている自分なのに
彼女の一言にはなぜこれほどまでに心を揺さぶられてしまうのだろう。
目の前の彼女は、どちらかというと普通の少女だ。
もちろんテニスの実力など少し飛び抜けたところはあるものの。
平均すればごく普通の、何処にでもいる中学女子だ。
それこそ彼女よりもテニスも容姿も上の人間など大勢いるだろう。
でも、心を動かすのは彼女だけだ。
彼女でしか、ありえない。
「…好きでした?過去形かよ」
「好きでいて、いいんですか?……その…そういう意味で」
巴の口からストレートな言葉が返ってくる。
追って、ちょっと必死な表情で巴が話を続けた。
「まさか…って、私さっき言いましたよね?
まさか、私のことをそんな風に見てくれているとは思わなかったんです。
私も、他の人と同じ跡部さんの信者の一人だと思ってました。
そりゃあ、ちょっとは気に入られているとは思わなくも無かったですけど」
「これはまた、自意識過剰だな」
「…!」
巴は自分のことを言われていると思い、しばし衝撃を受ける。
それを見て、跡部はちょっとからかいすぎたかと思い、言い直す。
「バーカ、自意識過剰は俺のことだよ。
俺はこれまでお前が子犬のようについてきやがるから
もうすでに、その気になってたんだよ。
……まさか、お前が俺との関係をそういう風にみていたとはな」
少し態度を改めないといけねえな。
跡部はそう思い直す。
「よし、これからはお前にだけは俺の完璧な姿以外も見せてやる。
まあ、お前に対する気持ち以外は常にほぼパーフェクトだけどな。
まずは、だな……………………」
「え?あっ…んっ」
巴の口が少しひんやりとした柔らかいもので塞がれる。
もっとも塞がれる、というより触れるといった程度ですぐに離れてしまったのだが。
しかし、視点を何処に定めてよいのか迷ってしまうぐらい巴の近くに
まだ跡部の端正な顔があった。
彼の青みがかった目が彼女をとらえている。
「俺がここまで近い姿を見せるのはお前だけだ…他の誰にも許さない。
……………………俺の唇に触れる存在もお前以外の誰でもない。
こういう俺の姿を見るって言うのは、どうだ?」
巴の右手を取り、相変わらず二人の顔の距離は変わらないまま
その甲に唇を寄せ、そしてその中心に赤い花を散らす。
そして手をとったまま跡部は巴から身体を離す。
お互い、離れていく体温を狂おしいほど惜しんだ。
しかしながら巴は、あまりにも性急な出来事に二の句が継げない。
心臓は先ほどよりも心拍数が上がっている気がするし、
その鼓動は全世界に聞こえているのではないかと思うほどだ。
体温は確実に2度は上がったに違いない。
現に自分の肌は日焼けではあり得ない色に染まっている。
自らの内から滲み出る赤。
そんなことをした張本人、跡部は相変わらず完璧に涼しい顔をしている。
でも、そんな姿でも彼にだって余裕がそんなに無いことを
巴はもう知ってしまっている。
独占欲は焦り、余裕の無さの表れでもあるから。
しかし、知っていても巴は全身真っ赤になったまま動けないのは変わらない。
そんな彼女を見て跡部はおもわず吹き出してしまう。
吹き出す姿も相変わらずパーフェクトに決まっている。
「お前の今の身体は、まるでその水着に咲く赤い花と同じ色になってるな。まったく、面白いヤツだよ、お前は」
しばらく飽きないな。
跡部はそう思ったが、巴がこれ以上赤くなっても困るので、
(しかも、理由はその言葉に憤慨して、だ)
とりあえず、言わないことにした。
END
夢中に海へ突進していた巴は、ふと後ろを振り向く。
そばに来ていると思っていた跡部は━━━いない。
いまだ遠く、砂浜に佇んだきりだ。
これはどうしたことか。誘われたときのテンションとは全く違い沈んだカンジだ。
「うーん…これは…水着のチョイスを間違えたかなあ」
急にプライベートビーチに変更したときの跡部も確かに変だった。
あれは確か水着に着替えたあと。
と、言うことは水着が気に入らなかったとしか考えられない。
少なくとも、巴はそう考えた。
跡部のスケールは巴には計り知れない。
もっとも、跡部もその逆のことを思っていたのだが。
「あーあ、せっかく菜々子さんの素敵な水着を貰ったのになあ」
ちょっと上品で可愛い。
そんな水着を着ることが出来てちょっと誇らしかったのに、
そういえば水着姿の自分を褒めて貰っていない。
「……落ち込むなあ」
「誰が落ち込むって?アーン?」
「ひゃっ!」
気づいたら背後に跡部がきていた。
水際で砂浜なのだから誰かがきたら直ぐさま気づくはずなのに
巴は気づかなかった。それほど自分の考えに没頭していた。
「来てたんですか!跡部さん」
あまりの驚きに心臓がバクバクいっている。
年寄りなら心臓麻痺を起こしてもおかしくないぐらいだ。
いるんならいるって言ってくださいよ!
あまりにも無茶な抗議を言ってみる。
当然跡部はそれをさらりと流してしまったのだが。
「で、誰が落ち込むのか訊いているんだがな、俺は」
跡部は少ししつこく訊いてみる。
もし自分の強引さで彼女のテンションが落ちているとしたら?
それがちょっと心配になったからだ。
「ああ、その事ですか。それは…そのう…」
巴は言い淀んだ。それもその筈で、
「跡部さんが…水着を褒めてくれないので…」
自分でもちょっと馬鹿馬鹿しいことだと思っているからだ。
「あ!ごっごめんなさい!変なこと言って!!
跡部さん好みの水着を着てこなかった私が悪いんですよね…あ…ははは」
あわてて笑って誤魔化そうとする。
しかし眦からは涙が滲み出てきた。
あわててゴシゴシとこすり、何事もなかったかのように振る舞う。
「………」
「あっ、今日の水着、なかなか自信があったんですよ!
ちょっと自意識過剰でしたよねえ…そうですよね…へへへ」
しばらく二人の間には微妙な空気が漂う。
巴は必死に何事もないかのように装う努力をしているし、
跡部はそんな巴を黙って見ていた。
しかし、その空気を破ったのは跡部の方だった。
折れたのは、と表現した方がいいだろうか。
「……………………俺の方だ」
「はい?」
「……自意識過剰なのは、俺様の方だって言ってるんだよ」
「え?」
非常に気まずそうに、言いにくそうに跡部は重く口を開いた。
思いもかけない返答に巴はきょとんとそんな彼をみつめている。
「俺はあの庶民の海水浴場にいる全員が、お前を見ているように思えたんだ」
「えーまさか!」
「だから…だから、俺はお前を引っ張ってここまで来た」
巴はその言葉の意味をよく理解できずに黙って次の言葉を待っている。
「あー、クソッ、俺様にこんなコト言わせてんじゃねえよ。バカが。
俺にとってお前は周囲の視線を釘付けに出来るんじゃねえかと思わせるくらい
その…イイ女に見えたって事だ。その水着もよく似合ってるぜ」
普段、言い慣れないようなことを言っている自覚があるので
跡部は言葉の使いように迷う。
自分らしくありつつも、普段使わない言葉は大変に気を遣う。
けれども、本当に聞いて欲しい相手にそれを惜しんではいけないことは
人の頂点に立ち、人心を掌握すべき人間である彼にはよく分かっていた。
「俺はな、自分が人から見られていることは当然だと受け止めているが
お前が他の人間に見られているのには慣れてねえし、不快に思う」
皮肉気な笑みを浮かべて言葉を続ける。
「どうしても……お前が誰かに盗られやしないかと思っちまうんだよ。
実際見られたって減るもんじゃねえけど、俺的には減ってんだよ。充分な。
つまんねえ独占欲だ……………………どうだ?自意識過剰だろう?」
ハッと自らを嘲笑う跡部に巴は驚いていた。
まさか、他の誰でもなく跡部の口から「自意識過剰」なんて言う言葉が
飛び出してくるとは思わなかった。
ましてや。
私が水着で。
周囲の人に見られて。
それが跡部さんは嫌で。
プライベートビーチで。
それって…それってば、つまり。
嫉妬した。
そういうことではないだろうか。
「まさか」
思わず本音が口を突いてしまった。
「…俺がこんな言葉を冗談で言うと思っているのか?アーン?」
「そ、そういうつもりじゃあ!」
「じゃあ、どういう意味なんだよ」
跡部はもはや自分の本音のほとんどをさらけ出してしまった。
もうなんでも来いといった状況だ。
こうなったら、巴の本音も知りたいと思うのは当然のことではないだろうか。
あざけりの言葉でも、どんな言葉でも。
彼女の心底にある真実。
俺が嫉妬を、独占欲を認めたように。
彼女の真実もこの海の前に、俺の前に晒せばいい。
「どういう意味って……。
跡部さんっていつも格好良くって、
弱いところがあってもそれを克服して、でも表に見せなくて…
私に見せてくれる顔はいつもパーフェクトな顔だと思ってました」
「パーフェクトな顔?」
それは、当然だ。
跡部は自分でも完璧な姿だと思っている。
弱さを克服するのは当然で、努力は惜しまない。
目指すのはパーフェクトな己の姿。
見せている、というよりも当然そう見えてしまうというのが本当のところか。
「はい、完璧な。私はそんな跡部さんを見ていたし、好きでした」
好き、その言葉に反応してしまう自分に跡部は思わず動揺する。
誰彼無く言われ慣れている自分なのに
彼女の一言にはなぜこれほどまでに心を揺さぶられてしまうのだろう。
目の前の彼女は、どちらかというと普通の少女だ。
もちろんテニスの実力など少し飛び抜けたところはあるものの。
平均すればごく普通の、何処にでもいる中学女子だ。
それこそ彼女よりもテニスも容姿も上の人間など大勢いるだろう。
でも、心を動かすのは彼女だけだ。
彼女でしか、ありえない。
「…好きでした?過去形かよ」
「好きでいて、いいんですか?……その…そういう意味で」
巴の口からストレートな言葉が返ってくる。
追って、ちょっと必死な表情で巴が話を続けた。
「まさか…って、私さっき言いましたよね?
まさか、私のことをそんな風に見てくれているとは思わなかったんです。
私も、他の人と同じ跡部さんの信者の一人だと思ってました。
そりゃあ、ちょっとは気に入られているとは思わなくも無かったですけど」
「これはまた、自意識過剰だな」
「…!」
巴は自分のことを言われていると思い、しばし衝撃を受ける。
それを見て、跡部はちょっとからかいすぎたかと思い、言い直す。
「バーカ、自意識過剰は俺のことだよ。
俺はこれまでお前が子犬のようについてきやがるから
もうすでに、その気になってたんだよ。
……まさか、お前が俺との関係をそういう風にみていたとはな」
少し態度を改めないといけねえな。
跡部はそう思い直す。
「よし、これからはお前にだけは俺の完璧な姿以外も見せてやる。
まあ、お前に対する気持ち以外は常にほぼパーフェクトだけどな。
まずは、だな……………………」
「え?あっ…んっ」
巴の口が少しひんやりとした柔らかいもので塞がれる。
もっとも塞がれる、というより触れるといった程度ですぐに離れてしまったのだが。
しかし、視点を何処に定めてよいのか迷ってしまうぐらい巴の近くに
まだ跡部の端正な顔があった。
彼の青みがかった目が彼女をとらえている。
「俺がここまで近い姿を見せるのはお前だけだ…他の誰にも許さない。
……………………俺の唇に触れる存在もお前以外の誰でもない。
こういう俺の姿を見るって言うのは、どうだ?」
巴の右手を取り、相変わらず二人の顔の距離は変わらないまま
その甲に唇を寄せ、そしてその中心に赤い花を散らす。
そして手をとったまま跡部は巴から身体を離す。
お互い、離れていく体温を狂おしいほど惜しんだ。
しかしながら巴は、あまりにも性急な出来事に二の句が継げない。
心臓は先ほどよりも心拍数が上がっている気がするし、
その鼓動は全世界に聞こえているのではないかと思うほどだ。
体温は確実に2度は上がったに違いない。
現に自分の肌は日焼けではあり得ない色に染まっている。
自らの内から滲み出る赤。
そんなことをした張本人、跡部は相変わらず完璧に涼しい顔をしている。
でも、そんな姿でも彼にだって余裕がそんなに無いことを
巴はもう知ってしまっている。
独占欲は焦り、余裕の無さの表れでもあるから。
しかし、知っていても巴は全身真っ赤になったまま動けないのは変わらない。
そんな彼女を見て跡部はおもわず吹き出してしまう。
吹き出す姿も相変わらずパーフェクトに決まっている。
「お前の今の身体は、まるでその水着に咲く赤い花と同じ色になってるな。まったく、面白いヤツだよ、お前は」
しばらく飽きないな。
跡部はそう思ったが、巴がこれ以上赤くなっても困るので、
(しかも、理由はその言葉に憤慨して、だ)
とりあえず、言わないことにした。
END
『酔う』
跡部さんって、本当に綺麗なテニスフォームだよねえ。
見ていて惚れ惚れしちゃうよ。
気づいたら感想そのまま口に出していたみたいで。
「テニスだけじゃなくて全てに於いて、だろ?
っていうか、俺様の全てに惚れろよ」
……平気で恐ろしい言葉を返してきた。
ファンから袋だたきにあいそうな破壊力抜群の台詞を決めてくる。
恥ずかしすぎて二の句が継げない。
それも、私はもうとっくに惚れているんだから返答のしようがない。
「跡部さんって、ホントにさらりと大胆なこと言いますよね。
まあ、私はそんな跡部さんに酔ってるんですけどね」
「あーん?何に酔ってるって?」
「跡部さんの全てにですよ?」
お金持ちでカッコよくて、全てを超越していて、
それでいて案外テニス馬鹿な跡部さんに酔ってるんだよね。
もういつから酔いっぱなしなのか分からないくらいには、酔っている。
「……お前、たまに天然なのか装ってるのかわからねえな」
跡部さんは何故か脱力した表情でこっちを見ている。
「ま、俺の方こそお前に酔いっぱなしなんだけどな」
END
跡部さんって、本当に綺麗なテニスフォームだよねえ。
見ていて惚れ惚れしちゃうよ。
気づいたら感想そのまま口に出していたみたいで。
「テニスだけじゃなくて全てに於いて、だろ?
っていうか、俺様の全てに惚れろよ」
……平気で恐ろしい言葉を返してきた。
ファンから袋だたきにあいそうな破壊力抜群の台詞を決めてくる。
恥ずかしすぎて二の句が継げない。
それも、私はもうとっくに惚れているんだから返答のしようがない。
「跡部さんって、ホントにさらりと大胆なこと言いますよね。
まあ、私はそんな跡部さんに酔ってるんですけどね」
「あーん?何に酔ってるって?」
「跡部さんの全てにですよ?」
お金持ちでカッコよくて、全てを超越していて、
それでいて案外テニス馬鹿な跡部さんに酔ってるんだよね。
もういつから酔いっぱなしなのか分からないくらいには、酔っている。
「……お前、たまに天然なのか装ってるのかわからねえな」
跡部さんは何故か脱力した表情でこっちを見ている。
「ま、俺の方こそお前に酔いっぱなしなんだけどな」
END
『Taming of the Shrew』
今日は跡部さんの所の牧場へやってきた。
跡部さんが直々に私を誘うことは滅多にない。
いつもなら私がちょっと強引に誘って、
「仕方ないから付き合ってやる」という形になるからだ。
跡部さんは意外とテニス馬鹿の帰来があって、
無駄な時間を費やすぐらいなら
その分練習に励みたいというタイプ。
見た目やその行動の派手さからは想像できない。
もちろん、プレーを見れば努力家であることは一目瞭然なのだけど。
「うわあ!久し振りシルバーミーティア号!」
つやつやな毛並みと聡明で美しい顔をした白馬に挨拶をする。
跡部さんの馬だ。
以前、ジュニア選抜の合宿所にまで跡部さんを追っかけてきた。
その行動力には敬服する。
まさか誰も連れずに1頭で跡部さんの元へと来るなんて驚いた。
その白馬との再会。
あのときは跡部さんと二人乗りするという幸運に恵まれ思い出深い。
うっかり思い出を反芻してしまう。
「おい、馬に乗ってみるか?」
跡部さんに誘われる。
流石にシルバーミーティア号には乗せてもらえなかったけど
おとなしい、私のような初心者でも乗りやすい馬をあてがってもらえた。
おそるおそる乗ってみることにした。
---
「跡部さーん!」
私を遠くから眺めている跡部さんに手を振ってみる。
振りかえしてはもらえないけど、
やるな…といったカンジの笑みを返される。
普段から体を鍛えてバランス感覚に優れているからか
なんとか、といったカンジだけれども馬は私と一緒に走ってくれる。
柵の中を何周かして再び跡部さんの元へと戻る。
「やるじゃねえか、オマエ」
私を馬から支えて降ろしてくれて、珍しく私を褒めてくれる。
なんだか嬉しいかも。
跡部さんは普段私を褒めることも滅多にないからだ。
テニスを一緒にしていればたちまち鬼コーチだ。
本当に天から沢山のものを与えられているのに
この人はテニスに真摯だ。
もっともそんな跡部さんだから尊敬するし憧れるのだけれど。
跡部さんの手は下ろしてくれてから、私の身体から離れない。
普段あまり密着することはないものだから、意識してしまう。
跡部さんの身体から発する香りは、
きっと外国製のコロンなのだろうけど爽やかでいかにも彼らしい。
やだな、急にドキドキして来ちゃったよ。
顔、赤くなってないといいんだけど。
ありゃ?目まで合っちゃったよ。
…これって、もしかしてイイカンジ?
「しかし、残念だったな」
?
残念?
「お前が一人で乗れないようなら、
俺と二人で馬に乗ろうと思ってたんだがな。
どうやら、その必要はないようだ━━━まあ予想していたが」
視線をはずさず跡部さんはそう言った。
思わずむくれ顔になる。
この人はイジワルだ。
そんなことを考えているなら初めから言ってくれれば良かったのに!
私は跡部さんと馬に乗りたかったのに!
そう、抗議しようと口を開こうとした。
しかし、それを遮るように跡部さんは話を続ける。
「だが、初めっから言ってしまうのはアンフェアだからな。
例え勝負が最初から決まっていたとしても…な。
まあ、オマエのふくれっ面も見られたことだし、おもしろかったよ」
「わ、私の反応を楽しんでるんですか!ヒドいですっ!」
「まあ、焦って怒るなよ。
アンフェアなことはやめてフェアにいこうって話をしてるんだからよ」
フェア?なんだろう?
思わず首をかしげてしまう。
そんな私を見て、跡部さんは吹き出し笑い。
「本当に面白い反応を示すヤツだなオマエは。
さて、本題だ。
━━━なあ、俺と一緒にシルバーミーティア号に乗ってくれないか?
俺はオマエ以外のヤツを乗せたことはないしこれからも乗せたくはないが
オマエとならこれからもいつまででも乗っていたんだよ」
また私の反応を見てからかっているのだろうか。
よく分からないけど、とりあえずその言葉が取り消されないウチに
大きくうなずいてみる。
あ、また笑った。
END
今日は跡部さんの所の牧場へやってきた。
跡部さんが直々に私を誘うことは滅多にない。
いつもなら私がちょっと強引に誘って、
「仕方ないから付き合ってやる」という形になるからだ。
跡部さんは意外とテニス馬鹿の帰来があって、
無駄な時間を費やすぐらいなら
その分練習に励みたいというタイプ。
見た目やその行動の派手さからは想像できない。
もちろん、プレーを見れば努力家であることは一目瞭然なのだけど。
「うわあ!久し振りシルバーミーティア号!」
つやつやな毛並みと聡明で美しい顔をした白馬に挨拶をする。
跡部さんの馬だ。
以前、ジュニア選抜の合宿所にまで跡部さんを追っかけてきた。
その行動力には敬服する。
まさか誰も連れずに1頭で跡部さんの元へと来るなんて驚いた。
その白馬との再会。
あのときは跡部さんと二人乗りするという幸運に恵まれ思い出深い。
うっかり思い出を反芻してしまう。
「おい、馬に乗ってみるか?」
跡部さんに誘われる。
流石にシルバーミーティア号には乗せてもらえなかったけど
おとなしい、私のような初心者でも乗りやすい馬をあてがってもらえた。
おそるおそる乗ってみることにした。
---
「跡部さーん!」
私を遠くから眺めている跡部さんに手を振ってみる。
振りかえしてはもらえないけど、
やるな…といったカンジの笑みを返される。
普段から体を鍛えてバランス感覚に優れているからか
なんとか、といったカンジだけれども馬は私と一緒に走ってくれる。
柵の中を何周かして再び跡部さんの元へと戻る。
「やるじゃねえか、オマエ」
私を馬から支えて降ろしてくれて、珍しく私を褒めてくれる。
なんだか嬉しいかも。
跡部さんは普段私を褒めることも滅多にないからだ。
テニスを一緒にしていればたちまち鬼コーチだ。
本当に天から沢山のものを与えられているのに
この人はテニスに真摯だ。
もっともそんな跡部さんだから尊敬するし憧れるのだけれど。
跡部さんの手は下ろしてくれてから、私の身体から離れない。
普段あまり密着することはないものだから、意識してしまう。
跡部さんの身体から発する香りは、
きっと外国製のコロンなのだろうけど爽やかでいかにも彼らしい。
やだな、急にドキドキして来ちゃったよ。
顔、赤くなってないといいんだけど。
ありゃ?目まで合っちゃったよ。
…これって、もしかしてイイカンジ?
「しかし、残念だったな」
?
残念?
「お前が一人で乗れないようなら、
俺と二人で馬に乗ろうと思ってたんだがな。
どうやら、その必要はないようだ━━━まあ予想していたが」
視線をはずさず跡部さんはそう言った。
思わずむくれ顔になる。
この人はイジワルだ。
そんなことを考えているなら初めから言ってくれれば良かったのに!
私は跡部さんと馬に乗りたかったのに!
そう、抗議しようと口を開こうとした。
しかし、それを遮るように跡部さんは話を続ける。
「だが、初めっから言ってしまうのはアンフェアだからな。
例え勝負が最初から決まっていたとしても…な。
まあ、オマエのふくれっ面も見られたことだし、おもしろかったよ」
「わ、私の反応を楽しんでるんですか!ヒドいですっ!」
「まあ、焦って怒るなよ。
アンフェアなことはやめてフェアにいこうって話をしてるんだからよ」
フェア?なんだろう?
思わず首をかしげてしまう。
そんな私を見て、跡部さんは吹き出し笑い。
「本当に面白い反応を示すヤツだなオマエは。
さて、本題だ。
━━━なあ、俺と一緒にシルバーミーティア号に乗ってくれないか?
俺はオマエ以外のヤツを乗せたことはないしこれからも乗せたくはないが
オマエとならこれからもいつまででも乗っていたんだよ」
また私の反応を見てからかっているのだろうか。
よく分からないけど、とりあえずその言葉が取り消されないウチに
大きくうなずいてみる。
あ、また笑った。
END
「…ど…どうしたんですか?めず…珍しいですね、
急に呼び出すなんて…」
息を弾ませ巴は開口一番に目の前の人間に問う。息が上がっているのは全力疾走で待ち合わせ場所までたどり着いたからだ。
「そうか?」
「そうですよ!私が呼び出すのは珍しくないですけど!」
「お前…自分で言うな…」
あきれ顔の跡部は息を必死で整えている途中の巴を見おろしながらいう。巴はほんの30分前に電話で「今すぐ来い」と跡部から呼び出された。
とくに用件も告げられず、とにかく来いと言われ
訳がわからないながら慌てて身なりを整えて待ち合わせ場所までやってきた。
全速力で。
待ち合わせ場所はストリートテニスコートのある公園。
二人が初めて出会った場所。
*ホワイトデー
「それにしても本当にどうしたんですか?こんな所に呼び出したりして」
「あーん?場所なんか何処でもよかったんだがな
ただここが待ち合わせに適してただけだ。お前の家からも近いしな」
「はあ」
「用件はこれだ」
そう言い、水色の小袋を巴に手渡す。
いぶかしげに小首をかしげる巴。
何処かで見たことのある紙袋だ。アクセサリー?
「これはなんなんでしょう?」
本気でわからない風情で巴は問いかける。
跡部の目は心なしか凍ってしまったようだ。
「巴…今日は何の日か言ってみろ…」
「何の日…って3月14日ですよねえ?ああ!今日は松の廊下の日なんですよ!たしか!」
「あん?」
「忠臣蔵ですよ。殿中でござるって、アレ」
「違げーよ」
「そうですかあ、じゃ、大阪万博の開催…」
跡部はその言葉をすかさず遮る。
いかにも自分で言うのは不本意という顔で言葉を紡ぐ。
「ふざけるのも大概にしろ。今日はホワイトデーだろうが」
「ああ!跡部さんでもそんな俗なコトするんですね!」
きっぱり俗だと言われ少し傷ついたような表情を見せるも
巴はそれに気づかない。
彼女は大概鈍い。特に色恋沙汰、自分に関わるような事では。
時に野生の勘としか言いようのない鋭さをもみせるが、それは本当に希だ。
仕方ないことと跡部も半ば諦めてはいるが
それに振り回されることが面白くないこともまた確かだ。
「俗とはなんだ、俗とは。俺は義理堅いんだよ」
「そうですかあ」
そうか、義理か…なにげない一言だとは思うけれど、
巴はそこに引っかかる。
もちろん、義理以外のものが欲しかったから。
「跡部さん、大量にチョコを貰ったと思うんですけど
義理堅いんなら全員にちゃんとお返しはしたんですか?」
もちろん、お返しする位跡部にはなんて事はないだろう。先だっての合宿中に部員全員分のお土産を買うところにつきあったのだ。
約200人の部員一人一人に、それなりのお土産を購入していた。
ホワイトデーのお返しだって同レベルのことだろう。
しかし、そんな中の一人として換算されるのは流石にやりきれなさがある。
「しない」
「義理堅いクセにケチですね」
「違う。もういい、お前その袋返せ」
跡部の背後には何故かロシアの雪原が見えるようだ。
もう3月なのに。跡部の周囲の気候だけ極寒。
流石にホワイトデーのお返しを渡した相手にケチと言われるほど
屈辱はないだろう。
もうちょっと察しても良いだろうに…そこが巴なのだろうが。
跡部がお返しを渡さない、その理由。
「いやですよ!返すなんて。せっかく跡部さんがくれたものなのに!」
だって、他ならぬ跡部からのプレゼントだし。
通常のプレゼントとホワイトデーのプレゼントは込められた意味が違うし。
なにがなんでも渡すまいとがっちり紙袋を胸に押さえ込む巴。
跡部もそれを無理には取ろうとしない。
むろん彼とて無理に奪い返す気はない。当たり前だ。
それに「せっかく跡部さんがくれたものなのに!」と言う一言に
コイツ可愛いこというじゃねえか、とニヤつきそうな自分もいる。
「じゃあ、察しろ。俺が他のヤツにお返しをしない理由を…な」
「はい?」
これも結局俺自身が言わないと気付きもしないのかよ、と
深く深くため息をつく。
「……誰からも、貰ってないんだよ。チョコは」
「ええええええええええええええ!実はモテないんですか!?」
「馬鹿か!んな訳ないだろ!」
気づいたら声を荒げてしまった。
周囲の人間に与える影響を考慮して
テニスの練習時以外はきわめて平静でいるようにしている彼であったが
今回は流石に平静を保てない。
巴と接して平静を保てる人間が居るとしたら修行僧ぐらいのものだろう。
「じゃあ、なんでですか」
きょとんとして巴は跡部を見つめる。まるで子犬のような目だ。
これだから憎めない。
俺様としたことが、これじゃ保父さんか何かだぜ…。
またため息をつく。
「全部、受取拒否だ」
「そんなもったいない」
「もったいなくねーよ。この俺にふさわしいチョコは一つだけだからな」
さすがにその意味は理解でき、思わず赤面する。
贈ったチョコが果たして跡部にふさわしいものか自己評価は別として
跡部は高く評価してくれているようだ。
彼にふさわしいチョコは、私のチョコだけ。
それはまるで自分自身が彼にふさわしいと言われているようで。
しあわせだった。
「それなら、私にふさわしいお返しも跡部さんからの一つだけです。
もっとも、私、義理でも跡部さん以外の人にチョコはあげていませんけど」
父宛や菜々子との合作の越前家男性陣へのチョコケーキは別として、だが。
バレンタインデー前は跡部へのチョコのことで頭がいっぱいで
他の人間にあげるチョコなんてかけらも考えなかった。
「義理…」
「…跡部さん?」
自分の失言に跡部は急に気づく。
『俗とはなんだ、俗とは。俺は義理堅いんだよ』その一言。
義理堅いからあげた訳じゃない。
「さっきの“義理堅い”って発言は撤回だ」
「はい?」
「これまでの俺にとって確かにホワイトデーは俗な、意味のないものだったが
お前が居るから今の俺にはとても意味のある行事なんだよ
━━━これだけ言えば、もう十分だろう?」
絶句。
あまりの恥ずかしさに声が出ない巴は赤い顔でかくかく頷く。
やっぱり彼は何かすべてを超越している。
殺し文句すら。
彼からの大ダメージな台詞にどのくらい心臓が保つかわからないけれど
これからもずっとこの人についていこう、そう巴は心に誓った。
しかし、彼の繰り出す殺し文句が
すべて彼女の鈍さに起因しているとはやはり気づいていないのだった。
『万事はっきりと大袈裟すぎるほどにアピールしないと
巴は理解しない』
翌日から跡部の日記の1ページ目には必ずこの言葉が書き加えられるようになる。
忘れないように。
END
急に呼び出すなんて…」
息を弾ませ巴は開口一番に目の前の人間に問う。息が上がっているのは全力疾走で待ち合わせ場所までたどり着いたからだ。
「そうか?」
「そうですよ!私が呼び出すのは珍しくないですけど!」
「お前…自分で言うな…」
あきれ顔の跡部は息を必死で整えている途中の巴を見おろしながらいう。巴はほんの30分前に電話で「今すぐ来い」と跡部から呼び出された。
とくに用件も告げられず、とにかく来いと言われ
訳がわからないながら慌てて身なりを整えて待ち合わせ場所までやってきた。
全速力で。
待ち合わせ場所はストリートテニスコートのある公園。
二人が初めて出会った場所。
*ホワイトデー
「それにしても本当にどうしたんですか?こんな所に呼び出したりして」
「あーん?場所なんか何処でもよかったんだがな
ただここが待ち合わせに適してただけだ。お前の家からも近いしな」
「はあ」
「用件はこれだ」
そう言い、水色の小袋を巴に手渡す。
いぶかしげに小首をかしげる巴。
何処かで見たことのある紙袋だ。アクセサリー?
「これはなんなんでしょう?」
本気でわからない風情で巴は問いかける。
跡部の目は心なしか凍ってしまったようだ。
「巴…今日は何の日か言ってみろ…」
「何の日…って3月14日ですよねえ?ああ!今日は松の廊下の日なんですよ!たしか!」
「あん?」
「忠臣蔵ですよ。殿中でござるって、アレ」
「違げーよ」
「そうですかあ、じゃ、大阪万博の開催…」
跡部はその言葉をすかさず遮る。
いかにも自分で言うのは不本意という顔で言葉を紡ぐ。
「ふざけるのも大概にしろ。今日はホワイトデーだろうが」
「ああ!跡部さんでもそんな俗なコトするんですね!」
きっぱり俗だと言われ少し傷ついたような表情を見せるも
巴はそれに気づかない。
彼女は大概鈍い。特に色恋沙汰、自分に関わるような事では。
時に野生の勘としか言いようのない鋭さをもみせるが、それは本当に希だ。
仕方ないことと跡部も半ば諦めてはいるが
それに振り回されることが面白くないこともまた確かだ。
「俗とはなんだ、俗とは。俺は義理堅いんだよ」
「そうですかあ」
そうか、義理か…なにげない一言だとは思うけれど、
巴はそこに引っかかる。
もちろん、義理以外のものが欲しかったから。
「跡部さん、大量にチョコを貰ったと思うんですけど
義理堅いんなら全員にちゃんとお返しはしたんですか?」
もちろん、お返しする位跡部にはなんて事はないだろう。先だっての合宿中に部員全員分のお土産を買うところにつきあったのだ。
約200人の部員一人一人に、それなりのお土産を購入していた。
ホワイトデーのお返しだって同レベルのことだろう。
しかし、そんな中の一人として換算されるのは流石にやりきれなさがある。
「しない」
「義理堅いクセにケチですね」
「違う。もういい、お前その袋返せ」
跡部の背後には何故かロシアの雪原が見えるようだ。
もう3月なのに。跡部の周囲の気候だけ極寒。
流石にホワイトデーのお返しを渡した相手にケチと言われるほど
屈辱はないだろう。
もうちょっと察しても良いだろうに…そこが巴なのだろうが。
跡部がお返しを渡さない、その理由。
「いやですよ!返すなんて。せっかく跡部さんがくれたものなのに!」
だって、他ならぬ跡部からのプレゼントだし。
通常のプレゼントとホワイトデーのプレゼントは込められた意味が違うし。
なにがなんでも渡すまいとがっちり紙袋を胸に押さえ込む巴。
跡部もそれを無理には取ろうとしない。
むろん彼とて無理に奪い返す気はない。当たり前だ。
それに「せっかく跡部さんがくれたものなのに!」と言う一言に
コイツ可愛いこというじゃねえか、とニヤつきそうな自分もいる。
「じゃあ、察しろ。俺が他のヤツにお返しをしない理由を…な」
「はい?」
これも結局俺自身が言わないと気付きもしないのかよ、と
深く深くため息をつく。
「……誰からも、貰ってないんだよ。チョコは」
「ええええええええええええええ!実はモテないんですか!?」
「馬鹿か!んな訳ないだろ!」
気づいたら声を荒げてしまった。
周囲の人間に与える影響を考慮して
テニスの練習時以外はきわめて平静でいるようにしている彼であったが
今回は流石に平静を保てない。
巴と接して平静を保てる人間が居るとしたら修行僧ぐらいのものだろう。
「じゃあ、なんでですか」
きょとんとして巴は跡部を見つめる。まるで子犬のような目だ。
これだから憎めない。
俺様としたことが、これじゃ保父さんか何かだぜ…。
またため息をつく。
「全部、受取拒否だ」
「そんなもったいない」
「もったいなくねーよ。この俺にふさわしいチョコは一つだけだからな」
さすがにその意味は理解でき、思わず赤面する。
贈ったチョコが果たして跡部にふさわしいものか自己評価は別として
跡部は高く評価してくれているようだ。
彼にふさわしいチョコは、私のチョコだけ。
それはまるで自分自身が彼にふさわしいと言われているようで。
しあわせだった。
「それなら、私にふさわしいお返しも跡部さんからの一つだけです。
もっとも、私、義理でも跡部さん以外の人にチョコはあげていませんけど」
父宛や菜々子との合作の越前家男性陣へのチョコケーキは別として、だが。
バレンタインデー前は跡部へのチョコのことで頭がいっぱいで
他の人間にあげるチョコなんてかけらも考えなかった。
「義理…」
「…跡部さん?」
自分の失言に跡部は急に気づく。
『俗とはなんだ、俗とは。俺は義理堅いんだよ』その一言。
義理堅いからあげた訳じゃない。
「さっきの“義理堅い”って発言は撤回だ」
「はい?」
「これまでの俺にとって確かにホワイトデーは俗な、意味のないものだったが
お前が居るから今の俺にはとても意味のある行事なんだよ
━━━これだけ言えば、もう十分だろう?」
絶句。
あまりの恥ずかしさに声が出ない巴は赤い顔でかくかく頷く。
やっぱり彼は何かすべてを超越している。
殺し文句すら。
彼からの大ダメージな台詞にどのくらい心臓が保つかわからないけれど
これからもずっとこの人についていこう、そう巴は心に誓った。
しかし、彼の繰り出す殺し文句が
すべて彼女の鈍さに起因しているとはやはり気づいていないのだった。
『万事はっきりと大袈裟すぎるほどにアピールしないと
巴は理解しない』
翌日から跡部の日記の1ページ目には必ずこの言葉が書き加えられるようになる。
忘れないように。
END
*DーMODE
約束の時間ちょうどに、その車は音も静かに越前家の前に停車した。
その車を見て、巴は驚いた。
なぜなら、この時間に自分の前に現れる車はリムジンだとばかり思っていたからだ。
もちろん跡部家所有の外国車のリムジンだ。
しかし目の前にあるのはスポーツタイプの国産高級セダンで
色もいつもの黒ではなく普通車ではあまり見ることのない
いぶし銀のような深みのあるシルバーだった。
「跡部さん……なのかな?」
時間はあっていても、いつもとは全く違う車に戸惑いを見せる赤月巴を前に
その謎の車のメタルルーフが静かに格納されていく。
やがて完全に格納され、車内からは見慣れた━━━跡部景吾の姿が。
「よお、赤月」
「やっぱり、跡部さんでしたか!」
よかったというような表情でほっと胸を撫で下ろす巴。
もっとも、リムジンほどではないけれども見るからに高そうな車なので
乗る人間は跡部だろうということは見当ついたのだが。
「いつもと違う車に乗ってるんで、誰かと思っちゃいましたよ~」
そういいながら、運転手が開けてくれたドアから車内に乗り込む。
隣には跡部がくつろいで座っていた。
リムジンより当然狭い車内は、二人の距離をいつもより近づけていた。
まだ、二人が会ってから数分と経っていないというのに
早くも鼓動が高鳴っていく。
「よし、車を出せ」
その運転手への一声で車は爽快に走り出す。
10月の最初の日曜日、二人はドライブへ行こうという話になった。
話になったといってもほとんど跡部の一方的な話ではあったのだが
跡部の誘いに当然巴に異存があるはずもなく、すんなりと話は決まった。
今日は車で高原へドライブの予定だ。
山育ちの巴には「山」は珍しくも何ともないのだが
本日向かうところはそこそこ観光化された高原で
昼食は見晴らしの良いところに立つオーベルジュだという。
実家の山とは違い、普段縁のない世界に足を踏み入れることが出来るとあって
巴は数日前からワクワクしていた。
もちろん、跡部と一緒に行くと言うことはドキドキでもあったのだが。
話が決まってからはドライブに行くということもあり、
皺になりにくい可愛い服を探すのに苦労したり、
オーベルジュで出されるであろう高級ランチコースのために
テーブルマナーのおさらいをしたりと今日まで大忙しだった。
そして、もう一つドキドキワクワクすることに
跡部への誕生日プレゼント選びというものがあった。
折しも、10月4日は跡部の16歳の誕生日だ。
金持ちでセンスの良い跡部へのプレゼントは気を抜けなかった。
まだ普通の中学生である巴が使えるお金には限りがあったし
洗練されたセンスなどというものもなかったので、
プレゼントを用意するまでは、常に一人で大騒ぎしている状態だった。
そのプレゼントは、いま跡部の隣に座る彼女の膝の上に大事に置かれている。
彼女なりに厳選したプレゼントだ。
あとは渡すタイミングだけだ。
有り難いことに、いつものリムジンよりも二人の距離は近い。
タイミングさえ合えば車内でも良い雰囲気で渡すことが出来るはずだ。
いつ渡そう、いつ渡そうと長時間気を揉むよりも
さっさと、早いウチに渡してしまいたいと巴は思っていた。
他愛のない会話を繰り返し、車は山の上へと向かう道を走っていた。
良い車のせいなのか速度はかなり出ているというのに
車は相変わらずスムーズに振動もほとんど無く走っている。
「━━━そういえば、今日はどうしていつもと違う車なんですか?」
朝、迎えに来てくれたときから思っていたことを質問する。
巴は車のことは詳しくないのだが
さすがにいつも乗っているような車とは違うことには気づいていた。
「ああ、今日は流石に山に登るからな、大きな車はムダだ」
「そうなんですか、それでいつもと違う車なんですねー。
で、こういう車が跡部さんの好みなんですか?」
渋い色の銀のコンバーチブル。
リムジン車なら明らかに家所有の趣味でもなんでもない車だと分かるが
こういった車は趣味の人が乗るものだ。
巴が跡部の趣味の車だと思っても仕方がない。
「俺の好みだったらどうなんだ?」
面白そうに跡部は聞き返す。
巴がこの車に対してどう思っているのか興味ある表情だ。
「うーん、何というか、お金持ちの趣味って分からないんですけど、
跡部さんの趣味なら外国のスポーツカーとかクラシックカーとか
乗ってそうなカンジだったんですよねー。
まあ、これは車種とかは全く分からずに言ってますけどね」
その言葉を聞き、跡部ははじめ驚いたように、次にニヤリと表情を変える。
「よく分かってるじゃねーか」
賞賛混じりの声で答える。
「あたりだ。これは車屋が勝手に宣伝だと言って置いていきやがった車だ。
俺の趣味は…厳密には違うがほとんどお前の言った車であってるな」
「置いて…普通勝手に置いていかないと思うんですけど…」
「俺が乗ると宣伝になるんだそうだ」
「そうですか…」
流石お金持ちの世界は違うなあ、としみじみ感じ入る。
そこで、はたと疑問が浮かぶ。
「そういえば跡部さんが、そんな趣味に走った車に乗ってるところを
全くもって見たことがないんですけど」
もし、自分に見せたくないだけだったとしたら傷つくなあと
巴はちょっと苦悩しながら訊いてみる。
車は山道に差し掛かってきた。
観光化され車用に整備された道も傾斜し、カーブが急になってきた。
外の景色はすでに高原のもので、目的地も近いように感じられる。
最初の大きなカーブに差し掛かったところで
二人はそれに気付き、しばし外を眺めていた。
先に我に返った跡部はそれに答える。
「バカか?お前?趣味の車を親の金で買ったって仕方ないだろうが。
どうせ今買ったとしても自分で運転できないしな。
俺は自分の金で自分で運転できるようになってから手に入れる」
プライドを覗かせてそう言いきる。
当然と言えばあまりにも当然だが、意外といえば意外な答えに巴は驚く。
きっぱり言い切った跡部の横顔はりりしく格好いい。
惚れ直しそうだ。
少しうっとりしつつも、あることに気づく。
そして慌てて膝の上の紙袋から小箱を━━━誕生日プレゼントを取り出す。
「そうだ、あの、これ!跡部さんに、誕生日プレゼントです」
何故か意外そうな表情で跡部は差し出されたそれを受け取る。
「ありがとうな、お前のことだから忘れてると思ってたが」
意外な表情の理由は、
巴がよもや今日プレゼントを用意しているとは思わなかったからだった。
そして、「開けてください」とも言われず「開けて良いか」とも訊かず
無言でシンプルなブルーのリボンを解いていく。
「あ、まだ開けていいですよって言って無いじゃないですか!」
「いいじゃねえか、どうせ俺のものになるんだろう?━━━どれどれ」
包みを開くと、そこには羽の形をしたシルバープレートのついた
シンプルなキーホルダーが入っていた。
プレートには跡部のイニシャルが刻まれている。
「━━━へぇ、お前にしてはなかなか良いセンスじゃねえか」
その跡部の一言で、巴は喜色満面の笑顔になった。
そんな笑顔で見られるのは跡部としてもかなり嬉しい。
プレゼントを貰ったことを差し引いても相当嬉しい。
普段はクールな顔が歪んでしまいそうだ。
「いま、跡部さんはいつか自分の車を買うって言ってましたけど、
そのときに、これ、車のキーに付けてくれますか?」
全くそう言う意図無しに買ったものではあったが、
話を聞けば丁度良いプレゼントのようだ。
まだ車を買うまでに何年かはあるけれども、無くさないでいてくれれば
きっと跡部は付けてくれるだろう。そんな確信がある。
「いいぜ…つけてやるよ。このお礼は、そうだな
お前を最初に俺の車に乗せるっていうことでどうだ?」
意外な礼の言葉に巴は飛び上がるような気持ちになった。
「いいんですか!?っていうか、車に乗れるまでそばにいられるってことですか」
言葉を逆手に取れば、そう言うことにもなるだろう。
免許が取れる年齢になるまでにもあと2年はある。
この先、しばらくは一緒にいてくれと言われているようなものだ。
「……そこまでは考えていった訳じゃねえけどな……そう言うことだな」
そういって少し考え込む表情になる跡部に、巴は少し不安を覚えた。
もしかして気軽に言ってしまったものの、嫌だったとか。
そんな悲しい想像をして一人勝手にへこむ。
恋する乙女は情緒不安定だ。
その時、静かに走っていた車が急カーブに差し掛かり、大きく揺れる。
「きゃっ…!」
Gには勝てず、巴は隣の席へと倒れ込む。
即ち、跡部の身体へと。
その巴の身体を庇うように、跡部は彼女を横から抱え込む。
当然自然と身体が密着する形になる。
前の座席からは運転手が謝罪の言葉が聞こえてくるが
巴には遠く聞こえてくる雑音にしか聞こえなかった。
今聞こえているのは跡部の思ったより早く打つ心臓の鼓動だけだ。
まるで自然に跡部が巴の耳元に顔を近づけた。
普段より低く深い声で巴に問いかける。
「じゃあ、俺が免許を取るのは60の時にするから、
お前はその時まで俺のそばで俺の車に乗るのを待ってくれるか?」
「はい?」
「━━━あと44年、俺のそばで━━━」
それってプロポーズっていうんじゃ…。
そんな幸せな表情をして一人勝手に浮かれる。
恋する乙女は情緒不安定だ。
END
ちなみに、結局予定通り18の誕生日に免許を取った跡部に
「70で免許を返却するまで俺の車に乗ってくれるか?」
と言われる巴であった。
約束の時間ちょうどに、その車は音も静かに越前家の前に停車した。
その車を見て、巴は驚いた。
なぜなら、この時間に自分の前に現れる車はリムジンだとばかり思っていたからだ。
もちろん跡部家所有の外国車のリムジンだ。
しかし目の前にあるのはスポーツタイプの国産高級セダンで
色もいつもの黒ではなく普通車ではあまり見ることのない
いぶし銀のような深みのあるシルバーだった。
「跡部さん……なのかな?」
時間はあっていても、いつもとは全く違う車に戸惑いを見せる赤月巴を前に
その謎の車のメタルルーフが静かに格納されていく。
やがて完全に格納され、車内からは見慣れた━━━跡部景吾の姿が。
「よお、赤月」
「やっぱり、跡部さんでしたか!」
よかったというような表情でほっと胸を撫で下ろす巴。
もっとも、リムジンほどではないけれども見るからに高そうな車なので
乗る人間は跡部だろうということは見当ついたのだが。
「いつもと違う車に乗ってるんで、誰かと思っちゃいましたよ~」
そういいながら、運転手が開けてくれたドアから車内に乗り込む。
隣には跡部がくつろいで座っていた。
リムジンより当然狭い車内は、二人の距離をいつもより近づけていた。
まだ、二人が会ってから数分と経っていないというのに
早くも鼓動が高鳴っていく。
「よし、車を出せ」
その運転手への一声で車は爽快に走り出す。
10月の最初の日曜日、二人はドライブへ行こうという話になった。
話になったといってもほとんど跡部の一方的な話ではあったのだが
跡部の誘いに当然巴に異存があるはずもなく、すんなりと話は決まった。
今日は車で高原へドライブの予定だ。
山育ちの巴には「山」は珍しくも何ともないのだが
本日向かうところはそこそこ観光化された高原で
昼食は見晴らしの良いところに立つオーベルジュだという。
実家の山とは違い、普段縁のない世界に足を踏み入れることが出来るとあって
巴は数日前からワクワクしていた。
もちろん、跡部と一緒に行くと言うことはドキドキでもあったのだが。
話が決まってからはドライブに行くということもあり、
皺になりにくい可愛い服を探すのに苦労したり、
オーベルジュで出されるであろう高級ランチコースのために
テーブルマナーのおさらいをしたりと今日まで大忙しだった。
そして、もう一つドキドキワクワクすることに
跡部への誕生日プレゼント選びというものがあった。
折しも、10月4日は跡部の16歳の誕生日だ。
金持ちでセンスの良い跡部へのプレゼントは気を抜けなかった。
まだ普通の中学生である巴が使えるお金には限りがあったし
洗練されたセンスなどというものもなかったので、
プレゼントを用意するまでは、常に一人で大騒ぎしている状態だった。
そのプレゼントは、いま跡部の隣に座る彼女の膝の上に大事に置かれている。
彼女なりに厳選したプレゼントだ。
あとは渡すタイミングだけだ。
有り難いことに、いつものリムジンよりも二人の距離は近い。
タイミングさえ合えば車内でも良い雰囲気で渡すことが出来るはずだ。
いつ渡そう、いつ渡そうと長時間気を揉むよりも
さっさと、早いウチに渡してしまいたいと巴は思っていた。
他愛のない会話を繰り返し、車は山の上へと向かう道を走っていた。
良い車のせいなのか速度はかなり出ているというのに
車は相変わらずスムーズに振動もほとんど無く走っている。
「━━━そういえば、今日はどうしていつもと違う車なんですか?」
朝、迎えに来てくれたときから思っていたことを質問する。
巴は車のことは詳しくないのだが
さすがにいつも乗っているような車とは違うことには気づいていた。
「ああ、今日は流石に山に登るからな、大きな車はムダだ」
「そうなんですか、それでいつもと違う車なんですねー。
で、こういう車が跡部さんの好みなんですか?」
渋い色の銀のコンバーチブル。
リムジン車なら明らかに家所有の趣味でもなんでもない車だと分かるが
こういった車は趣味の人が乗るものだ。
巴が跡部の趣味の車だと思っても仕方がない。
「俺の好みだったらどうなんだ?」
面白そうに跡部は聞き返す。
巴がこの車に対してどう思っているのか興味ある表情だ。
「うーん、何というか、お金持ちの趣味って分からないんですけど、
跡部さんの趣味なら外国のスポーツカーとかクラシックカーとか
乗ってそうなカンジだったんですよねー。
まあ、これは車種とかは全く分からずに言ってますけどね」
その言葉を聞き、跡部ははじめ驚いたように、次にニヤリと表情を変える。
「よく分かってるじゃねーか」
賞賛混じりの声で答える。
「あたりだ。これは車屋が勝手に宣伝だと言って置いていきやがった車だ。
俺の趣味は…厳密には違うがほとんどお前の言った車であってるな」
「置いて…普通勝手に置いていかないと思うんですけど…」
「俺が乗ると宣伝になるんだそうだ」
「そうですか…」
流石お金持ちの世界は違うなあ、としみじみ感じ入る。
そこで、はたと疑問が浮かぶ。
「そういえば跡部さんが、そんな趣味に走った車に乗ってるところを
全くもって見たことがないんですけど」
もし、自分に見せたくないだけだったとしたら傷つくなあと
巴はちょっと苦悩しながら訊いてみる。
車は山道に差し掛かってきた。
観光化され車用に整備された道も傾斜し、カーブが急になってきた。
外の景色はすでに高原のもので、目的地も近いように感じられる。
最初の大きなカーブに差し掛かったところで
二人はそれに気付き、しばし外を眺めていた。
先に我に返った跡部はそれに答える。
「バカか?お前?趣味の車を親の金で買ったって仕方ないだろうが。
どうせ今買ったとしても自分で運転できないしな。
俺は自分の金で自分で運転できるようになってから手に入れる」
プライドを覗かせてそう言いきる。
当然と言えばあまりにも当然だが、意外といえば意外な答えに巴は驚く。
きっぱり言い切った跡部の横顔はりりしく格好いい。
惚れ直しそうだ。
少しうっとりしつつも、あることに気づく。
そして慌てて膝の上の紙袋から小箱を━━━誕生日プレゼントを取り出す。
「そうだ、あの、これ!跡部さんに、誕生日プレゼントです」
何故か意外そうな表情で跡部は差し出されたそれを受け取る。
「ありがとうな、お前のことだから忘れてると思ってたが」
意外な表情の理由は、
巴がよもや今日プレゼントを用意しているとは思わなかったからだった。
そして、「開けてください」とも言われず「開けて良いか」とも訊かず
無言でシンプルなブルーのリボンを解いていく。
「あ、まだ開けていいですよって言って無いじゃないですか!」
「いいじゃねえか、どうせ俺のものになるんだろう?━━━どれどれ」
包みを開くと、そこには羽の形をしたシルバープレートのついた
シンプルなキーホルダーが入っていた。
プレートには跡部のイニシャルが刻まれている。
「━━━へぇ、お前にしてはなかなか良いセンスじゃねえか」
その跡部の一言で、巴は喜色満面の笑顔になった。
そんな笑顔で見られるのは跡部としてもかなり嬉しい。
プレゼントを貰ったことを差し引いても相当嬉しい。
普段はクールな顔が歪んでしまいそうだ。
「いま、跡部さんはいつか自分の車を買うって言ってましたけど、
そのときに、これ、車のキーに付けてくれますか?」
全くそう言う意図無しに買ったものではあったが、
話を聞けば丁度良いプレゼントのようだ。
まだ車を買うまでに何年かはあるけれども、無くさないでいてくれれば
きっと跡部は付けてくれるだろう。そんな確信がある。
「いいぜ…つけてやるよ。このお礼は、そうだな
お前を最初に俺の車に乗せるっていうことでどうだ?」
意外な礼の言葉に巴は飛び上がるような気持ちになった。
「いいんですか!?っていうか、車に乗れるまでそばにいられるってことですか」
言葉を逆手に取れば、そう言うことにもなるだろう。
免許が取れる年齢になるまでにもあと2年はある。
この先、しばらくは一緒にいてくれと言われているようなものだ。
「……そこまでは考えていった訳じゃねえけどな……そう言うことだな」
そういって少し考え込む表情になる跡部に、巴は少し不安を覚えた。
もしかして気軽に言ってしまったものの、嫌だったとか。
そんな悲しい想像をして一人勝手にへこむ。
恋する乙女は情緒不安定だ。
その時、静かに走っていた車が急カーブに差し掛かり、大きく揺れる。
「きゃっ…!」
Gには勝てず、巴は隣の席へと倒れ込む。
即ち、跡部の身体へと。
その巴の身体を庇うように、跡部は彼女を横から抱え込む。
当然自然と身体が密着する形になる。
前の座席からは運転手が謝罪の言葉が聞こえてくるが
巴には遠く聞こえてくる雑音にしか聞こえなかった。
今聞こえているのは跡部の思ったより早く打つ心臓の鼓動だけだ。
まるで自然に跡部が巴の耳元に顔を近づけた。
普段より低く深い声で巴に問いかける。
「じゃあ、俺が免許を取るのは60の時にするから、
お前はその時まで俺のそばで俺の車に乗るのを待ってくれるか?」
「はい?」
「━━━あと44年、俺のそばで━━━」
それってプロポーズっていうんじゃ…。
そんな幸せな表情をして一人勝手に浮かれる。
恋する乙女は情緒不安定だ。
END
ちなみに、結局予定通り18の誕生日に免許を取った跡部に
「70で免許を返却するまで俺の車に乗ってくれるか?」
と言われる巴であった。
プロフィール
HN:
ななせなな
性別:
非公開
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