本文なし

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『━━━この揺れは演出でございます。ただいま15分地点、頂上に到着致しました』
*チェリー・ピンク5
明るいアナウンスが流れる。
どうやらこの観覧車は頂点に到達すると少し揺れる演出があるようだ。
もっとも激しい揺れは急に立ち上がった巴が引き起こしたものだったが。
「すすすすすすっすいませんっ!千石さんっ!」
巴は気がつくと千石の腕の中にいた。
いや、腕の中というより座席に座っている千石の膝に乗る格好だった。
いつの間にか千石の腕は巴を抱くように軽く背中に回している。
顔が近い。
身体がこれ以上ないくらいくっついている。
お互いの鼓動が感じられるくらいに。
「うーん…。役得?」
「え?あ、あの身体…離してください!その…重いですよ!」
慌てて早口で千石にそう告げる。
「嫌」
「ええ!?」
巴はすっかり混乱する。
これは罰ゲームなの?
だって千石さんは私と別れたくて。
それなのに私は揺れに乗じて膝に乗っちゃったりして。
そんな私にぎゅっとしてくれるなんて
私は嬉しいような気がするけど、千石さんにはメリットがないんじゃ…?
なんて、思考も既に支離滅裂だ。
混乱する巴の背中をまるで壊れ物のように千石はやさしく撫で落ち着かせる。
「落ち着いて、巴ちゃん」
「はい?」
「いーの、いーの。俺はむしろ嬉しいんだからさ」
何故嬉しいのか巴には分からない。
よく考えれば分かりそうなものだが。
好きな彼女が自分の膝の上にいる事に喜びを感じない男なんていない。
「???」
「だーってさ、今日は巴ちゃん超カワイイし。
唇ピンクでつやつやだしさあ」
あ、なんだ気づいてたんだ。
巴の胸に暖かいものが灯る。
無視してた訳じゃないんだ。素直に嬉しい。
その感情は素直に顔に表れる。
「なんていうの?んー…?そう!そう!そう!」
千石はぱっと輝いた顔で巴の目をのぞき込む。
急に視界いっぱいに飛び込んできた彼の顔に巴はビックリする。
この人の顔には妙に惹き付けられるんだよね。愛嬌があるって言うか。
━━━目が離せない。
本当に目が離せなくなった。
心臓が破れてしまいそうなくらい激しく鼓動する。
どうか、聞こえてませんように。
けれどもそう願っても、ドキドキは治まりそうにない。
それに、この輝く笑顔で私を見るこの人は、何を言い出すんだろう。
気になって仕方がない。
「そう!食べちゃいたいくらいイイんだよね!
やっぱりさあ、健全な青少年の俺としては非常に気になっちゃうんだよ。
俺って年上だし、もうちょっと余裕を持たなきゃイケナイと思って
必死に理性に頑張ってもらっちゃってたりするんだけどさー」
それでも、やっぱり。
好きなんだから、気になるんだから仕方ないよね。
そう言って巴に向かって軽やかに笑いかける。
「あー…。え…でも…」
自分の考えていたことに巴は言い淀む。
だって別れ話がはじまると勝手に思っててこんな展開考えていなかったから。
「私、別れ話切り出されるのかと思ってました…!」
一瞬間が空く。
千石は呆気にとられたような表情になる。
続いて肩を振るわせ爆笑。
「━━━っくっくくく…あーっはははははははははははははははは」
「せ、千石さん!?」
「ソレ、おかしすぎる!ありえないって…ははははは」
爆笑で身体を揺らす千石に巴も全身を揺すられる。
膝に座ったままなのだから当然だ。
不意に、体勢が崩れてあわてて千石にキツくしがみつく。
「ははっ…はー…ナイスな冗談だね、巴ちゃん」
巴がしがみついたどさくさに
千石も巴の身体に軽く回していた両手をキツく締め付ける。
彼女が我に返った時にはもう遅かった。
いつの間にか膝の上で固く抱き合うような格好だ。
その状態で千石は巴にしっかりと目を合わせ、気持ちを声に出す。
「だって、俺、こんなにキミのことカワイー!好きだー!って思ってるのに」
「……はい?」
「ね?このままキミの美味しそうな唇食べちゃってイイかな?」
せめて最初はおたがい合意の上がいい。
もう理性はどこかにとんでいっちゃってるけど、せめてそれだけは。
「え…あっあああ!その!!!ああ味見くらいなら…?」
巴は既にすっかり混乱していて自分自身何を言っているのかよく分からない。
わからないけど、口から出る言葉は肯定の意。
そんなところが巴ちゃんらしいよなあと、しみじみ思いながら
千石は顔を身体をさらに巴に寄せる。
でも、味見って何処まで味見って言うんだろう?
息がかかるくらい近づいたときにふとそう思った。
でも、まあ、いいか。
世界は一転、真っ白に。
…
……
………
なんで、このゴンドラは上へと向かっているんだろう。
我に返って周りを見回した巴はその事に疑問を抱いた。
さっき、頂上だってアナウンスがあって
それでもって搭乗口へと戻ってなかったっけ?
あまりにも突然で。
初めてのことで。
どきどきして。
しあわせで。
気持ちよくて。
頭が真っ白だったから周りがよく見えなくなっていたけど。
「あの……これは一体……?」
ゴンドラ、登ってるんですけど?
もしかして2周目だったり…?
怪訝な顔で千石を窺う。
「んー?係のお姉さんをちらっと見たら
『そのままドーゾ』って手を振ってくれたんだよねー。いやー、ラッキー」
ラッキー?
たしかに2周も乗れるのはラッキー…なのかも?
いやいや、そんな問題じゃないような…。
それはともかく。
お姉さんは見ていて。
ゴンドラが下りて再び登るくらいで。
………味見………?
って、これが味見って。
一回じゃなかったような気もするし。
ちゃんと頂かれちゃう時はどうなると言うんだろう。
思わず巴の指は自分の唇に触れる。
そこで普段は指についてしまう筈のグロスはすっかりなくて。
チェリー・ピンクの色は付いていなくて。
これって完食に近いのではとふと思った。
「キミの可愛い唇、おいしかったよ。ごちそーさま」
また再びゴンドラが揺れる。
『━━━ただいま15分地点、頂上に到着致しました』
「ね、巴ちゃん?」
耳元でかすれ気味の声が問いかける。
その気配に身体がゾクゾク反応する。
「はっ…はい!」
「3周目、しちゃったらどーする?」
どうしよう。
恥ずかしくて降りられないんじゃないだろうか。
じっと、千石の顔を見てみる。
あれ…?
私のつけていたはずのチェリー・ピンクが千石さんに。
色が移って。
その色の移った唇に巴は自分の指を滑らす。
「千石さんの、その美味しそうな色の唇は私が食べちゃっていいんですよね?」
「はいドーゾ」
もう既にどのタイミングで観覧車から降りればいいのか。
二人にも分からない。
夕日が綺麗と乗ったはずの観覧車だけれど
綺麗なものは既に夜景へと取り変わっていて。
巴の頭から門限という単語はすっかり失われているし
千石からは理性が消えかかっている。
もちろん最低限の理性は頑として残してはいるものの
3周目も悪くないんじゃないかと思ってしまうあたり本当に最低限のようだ。
とりあえず、そのチェリー・ピンクがお互いから消えるまでは
観覧車に乗り続けてしまうかもしれない。
END