本文なし

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まもなく、日が落ちようとしていた。
黄昏時━━━誰そ彼時とは良く言ったもので
周囲は光と陰のコントラストが曖昧になり道すらも分からなくなる。
そのせいか何度も道に迷った彼女はようやく一軒の民家の前に立つ。
手に持った地図と正面の家の表札をかえすがえす見る。
どうやら、この家で間違いはないようだ。
「よし!」
赤月巴は気合いを入れてインターフォンを押す。
インターフォンなど気合いを入れずとも簡単には鳴るが、今日は特別な日。
自然に力も籠もろうというものだ。
*OpeningFire
━━━ピンポーン━━━
月並みなチャイムが響き渡る。
音に少し遅れて、巴の立つ正面のドアが開いた。
「ああ、赤月か。少し遅かったじゃないか」
巴の目の前に立つのは、元不動峰中学テニス部、現在高校生の橘桔平。
彼女の良き相談相手でもある橘杏の兄だ。
当然巴自身とも親しい。
その橘は、「こんな所で立ち話している余裕はないから」と室内に招き入れる。
「おじゃましまーす」
「ほら、杏からの預かりものだ」
巴は玄関に入ってすぐに橘から紙袋を渡された。
「あっ、ありがとうございます」
「2階の杏の部屋で用意しろ。出来たらすぐに行くぞ」
「はいっ!」
ぱたぱたと巴は急いで階段を上り、事前に場所を教わっていた杏の部屋に入る。
主、杏の不在のその部屋は少し寂しげに映ったが
部屋の主の性格を表すがごとく華やかながら浮ついたところのない良い部屋だった。
おもわず珍しげに部屋を眺めてしまう。
「あ!いけないいけない!早く着替えなきゃ!」
我に返って、杏から預かった紙袋を開くとセーラー服が現れた。
巴が普段着用している青学の制服とは違い、スタンダードなセーラーだ。
見るだけなら何度も見ている不動峰中学校女子の制服である。
巴は慌ててそれまで着ていた青学の制服を脱ぎ、不動峰の制服に袖を通した。
幸いサイズはぴったりでまるで彼女のために誂えたかのようだった。
部屋の中の姿見に身体を映しおかしな所がないかをチェックしてから
あわてて、階下の橘の所まで戻る。
「お待たせしました!橘さん!」
「さあ、行くか━━━不動峰中学校へ」
そして橘に連れられて未だ見ぬ他校、不動峰へと向かった。
---
10月半ばの日曜日の昼下がり。
巴は橘杏と久し振りに会っていた。
年頃の女子二人、会うことに理由などあるようでいて無いようなものだったが
今回は巴からの相談という明確な理由があった。
もっとも本題にはいるまでにファミレスで短くはない時間を費やしたが。
最近出たコスメの新しいラインのことやファッションのこと
人気のある芸能人やドラマのこと、
もちろんテニスのことについても、彼女らにはつきない話題がある。
そして、周囲の男子のことなども━━━。
「で、巴、伊武くんとはどうなってるワケ?」
「え゛っ━━━げぼっげほげほっ…っ!」
杏に急に問われたことにより、巴は盛大に咳き込む。
不運なことにその時飲んでいたものがレモンスカッシュだったのが被害を大きくした。
「ごっ…ゴメンゴメン!そんなに慌てるとは思わなかったから!大丈夫!?」
巴のあまりにも苦しそうな表情に杏も心配そうに謝罪する。
「━━━っ…だ、だいじょうぶです。…すいません…」
水をゆっくり飲みながら、ようやく巴は落ち着きを取り戻す。
「ああー、よかった。それで?さっきの答えは?」
杏の表情は好奇心に彩られている。
答えない訳にはいかないらしい。
もっとも、巴の今日の用件も「それ」関連だったため、
勇気を出し答えることにした。
「もうすぐ、深司さんの誕生日…なんですけど、悩んでるんです!」
「ん~、私としては二人の進展が訊きたいんだけど…。で?それで?」
「誕生日って何をすればいいのかなーって考えちゃって」
本当に悩んでいる。
伊武は自分のスタイルを確立していて、本当に掴めない人だ。
誕生日に何をすれば喜んでくれるのか皆目見当がつかない。
去年はたまたまコンサートチケットをあげることが出来たが
今年も同じという訳にはいかないだろう。
一体どうしたものだろうかと2ヶ月ぐらい前から悩み続けていた。
せっかく付き合っているのだから適当な物はあげたくない。
喜んでもらいたい。
どうせならプレゼント以外にも思い出を作りたい。
そう思っていた。
「んー…誕生日…ねえ」
杏も巴の真剣そうな表情を受けて、真面目に考えてくれているようだ。
どことなく考え込んでいる表情だ。
「ねえ、巴、伊武くんの誕生日って11月3日だっけ?文化の日?」
「はい、3日で━━━って!ウチの学校、文化祭だ!」
突然大きな問題にぶち当たる。
そう言えば去年は文化祭が終わってからお祝いを言いに行ったのだった。
不動峰は普通に学校が休みだったようで河原のコートで逢うことが出来たのだが。
「そう、不動峰も今年は3日なんだよね、文化祭。どうする?」
どちらも文化祭ということになると、お互い忙しくて逢うのも困難になる。
二人ともが文化祭の後かたづけをしてから逢うとなると。
「しかもウチ、夜に全員参加の打ち上げのファイヤーストームがあるんだよね。
同じ日に文化祭のうえにこれじゃあ、巴たち逢うの難しいかなあ」
うーん…と低く杏はうなる。
何か良い案が有るといいんだけどと、必死に頭を回転させる。
「そうだ!こういうのは、どう?」
自分の閃きに爛々と目を輝かせながら杏は自分の考えた計画を巴に話す。
「私が…不動峰のファイヤーストームに参加するってことですか…?」
巴にはとても素敵なアイディアのように思えた。
「そうよ、それにねウチのファイヤーストームにはいいジンクスがあってね━━━」
---
そして、日が暮れた今、巴は不動峰中学校の校門前にいる。
計画を持ちかけた杏は自分自身も文化祭に出なければならないため
校内までの案内を不動峰OBである自分の兄に任せることにした。
伊武の誕生日を祝うと言うことで、後輩思いの橘も喜んで話に乗った。
「まあ、これで深司が喜ぶといいんだがな」
「そうですね!がんばります!」
「頑張ってくれ━━━上手く生徒に混ざれよ。
杏は多分校門を入ってすぐ左の木のあたりにいるはずだから」
「はい!行ってきます!ありがとうございました」
橘に挨拶をし大きく手を振って不動峰の校内に足を踏み入れる。
初めての学校と不法侵入で巴の胸は既に早鐘を打っている。
きょろきょろとものなれない表情で辺りを見回すと
確かに木の下で杏は待っていた。
「巴!良かった!もうすぐ始まっちゃうんでどうしようかと思ってたところ」
楽しそうな表情で巴に駆け寄ってきた。
「すいませんっ。ちょっと遅れちゃいましたね」
素直に謝る。
「いいの、いいの。そんなことより、行くよ?いい?」
その一言にひときわ鼓動が激しくなる。
どうやら自分で思っているよりも遙かに緊張しているようだ。
失敗して教師にでも見つかってしまえばおおごとだ。
手引きをしてくれた杏も必然的に咎められてしまう。
頭の中はいまになって「どうしよう!」という思いで一杯になってしまった。
ついつい足がすくんでしまう。
「大丈夫!行くよ」
杏は巴の表情に緊張を見てとり、手を引っ張って歩き始める。
「どうせこんな暗がりじゃ、誰も分からないって━━━深司くん以外には、ね」
すっかりパニック状態の巴と歩きつつそれに、と話を続ける。
「案外他校生が混じってるんだよ、ほら、この間ジンクスの話をしたでしょう?」
「は…はい、そうでしたね」
ジンクス。それは恋しい人がいる人にはとても良いジンクスで。
それを求める人々がどうやら毎年忍び込んでくるらしい。
そう言えば、周囲の物陰には校内に慣れない様子の人影もちらほら。
どうもこっそり入ってきた他校生は、巴だけではないようで少し安心する。
「ほら、あそこにもうすぐ火がつくんだよ」
杏の指さす方向を眺めてみれば、校庭の中心に木のやぐらが組まれている。
その周囲をぐるっと生徒が取り囲んでいる。
特に並んでいる訳ではないらしく、友人やカップル同士で点火を待っているようだ。
「火がついたらダンスが始まるんだ。
一応生徒全員だから伊武くんとかテニス部の連中もどこかにいる筈なんだけど」
辺りを見回すと、集団のものも一人のものも皆ソワソワしている。
意中の人に、もしくは自分を想っている誰かに声をかけられるのを待っているのだ。
こういったイベントは絶好の告白のチャンスだ。
誰もがきっかけを待っている。
巴はそれに思い当たると、
脳内のライバルに伊武を取られてはならないと思い、必死に伊武を捜し始める。
「あっ…杏さんいました!」
どんなに暗がりでも自分の想い人の周囲には明かりが灯っているようだ。
ぱっとひときわ明るく見える。
伊武はこんなイベントに参加しなければならない不本意さを表情に出している。
あれは、紛れもなく伊武だ。
周囲には不動峰男子テニス部の面々も揃っている。
どうやら伊武の制服は神尾に掴まれていて逃げられないようになっているらしい。
巴は内心(神尾さんグッジョブ!)と歓声を送った。
そしてこっそりと伊武に気づかれないように杏と離れて近寄る。
もちろん伊武を驚かしたいからだ。
彼らの背後に回る。
「ったく……ばかばかしいよなあ……なんで俺がこんな所にいないとイケナイんだよ
本当にばかばかしいよね、こんなのに参加しても簡単に彼女なんて出来ないってのに
お前ら期待しすぎだよね……それともなに?俺のモテっぷりを皆で眺めたい訳?
全く参っちゃうよなあ…俺にはれっきとした彼女が居るって━━━」
「深司うるせー!」
神尾に頭をはたかれる伊武。
巴は思わず「あっ!」と声を上げてしまう。
周囲の面々はその声の主に自然と反応して振り返ってしまう。
「あっ!赤月お前!」
「赤月さんだ」
「赤月さん?」
「………巴?」
次々と口に出し、その次に危険なことに気づいて口をつぐむ。
ここで大騒ぎして教師にでも見つかっては問題だからだ。
巴が見つかったのを機に杏も彼らに近寄ってきた。
「杏ちゃん!なんで赤月がこんな所に居るんだよ?」
「えへへー、巴のウチのガッコの制服姿も可愛いでしょ?
私からの伊武くんへの誕生日プレゼント、ってところかなあ」
「なんだよ!深司ばっかりずりぃ」と言おうとした神尾の口を石田は塞ぎ
ずるずると遠くへ引きずっていく。
森や内村、杏までも「どうぞごゆっくりー」と遠ざかっていく。
巴と伊武は二人で取り残されてしまった。
「……」
「……」
周囲に気を使われてしまい、なんだか照れくさくて黙ってしまう。
こんな時何から喋ればいいのか、まだ二人には経験が足りない。
巴のほうから思い切って口を開く。
「あの…深司さん!お誕生日おめでとうございます!」
「………ありがとう。それだけ、言いに来たの?」
話が続かない。
しかし、さらに話を続けようとしたときに、人々がざわめきはじめた。
校庭の中心の方を見遣ると、ちょうど火が点いたようだった。
それと同時に雰囲気の良いダンスナンバーが流れはじめる。
火の近くにいる生徒達はこぞって踊り始める。
周囲は炎の柔らかな明かりに照らされ、二人の姿もようやくはっきり現れる。
巴は炎の明るさが赤っぽい色で助かったと思った。
蛍光灯の元だったらどれぐらい赤面しているかバレてしまうから。
もっとも伊武も同じ事を考えていたのだが、巴は知るよしもない。
「まいっちゃうよね…自分の彼女は不法侵入者なんだから。
一応その彼氏らしい俺も共犯者になっちゃうのかな。あー若い身空で前科持ちか」
伊武は内心は嬉しかった。
当然自分の彼女が危険を冒して自分の元へとやってきたのだから
嬉しいに決まっている。
しかし、何と言っていいか分からない。
ついつい、いつもの調子で話してしまう。
「深司さん……」
もっとも巴だってそれは分かっている。
ボヤキはいつもの習性のようなもので悪気はない。
それどころか、緊張していたのでいつもの深司で良かったとすら思う。
「深司さん、もちろん誕生日に逢いたかったっていうのもありますけど、
杏さんに聞いちゃったんです、このファイヤーストームのジンクス」
「あー…」
少し照れくさそうに伊武は髪をかき上げながら答える。
「ジンクス…ね。巴もそんなこと信じるなんて女子みたいなコトするんだ。
わーおどろきだなー」
まるで棒読みの伊武の返事に巴はポカッと頭を殴る。
「深司さんの馬鹿ぁ」
「痛い…本当にこの子俺の彼女なのかなあ…もの凄い暴力だよね…」
「もう!じゃあ、もうイイですよーだ!帰ります!」
少し憤慨した表情で巴はくるりと後ろを向く。
もうジンクスなんて知らない。背中はそう言いたげだ。
「………せっかく深司さんの誕生日お祝いして、
ついでにジンクスにあやかろうと思って頑張ってきたのに」
そう言い捨てて、一歩足を踏み出す。
今日はかなりの勇気を持ってきたのだ。
ボヤキと分かっていてももう心が耐えられないように感じた。
たまには伊武も反省すれば良いのだと思った。
「え?」
不意にファイヤーストームの炎の暖かさとはまた違った暖かさが背後を包む。
気づいたら、巴は伊武の腕の中にいた。
「………………………………………どうせ、俺は冗談が上手くないよ………。
………………………嫌になるよね本気の娘に何言っていいか分からないなんて、さ。
………………………………………………
………………………………………………
………………………俺の事に腹立てるのはあとにしてもうちょっと話聞いてくれない?」
低く低く、周囲の音にかき消される寸前の声が巴の耳元に届く。
かろうじて聞こえるのは巴の耳近くに伊武の顔があるからだ。
「深司………さん?」
「………………その制服、可愛くてどうしようかと思った。
明日からウチの学校の女子がどうしようもなく色あせて見えるんだろうな。
巴のせいだね。なにかしら責任とるべきだよね。
責任とって俺とその、………ジンクスとやらにあやかってみようよ」
伊武の腕に力がこもる。
素直じゃない謝罪に巴の心が解ける。
「で、巴?そのジンクスって、何?」
伊武にストレートに尋ねられ思わずさらに顔を赤くする。
本当は知ってるクセに。
のど元まで出かかるが、また捻くれたことをぼやきだしたらこまるので慌てて止める。
「………私、赤月巴は伊武深司のことが大好きです。
これからもずっと一緒にいることを誓います」
一息呼吸を入れて、とうとうと言葉を紡ぐ。
不動峰中のファイヤーストームのジンクス。
『炎の前で愛を誓うと炎の精霊が二人の恋の炎をいつまでも熱く燃やしてくれる』
誰が言い出したのか分からないがなかなかに効果があるらしいという噂。
「さ、さあ!深司さんはジンクスにあやかってくれるつもりはあるんですか!?」
半ばヤケになって深司に巴は問う。
自分自身はもう恥ずかしいことを口に出してしまったのだ。
こわいものなどほとんど無い。
すると、珍しく後ろから笑いをはらんだ伊武の声を聞いた。
「………俺はこんなジンクスに頼らなくてもいつまでも熱いままだと思うけどね……
巴がそれで幸せな気分になるっていうんなら仕方ないからいくらでも誓うよ。
………………………………………………………………………、あいしてる」
そして、そのあとさらに小さくかすれた声で
「………嬉しい誕生日プレゼントをありがとう………これからもよろしく」
確かにそう聞こえた。
END